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ペテロに託された鍵

2019.12.15 (Sun)

ペテロに託された鍵
マタイ16:18-19



イエスと使徒たちとはガリラヤ湖を船で渡り北側の岸辺のベツサイダの土地に入り、目の見えなくなっていた男を癒して後に、一行は北に向かって進み、当時カエサレア=フィリピと呼ばれていた、パレスチナの北部にあってなだらかな丘陵とヨルダン川の水源のある高原地方に入られました。

福音書に記された内容の整合する箇所を合わせると、時期は西暦32年の春と秋の間の事であったようですが、もし、そうであれば、この時期になると、イエスはユダの体制派の殺意から、南方のユダヤを巡回することをすでに避けています。
加えてガリラヤでは、捕縛されていたバプテストのヨハネの処刑が前の年に行われているこの段階で、遣わされたメシアを受け入れないユダヤ体制の趨勢は、ほぼ見えてきています。

さて、「カエサレア」といえば、地中海沿いの南にヘロデ大王の築いた立派な港湾都市があり、そこは初代の皇帝(カエサル)アウグストゥスに献じられたうえローマ総督の館がありましたが、この『ペテロへの鍵』の例えが語られる場面の方の「カエサレア」の街は、当時イツリアとテラコニティスというイスラエルの北側を領有していたヘロデ・フィリッポスの名を続けて「カエサレア=フィリピ」とされた由来があり、海と山の南北二つのカエサレアは60kmほど隔たっています。
フィリッポスはヘロデ大王の息子のひとりで、皇帝により当時のユダエア四分封領主とされて、この高原の都市に手を入れたので、街に磨きをかけ、感謝を込めて当時の第二代皇帝ティベリウスに献じ、カエサルに敬意を表しつつも自分の名の続けて港湾都市カエサレアと区別し、その名前で呼んでいたのです。
ですから、改装された当時に街はヘレニズム風に真新しく、人々はエルサレムとは異なり、因習にとらわれず、良いものを何でも認める進取の精神があったことでしょう。

この土地の北側からはさほどの距離を置かずにヘルモンの山並みが始まるので、キリストの宣教も北の端まで来たことになります。
ここを舞台にイエスの公生涯も残り一年未満となり、最後の仕上げに掛かるようなことがありました。
その中には、ペテロのイエスへの「メシア信仰の告白」、彼への『天の王国の鍵』の付託、そして「山上での変貌」があります。


◆ペテロという最初の石
さて、一行がその土地に入られたのは初めてだったのでしょうか。
イエスは使徒たちに、人々がご自分をどんな者と思っているのかを尋ねられます。
すでに亡くなったバプテスマのヨハネの生き返りと思う人もいたようで、これがガリラヤを支配した領主で彼を処刑したことを半ば悔やんでいたヘロデ・アンティパスの、イエスが復活のヨハネであるとの想念に影響していたのかも知れません。(ルカ9:7)
そのほかにはマラキの預言で再来が約束されていた古代の預言者エリヤであると言う人もあれば、イスラエルの体制を糾弾した預言者エレミヤではないかと思う人もあったことを使徒たちが伝えます。しかし、メシアだと言い表したとは告げられません。

そこでイエスが使徒たちに『それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか』と尋ねられると、即座にペテロが『あなたはメシア、生ける神の子です』と答えたのです。(マタイ16:16/ルカ9:18-20)
もちろんその通りのことであることは、新約聖書を読める後代の人なら自明のことではあります。
しかし、『自分がその者だ』と言わず、一向に王になる様子を見せず、ご自分のことを周囲に明らかにしない姿勢を保ち続けたイエスというナザレ村からの質素な身なりの人に向かって、「あなたはメシアだ」、ということにどれほど確信と勇気が必要であったことでしょうか。イザヤ書はメシアをダヴィデのような英傑王、ソロモンのような平和の君と記していたのです。

ですから、そこは神もイエスご自身も、人々に自発的な「メシア信仰」を求めたことが明らかです。
そのため、イエスに『他の人を待つべきでしょうか』と尋ねてきたバプテストのヨハネにさえ、ご自身がメシアであるとは言われませんでした。それは、神が人に求める信仰というものが、どれほど自発的なものであるべきかを教えるものといえるでしょう。(ルカ7:22-23)

イエスの宣教の初期に、まずアンデレが兄弟のシモンに『わたしたちはメシアを見つけた』と知らせ、後に使徒に加えられたナタナエルは、自分が『いちじくの木の下に居るのを見た』と言われたときに、即座に『あなたは神の子です。イスラエルの王です。』と感嘆の声を上げていました。しかし、イエスは、それを言うのはまだ早いという意味を含ませて、『それよりも、もっと大きなことをあなたは見るだろう』と答えられています。(ヨハネ1:41・46-50)

また、この数か月前のこと、群衆はパンと魚の給食をされて後、イエスを『来ることが定められた預言者だ』と言っては、王に担ぎ出そうとしていましたが、ご自分の王国が俗世のものでない以上、この群衆の思うようにさせるわけにはゆきません。そこでイエスは群衆を躓かせる発言『わたしの肉を食し、血を飲まなければ』によって彼らをカペルナウムで霧散させています。(ヨハネ6章)
その一方でペテロは、一向に王になろうとしないイエスを見限ることなく『わたしたちは、あなたが神の聖なる方であることを信じ、また知っています』とイエスにその忠節さを語ってはいましたが、「メシア」とまで踏み込んだ発言は記されていません。

そして、カエサレア・フィリピで遂にペテロがユダヤ人の中からメシア信仰をはっきりと言い表します。後に使徒に加わったパウロが教えたように『人は信仰によって義とされる』ということからすれば、ご自分を明かさない主へのペテロの一言は非常に重い価値を持つものであったことでしょう。パウロが『人は心に信仰を働かせて義とされ、口からの宣言をもって救いに至る』と教えたように、その一言はペテロの義と救いを形作る信仰の宣言であったと言えるからです。(ローマ3:28/10:10)

そこでイエスはペテロの一言の価値を賞します。
『ヨナの子シモンよ、あなたは幸いだ。あなたにこのことを啓示したのは、人間ではなくわたしの天の父だからだ。』
ペテロは人からの権威によってではなく、イエスを間近に見たうえで神の証しを信じ、そこにキリストを見出していました。こうしてイエスは、ご自身をメシアと認める信仰者を得始めることなったのです。(ヨハネ第一5:10)

そして、メシア信仰を言い表わされたイエスはペテロに語ります。
『わたしもあなたに言おう。あなたはペテロ(石)である。そして、わたしはこの岩(ペトラ)の上にわたしのエクレシア(民会)を建てよう。ハデース(墓)の門もそれに打ち勝つことはない。』

『エクレシア』というのは、都市国家の議会を表すギリシア語で、ヘブライ語では「カハル」または「エダー」つまり「集まり」に相当します。キリストの言われる『エクレシア』は、『天の王国』を受継ぐ「アブラハムの裔の集まり」を意味します。しかし、このときに、その「集まり」はまだ建てられていませんでした。
ですから、このペテロの言葉は素晴らしい事柄の幕開けというべきでしょう。
イエス・キリストという岩盤の上に載るペテロという「石」が史上初めて登場したのですから。

ペテロに続いてキリストの上に積み上げられる石の数々は、最終的に天界の神殿を築き上げることになります。
その石となる人々はキリストを介した『第一の復活』に預かるため、ハデース(墓)もそれらの魂を明け渡さねばならなくなり、あらゆる人々を取り込んできたその門といえども彼らを留めることはできず、主の『声を聞いて出てくる時が来ようとささています』。(ヨハネ5:25-29)

確かに、ペテロは後にこう書いています。
『主は、人には捨てられたが、神にとっては選ばれた尊い生ける石なのです。
あなたがたもこの主の御許に来て、それぞれ生ける石となって霊の家(神殿)に築き上げられ、イエス・キリストにより聖なる祭司となって、神に喜ばれる霊の犠牲を捧げなさい。』(ペテロ第一2:4-5)

キリスト・イエスへの信仰により、こうして『生ける石』たちが『隅の親石』であるイエスの上に集められつつ、その全体集会のエクレシア(招会)が栄光の復活を通し死をも乗り越えて神殿を完成する日を迎えること、それが聖書に流れる神の変わらぬ意志、また成就されるべき奥義であり、その「天の神殿」こそが、アブラハムに約束された「全人類の祝福」となるのです。

イエスがペテロ、つまりアンデレの兄弟であるヨハナンの子シメオンに最初に会ったその日から、彼をアラム語で岩を意味する「キーファ」と呼び、それがギリシア語のペトロス、つまりペテロという渾名で呼ばれるきっかけを作ったのも、その先見があってのことでしょう。(ヨハネ1:42)


◆王国の鍵を授かる
人類を祝福する「天の神殿」、また『神の王国』の土台石であるイエスと、その上に組み上げられる石たちについての希望が現実となり始めた今、イエスは最初の石であることを表したペテロに一つの権威を授けます。
『わたしはあなたに天の王国の鍵を授ける。あなたが地上でつなぐことは天上でもつながれる。あなたが地上で解くことは天上でも解かれる。』(マタイ16:19)

この『つなぐ』ことと『解く』こととは、ヘブライ語の用法で言えば『つなぐ』とは制限すること、つまり鍵として言えば封印することであり、『解く』とは扉を開けることを意味するとされます。
ペテロが授かった権威は、天でキリストと共になり『祭司の王国、聖なる国民』として『天の王国』に築き上げられる『生ける石』となる人々を集めることに於いての権威であることは文脈を通して示されています。
これほどの権威を、未だ聖霊を注がれていない人として事前に受けるのは非常に異例なことで、それこそはペテロのメシア信仰の表明がもたらした結果であったのでしょう。

そして、この一件を境に、イエスはご自分がエルサレムで、長老、祭司長、律法学者たちから多くの苦しみを受けて殺され、三日目に復活するという受難が待ち構えていることを弟子たちに明かされるようになりました。

しかし、その直前の言葉に気持が大きくなってしまったのか、ペテロがなんと自分の師を傍らに引いてゆき『主よ、とんでもないことです。そんなことがあるはずはございません』と諫め始めたのでした。
このとき、ペテロはキリストの受難と復活が人類を世から救う神の王国を完成するのに欠かせないことは理解しておらず、普通の人間らしくイエスの身を案じたのでしょう。そこにはペテロが師に対してただ畏敬するだけでなく、強い親愛の情をも懐いていたことも窺えます。

ですが、そのようにイエスの言葉を否定する方がよほどにとんでもないことであったのです。
イエスは、弟子たちの方を向いて『サタンよ引き下がれ。わたしの邪魔をする者だ。お前は神のことを思わないで、人の考えを懐いている』と叱責されます。
誉められたばかりのペテロはなんとも罰が悪かったことでしょう。

しかし、これが直前に王国の鍵を授かったペテロの失態であったので、他の使徒らの誰かがこのような発言をしていたなら、その使徒ばかりがひどい悪評に曝されずに済んだと言えるかも知れません。
ともあれ彼らは、師の殉教と復活についての発言に印象を深めたことでしょう。それは、古代に独り子イサクを犠牲にすることに同意したアブラハムを『我が友』と呼ばれた、かのイエスの天の父であられる神の覆すことのできないご意志であったのです。
それでも使徒たちは師の受難についてはっきりと分かってはおらず、翌春に主が最後のエルサレム訪問されるに至ってさえ、いよいよ「王国』の到来を見るものと思い込んでいたのです。


◆第一の鍵を用いるペテロ
ペテロがどのように師から預かった鍵を用いたかについては、新教系諸教会で長らく言われてきたように、あのペンテコステの祭りの朝以来、聖霊を注がれる人々がもたらされるところでペテロの姿が見られ、それを以ってペテロが王国の鍵を解き、人々を『天の王国』を構成する数々の『石』が採られる民族をユダヤばかりでなく、諸国民までに広げていったという理解はまず間違いがないでしょう。

つまり、ペンテコステの朝にエルサレムにイエスに従っていた120人に第一に聖霊が注がれ、祭りに来ていた外地のユダヤ人を中心としてすぐに聖霊を受ける人々の輪が拡大を始めています。
バプテストのヨハネも、彼の後に来られるメシアはユダヤ人らに『聖霊と火とによってバプテスマを施される』と予告していた通りに、メシア信仰に達した弟子たちには聖霊のバプテスマが開始され、史上初めて『新しい契約』に入った人々が現れています。

ペテロは、異言を口々に語る仲間たちの中から他の使徒らと共に立ち上り、集まって来た各地からの同朋に向け、起こっていることはヨエルの預言の成就であり、神は数多くの奇跡によってナザレ人イエスに証しをされたにも関わらず、ユダヤ人たちは律法に従わない異邦人にそのメシアを殺させてしまったことを知らせます。
このイエスを神は復活させ、ペテロたちはそれを証しする者たちであり、今やイエスは神の右に高められ、約束の聖霊を父から受けたので、彼らの頭の上には火のように見える舌があって、異言を口々にしている姿を今見ているのだということを宣言しました。

これは彼の身分であるガリラヤの漁師を超えた見事な宣告の言葉であり、この最初の聖霊の注ぎの場にあってペテロの存在は格別のものであったと言えるものです。

こうして聖霊を注がれるユダヤ人の弟子たちの増加が始まって、祭りの後もエルサレムに留まった人々を含めて一つの共同体が形成され、地元の人々は外地からの同朋の生活を支え、家々で食事を共にし、日毎に神殿に上っては祈りの日々を過ごしていました。
彼らは『契約の子ら』つまりユダヤ人であり、依然として律法を守る生活習慣は特に変わるところはありませんでした。それでも、この五旬節の祭りの朝は、キリストを仲介者とする『新しい契約』の始まりを見た日となり、真のアブラハムの裔が集められ始めた転換点となったという、きわめて重要な日、「キリスト教の原点」となったのです。

しかし、ペテロは王国の鍵を解いて人々を招じ入れるばかりではなかったと言える事件が起こっています。
新たな信仰を見出し、祭りの後も逗留を続けていた外地の人々の生活を支えるなど、共同体の維持のために仲間たちは自分の持っているものを売り、その資金を使徒たちに託してもいたのですが、その仲間たちの中から功名心に駆られたアナニアとサフィラという夫婦が共に謀って、自分たちの持っていた畑の代価の全額を寄付したことにしていたのです。

そのような寄付は、強要されたものでもなく、売らずにおこうと、代金の一部を取っておこうと自由であったのですが、全部を与えたということでの人々からの称賛を望み、一部は自分たちのものとしながらも全額を託したと夫婦で唱えた悪だくみのために、その日の内に偽りを指摘された夫婦が相次いで倒れて息を引き取るということがあったのです。

この偽善を指摘し、裁きの宣告を下したのがペテロであり『サタンが厚顔にならせて、聖霊に対して虚偽の振る舞いをさせた』と二人を批難しています。
このような悪だくみなら、俗世ではまま見られるような事ではありますが、聖霊を注がれメシアを通して『聖なる者』とされた者としては、聖霊を欺こうとした以上、聖霊への冒涜であるばかりが、キリストの犠牲の到達した義に照らしても、天から地の人々の罪の贖いを行う立場に相応しいわけがありません。

聖霊を侮った夫婦はペテロの言葉の下に倒れて息を引き取ったことは、その二人の前に『天の王国』の鍵を閉じたということでしょう。
そうしてエルサレムでイエスをメシアと信じる人々の群れが清く保たれるべき重い教訓を学ぶことになったのです。(使徒5章)

さて一方、イエスの殺害に関わったユダヤ体制派の指導者らは、このグループに敵対し、使徒たちを呼び出したり、逮捕したりしては、イエスの名によって語ることを禁じ、また鞭打ったり、牢獄につないだりするのですが、聖霊はイエスの行った奇跡の業を使徒らにも与えて、そこに難病を癒された人も居るので反対するにも難儀します。
そのうえ、牢獄につないだ筈の使徒たちも、次の朝には何事もなかったかのように神殿で人々を教えているのを彼らは目にすることになります。

それでも、宗教家らしく偏狭なユダヤの指導層がこの『ナザレの一派』の反感や怒りを解くことはありません。
その鬱積した感情は、外地から来てイエスに信仰を働かせたステファノを捕えて殺害したことをきっかけに暴発するに至りました。
エルサレムで一つの共同体を営んでいた弟子たちは、エルサレムから散り散りになって各地に拡散してゆき、もとから住んでいた外国の居留地に戻る人々、また難を逃れて別の街に行く人々のそれぞれがイエスの福音を携えて行きましたから、そうしてエルサレムの迫害は結果として宣教の拡大ともなるのでした。



◆二度目に鍵を用いる
そのような状況で、聖霊を注がれた一人であるフィリッポは、エルサレムの北西に位置するサマリアに遣わされ、当地で奇跡を行いつつ、イエスの福音を伝えましたが、以前にイエスご自身がサマリアを幾らか宣教し耕されていたこともあって、その反応は良く、エルサレムの使徒たちはサマリアがイエスを受け入れたとの知らせを受け取ることになりました。

そこで遣わされたのがペテロとヨハネであり、やはりサマリアでもペテロと聖霊の注ぎとが関わりを持っています。

当時のサマリアといえば、ユダヤ人との仲が良いとはとても言えません。
共にモーセの律法を守り、割礼を受ける習慣も持つ両者ではありましたが、その崇拝方式は幾分かは異なっていましたので、そこは律法について極端な厳格さを誇っていた当時のユダヤ人にとって、サマリアといえば、今日のキリスト教会が「異端」と呼んでいるような、似てはいても間違っていて危険な分派を忌避するようなところがあったのです。

実際、サマリア人にはエルサレム神殿への入域が禁止されており、頑なユダヤ人の中には「サマリア人には永遠の命を与えないでください」と公に祈っていたというのですから、イエスの弟子たちとはいえ、エルサレム神殿が健在でその祭祀が続いている中でサマリア人がイエスを受け入れたことには、宣教の意外な方向への進展を感じられるところがあったでしょう。

サマリアに向かったペテロらが、すでにイエスの名による水のバプテスマを受けていた人々の頭の上に両手を置いてゆくと、やはりサマリアの人々にも聖霊が注がれ始めたのでした。

こうして『契約の子ら』であるユダヤ人に様々な意味で近いサマリアとはいえ、避けるべき別の宗教の信者とユダヤに見下されていた彼らにも『天の王国』の一員となる道が聖霊を通して開かれましたが、やはりその場面にも使徒ペテロが関わっています。

しかし、ここでも『神の王国』には相応しくない者が混じっていました。
その男はペテロの本名と同じくシモンと言いましたが、性格ではまったく異なっています。
福音を宣明していたフィリッポが行う超自然の印の方にばかり強い関心を持っていたのです。
彼はもとより魔術師であり、フィリッポが来る以前からサマリアで不思議を行い、少なからず自分の信者を得てはいたのですが、そこに聖霊を注がれたフィリッポが到着し、彼を超える印を見せるものですから、このシモン自身も驚き入ってしまい、サマリアの人々と共に自分もバプテスマを受けてフィリッポの後をついて回り、神からの奇跡の印に驚嘆していたといいます。(使徒8章)

サマリアで多くの人々が水のバプテスマを受けて転向してきたことを聞いてやってきたペテロたちが、聖霊を授かるよう人々に按手しているのを見たこのシモンは、自分も使徒たちのように按手して人に聖霊を下らせることを望んで『そのような力を、わたしにも与えてください』と言って金子を差し出してきたのでした。そこはやはり魔術師なのでしょうか。

しかし、この人物はメシアの教えを何だと思っていたのでしょう。人類を救い出し神の栄光に至らせるキリストの犠牲の死によって初めて到来した計り知れぬほどに貴重な聖霊を与える権威などが金で買えると思ったその言動がこの男の内面を暴いてしまいました。
この人物の関心の的は超自然な事柄そのものであり、神のご意志でもキリストの王国でもないのです。

即座にペテロは『その銀と一緒にお前も滅んでしまえ、神の無償のものを金で手に入れようと思ったのだから』。と拒絶し、『お前にその受け分も何の権威もない。お前の心は神に対してまっすぐではないからだ。』『お前にはまだ苦い胆汁があり、不義の縄目が絡みついている。それがわたしには見えるのだ』。
ペテロがこれほどひどく怒った言葉を吐く記述はほかに見当たりません。
シモンは『仰せのような事が、わたしの身に起らないように、どうぞ、わたしのために主に祈って下さい』と言って引き下がりましたが、この男がその場で死ななかったのはアナニアとサフィラのように聖霊までは注がれていなかった事でまだ許されたのでしょう。この男に聖霊が下ったとは書かれておりません。彼に降っていたのは別の霊、つまり悪霊だったのではないでしょうか。

やはり、この人物はその後も魔術師であり続けたらしく、伝承では「シモン・マグス」(魔術師シモン)と呼ばれ、その後は奇怪な教説を編み出して宗教教祖となり、愛人たちを引き連れ帝国の各地で魔術を行ってはキリスト教の邪魔となっていたと伝えられています。
当然の事ですが、このような人物が『神の王国』に入れるわけもありません。ペテロは王国の鍵を用いてサマリア人をも招じ入れると共に、相応しくない分子を締め出し、このような者が入り込むことのないように鍵を閉め、『つないで』もいた姿がここに見られます。

それでも、キリスト教の周辺には今日でもオカルト的な事ばかり強い関心を持つ人々が居るという点では、昔も今も変わらないようです。
聖書の言葉をその意味の通りではなく、隠された別の言葉として読んだり、黙示録や終末ばかりに関心が傾いていたり、年代を計算して神の行動を予測できると考えた教え手がもてはやされ、信者を集めるという現象は、キリスト教の近くに常にまとわりついて来た現象ですが、その『苦い胆汁』や『不義の縄目』もやがて人々に露見されるところとなるでしょう。


◆三度目に鍵を用いるために遣わされる
さて、パレスチナの海岸線には砂浜が続き、古来、港と言えばエルサレムの西に位置するヨッパ港(現テルアヴィヴ)くらいで、北方のフェニキア商人の貿易船はヨッパまでの間で不都合な南西風を受けると退避港が無いので、沖合で投錨してやり過ごす以外になかったということです。

ヨセフスによれば、そこでヘロデ大王は「ストラトンの塔」と呼ばれていた寒村の地形に可能性を見て、ここに白い石造りで贅を尽くしたヘレニズム風の港と良く整った街を設けることにしました。歴史家によれば、完成したのはイエスの誕生の数年前とのことで、ヘロデ大王は間もなく亡くなり、その息子のアルケラオスがユダヤ統治権を一度は受けましたが、やがて統治権を剥奪されユダヤがローマ直轄領となると共に、このカエサレアにはローマのユダヤ知事の官邸が置かれ、守備隊の常駐する沿岸有数の港湾都市となっていました。その街の名はヘロデにユダヤの統治権を許した皇帝(カエサル)に敬意と感謝を表して「カエサレア」と名付けられましたが、これは前出のカエサレア・フィリピとは海と山ほどに違います。

さて、このカエサレアに駐屯するイタリア隊という部隊にコルネリオという士官が赴任しており、この人物はユダヤ教に信仰を持ち、ユダヤ人からは『神を畏れる者』(フォボメノス)という、未だ割礼を受けず、正式には「改宗者」とまではなっていないものの、ユダヤ人の神への篤い敬神の念を懐く異邦人と見做されていました。(使徒10章)

彼が祈りを捧げていると、そこに天使が現れ彼を呼ぶと、『ヨッパに人をやってペテロという人物を呼びなさい』と言うのです。
そこで早速に執事二人に信仰ある兵士一名を添えてヨッパに遣わしました。

その翌日、ペテロは港湾都市ヨッパで海沿いにある皮なめし工の家の屋上に居て、階下で昼食が準備されているのを待っていましたが、空腹を感じているうちに恍惚として幻を見始めます。

四隅を吊るされた大きな布のような入れ物が天から降ろされてくると、その中には、地上の四つ足や這うもの、また空の鳥などが入っていましたが、それらは律法が食することを禁じた『汚れたもの』であったのです。
そこに声がして『ペテロよ、身を起こし、屠って食べよ』と言われますが、そこはユダヤ教徒の常識として『主よ、とんでもないことです。わたしは今までに清くないもの、汚れたものは、何一つ食べていません』。と答えます。
この問答が三度繰り返されると、その布のようなものは天に引き上げられて戻ってゆきました。

丁度その時、士官コルネリオが遣わした三人がペテロの宿に到着します。しかし当のペテロは、あの幻はどういうことだったのかと考えているところでした。
使いの者らがペテロの所在を尋ねる声がすると、ペテロに語る霊があって『さあ、彼らと一緒に出かけるがよい。わたしが彼らを遣わしたのだ』と指示されます。

これらの天の介入あってペテロは主の導くままにヨッパからカエサレアに向かい、無割礼の異邦人コルネリオの屋根の下に入るのですが、これは律法が『汚れ』と見做す行いであり、以前にはイエスを自宅にまでは招かずに癒しができるように取り計らった別の士官がいた通りです。(マタイ8:8)

しかし、この度のペテロは違いました。
『あなたがたもご存じのとおり、ユダヤ人が外国人と交際したり訪問したりすることは、律法で禁じられています。けれども、神はわたしにどんな人をも清くない者とか、汚れている者とか言ってはならないとお示しになりました。それで、お招きを受けた時、ためらわずに来たのです』。ヨッパでの幻と霊の言葉に促されたペテロは、カエサレアのローマ人士官の家で、そこに集っていた異邦の人々に対して『天の王国の鍵』を用いるかのように、その訪問によって扉を開くことになり、その場の人々にも聖霊が降り、異言を話して神を賛美し始めたと使徒言行録は伝えています。

これは大きな変化であり、ユダヤ教からすれば有り得ないほどのことでありましたから、当然のようにペテロは後にユダヤ人のイエス信奉者らからの批難に曝されることになります。ユダヤ教にとって無割礼とは古代のカナン人のように残酷で不法な汚れの民を意味しており、天からの火に滅ぼされたソドムとゴモラがその代表のようなものでもありました。そこはユダヤに同じく割礼の民であったサマリアにも及ばないほどの汚れが意識されておりましたから、ここではモーセ以来の肉や血統に基く考え方から、霊の次元での考え方に換えられる大きな変化の機会をキリストの犠牲が拓いていたと言えましょう。

後にパウロは割礼について新たな見地からこう述べています。
『もし割礼を受けるなら、あなたがたにとってキリストは何の役にも立たないことになるのです。
割礼を受ける人のすべてに、もう一度はっきり言います。その人は律法全体を行う義務があります。』(ガラテア5:2-3)

ヨッパでの不思議やカエサレアでの聖霊降下をもってすら、イエス派のユダヤ人信者の懐く律法的常識がなかなか崩されなかった様子が、このような割礼主義を論駁する文面に明らかで、パウロがずっとこうした内容を手紙を書き続けていたところにその根深さが表れています。
生まれた時からモーセの律法を守ってきたユダヤ人にとっては、宗教的良心を簡単に変えることは確かに難しかったことでしょう。
それも、当時はイエスへのメシア信仰をユダヤ教の完成という側面からだけ捉えるユダヤ人の弟子たちが集まりのほとんどを構成していましたので、その中に同じく聖霊を注がれたとは言え、無割礼の諸国民たちを『天の王国』の同朋と見做すには大きな障碍があったのです。

ペテロに託された鍵は、ユダヤ教徒にとってはあまりに革新的な扉を開いていたので、ペテロ自身無割礼の異邦人に聖霊が注がれるのを見た以上『これらの人に水を禁じてバプテスマを施さないことなどできませんでした』と弁明するほどでありました。

神のご意志に基づき、無割礼の異邦人をも『神の王国』に召すという新たな教えを伝え、古来のユダヤ教に示されていた律法を超える点で先頭に立ったのはペテロというよりは、やはり諸国を宣教して異邦人聖徒をも恥じることなく『兄弟』と呼んだ『諸国民への使徒』、即ちタルソス出身のパウロであったことは新約聖書に於いてまったく否定できないことではあります。

しかし、ペテロについては、やはり主イエスと宣教生活を共にした十二使徒の筆頭であり、ユダヤ人もサマリア人もそして無割礼の異邦人にも気を配る牧者であったと言えるでしょう。(ヨハネ21:17)

ペテロ第一の手紙に見られるように、聖徒たちの絆を『兄弟関係』と単数形で語り、それに属する人々全体を愛するようにと彼が各地の弟子たちに書き送ったときには、彼に託された鍵によって広げられた、血統によらない新たな兄弟関係のさまざまな人々を含んで、その全体を気遣う深い善意が感じ取れます。そのようにして彼は任じられた牧者としても行動していたと言えるでしょう。(ペテロ第一2:17)

こうしてペテロの鍵の使用というものを俯瞰すると、キリスト教というものが如何に革新的であったかを思い知らされると共に、人間というものが常に神の経綸についてゆくことが難しく、目の前の真に価値あるものを見抜くのに遅いものであるということも見えます。
それは、神が漸進的に人類の救出の業を行われ、度々大変革が起こるからであり、その謀るところは人間の考えを遥かに超えるものだからなのでしょう。
そしてペテロが託された鍵を用いたことにより、ユダヤ教という一民族の宗教が、キリスト教という世界教へと変貌を遂げることになってゆきました。それこそが彼に鍵を託した主イエスの導きであったのです。

同じように、今日、信者だけの救いを教えている狭く内向きなキリスト教の諸宗派も、いずれ想定を超える神の意志にたじろぎ、また抵抗する日が来ることでしょう。

終末という大変革が予想される時に、人は神のご意志に明敏に反応することができるでしょうか。
ペテロの当時の人々が、その先に何があるのかを知らなかったように、終末の人々も先を尽く知ることはないでしょう。

キリスト教界に属する人々が、終末の変革の時に、慣れた常識や考え方について柔軟さを示せるか否かには、他の人々以上の難しさがあるとしても不思議はありません。
誰にせよ、その時に試されるのは、神の意図なさることへの柔軟な姿勢と、愛や良心という拘りのない純粋な価値観というものではないでしょうか。









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