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「新十四日派」について

2012.08.18 (Sat)

新十四日派の概要 ⇒ 要諦


◆基本信条[Σύμβολο της Πίστεως]
新十四日派は

・ローマ国教化後のギリシア=ローマ型を去って、ヘブライ由来の原始キリスト教を探ります。

・自分が救いを一旦差し置いてキリスト教を探求します。

・創造者が神として全創造物の上に高められることを最も重要な事と見做します。

・それは神が主権を持って支配するためでなく、神の象りが自由を得るべき倫理の完成のためです。

・人間が創造された神の企図に復帰し、創造界が再び調和を得ることを神の意志と認識します。

・その結果として人は神との絆を回復し、愛する隣人を初めて見出します。

・この目的のために創造者は行動してこられ、その過程が聖書に記されてきました。

・アダムの子孫であるすべての人間には倫理的欠陥である「罪」があります。

・この「罪」とは各個人の犯す個別の悪行を意味しません。

・「この世」は創造者の意志から逸脱していて「罪」の結果である貪欲が動かしています。

・人は、誰も善行や道徳性によって「罪」を逃れることはできません。

・そこで「この世」では法と権力が避けられません。

・キリストは「罪」を贖い、人々を神の創造された倫理状態に引き上げる「救い」を行われます。

・「罪」の対極にあるのは「愛」であり、完全な愛は法と権力の強制を無用にします。

・キリストが体現した究極的な愛は、倫理上の完全性を人にもたらします。

・信仰は忠節で普遍な愛を動機とするもので、愛は信仰に優ります。

・キリストの戻られる「終末」での拠り所は「聖霊」であり、将来のその働きへの理解を鮮明に保ちます。

・神は終末に再び「聖霊」を注ぎ、ある人々を「聖徒」に任じて「神の王国」と「裁き」を世に通告します。

・「信仰」とは、偉大な価値と神の力量への信頼を持ち、自らも忠節であることを意味します。

・キリスト教信仰とは、神が創造者でありキリストが仲介者であり聖霊が両者の意向の働きを担う事を信じることです。

・聖書は第二世紀までに二度目に書き終えられ、以後「聖霊」と神の名の発音は地上から去りました。

・聖霊の無い間は、聖書の中だけに真実のキリスト教の姿を見ます。

・真正なキリスト教とその崇拝を回復することは、人間にできることではありません。

・聖書に従えば神の是認を得るわけではなく、逆の結果を刈り取った例が多くあります。

・聖書の単語や文法に拘ることが教理を導くわけでもありません。

・人間に聖書のすべては理解できませんし、自己正当化の具、また偶像視するべきでもありません。

・聖書に理解されるべき事柄が網羅されているわけではなく、語られていない重要な事柄もあります。

・キリストは『王権を得る旅』に出られ、現在までこの世に対して不在となっています。

・当派は、第二世紀の小アジアのキリスト教「十四日派」を範とするキリスト教を標榜します。

・ユダヤ人の無酵母パンの初日の前夜をニサン十四日の開始と定め「主の晩餐」を挙行します。

・聖霊は切に願い求められるべきもので、自動的な時間経過を待つものではありません。

・エデンの園で知らされた『女の裔』が、『世の光』と呼ばれる人類救済の手段であると認識します。

・キリストと「聖徒たち」とがエデンの園で語られた「女の裔」であると見做します。

・聖霊が、真理や神の名を知らせ、聖徒を指し示し、終末にキリスト教を浄めるものと理解します。

・「女の裔」の継承は、キリスト後にユダヤ民族を去り、水と霊から生まれる『神のイスラエル』に移りました。

・聖書の大半が契約にある者に対して語られており、今日の読者すべては契約の対象外にあります。

・契約外で信仰持つ人々に語られた聖書の部分もあり、彼らは『シオン』また『女』とされています。

・『シオン』また『女』は終末のすこし以前から活動を始め、聖徒たちを迎えます。

・『シオン』また『女』は聖徒たちよりも大きい集団を構成し、そこに更に多くの諸国民が向かいます。

・真実のキリスト教の救いは信者のための内向きのものではなく、聖霊に信仰を抱く可能性を持つあらゆる人々に広げられるものです。

・「神の王国」が実際の支配となりキリストの「臨御」の後に千年続くものと信じます。

・聖霊降下による聖徒の出現が、「終末」に入ったことの真の印であると解します。

・為政者への聖霊の発言への反応で人々は分けられ、キリストによって終末の世は裁かれます。

・人が救いを得るかどうかは、聖霊に対する信仰と聖徒への行動によって決まります。

・キリストは「雲と共に来る」ので、裁きの為にもその姿を人が見ることはありません。

・裁きの最終的な時期に神とキリストの力が表明されることを通し、人々は「キリストを見」ます。

・聖徒たちが天に召集されて「神の王国」が実現します。信じた者たちは地を拝受します。

・千年王国は、聖徒の天への復活と全ての人々の地への復活との間を分かつものとなります。

・キリストと聖徒たちは「王なる祭司、聖なる国民」となって人類を「罪」から救います。

・千年の後で、死人のすべてが「罪」の無い状態で復活し、最後の一度の裁きに臨みます。

・千年王国の後に中傷者も復し、神ご自身による最終的な裁きがすべての創造物に臨みます。

・中傷者の恒久の滅びは、裁きの完了と罪や死の永久の無存在をもたらします。

・千年後の神自らの裁きによって、世界は創造で意図された状態に復され、政治と宗教は終わります。

・政治は現在は必要であっても神との敵対に至り兼ねないので、深く関わることを避けるよう努めます。

・信徒は貪欲を去って愛を求め「愛の掟」を最大の規範とし、他には規則や戒律を設けぬよう努めます。

・自らの義を捨て「神の安息」に入り、「この世」の争いや虚しさから距離を置いた生活に努めます。

・自派の教理も立場も無謬ではないことを認め、他者への優越感や敵意を避けます。

・聖書は神の働きの記録ではあっても、神の働きそのものではなく、偶像化されるべきでありません。

・キリスト教は個人の信仰であり、社会で信仰するものではありません。

・信徒は、思想信条の異なる他者との社会や生活を想定し、可能な善意を以って対処します。

・未信者はもとより互いに、またどの宗派の方にでも望む方に聖書研究を助けるよう努めます。

・その目的は、仲間の信徒を作るためでなく、共に終末に心を整える人々となるためです。

・終末の裁きまでは、誰もが『罪』を負うことでは変わりません。

・教理の知識が人に救いをもたらすわけではなく、逆に作用する事もあります。

・信仰内容は、習熟によっても、思考方法によっても、誰もがまったく同じものとはなりません。

・聖霊の降らない限り、誰も神の是認の下に在るとは見做しません。

・神は存在するようになったあらゆる魂を所有され顧みられます。

・神は贅沢や気ままな願いを聞くことはありませんが、あらゆる魂の渇望を聞かれることを理解します。

・聖徒らの神の経綸に関わる祈りには、異例な反応が期待されます。

・聖霊の再降下を祈り求めるのは、利己心からではなく、自他すべての幸いを願うからです。

・そこで、信仰内容に幾分かの相違がある信徒も容認されるべきところもあります。

・信仰する動機や価値観や倫理性欠如による混乱、基礎合意に反する場合、上の限りではありません。

・信仰を抱くに当たり求められるのは価値観であり、知識に依るよりも個人の倫理の問題となります。

・努めて聖書と周辺の資料を研究し、個人の認識を高め、自己判断を行い大衆化を避けます。

・信徒は『シオン』また『女』と呼ばれる集団を構成することを目指します。

・神の観点を持つよう努め、自己義認や人間中心主義、またご利益信仰を避けます。

・信仰と生活のバランスを重視し、狂信と大衆化を避け、教養と良識ある信仰者を目指します。

・個人の良心的決定、また個性や才能を互いに尊重し、愛に基く優れた資質を伸ばすように評価し合います。

・互いの間に問題が生じた場合には、権威によらずアガペーを理念として解決に努めます。

・それでも理想主義だけで『罪』ある人をすべて扱えないことを認め、必要に応じ内外に対策も講じます。

・神の意志に反する場合を除き、公の法から逸脱のないよう努め、害ある事柄は法に委ねます。

・この信仰を放棄すること、派から離脱するのは随時自由ですが、その旨通知されることを期待します。

・この派に所属することが救いを意味するとは限りません。脱退者も一般人と共に希望を維持します。

・但し、『背教』に相当する裏切りを意図する場合は、必ずしもその限りとは言えません。

・当派は将来、聖徒となる人々からの聖霊の声に従い、人間由来のこの「派」としての役割を終えます。

・もし、当派が聖徒を生み出す『シオン』また『女』とされるなら、その後の新たな展開が始まるでしょう。


⇒ 「新十四日派」の特長と要諦


◆小アジアで完成されたキリスト教
 十二使徒の最年少で最後に残されたヨハネは、エルサレムの滅びを逃れた後、主の母を伴い小アジアのエフェソスに腰を落ち着けましたが、西暦第二世紀に入る頃、ドミティアヌス帝の迫害を受けて、多島海の小島パトモスに数年の流刑に処されました。この最後の使徒は、ドミティアヌスが暗殺されて後、恩赦を受けてエフェソスに帰還を果たしトラヤヌス帝の治世まで生存したと伝えられています。

 エフェソスやスミュルナをはじめ、その周辺の諸都市がこの使徒の薫陶を受けていたことは、黙示録の七つのエクレシアへの主の言葉からも明らかで、その他の資料も使徒ヨハネの教えが小アジアにあったことを述べています。

 この時期のキリスト教は、既にパウロもペテロをはじめとする十二使徒も亡くし、主の兄弟ヤコブたちも眠りに就いていて、聖霊による主の監臨は続いていても、キリスト教の理解の進展の望めるところは、このヨハネの許だけとなっていたと言ってよいでしょう。
使徒ヨハネに臨んだ聖霊による理解が、奥義の家令パウロと双璧を成すほどに高いものであったことは、その名による著作に明らかです。

 それは聖書中の黙示録とヨハネ福音書、そして書簡が彼の晩年に至って書かれたことが物語っています。

 ヨハネの影響の臨んだ小アジアの地域には、周囲に見られない教えの特徴がありました。
そのひとつが黙示録にある「千年王国」であり、もうひとつにはユダヤの過ぎ越しの前日に合わせた「主の晩餐」が挙げられます。

◆ニサン14日遵守
殊に、使徒ヨハネによって聖書の最終部分が書き終えられた西暦第二世紀に入って以降、小アジアのキリスト教徒の多くは、外部から「十四日派」と呼ばれるようになりました。

それは、毎年ユダヤ暦ニサン月14日の晩にキリストが命じた「主の晩餐」と呼ばれる儀式を、ミサや昼に行う聖餐式ではなしに行うところから付けられた名称です。その名称そのものは、彼らの周囲のキリスト教徒が「聖餐」をユダヤの過ぎ越しの日付ではなく、その後の日曜日に「復活」を祝う行事として変更していたことを示すものでもあります。

ですが、「主の晩餐」について使徒パウロは『主の死を告げ知らせる』ものであることを記しており、それは復活の祝いではなく、崇高な主の死を追想するものであるべきでした。

現在のユダヤ教徒は、ニサン15日に過ぎ越しの食事をとりますが、これはキリストの時代から変わりなく継承しています。
ですが、この一日のずれによって、キリスト・イエスが正しくニサン14日に犠牲となる道が拓かれました。


◆聖霊を通した指導
聖霊は、それを受けた人々がキリストと共になる「聖徒」であることを証しただけでなく、聖徒がイスラエルからだけでなく諸国民からも一定数が選ばれるよう、初代の弟子たちを導きました。
それは、キリスト後に地上に残った使徒たちの一大事業であったということができます。

また、小アジア地方のキリスト教徒は最後の使徒ヨハネの指導を受けたので、初代キリスト教徒に注がれた聖霊を通した教えを最後まで受けた人々でありました。

彼らはヨハネの福音書や書簡、また黙示録の担い手であり、新約聖書の最後を占めるこれらキリスト教の教えの最後の展開を授かった人々でもあります。

ヨハネ黙示録にだけ書かれた「神の王国」が千年続くこと、またそれがこの世の支配を実際に受け継ぐものであることをこの人々は理解していましたが、それは他の地域のキリスト教徒に受け入れられたとは言い難いところがあります。殊に、シリア系の異邦人主体のキリスト教は黙示録を排斥する姿勢が強く、当初はこの書を聖書から排除したほどでした。

第四世紀に至ってアウグスティヌスのように影響力の大きい教父たちは、「千年紀」を伴う実際の『神の王国』の出現を否定し、それ以前の小アジアの教父たちの教えを退け、その写本に手心を加えることまでも行い、千年紀信仰をもみ消しました。

第四世紀325年にはローマ皇帝コンスタンティヌスはニケアーの宗教会議を主宰し、キリスト教指導者でもないこの皇帝が裁可を下して、小アジアのキリスト教はほとんど否定されました。
341年のアンティオケア会議で、遂に「十四日派」も異端の烙印が押されて以降、この派は衰退し、数百年を経て、中世の暗闇の中に消滅してゆきました。


このように、西暦第二世紀の小アジアに存在していたキリスト教の特徴に、年に一度ニサン月14日の「主の晩餐」の遵守と、黙示録を擁護し「王国」の千年支配の信仰することの二つを挙げることができます。

また、ヨハネの当時の弟子たちの中には、減少しつつあったとはいえ、「聖霊の賜物」を有する人々が残されていた様がヨハネの書簡にも覗えます。また、当時を知らせる多くの資料は、西暦第二世紀には依然「聖霊の賜物」を有する人々が生存していたことが伝えられています。これについてはアウグスティヌスも認めざるを得ませんでした。
カトリックが今日でも「聖人」に列するに当たり、その人物が複数の奇跡を行ったことを条件にするところに、古代の聖霊の賜物ある人々の痕跡が見られます。つまり、「聖なる者」と「奇跡の業」は深く関係していたのです。

◆主と聖霊の不在(アプーシア)
その第二世紀の人々を最後として、聖霊を通したキリストの監臨は終わり、主は「王権領受の旅」に出立されたのでしょう。この間の聖霊降下によるキリストの指導の時代はおよそ百年間であったと思われます。
その後、今日まで千八百年近く主の不在と聖霊の無い時代が過ぎ去って参りました。

かつて神は預言者マラキを最後にバプテストのヨハネまで、およそ四百年の間、霊感を誰にも与えず、沈黙して来られましたが、キリストの使徒後からおよそ千八百年の間、正しく聖霊を受けた人を世界は見ていません。
それは、神が終末でもない時代に不必要なことをなさらなかったからでしょう。

しかし将来に、帰還となる王の『臨御』(パルーシア)が始まり、再び弟子らへの聖霊の注ぎが行われ、彼らはキリストの代理発言者『聖なる者』となります。
キリストはこの人々を通して純正なキリスト教を回復され、宗教やイデオロギーに関わらずあらゆる立場の人々が、浄められたキリスト教に信仰を働かせて流れのように集まってくることでしょう。

聖なる者らが選ばれることの目的は、為政者の前で『神の王国』の王であるキリストに支配を委ねるよう聖霊の言葉によって勧告を加え、神の名を知らせ、その証人となります。また、世界に対してキリストの帰還と、人々から「罪」を除いて祝福する『神の王国』の到来を広く知らせることにあります。
この聖霊の発言を以って、世界は間違いなく「終末」に入ったことが印付けられるでしょう。


◆聖霊と聖徒の待望
「新十四日派」は、使徒ヨハネによって小アジアでキリスト教が完成され、西暦第二世紀のその後の数十年の期間に亘ってその地で『純粋な時代』*を保ったと見做し、これらの特徴を基礎に据えたうえで、現代までの研究成果を踏まえ、様々な証拠の蓋然性の追求によって教理を探りながら、次なる聖霊降下による「聖徒」の到来、そして主の臨御の始まりを待つものです。 *(第二世紀後半エフェソスのエピスコポスであったポリュクラテスの言葉)

それは、キリストの臨御に対して『整えられた民』を準備し、また、王権を得るキリストを真実に『王の王、主の主』として迎えるシュロの葉を手に栄光を讃える人々の注意を予め喚起すること、また聖霊を注がれる弟子たちの到来のときに、その人々に教えを委ねて、「新十四日派」としての働きを終了することになるでしょう。

その後は、聖霊を受ける『聖徒』たちが聖霊を通して教えるので、キリスト教には原初の正統さと純正さが「回復」されるばかりか、人々の救いとなる「神名」が知らされ、加えて新たな教えも展開されることでしょう。
世界中の人々は聖徒の聖霊の声を聴き、その奇跡の業を見て信仰を働かせ、象徴的なひとつの地所『シオン』に『流れのように向かう』ことでしょう。

このキリストの『臨御』という終末の出来事が起こるまで、新十四日派はニサン14日の「主の晩餐」を護持し、「千年王国」に先立って不可視性の『雲のうちに』帰還なさる主キリストと、その『大使』となる聖徒の選出による出現を待ち続けるものとなります。「終末」は何十年も続くものではなく、おそらくは「聖徒」の現れから十年もかからずに「この世」は終局に至るでしょう。

これらは神の偉大な計画(経綸)の一部を成すものであり、最終的な目的は、創造者が神として高められ、キリストの仲介により神と人を隔てる人間の「罪」が除かれ、全創造物が創造者の意図するところとなることです。



 ⇒ 新十四日派の基礎的教理






◆「新十四日派」の教理の特徴


全体を支える四つの特徴的教理があります。
現在それは「原罪論」「聖霊論」「回復論」の三本の教理の柱であり、他に「教理の教理」とも言える「教理控制」の併せて四つが挙げられます。詳しくは、以下の各項目をクリックしてご覧ください。


1.原罪論 
人間の「罪」のために間違いの無い真理も正義も人間にはありません。人間の争う理由、加えて宗教と政治の存在理由がここから導かれます。人はこの「罪」から逃れない限り、貪欲の支配し、苦しみ満ちる「この世」から逃れられないでしょう。キリストの贖いの犠牲はこの「罪」の相殺をもたらし神と人との和解に至らせます。その和解が聖書全巻を貫く主題となっていることに新十四日派は人々の注意を喚起します。また、この理解から、「罪」ある現状にある以上、人は互いの外見によって内面を裁けないことも理解します。


2.聖霊論 
人間の罪のために、神と人との間には障碍となる壁があり、人間の側から神に近づくことも神を知ることも出来ません。そこで神は聖霊を通してそれらを教示されました。終末に聖霊はかつてない仕方で活動することでしょう。
また、イエスの時と同様に、「聖霊」は人類の「裁き」にも深く関わることになります。
聖霊が注がれるのは限られた人々であり、その人たちは先立って贖われ、信仰による義を得て、キリストと共に「神の王国」を構成することになります。新十四日派は「聖霊」の教理を純化し、あらゆる人間の努力や業や思い込みを去って、完く神の介入を待つという信仰を基本とするものです。

 
3.回復論 
この「回復」とは、将来の聖霊の再降下によってキリスト教が正され浄められることを云います。聖霊が特定の人々に再び注がれるようになると、真実のキリスト教がもたらされ、神の名をもって王国の到来とキリストの臨御が宣告されます。世の多くの人々があらゆる宗教やイデオロギーを去って清められ、流れのように回復されたキリスト教に向かうことになるでしょう。
そこは「シオン」と呼ばれる人々の集まりとなり、全地の裁きに際して、聖霊の言葉に信仰を表して聖徒を支持するあらゆる人々がそこに向かい、反対する勢力がその人々を攻撃する時に、神YHWHはキリストに王権を与えてその象徴的地所「シオン」を守らせます。


4.教理控制
これは聖霊降下の無い間の教理の暴走を抑え、教理そのものが偶像化されて人の生き方を狂わせないため、また他宗派との争いを避けるための策で、教理そのものに抑制をかける「教理の教理」のような働きをします。また、教理の更新を自在にし、理解の進展や向上においても、この教理の制約は非常に効果的に補助します。そして、教理を信仰するのではなく、神を信仰し待つ態度を培わせるものともなるでしょう。加えて、教理を理解し納得することがそのまま信仰となるわけでなく、教理を信じることで救いを得るわけでもないことも銘記させます。






 新十四日派のより先進的理解





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