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「使徒信条」を新十四日派の観点から見ると

2013.03.06 (Wed)
「使徒信条」の歴史を確認ましたが、確かに三位一体以前の古そうな来歴ではあります。

ですが、少々気になるところもあります。

キリストは)葬られ、霊として、黄泉(地獄)に降り
”mórtuus, et sepúltus,descéndit ad ínferos”

これは前にも二度ほどメールのやりとりで取り上げましたように、ペテロ第一3:19が異教的に解釈されております。つまり、「イエスの黄泉降り」とされる解釈ですね。
この解釈の背景には、キリストがなぜ、「獄にある霊に宣べ伝えた」か、何を宣べ伝えたかの理解がありません。

その以前に「獄にある霊」を死んだ人間の霊であるとの浅い理解で済ませたり、救いの宣明がされたと単純に信じられてもいますが、このペテロの句はそんなお目出度いことを述べているのではありません。死後、善人は天国に、悪人は地獄に行ったのであれば、二度と出て来られないという地獄に居るという死者に、どんな福音があるのでしょう。

聖書は人の死後に意識がないことを述べているのですから、(コヘレト9:5-10) これは犠牲の死によって倫理の完全性に達したキリストが、悪霊らへの最終的な裁きを伝えたのであり、彼らの滅びの確定の宣告であったとみるべきでしょう。

キリストは死によって、その亡骸は墓(ハデース)にあり、三日目に『霊に復活した』のですから、『獄の霊に宣明した』のはその後のことになります。ですから、「葬られ、黄泉に降った」のではなく「葬られ、墓に安置され」、その後に「霊に復活して、獄の霊に裁きを言い渡した」とされるべきところです。


また、文言中「聖徒の交わり、罪の許し」を読者自らに適用してしまっており、聖徒と信徒の区別が出来ていない様子で
「罪の許し」とは、聖徒らだけの『新しい契約』に基づく仮の義認であり、聖徒にさえ終末の裁きが控えていることに信徒と変わりはない厳しさに欠けています。

最後は「肉体の復活、永遠の命を信ず」
"carnis resurrectiónem,vitam ætérnam.Amen"
とは、この言葉を信徒に当てはめるなら間違ってはおりません。
ですが、より重要な聖徒の霊への復活が欠けています。

そこで、この「信条」の制作された時代は、聖徒が残っていない第二世紀後半以降、三位一体が登場する第三世紀後半以前のおよそ百年の間ではないかと思えます。あるいは、三位一体に対抗した人々のものなら第三世紀以降から、第五世紀ということも視野に入りますが、蓋然性はぐっと下がるでしょう。

もともと、入信に向けた信徒教育の文言だったそうですが、書物の十分に供給されなかった時代を反映し、この短い文章で教理教育の確認を済ませていたようにも察せられます。
この教条に記された内容は、これだけは押さえておこうというような、普遍教会の最低共通項のようにもされてきたのでしょうが、グレコ=ローマンの諸教会がこの上に基礎を置いてきたことは仕方ないのでしょう。しかし、小アジアのキリスト教のレベルはこれよりは高かったことが窺えます。


結論として、この短文「使徒信条」が有用か否かとなれば、新十四日派の観点からすれば無用です。

僅かなパン種がどれほど破壊的であることか
「悪魔は小さな隅に居る」というのはよくできた格言です。
それは以下に見るように、ピラトゥスについての見方にも影響しています。


では次に、お使いの教本のピラトゥスの扱いですが
ユダヤ教徒に嫌がらせをしていた、まったくの異邦人で不信者であるピラトゥスに「人より神をとるべきだった」と求めるのは無理であるばかりか荒唐無稽に感じます。

キリストを裁くに当たり、総督である彼は中立を貫こうとしており、その努力は官吏としては正当で、むしろ、よくぞそこまでやったと思えるところがあります。ユダヤ指導層と仲が良くなかったこともあるでしょうが、彼はイエスを裁く事に『恐れを感じ』ており、頑なにイエスの死を求めるユダヤの祭司長派にそれは見られません。

一方で、真にキリストを陥れたのは、明らかにユダヤの宗教指導者たちでした。福音書によって、彼らが釈放しようとするピラトゥスの努力をことごとく阻んだことはこれ以上ないほどに克明に記録されているでしょう。

なぜに、キリスト教界が「ピラトによって処刑された」を強調するのか、まるで理解できません。そこにこの信条の擁護が関わるのでしょうか。あるいはタキトゥスの文書に明文化され、主が歴史に名を残していることを含めようとしたのでしょうか。
もちろんピラトゥスはそれなりの悪辣さのある人物ではあることが伝えられていますが、事イエスの扱いにおいては公正さを示そうとしており、今日の役人でもここまでするだろうかと思えるところすら、私には感じられます。

彼は、イエスが奇跡を行うという噂を耳にしていたことでしょうし、実際に接してイエスに徒ならぬ風格も感じ始めており、それは官邸での「見よ!この方だ!」の発言にも敬意が表れていることでしょう。また、「この者は、自分を神の子だと云ったのだ」という耳に挿んだユダヤ人の言葉に恐れを感じました。これは、祭司長派とは正反対の反応ともいえるように思えます。

もちろんピラトゥスの懐いた畏敬は「信仰」と呼べるものではなかったでしょうが、少なくともユダヤ宗教家や扇動された群衆よりは神というものを恐れている様が見えますし、それはガバタで手を洗ったところにこの上なく表れております。

ゆえに、教本の「「異教徒であるポンテオピラトの名が、私たちの信仰の基準である「使徒信条」に登場するのは驚くべきことだが、それは、イエスの十字架の歴史性を明確にし、その十字架が私刑ではなく、国家の公式の刑として執行されたことの揺るぎない証拠となっている。」の説明は幾分要点から外れたように聞こえます。

確かにタキトゥスはその「年代記」の第十五章で「クリストゥスなる者は・・総督ポンティウス・ピラトゥスによって処刑されていた」と記し、これが現今で最も古いキリストに関する公(「ゆるぎない」というべきか)の歴史記録とはなっています。しかし、タキトゥスの文面は誤解による悪意に満ちており、そのことをキリスト教徒がわざわざ証拠立てるべきでしょうか。

おそらくは、この「信条」を擁護すると上記のように言い納めるよりほかないのかも知れませんが、より聖書的観点から見ると、「時の大祭司カヤファによって神の子羊としてエルサレムに屠られた」とし、「大祭司カヤファと祭司長派がローマ帝国の権力を利用してそれを行った」などとされる方が良いように思えます。

ご指摘の、私が自著で「・・不法な者が裁く」としたのには、ピラトゥスが不法の者だという概念はまったくもっていません。それは、ユダを雇うなど卑怯な方法を駆使したうえ、ローマ帝国の権力を利用して神聖な祭りの直前に、表面上、自分たちの手を汚さずに死刑を執行させた、あの祭司長派の腹黒さこそを指して「不法な者」としております。
彼らは訴状に手心を加え税金の件まで持ち出しますが、これはピラトゥスの見破るところで、彼らが宗教上の嫉妬からイエスを訴えていることは見透かされていました。

彼らは、イエスの父である神に仕える立場にあったゆえに、ピラトゥスに数倍して、いや、イエスについてはまったく邪悪に振る舞ったのです。こちらのほうこそ、これはもはや揺るがない歴史の事実なのではありませんか。

イエスは当時のユダヤを「あらゆる預言者たちの血の清算が求められる世代」と呼び、その世代の内にその「清算」が臨んで、エルサレムも神殿も破壊されて今日に及び、ユダヤ人は彷徨する民となりました。それはキリスト拒絶と殺害への処罰であり、ユダヤ=イスラエルは神との格別な立場を失いました。

その意味するところは、千年以上続いた律法体制の終わりと、血統によらない民族「神のイスラエル」(聖徒)への恩寵の移行であって、これはローマ帝国がどうこうというより、よほどの重大事と言えるでしょう。

にも関わらず、教本が「ポンテオ・ピラトによって・・」と述べるのは、「使徒信条」を擁護しようとするときに避けられなかったのでしょうか。あるいは、異邦人(グレコ=ローマン)キリスト教にとってヘブライの事象には関心も知識もなかったのでしょうか。むしろ、ここは「邪悪なユダヤ宗教家によって」とでもされるべきだったでしょうに。
この指摘のズレた部分は、メシアニック・ジューをキリスト教諸派に隙居らせる欠陥ともなるでしょう。

以上のように聖書以外の文書については、相当なリテラシーというものを以て理解に当たらねばなりません。

そうでありませんと、僅かひとつの短文とは云え、古代人の勘違いが複製コピーされ、後代このように全体の理解が曇らされてゆくという、これもその典型例とも言えるように思えます。

普段、第二世紀の文書を読んでいてすら、聖書理解の蒙昧からくる誤謬に度々行き当たります。第二世紀の教父エイレナイオスでさえも時折はその例外ではないことを痛感させられます。
これが第三世紀にもなると誤謬は甚だしくなり、ほとんど歴史的価値以外に学ぶところがありません。

そこではキリスト教が本質的な「何か」から「急速に遠ざかって」行くのをまざまざと見る思いがします。その「何か」と言うのは弟子らに『真理をあまねく案内する』「聖霊の賜物」の働いていた「聖霊の時代」なのでしょう。以来、キリスト教界は誰も聖霊を持たない『夜』を迎え、「正統」を主張できる「聖霊」あるキリスト教は絶えて一つも存在しておりません。






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