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あなたの罪は赦されている

2020.05.15 (Fri)


あなたの罪は赦された
マタイ9:6 マルコ2:10 ルカ5:24



この言葉が語られた場面は、イエス・キリストの宣教の初期、未だ十二使徒も集められていないおそらく西暦30年の時期のことで、ガリラヤの漁師たちアンデレとペテロ、ヨハネとヤコブが行動を共にしていました。そこに癒しを求める人々がひしめき合い、さらにエルサレムからは、その日カペルナウムのイエスの自宅にパリサイ人や律法学者までが訪ねて来ていました。

そこに中風を全身に患い身動きのできない病人を運んできた人々は家の中のイエスの傍に行けず、なんと家の屋根に穴を空けて、そこから寝台を吊り降ろすという手段をとります。
イエスはそれを意に介すこともなく、病人に向かって『あなたの罪は赦された』と言われたのですが、傍の宗教家らは内心で「これは冒涜だ」と断じます。

この当時のユダヤ人は、病気になることは本人か先祖の罪の酬いであると考えていました。ですから、イエスが病気と罪とを結び付けて語られたことはそれを聞いた周囲の人々にとって奇異には感じられなかったでしょう。
しかし、異例であったのは、癒しの奇跡を行うナザレのイエスという人物が罪を赦すと明言していることでした。
宗教家にとって、それは神に成り代わるほどに大それたことであったのです。

問題意識を持った宗教家らの内心を察知したイエスは、彼らに向かって『あなたの罪は赦されたと言うのと、起きて歩けと言うのと、どちらが容易いか』と言われます。

この文を表面的に見ると、「あなたの罪は赦された」と言う方が長くはなりますが、それはギリシア語もヘブライ語も同じです。
しかし、「起きて歩け」の言葉の前提として、「あなたの罪を赦されて」という内容が修辞的に含まれるので、実際にそこまで説明すると「あなたの罪は赦された」だけならばその半分で済むことになり、イエスの言われた通り、話す内容の後半を省略できることになります。

そう尋ねてから、イエスは敢えてこう言われます『人の子が地上で罪を赦す権威を持っていることを、あなたがたに知らせるために』。

つまり、宗教家らの想いとは裏腹に、イエスはやはり人の罪を赦して癒しを行っていることを明らかにされます。
それから病人に向かって『起き上がって寝ていた物を取り上げて、家に帰りなさい』と言うなり、その人は起き上がり、寝台を持って歩き出します。
この鮮やかな奇跡によってイエスの罪を赦す権威が同時に証しされるに及びました。
それは宗教家らには承服しがたい光景です。

それとも、これは三位一体説が教えるように、イエスが神であったから罪を赦す権限を持っていたのでしょうか。
いいえ、それほど事は単純ではありませんし、それでは罪と赦しについての重要なことに気付けずに終わります。

イエスの癒しの奇跡によって病気を治された人も、また生き返った人も、その癒しがずっと永久に続いたわけではなかったのですから、イエスが行われた罪の赦しによる癒しも限定的であったことになります。
その癒しも赦しも、より確実で永続的なものへの予示、また模式であったというべきでしょう。

では、それらが指し示していたところの本当に永続するものは何でしょうか。


◆人の子は、望む者を生かす
その翌年の春に、イエスはエルサレムに上っていたとき、やはりユダヤ人たちの反論に遭っていますが、そのときの出来事はヨハネ福音書の第五章に記されています。

そこでイエスはご自身について、『父が死人を起して命をお与えになるように、子もまた、その心が望む人々に命を与えるであろう』と言われました。(ヨハネ5:21)

さらに、『父がご自分のうちに生命をお持ちになっていると同様に、子にもまた、自分のうちに生命を持つことをお許しになったからである』とも語られます。(ヨハネ5:26)

つまり、神がいつの日にか人々を復活させるように、イエスはご自身もある人々に命を与えて復活させるということであり、次のイエスの言葉はそれを確言しています。
『このことを驚くには及ばない。墓の中にいる者たちがみな神の子の声を聞き、善を行った人々は、生命を受けるためによみがえり、悪を行った人々は、裁きを受けるために生き返って、それぞれ出てくる時が来るであろう。』(ヨハネ5:28-29)
しかも、こう言われるのです。
『父は裁きを行う権能を子に与えられた。子は人の子だからである』。(ヨハネ5:27)

これらの言葉から理解できることは、キリストはある人々を裁いて永遠の命を与える権威を神から授かっているということです。その人々は、神ではなく、御子の声を聞き、キリストに呼び出されて復活します。
それは全知全能の創造の神が人を裁かれるような、つまり、これまでに生きた人々の中の誰についてアダムが持っていたような神の創造物としての栄光を与え、また永遠の命を与えるかという、過去から存在してきた全ての人への裁きとは別のものであることが暗示されています。

イエスは専らイスラエル民族の中で活動され、異邦人への癒しはごく限られたものであり、癒しを行う権威を与えた弟子たちには『諸国民の道に入ってはならない』と諭し、フェニキアの女には癒しを一度断っています。
このことが示すのは、イエスが地上にで活動された「公生涯」と呼ばれる期間での癒しがイスラエル民族に限定されたものであったように、イエスの赦しの権能も、本来イスラエル民族のためのものであったということです。

とはいえ、イエスの癒しや生き返らせる業は一時的な効果のもので、その人に永続的な罪の赦しを与えていたわけではなかったことは明らかなので、それらのイスラエルの民への癒しは、なお本来あるべき永続的な罪の赦しの模式であったと言えます。

そして、イエスはご自分に与えられた権能を用いて、ある人々を永遠の命に、ある者らには裁きの復活を与える時がいずれ来ることを予告されました。
イエスが地上で行われた奇跡の癒しによる罪の赦しは、確かに『地上で罪を赦す権威を持っていることを、知らせるため』の印であり、仮のものであったのです。(マタイ9:6/マルコ2:10/ルカ5:24)

これを結論から言えば、キリストの権能が成し遂げることは「イスラエルの裁き」を行うことであり、誰がアブラハムの子孫として、その相続財産を受継ぐべきかという問題を審理する権威が、メシアであられるイエスに委ねられているということを教えるものです。
それは『神の王国』という、全人類の希望となるべき「神の選民イスラエル」に誰が含まれるかを審査することであり、イエスは『神の王国』の『王の王』としてまことに相応しい立場にあると言えます。

ですから、イエスが『望む人々に命を与える』とヨハネ福音書で言われたように、イエスをメシアと信じたイスラエル人については、その王国を共に受け継ぐために、イエスはその人を『終わりの日に復活させる』と明言され、また、イエスが命を与えるよう『望む』人々を『わたしに与えられた者たち』と呼ばれ、さらには『わたしをお遣わしになった方の御意志は、わたしに与えてくださった者を一人も失うことなく、終わりの日に復活させることである』と語られた背景には、「神の選民イスラエル」を集めて『天の王国』を設立するという偉大な目的があったことが分かるのです。(ヨハネ6:39-40)
それはまず第一に、実際にアブラハム嫡流の子孫、血統上のイスラエル民族にその選民となる機会が開かれねばなりません。それが神とアブラハムの約束であるからです。(使徒13:46/創世記22:18)


◆キリストの赦しが成し遂げられる時に
ヨハネの第五章にあるように、イエスは『裁きを受けるために生き返って、それぞれ出てくる時が来るであろう』と予告されましたが、その『出て来る時』については、ダニエルが預言してこう述べています。
『地のちりの中に眠っている者のうち、多くの者が目を覚ます。ある者は永遠の命に、ある者は恥辱と永遠の憎悪へと』。(ダニエル12:2)
この復活は、『義者も不義者も復活』するという全能の創造の神がなさる最終的な裁きのための生き返りではありません。(使徒24:15)
キリストに望まれた者たちには、『その召しに相応しく歩むべきこと』が求められるのであり、そうして『新しい契約』を全うしなければ、キリストの声を聞いて出てくる復活には与れないことになるのです。(ルカ13:24)

では、『復活』とは二回あるのでしょうか。
この答えを与えているのがヨハネ黙示録の第二十章であり、明解に示されています。
そこでは、終末に迫害を受けても死に至るまで忠節を尽くした弟子らについて『彼らは生き返って、キリストと共に千年の間統治した』『これが第一の復活である』また『その他の死者は、千年が過ぎるまで生き返らなかった』とも書かれているのです。

つまり、『第一の復活』を受ける者たちとは、『神とキリストとの祭司となり、キリストと共に千年の間支配する』という格別な人々、『天の王国』に召される「神の選民イスラエル」、『地のすべての氏族が祝福を受ける』真実のアブラハムの子孫であり、その選びに他ならぬイエス・キリストが『望む者を生かす』ということの権限が、聖書全体を通して示されているのです。

これは壮大な神の秘儀(ミュステーリオン)であり、まさに語られていながら隠されてきた神の目的、『目がまだ見ず、耳がまだ聞かず、人の心に思い浮びもしなかったこと』であり、使徒や直弟子の時代には彼らの集まりである「エクレシア」に聖霊の降り注ぎを通して知らされていたことであったのです。(コリント第一2:9-10)

キリスト・イエスが公生涯に於いて、アブラハムの嫡流イスラエルの民の間で奇跡の癒しを行われ、そこに罪の赦しが予示されていたことは、イエスに望まれて永遠の命を受ける『新しい契約』に入るユダヤの人々の「律法契約不履行の罪」ばかりでなく、「アダムからの罪」(原罪)をも赦されなくてはなりません。
それは、彼らが天の聖なる神の御前に召されるために必要不可欠であるばかりでなく、地上に居る段階から『聖霊』を注がれてキリストと共に『神の子』とされるためにも絶対的な条件です。そうでなければ、彼らもイエスの行っていた奇跡の業を続行できなかったでしょう。
使徒パウロは『すべて神の霊に導かれている者は神の子である』と明言し、『誰が神に選ばれた者たちを訴えようか。神がその人を義としてくださる』とも、『キリスト・イエスにある命の霊の法則は、罪と死との法則からあなたを解放した』とも述べています。
この赦しは聖霊を注がれた者、『新しい契約』に入り、キリストと同じく『神の子』とされた聖徒についてだけ言えることで、「クリスチャン」というだけで得られるような類いのものではけっしてありません。(ローマ8:14-16)

それですから、黙示録は「キリストに望まれて復活する」ことの栄誉をこう記しているのです。
『第一の復活に与る者は、幸いな者、聖なる者である。この者たちに対して、第二の死は何の力もない』(黙示録20:6)


◆あらゆる人々への罪の赦し
その一方で、同じ使徒パウロが『正しい者も正しくない者もやがて復活するという希望を、神に対して抱いています』と語った相手が、非ユダヤ人のローマ総督フェリクスであったということは、キリストの裁きの権能によって選ばれる聖なるイスラエルではない人々に与えられる別の希望を述べています。
その『正しくない者』には、その場に居たキリストにもパウロにも反対していたユダヤ人さえも、この場面の文面からして明らかに含まれています。
彼らはイエスが望むような者らではなく、アブラハムの血を受継ぐ子孫でありながら、真実のイスラエルには選ばれなかったからであり、それでも彼らにも「第二の復活」とも言うべき、神ご自身の裁かれる一般人の復活に与る機会はまだ開かれています。
このことについてやはりパウロは『人間にはただ一度死ぬことと、その後に裁きを受けることが定まっている』と語っています。(ヘブル9:27)

そこでキリストに反対し迫害さえした人々も『裁きを受ける』復活を受けることでしょう。彼らはそこで悔いるとすれば、まだ命への道は残されるのではないでしょうか。それはアダムが失ったところの命、つまり地で永遠に生きる道です。

キリストは別の時に、『生きていてわたしを信じる者はだれも、決して死ぬことはない。あなたはこれを信じるか』とも言われました。
これは終末にキリストが戻られる日に、キリストによって聖霊を注がれる聖なる弟子たちの言葉を信じる者が、そのまま死を経ることなく永遠の命に入ることを語られています。(ヨハネ11:26)
その人々は、イエスに望まれ、選ばれた聖霊を注がれる人々の言葉に生きていて信仰をおく、そのほかの無数の人々を指します。(ヨハネ17:20)

この人々こそが、『天の王国』の支配と贖罪を受ける人々であり、相当数に上ることでしょう。
イザヤとミカはこう預言しています。
『終りの日に次のことが起る。主の家の山は、諸々の山の頂として堅く立ち、諸々の秀峰をも凌駕し、国々は尽くこれに流れのように向かい、多くの民が来て、「さあ、我々は主の山に登り、ヤコブの神の家へ行こう。彼はその道を我々に教えられる、我らはその道に歩もう」と言う。律法はシオンから、YHWHの言葉はエルサレムから出るからだ。』(イザヤ2:2-3/ミカ4:1-2)

これは信者の救いを唱えて、利己心を煽り人集めをする宗教のようなものではありません。
キリストのような自己犠牲を歩んだ、真実のアブラハムの子ら、神の選民イスラエルの成し遂げる人類の罪の赦しの業の始まりであり、イエスは『人が犯す罪や冒涜は、どんなものでも赦される』また『人の子に言い逆らう者は赦される』とも言われました。
アダム以来の罪の全てをキリストの偉大な犠牲によって赦される神が、「信者でなければ地獄行きだ」などと言われるでしょうか。

しかし、イエスは付け加えて『聖霊に言い逆らう者は、この世でも後の世でも赦されることがない』とも言われました。
これは聖霊を注がれて語る選ばれた者たち、真実のイスラエルの聖徒たちの語る奇跡の言葉に信仰をおくべきことを指す以外にありません。(マタイ10:18)

では、実際にその言葉が語られる終末に於いて、人はどう反応するべきでしょうか。
預言者ゼカリヤは終末の民を描いてこう記しました。

『その日、あらゆる言葉の国々の中からの十人の男が一人のユダの人の裾をつかんで言う。「あなたたちと共に行かせてほしい。我々は、神があなたがたと共におられると聞いたからだ」。』(ゼカリヤ8:23)





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