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危機から守られる『シオン』

2020.12.22 (Tue)



『シオン』が信徒たちの集団を表し、キリストの再臨により聖霊が再び注がれることから母体となって『聖徒たち』を生み出すとすれば、悪魔の側が『シオン』も放っておくことはないでしょう。
実際、黙示録第12章によれば、聖徒を生み出す前に陣痛の苦しみがあり、生まれてくる聖徒たちである男子の赤子を龍である悪魔が食らい尽くそうと狙うとあり、それでも赤子は神の許に引き上げられて悪魔の攻撃はかわされることになります。

これは、聖徒という聖霊に基く権威が神の前に確立されることを言うのでしょう。
イザヤ書は、『国民が一日のうちに生み出されるだろうか』と問い、『だが、シオンは産みの苦しみが臨むやいなや、子らを産んだ』とシオンによる聖徒の出産が一時に、『神のイスラエル』、『アブラハムの裔』の残りのすべてが生み出されることを予告しています。これは「サラの象徴」である『シオン』がすべての子を生む最終的な出産でもあります。(イザヤ66:8/ガラテア6:16/創世記22:18)

この短期間による聖徒の現れについては、黙示録とダニエル書が告げるように、終末の聖徒たちの活動期間が『三年半』『42ヶ月』『1260日』と三種類の数え方で言い換え、けっして長いものではないことと合致します。存在がわずか三年半であれば、全員が現れるのに世代にわたるような期間となる道理がありませんから、神の裁きは一気に人々の本質を突くものとなるからでしょう。(黙示録11:2-3/ダニエル7:25・12:7)

終末で人々をキリストの前に羊と山羊、つまり右と左に分けるものが、聖霊の証しをする聖徒たちへの反応となるのであれば、また、聖徒たちが天界でキリストと共に祭司団を構成し、千年期に人々を導き、贖罪を行うのであれば、悪魔はそれを何としても阻止したいに違いありません。しかも、キリストと聖徒たち、つまり『女の裔』は悪魔の頭を砕いて終わらせるのですから、聖徒を攻撃することは悪魔の存亡が懸かっています。(マタイ25:31-33/創世記3:15)

しかし、そのときには終末での聖徒たちの現れによって、天の王国を相続する全員が生み出され、天界での勢力に変化が起こります。今やキリストは『女の裔』としての全員を手中に収めたと言えるからでしょう。
『天では戦いが起った。ミカエルとその使いたちが龍と戦ったのである。龍もその使たちも応戦したが勝てなかった。そして、もはや天には彼らの居場所はなくなった』。(黙示録12:7-10)

聖徒たちの全体が生み出され、『アブラハムの裔』がそろったことによる宣言である『今や、われらの神の救いと力と国と、神のキリストの権威とが現れた』との天界の声は、いまだ試練はあるものの、聖霊で油注がれた『女の裔』が出そろったことにより、滅ぼされるべき悪魔が天使の中から追放されるべきことが確定したかのようです。

天使長ミカエルが決起する場面はダニエル書にもあり、そちらでは亡くなっていた昔の聖徒たちの復活の際に、この天使長が立ち上がることが描かれていますので、時期としては黙示録とほぼ同じ期間に相当し、同じ事を述べているのでしょう。(ダニエル12:1)
一方の黙示録は、さらに詳しく語り、聖徒たちの全員が存在するようになったことで、悪魔とその一党は天から地に追い落とされ『自分の時が短いのを知り、激しい怒りをもって地に降った』とあります。(黙示録12:12)

ですから、悪魔が聖徒を生み出そうとしている女シオンをつけ狙うばかりでなく、聖徒が生み出されたことに怒り狂い、シオンを攻撃しようとすることは当然予期されることで、やはり黙示録はそのように告げています。

地に来た悪魔は『男児を産んだ女を追いかけた』とあります。つまり、聖徒を生み出した女シオンを攻撃目標として『ヘビは、口から川のような水を女の後ろに吐き出して、女を押し流そうとした』と、その攻撃が起こることを予告しています。しかし、それはうまくゆきません。『大地が女を助け、口を開けて、龍が口から吐き出した川を飲み干した』。(黙示録12:6)
この『女』を助ける『大地』というのは、おそらく人間の力ある機関、政府の権力や司法の権威を指すのでしょう。あるいは世論にも守られるのかも知れません。ともかく、地上に来て荒れ狂う悪魔は、聖霊の言葉に信仰を持つ集団、また『神の王国』を支持し、その聖徒たちを生み出した信徒の集団に強い敵意を向けることでしょう。

しかし、『女』には神からの助けの備えがあります。『女は荒野へ逃げ込んだ。そこには、この女が千二百六十日の間養われるために、神の用意された場所があったのである』と黙示録は告げます。(黙示録12:6)
この期間は、ちょうど聖徒たちが聖霊の言葉を語って預言し、苦しみに遭いながらも証しする期間と同じです。それは黙示録の同じ文脈で念を押すかのように、『女には大きな鷲の翼が二つ与えられた。荒れ野にある自分の場所へ飛んで行くためである。女はここで、蛇から逃れて、一年、その後二年、またその後半年の間、養われることになっていた』ともある通り、やはり三年半、42か月、1260日の安全が与えられるのです。(黙示録11:3・12:14)

一方で、聖徒たちにはいよいよ試みが臨みます。『龍は女に対していきり立ち、その子孫の残りの者たち、すなわち、神の掟を守り、イエスの証しを守り通している者たちと戦おうとして出て行った』とあります。こうして悪魔は、その攻撃目標を女から聖徒たちに変更して狙いを定めます。(黙示録12:17)

それですから、聖徒の母である「女シオン」は、生み出した聖徒たちが神の崇高な世界宣教の証しの業を行っている『三年半』の間については、神によって悪魔の攻撃から保護を受けることになり、それはイエスの終末預言の中でも、イエスの困窮する『兄弟たち』に援助の手を差し伸べる人々が居て、その善意ある行いによってキリストの右に是認を受ける『羊』として分けられるとの言葉とも合致するものでもあります。(黙示録11:3/マタイ25:38-40)

ですから、シオンに属していた元からの人々だけがキリストの側に立って是認を受けるわけではありません。
預言者イザヤとミカは言葉をそろえ、まるで一人の証言者が語るように、まったく同じ言葉で預言をしているところがあります。
『終わりの日に、YHWHの神殿の山は、山々の頭として堅く立ち、ほかのどのような峰々よりも高くそびえ立つ。
国々はこぞって大河のようにそこに向かい、多くの民が来て言う。「YHWHの山に登り、ヤコブの神の家に行こう。YHWHはわたしたちに道を示される。わたしたちはその道を歩もう。YHWHの教えはシオンから、その言葉はエルサレムから出るからだ」』。(イザヤ2:2-3=ミカ4:1-2)

ここに描かれる人々は、シオンに参集してくる諸国民であり、そしてその時には、すでにYHWHの山シオンは並ぶべきものがないほどに高められています。
ですから、この新たな人々は、聖霊の言葉を語る聖徒たちの世界宣教の結果としての心に抱いた信仰により、シオンを目指して来るのでしょう。それゆえにも、シオンについてはその受け皿として安全地帯になっているべき必要もあります。

そして、信仰する者たちの集団であった女シオンは、諸国民から頼られるほどに高められ、清い信仰を抱く世界の人々の行く先となることでしょう。小山であったシオンは、あらゆる秀峰をも見下すほどに高められ、どんな宗教や思想からも跳び抜け、他を凌駕していることでしょう。諸国の人々はそれが分かっているからこそ、真実の神YHWHを求めてシオンに『大河のようにそこに向かう』に違いありません。
おそらく、その間にユーフラテスの水位は激減してしまうのでしょう。そうであれば『大いなるバビロン』を滅びに向かわせることにもなります。聖霊の証しを前にして、もはやそこには何の優れたところも魅力もないからです。

旧来の宗教については、黙示録が『大いなるバビロン』と呼ぶ前の段階ですら存在意義すら失ってしまう様が、黙示録の前半『七つのラッパの吹奏』のはじめの四つの中に繰り返し描き出されています。
それらによって打撃を受けるのは『地』『海』『川』『太陽、月、星の光』のそれぞれ『三分の一』であり、木々は焼き尽くされ、海水は血となり、川は苦くされ、天体は光を失ってしまいます。
これが宗教という分野に起るであろうことについて簡単に言えば、終末というものの性質からしてそう言えます。
樹木は人々の間で優れた者を、海水は世界の人々を、川の水源は宗教の出所を、天体の光は教えを指していることでしょう。
しかし、神の真理が明かされるに従い、政治や経済と共に世界を構成する『三分の一』は大きな打撃を避けられません。

宗教指導者は羞恥に焼かれ、信者たちは死のような教えにまとわれ、宗教の根源は清涼なものでないことが暴露され、人々を導くはずの光明は消えてしまうということでしょう。

しかし、荒野に逃れた『シオン』の安全も、『一年、その後二年、またその後半年』が終わるとき、つまり「三年半」が終わると保護が解かれ、再び脅かされることになります。それは『野獣』という権力が聖徒たちに実力を行使して襲い掛かり、制圧することに関係しているのでしょう。しかし、恐れるべきでないことを新旧の聖書が示しています。(黙示録11:7)

その『野獣』という名の権力は、ひとつの国家が主導するものの、実際に聖徒を手にかけるのは一か国の権力ではないでしょう。
なぜなら、黙示録が描くように、聖徒たちを攻撃する『獣』は『七つの頭と十本の角と王冠を持つ』異形の生き物だからです。(黙示録13:1・17:7-14)
ダニエル書の第11章の中では、『聖徒の民を滅ぼす』のがマケドニア・ギリシアの王、つまり『北の王』エピファネスであることを指し示すのですが、同時にそれを、後から生えて来た『角』であるともダニエルは記しています。これは終末でのエピファネスのような『北の王』の国家が、後発のもので、それ以前の幾つかの強国を凌いで後、さらに強力な覇権国家と急成長することを教えるものです。(ダニエル8:20-24)

また、同書は『彼は軍隊を派遣して、聖所と要害を汚し、日毎の供え物を廃止し、荒らす憎むべきものを立てる』とあり、黙示録では異形の獣が聖徒を妨害し、遂には滅ぼすことが述べられているところからすれば、終末に聖徒を殺める直接の勢力は『北の王』が『派遣した軍』であり、それは『七つの頭と十本の角と王冠を持つ』という、国際的な集団の軍事力の行使であることを指し示してもいるのです。(ダニエル11:31/黙示録13:7)

もちろん、『北の王』は反宗教的ではありますが、国際的な集団の方は必ずしもそうではないのであれば、『北の王』が『大いなるバビロン』の訴えを利用すること、つまり『他国の神々と共に要害(聖所)を攻撃する』事も聖徒については有り得ることでしょう。ほかの宗教と共に、またはそれ以上に『北の王』は『神の王国』に激しく反対するからで、圧政者の彼にとってキリストの千年王国など到底許せないことでしょう。(ダニエル11:36-39)

こうして終末の『北の王』は、聖徒攻撃に着手しますが、それが成功してしまうことは、聖書がはっきりと繰り返すところで、疑いようもありません。
しかし、その神への反対行動の直後、この『北の王』が突然の崩壊に直面することも聖書は知らせています。
『彼らの国の終りに、罪人の罪が満ちるに及び、ひとりの王が起る。
その顔は猛悪で、彼は曖昧な言い回しをよく理解し、その勢力は盛んであって、恐ろしい破壊をなし、その行うところは成功して、有力な人々と聖徒である民を滅ぼす。彼は悪知恵をもって、偽りをその手に行い、自ら高ぶり、不意に多くの人を打ち滅ぼし、また君の君たる者に敵する。しかし、遂に彼は人手によらずに滅ぼされる』(ダニエル8:23-25)

このように『北の王』が聖徒攻撃に成功しながら、最後にはシオンにも押し迫ることもダニエル書はこう告げています。つまり、世界を二分する南北の王たちの覇権争いの中で、シオンにも危機が訪れます。
『終わりの時になると、南の王は彼に戦いを挑む。それに対して北の王は、戦車、騎兵、大船隊をもって、嵐のように押し寄せ、各国に攻め入り、洪水のように通過して行く』とダニエルは天使の言葉を記すのですが、この場面はダニエル書も終わりに差し掛かっており、その後には『神の王国』が設立されることを暗示する第十二章の幾らかの文章が残されているばかりです。(ダニエル11:40-)
つまり、終末に『南の王』が『北の王』に対して戦端を開くと、『北の王』は自軍の大きさにものを言わせて、素早く広く侵攻してしまいます。

その結果、『あの「麗しの地」も侵略され、多くの者が倒れる』とあります。(ダニエル11:41)
この「麗しの地」とは『約束の地』『乳と蜜の流れる』パレスチナですが、これは実際の土地を指すのではなく、象徴的な「聖なる地」を指すのでしょう。つまり、聖徒たちが迫害に倒れる中で、信徒たちの『シオン』の地までもが『北の王』の強烈な恫喝に曝されることになるということでしょう。

それが証拠に、その結果として『彼は大海*と麗しい聖なる山との間に、天幕の王宮を設ける』ともあります。(ダニエル11:45)*(地中海)
しかし、ここでダニエル書は、すでにエピファネス王やシリア王国のことを語ることからすっかりと離れて、別の事象を語り始めています。ダニエルに語る天使は、終末を知らせる材料として、ここからは古代アッシリアの出来事を用い始めているのです。

それは、まだダヴィドの王朝が健在であった時代のユダ王国のこと、つまり獰猛な大軍をパレスチナに送り込んだアッシリア帝国のセナケリブ王の故事に触れていると言えるのです。(歴代第二32:9)
なぜなら、セナケリブ王こそ、地中海とエルサレムの山地との間にある「シェフェラの台地」に大軍を布陣し、移動宮廷を設けてエルサレムの手前にある要塞都市を攻めていた故事があるのですが、その件でダニエル書、イザヤ書、歴代誌、そしてイエスの言葉に不思議な一致が見られるのです。

セナケリブは、ダヴィドの王統を継ぐヒゼキヤ王を恫喝して降伏させようとし、ユダの民はもはや命運も尽きたと覚悟を決めつつあったときに、預言者イザヤはヒゼキヤ王と民に神YHWHの言葉を告げてこう言いました。
『(アッシリアの王が)この城市(エルサレム)に入ることも、矢を射ることも、盾を持ってこちらに向き合うことも、攻囲の塚を築くことさえもない。』『わたしは自らのために、そして我が僕ダヴィドのためにこの城市を必ず守ってこれを救う』(イザヤ37:33.35)

当時の実際の状況からすれば、とても信じられないような預言の言葉であったことでしょう。
しかし、神はたった一人の天使に命じて、一晩の内にアッシリアの大軍十八万五千を亡き者としてしまいました。(歴代第二32:21)
『人間のものではない剣によってアッシリアは倒れる。人間のものではない剣が彼らを食い尽くす。彼らは剣を恐れて逃げ、その若者たちは奴隷労働に服すことになる』ともイザヤは預言していたのです。(イザヤ31:8)

まさにその通りの事が起りましたが、神はイザヤを通して必ずシオンを守ることを宣言し、恐れないようにと命じていたのです。
『(敵の)その声によって驚かず、その叫びによって恐れないように、万軍のYHWHは下ってきて、シオンの山およびその丘で戦われる。鳥がひなを守るように、万軍のYHWHはエルサレムを守り、これを守って救い、これを惜しんで助けられる』。(イザヤ31:4-5)

では、終末の『北の王』が聖徒を滅ぼし、その暴虐が信徒の集団である『シオン』に近付くとしても、神YHWHはその象徴的な地を守られないことがあるでしょうか。もちろん、世界覇権国家の脅しに耐えることには相当に強い信仰が要るに違いありませんが、信じる者たちのシオンには偉大で不動の神の預言がこのようにあったのです。(ゼカリヤ2:5)
聖徒たちを滅びに陥れた勢力も、その頭目である終末の『北の王』が世界覇権を目指して広く世界に攻め込んだことで意気も上がることでしょう。しかし、それはこの王の臨終が迫っている印でもあるのです。
おそらくは、強権支配の無理が高じて権力が内部から崩れてしまうのでしょう。それも『人間のものではない剣によって倒れる』と言えることでしょう。
飛ぶ鳥落とす勢いで北から攻め込んだ王セナケリブも、恥をかきつつアッシリアに逃げ帰り、やがて後継者争いから二人の息子に殺されて死を迎えています。(列王第二19:35-37)

実に、イエス・キリストもこの事態を先見されて語られているかの言葉を残しています。
『戦争や暴動のうわさを聞いても、おびえてはならない。こうした事がまず起こると定まってはいるが、世の終わり(テロス)はすぐには来ない』。(ルカ21:9/マタイ24:6/マルコ13:7)
この二大覇権国家の戦争は、世界最終戦争とも言われる「ハルマゲドンの戦い」とはなりません。最終的な神と人との戦いでは、世界連合軍は同士討ちで壊滅することを聖書は繰り返し教えますが、終末の『北の王』は、ただ自分ひとりの権力が崩れ去ってしまうからです。

終末の『北の王』は世界に広く攻め込み、また聖徒たちの多くを滅ぼし、その活動を終わらせることでしょう。
その勢いをかって、信徒たちの集団にも強烈な脅しの言葉が突き付けられることをイザヤとダニエルの預言は予期させるものです。そのときには保護の「三年半」が終わっているでしょう。
しかし、古代に神がシオンとエルサレムを守られたように、信仰を抱いて立ち続けるならその脅威も砕かれ、巨万の軍といえども目の前で総崩れを起こしてしまうのでしょうし、異形の『野獣』も活動期間の『四十二ヶ月』の時間切れを迎え、一度は姿を消しているでしょう。(黙示録13:5)
ですから、イザヤもイエスも、恐れおびえてはならないと言うのです。

ですから、聖徒を失ったとは言え、それこそは天界のキリストの許に彼らが集められたことの印でもあるのですから、むしろ、残された信徒たちには、更に信仰を強める理由であるのです。
そして『シオン』は、さらにもう一度保護されることになるのですが、それはいよいよ再臨の最終的な結末と「千年王国」とをもたらす時となるでしょう。

ここまで来れば、イエスが言われたように再臨から始まる『この世の終り』の中でも、さらなる「終局」(テロス)が『すぐには来ない』とは言え、目前であることには変わりません。
ダニエルに天使はこう語っています。
『聖なる民が全く打ち砕かれると、これらすべての事が直ちに成就する』。(ダニエル12:7)

ですから、聖徒が天に去った後についての聖書に書かれた終末の情報は、もはや聖徒のためのものとはならず、新たな『神の民』、信仰を働かせ『シオン』に集う人々に向けられたものなのです。
では、人々は『恐れてはならない』との言葉にどう反応するのでしょうか。






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