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1.原罪論

2012.05.19 (Sat)
新十四日派の教えの特徴
1.原罪論 

人間の争う理由、加えて宗教と政治の存在理由が導かれます。


 人間はみなが倫理的欠陥を抱えていて、それが世界に争いと敵意をもたらしています。

 この倫理的欠陥は聖書で「罪」と呼ばれており、アダムから遺伝しているのでこれを免れる人はいません。

 人類はこれから逃れない限り、争いと敵意、またそこから出る奪い合いや中傷や搾取や欺瞞など、あらゆる悪から逃れることができません。

政治の由来
 人々は互いの貪欲を牽制し合いながら生きる方法を、自らの必要に迫られて造り上げました。

 それが政治であり、これは互いの欲望の調停また規制するためのものであり、有無を言わさぬ権力(暴力)を基礎とし、通貨を流通させ、「罪」ある者でも何とか互いに秩序を保てるようにと作った、「罪」への応急処置法のひとつです。

 わたしたち人間は、互いに助け合うことが出来る一方で、互いを警戒し警察や軍隊などの暴力の保護を必要とすることにおいて倫理的欠陥が現れています。

 この「罪」は、神が人間を創造した本来の基準に及ばないので、「罪」は人間と神との間に壁のようになって、そこには断絶があり、人間は神に創造されたままの「神の子」となっていません。

宗教の由来
 そのため、人間は神についてはもちろん、人間自身についても真相を知ることが出来ません。
 そこで、自分たちがなぜ存在するのかを含めて、様々な問いに対する答えは人間のうちにないので、人間以上の源に尋ねようとします。この人間以上の源への問いがある以上、そこに宗教の必要があってそれは絶えないでしょう。


「罪」を除くことは人間自身にはできません。
それで、人間はずっと争いや犯罪を繰り返してきましたし、「罪」ある限りこの状況から逃れる術はありません。
政治は暴力という「罪」に対する不完全な対処法を用いざるを得ず、間違いのない政治も司法もありませんから、これからも倫理的に混沌とした社会を続けるでしょう。

また、神との間に「罪」が障碍として存在し続けるので、人間の能力では宗教上の真実を知ることが限られており、そのため、自分は正しいとして譲らない様々な宗教を乱立させている状況もしばらくは続くことでしょう。

しかし、神は倫理的欠陥のない、自らのひとり子を仲介者として人間の「罪」を除くよう取り計らわれました。
その方法は、まずひとり子はご自分の命(魂)を差し出して、アダムの持っていた欠陥のない命(魂)の代わりとし、人類がアダムの命によらず、み子自身の命によって生きるようにすること。これは「贖い」(あがない)と呼ばれます。

人々はキリストの命によって生き、欲ではなく愛によって生活するよう、新しい社会が与えられます。それは欲が支配する人間社会とはまったく異なる社会となりますが、このような愛の社会こそ、神が創造に際して意図したものでした。

神のひとり子によって宗教も清められ、人はアダムがそうであったように、神と直接に意思を通わせることができるようになり、一切の組織宗教も礼拝も必要が無くなります。

これらの事柄は「神の王国」の支配を人類にもたらすことで成し遂げられます。
そのため、旧来の人間支配は神の支配の到来に対抗する結果、自ら退かざるを得なくなることが予告されています。

この「王国」が、人類の「罪」に対する根本治療となり得るものであって、人間にはこれを行うことができません。

神の王国の「王の王」は復活したキリストであり、現在は人間社会に王となって臨もうとする時を待っています。
そのようにして、王キリストが人間社会に再び関わり始めることは「臨御」(りんぎょ[パルーシア])と呼ばれます。


聖霊論へ

 予備資料
 「人はなぜ傷つきながらも政治と宗教を存続させるのか」


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