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『火のバプテスマ』に焼かれるユダヤ

2020.10.29 (Thu)



バプテストのヨハネは、メシアが来られる前から『その方は聖霊と火とであなたがたにバプテスマを施すだろう』とユダヤの人々に予告していましたが、それは同時にメシアの現れが『小麦』と『籾殻』とを分ける裁きになると語られていたのです。これはユダヤ体制への恐るべき警告であり、バプテストはメシアの裁きの先駆者でありました。
メシアに信仰を働かせたユダヤの人々が『小麦』として『倉に納められ』、他方、そうしなかった『籾殻』に当たる人々は『消すことのできない火で焼かれる』と預言されていたのです。

イエスが天に戻ってから十日後の「ペンテコステの祭り」の朝から、イエスに信仰を持った弟子たちには『聖霊』が注がれるようになりましたが、その人々は神の是認の内に入ることで『倉に納められた』ということは、まず間違いないことでしょう。
では、メシア信仰を持たなかったユダヤの人々、また律法に固執したユダヤ体制は『籾殻』となって焼かれたのでしょうか。

メシア殺害ほど重い罪もないことでしょう。イエスに働いていた奇跡を起こす『聖霊』の証しを否定しただけでなく、殺意をもって反対行動を起こしたのですから、それは「ヘビの裔」の悪業というほかありません。
使徒ヨハネはこう書いています。
『神が御子についてなさった証し、それが神の証しである。神の子を信じる者は、自分の内にこの証しがあり、神を信じない人は、神が御子についてなさった証しを信じずに、神を偽り者にしてしまっているのだ』。(ヨハネ第一5:9-10)

イエス自身もこの『神の証し』についてこう言われています。
『誰も行ったことのない業をわたしが彼らの間で行わなかったなら、彼らに罪はなかったろう。だが今は、彼らはその業を見たうえで、わたしとわたしの父を憎んだのだ』。(ヨハネ15:24)
それですからイエスは反感を懐くユダヤ人らに辛抱強く接し『もし、わたしが父の業を行っていないのであれば、わたしを信じなくてもよい。だが、もし行っているのであれば、わたしは信じなくても、その業は信じよ』。(ヨハネ10:37-38)
神の御子で在られる方が、これほどまで謙虚に神の証しを受け入れるように説いたのですが、やはり、その結果は芳しいものとはなりませんでした。
徹底した不信仰がもたらしたもの、それは第一に『聖霊』の働きを否定することであり、それは神を受け入れないという意思表示をしてしまうことでもあったのです。(マルコ9:39)

これは人がアダムからの『罪』に影響されて、つい悪事を犯してしまう事とは性質が違います。
十分に神の善や正義を見ていながら、それを敢えて否定することであり、これはまったく故意の罪、はっきりと倫理的選択をして「悪」を選び取る危険に身を曝すことでしょう。
特に『聖霊』が働く奇跡を目にしながら、それを否定することがどれほど決定的な罪となるかをイエスはこう言われていたのです。
『人が犯す罪や冒瀆はどんなものでも赦されるが、霊への冒瀆は赦されない。人の子に言い逆らう者は赦されるだろう。しかし、聖霊に言い逆らう者は、この世でも後の世でもけっして赦されることがない』(マタイ12:31-32)

神からの証しである『聖霊』の奇跡を行うイエスを見ても、ユダヤの宗教家らはそこに神を見ず、イエスは悪霊を使っているとなじり、奇跡を見るほどにかえって激しく反発していました。それに加え、メシア殺害という間違いなく神の意志を否定する罪まで、つまり赦されることのない恐るべき咎を負うことをしでかすに至りました。

刑場に引かれてゆくイエスを見ていた信者の女たちは涙にくれていたのですが、イエスはこう言われました。
『わたしのために泣くな。むしろ、自分と自分の子供たちのために泣きなさい。人々が、「子を産めない女、産んだことのない胎、乳を飲ませたことのない乳房は幸いだ」と言う日が来る。そのときには、人々は山に向かって「我々の上に崩れ落ちてくれ」と言い、岡に向かって「我々を覆ってくれ」と言い始めることになる。』(ルカ23:28-30)
この山や岡に保護を求める句は、旧約聖書のイザヤとホセアの預言に含まれているもので、共に神の裁きの日に人々が隠れ場を求めて言う言葉とされています。(イザヤ2:19/ホセア10:8)
それら預言の句もユダとイスラエルの罪への神の報復の場面で語られる言葉であったのですから、この山や岡に隠れようとするほどの危機が、メシア殺害の罪の酬い、逃げ場のない神の報復の予告としてイエスが引用して語るところとなったのでしょう。

イエスはこの前にも、ユダヤ体制が非常に危険な状態に直面することを何度か予告していました。エルサレムへの最後の旅をして街を一望するところに来るとイエスは涙を流してこう言われたのでした。
『もしおまえが、この日に平和をもたらす道を知ってさえいたら。しかし、それは今おまえの目に隠されている。いつかは、敵が周囲に塁を築き、おまえを取りかこんで、四方から押し迫り、おまえとその内にいる子らとを地に打ち倒し、城内の一つの石も他の石の上に残して置かない日が来るであろう。それは、おまえが神に査察されていることをわきまえなかったからなのだ』。
まさしくイエスは、ご自分の受難ではなく、彼らの酬いとはいえ滅び行くエルサレムの運命に涙されたのです。(ルカ23:42-44)

これこそは、旧約最後の預言書マラキが、メシアの現れが必ずしも祝福とならないことを警告していた通りの事で、ユダヤの体制はその通りの呪いを刈り取ってしまうのです。
イエスがエルサレムの滅びを預言した当時は、ヘロデ大王が増改築を施した壮麗なエルサレム神殿がそこに実在し、見事な観光名所として世界から誉れを受けていました。実際ヨセフスは、もし戦争を起こさずにいればきっと世界の羨望を受けたに違いない都市が、破滅をもたらす世代を生んでしまったがために、今や灰燼に帰したと無念さを吐露しています。(ユダヤ戦記6:4:407)

その神殿を望むオリーヴ山に座したイエスは、その時すでに神殿が危機にあることについて、『石がこのまま石の上に在って崩されないでいることはない』と使徒たちに知らせていたのです。
とても信じられないような事を予告されるイエスの御傍に四人の使徒が寄ってきて、『どうぞお話ください』とエルサレムの滅びについての預言を聞き出すことになりました。これは使徒たちに鮮烈な印象を残したに違いなく、マタイ、マルコ、ルカの「共観福音書」が揃って記しています。(マタイ24/マルコ13/ルカ21)

イエスは、まず偽メシアの到来を告げ、戦争の噂が立つこと、国と国との民と民との闘いが起こり、飢饉と地震があることから語り出します。しかし、それらの事の起こる前に、弟子たちへの迫害が起こり、彼らはイエスの名のために王や高官らの前に引き出されることになりますが、その弟子たちには反対する者らが束になっても論駁できないほどの言葉が聖霊によって授けるので、何を話そうかと心配する必要がないとも言われます。しかし、彼らはイエスの名のために人々から憎まれ、親族、友人によってさえ官憲に引き渡されるというのです。(ルカ21:12-17)
それでも、彼らが様々な審理の場に引き出されることで、王や高官たち為政者らと、それを聞く諸国民に対しての証しが行われるとも言われていました。(マタイ10:17-20)

その聖霊による驚くべき証しが『神の王国』についての福音となり、人が住むあらゆる場所で知らされることになります。(マタイ24:14)
しかし、この世からの強い反感と迫害により弟子たちの中からも裏切る者やつまずく者らも現れ、それは互いの敵意を煽るものともなります。
そして、エルサレムが軍隊によって攻囲されるなら、その終わりが近づいたことを悟るようにと言われます。(ルカ21:20-24)
それを見たユダヤにいる弟子たちは山地に逃れるよう直ちに行動を起こさねばならないこともイエスは告げられます。そうしなければ子を宿していたり、子に乳を飲ませている女たちには災いが来ることでしょう。
ユダヤの人々は剣に倒れ、囚われとなって諸外国に引かれてゆくでしょう。エルサレムは定められた時まで異邦人に踏みにじられるところとなります。
しかも、こうしてことのすべては、イエスを退けたユダヤ人の世代の間に臨むと言われます。なぜなら、それは『処罰の日』であり、この悲劇を招いたのはユダヤの体制が『自分たちが審理されていることをわきまえなかったから』であったのです。メシアを退けた「その世代」は必ずや酬いを受けなくてはなりません。(ルカ21:22・19:44)
しかし、その裁きがいつ起こるのかの年月は誰も知らないので、弟子たちは『ずっと見張っていて、目を覚ましているように』と言われました。(マルコ13:32-33)
これらの言葉はイエスが地上を去ってから33年目から成就し始め、37年後には本当にユダヤ体制はまったく処罰を受けることになりました。

パレスチナのイエスの弟子たちはユダヤ人から『ナザレ派』と呼ばれて、しばらくはユダヤの中でも増え続け数万人に達していたことをナザレ派の頭となっていたヤコブが述べています。この人たちはイエスをメシアとして受け入れたユダヤ教徒であり、引き続き律法を守っていました。(使徒21:20)
しかし、ユダヤではピラトゥスに続いて赴任してきた代々のローマ総督が次第に敵対的な人物になってゆき、そのためユダヤ体制はますます愛国的になってゆきます。そこに何人もの偽メシアが登場するならどういうことになるでしょうか。実際、ローマへの反感が強まるにつれ自称メシアが横行することになり、争い合う「この世の王国」としてのイスラエルの指導者、「世的なメシア」を求める期待が民の間に強まってゆきました。

その一方で、ローマに処刑されてしまったナザレのイエスを信奉するような「ナザレ派」は軟弱に見なされ、強く排斥されるようになり、その状況でユダヤ教とキリスト教とをはっきりと分ける要因ともなってゆきました。
この時期のユダヤ人のナザレ派信者は、ユダヤ教の会堂から排斥されるようになっていたのでしょう。同時期に書かれたと思われるヘブライ人への手紙には、『集まることを止めないように』とあり、ユダヤ教の会堂とは別にでも集まることを勧めています。(ヘブライ10:25)

特に西暦60年代に入ると、ユダヤはローマ帝国の中でも特に不穏な地域となりましたが、遂に堰を切ったかのように、ユダヤの過激派がローマ軍の守備隊を襲って全滅させるという事件が起こってしまいました。それが西暦66年のことです。
ダマスコの総督府は、ユダヤが反乱を起こしたと見做し、ケスティウス・ガッルスは駐屯していた一個軍団を率いてエルサレム攻略を始めます。
都市攻撃は順調に進んで、市民も覚悟を決めていたところ、いまだに理由のわからないことながら、ローマ軍が撤退を始めてしましました。

ユダヤ人は、これを自分たちの戦いの結果であるかのように勇み立ち、安息日にかまわずローマ軍を追撃さえし、以後は武器が量産され、若者には軍事教練が施されます。この状況からナザレ派やユダヤの危機を悟った人々はパレスチナを後にし始めました。まさしく『戦争の噂』を聞いたからであり、ローマを相手に勝てるわけもないことを悟ったからです。
そのローマ軍がいったんは退いたことにより、そこでイエスが予告された『エルサレムが軍隊によって攻囲されるなら・・山に逃れよ』の言葉に従う道が開かれました。その後もエルサレムはエドム軍や、野盗集団によって何度か囲まれるようになってゆく中で、実際に弟子である人々が北東部の高地の街ペッラに逃れたとの史料が残っています。(教会史3:5)

一方、ローマ軍のなぞの撤退から三年半が過ぎ、西暦70年の『過越しの祭り』の時期でごった返すエルサレムは、フラヴィウス・ティトゥス率いるローマ軍四個軍団と連合軍の満を持した二回目の攻囲を受け、市内にはすぐに飢饉とそれに続いて疫病が発生するのでした。それでも市内を支配していた野盗や愛国者らは、全滅するまで戦うことが神の意志に沿うものだと思い込み、それがかえって聖なる都エルサレムの徹底的な壊滅をもたらすことになります。(ユダヤ戦記6:2:93-)

エルサレムはイエスの言葉のようにローマ軍によってすっかり囲まれてしまいました。ローマ兵は付近の木々を伐採し、エルサレムの市街を取り囲む策を建設しましたが、これは緑成すエルサレムの景観を砂漠のようにしてしまったとヨセフスは嘆いています。(ユダヤ戦記6:1:5-7)
神への祭りを祝おうと集まっていたユダヤ教徒たちには、その意志とは正反対の現実が襲いかかります。
当時のユダヤ人で、その様子をその「ユダヤ戦記」に記したヨセフスによれば、市内は極端な愛国者や野盗らの集団が支配し、勝ち目がないのに戦いに固執し、神殿を破壊することは避けようとするローマ軍側からの再三の投降勧告に従わず、意固地になったユダヤ人自身が神殿を要塞化して血で汚し、市民からは食糧を強奪して回ったため、ついには母親が子を焼いて食べるという事態にまで進んでしまったことを生々しく伝えています。(ユダヤ戦記6:1:199-)
まさしく『子を産めない女、産んだことのない胎、乳を飲ませたことのない乳房は幸いだ』と言われた悲惨な状況は誇張ではなかったのです。

そして夏を迎えると、神殿での崇拝も止まってしまい深い絶望が市内に蔓延する中、ついにローマ軍が市内に突入してくるのでした。人命はゴミのように捨てられ、エルサレムでは神殿も炎上し、市内の三つの塔を残してあらゆる建物が破壊されたと言います。占領した兵士らは市内で奪略、虐殺、放火の限りを尽くし、逃げ場を求めて地下道に殺到しますが、そこはすでに死体の山であり、腐臭が酷かったと記されています。(ユダヤ戦記7:1:1)
生き残っていたユダヤ人らの多くは剣に倒れ、あるいはすでに手の下しようもなく弱って餓死してゆきました。愛国者や野盗らは凱旋行列に引ったて見世物にしてから処刑するためにローマに送られ、ほかの多くの人々が奴隷として売り飛ばされ、見世物の剣闘士とされ世界各地に送られていったのでした。(ユダヤ戦記6:9:414/ルカ21:24)
その民の苦しみや絶望はどれほどのものであったことでしょうか。これがユダヤ体制が良いつもりで選んだ道であり、イエスが予見して涙された結末であったのです。
これはエルサレムにとって、それまでに経験したことのないほどの『大患難』というべきユダヤ体制の終わりであり、人々は山や岡のようなものに庇護を乞い願う思いであったことでしょう。

このときのエルサレムの陥落は、遂に完膚なきまでの滅びをエルサレムとユダヤ律法体制にもたらしたと言っても過言ではありません。律法の定めの三分の一が崇拝の場としての神殿を必要とするものでありましたから、エルサレムの神殿を跡形もなく失ったユダヤ体制は、その後21世紀の今日に至るまで、律法の全体を守ることが不可能となってしまったのです。その滅びはかつてのバビロニア捕囚のときを上回るものとなり、かつてはエルサレムに戻った人々によって神殿を失ってから七十年で再建できたものを、ローマに蹂躙されたユダヤの民は今日に至るまで神殿を失い二千年が経とうとしています。神殿と共に民族の系図も焼失し、誰が祭司を務めるべきレヴィ族かを確定できなくなりました。今日のユダヤ人の中には「自分はレヴィの系統に属する」と自慢げに言う人々がそれなりに居るのですが、それを裏付ける証拠もこの時に失われてしまったのです。(エズラ2:62)

しかし、これはパウロのような使徒たちによっても予告されていたことでありました。
使徒パウロはエルサレム破壊まえの西暦67年頃に帝都ローマで殉教したとされていますが、その以前に『新しい契約』と『律法契約』とを対比してこのように書いています。
『神は「新しい」と言われることによって、初めの契約は古びてしまったと宣言されたのである。その年を経て古びたものは、間もなく消え去ることになる。』(ヘブライ8:13)
確かに、イエスが『完全な犠牲を捧げた』のであれば、もはや動物の犠牲に何の意味が残っているでしょうか。
律法中の崇拝の儀式はキリストという『来るべきものの影』つまり模型のようなものであったからです。完全なものが到来した後に、その模型にこだわるべきどんな理由があるでしょうか。それはあたかも、幼虫が羽化して見事な蝶となったかのようなものです。キリストの到来と共に、人々は地上の肉的な崇拝を離れ、霊的な天の崇拝に目を向けるべき時を迎えたというべきでしょう。

こうしてメシアの現れはユダヤを審査するものとなり、イエスの弟子たちには『聖霊』が、そうしなかった体制派には『火』がそれぞれにバプテスマとして臨むことになったという以外にバプテストのヨハネの警告の言葉の捉えようがありません。
神の不興を買った昔の捕囚期のように、裁かれたユダヤ人はその後も反乱を起こしては、次第にパレスチナから散らされ、世界各地に寄留する民となってゆきました。
キリスト教徒から見れば、イエスが『これらの事柄がみな臨むまで、この世代は過ぎ去らない』と言われたのは、明らかにメシア殺害の酬いであったと見るのが自然ですが、ユダヤ教徒はそうではありません。(マタイ24:37)

故国を失った彼らは、移住した異国でもモーセの律法をできる限り守ろうとして、律法学者らが考案した規則をタルムードと呼ばれる書物にまとめ、嬰児に割礼を施し、毎週の土曜日を安息日として守ろうとするユダヤ人は、今日までキリスト教の国々やイスラム教の国々の中でそれに同化せずに集団で生活し、ユダヤ教パリサイ派であり続けてきました。
ですから、彼らは今に至るまで、ナザレ人イエスは「ガリラヤの私生児で、魔術を行い民をたぶらかした」としてきました。もちろん、これはひどい誤解です。しかし、ユダヤ教徒に向かって「やはり、ナザレのイエスがメシアだったのでは?」と言うのは禁断の問いとなっています。ユダヤ教はその後もローマとの戦いは正しかったと教えられてきましたし、そもそも律法の役割や意義を知らせている新約聖書など聖典として認めません。
また、ユダヤ教徒には律法を守る自分たちを高める傾向が残り続け、諸国に寄留していながら異邦人には高利貸しを行うなど差別的に振舞ってきました。その強いこだわりはナザレのイエスへの見方を変えないことに加えて、特にキリスト教の諸国家に居住していた彼らが迫害を受ける要因ともなってしまいました。

近年では、ユダヤ教徒の中からナザレのイエスをメシアとして認める「メシアニック・ジュー」と呼ばれる派も現れてきましたが、この人々の崇拝の中心は引き続き律法を守ることにあります。ですからこの派であっても『新しい契約』の理解に達しているとは言い難く、やはりキリスト教とは異質で、モーセの律法で足踏みを続けているところ、またイスラエルの血統を誇るところでは、ほかのユダヤ教徒と特に変わるところがありません。
メシアの現れは、イスラエルが神と律法契約を結んだときのように、いや、それ以上の宗教上の次元上昇が起こったというべきほどの大変化をもたらしていたのです。この境界線を踏み越えることはユダヤ教徒にとって易しいことではないのですが、それは現在のキリスト教徒にとっても変わりません。『新しい契約』の意義が余りに斬新なため、理解出来ず、道徳的な規則主義に満足する人々も非常に多いのです。

ユダヤでのメシアの現れを通して、『アブラハムの裔』また『祭司の王国、聖なる国民』が歴史上初めて生み出されていたのですが、それは律法契約が遂に生み出せなかった『聖なる者』を出現させる目的の達成でもありました。古い契約はここに完了を見たのです。同時に律法や預言の書の中に予め示されていた数々の模型の実体も到来しました。
また、聖徒たちの現れによって、そこに新たなイスラエルの民が存在していました。つまり血統によらずメシアへの信仰によって生み出された『神のイスラエル』であり、その崇拝は『聖霊』によるもので、もはや『エルサレムでもないところで父を崇拝するときが来た』のであり、『まことの崇拝者は霊と真理とをもって崇拝するとき』がイエスの現れと共に到来していたのです。(ヨハネ4:21-23)

それでも、イエスのユダヤ体制の終わりに関する預言には、当時には起こらなかったいくつもの言葉が含まれています。
それらの言葉の中には、『そのとき、人の子の印が天に現れる。そして、そのとき、地上のすべての民族は悲しみ、人の子が大いなる力と栄光を帯びて天の雲に乗って来るのを見る』などがあり、そのような事実は当時には認められません。ユダヤ戦役はユダヤという地域で起こったこと以上ではないからです。また、ユダヤ戦役の時にいったい誰がイエス来臨を見て悲しんだでしょうか。(マタイ24:30)

また、『人の子は、大きなラッパの音を合図にその天使たちを遣わす。天使たちは、天の果てから果てまで、彼によって選ばれた人たちを四方から呼び集める』というような事もありませんでした。これはつまり、聖徒らの天への招集を指していますが、それがやはり『キリストの(再び)来られる』時に起こることであることをパウロが明らかにしています。
加えて、聖霊を注がれ奇跡を行う弟子たちの存在は、その後の第二世紀の史料にも依然として確認されるのです。(マタイ24:31/テサロニケ第一4:15-17)
さらに加えて、そのときに「王国の知らせ」があまねく世界の果てにまで知らされたとも言えません。弟子たちはいまだ世界宣教の途上にあったのです。

そこで、キリストの語ったユダヤ体制の終わりの予告は、その時代だけでなく、さらなる将来、つまり『この世』という体制の終わりへの「二重の預言」であった事を示唆しています。
つまり、ユダヤの体制の終局に起こった事柄が、この世が終わる時に起こる事柄の予型ともなっているということです。
そうであれば、オリーヴ山上でのイエスの終末預言をはじめ、聖書中の様々な預言の一字一句が、それぞれの時代限りのものではなく、依然として人類に大きな意味を持っていることになるでしょう。
しかも、その極めて重要な時期はメシア=キリストの再来に関わるのであり、将来の次なる二度目の現れにはユダヤ一国の体制を超えて、『この世』の全体が裁かれる時となることを示しているのです。(マタイ25:31-32)




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