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18.聖書を読む 新約

2015.01.04 (Sun)
聖書を読む  新約


キリスト教に近付こうとする人にとって最も重要な聖書の部分は新約聖書であるべきでしょう。
なぜなら、キリストの現れによって、以前の聖書の内容に込められた本来の意味が明かされてゆくからです。

新約聖書には、旧約に無いスタイルが用いられています。
それが福音書や手紙という形式ですが、「福音」とは中国語からきた名称で、「幸福な音信」を意味し、そこではキリストの現れと宣教が記されています。

四つの福音書の次に続くのがキリストの弟子たち、特に「使徒」とされた弟子たちの活動の記録であり「使徒言行録」、あるいは「使徒行伝」と呼ばれます。この書の重要性は、キリスト教の誕生がキリストと共に始まったのではなく、キリストが死を迎え、復活して天に帰った後であるというところにあります。

この書のあとには、使徒パウロの書いた14の書簡が続きます。これらには彼が聖霊から受けたキリスト教の重要な教理が込められていて、それはユダヤ教を遥かに超えるキリスト教の素晴らしさを知らせるものとなっています。
新約聖書の書簡の部分には、パウロのほかに使徒ペテロ、イエスの弟ヤコブやユダ、また、最後に残った使徒のヨハネのものが含まれます。これらの著者はキリストとほぼ同世代のヘブライ人です。

そして、新旧の聖書の末尾に位置するのが「ヨハネ黙示録」であり、これは人類の「終末」を預言する謎に満ちた書です。

新約聖書はこのように、福音書4、使徒言行録1、書簡集21、黙示録1という四種類の文章27書で成り立っています。


では、もう一度、新約聖書の巻頭にある福音書から概略を説明しましょう。

四つの福音書では、キリストの現われとその宣教活動、そしてユダヤ人宗教指導者らによって刑死に追いやられ、復活して天に挙げられるまでが記されています。
その内容は、旧約聖書で予告されたメシアつまりキリストが、ナザレからのイエスであったこと、そして彼が大いなる奇跡を行い、『神の王国』について語り、最後にはユダヤの体制派の人々によって退けられて刑死を遂げられ、三日目に霊への復活を遂げた様を知らせます。


これら福音書は、ユダヤ人の間に神からの音信が途絶え、旧約聖書が書かれなくなって四百年後に起こった出来事から書き始められます。それが、旧約最後のマラキの預言書が予告していたエリヤの現れでありました。

もちろん、過去に生きたエリヤが生き返ったのではありません。
しかし、その新たな人物が古代のエリヤのように、らくだの毛皮を身にまとい、皮の帯を巻いていたところが古代のその預言者と変わらなかったのです。

この人物はレヴィ族の祭司の息子で名をヨハネと云いましたが、彼はユダヤ人に『悔い改めよ』と呼びかけヨルダン川で水のバプテスマ(浸礼)を施し始めます。
それで彼は「バプテストのヨハネ」と呼ばれます。
彼がユダヤ人に説いた「悔い改め」とは、律法契約の不履行の罪に対するもので、そのバプテスマもユダヤ人に限られるものでした。

ヨハネがこれを行うことで、預言者マラキが予告していたふたつのことを成し遂げます。
まずひとつは、民を悔い改めさせることで『子の心を父に立ち返らせ』、人々をメシアに備えさせることであり
もうひとつは、『主に先立ってゆき』メシアをイスラエルに紹介することです。

ヨハネがバプテスマを施していると、その中からひとりの人物に聖霊が降り、『この者を是認した』との天からの声があります。
ヨハネは弟子たちに、このナザレから来た方イエスを指して『見よ!世の罪を取り去る神の子羊』と言って紹介します。

また、ヨハネはユダヤ人に祝福と呪いのふたつの道がメシアによってひらかれることを示して、『その方は聖霊と火であなたがたにバプテスマを施すことになろう』と予告します。これはメシアを受け入れるか否かによってユダヤ人の前に二つの道があることを表していたのですが、このときにそれを悟った者はなかったことでしょう。
つまり、キリストの到来によってユダヤという宗教体制がふたつに裁かれようとしていたのです。

イエスはそれから荒野に入り40日の試練を受け、サタンの誘惑も退けます。
その後、故郷のあるパレスチナ北部ガリラヤ州から宣教を始め、人々の病気を癒し『神の王国』の近付いたことを例えを以って語り始めます。また、ガリラヤ湖のほとりで後に使徒たちとなる主要な弟子たちを得ます。

ヨハネ福音書には、イエスの宣教中に行なわれたユダヤ人の祭りが書き出されており、それによると、その宣教期間は四年未満であったことになります。
このように教祖の宣教期間が短いことを考えると、キリスト教が今日、世界最大の宗教であることは異例なことです。

しかし、その活動は非常に充実したものであったことが、これらの福音書の内容が物語っています。
イエスの一行には、まず十二人の使徒が随行し、生活上の助けとなる女たちや、七十人に及ぶ協働する者らに加え、奇跡を行うイエスを慕ってその後を追う群衆が集まることもありました。

イエスは病に苦しむ人々を哀れみ、集まって来るあらゆる病人を一人残らず癒し、死人さえ復活させています。
それでも、イエスは群集に『神の王国』を直接には語らず、常に例えを用いて話し、使徒たちにだけはその意味を告げていました。
なぜなら、『神の王国』は『天地創造以来隠された奥義』であり、当時のユダヤ人の誰もが同じように知ることが許されていなかったとイエスは使徒らに告げます。それを知るには『聴く耳』を持つ、つまり深い関心を寄せることが求められました。

また、イエスは自身が「約束のメシア」つまりキリストであることもユダヤ人には明言しません。
そのためユダヤ人の間で、この奇跡を行う人であるナザレ人イエスについて意見が分かれます。
ある人々は、彼をメシアと認めますが、他の人々は認めずに、魔術を行って民を惑わしていると言います。

しかし、イエスは「自分を信じなくても、自分の行っている奇跡の業は信じるように」と告げます。
ですが、ユダヤの宗教指導者層はイエスを敵視し始めます。
なぜなら、ユダヤの宗教習慣に反して、安息日に奇跡を行い、彼ら指導者の行いを暴く発言をするところが受け入れられないからでした。
それに加えて、イエスは指導者層が蔑んでいた一般民衆と共に交友し食事を共にすることも、エリート意識の高い人々の不平を鳴らす原因となっていたのです。

ユダヤの民衆の中からは、このナザレ村から来られたイエスの行う奇跡や確固とした話に信仰を働かせ、キリストの到来を見出す人々が現れてゆきましたが、指導者層をはじめとして、体制全体としてイエスをキリストであると認めるまでには至りません。
当時の指導者の会議である「サンヘドリン」では70人の中で、キリストに信仰を持ったことが聖書に記されたのは僅かふたりだけでした。

むしろ、サンヘドリンのイエスへの敵意は次第に強まってゆき、遂に指導者層はイエスの逮捕を試み、協力者を募ります。
そこに密かに応募したのが、十二使徒のひとりで一年ほど前から密かに不忠節となっていたことをイエスに指摘されていたイスカリオテのユダであったのです。(ヨハネ6:71)

イエスは捕らえられる前に、最後の晩餐を十二人と共にしますが、そこでは旧約で予告された『新しい契約』に関わる儀式を制定します。
それが「主の晩餐」と呼ばれる無酵母パンとぶどう酒による儀式であり、イエスの復活ではなく、犠牲の死を記念するものです。

これが済むとユダはイエスを売り渡すために外出し*、イエスはなおしばらくの時間、弟子たちに自分の去った後の事を知らせ彼らの心を整えます。*(ルカ22:19-)
その会食の後、彼らがエルサレム城外の園に居たところに、ユダと武装した一団が到着しイエスを捕縛して大祭司の許に連行します。

宗教家たちは不正な裁判を行ってイエスを死罪に定め、夜が明けるとローマ総督ピラトにイエスを処刑するよう訴えます。
しかし、ピラトはイエスに罪を認められず、何度も釈放を試みますが、イエスを嫌うユダヤ人たちは群集の数を頼んで総督に圧力をかけ続け、遂に処刑させることに成功します。

こうして、イエスはユダヤ人宗教家らの策略によって処刑に渡され、『神の子羊』として犠牲となります。それは旧約聖書の予告するところでありました。
しかし、神はイエスを三日目に復活させ、墓が空であるのを弟子たちは見ることになります。

その後40日の間、復活したイエスは弟子たちに時折に現れ、最後は宣教を世界に広げる事と、エルサレムに留まる事とを指示してから弟子の見守る前で天に昇ってゆき、ついに見えなくなります。

ここまでが、おおよその福音書が伝えるイエスの伝記です。

福音書の中では、イエスがひとりのユダヤ教徒でありながらも格別の存在であったことがはっきりと書かれています。
イエスは神を専ら『父』と呼び、自らを『人の子』と称え、神との深い関係を持っていることを終始示し、神の神殿がぞんざいに扱われ、汚されているのを目にしたときには、これを実力を使って排除までしています。イエスが望んだことは『父を尊ぶ』ことであったのです。

イエスはキリストとして多くの奇跡の業を行いましたが、それを『父の業』と呼び、『自分からは何も行えない』とまで言います。
質素な生活を送り、『頭を横たえる場所も無い』ほど活動を続ける生活を送りましたが、そのほかにも弟子たちの理解の遅さも耐えなくてはなりませんでした。
こうした苦しみの最後に、犠牲としての死を受ける覚悟も必要としていたのです。

その『父』である神への忠節な生涯は、その結論というべき犠牲の『死によって、(人々に)死をもたらす悪魔を無に帰せしめ』ることになりました。
キリストの生涯と死を通して、父なる神の至高性が一度限り証明されたので、御子の犠牲の死はすべての知的な創造物に神への忠節な愛を求めています。

こうして示されたイエスの生き方に、弟子たちはどのように応えていったでしょうか。
ユダヤの体制派はイエスを処刑させて、この新しい宗教活動を封じることができたと一安心していたことでしょう。

しかし、キリスト教が真の力を発揮するのはここからです。こうして「使徒言行録」以降、いよいよキリスト教が作られてゆくことになります。
その点で、キリスト教においては、イエスの死がユダヤ教からの分岐点のようになっているのです。

弟子たちの活動は、『わたしを信じる者もわたしの行いをするでしょう。それもずっと大きな行いをするのです』とイエスが語っていたことの成就であり、パレスチナに限られていたイエスの活動が世界に向かって広がってゆきます。
そこで使徒や直弟子たちが師イエスの活動を受け継いでゆきますが、それが使徒言行録に記されている内容です。

使徒言行録を記録したのは、福音書も書いている医者でもあったルカです。
彼は、使徒パウロの宣教の旅行などに同行していることが第16章から確認できます。
ルカはその現場にあって、その実際に見聞きしたことを記録していることは、旅程の日数などの詳細からも確認できるほどです。

また、この書は初期の弟子たちにその活動の場面で出会うかのよう読めます。
ペテロやヨハネは十二使徒であり福音書からの古顔ですが、新たにイエスの弟ヤコブが大きな役割を担い、ほかに元は迫害者であったパウロと彼を気遣うバルナバ、その従兄弟のマルコ、彼には若いときの失敗も記されていますが、後にペテロの通訳ともなりその情報を得て福音書を記すことになります。
また、使徒への七人の助け手の中で最初の殉教者となったステファノと、聖霊と共に宣教に携わったフィリポなど、キリストの業の拡大をこれらの人々が受け継いでゆく様は壮観です。

しかし、これが僅か四年ほどで宣教を終えた教祖が刑死してしまった宗派の姿なのでしょうか。
もちろん、これらの活動の進展は人間の力や知恵に由来するものではありません。

さて、キリストの直弟子たちは、師を失ってからしばらくはユダヤ人を恐れてエルサレムの片隅に隠棲しています。
彼らはイエスの指示に従い、エルサレムに留まっているうちに、ユダヤ教の祭りである五旬節(ペンテコステ)の日を迎えます。

イエスは、弟子らが聖霊を受けることになることを何度も予告していましたが、その日の朝に『大風のような轟音がして』二階の間に集まっていた百二十人ほどの弟子たちの頭の上に聖霊が降ります。
祭りに来ていた外地からのユダヤ教徒たちは、轟音に驚いてその方向に行ってみると、各国語で話すイエスの弟子たちを見出します。

イエスは天に戻るに際し、使徒たちに『聖霊があなたがたに降るとき、力を得て・・地の絶え果てるところまでがわたしを証しする者となる』と告げていましたが、こうしてイエスの弟子たちが世界に向けて広げられる第一歩が踏み出され、その日のうちに三千人がキリストの名によるバプテスマを受けて加わりました。

その後も、聖霊は彼らを助け、特にペテロや使徒たちを通してイエスが行っていた奇跡の業が受け継がれ、聖霊はその場の弟子たちすべてに注がれたこともルカは記しています。

外地からのユダヤ人たちは、五殉節の祭りの後も、新たに得た信仰を喜こんでエルサレムに留まっていましたが、ステファノの殉教が起こると各地に散らされてしまします。
ユダヤ教の指導層は、イエスを亡き者としたように、その弟子たちの存在をも快くは思いません。ステファノの処刑を契機にこの一派の弾圧に乗り出し、その先鋒を務めたのがサウロというパリサイ派の男でした。

ですが、このサウロがイエス派の弟子たちを捕縛連行しようとダマスカスに近付いたところで、彼はイエスによって一時的に盲目にされてしまい、却って弟子となるよう招かれるという事態が発生します。
この人物が後にギリシア風に名前を変えて使徒となったパウロであり、その後、彼ほどキリスト教の教理を先頭に立って導いた人物はありません。それは十四通もの彼の書簡が新約聖書に含められていることが物語っています。彼自身は、これらの教えが自分から出たものではなく、イエスからのものであることを説き、自らを『奥義の家令』と呼びます。

パウロは、ユダヤ教の中心地であるエルサレムではなく、諸国民の多いシリアのアンティオケアを拠点とし、そこから地中海、小アジア、ギリシアに向かって教えを広めます。その途上で助手の青年テモテを見出し、ルカも彼の旅に同行するようになります。

彼らによってキリスト教は、元からのユダヤ教徒ばかりでなく、新たに転向してきた諸国の信者たちによっても構成されるようになりますが、ユダヤ教徒と諸国民との生活習慣の違いが表面化するに従い、キリスト教徒もユダヤ教の律法に基づく習慣に従うべきだというユダヤ派からアンティオケアで異議が唱えられ、そこで、パウロを含む使徒たちはエルサレムに集い、この件を討議することになります。

しかし、聖霊は既に諸国民に注がれており、それはユダヤ主義者の反論を封じるほどになっていました。
その議決によって、割礼などの律法を守ることを諸国民には求めないことが定められ、諸国民派は更に人数を加えることになりました。

さて、パウロは、小アジアのエフェソス(エペソ)やギリシアのコリンソス(コリント)に数年滞在し、多くのことを為し遂げますが、各地のエクレシアに手紙も書いています。そのなかでは、聖霊を受けた人々が『聖なる者』と呼ばれ『罪』が仮に許された格別の恩恵に入ったことを知らせています。それは『信徒』(ピストス)以上の立場であり、『聖徒』(ハギオス)と呼ばれます。この当時、初代のキリスト教徒の大半が『聖徒』であったことを新約聖書は伝えています。

さて、教会に通うクリスチャンが「(新約)聖書は、パウロばかりだ」と半ば不平を鳴らしているのを聞いたことがありますが、確かに14通の書簡にはそれぞれの土地のエクレシア(信者の集まり)への訓戒も含んでいますし、聖書の開きやすい辺りにパウロ書簡が位置していることもあって、まるでパウロがいつも誰かを戒めているかのように読めてしまう印象は否めません。

しかし、実際の文書の量は、新約聖書の三割ほどです。
そのうえ、これらの清い行状を説き勧められているのは、聖霊に受け『新しい契約』に入った『聖徒』に求められるものであって、この奇跡を行う力を得た人々には、それにふさわしい清さを示して契約を全うする務めはありますが、そうでない人々に清い行状が直接に求められているわけではありません。

むしろ、「罪多きもの、多くを愛す」また「健康な者に医者は要らない」との言葉が聖霊のない『信徒』に適用されるのであり、この辺りの違いを理解しないなら、善行者の仮面を被った歪んだキリスト教を作ってしまうことでしょう。

さてパウロには、彼の最後のエルサレムへの旅行が、より大きな試練となることを聖霊によって知らされます。

それは、イタリアに赴き、ローマで『カエサル(皇帝)の前に立つ』ための旅となります。彼はエルサレムで神を汚す者と誤解されて捕らわれ、ユダヤ人に命を狙われる身の上となりますが、彼はローマ市民権を持っていたので、ローマ軍が彼の殺害を許さず海港都市カエサレアの総督の許に保護します。

やがて、パウロはユダヤ人からの訴えをカエサルに上訴したため、彼はローマに護送され、その当時の地中海の航海も描かれてゆきますが、その船は難破してしまい、マルタ島に漂着して救われ、そこからさらにローマへと向かいます。

そして、ローマで二年間の軟禁生活を送り、その間に訪れる人々に教え、書簡を記すことになります。
この間に書かれた書簡は、エフェソス、フィリピ、コロサイ、フィレモンがあるとされ、これらは「獄中書簡」とも呼ばれています。
ここでルカが筆を止めているので「使徒言行録」はここで終わりますが、パウロはその後、一度釈放されてテモテやテトスを率いて地中海各地で更なる宣教を行ったことが、彼らへの書簡から読み取れます。これらの書簡には、集まりへの指示が記されているので「牧会書簡」と呼ばれます。

しかし、それも長くは続かず、西暦64年にはローマ大火が起こり、皇帝ネロがその罪をキリスト教徒になすりつけたために、キリスト教徒への迫害が起こります。その結果としてパウロはペテロ同じ頃に処刑されたようです。それは西暦67年前後の事とされています。

しかし、使徒パウロの活躍には目を見張るものがありますが、使徒言行録には詳しく書かれてはいないものの、その間にエルサレムでは使徒ではありませんでしたが、イエスの弟に当たるヤコブがユダヤのイエス派をまとめていました。
彼は、先のエルサレムの会議を仕切り、全体を代表して結論を出してもいます。
エルサレムには依然、崇拝の中心地としての神殿があり、使徒たちの多くが留まるキリスト教の中心とも目されていました。

使徒ペテロもヘロデ・アグリッパス1世から命を狙われており、エルサレムを留守にすることが多く、その点で、ヤコブはそれまでイエス派として目だった存在ではなかったのが利点となっていたことでしょう。ヤコブはイエスは復活したのを見るまではイエスを信じていなかったことが読み取れます。

書簡では、ヤコブの名前でもそのひとつが新約聖書に含まれています。
この書は律法を守るユダヤ人にも、諸国民にも有益な仕方で書かれています。ヤコブは非常に敬虔な人で、ユダヤ教徒からさえ「義人」と呼ばれ深く尊敬されていたと言われます。その彼の真摯な性格を反映してか「ヤコブの手紙」は、廉潔な行いを勧める手紙となっています。

この行いに重点を置いたところがパウロの唱える「信仰による義」と矛盾すると見なしたルターは、この書簡を「律法的」と見なして評価しませんでしたが、ここでヤコブが言う善行の『業』とは、律法の業ではありません。彼はこの手紙の中で、何一つ律法の定めを挙げていません。彼が勧めたのは、キリスト教徒としても「業が伴わない信仰は死んだもの」であり、その信仰にも愛にも意味が無いという事であったのです。

そのヤコブも西暦62年頃にユダヤ教指導者によって殺されてしまい、ユダヤのキリストの弟子らは『柱』のような大きな支えを失ったように感じたことでしょう。当時、ユダヤ人の間では愛国主義が高まりつつあり、ローマに処刑されたようなメシアなどは到底受け入れられるところではありませんでした。

おそらく、ヘブライ人への手紙(ヘブル書)はヤコブ亡き後のユダヤ人信徒を気遣ってパウロが書いたものでしょう。
この書簡の中では、律法への「従順」を守るユダヤ教に対して、キリストの犠牲への「信仰」を唱えるキリスト教がどれほど優れたものであるのかが力説されています。
もとより、パウロはユダヤ教も強硬派であるパリサイ派の出身者で、その上でキリスト教を導く立場ですから、彼ほどこのような書簡を書くのに適した人物も居なかったと言えましょう。

他方で、この頃ペテロがどのあたりで活動していたのかも、彼の名によるふたつの書簡から推察できます。それは使徒言行録に描かれたパレスチナの海沿いだけでなく、相当に広かったようです。
第一の書簡ではトルコの北部の地名が挙げられていますので、彼はエルサレムの危険を逃れて、この地域に深い関わりを見出していたのでしょう。
また、自分がバビロンに居ると書かれています。
このバビロンは隠語で、実はローマを指しているとの意見もありますが、ローマとバビロンを強く結びつける根拠がさほど鮮明ではないので、ここでは、彼が東方ユーフラテス河畔のユダヤ人居留者の許で宣教していたと見てよいでしょう。その手紙には迫り来る事柄への警告の響きがあります。

その警告に違わず、初代キリスト教徒にも試みとなる時期が迫っており、また、ユダヤとその体制にも恐るべき終末が迫っていました。
それが、イエスの予告されたユダヤとエルサレムの滅びであり、キリストを亡き者としたユダヤの『その世代』に対する報いを受ける『終わりの日』の到来であり、バプテストのヨハネの予告した「火のバプテスマ」でありました。

この時期、西暦60年代には、新約中の主な書簡を書いた中心的な人々が次々と去ってゆきます。
ヤコブもペテロもパウロも西暦70年のエルサレムの滅びの前には殉教していました。
したがって、ここからしばらく期間を描く部分を新約聖書に見出すことはないのですが、実に自らの体験を通して、この時代を語れるフラビウス・ヨセフスというユダヤ人歴史家が現れており、その「ユダヤ戦記」は克明にその後の事態を今日に知らせています。

ユダヤの亡びの発端は、パウロとペテロが存命であったらしい西暦66年に始りました。
当時のローマ総督は横暴を極め、あたかもユダヤ人を反乱へと誘うほどの態度であったとされています。

愛国心に燃え立ったユダヤ武装勢力は、死海沿岸の要塞マサダを襲い、そこのローマ守備隊を殲滅し、エルサレムでは神殿直近のアントニア要塞を陥落させてしまいます。
これを、ローマ総督ガッルスが軍団を率いてエルサレム攻略に向かいますが、優勢に都市を攻撃していたにも関わらず、歴史上の謎の退却を始めてしまい、ユダヤを勢い付かせてしまいます。

しかし、キリスト教徒はこうしたことについてのイエスの預言に従い、北東部の山地に逃れます。そのほかにも賢いユダヤ人たちがユダヤに臨む悲劇を予感してその地を後にしたと言われます。

それから三年半の後、ティトゥスに率いられたローマと連合軍がエルサレムを囲い、柵を設けて籠の鳥としたうえで最後の攻撃を加えます。
エルサレムの神殿は愛国者とならず者の巣窟と化し、血と貪欲で聖なる所を汚し、神への日々の崇拝も途絶えてしまいます。
ティトスは神殿を救うようにと、再三に投降の説得を続けますが、勝ち目のない暴徒はかえって頑なになって抵抗を続け、遂に戦闘の最中に神殿に火が付き、壮麗な神殿も焼け落ちてしまいます。

それは、ユダヤ民族には取り返しの付かない損失となりました。
以後、今日まで約二千年、ユダヤ教徒は神殿崇拝を行うことができなくなり、律法のすべてを行うことも不可能となりました。加えて、神殿でだけ発音されていたイスラエルの聖なる神の名を唱えることができなくなったので、今日旧約聖書に記されている神の名が何と読まれるのかを知る人は、この世代と共に地上から絶えてしまったのです。

それは神からの裁きであることをイエスは語っていました。
つまり、律法を守らず、メシアを退け処刑させてしまったことへの明らかな報いです。

ですが、ユダヤ人キリスト教徒には逃れ道が拓かれ、この悲惨な終わりを共にすることから守られました。

ユダヤとエルサレムが荒廃したあと、既にペテロもヤコブもパウロも過去の人となっていましたが、他の使徒たちや直弟子たちは歴史の舞台から去ってはいません。使徒たちはエルサレムを後にして、諸国へと布教の旅に出ました。福音書を書いたマタイはエチオピア方面に、その兄弟トマスはインド方面に、タダイはアルメニア方面に向かったという伝承があります。

キリスト教の理解においてパウロほどの理解を得ていた者もいませんでしたが、彼亡きのち、弟子たちの中から最後の聖霊の輝かしい教えが現れます。それは、十二使徒の中でも最年少であったと思われるヨハネに宿った聖霊の教えでした。

彼は、ユダヤの滅びを後にして、小アジア(現トルコ西部)の都市エフェソスに主の母マリアを伴って移住してきていました。
その後の彼が近隣のキリスト教徒に薫陶を与えていたことは、黙示録に記される七つのエクレシア(会衆)の名前からも明らかです。また、近くのヒエラポリスには使徒フィリポが家族と共に移って来ており、史料にはペテロの兄弟で使徒アンデレの名も小アジアで現れています。

以前パウロにあった非常に高度なキリスト教理解は、西暦一世紀の終わりに在って使徒ヨハネに移されたようにさえ見えます。
彼はティトゥス帝の弟ドミティアヌスの迫害に遭い、ミレトスの沖合いの小島パトモスに流されますが、そこで驚異的な音信を受けます。
それは、旧約のダニエル書とも深く関連する「黙示」であり、この世の終末を記す謎の書でありました。

ヨハネ黙示録を書いたのは、使徒のヨハネではなくて、別のヨハネであるという意見もありますが、黙示録とヨハネ福音書とヨハネ第一の手紙には密接なテーマの関連が見られ、そのテーマには「信仰による勝利」などヨハネに特有なものが見られます。例え誰が書いたにせよ、これほどの霊感溢れる内容を記したからには、聖なる神の霊の導きなくしてなし得なかったに違いありません。

この書については、聖書に含めるべきかどうかとさえ論じられてきたほどに難解で、ルターも「使徒的でも預言的でもない」と言い、疑典と同じように見なすと言明しています。カルヴァンも、聖典から排除まではしないまでも「暗黒の書だ」と友人に語ったといわれます。

今日でも、「ダニエル書や黙示録は聖書ではない」と軽はずみに言ってしまった牧師もいると聞きましたが、確かに、他の諸書とは様子も内容も異なっています。

ですが、これらには旧約への多くの関連が込められていることに気付く人々も現れてきましたし、これだけ難解であるにも関わらず、どこかに一抹の聖性を感じ取る人々も存在してきたのでしょう。聖書巻末を締め括る書として今日に至るまで不動の地位を占めていますが、それも不思議なことです。

その内容には、イエスが『この世のはじめから隠されてきたこと』を必ず例えで話されたことと関係があるのでしょう。
イエスは度々講話を『耳ある者は聴け』と言って終えていましたが、使徒マタイはそれを『世の礎が置かれていらい隠されて来たこと』と結びつけます。これをさらにパウロが『秘儀』と呼んでいて、黙示録も『秘儀が終わりに至る』ときを描いています。(マタイ13:35/コリント第一2:7/黙示録10:7)

そこで聖書には一貫して伏せられた内容が示唆されていますが、これはいつの日にか大きな意味を持つことになるのでしょう。
神が公けにしながら伏せるとすれば、それは理解することはだれにもできないに違いなく、この世の終末にはイエスによる『裁き』があり、裁かれるのは人間ですから、誰かには、あるいは誰にも、理解が許されていないのかも知れず、またそれは「時限ファイル」のようなものなのかも知れません。

使徒ヨハネは、パトモス島からエフェソスに戻り、そこでヨハネ福音書を書いたとのことで、福音書が黙示録の後に書かれています。
そして、その福音書は他のものとは異なり「福音書の中の福音書」とも呼ばれる高い評価を得ました。それは、観察者によるイエスの伝記というものを超えて、その書物そのものが聖霊の霊感によって書かれたような筆致を見せています。このようなヨハネ福音書の特異性もあって、それ以外の観察者の視点から書かれた三つの福音書は「共観福音書」とも呼ばれます。

これら、第二世紀に入る頃までに書かれた使徒や初代の弟子による著作をまとめたのが新約聖書であり、早くも第二世紀中葉には福音書の四つがひろく認められていたことはタティアノスの「四福音書対照」や、エイレナイオスの著作を通しても知られています。

パウロの書いた書簡は新約聖書に収められたものの他にもあることは知られてきましたが、パウロの書簡の収集を行った人々がいたようで、それに小アジアからの使徒ヨハネの書物も加えられ、第二世紀には選別され整えられていたようです。

近代以降、パウロ書簡とされるものの六巻はパウロでない後の人物が書いたという主張もなされていますが、それは文章や用いた単語の異なるを証拠に挙げています。ですが、これらの書簡を誰が書いたとしてもそこには人間の創意では考えられないような内容が込められていて、パウロが自らを『奥義の家令』としたように人間の能力に帰するには無理があります。これは『奥義』の深さを幾らか理解するだけでも納得できることでしょう。

そのほかにも、新約の時代に多くの書物が書かれてはいますが、そこで混濁の脅威を与えていたのがグノーシス主義の影響をうけた多くの文書でした。この主義は、神殿を失ったユダヤ人の失望から生じたという、ユダヤ教とキリスト教の混じったような教えで、創造者を「劣った神」に分類して物質と精神の二元論を唱え、キリストの仮現説や結婚の禁止など、本来のキリスト教からは逸脱した禁欲主義と神秘思想を特色として、かなり広いユダヤ人の支持を得て広まっていました。

しかし、キリスト教側は、エイレナイオスのような第二世紀の「教父」と呼ばれる指導者たちによって、使徒からの伝承を大切に守り、これらグノーシス派の使徒や初期の弟子らの名をかたる紛らわしい書物を退けています。

新約聖書を概観すると、大きくふたつのことが見えてきます。
まずひとつは、イエス・キリストの犠牲の意義の大きさであり
もうひとつは、それが弟子たちによってキリスト教への転換点をもたらしたということです。

その犠牲が人類を救うためには、キリストと成り得たイエスには『罪』があってはならず、それゆえアダムの子孫として生まれることはできません。こうした事柄が処女懐胎の奇跡の背後にあり、それらは、イエスという人物が徒ならぬものであり、神の計画の下に現れた方であることを指し示しています。

そして、その犠牲に基づいて行われた一連の事柄(秘儀)は依然として結末に至っていません。
つまり、アブラハムの子孫によって世界の人々が祝福を得るという創世記に示された大いなる約束の結末です。
それはなお、旧約聖書のダニエル書や新約聖書のヨハネ黙示録に書かれた事柄が意味をもってくる「終わりの日」または「終末」に期待されるべき事柄です。

つまり、神から出てキリストの遣わす『聖霊』が地上に存在しない今、依然として聖書の言う「終末」には至ってはいませんので、新約聖書が書かれてなお、神の人類救出の歩みはなお途上にあるのです。

それを多くのキリスト教徒は、何らかの仕方で、バプテスマを受ければ救われたと見なしてしまっていますが、アブラハムへの約束に見られる人類全体への救いからすれば、それは何と狭い見方なのでしょう。神の目的は「信者だけの救い」ではないのです。
大半のキリスト教徒は新約聖書の中だけで様々な事柄を知ろうとするので、そうなってしまうのでしょう。

もちろん、新約聖書なくして聖書の教えを理解することはできません。
ですが、この部分だけで全体を知ることは到底無理なことで、新約聖書に入る前のユダヤ人と律法契約との関係を知らなければ、「救い」という一言を考えても、何がどう救いなのかが分からないでしょうし、実際、多くの教会員もキリスト教徒も自分が救われる利己心に固執し、単なるご利益信仰に陥っていますが、それはキリストの自己犠牲の精神に沿うものではありません。

新約聖書を読むことで、キリストの宣教の姿や弟子たちによるその広がりを知ることはできるでしょう。しかし、それは一部分であり、神の意図という巨大な壁画の前にあっては、その一部は見ても全体の姿を見てはいないようなものです。

そこで問われるのは、本当に神の意図を理解しようと願うかどうかということになるでしょう。

聖書は誰でもどのようにでも読むことはできますし、それはもちろん自由です。
ある人は好奇心やインテリジェンスを向上させる目的で読み始め、またある人は自分の信じている教理の裏づけを探し、ほかのある人は心に響くような美しい言葉を捜して読むのでしょう。信徒であれば通読回数を上げて誇ることが目的にすることはよく見られる愚行ですし、あるいは信徒でなくても、キリスト教の結婚式を挙げるので少しでも読んでおくよう言われたかも知れません。 それはどのようにもできることです。

ですが、書き手はそれなりの意図をもって書いたに違いなく、まずその意図を知ってからでなければ、書き手と読み手の意識に違いが生じます。もちろん、神の意図を余すところ無く知る人は居ないでしょう。
しかし、最初から自分中心に読むなら、それは神を知ろうとはしていないのと同じでしょう。

神の意志を真摯に理解したいと願うのであれば、是非とも聖書の全巻を行き巡り、ご利益よりは神の意図を見出そうと謙虚に願わなくてはなりません。無心に己を捨てて読み続けるなら、書き手とはじめて通じることになるでしょう。

その努力は報われます。こう言うのは他ならぬイエス自身です。
『求めなさい、そうすれば与えられます。捜しなさい、そうすれば見つかります。たたきなさい、そうすれば開かれます。』





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