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キリスト教というもの

2020.10.03 (Sat)


キリスト教というものが何かを一言で表すとすれば
「神がキリストを用いてこの世という苦境から人類を救出する事」になるでしょう。

しかし、人は誰も自分からこの世に来ようと思って生まれてきたわけではありませんから、どのように自分が救出を必要としているかについても、いや、それ以前に自分自身がどうして、何のために存在しているのかすらも分からないというのが実情です。

この世に生まれてきて、そこでのありさまを当然のものとして受け入れるのは自然なことではあります。
ですが『この世』とは、世界を存在させた神からすれば、創造した本来の意図からは相当に脱落した状態にあるのです。
聖書の中でイエス・キリストは、神の『ご意志が天に於けると同じように、地にもなされますように』と祈り求めるように人々に教えられましたが、それは同時に、地上に神の意志が行われていない事を示しています。(マタイ6:10)

また聖書の中でソロモンという賢人が、この世について『すべては空しい』と述べたうえでこう語っています。
『わたしは、人が日の下で行うすべての業を見たが、それはみな空しく、風をつかまえるようなものであった』。(伝道の書1:14)

しかし、この世に生まれ、そこで過ごしてきた人々の中には、現状の世界が生活しやすいとは言えないとしても「その生活様式が当たり前のことであり、政治や人々の善行でそれを改善して行けばよいのであって、この世のシステムそのものは根本から変える必要も感じないし、むしろ、社会に不満を煽るような事の方がよくないことだ」と考える「余裕のある人」もいるでしょう。
または「世の中に様々な困難があるからこそ克服することで人間は向上できる」とか、「人生が限られているからこそ、有意義に生きられる」との意見を持つ人もいるかも知れず、そのような「強い人」にとって「この世」は基本的に「これで良い」と言っていることになり、人間の能力や理性に期待してはいても、この世に対し人間が介入して行える以上の理想的なな可能性を自ら望まなないのであれば、その人にはキリスト教も必要がないでしょう。

他方で「この世のありさま」に満足せず、「神が存在するのであれば、この世界に悪や苦しみがこれほど多いのはどうしてか?」と問いかける人々もいます。
そのような人々にとっての神は全知全能で、この世界を意のままに動かし、人々の運命を操るような絶対的存在を思い描くところがあるでしょう。そこでこの世の悪や悲惨さへの神の責任を問い、一向に変わらない世界の実情に諦めを感じ、「神など存在しない」と結論付ける人も出ることでしょう。

しかし、キリストの教えではどれも正解にはなりません。実は「この世」の方こそ神が創造したから遠く離れてしまっているのです。この無残な現実については、神が創造者であるゆえに、思うまま自在にこの世の全てを処置でき、創造物の生殺与奪の権利さえ持つ方が、未だ「この世」を創り直していないからには、それなりの理由があるはずです。聖書は善なる神は悪を容認しないと明言しているのですから、ますますそこによほどの事情があるとも言えます。

一方では聖書に『全世界は悪しき者の配下にある』とも『世を友とするのは、神への敵対となる』とも書かれているのです。(ヨハネ第一5:19/ヤコブ4:4)
つまり「この世」とは、神の摂理が支配し制御する場でもなければ、苦難の中で人を善悪をふるいに掛けて「天国と地獄」へと分ける試練の場でもありません。
実に、人が生きる「この世」は、創造した神から離れた落ちた世界であり、悪と苦しみの多いその現状は神の意図するところではないのです。では、キリストの教える『神』とは、世界を管理も統率もする能力に欠ける「弱い神」なのでしょうか。
それとも、やはり何か深い事情があって、悪や苦しみの多い人間の社会をそのまま存続させているのでしょうか。

聖書の『神』についての基本的な理解は『すべてのものを創られた』ということであり、その計り知れない能力について、このように書かれています。
『あなたの目を高く上げて見よ、どなたがこれらのものを創造したのか。
神はそのすべてを数えて(天の)万軍をひき出だし、それぞれをその名で呼ばれる。
その勢いの大いなることで、またその力が強いので、それらの一つも欠けることはない』。(イザヤ40:26)

この創造者はやはり『全能の神』であり、この神がこの世の様々な創造物に無関心ではないことをキリストは知らせて次のようにも語っています。
『五羽のすずめは僅かな値段で売られているではないか。しかし、その一羽といえ神の前に忘れられてはいない。それだから恐れるな、あなたがたの頭の毛までもが数えられている。あなたがたは多くのすずめよりも価値があるのだ。』(ルカ12:6-7)
まさしく、ひとりひとりを存在させたのは創造の神であり、この世に在ってさえ、神のすべての人への関心はどんな親しい人よりもまさっていると言えます。一方で、「この世」の人への価値観の薄さ、そっけなさは、神とは随分と異なっている事を聖書は教えます。この世は人を軽視し奴隷のように扱って来ました。そこは多くの難儀の中で僅かな幸福を追求する世界です。

しかし、自分が見る「現実」だけを受け入れる人にとっては「この世」がすべてであり、生まれたら死んでゆくのが当然のことであると思えるかも知れません。
ですが、死んでゆくのが当たり前であれば、今生きているのは当たり前のことになりません。
生きているということは奇跡のようなものであり、この生きることから感じられる価値はいったいどこから来るのでしょうか。その生きる価値からすれば「この世」は短く空虚で人の落胆を誘うものです。
古来、人類は普遍的に生きることに深い価値を認めてきました。ですから、死を悲しみ、喪に服します。ひとりひとりが生きることに重い意義が感じられるからです。

では、この世界を神は今日見るように、悪や苦しみが続き、最後に死があるものとしてはじめから創られたのでしょうか。
聖書には神について『その御業は完全でその道は公正。忠節な神で義であられ、不正なことのない方』、また『死は敵である』と述べています。(コリント第一15:26/申命記32:4)
ですから、やはり聖書の中に神にこう問い尋ねる言葉があります。
『あなたの目は悪を見るにはあまりに清く、難儀を見ることに耐えられません。では、不実かな者に目を留め、悪しき者が自分より正しい者を吞み込んでいるのに、なぜ黙っておられるのですか』。(ハバクク1:13-14)

確かに、人間は生きる間に互い同士の関係では問題が絶えません。
しかし、それは誰の問題なのでしょうか。神がそうしたのでしょうか。
人が遭遇する苦しみは、人間同士に由来するものが非常に多いのが現実であり、それは人間に根深く宿る「道徳性の欠陥」から来ています。

そこで、創造の神が義なる方であるとしても、その神に創られたはずの人間の不道徳さも神からのものなのかとの疑問が生じます。
聖書にはこうあります。『彼らは自ら悪を行った。もはや神の子らではなく、その欠陥は彼ら自身からのもの』(申命記32:5)
『神の子らではない』というのは、神が人を創造したときの意図から人類が外れてしまっていることを示唆しています。
これはいったいどうして生じたことなのでしょうか。

しかしその一方で、キリストについてはこのように書かれているのです。
『彼(キリスト)を受け入れた者、その名を信じた人々には神の子となる権限を与えたのである』。(ヨハネ1:12)

これは、人間たちを神の創造のときに意図された姿、『被造物自身も滅びへの隷属から解放されて、神の子の栄光ある自由に入るという希望』がキリストを通して残されていることを教えるものです。(ローマ8:21)
つまり、多くの苦難が続き、病気や障害や老化に苛まされる短い生涯を送らねばならないこの世の空しさからの解放という希望がキリスト教にあるということです。
ですからキリスト教とは、暗闇に差し込む一筋の光のように貴重な「解放の知らせ」と言えるでしょう。

では、この世の苦難の定めをも超えるこのような希望を誰が高く評価するでしょうか。
まさしく、聖書もキリスト教も、この「空しさからの解放」という神の目的を高く評価する人のためにあるのです。

神が全てを知り、力に満ちる創造者であるなら、今すぐにでも全人類をこの世の空しさから解放する力が無いわけはありません。
しかし、やはり現実にそうなっていないからには、よほどの事情があってのことでしょう。
まさにキリスト教とは、人類に自由への「解放」を知らせると同時に、その問題となっている「事情」が何かをも教えるものなのです。

聖書を通して分かること、それは人がなぜ存在しているのか、生きる意義は何であるのか。
そして、人を存在させた創造者の意図や目的は何か、またこの世の空しさがなぜ生じたのか、さらにそこから解放される希望があるということまでが知らされるのです。
これらのことに深い価値を感じられる人は、さらに加えて自らを存在させた創造の神とのつながりを見出すという大きな幸福を得ることにもなるでしょう。
それは人に希望を与え、「この世」の奴隷と成り果てることを防ぎ、自らの価値を自覚して生きることを助けることでしょう。神は何もして来られなかったのではけっしてなく、悠久の時にわたり、すべての人のために救済の業を進めて来られたからです。

聖書とはそれを知らせる貴重な情報を収めた書物であり、『救い』という一貫した主題のもとに書かれ、その中心を成すのがキリストであるのです。



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