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主の晩餐 4月7日 2020年のパスカ

2020.03.12 (Thu)

『主の晩餐』


キリストが直接に行うよう命じられた定期儀礼には、唯一、この『主の晩餐』があるばかりですので、キリスト教に於ける最も重要な催しとされるのはもっともなことです。

エルサレムの神殿が失われて以来、神への「崇拝」や「礼拝」と確かに呼べるものは、今日この儀礼を置いて他にありません。

キリストの犠牲によって律法祭祀はまったく充足された状態に入っていますので、新たなメルキゼデクの様式の大祭司と成られたキリストは、従属の祭司らに相当する『神のイスラエル』に選ばれた聖徒らを贖う祭祀を天から執り行い、あの五旬節の日に最初の贖罪にガリラヤの弟子たち120名ほどが預かっています。

ダニエル書によれば、メシアは登場の『週の半ばで供え物と犠牲を絶えさせ』、三年半の肉の人としての活動を終えられましたが、その『週』、つまり第七十週の半分が未だに『契約を固く保つ』期間として残しています。(ダニエル9章)

復活を受けた後、第二世紀辺りまで聖霊の注ぎは継続して、それは新約聖書をもたらし、聖霊注がれた人々の精錬も行われ、生涯を聖霊の注ぎに相応しく『新しい契約』を全うする期間ともなりました。
しかし、その時期が終わると、聖霊は引き上げられ、キリスト教からは奇跡も知識も去り、やがて世との妥協が成立して、迫害もない大衆化したご利益信仰と、異教の崇拝の混濁する今日の一般的な「キリスト教」の基礎が据えられ、そこから枝を伸ばした「キリスト教」が今日までの趨勢を形作ってきました。

ユダヤの『過越し』の場に行われた『主の晩餐』も、キリスト教会では主の復活のあった「目出度い」日曜日に入れ替えられ、晩餐であったものが昼夜を問わず行われるようになり、出エジプトの可能となった夜の、旅立ちの支度の内に急いで焼いた無酵母パンの故事も、キリストの罪のない御体を表す意味もない、酵母の入ったただのパンでも許されるまでに『主の晩餐』は汚されてきたものです。

しかし、『主の晩餐』こそは、今日「崇拝」として行える唯一の定期儀礼であることに変わりはなく、それは出エジプトとキリストの双方の『過越し』を指し示すべきものであることはまったく明らかなことです。(コリント第一5:7)

そこで、エジプトからの出立が決まった夜を記念する『過越し』の食事儀礼「セデル」と、ユダヤ暦に於いて日を同じくし、その基礎の上に築かれた『主の晩餐』とは、予型と対型を成しており、それをおろそかにする理由などありません。
然もなければ、聖霊が去った後のキリスト教界の轍を踏むばかりでしかないでしょう。

エジプトの奴隷状態から解放されたその夜での食事は、他ならぬイスラエルの聖なる神YHWHの指示の下に、各家庭で一頭の子羊か子山羊が事前に用意され、それを家族を中心にそれぞれの肉の分量に応じて集まった中で食事がなされています。

それはイエスと十二使徒らの会食の規模に等しいのですが、但し、コリント人への第一の書簡には、その第11章の中で、エクレシアとして集まってこの儀礼を行っていたことを知らせる文面も記されています。(11:20)

ユダヤ教では、男子10名以上が集まるなら、それを公けのもの(ミンヤン)と認めますが、『過越し』のセデルは各家庭で行っており、イエスの最後の晩餐にもイスカリオテのユダを含んで男子13名で形式上は公けのものと言うことはできます。

しかし、キリストの『主の晩餐』については、セデルに男子の数の規定がない以上、人数の指示はないと見てよいでしょう。
このキリスト教の儀礼がユダヤ教から見て公のものかどうかの規準を当てはめる必要性は薄いものです。ユダヤ教でのセデルは各家庭で食されてきたからです。まさしくキリストの一行はその「過越」の食事するために集まっていたのであり、そこには一頭の羊の肉を食するに良い人数と、新たな儀礼のための一枚のパンを分けるに良い人数との都合があってのこと、また出エジプトの時には、ファラオの支配下からの家財道具を持っての出立では、家族単位に便宜があり、イスラエル人とエジプト人との分かちをはっきりとさせる戸柱と鴨井への塗血の印の残像もあったことでしょう。

加えて、『主の晩餐』としてこれを見る場合、儀礼に与った使徒は、キリストの最初の兄弟たちとしての集合体であり、『イスラエルの十二部族を裁く』という、聖徒の中でも先駆けの立場を占める者でありました。彼らについてのみ、天界での二度目の晩餐に与る理由もあるでしょう。
しかし、今日のペサハに於いては、使徒ではなく、聖徒の現れを待つ以上のものではありません。
この儀礼が『主の死を告知する』ものとなるにせよ、性格に於いて宣教の延長とは言えませんし、聖徒の現れていない現状では更にそのように言えるでしょう。

以上に鑑み、集まりの規模を家庭か公けかと決めることについては柔軟で良いように思えます。
その理由の一つには、終末に地上での最後の『主の晩餐』が行われる事を想定すると、儀礼の表象に与る聖徒らに迫害の追手があるかも知れず、かつては、まさに十二人の一人に裏切る者が居た状況で、イエスはその場所をその時までペテロとヨハネ以外にはお示しになりませんでした。ましてや目立つ仕方で集まって祭司長派らに居場所を知らせることなどあろうはずもなく、使徒ら以外の誰をも交えもしなかったのであれば、終末に同様の状況が生じないとも言えません。ただ、信徒らには、その宴席を設えて介助をする役割が残る可能性はあるでしょう。いずれにせよ、不純な動機の者が、その聖なる場を掻き乱すことは避けられねばなりません。

さて、昨年末に中国武漢から発生し、今やパンデミックを認定された新手の疫病の影響下に在っても、上記のような人数での融通性は、希少で神聖たるべき儀礼を保護することにも貢献するでしょう。

もちろん、新十四日派がどんなに集まろうにも、昨年などは二桁の人数にさえ届かず、何らの不都合もないところではあります。
人数が少ない方が良いというのではありませんが、この儀礼については、無理に然程の関心も、その意味もほとんど理解しない人にわざわざ声をかけるまでもないように思えます。

『主の晩餐』が、キリストとその共同相続者らとの関わりを第一とする厳粛なものであれば、我々は場を設ける下働きはしても邪魔はしない陪席者であるべきでしょう。(ルカ12:35)
ましてや、祝賀パーティーのようであってはキリスト教界の轍を踏むばかりです。

その目的とするところは、『聖霊』の再降下を望みつつ待つことにあり、それによって終末という時代を迎え、いよいよ聖なる民イスラエルがこの世を過ぎ越し、天界で『神の王国』を打ち建てるという神の偉業が達成されるに至ることを信じる者が終末以前の地上に居ることを示すことにあります。(ルカ18:8)


本年2020年は4月7日(火)の日没から、ユダヤ暦ニサン14日となり、かつてユダヤ教の宗教家らとの『無酵母パンの祭り』を控えた対立の中で、メシアの犠牲の死に基き、極めて貴重で新たな祭礼が示された同日を迎えます。

ご同意頂ける方々と共に、今年も『キリストの過越し』を共にできることを念願しております。
7日の日没後にこの儀礼を行われた方には、ご連絡をお願いします。


無酵母パンの製法については⇒こちらを
赤葡萄酒は混じり気のなく、添加物の少ないものが良いでしょう。

祭礼の式次第のようなものは残されていませんが、表象物を前にしばらくの時間を過ごされますように
聖書を朗読することや、祈りを以ってパンを割き、祈りを以って葡萄酒を注ぐことも良いように思います。

聖書の朗読に適した箇所は、ヨハネ福音書の14章から17章の任意の箇所が良いでしょう。
第二世紀の小アジア(現トルコ西部)の十四日派は、晩年の使徒ヨハネの薫陶を受けており、ニサン十四日に晩餐として聖餐をとる習慣は特に小アジアに定着していたことが知られています。

聖霊が降下していたその頃と、次にその降り注ぎが起るに違いない終末との架け橋となること、それが「新十四日派」の最重要な務めであると考えます。
それはつまり、到来する聖徒らを迎えるために、黎明から起き出す『シオン』、諸国を闇が覆う終末であっても神の栄光を反映して輝き出す信徒の群れとなることを意味しています。
聖徒らは、地の四方から集められ、同時多発的に『一日にして国民が生み出される』かのように現れ、世界は終末に入ることになるのでしょう。
そうなれば、永い沈黙の後にメシアが現れたように、様々な聖書の封印された記述が現実となって動き出します。
今日、この儀礼を守る当派信徒が、聖徒の先駆けとなるか否かは未だ謎ではありますが、万一にも「荒野から叫ぶ声」とされるとすれば、それに優る光栄が何かほかにあるでしょうか。

聖書に記された神の業の偉大な実績と、その変わらぬ善意の悠久さからすれば、その預言された経綸の歩みは否定できるようなものではなく、次なる神の一歩は誰も留め得ないものであるのです。
そうであれば、抗う理由などがあるでしょうか?

『主の晩餐』を行わなかったからと言って救われないわけではなく、行ったからと言って救われるということもなく
時間に余裕があるから行うわけでも、忙しいから行わないわけでもありません。
ただ、偉大なる神とキリストへの畏敬に圧倒され、感化を受けるばかりです。



 エイレナイオス


当夜に『主の晩餐』を挙行なさった方々からのご連絡をお待ちしております
こちらのコメント機能もご利用でき匿名設定も可能ですが、人数、都道府県などお知らせ頂きますようお願い申し上げます


4月10日までに通知頂いた挙行は以下の通り
東京都1ヶ所1名
青森県1ヶ所1名
千葉県1ヶ所1名
茨城県1ヶ所1名

 計 4ヶ所 4名

他に事情あり挙行数に含まれない1件1名有






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