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もうひとつの契約

2017.12.31 (Sun)


◆律法契約の目的

旧約聖書と新約聖書と呼ばれ、ふたつの部分に分けられる理由には、モーセが仲介した律法契約と、キリストが仲介する新しい契約が結ばれたことに由来します。
神は、ほかにもいくつかの契約を結ばれましたが、特に新旧ふたつの契約が聖書では大きな部分を占め、重要な役割を担っています。

さて、神がイスラエルと律法契約を結んだことの目的が何かと言えば、神の『宝のような民となる』という言葉に要約されていました。
律法契約の締結に際して、その目的が語られた言葉があります。
『あなたがたはわたしに対して祭司の王国となり、聖なる民となるであろう』。(出エジプト記19:5)

これは、神がアブラハムに約した『あなたの子孫によって地の諸国民は祝福を得る』という部分に関する働きをイスラエルがどう果たすかを述べたものです。つまり、「イスラエル」と呼ばれる人々が、全人類に対する執り成しの祭司とされることです。

人類の祝福をもたらすこのことは、エデンの園で予告された『女の裔』が果たす役割、つまり『蛇』の頭を砕くという、悪の元凶に対する徹底的な勝利を必要としていることはまず間違いのないことでしょう。(創世記3:15)

そこでやはり、アブラハムの子孫で構成される民イスラエルが『祭司の王国、聖なる国民となる』とは、アブラハムの子孫によって『地の諸国民は祝福を得る』との以前の言葉と明らかに重なります。また、よく知られた『国々の民よ、主の民のために喜び歌え』という申命記の言葉は、イスラエルを通しての人類の祝福への成就を歌ったものとなっているのです。(申命記32:43)

ですから、イスラエルが神の選民となるのも、彼らの益のためというよりは、人類の全体を益するために、神の器として用いられることになるのです。まさしく、それがアブラハムの子孫としての務めです。
イスラエルが律法契約の果てに得るものは『諸国民の光』となることであり、それは今日のユダヤ教の人々もよく自覚していることでもあります。(イザヤ書42:6)

では、律法契約はイスラエルの民を『祭司の王国、聖なる国民』としたのでしょうか?



◆王たちと預言者たちの時代

『約束の地』に定住するようになり、しばらくするとイスラエルも王を戴くことになり、サウル、ダヴィド、ソロモンと三人の王が立ち、イスラエルは最盛期を迎えます。
ソロモン王のときには、エルサレムに壮麗な神殿が建てられ、イスラエルの繁栄は諸国に知れ渡るほどになり、シェバの女王の来訪を受けたのもこのときのことでした。

しかし、ソロモン王の次の世代で民族は、南二部族のユダ王国と、北十部族のイスラエル王国に分離してしまいます。
原因は、王の暴政であり、その後もあまり良い王に恵まれず、民も諸国の異神を崇拝してはばからないほどになってしまいます。

神はこの時代に預言者らを起こして、双方の民が律法をないがしろにしていることを警告し、そのゆくべき道に戻るよう再三説き勧めます。
『神に逆らう者はその道を捨て、悪を行う者はそのたくらみを捨てYHWHに帰れ、そうすれば憐れんでくださる。わたしたちの神に立ち帰れ、そうすれば豊かに赦してくださる。』(イザヤ55:7)

イスラエルと契約を結んだ神YHWHは、自らの言葉を幾らかの人々に託して、民に伝えさせます。
それが、神の言葉を預けた者、つまり「預言者」(ナーヴィー)と呼ばれます。
しかし、イスラエルの趨勢は変わらず、遣わされた預言者らに石を投げつけ、迫害して殺害までするほどになります。

北のイスラエル王国に対して、預言者ホセアは『イスラエルよ、諸国民のように喜び踊るな。あなたは淫行をなして、あなたの神を離れ、すべての穀物の脱穀場で受ける淫行の価を愛した。』
『彼らは聞き従わないので、わが神はこれを捨てられる。彼らは諸々の国民のうちに流浪となる。』(ホセア書9:1・17)

この預言に違わず、北のイスラエル王国は、当時の覇権国家であったアッシリアの獰猛な軍隊に蹂躙され、北方に流刑とされてしましました。

残された南のユダ王国は、善王ヒゼキヤが居たためにアッシリア帝国の攻撃からは守られ、しばらく存続しますが民の事情はあまり変わりません。

預言者エレミヤは、ユダ王国への糾弾の預言を鋭く発します。
『わたしはこの戒めを彼らに与えて言った、「わたしの声に聞きしたがいなさい。そうすれば、わたしはあなたがたの神となり、あなたがたはわたしの民となる。わたしがあなたがたに命じるすべての道を歩んで幸を得なさい」と。
しかし彼らは聞き従わず、耳を傾けず、自分の悪い心の計りごとと強情にしたがって歩み、悪くなるばかりで、よくはならなかった。あなたがたの先祖がエジプトの地を出た日から今日まで、わたしはわたしのしもべである預言者たちを日々彼らに遣わした。しかし彼らはわたしに聞かず、耳を傾けないで強情になり、先祖たちにもまさって悪を行った。』(エレミヤ書7:23-26)



◆バビロン捕囚と新しい契約

南のユダ王国には、首都エルサレムに神殿があり、レヴィ族の奉仕により崇拝が行われていましたが、それも途切れ途切れで、最後の善王ヨシヤが長く閉ざされていた神殿を清掃させると、そこから永年忘れられたトーラーの巻物が再発見されるほどでした。
その内容を読み聴かされたヨシヤ王は、自分たちがどれほど契約を守ってこなかったのかに驚き嘆きます。
彼はただちに、律法の祭りを再開し、異神の偶像の破棄を命じますが、彼の父王マナセの著しい悪行のため、神はユダ王国の処罰も決意し、もはやひるがえることはなかったのです。(列王記第二21:10-15)

ヨシヤの後に、なお四人が王座に就きますが、いずれもエジプトとバビロニアのふたつの覇権の間で揺らぐばかりの傀儡王でしかありません。
ユダの最後の王ゼデキヤは、預言者エレミヤの言葉を受け入れずに新バビロニア帝国の大王ネブカドネッツァルに反抗して、遂にエルサレムと神殿を破壊されてしまいます。

神殿を失って故国も失ったため、イスラエル全体は律法契約を守れない状態に陥ります。しかし神は、イスラエルの帰国と神殿祭祀の復興を預言者たちを通して再三に予告していました。
それを可能にしたのが、イザヤ書に名前を挙げて予告されていたメシア(任命された者)、バビロニア帝国を終わらせた新興ペルシア帝国のキュロス大王でありました。この王は、諸国の民にも神にも寛容な政策を実施し、エルサレムに神殿を再建することを命じます。(イザヤ書45:1-4/エズラ記1:1-8)

預言者エレミヤは、民が七十年の間連れ去られ、異国の王に仕えることを預言していましたが、その言葉に違わず、神殿が破壊されてから71年目の初めに神殿祭祀は復興され、イスラエルは再びYHWHに仕えることができました。それは紀元前586年から515年の事とされています。(エレミヤ29:10/エズラ記6:15-20)

しかし、エレミヤは律法契約とは異なる新しい契約が結ばれる時がいずれ来ることを『見よ、わたしがイスラエルの家とユダの家とに新しい契約を立てる日が来る』と預言して、さらに次のように明らかにしていました。

『「その契約はわたしが彼らの先祖をその手をとってエジプトの地から導き出した日に立てたようなものではない。わたしは彼らの夫であったのだが、彼らはそのわたしの契約を破った」とYHWHは言われる。

「しかし、それらの日の後に、わたしがイスラエルの家と立てる契約はこれである。
すなわちわたしは、わたしの律法を、彼らのうちに置きその心に記す。
わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる」とYHWHは言われる。』(エレミヤ書31:31-33)


神YHWHは、モーセの仲介によって結ばれた律法契約に代る別の契約について予告し、同時にイスラエルが律法契約を破ったと明言します。
その『新しい契約』は、律法の条文を持つものとはならず、イスラエルの『心に書かれる』のですから、その時には律法の細々した規定とは異なるものが与えられることになります。

これについて後代のキリストの使徒パウロはこう書いています。
『もし、あの最初の契約が欠けたところのないものであったなら、第二の契約の余地はなかったでしょう。』(ヘブライ人への手紙8:7)
つまり、律法契約によってイスラエルが『祭司の王国、聖なる国民』とはなれなかった事は明らかです。

しかし、別の使徒ペテロは、彼の当時のイエス・キリストの弟子たちに向かってこう言うのです。
『あなたがたは、選ばれた民、王の系統を引く祭司、聖なる国民、神のものとなった民です。それは、あなたがたを暗闇の中から驚くべき光の中へと招き入れてくださった方の力ある業を、あなたがたが広く伝えるためなのです。』(ペテロ第一の手紙2:9)
これはまさしく律法契約が目指していた到達点です。

しかも、ペテロは当時の非ユダヤ人が多いキリストの弟子たちに『あなたがたはサラの子らとなったのです。』と述べ、血統の異なる諸国民の彼らが、アブラハムの嫡流、真の子孫であるとまで教えます。(ペテロ第一の手紙3:6)
律法契約にあったユダヤ人だけではなく、諸国民でキリストを信じる人々も律法契約の目指したところに到達したのでしょうか。

では、何がキリストの弟子たちを『祭司の王国、聖なる国民』としたのでしょうか?
『新しい契約』とは、どのように結ばれたのでしょうか?
また、キリスト教徒なら誰でもが、神の民となったのでしょうか?





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