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主の晩餐  -綱領-

2016.11.28 (Mon)
主の晩餐

『主の晩餐』(コリント第一11:20)とは、イエス・キリストの最後の晩餐の際に取り決められた会食儀礼であり、出エジプトを記念するペサハ(過越し)の儀式(出埃12:1-20)を踏襲して(マタイ26:18)、同じ日付の晩に無酵母パンと赤葡萄酒を用いる儀礼である。それがペサハとの深い関連性を持つことは、原始キリスト教徒によって「パスカ」と呼ばれていたことに表れている。パウロは『キリストはわたしたちの過越である』としており、出エジプトの事跡が聖徒に繰り返し象徴的意味を持つことを教えている。(コリント第一11:23-26)

その意義は、無酵母パンを通してキリストの体に預かり永久の命に入る(ヨハネ6:15)ことを、また葡萄酒を通して『新しい契約』に入る者が(ルカ22:20)、キリストの血に近い者となることを表している。(エフェソス2:13)その得ている立場は『キリストの兄弟』(ヘブライ2:16-17)、また『神の子』(ローマ8:15-16)であり、この儀礼の表象に与る者は、自他共に認識できる聖霊の注ぎの印を有している。

◆日付について
この儀礼を挙行すべきその日は、キリストの公生涯からの出立がなされ、神の約束のすべてを可能とする道を開く日であったことに倣うべきである。従って、その日付はユダヤ教に寄り添うべきものとなるのであり、この件は第二世紀のエフェソスの監督であった十四日派のポリュクラテースの証言にも立脚する。(コリント第二1:20)
ユダヤ教では、キリストの時代までにペサハをニサン月の14日(民数9:2-5/ヨシュア5:10)ではなく、今日のようにモーセの無酵母パンを食する『七日間』という言葉(出埃12:15-16)に厳密に従おうとして、ペサハの食事(セデル)を15日に行う習慣に入れ替えていた(ヨハネ19:31)が、過越しの子羊がユダヤ教徒の各家庭で屠られなくなっていった習慣の変化も関わっている。
しかし、律法の全体と諸書に従うなら、過越しと無酵母パンの祭りを含めて八日間となる。このユダヤ教体制派の持つ認識上の一日の異なりにより、ペサハで犠牲にされるイスラエルの長子を贖った子羊に対応する『世の罪を取り去る神の子羊』(ヨハネ1:29)としてキリストが出エジプトの前夜に当たるアビブ(ニサン)14日に屠られることになった。

イエスの捕縛がユダヤ体制派の祭日の始まりであるニサン15日の一日前であったことについては、祭司長派が『繰り返し、祭りのときではならない』と述べていること(マタイ26:5/マルコ14:2)、また福音書がイエスの処刑が、安息日に備えて俗事を済ませてしまう『準備の日』と呼ばれる一日の間に行われたこと(ヨハネ19:14・42)、大安息日の始まるまでの僅かな時間に埋葬が行われたこと(ルカ23:54/マルコ15:24/ヨハネ19:31)を記している。パレスチナ・ユダヤ教の安息を伴う15日に入った夜のセデルの習慣からすれば、これらはニサン14日にのみ当てはまるものとなり、14日のセデルは捕囚期以前の過越しの日付けに習うものである。

したがって、イエスと十二使徒のセデルはユダヤ体制のそれに一日先行していた(マタイ27:62)ので、出エジプトのペサハと同じ暦日に行われていたことになる。そして祭司長派によるこの一日の遅れがニサン14日での策動とイエス処刑を可能にしており、キリストの犠牲をイスラエルの長子を贖った子羊として指し示す対型へと導いた。そこでパウロもキリストは『我らの過越し(パスカ)である』(コリント第一5:7)としており、使徒ヨハネはキリストの『その骨は折られなかった』と出エジプトの子羊の骨が折られなかったことの対型を指摘している。(ヨハネ19:33・36/出埃12:46/詩34:20)


そこで、キリストの最後の晩餐の夜(コリント第一11:23)がニサン14日に入った夜であったことは、使徒ヨハネの薫陶を受けた小アジアのキリスト教徒によって守られた14日「パスカ」([Πάσχα]ペサハの音訳)の習慣によって伝えられており、この人々は「十四日派」として知られていた。

しかしキリスト教界は、第四世紀までに反ユダヤ教の感情からユダヤ人のペサハと『主の晩餐』を近い日付に行うことを潔しとせず、キリストの復活が日曜日であったことから、ペサハ後の日曜日に主の死ではなく復活を記念する慶事として差別化を行うようになり、「十四日派」と対立してきた。古くは第ニ世紀前半に、シリアのアンティオケイアのイグナティオスの小アジア宛の書簡の中にもその説得を試みる文面が残されている(マグネシア人への書簡8-9)。以来、何度かキリスト教の会議が持たれ調停が図られたが、いずれも平行線に終わった。

また第ニ世紀の終わりには、ニサン十四日を守る小アジアと復活を祝うローマのエピスコポスであったウィクトルとの間に論争があり、これはエイレナイオスの仲介で分裂を回避したが、その中でエフェソスの監督ポリュクラテスは、使徒ヨハネの伝統が、ユダヤの除酵祭に準じて日付を合わせてきたことを明かしている(教会史V:24)。そこで十四日派に倣うなら、日付は春分の次の満月とはいえない。それは嫌ユダヤのキリスト教徒が復活祭を定める基礎として採用してきた算定方法であり、ユダヤ教と儀礼を共にしない意図からのものである。

ユダヤ教徒のペサハの日付けが陰暦で定められるため、太陽暦を用いるキリスト教が同じ日に儀礼を行う可能性が生じるが、ユダヤ教徒の陰湿な反対に面していた初期キリスト教の時代から、これを嫌う信者が多くなっていたので、聖誕節など他の節会とは異なり、復活祭を移動日とする理由がここにあった。加えて、ユダヤ教徒が土曜を安息するのに対抗して日曜を安息にしたキリスト教徒の根拠付けは、その曜日にキリストが復活したことによる。(キリスト教に安息日の要求は本来は無い。ローマ14:5)
この両者が組み合わされ、本来の『主の晩餐』は「復活祭」に変更され、太陽年の春分の次に来る満月を基準に、その満月の次の日曜の日中を復活日として祝うべき日と定めた。

ローマ皇帝コンスタンティヌスの介入以後、ユダヤの過ぎ越しに沿う仕方での主の晩餐ではなく、天文を根拠とし、春分の直後の満月の次に来る日曜日と法令に定められ、エジプトのアレクサンドレイアのエピスコポスが日付けの算出と布告の責を命じられた。
当時、少数派となっていた「十四日派」はこれ以後否定され、アンテオケア会議(341)に至って古来の習慣を守る「十四日派」に異端宣告が下され呪詛(アナテマ)が為された。第五世紀以降に、パスカは異教の女神に由来する「イースター」とも呼ばれるようになる。
その結果、「十四日派」は衰退を続け八世紀以後にはまったく消滅したとされている。

大半のキリスト教界が推進したイースターでは異教の風習が混入したうえ、本来は出エジプトに由来する『主の晩餐』がキリストの最後の晩に行われ、主の死に関わるものであったが(コリント第一11:26)その意義は否定され、ユダヤ暦からもペサハからも離れ、昼夜の別も問われず、旧約との関わりから独立した復活の慶事に置換されている。
それでもローマンカトリックは、日付けを算定する方法を「コンプトゥス・パスカリス」(Computus paschalis)と呼んでいたところに、ペサハ由来である痕跡が残されている。しかも、聖誕節をはじめとする復活祭に関わらない教会歴日は太陽暦の中を移動することはない。


◆意義について
最初の『主の晩餐』には、キリストを介してユダ・イスカリオテを含む(ルカ22:20-21)十二使徒らだけが預かっているが、この会食は将来に天界に於いて二度目が行なわれることを主自身が明かしている(マタイ26:29/マルコ14:25)。それは終末の聖徒の復活(テサロニケ第一4:16/コリント第一15:21-23)に先立ち、マッテアスを含む十二使徒らがキリストと共に聖徒全体の裁定に預かる時ともなる。(ルカ22:28-30)

それまでの間、地上で行なわれるこの儀礼は、『新しい契約』に預かる者の到来を告げる印となることに於いて『主の死を宣明する』が、それはキリストの犠牲が最初に贖う『初穂』となる人々(ヤコブ1:18)を指し示すからであり、パウロが言うところの『彼の方(主)の到来まで(行う)』とは(コリント第一11:26)、聖徒が地上を去るキリストの終末の顕現の直前まで行なわれることを意味するのであろう。但し、この儀礼が終末にどのような役割を負うことになるかについては、何かしらを予感させるところはあっても明らかにはされていない。

地上に於ける『主の晩餐』は、キリストの死による様々な意義に想いを馳せ、その犠牲の価値に『初穂』とされる人々が預かる定期儀礼である。また第ニ世紀以前の「十二使徒の遺訓」(ディダケー)は、四方の果てからその人々が王国へ集められることを願い求める祈りの言葉を記録している。(Didache9:4・10:5/エゼキエル34:12)

従って、この儀礼に含まれる趣旨が『散らされている神の子たちを一つに集める』(ヨハネ11:52)のであるから、聖霊の賜物のない者が、無酵母パンと赤葡萄酒の二つのエレメントのどちらにも預かることはない。
他方、それに預かる者は聖霊による聖化(ペテロ第一1:2)を受けており、自他共にその極めて高い立場を認識できている以上、幼児でもアルコール依存者でもないに違いなく、「一種陪餐」や葡萄ジュースへの置き換えも無用である。自らの立場を弁えず不思慮に取り入れるならば、『その飲み食いによって自分に裁きを招く』。(コリント第一11:29)
むしろ、律法が過越しに与る者に聖さを求めたこと(民数9:10-11)に類似して、パウロは『古いパン種や、また悪意と邪悪とのパン種を用いずに、パン種のはいっていない純粋で真実なパンをもって、祭をしようではないか。』と説き勧め、行いの聖さを保つように求めている。(コリント第一5:8-11)

この儀礼が行なわれている間に聖徒らが地上に残っているならば、『神の王国』は依然立てられていないことになる。
おそらくは、地上での最後の『主の晩餐』は、生ける聖徒らが地上を去る(テサロニケ第一4:17/黙示11:12)直前に行なわれるのかもしれない。

今日に於いて、十四日派に倣って『主の晩餐』を行なう意義は、聖霊と聖徒の理解を保持しているところにある。(エゼキエル37:21-28)
キリストの臨在する終末の裁きに於いて、聖霊とそれを注がれる聖徒らの働きの大きさと、臨在の不可視とを理解していることをその挙行を通して神とキリストの前に示し、聖霊を介したキリストの到来の際に素早く『扉を開ける』用意の出来ていること(ルカ12:36)を表すのである。エレメントには与らないにしても、この儀礼を行う人々が終末に先立って存在していなくてはならない。(ルカ12:35-37/イサヤ60:1-5)

ゆえに、聖霊の再降下は自動的なものではなく、併せてキリスト教の回復も、地上から強く乞い求められるべきものである(ルカ11:5-13/ローマ8:18-22)。
そうでなければ、聖霊の到来を相応しく迎える者はいないことになり、象徴的な意味で臨在は遠のくであろう。


また、キリストの死は敗北ではなく、勝利であり(ヘブライ2:14-15/ヨハネ7:39)、忠節の全うは彼を完全者(ヘブライ2:10・5:8-9)としている。
その死はキリストの究極の栄光(ヘブライ2:9)であり、対して復活は神の応答(使徒2:24)である。
『主の晩餐』は『主の死を告げ知らせる』ためのもの(コリント第一11:26)であって、「死の記念」を「復活の祝い」に置き換えるべき理由はない。

主の死の記念儀礼の精紳は自己犠牲にあり、主に倣う者がその道を歩むよう促す(コリント第二5:15)ものであるから、慶祝の意味合いは無い。裁きは依然として終末に控えており、キリストの犠牲によって自分に永遠の命がもたらされたと喜ぶべきでもない。
古来ペサハを行ってきたユダヤ教徒において、今日でもペサハ後の期間を服喪の精紳で過ごして慶事を避けつつシャブオート(五旬節)の悦びに至ると言われる。それはペサハが持つ『苦しみのパン』(申命16:3)とも呼ばれる無酵母パン(マッツァ)を食すことの節制と清さに影響されているとされる。

『神の王国』の贖罪の前に、主の犠牲を感謝できるのは、『新しい契約』に預かり、仮の贖罪を受ける『聖なる者』だけである。キリストの犠牲の表象に預かるからである。それでも彼らにはキリストに続いて自己犠牲を捧げる覚悟が必要となる。(ペテロ第一3:6)
そこで「キリスト教徒の過越し」(コリント第一5:7)となったキリストの犠牲の死を自分たちの救いの確定の祝いであるかのように誤解するなら、『主の晩餐』の精紳を汲んでいるとは言い難い。


◆挙行について
過越しには、他の祭りと異なり、月遅れの代替日規定が律法に有ったことからすれば、「必ず行うべきもの」と強調されていること、また、また、その機会を逸する理由に不浄が挙げられているところに「清さが求められる」べきことも明示されていることになる。
キリスト教に於いては、まさしく無酵母のパンは『罪』なきキリストの体を表しており、ユダヤ教も『無酵母パンの祭り』を含め『過越し』(ハグハマツォートではなく、ハグハペサハと習慣的に呼ばれた)を厳粛なものとして捉えており、五旬節(シャヴオート)を迎えるまでは慶事を控える。

もちろん、ユダヤの暦が完全ということにはならないが、小アジアの十四日派はユダヤの祭礼に準じたとの証言がある以上、その復興を目指す場合には、個人の都合はもとより天文にも従う理由をもたない。それはユダヤ人にニサン14日と呼ばれる日に行うべき理由の方が大きい。主は、ユダヤ教徒の一日遅れのセデルの故にその前日に刑死を遂げられたからである。そこでペサハシェニー(民数9:9-11)を再考すると、律法に対する成就という次元上昇を思い見る。その月遅れの規定があることにより、律法を守る者が必ず守るべき最も重要な祭日がペサハであった事を示し、且つ、清さが要求されてもいたことから、厳粛な性格が表されていたことになる。

『主の晩餐』を『過越』に倣うものと見做す場合、各家庭で行われるものであり、一頭の子羊を食すに相応しい十人程度の集合にまとめられていた。また、『無酵母パンの祭り』と異なり『過越』はアツェレト(聖会)を伴うものでなかったこともこの一晩のみの密やかな祭事の特性を示している。

使徒時代以降のキリスト教では、聖書に挙行の例がないながら、エクレシアで行われていた可能性がある。
この点について新十四日派としては、特に規模を定めないでおくことが良いと思われる。それは終末にどのような危急の事態が起こり、且つその中での挙行を要することも予想されるため、その点では各家庭や個別の場所での挙行は外部からの妨げに対応し易い可能性が高いからである。実際、キリストはユダ・イスカリオテからの妨げに対処し、内密の内に挙行場所を確保されている。
しかし、平穏な環境で行えることが確かであるなら、より大きな集合体として行うことを禁じるほどのことではないとも思われるが、余りに規模を大きくするなら、本来的に静謐な雰囲気を持つこの儀礼の特質は損なわれる危険がある。

加えて、出エジプトでの『過越』に於いても、キリストの『主の晩餐』に於いても、公共性はなく、広く一般に出席を促す性質のものではない。聖徒のほかには、この儀礼の意義を悟り、その挙行に価値を見出す信仰ある人のみが参加すべきであり、万一妨害の疑いある者に対しては、キリストがユダ・イスカリオテに対処した事例に倣う必要が生じるかも知れない。


◆参加の有無
今日に、例年のニサン14日に『主の晩餐』の挙行に進んで参与臨席しない人を、「新十四日派」また、その賛同者と見做すことはできない。当派は、『主の晩餐』をキリスト教に於ける最重要儀礼として認識するものだからである。
今日もし、誰かが望みながらも万一パスカを行うことが出来なかったのであれば、出来なかったのである。理由にもよるが、それがその人の価値観を疑わせるものとはならない。また、その挙行が救いをもたらすわけでもない。
しかし、それが聖徒である場合には、深刻な自責の念をもたらすものとなろうから、周囲の信徒らはその参与の介助に能う限り協力すべき道義的責務がある。
また、信徒であれ、聖霊の降下による主の臨御を地上に待つ姿勢を見せる者らが存在することを神の前に示すことを重く受け止めるなら、置かれた状況の中で、その人なりに最善を尽くそうと思うに違いない。
従って、行えるにも関わらず、行わないなら、その人に十四日派再興の意志、また聖霊降下の願いを見ることはない。



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