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ペテロに託された鍵

2019.12.15 (Sun)

ペテロに託された鍵
マタイ16:18-19



イエスと使徒たちとはガリラヤ湖を船で渡り北側の岸辺のベツサイダの土地に入り、目の見えなくなっていた男を癒して後に、一行は北に向かって進み、当時カエサレア=フィリピと呼ばれていた、パレスチナの北部にあってなだらかな丘陵とヨルダン川の水源のある高原地方に入られました。

福音書に記された内容の整合する箇所を合わせると、時期は西暦32年の春と秋の間の事であったようですが、もし、そうであれば、この時期になると、イエスはユダの体制派の殺意から、南方のユダヤを巡回することをすでに避けています。
加えてガリラヤでは、捕縛されていたバプテストのヨハネの処刑が前の年に行われているこの段階で、遣わされたメシアを受け入れないユダヤ体制の趨勢は、ほぼ見えてきています。

さて、「カエサレア」といえば、地中海沿いの南にヘロデ大王の築いた立派な港があり、そこは皇帝(カエサル)に献じられローマの総督の館がありましたが、この『ペテロへの鍵』の例えが語られる場面の「カエサレア」は、当時イツリアとテラコニティスというイスラエルの北側を領有していたヘロデ・フィリッポスの名を続けて「カエサレア=フィリピ」とされた由来があり、海と山の南北二つのカエサレアは60kmほど隔たっています。
フィリッポスはヘロデ大王の息子のひとりで、皇帝により当時のユダエア四分封領主とされて、この高原の都市に手を入れたので、街に磨きをかけ、感謝を込めて当時の皇帝ティベリウスに献じ、カエサルに敬意を表しつつも自分の名の続けて港湾都市カエサレアと区別し、その名前で呼んでいたのです。
ですから、改装された当時に街はヘレニズム風に真新しく、人々はエルサレムとは異なり、因習にとらわれず、良いものを何でも認める進取の精神があったことでしょう。

この土地の北側からはさほどの距離を置かずにヘルモンの山並みが始まるので、キリストの宣教も北の端まで来たことになります。
ここを舞台にイエスの公生涯も残り一年未満となり、最後の仕上げに掛かるようなことがありました。
その中には、ペテロのイエスへの「メシア信仰の告白」、彼への『天の王国の鍵』の付託、そして「山上での変貌」があります。


◆ペテロという最初の石
さて、一行がその土地に入られたのは初めてだったのでしょうか。
イエスは使徒たちに、人々がご自分をどんな者と思っているのかを尋ねられます。
すでに亡くなったバプテスマのヨハネの生き返りと思う人もいたようで、これがガリラヤを支配した領主で彼を処刑したことを半ば悔やんでいたヘロデ・アンティパスの、イエスが復活のヨハネであるとの想念に影響していたのかも知れません。(ルカ9:7)
そのほかにはマラキの預言で再来が約束されていた古代の預言者エリヤであると言う人もあれば、イスラエルの体制を糾弾した預言者エレミヤではないかと思う人もあったことを使徒たちが伝えます。しかし、メシアだと言い表したとは告げられません。

そこでイエスが使徒たちに『それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか』と尋ねられると、即座にペテロが『あなたはメシア、生ける神の子です』と答えたのです。(マタイ16:16/ルカ9:18-20)
もちろんその通りのことであることは、新約聖書を読める後代の人なら自明のことではあります。
しかし、『自分がその者だ』と言わず、一向に王になる様子を見せず、ご自分のことを周囲に明らかにしない姿勢を保ち続けたイエスというナザレ村からの質素な身なりの人に向かって、「あなたはメシアだ」、ということにどれほど確信と勇気が必要であったことでしょうか。イザヤ書はメシアをダヴィデのような英傑王、ソロモンのような平和の君と記していたのです。

ですから、そこは神もイエスご自身も、人々に自発的な「メシア信仰」を求めたことが明らかです。
そのため、イエスに『他の人を待つべきでしょうか』と尋ねてきたバプテストのヨハネにさえ、ご自身がメシアであるとは言われませんでした。それは、神が人に求める信仰というものが、どれほど自発的なものであるべきかを教えるものといえるでしょう。(ルカ7:22-23)

この数か月前のこと、群衆はパンと魚の給食をされて後、イエスを『来ることが定められた預言者だ』と言っては、王に担ぎ出そうとしていましたが、ご自分の王国が俗世のものでない以上、この群衆の思うようにさせるわけにはゆきません。そこでイエスは群衆を躓かせる発言『わたしの肉を食し、血を飲まなければ』によって彼らをカペルナウムで霧散させています。(ヨハネ6章)
その一方でペテロは、一向に王になろうとしないイエスを見限ることなく『わたしたちは、あなたが神の聖なる方であることを信じ、また知っています』とイエスにその忠節さを語ってはいましたが、「メシア」とまで踏み込んだ発言は記されていません。

そして、カエサレア・フィリピで遂にペテロがユダヤ人の中からメシア信仰をはっきりと言い表します。後に使徒に加わったパウロが教えたように『人は信仰によって義とされる』ということからすれば、ご自分を明かさない主へのペテロの一言は非常に重い価値を持つものであったことでしょう。パウロが『人は心に信仰を働かせて義とされ、口からの宣言をもって救いに至る』と教えたように、その一言はペテロの義と救いを形作る信仰の宣言であったと言えるからです。(ローマ3:28/10:10)

そこでイエスはペテロの一言の価値を賞します。
『ヨナの子シモンよ、あなたは幸いだ。あなたにこのことを啓示したのは、人間ではなくわたしの天の父だからだ。』
ペテロは人からの権威によってではなく、イエスを間近に見たうえで神の証しを信じ、そこにキリストを見出していました。こうしてイエスは、ご自身をメシアと認める信仰者を得始めることなったのです。(ヨハネ第一5:10)

そして、メシア信仰を言い表わされたイエスはペテロに語ります。
『わたしもあなたに言おう。あなたはペテロ(石)である。そして、わたしはこの岩(ペトラ)の上にわたしのエクレシア(民会)を建てよう。ハデース(墓)の門もそれに打ち勝つことはない。』

『エクレシア』というのは、都市国家の議会を表すギリシア語で、ヘブライ語では「カハル」または「エダー」つまり「集まり」に相当します。キリストの言われる『エクレシア』は、『天の王国』を受継ぐ「アブラハムの裔の集まり」を意味します。しかし、このときに、その「集まり」はまだ建てられていませんでした。
ですから、このペテロの言葉は素晴らしい事柄の幕開けというべきでしょう。
イエス・キリストという岩盤の上に載るペテロという「石」が史上初めて登場したのですから。

ペテロに続いてキリストの上に積み上げられる石の数々は、最終的に天界の神殿を築き上げることになります。
その石となる人々はキリストを介した『第一の復活』に預かるため、ハデース(墓)もそれらの魂を明け渡さねばならなくなり、あらゆる人々を取り込んできたその門といえども彼らを留めることはできず、主の『声を聞いて出てくる時が来ようとささています』。(ヨハネ5:25-29)

確かに、ペテロは後にこう書いています。
『主は、人には捨てられたが、神にとっては選ばれた尊い生ける石なのです。
あなたがたもこの主の御許に来て、それぞれ生ける石となって霊の家(神殿)に築き上げられ、イエス・キリストにより聖なる祭司となって、神に喜ばれる霊の犠牲を捧げなさい。』(ペテロ第一2:4-5)

キリスト・イエスへの信仰により、こうして『生ける石』たちが『隅の親石』であるイエスの上に集められつつ、その全体集会のエクレシア(招会)が栄光の復活を通し死をも乗り越えて神殿を完成する日を迎えること、それが聖書に流れる神の変わらぬ意志、また成就されるべき奥義であり、その「天の神殿」こそが、アブラハムに約束された「全人類の祝福」となるのです。

イエスがペテロ、つまりアンデレの兄弟であるヨハナンの子シメオンに最初に会ったその日から、彼をアラム語で岩を意味する「キーファ」と呼び、それがギリシア語のペトロス、つまりペテロという渾名で呼ばれるきっかけを作ったのも、その先見があってのことでしょう。(ヨハネ1:42)


◆王国の鍵を授かる
人類を祝福する「天の神殿」、また『神の王国』の土台石であるイエスと、その上に組み上げられる石たちについての希望が現実となり始めた今、イエスは最初の石であることを表したペテロに一つの権威を授けます。
『わたしはあなたに天の王国の鍵を授ける。あなたが地上でつなぐことは天上でもつながれる。あなたが地上で解くことは天上でも解かれる。』(マタイ16:19)

この『つなぐ』ことと『解く』こととは、ヘブライ語の用法で言えば『つなぐ』とは制限すること、つまり鍵として言えば封印することであり、『解く』とは扉を開けることを意味するとされます。
ペテロが授かった権威は、天でキリストと共になり『祭司の王国、聖なる国民』として『天の王国』に築き上げられる『生ける石』となる人々を集めることに於いての権威であることは文脈を通して示されています。
これほどの権威を、未だ聖霊を注がれていない人として事前に受けるのは非常に異例なことで、それこそはペテロのメシア信仰の表明がもたらした結果であったのでしょう。

そして、この一件を境に、イエスはご自分がエルサレムで、長老、祭司長、律法学者たちから多くの苦しみを受けて殺され、三日目に復活するという受難が待ち構えていることを弟子たちに明かされるようになりました。

しかし、その直前の言葉に気持が大きくなってしまったのか、ペテロがなんと自分の師を傍らに引いてゆき『主よ、とんでもないことです。そんなことがあるはずはございません』と諫め始めたのでした。
このとき、ペテロはキリストの受難と復活が人類を世から救う神の王国を完成するのに欠かせないことは理解しておらず、普通の人間らしくイエスの身を案じたのでしょう。そこにはペテロが師に対してただ畏敬するだけでなく、強い親愛の情をも懐いていたことも窺えます。

ですが、そのようにイエスの言葉を否定する方がよほどにとんでもないことであったのです。
イエスは、弟子たちの方を向いて『サタンよ引き下がれ。わたしの邪魔をする者だ。お前は神のことを思わないで、人の考えを懐いている』と叱責されます。
誉められたばかりのペテロはなんとも罰が悪かったことでしょう。

しかし、これが直前に王国の鍵を授かったペテロの失態であったので、他の使徒らの誰かがこのような発言をしていたなら、その使徒ばかりがひどい悪評に曝されずに済んだと言えるかも知れません。
ともあれ彼らは、師の殉教と復活についての発言に印象を深めたことでしょう。それは、古代に独り子イサクを犠牲にすることに同意したアブラハムを『我が友』と呼ばれた、かのイエスの天の父であられる神の覆すことのできないご意志であったのです。
それでも使徒たちは師の受難についてはっきりと分かってはおらず、翌春に主が最後のエルサレム訪問されるに至ってさえ、いよいよ「王国』の到来を見るものと思い込んでいたのです。


◆第一の鍵を用いるペテロ
ペテロがどのように師から預かった鍵を用いたかについては、新教系諸教会で長らく言われてきたように、あのペンテコステの祭りの朝以来、聖霊を注がれる人々がもたらされるところでペテロの姿が見られ、それを以ってペテロが王国の鍵を解き、人々を『天の王国』を構成する数々の『石』が採られる民族をユダヤばかりでなく、諸国民までに広げていったという理解はまず間違いがないでしょう。

つまり、ペンテコステの朝にエルサレムにイエスに従っていた120人に第一に聖霊が注がれ、祭りに来ていた外地のユダヤ人を中心としてすぐに聖霊を受ける人々の輪が拡大を始めています。
バプテストのヨハネも、彼の後に来られるメシアはユダヤ人らに『聖霊と火とによってバプテスマを施される』と予告していた通りに、メシア信仰に達した弟子たちには聖霊のバプテスマが開始され、史上初めて『新しい契約』に入った人々が現れています。

ペテロは、異言を口々に語る仲間たちの中から他の使徒らと共に立ち上り、集まって来た各地からの同朋に向け、起こっていることはヨエルの預言の成就であり、神は数多くの奇跡によってナザレ人イエスに証しをされたにも関わらず、ユダヤ人たちは律法に従わない異邦人にそのメシアを殺させてしまったことを知らせます。
このイエスを神は復活させ、ペテロたちはそれを証しする者たちであり、今やイエスは神の右に高められ、約束の聖霊を父から受けたので、彼らの頭の上には火のように見える舌があって、異言を口々にしている姿を今見ているのだということを宣言しました。

これは彼の身分であるガリラヤの漁師を超えた見事な宣告の言葉であり、この最初の聖霊の注ぎの場にあってペテロの存在は格別のものであったと言えるものです。

こうして聖霊を注がれるユダヤ人の弟子たちの増加が始まって、祭りの後もエルサレムに留まった人々を含めて一つの共同体が形成され、地元の人々は外地からの同朋の生活を支え、家々で食事を共にし、日毎に神殿に上っては祈りの日々を過ごしていました。
彼らは『契約の子ら』つまりユダヤ人であり、依然として律法を守る生活習慣は特に変わるところはありませんでした。それでも、この五旬節の祭りの朝は、キリストを仲介者とする『新しい契約』の始まりを見た日となり、真のアブラハムの裔が集められ始めた転換点となったという、きわめて重要な日、「キリスト教の原点」となったのです。

しかし、ペテロは王国の鍵を解いて人々を招じ入れるばかりではなかったと言える事件が起こっています。
新たな信仰を見出し、祭りの後も逗留を続けていた外地の人々の生活を支えるなど、共同体の維持のために仲間たちは自分の持っているものを売り、その資金を使徒たちに託してもいたのですが、その仲間たちの中から功名心に駆られたアナニアとサフィラという夫婦が共に謀って、自分たちの持っていた畑の代価の全額を寄付したことにしていたのです。

そのような寄付は、強要されたものでもなく、売らずにおこうと、代金の一部を取っておこうと自由であったのですが、全部を与えたということでの人々からの称賛を望み、一部は自分たちのものとしながらも全額を託したと夫婦で唱えた悪だくみのために、その日の内に偽りを指摘された夫婦が相次いで倒れて息を引き取るということがあったのです。

この偽善を指摘し、裁きの宣告を下したのがペテロであり『サタンが厚顔にならせて、聖霊に対して虚偽の振る舞いをさせた』と二人を批難しています。
このような悪だくみなら、俗世ではまま見られるような事ではありますが、聖霊を注がれメシアを通して『聖なる者』とされた者としては、聖霊を欺こうとした以上、聖霊への冒涜であるばかりが、キリストの犠牲の到達した義に照らしても、天から地の人々の罪の贖いを行う立場に相応しいわけがありません。

聖霊を侮った夫婦はペテロの言葉の下に倒れて息を引き取ったことは、その二人の前に『天の王国』の鍵を閉じたということでしょう。
そうしてエルサレムでイエスをメシアと信じる人々の群れが清く保たれるべき重い教訓を学ぶことになったのです。(使徒5章)

さて一方、イエスの殺害に関わったユダヤ体制派の指導者らは、このグループに敵対し、使徒たちを呼び出したり、逮捕したりしては、イエスの名によって語ることを禁じ、また鞭打ったり、牢獄につないだりするのですが、聖霊はイエスの行った奇跡の業を使徒らにも与えて、そこに難病を癒された人も居るので反対するにも難儀します。
そのうえ、牢獄につないだ筈の使徒たちも、次の朝には何事もなかったかのように神殿で人々を教えているのを彼らは目にすることになります。

それでも、宗教家らしく偏狭なユダヤの指導層がこの『ナザレの一派』の反感や怒りを解くことはありません。
その鬱積した感情は、外地から来てイエスに信仰を働かせたステファノを捕えて殺害したことをきっかけに暴発するに至りました。
エルサレムで一つの共同体を営んでいた弟子たちは、エルサレムから散り散りになって各地に拡散してゆき、もとから住んでいた外国の居留地に戻る人々、また難を逃れて別の街に行く人々のそれぞれがイエスの福音を携えて行きましたから、そうしてエルサレムの迫害は結果として宣教の拡大ともなるのでした。



◆二度目に鍵を用いる
そのような状況で、聖霊を注がれた一人であるフィリッポは、エルサレムの北西に位置するサマリアに遣わされ、当地で奇跡を行いつつ、イエスの福音を伝えましたが、以前にイエスご自身がサマリアを幾らか宣教し耕されていたこともあって、その反応は良く、エルサレムの使徒たちはサマリアがイエスを受け入れたとの知らせを受け取ることになりました。

そこで遣わされたのがペテロとヨハネであり、やはりサマリアでもペテロと聖霊の注ぎとが関わりを持っています。

当時のサマリアといえば、ユダヤ人との仲が良いとはとても言えません。
共にモーセの律法を守り、割礼を受ける習慣も持つ両者ではありましたが、その崇拝方式は幾分かは異なっていましたので、そこは律法について極端な厳格さを誇っていた当時のユダヤ人にとって、サマリアといえば、今日のキリスト教会が「異端」と呼んでいるような、似てはいても間違っていて危険な分派を忌避するようなところがあったのです。

実際、サマリア人にはエルサレム神殿への入域が禁止されており、頑なユダヤ人の中には「サマリア人には永遠の命を与えないでください」と公に祈っていたというのですから、イエスの弟子たちとはいえ、エルサレム神殿が健在でその祭祀が続いている中でサマリア人がイエスを受け入れたことには、宣教の意外な方向への進展を感じられるところがあったでしょう。

サマリアに向かったペテロらが、すでにイエスの名による水のバプテスマを受けていた人々の頭の上に両手を置いてゆくと、やはりサマリアの人々にも聖霊が注がれ始めたのでした。

こうして『契約の子ら』であるユダヤ人に様々な意味で近いサマリアとはいえ、避けるべき別の宗教の信者とユダヤに見下されていた彼らにも『天の王国』の一員となる道が聖霊を通して開かれましたが、やはりその場面にも使徒ペテロが関わっています。

しかし、ここでも『神の王国』には相応しくない者が混じっていました。
その男はペテロの本名と同じくシモンと言いましたが、性格ではまったく異なっています。
福音を宣明していたフィリッポが行う超自然の印の方にばかり強い関心を持っていたのです。
彼はもとより魔術師であり、フィリッポが来る以前からサマリアで不思議を行い、少なからず自分の信者を得てはいたのですが、そこに聖霊を注がれたフィリッポが到着し、彼を超える印を見せるものですから、このシモン自身も驚き入ってしまい、サマリアの人々と共に自分もバプテスマを受けてフィリッポの後をついて回り、神からの奇跡の印に驚嘆していたといいます。(使徒8章)

サマリアで多くの人々が水のバプテスマを受けて転向してきたことを聞いてやってきたペテロたちが、聖霊を授かるよう人々に按手しているのを見たこのシモンは、自分も使徒たちのように按手して人に聖霊を下らせることを望んで『そのような力を、わたしにも与えてください』と言って金子を差し出してきたのでした。そこはやはり魔術師なのでしょうか。

しかし、この人物はメシアの教えを何だと思っていたのでしょう。人類を救い出し神の栄光に至らせるキリストの犠牲の死によって初めて到来した計り知れぬほどに貴重な聖霊を与える権威などが金で買えると思ったその言動がこの男の内面を暴いてしまいました。
この人物の関心の的は超自然な事柄そのものであり、神のご意志でもキリストの王国でもないのです。

即座にペテロは『その銀と一緒にお前も滅んでしまえ、神の無償のものを金で手に入れようと思ったのだから』。と拒絶し、『お前にその受け分も何の権威もない。お前の心は神に対してまっすぐではないからだ。』『お前にはまだ苦い胆汁があり、不義の縄目が絡みついている。それがわたしには見えるのだ』。
ペテロがこれほどひどく怒った言葉を吐く記述はほかに見当たりません。
シモンは『仰せのような事が、わたしの身に起らないように、どうぞ、わたしのために主に祈って下さい』と言って引き下がりましたが、この男がその場で死ななかったのはアナニアとサフィラのように聖霊までは注がれていなかった事でまだ許されたのでしょう。この男に聖霊が下ったとは書かれておりません。彼に降っていたのは別の霊、つまり悪霊だったのではないでしょうか。

やはり、この人物はその後も魔術師であり続けたらしく、伝承では「シモン・マグス」(魔術師シモン)と呼ばれ、その後は奇怪な教説を編み出して宗教教祖となり、愛人たちを引き連れ帝国の各地で魔術を行ってはキリスト教の邪魔となっていたと伝えられています。
当然の事ですが、このような人物が『神の王国』に入れるわけもありません。ペテロは王国の鍵を用いてサマリア人をも招じ入れると共に、相応しくない分子を締め出し、このような者が入り込むことのないように鍵を閉め、『つないで』もいた姿がここに見られます。

それでも、キリスト教の周辺には今日でもオカルト的な事ばかり強い関心を持つ人々が居るという点では、昔も今も変わらないようです。
聖書の言葉をその意味の通りではなく、隠された別の言葉として読んだり、黙示録や終末ばかりに関心が傾いていたり、年代を計算して神の行動を予測できると考えた教え手がもてはやされ、信者を集めるという現象は、キリスト教の近くに常にまとわりついて来た現象ですが、その『苦い胆汁』や『不義の縄目』もやがて人々に露見されるところとなるでしょう。


◆三度目に鍵を用いるために遣わされる
さて、パレスチナの海岸線には砂浜が続き、古来、港と言えばエルサレムの西に位置するヨッパ港(現テルアヴィヴ)くらいで、北方のフェニキア商人の貿易船はヨッパまでの間で不都合な南西風を受けると退避港が無いので、沖合で投錨してやり過ごす以外になかったということです。

ヨセフスによれば、そこでヘロデ大王は「ストラトンの塔」と呼ばれていた寒村の地形に可能性を見て、ここに白い石造りで贅を尽くしたヘレニズム風の港と良く整った街を設けることにしました。歴史家によれば、完成したのはイエスの誕生の数年前とのことで、ヘロデ大王は間もなく亡くなり、その息子のアルケラオスがユダヤ統治権を一度は受けましたが、やがて統治権を剥奪されユダヤがローマ直轄領となると共に、このカエサレアにはローマのユダヤ知事の官邸が置かれ、守備隊の常駐する沿岸有数の港湾都市となっていました。その街の名はヘロデにユダヤの統治権を許した皇帝(カエサル)に敬意と感謝を表して「カエサレア」と名付けられましたが、これは前出のカエサレア・フィリピとは海と山ほどに違います。

さて、このカエサレアに駐屯するイタリア隊という部隊にコルネリオという士官が赴任しており、この人物はユダヤ教に信仰を持ち、ユダヤ人からは『神を畏れる者』(フォボメノス)という、未だ割礼を受けず、正式には「改宗者」とまではなっていないものの、ユダヤ人の神への篤い敬神の念を懐く異邦人と見做されていました。(使徒10章)

彼が祈りを捧げていると、そこに天使が現れ彼を呼ぶと、『ヨッパに人をやってペテロという人物を呼びなさい』と言うのです。
そこで早速に執事二人に信仰ある兵士一名を添えてヨッパに遣わしました。

その翌日、ペテロは港湾都市ヨッパで海沿いにある皮なめし工の家の屋上に居て、階下で昼食が準備されているのを待っていましたが、空腹を感じているうちに恍惚として幻を見始めます。

四隅を吊るされた大きな布のような入れ物が天から降ろされてくると、その中には、地上の四つ足や這うもの、また空の鳥などが入っていましたが、それらは律法が食することを禁じた『汚れたもの』であったのです。
そこに声がして『ペテロよ、身を起こし、屠って食べよ』と言われますが、そこはユダヤ教徒の常識として『主よ、とんでもないことです。わたしは今までに清くないもの、汚れたものは、何一つ食べていません』。と答えます。
この問答が三度繰り返されると、その布のようなものは天に引き上げられて戻ってゆきました。

丁度その時、士官コルネリオが遣わした三人がペテロの宿に到着します。しかし当のペテロは、あの幻はどういうことだったのかと考えているところでした。
使いの者らがペテロの所在を尋ねる声がすると、ペテロに語る霊があって『さあ、彼らと一緒に出かけるがよい。わたしが彼らを遣わしたのだ』と指示されます。

これらの天の介入あってペテロは主の導くままにヨッパからカエサレアに向かい、無割礼の異邦人コルネリオの屋根の下に入るのですが、これは律法が『汚れ』と見做す行いであり、以前にはイエスを自宅にまでは招かずに癒しができるように取り計らった別の士官がいた通りです。(マタイ8:8)

しかし、この度のペテロは違いました。
『あなたがたもご存じのとおり、ユダヤ人が外国人と交際したり訪問したりすることは、律法で禁じられています。けれども、神はわたしにどんな人をも清くない者とか、汚れている者とか言ってはならないとお示しになりました。それで、お招きを受けた時、ためらわずに来たのです』。ヨッパでの幻と霊の言葉に促されたペテロは、カエサレアのローマ人士官の家で、そこに集っていた異邦の人々に対して『天の王国の鍵』を用いるかのように、その訪問によって扉を開くことになり、その場の人々にも聖霊が降り、異言を話して神を賛美し始めたと使徒言行録は伝えています。

これは大きな変化であり、ユダヤ教からすれば有り得ないほどのことでありましたから、当然のようにペテロは後にユダヤ人のイエス信奉者らからの批難に曝されることになります。ユダヤ教にとって無割礼とは古代のカナン人のように残酷で不法な汚れの民を意味しており、天からの火に滅ぼされたソドムとゴモラがその代表のようなものでもありました。そこはユダヤに同じく割礼の民であったサマリアにも及ばないほどの汚れが意識されておりましたから、ここではモーセ以来の肉や血統に基く考え方から、霊の次元での考え方に換えられる大きな変化の機会をキリストの犠牲が拓いていたと言えましょう。

後にパウロは割礼について新たな見地からこう述べています。
『もし割礼を受けるなら、あなたがたにとってキリストは何の役にも立たないことになるのです。
割礼を受ける人のすべてに、もう一度はっきり言います。その人は律法全体を行う義務があります。』(ガラテア5:2-3)

ヨッパでの不思議やカエサレアでの聖霊降下をもってすら、イエス派のユダヤ人信者の懐く律法的常識がなかなか崩されなかった様子が、このような割礼主義を論駁する文面に明らかで、パウロがずっとこうした内容を手紙を書き続けていたところにその根深さが表れています。
生まれた時からモーセの律法を守ってきたユダヤ人にとっては、宗教的良心を簡単に変えることは確かに難しかったことでしょう。
それも、当時はイエスへのメシア信仰をユダヤ教の完成という側面からだけ捉えるユダヤ人の弟子たちが集まりのほとんどを構成していましたので、その中に同じく聖霊を注がれたとは言え、無割礼の諸国民たちを『天の王国』の同朋と見做すには大きな障碍があったのです。

ペテロに託された鍵は、ユダヤ教徒にとってはあまりに革新的な扉を開いていたので、ペテロ自身無割礼の異邦人に聖霊が注がれるのを見た以上『これらの人に水を禁じてバプテスマを施さないことなどできませんでした』と弁明するほどでありました。

神のご意志に基づき、無割礼の異邦人をも『神の王国』に召すという新たな教えを伝え、古来のユダヤ教に示されていた律法を超える点で先頭に立ったのはペテロというよりは、やはり諸国を宣教して異邦人聖徒をも恥じることなく『兄弟』と呼んだ『諸国民への使徒』、即ちタルソス出身のパウロであったことは新約聖書に於いてまったく否定できないことではあります。

しかし、ペテロについては、やはり主イエスと宣教生活を共にした十二使徒の筆頭であり、ユダヤ人もサマリア人もそして無割礼の異邦人にも気を配る牧者であったと言えるでしょう。(ヨハネ21:17)

ペテロ第一の手紙に見られるように、聖徒たちの絆を『兄弟関係』と単数形で語り、それに属する人々全体を愛するようにと彼が各地の弟子たちに書き送ったときには、彼に託された鍵によって広げられた、血統によらない新たな兄弟関係のさまざまな人々を含んで、その全体を気遣う深い善意が感じ取れます。そのようにして彼は任じられた牧者としても行動していたと言えるでしょう。(ペテロ第一2:17)

こうしてペテロの鍵の使用というものを俯瞰すると、キリスト教というものが如何に革新的であったかを思い知らされると共に、人間というものが常に神の経綸についてゆくことが難しく、目の前の真に価値あるものを見抜くのに遅いものであるということも見えます。
それは、神が漸進的に人類の救出の業を行われ、度々大変革が起こるからであり、その謀るところは人間の考えを遥かに超えるものだからなのでしょう。
そしてペテロが託された鍵を用いたことにより、ユダヤ教という一民族の宗教が、キリスト教という世界教へと変貌を遂げることになってゆきました。それこそが彼に鍵を託した主イエスの導きであったのです。

同じように、今日、信者だけの救いを教えている狭く内向きなキリスト教の諸宗派も、いずれ想定を超える神の意志にたじろぎ、また抵抗する日が来ることでしょう。

終末という大変革が予想される時に、人は神のご意志に明敏に反応することができるでしょうか。
ペテロの当時の人々が、その先に何があるのかを知らなかったように、終末の人々も先を尽く知ることはないでしょう。

キリスト教界に属する人々が、終末の変革の時に、慣れた常識や考え方について柔軟さを示せるか否かには、他の人々以上の難しさがあるとしても不思議はありません。
誰にせよ、その時に試されるのは、神の意図なさることへの柔軟な姿勢と、愛や良心という拘りのない純粋な価値観というものではないでしょうか。









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小麦と毒麦の例え

2019.12.11 (Wed)

小麦と毒麦の例え
マタイ13:24-30



 マタイ13章24節を以って始まる「小麦と毒麦の例え」は、マタイ福音書にだけ存在し、「種まき人の例え」の解釈を述べた後にこの例えを語られると、すぐに「からしの木」と「パン種」の例えに移り、その後で群衆は解散させられましたから、この解き明かしの時にまで残ったのは僅かな弟子たちだけであったことになります。
しかし、イエスが解き証しが語られてもなお、この例え話の黙示が解かれたとも言えない難解さが残ります。これは理解すべき相手や時が絞られた終末への秘儀の関わることが暗示される奥深い例えであるのでしょう。

 これらの例えの話された順からすると、「種まき人の例え」で撒かれた四種類の種の中でも、実を結ぶ「良い種」に相当する人々の中から更に選別が進むことを警告していると捉えることが可能で、実際、そのように観ると様々な陳述がそれぞれに焦点を結び始めて内容が鮮明になってくるようなところがあります。

 さて、ユダヤ人を念頭に置いて初めにはヘブライ語で書かれたと伝えられるマタイ福音書では、『神の王国』についてほとんどの箇所で『天の王国』と呼びますが、この「小麦と毒麦の例え話」の主題もやはり『天の王国』です。
 マタイ福音書が「王国」をそのように天のものとした背景には、ユダヤ人の間に浸透していた期待、つまり、来るべきメシアが治める世界を統べ治める覇権大国イスラエルの宿願に対して、ナザレのイエスの説かれる『王国はそのようなものでない』つまり、地上で争い合う世俗国家ではないことをユダヤ人に強調しようとして『天の王国』としたのでしょう。(ヨハネ18:36)

エルサレムに神殿が在った使徒たちの時代に至るまで、イスラエルの男子は、贖罪の日に神殿の聖所の中庭で、贖罪の儀式の終わりに民の贖罪が大祭司から告げられたその時、今では発音が不明となっている神YHWHの御名が語られるや跪拝して『その王国の栄光の御名が定めない時にまで褒め称えられますように』と答唱することを習慣としていたことがタルムードのヨマー篇に記されています。

ですから、イエスの御傍の十二人でさえも、主イエスが地上を去ることなく父祖ダヴィデ王の座を回復し、イスラエルが一つとなってローマ帝国さえも駆逐する強国を築くことを期待していた姿が福音書に散見されるのも、当時のユダヤ人の聖書理解の実情からすれば無理からぬところがあるでしょう。


では、その例え話に耳を傾けてみましょう。
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「天の王国は、このような例えのようだ。
人は自分の畑の中に良い種を撒いた。

しかし、人々の眠っている間に、この人に敵対する者が来て、小麦の間に毒麦(ジザニオン)の種を撒いて去っていった。

草が芽生えて、実ると、そのとき毒麦も現われた。

家の僕らが主人に近づき「ご主人さまが畑にお撒きになったのは良い種ではありませんでしたか?どうして毒麦があるのでしょう?」と訊く。

主人曰く「それは敵対する者がしたことだ」。すると僕らは「私共が行って抜きましょうか?」と言うと
「いや、毒麦を引き抜く際に、小麦も一緒に抜きかねない」。「収穫まで両方とも成長させておき、その時になったら刈る者には、まず毒麦を集め焼くために束ねさせ、次いで小麦を収穫の蔵に納めるために集めさせよう」。

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 以上が例え話であり
 群集を解散させると、イエスは弟子たちの要請にしたがって、その意味するところを語られます。
 
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良い種を撒くのは人の子、つまりキリストである。
畑とは世界であり、良い種は王国の子らであり、毒麦とは邪悪な者の子らであり、それらを撒いたのは悪魔で、収穫は世の秩序の終わる時で、刈る者は天使である。

それで、毒麦が取り集められて火で焼き尽くされるように、世の秩序[アイオーン]の終わり(終焉[シュンテレイア])もそうなる。
人の子は、天使らを遣わして、人をつまずかせる者と不法[アノミアン]を行わせる者らを自らの王国から集め出し、炉の火に投げ込ませるであろう。そこでその者らは泣き悲しみ歯軋りするのである。

それから、義なる者たちは彼らの父の王国で太陽のように輝きわたるであろう。

耳のある者は聴くがよい。
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畑の持ち主に敵意を抱く者が毒草の種を撒き足すようないやがらせが、実際に古代には行われていたとのことで、ローマ法では処罰の対象であったとされます。おそらくは何かの怨みから、他人の収穫を邪魔する行為に及ぶ者がいたのでしょう。
ですが、この毒麦を食すと死亡に至ることもあるというのですから、その分別は命に関わり、ただ雑草を撒かれたということでは済まないほどの敵意が感じられます。

食すことのできないこの中東の毒麦ジザニオンは、実を結んで穂が出るようになるまでは小麦によく似ており、そればかりか小麦と共に根を伸ばして絡み合えば、毒麦だけを選んで抜き去ることは難しいとのことです。
そこが撒いた悪人の狙いでもあるのでしょう。毒麦に混じって小麦も抜いてしまえば畑で予定していた収穫量を減らしてしまえます。

そこで、この例えの中の主人は合理的に判断し、そのままにしておきなさいと命じました。
成長する間、農夫であっても小麦か毒麦かの区別がつかなかったのであれば、多少養分を毒麦に吸い取られていたとしても、収穫の時期になってしまえば、遠慮なくどちらをもバッサリと刈り取ろうが引き抜こうが支障はないでしょう。
穫り入れの時期になれば穂の外見から双方の見分けがつくので、小麦は蔵に納め、食料にならない毒麦の方は竈で煮炊きの火にでも供すればよいわけです。


◆『聖なる者たち』に課せられるもの

さて、イエスは地上の宣教によって良い小麦の収穫を期待しましたが、それは「天の王国」に集められる『アブラハムの裔』の人々のことを語っているのであり、ただ信者を増やそうと宣教を行われていたわけではありません。そのためにキリストの宣教はパレスチナの中だけに限られていたのです。ユダヤ人こそが『契約の子ら』であり、『新しい契約』へと移されるべき正統な権利を持ったアブラハムの嫡流であったのです。(使徒3:24-25)


ですから、キリストに先立って遣わされたバプテストのヨハネが、『わたしの後に来られる方はあなたがたに聖霊と火とでバプテスマを施すであろう』とユダヤ人に向かって予告し、『麦は蔵へ、籾殻の方は消すことのできない火で焼く』と言ったように、現れたキリストは、信仰を働かせたユダヤ人には聖霊を与え、その一方で、頑なに信じず処刑させるまでにしたユダヤ律法体制の方は、後の西暦七十年にエルサレムと神殿と共にローマ軍の攻撃により、完膚なきまでに打ち破られさせて焼かせ、やがてユダヤ人はパレスチナを後に流浪の民となってゆきました。

当時のユダヤに現れて、イスラエルの地で宣教されたキリストが集めていらしたのは『アブラハムの子ら』、つまりご自分と共に相続する王国を構成することになる『聖なる者たち』であり、真実のイスラエルの同朋、『兄弟たち』であったのです。(ローマ8:17・29/ペテロ第一2:4-5)

やがて、イスラエルのイエスへの不信仰により、『聖徒』らは諸国民からも選ばれ始めますが、それはイスラエルの信仰の薄さによる収穫の不足がもたらした補充であり、パウロはそれを『接木』に例えています。そうして使徒以降の宣教は世界へと広がりを見せてゆきました。(ローマ11:17-18)
ですから、この例えは『新しい契約』に与る聖なる者について述べるもので、ただ単に「クリスチャン」の中に区別が生じることなどと考えていれば、いつまでもこの例えの本旨はつかめないでしょう。

この小麦と毒麦の例えの意味を結論から言い表せば、「聖なる者たちの中の分離」を表していると言えます。(使徒20:29-30)
イエスの当時のユダヤがキリストを巡って麦と籾殻に分けられたように、キリスト後に集められた『アブラハムの子ら』、キリストと共なる『聖徒』の一人として一度は選ばれ集められても更なる試みがあり、聖霊を注がれるだけで彼らの立場が確定したわけではないのです。(ルカ13:24)
彼ら『聖徒』は聖霊を注がれてはじめて「キリストの契約」に参与し、イエスと共に王また祭司となるはずの人々ですが、「契約」というものは何事でも不確定な事柄について結ばれるものです。(ペテロ第二3:17)

イエスが御傍の弟子たちに『狭い戸口から入るように努めなさい。まさしく、入ろうとしても入れない人は多い』と言われたのも、『わたしたちの主イエス・キリストが再び来られる時まで、汚点なく、非難されないように戒めを守りなさい』とのパウロの言葉も、キリストを仲介者として聖霊を受けた弟子らが神との契約関係に入り、仮承認された『義』、また『有罪宣告の無い』倫理的状態を、自らの不信仰や不道徳な行いの不忠節によって傷つけ、『主と結ばれた状態』から離れ落ちることのないよう教えています。

ですから、『ひとたび、光を受けて天よりの賜物を味わい、聖霊に預かる者となり、また、神の優れたみ言葉と来るべき世の力とを味わった者たちが、その後に落伍したなら、それは神の御子を自ら磔刑にして、もう一度晒しものにするのであり、二度と悔改めに立ち帰ることはできない。』という言葉は、聖霊を受け、その奇跡の賜物を与えられた『聖徒』が忠節でなくなれば、神との契約関係にあるので、信徒が不行跡を悔い、赦されるようにはゆきません。(ヘブル6:4-6)

このことは、イエスも次のように警告されていた通りです。
『わたしに向かって、「主よ、主よ」と言う者が皆、天の王国に入るわけではなく、わたしの天の父の御心を行う者だけが入るのだ。その日には多くの者が、わたしにむかって「主よ、主よ、わたしたちはあなたの名によって預言したではありませんか。また、あなたの名によって悪霊を追い出し、あなたの名によって多くの力ある業を行ったではありませんか」と言う。そのとき、わたしは彼らにはっきりと言う「あなたがたを全く知らない。不法を働く者どもよ、行ってしまえ」。』(マタイ7:21-23)

まさしく預言を行い、悪霊を祓い、イエスの名によって奇跡の賜物を用いて強力な業を行えるのは聖霊注がれた聖徒をおいて他に考えられません。しかも、イエスを主と呼んでいるのです。彼らはキリストの業を聖霊によって委ねられたのであり、その同じ者が道を踏み外し、不法を行うようであって良いでしょうか。

やはり『多く与えられた者からは多く求められ、多く任せられた者からは更に多く要求される』と言われる以上、キリストと結ばれた『聖なる者たち』には輝かしい栄光と共に重い責任も求められていることは明らかです。
彼らは『自分の磔刑の柱を荷って』主に続き、『体を殺しても、魂を滅ぼせない』ような人間を恐れることがあってはならないとイエスは言われるのです。(マタイ10章)

そこで、聖霊を注がれ、ひとたび契約に入った弟子たちには落伍する恐れがあり、契約の相手に忠節を最後まで尽くすには『狭い門から入るよう懸命に努める』必要が確かにあったのです。(ルカ13:24)


◆弟子たちに注がれた聖霊

例え話の中の主人は、毒麦をそのまま小麦と共に成長させておくようにと働き人たちに命じています。そして『収穫は世の終りの時』であることをイエスは解き明かしています。
そこで、小麦と毒麦とは主人であるキリストが宣教を始めてから以後の歴史をずっと間断なく一続きの成長を続け、遂に世の終末になって二種類の麦、つまり『王国の子ら』と『邪悪な子ら』の選別が行われるものと考えられてきました。
そのような解釈の歴史は古く、カトリック教理の基礎を据えたと言われる西欧キリスト教最大の指導者(教父)「聖アウグスティヌス」も、二種類の麦の生育はキリストが現れてからずっと続いてこの世に終わりの収穫に至るという解釈を、その著「神の国」で展開しています。⇒「神の国」ノート

しかし、カトリックのこの時代以降、聖人伝説は残ってはいても、何が「聖なる者」と「信じる者」とを分けていたのか、また『新しい契約』とはどのようなものかは不明瞭なものとなっていました。そもそも『聖霊』の奇跡を見なくなって時代が進んだ頃からは『聖霊』がどのようなものなのかも分からず、「奇跡」と言えばオカルトめいた超常現象を指すようなことになってしまいました。つまり、悪霊の働きを聖霊の奇跡と思い込むようなまでに変化してしまったのです。

歴史上、特にアウグスティヌスのような異なる宗教、マニ教から転向してきた初期指導者や、哲学者から転向し「キリスト教は最高の哲学である」との見解を持ち続け、哲学者の黒い服装のままキリスト教指導者を務めたユスティノスのような世代に入ると、キリスト教はますます『聖霊』の実体を見失っています。こうした指導者たちは、元より聖霊に関して部外者であったのですが、聖徒に語られた聖書の言葉を聖霊を持たない自分に当てはめて考えることが避けられなかったことでしょう。

確かに、キリスト教初期の歴史を編纂したエウセビオスのような記録者が知らせるように、聖霊を注がれた奇跡を行う人々が第二世紀を境に減少し、次第に居なくなってしまったからです。その過程で聖霊ある人々に語られた聖書の言葉を聖霊を持たない人々が自らに語られた言葉と思い込むであろう危険性は非常に高かったことが容易に想像できます。
見る事がなくなった『聖霊』がどれほどのものかを知らず、その知恵も受けることもなくなり、異教や哲学からキリスト教を捉えようとするヨーロッパキリスト教の端緒がそこにあります。

聖霊の注ぎが止んだのは、第二世紀の半ば頃であったようにエウセビオスの「教会史」やほかの歴史資料が教えています。
例えれば「教会史」の中でエウセビオスは第二世紀初めの人物を列挙した後”当時はまだ神の霊による多くの奇跡的な力が彼らを介して働いたので、大勢の人々が、皆初めて聴いただけでも、その魂に世界の創造者への敬虔な念を抱いた”。また第二世紀中葉に現れた新たなキリスト教の派閥について”当時はまだ神の賜物によって多くの不思議な業が様々のエクレシアで行われていた”とも伝えています。(教会史V3/Ⅲ37)

キリスト教徒の集まりでは聖霊の業である『異言』と呼ばれる、習ったこともない言語で神を讃えたり、それを『翻訳』する賜物や、来るべきことや人の秘密を言い当てる『予言』、新たな教理を授ける『教え』など、今日では考えられないような聖霊の賜物が、彼らの集まりの中で多様に働いていたことをコリント第一の手紙などがよく描いていますが、当時のような集まりが、聖徒たちの持つ霊の賜物によって運営されていて、それが第二世紀までも存続していたことを史料は今日に伝えています。(コリント第一14章)

そうしてキリストは天から聖霊を用いて初期の弟子たちを導き、聖霊を介した教えはイエスご自身の言葉と共にやがて新約聖書にまとめられ、キリスト教が確立されます。ですから聖霊の導きなくキリスト教が大きく拡大することも、旧約聖書に書かれた許多の事柄に意味を与える新約聖書も書かれなかったことでしょう。実に新約聖書とは、初期の弟子たちによるイエスの言葉と聖霊からの教えの集大成ということができます。その最後を飾るのが使徒ヨハネの諸書であり、終末を語る「黙示録」が全体を締め括っています。

キリスト教という新約聖書の教えが出来上がるにつれ『聖霊の注ぎ』が行われなくなったことは、第四世紀のエウセビオスが聖霊の賜物を過去の事として書いている通りで、アウグスティヌスの時代は更に遅く第五世紀にかかっています。以後のキリスト教指導者たちが、聖霊について見たことがなく、どんなものかも知らず、自分の中にあるものと解釈し三位一体のひとつの位格に奉ってしまう素地はこの時代に出来上がっていたというべきでしょう。
ですが、この聖霊の天への引き揚げは、キリストの予告された再来と関わるものです。
再来されるからには不在の時期があるに違いないからなのですが、再来を考えなくなれば、自ずと不在も意識しないで済んでしまいます。こうして聖霊のないキリスト教界は導きを失い迷走を始めます。

キリストは弟子たちへの聖霊を介した指導、「監臨」を終え、地に対して不在となり、終末の再来「臨在」まで時を待たれる状態に入っています。それが証拠に、キリスト教の教えは聖霊を失って混乱し、そこに各地の異教やギリシア哲学が入り込んで、初期のものとはまるで異なる「キリスト教」が正統とされ、ローマ国教化によって地歩を得ました。今日のほぼすべてのキリスト教は、その延長線上にあります。


◆終末に現れる『背教』

では、そうしたキリスト教の逸脱そのものが、この例えの『毒麦』に相当するのか、といえば、そうではない理由があります。
それは『主の日』、つまり終末が何時になるのかということをパウロが論じているテサロニケへの手紙の中で、彼は終末到来の印をひとつ挙げているのです。
彼は『わたしたちの主イエス・キリストの来臨と、わたしたちが御許に集められる事とについて』と前置きし、『主の日は既に来てしまったかのように言う者がいる』しかし『まず背教が起り、不法の者、すなわち、滅びの子が現れなければ終わりは来ない』と書いています。(テサロニケ第二2章)

ですから、今日のキリスト教がどれほど初期のものと違うにしても、それはパウロが言う終末の印としての『背教』とは言えません。彼が唱えるこの『背教』とは遥かに重大で本質的な悪を指しており、『聖霊に逆らう』また『聖霊を冒涜する』ほどの恐るべきもの、『けっして赦されない』決定的な邪悪を指しており、これについては旧約のダニエル書も終わりの日の前に起る『背き』として警告しているものであり、それは『思慮深い者らの中のある者ですら、終りの時まで自分を練り清め、白くするため』の試練から脱落させるほどの強力な惑わしの『巧言』に応じてしまう事態があることを記しています。(ダニエル11:35)

これは『契約を離れる』罪であり、聖霊のない今日のキリスト教界とは関わりのないことです。もとより『新しい契約』に参与していませんし、聖霊の証拠もないからです。

そこで「小麦の間に悪魔が撒く毒麦」についての洞察が深まることになります。
『小麦』が『王国の子ら』であるというのは、『新しい契約』に預かり、その契約を地上の生活で全うし、天界に召されてキリストを頭石として神殿となる、つまり『神の王国』の一員となり、全人類を贖罪する天の祭司、また地を支配する王となることを意味するのです。
これは悪魔が何としても阻止すべきもので、そうしないと自分が裁かれ滅びを被ることになります。

そこで悪魔には、神がイエスを介して聖霊を注いだ人々の間に背教の誘惑を仕掛け、聖徒でありながら不忠節となって『契約を離れる』者たちを『毒麦』として生え出させることを目的に『撒く』理由があるのです。
聖霊を注がれた者たちが各々試練を克服するか否かはしばらく時が経って結果が分かるところは、『毒麦』が成長するまで『小麦』と見分けがつかないほど外見が似ているというところで、この例えは見事にその事情を描いていると言えましょう。

しかし、終末での聖徒の裁きも進行してゆくに従い、毒麦の姿も露わになってくるでしょう。『毒麦』はやがて天使らの手によって刈り取られるときに選別され、火にゆだねられることになるわけです。


◆小麦が撒かれ毒麦も撒かれる

ですから『小麦が撒かれ』、つまり聖霊を注がれる『聖なる者ら』が現れてこそ『毒麦』も撒かれるので、『小麦』つまり『聖徒たち』が存在しない状態、つまり聖霊の注ぎの無い時代については「小麦と毒麦の例え」を考慮に入れる必要がありません。
福音書が揃って証しているように、終末には聖霊によって語り為政者らの前に引き出される弟子たちが存在することになりますが、そのような人々を今日どこに見ることができるでしょうか。
確かに、そのような弟子たちを通して『諸国民への証し』は依然として行われていないのですから、今日では『毒麦』はおろか『小麦』さえ撒かれてはいないのです。
それはキリストの再来『臨在』が起り、再び聖霊の注ぎが起ることを待たねばなりません。

しかし、今日までのキリスト教界はこの見解を持たずに来ました。
その理由といえば、西暦二世紀に聖霊の降下が止み、キリスト教徒にとってさえ『聖霊』がどのようなものなのかが分からなくなってしまったことがやはり大きな原因でしょう。

時代が進むにつれ、『聖霊』を知らない世代が進み、「キリストの不在」という見方が薄らぎ、『聖霊』を注がれた人々に向けて書かれた聖書を後の世代の人々が読むときに、聖霊は自分たちにもあると思い込んで解釈しますから、格別な『聖なる者』また『聖徒』という考えがなく、信者は誰もが「クリスチャン」と一括りに考えることになります。
その弊害として、ここで取り上げている「小麦と毒麦の例え」についても、「収穫の時までどちらも生育するままにしておく」というところを、キリストが現れてから終末まで歴史上ずっと続くものと捉えることになります。

しかしこの解釈では、種の撒かれた『畑』に相当する『世界』の中での誰が『小麦』であるかに誤解があり、「良いクリスチャン」と「悪いクリスチャン」とが居て、良い方は『天国』という倉に納められるものの、悪い方は『火で焼かれる』つまり地獄に堕ちる、というような平板な理解に終わってしまいます。
その誤解が進んで「携挙」などの概念を作り、聖徒の天への召しを誤解し「良いクリスチャンの選別の時が来る」ともされていますし、あるいは、この『小麦』の選別によって、本当に正しいキリスト教の宗派が明らかにされるとも教えられ、キリスト教団体の正当化に利用もされているのでしょう。

ですが、それらの教えには共通して『聖なる者たち』が何故集められるのかについての理解は無く、ただ良いキリスト教徒を天に召し、天国の至福に入れるためというところが目的の精々です。そこにアブラハムに約束された『地のすべての氏族が祝福を得る』という人類全体に向けた利他的で大志ある精神は、個人のご利益にこっそりと置き換えられてさえいるのです。

それでは、キリストの語られた言葉の奥深さや広大さを、浅薄な利己心を煽る材料にしていることになってしまいます。
ならば、キリスト教界はキリスト教の神髄である『神の王国』の重みのどれほどかを理解していないことになり、その点では悪魔の方が遥かにその価値を熟知していて、『毒麦を撒いて』まで妨害しようと『小麦』が撒かれる時を密かに狙っているというべきでしょう。

しかし、『小麦』が収穫されて出来上がる『神の王国』こそが、すべてのアダムの子孫にとって唯一の希望であり、神との絆を回復し永遠の命に至るただ一筋の道となるのです。そこで毒麦を撒いた悪魔の目論見は、終末にバッサリと刈り取られ業火に焼かれて絶え果てなくてはなりません。
終末には、誰もその策略に乗るようなことがないよう目覚めている必要が生じ、それがこのように例えとして事前に知らされていたのです。
この警告に違わず、その『毒麦』の毒気にさらされて、脱落聖徒ばかりでなく多くの被害者が出ることをも聖書は暗示しているのですが、これも終末に起きるとされているもので、それが新約聖書で繰り返し『不法』と呼ばれているものです。

さて、その毒はどう人を損なうのでしょうか。









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キリストの例え話 第二巻 解説全18話

1 .幼子のようにならなければ
2 .二人か三人が集まるところには
3 .赦さなかった僕の例え
4 .ペテロに託された鍵
5 .大勢が東からも西からも来て
6 .羊の囲いの例え
7 .悪い耕作人の例え
8 .盛大な婚宴の例え
9 .魂を殺すことのできない者どもを恐れるな
10.ミナとタラントの例え
11.座って費用を計算し
12.駱駝が針の穴を抜けるようなもの
13.小麦と毒麦の例え
14.十人の乙女の例え
15.羊と山羊とを分けるキリスト
16.不正な管理人の例え
17.成長する種の例え
18.道であり、真理であり、命である





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放蕩息子の例え

2019.12.07 (Sat)


放蕩息子の例え
(ルカ15:11-32)



ルカ15章に含まれる幾つかの例えの中でもこの「放蕩息子の例え」は、
神に帰依するまでに悪行を重ねていた人であっても、キリストへの信仰によって許多の罪への赦しが与えられることに於いて、神の憐れみの深さを教えることでは福音書の中でも読む人の心に訴えるところの大きい名場面でもあります。
確かに、イエスは『人はあらゆる罪も冒涜も許される』と語られました。それほどまでにキリストの犠牲は人々を赦す価値があるからです。

それに加えてこの例え話では、自分が神に是認されていると考える当時のユダヤの人々が、社会一般の道徳的生活に達することのできない人々を蔑んで、宗教での階級差別をしていた道徳上の不公正を暴いてもいます。これは今日どこの宗教や社会でも起こっていることでしょう。

さて、『病む人にこそ医者が必要』また、『わたしは、義人を招くためではなく、罪人を招くために来た』と語られるイエスの許に、ユダヤ社会では評価の低い階層にある収税人や娼婦たちが集まっていたのも自然なことでありました。キリストは『裁くのではなく救うために来た』と言われる通りです。これらがパリサイ人に向けて語られた言葉であるからには、イエスと彼らとの違いがあったことは言うまでもないことです。


これら収税人や娼婦というような人々は、宗教家らからは汚れた罪人とされ、ユダヤ教を教える会堂に入ることさえ許されていませんでした。彼らが聖なる物事に近づこうと思っても、その職業や生活習慣そのものが悪とされて相手にされず、実際に収税人などは税率以上を人々に強要しては迷惑も与えていたと伝えられます。エリコの収税人ザアカイが、イエスに『わたしが誰かからゆすり取っていましたら四倍にして返します』と述べた背景も収税人という職業がどんなものであったかを物語っているわけです。(ルカ3:13/19:8)

収税人と言えば、港に商人の船が着くと積荷に不当な税金を掛け、砂漠を越えてきたキャラバンにもたかり付いて私腹を肥やし、ときには困窮した人々をさえ脅して、払えないなら貸し付けたことにして取り立てて回るというギャングのような悪辣さであったと云われます。
ですから、収税人であったマタイがイエスの一行の金庫番をしなかったのにはその背景があってのことでしょう。
そのように彼らは周囲から『罪人』と見做され、人々から避けられていましたから、話し相手といえば同業者くらいであったといわれます。彼らも同じユダヤ人でありながら、その行いのために父祖伝来の聖なる契約とは無関係とされ遠ざけられていました。

しかし、イエスは彼らが近づくことを妨げず、彼らが抱くイエスへの信仰を認め、食事さえ共にし、神に関わる話をして聞かせるのでした。
それは、ユダヤ教の会堂で聖書の朗読を聴くことさえできない彼らにとっては、まことにありがたい機会となっていたでしょう。
ですが、一般のユダヤ人からすれば、あの奇跡を行う人、ナザレのイエスが本当に神からの人であるにしては、その周囲に集うのが『罪人』たちであることが非常に不釣り合いに見えたのです。


◆清さを誇る人々
やはり、当時の宗教家らはイエスの寛容さが気に入らず『この人は罪人たちを招いて食事を一緒にする』と批判します。(マタイ15:1-)

宗教家らは、旧約聖書を熟知し、モーセの律法にある613もの掟は暗記しているほどであるばかりか、当時にはそれらの決まりを生活の中でどのように守るべきかを定めた自分たちの規則を無数に作ってもいたのです。
その事をイエスがどう評価なさっていたかについては、イエスの弟子たちが手を洗わないで食事を始めた場面にも表れています。

それは、ただ「食事の前には手を洗いましょう」という常識が弟子たちに欠けていたということではありません。
「モーセの律法の掟を間違いなく守るため」という名目を掲げたユダヤの宗教指導者、特に律法学者ら(タナイーム)とパリサイ派の人々は、律法の定めよりも厳格な規則を守ろうとしていたので、その規則は律法の613の規定を遥かにしのぐ無数の決まり事を生み出していました。
それらは元々モーセの律法と共に口頭で人から人へと代々伝えられてきた「口頭伝承」(ミシュナー)であったと彼らは主張し始めたのですが、その伝承の真偽を含めていろいろと無理がありました。

彼らが自分たちで定めたそれら多くの決まり事を知っていても、そのように生活できる人々は多くはなく、儀式上の清めなどにはある程度の経済的余裕が必要で、この当時のユダヤ教徒で自分がモーセの律法を守っていて神に是認されていると思い安心している人々は、同時に上流のステータスを誇ってもいたと伝えられています。
その一方で律法と口頭伝承についてよく知らない人々を彼らは大いに見下して「地の民」(アム ハアレツ)と蔑称で呼んでいましたが、その態度はイエスの追随者を含んで『律法を知らないこの群衆は、呪われている』と言い放った場面がヨハネ福音書に記録されていることからも明白です。(ヨハネ7:49)

その彼らが食事について決めたことと言えば、まず手に巻き付けた経札の紐を解き外し、それから指先から肘までを水で洗い清めなくてはならないということでした。これは衛生上の問題ではなくて、儀式的な自己満足となっていたのです。
加えて、「食前の祈り無しにはどんなものも食べてはならない」という規則もありましたが、これもやはり律法には無い律法学者の付け加えであり、この習慣に負けないようにとキリスト教徒も食事の祈りを習慣化したのでしょう。(タルムード/ベラホート編)
イエスも食事の前に祝祷をする場面が何度か福音書に描かれていまし、使徒たちも会食でそうする姿が見られます。しかし、聖書にその決まりがあるわけではありません。

当時の宗教家は、聖書のひと言に多くの註解を付けてはあらぬ方向にその意味を捻じ曲げ、勝手に多様な規則を作っては自分たちの模範的行動を自画自賛していたのです。実際、ユダヤ教の口頭伝承は「聖書という一本の糸からつり下げられた山脈のようだ」と言われるほどに膨大な註解や規則と怪しげな伝説とで出来上がっています。その集大成であるタルムードが聖書のように流布しない原因といえば、その読んでいて頭が痛くなるような凡庸な繰り返しや民族差別の閉鎖的な言葉があって、世界から讃えられ愛される聖書に比べられるような出来では到底ないからです。

そのような規則好きの宗教家らに『あなたの弟子たちは、なぜ昔からの伝承を破るのか。彼らは食事の時に手を洗わない』と非難されたイエスはこう言い返されました。『ではなぜ、あなたがたも自分たちの伝承によって、神の掟を破っているのか』

福音書を開いてそこを読み、当時のユダヤを覗くなら、イエス・キリストと宗教家らの対照から、もっとも端的な善と悪の対話が展開されることを見ると言っても過言ではないほどです。本当に根深い悪というものこそ善を装ったもので、悪を正当化することによって悔いを拒否するものだからです。

キリストの当時の細々と規則を守る人々は、自分たちが神の前に「義人」とされていると思い込み、そこに自負心を抱いていましたから、そうすることのできない人々を見下す誘惑は小さなものではなかったことでしょう。
しかし、神経質に規則を守る彼らはイエスに『ぶよを濾し取り、ラクダを呑み込む』と非難されてしまいました。つまり、小さな善を幾つも行いながら、実は大きな悪を犯していたのです。(マタイ23:24)

その典型的な姿として描かれるものでは、「放蕩息子の例え」を記した同じルカ福音書の少し後の18章に「収税人とパリサイ人の祈り」の例えがあります。
パリサイ人は神殿に上ると、生き生きとしてこう祈ります。
『神よ、わたしはほかの人たちのような貪欲な者、不正な者、姦淫をする者ではなく、また、この収税人のような人間でもないことを感謝します。わたしは一週に二度断食しており、全収入の十分の一を献じているのです』(ルカ18:11-12)

これは自惚れというものです。ほかの人を踏み台にして自分を高め、優越感に浸り満足しています。
収税人はと言えば、罪深い自分をはばかって遠く離れて立ち、目を天に向けようともしないで、自分の胸を打ちながら『神よ、罪人のわたしをお赦しください』と言うばかりです。もちろん、そう祈るからには収税人らしい悪行があったということなのでしょう。
それでも、この例えの結論としてイエスは『神に義とされて自分の家に帰ったのは収税人であって、あのパリサイ人ではなかった』と言われます。

これら二人の違いはまったく大きなものですが、ふたり共に自分たちへの神の眼差しがどのようなものであるのかに気付いてはいません。
それでも自分の非を悔やむ収税人はともかく、自分が神から受け入れられていると思い違いをしているパリサイ人の方は神の前に危機的状態にあるのですが、本人には一向それに気付くところはないようです。

普通なら人は自分から進んで悪人になろうとは思いません。
善なる道を歩んで神の是認の内に入りたいと願うのは自然なことで、また褒められるべきことと言えましょう。
しかし、忘れてならないのは、人は誰も義人ではなく、皆がイエス・キリストの犠牲を必要とする、アダム由来の『罪人』であるところは誰も変わらないということです。(ローマ3:9-10)
実はモーセの律法もそのことを知らせる働きを負っていたのですが、ユダヤ教徒はそれに気付かず、律法を守れば神の前に義人とされるとの一点張りであったところに「自らの完全な犠牲を捧げるメシア」であられるイエスを迎えてしまっていたのです。(ローマ7:7)



◆放蕩息子の例え
宗教的には恵まれない下層民に寄り添うイエスは、宗教的立場に満足していたユダヤの宗教家らに向けて、この「放蕩息子の例え」を語られました。
富裕な家に二人の息子が居て、弟の方が「わたしの受け継ぐ分の財産をください」と父に願い出ます。
そこで父親は息子二人にそれぞれの相続財産を分け与えました。

すると弟の方は出掛けて行って、娼婦と一緒に贅沢三昧の生活をし、財産をすっかり使い尽くしてしまいました。
しかも折悪く、その地方には飢饉が襲ったので、食べることもままならす、ある人のところに身を寄せたものの、畑で豚の世話を任されます。
しかし、困窮は離れず、豚の餌であったイナゴ豆で腹を満たしたいと思うほどの身の上になっていました。

イナゴ豆は乾燥によく耐える植物で、滋養に富んだ食品ですが、飢饉の中でも得られた貴重な食料であったでしょうけれども、それさえ放蕩した息子には与えられず、云わば「豚以下」の扱いを受けていたということでしょう。しかも豚といえば、律法では汚れた動物とされ、ユダヤ人なら飼うこともしないような忌むべき家畜でありましたから、豚飼いの仕事そのものが、イスラエルからもすっかり落ちぶれたことを息子に絶えず知らしめていたでしょう。

そこで彼は父の家を恋しく思い出しました。
家には有り余る食べ物を受ける多くの雇人がいました。そこで、そうだ「父よ、わたしは天に対しても、あなたにも罪を犯しました。 もう、息子と呼ばれに価しません。どうぞ、雇人のひとりにしてください」と言おう!と思い立ちます。
イエスはそこで彼は『本心に立ちかえった』と言われます。
その意味は、自分の歩みの誤りを悟り、謙虚に出直す決心をしたということなのでしょう。

しかし、頑固な父親であれば、財産を浪費した上のそんな虫のいい改心など聞き入れられるものではないでしょう。

ですが、下の息子が家に向かうと、何と父親は遠くから彼を見つけます、そのみすぼらしさを哀れに思ったのでしょう。変わり果てた下の息子に自分から走り寄って行き、息子の首をだいて接吻したとあります。
「わたしは罪を犯しました。雇人にしてください」と言っているその息子に、父は僕たちに命じて、急いで最も良い服を持って来させ、手には家の権威を持つ指輪をはめさせ、足には自由人の証しでもある履物を履かせようとします。

何という光景でしょうか。
本人が雇人にして欲しいと言っているのに、この父親はそれを聞いていないかのように大切な息子として迎え入れ、哀れな身繕いに代えて、一家の子としての威厳ある姿を与えようとするのです。そればかりか、肥えた子牛を屠り、食べて祝うことまで始めます。これはたいへんな待遇となったものです。

そしてこの息子の散財も放蕩も責めることもなく、こう言うのでした『この息子が死んでいたのに生き返り、居なくなっていたのに見つかった』。

この例えをイエスから聴いていた人々は何を感じたでしょうか。
放蕩した上に都合よく許された下の息子の「幸運」ではなかったでしょう。すべてを赦す親の情の美しさではありませんか。
確かに彼は放蕩を尽くしたとはいえ、その結果『息子と呼ばれるに価しません。雇人にしてください』と願い、「息子であるわたしを憐れんで以前のようにしてほしい」などとは言っていないのですから、息子も自分の歩みを悔いてはいるのです。

しかし、それに対しての父親の寛容さは、息子の再獲得という喜びの内にその云われを持ち、そこに彼が戻ったということだけですべてを赦している姿が描かれます。つまり戻ったことばかりを喜び、悔いの言葉も聞かずに過去の悪行をまるで問わないのです。

それは、当時のユダヤ教の道徳性から落ちこぼれ、律法の基準も踏み外し罪人とされ、アブラハムの子らと呼ばれるにも価しないと自らを評価していたイスラエルの下層民たちへの天の父である神の想いがどのようなものであるのかを知らせるものであったと言えます。
いや、むしろ、自らに不道徳を意識する人々こそが、謙虚さに於いて神の目に適っていたことでしょう。


◆弟を受け容れない兄
イエスはその話に続けて、彼の兄である上の息子の反応を語ります。
兄の方も去って行った弟が見出されたことを喜ぶかと言えば、むしろ、宴会まで開いて喜ぶ父の姿が不満で、しかも弟は財産を食い潰した悪者と思っています。
そこで、この兄は怒り立って家に入ろうともしません。言い付けを守り続けてきた自分のためには子羊でさえ一度として与えたこともないとすねるところは、この兄が父の処遇に不満を囲っていた様子が見えています。自分の謹厳な従順には対価に相応しい酬いがないとも思っているのです。

ですが父は長男には『わたしのものは全部お前のものだ。だが、お前のあの弟は死んでいたのに生き返った。居なくなっていたのに見つかったのだ。祝宴を開いて楽しみ喜ばずにおれようか』と言うのでした。

ここで兄と弟とを分けるものは、弟の不行跡ではなく、そこからの悔いを通した謙虚さなのでしょう。
この例えを聴いていた宗教家たちはこの話に心を動かされたでしょうか。律法を守ることばかりが神の前に喜ばれるのではなく、そこから悔いて道を改める人々にはそれ以上の意味があることを心の固い宗教家らにイエスは悟らせようとされていたのです。本来、彼らもそれを喜ぶ理由はあるはずです。兄弟であり、同胞なのですから。

ユダヤ教の会堂に出入りできなかった人々、その会衆から排除されていた人々にとっては、いなご豆で空腹を満たしたいと思う放蕩息子のようであったのでしょう。
神の恩寵から締め出されていた彼らが、イエスの許で神に関する言葉の数々を聴けるようになったことを『兄』は喜ぶでしょうか。

やはり、宗教家らの反応は芳しいものとはなりませんでした。
例えの兄と同じように、宗教家らは悔いる人々を喜ぶことも受け入れることもできず、結果として『家に入ろうと』、つまり、キリストを受け入れることなく、むしろ退ける態度によって『神の王国』への招待に応じようとしないことを示すことになってしまいます。弟の帰還も親の喜びも不満であるとしている彼らの姿勢は、この例えを通して、律法に従いながらも、情愛の無さがはっきり知らされることにもなりました。



◆常に省みるべきこと
この兄は、ふたりの息子それぞれに対する父親の処遇を損得勘定から見ているようで、自分の弟を愛しているようには見えません。
そこがまた、宗教家らに訴えるべきところでもあったのでしょう。

潔癖症的な律法主義がもたらしていたものと言えば、それは利己主義でもありました。
パリサイ人がそうであったように、自分は神に是認されていると思うとき、その証拠が欲しいものです。
すると律法を守っていないように見える人々を目にすれば、そこで優越感が避けられません。それがまた自分の正しさの証拠とする誘惑ともなり兼ねないでしょう。

ですが、これはキリスト教でも起こり兼ねない問題でもあるのです。
新約聖書には、確かに弟子たちが神の前に『罪』を許された状態にあると書かれています。
また、それらの弟子たちは『世の基が置かれる前から選び出されていた』ともあります。
ですが、それらの言葉が必ずしもその読者に向けたものであるという証拠があるでしょうか。
教会の教え手たちは、「あなたが信仰を持ったことそのものが証拠です」または「神は信仰あるどの人も受け容れます」と言うことでしょう。

そこで、聖書に書かれているからというだけで「クリスチャンは罪を赦されている」と思い込み、自分が信仰に入ったのも、遠い昔から選ばれていたことで、「救いは生来的」とも「神が一方的に自分を選んだ」などと教えられるかもしれませんが、そのような信仰のもたらすもの、その良識を外れた精神はどんなものとなるでしょうか。
隣人愛を説くはずのキリスト教が、地獄行きの不信者とは違う天国行きの信者の幸福を教えるとすれば、それはどこかで道を踏み外しているのではないのでしょうか。
これが陥り易い罠であることを、独善的なユダヤの宗教家らを通し、聖書の字面の言葉にこだわり、愛や憐みを持たないことへの大きな警告として聖書に書かれているのでしょう。

パリサイ人の自信は、律法を細々と守る行動にありましたが、実は同時に失っていたものがあります。
それが『愛』であり、同朋を愛していたにしては、病人たちがイエスに癒されるのを見ては、安息日に癒しをするのは律法違反だと言い張り、イエスの許で下層民が言葉を聴く姿に不平を鳴らしていたのも、共感が欠けていたためと言うほかありません。その結末はイエスへの敵対となっていったのでした。

キリスト教徒でも、やはり「すべての人がキリストの犠牲を必要とする罪人」であることを忘れるとすれば、この「放蕩息子の例え」の兄のように、隣人を愛することを離れてパリサイ人の悪い精神に陥り兼ねないでしょう。

確かに、新約聖書には『神が義と宣した』人々、また『有罪宣告の無い』弟子たちのことが書かれています。(ローマ8:1.33)
しかし、信仰を持ってバプテスマを受ければそのように義とされるというわけではありません。

聖書が語るところの「その人々」は、人類に先立って『罪』を赦された『初穂』として刈り取られる『聖徒たち』であり、『新しい契約』に入ったことが奇跡を行う『聖霊の注ぎ』によって証しされている人々の事を言うのであり、使徒時代には奇跡の聖霊を注がれた弟子たちは存在したものの、今日の世界のどこを探してもそのような人は現れていません。彼らは、人類の救いのために終末に再び現れることでしょう。その時には『聖霊によって語る』弟子たちの現れが予告されているからです。(マタイ10:18/ルカ21:12-15)

彼ら『聖徒』は、キリストに続いて『どれほど恐るべきことをも恐れず』『自分の魂を見出そうとせずに見出す』という態度で迫害に臨む人々であり、自分を無にして『新しい契約』を全うすることを試みられるのであり、キリストの道を歩む彼らは、天国の安楽を待ち望んでいるような利己心とは無縁です。(マタイ10章)

キリスト教徒である自分は「罪を赦されたクリスチャン」と思い込むのも自由ですが、その優越感がどんなものをもたらすかを省みるなら、たとえ教会の教えであっても喜んで飛びつくようなものではないでしょう。
「神の是認が自分にある」と思えば気分も爽快でしょうし、心理作用としてはプラスに働き、自信を持って生活できるのかも知れず、その状態を善なる神からの祝福と思う教会員は少なくないようです。

しかし、イエスはこうも言われています。
『良い木が悪い実を結ぶことはなく、また、悪い木が良い実を結ぶこともできない』、『あなたがたは、その実によって彼ら(偽預言者)を見分けるでしょう』(マタイ5:18.20)
では「自分の罪は赦されている」と思うことはどんな「実」を結ぶでしょうか。まさに、イエスからそう言われて癒しを受けた人々も永遠に生きたわけではなく、同じ病に罹患することさえあったのではないでしょうか。そして最後には死を迎えることでは、他の誰とも異なりません。まして、不信者への優越感を抱く高慢な人を神が御許に召したりするでしょうか。
いや、やはり、すべて人はキリストの贖いと、道徳性の良し悪しを問わない赦しとによってこそ、神の是認の内に入れるのです。

神は自己義認のパリサイ人ではなく、「わたしは罪を犯しました」と悔いを表す人々こそを、父親のように喜んで迎えてくださるというこの例え話の教訓には、キリスト教徒であろうとなかろうと、人の心に響くものがあり、そして本当に悔いた人は謙虚であろうとするものです。そして神の赦しは、罪の重い者にとって豊かであり、その人にはより多くを感謝する云われもあるのです。(ルカ7:47)

聖書には『神の求める犠牲は、打ち砕かれた霊。砕かれ悔いた心。神よ、あなたはそれを侮られません。』と有り、他方で『主はみ腕をもって力をふるい、心の思いが奢り高ぶる者を追い散らし、権力ある者を王座から引きおろし、卑しい者を引き上げます。』とも有ります。(詩篇51:17/ルカ1:51-53)

さて、キリストの教えに従うとは、どちらのような精神態度を持つことなのでしょうか。






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宗教からの奇行の原因 - 随想 -

2019.12.01 (Sun)


宗教からの奇行


どうして、傍目には非常におかしな行動に人を駆り立てる「宗教」というものに人々は態々奴隷のように従ってしまうかを考えるに
おそらくは自然な思考から徐々に引き離されていった結果が、あのように極端な考えや行動や表れているのでしょうけれども、その過程を知らない者にとってはただ異様なばかりです。

それは「柱頭行者」のようにまったく奇異にしか見えない苦行ばかりでなく、細々した規則に従う潔癖症のような人々にしてもそうなのですが、結局は、自分に関心が向いているだけのことではないのでしょうか。

宗教というものの「怖さ」はよく語られるところですが、人は何を好き好んであのようなものに関わるのでしょう。
異様な行動をを促す宗教の怖さを感じると、たいていの人は自分も「感染」しないように心を閉ざし、どこがどうおかしいのかを指摘することはまずありません。

しかし、この件について思うところを書いて考えを整理してみようと思うのです。

さて、人は自分で生まれて来たわけではありません。
気付けばこの世に生きていたのであり、なぜ生きるのかの解説を受けて来たわけでもありません。

ですから、人は「自分という難問」を抱えて生きていることになります。
その「難問」には、「自分はなぜ生きているのか」「何のために生きているのか」という自己存在の謎があり、いずれは「死を迎える」という陰気な問題にも直面しないわけにゆきませんし、日々生きるための苦役の空しさをどうにか紛らわす必要もあるでしょう。

これらの難問を意識しないようにして過ごすことも一つの対処法ではありますが、人生を俯瞰すると「自分とはいったい何なのか」という事はどこかしらで考えに浮かぶことはまず避けられたものではありません。

「一度きりの人生だから悔いなく生きたい」と願うのは至極全うなことと言う以外に何と言えましょうか。
しかし、「間違いのない生き方の秘訣」やら「規則」などに従うことでそれが叶うなら簡単なことで、スピリチャルなどが流行るのも、「従っていれば良い」という安易さからでしょうが、人に「天からの指導」を求めさせ従わせるところでは経典の宗教も然程は変わりません。

所謂「カルト」と呼ばれる、信者の想いも行動も強く規制する宗教に入る人々の特徴の一つには、周囲の親しい関係者たち、また社会一般の規範のようなものに批判的で、実際に深い敬意を払えるような優良な指導を見出していないと感じる人々、また、自分が放置されていると感じていた人々が少なくないとのことです。

それは、その人の周囲の未熟度や、その人への関心の無さを表してもいるのでしょう。
しかし、社会一般はこの点で実際さほどのものを与えられない実情にあります。
この隙間を狙って、人々を支配したいと心の底では欲している宗教家らが人集めを始めると、そこそこの人数が集まってもくるでしょう。

そこで信者となる人々は、自らの周囲にはない、それ以上の「指導」や「関心」の必要を求めているのです。そしてこの人々が喜んで信じるのは、社会一般よりも優れたと思える規範であり、仲間の人々からの関心であり、そこで周囲からの遊離が起こり始めるのも当然と言えます。
しかし、これは紛れもなく損失です。なぜなら、その人々は社会に勝るものを探していながら、それ以下のものを掴んでしまい、しかもそのことに気付かないのです。つまり気付かれないように誘導するのが宗教家としての手腕です。そこで、多くの「カルト」と呼ばれる宗教が信者たちから情報を制限する必要が生まれ、定期的な集会への参加が必須のものとされます。つまり、常に信者の想いを制御して、理性的自己判断をさせない必要があるので、崇拝の名を借りて判断力を麻痺させ続けないとその教理や行動を強制できなくなってしまいます。

宗派の中ではインターネットを敵視、または独占化するところも少なくありませんが、その制限そのものが信者から自由で広い思考や判断を妨げ、自発性ある良心の働きを強制によって奪うことです。
なぜなら、人間は元より「カルト」向きには出来ていないからであり、「カルト」が求める事は、『神の象り』という人としての尊厳を捨てることだからです。それによって益を得るのは信者ではなく、紛れもなく教団であり、指導者です。

しかし、人間にとって「従う」ことは、自ら判断してより良い生き方が何かを考え続ける苦労がなく、体はともかく頭では他人任せでよほど「楽」なので止められないのでしょう。しかもそれが絶対的に価値があり、神の是認があると吹聴されればその安心感が宗教家の旨味です。そこに集まるのは奴隷予備者たちなのですから。あとは、幾らかまともそうな理屈をつけて「神はこう望まれています」と言えば、宗教家本人も驚くほど人は従順になるのです。しかも宗教家にとって吹聴した事は、病気の癒しの請負いでもない限り、大抵は人の死後の事なので責任もありませんし、死んだ人に問い詰められる心配もないのです。

やはり、この世という場は、ほとんどの場合で有意義な人生を人々に与えるほど甘いものではありません。
生涯を不自由なく終えられる人がどれほどいることでしょうか。
また、この世は不平等であり、社会には不公正が横行し、経済危機や戦争などの社会悪が有無を言わさず到来します。
病気や怪我は何時ともなくその身に生じかねず、それでなくても自然災害が覆いかぶさる危険性も避けられません。

このように有意義な一生、また幸福な生涯を阻害する要素の多いこの世を生きる人は、自分に不動な価値を添えること、つまり儚い命に持つに過ぎない自分の価値をどうにか保ちたいと願うものです。

人は、自分自身はもちろん、他の人についてもその存在価値を普段から実感しているものです。
その一つの表れとして、誰かが亡くなると弔いをする習慣を挙げられるでしょう。
それは故人を愛し、評価し、惜しむという精神の表れであり、それは故人ばかりでなく、自分を含めて人というものの価値を認識している証拠とも言えましょう。

ここで聖書の言葉を一言加えることが許されるなら、『悲しみの家に入るのは、宴会の家に入るのにまさる。死はすべての人の終りだからである。生きている者はこれを心に留める』という賢者ソロモンの言葉が相応しいように思えます。(伝道7:2)
もちろん、人は愉快に生きる喜びを必要としてはいるのですが、死の問題を避けてばかりいては自分の人生というものを考え、死ぬという問題に対処することを忘れてしまいます。

ですが、これは宗教を信じている人々でさえ陥っている問題でもあるのです。

と申しますのは、つまるところ、宗教の一つの働きには、「人間の価値をどうするか」という難問を何とかしてでも処理するというところがあるのです。

その「処理の方法」の一つが「死後の世界」つまり「天国」であり「楽園」ともなっていますし、輪廻転生もまたその類でしょう。
結論から言いますと、この世とは人の価値を相応しく認めるような場ではないのであり、そのことを最も承知しているのは、たいていは他ならぬその本人です。

そこで、この世に足りないものを何かで補充する必要があるのですが、それはかなり「深刻な不足」に対する補充と言えましょう。
宗教とは、この不足を何が何でも埋めようとして、人々がすがり求めるものであり、それが非現実な嘘であっても構わないところが便利でもあるのです。世の苦しみも「人を磨くための試練」としておけば、宗教家の立場もとりあえず安泰でしょう。

一方で、この世がもたらしている人間の価値の不認識のそっけなさは当然に世界普遍のものであり、「宗教」という人類共通の価値補充策を様々に練り上げさせてきたものです。
つまり、それが様々な「上なる者」(神)や教理や崇拝や信仰行動を存在させて、世界の各地でそれぞれに繁栄してきたということでしょう。その人類普遍の価値の欠損を埋める心理作用が宗教の本質ではないのでしょうか。それだけ「この世」という環境が人に苛酷だということです。そしてその対応策が様々な宗教であるでしょう。それぞれの宗教が与える益の特異性や大きさに応じて、信者には求められる事柄の程度や質が異なってきますが、それは益に見合う代価の支払いのようです。

そこで宗教を信じている人々でさえも「死の問題」を避けてばかりいて、対処を忘れる」危険性があると申しましたのは、宗教によっては自分の人生をどう生きるかについて、歪んだ見方をし兼ねないということなのです。

死後の幸福を説く宗教の場合、仮想上にしても人の価値は死後も保たれますが、現実では刹那的な生き方を選択し兼ねない危険も生じます。
つまり、死後の安寧と引き換えに現状の生また命を軽く見てしまう傾向への危険です。
そこで、その宗教の質が問われてもいるのですが、ある宗教が「教えに不備があるかも知れませんので自己責任でお願いします」などと信者に言うことはまずありません。ほとんどの宗教は、信者となることの益を請け負いますので、その教えは間違いのない絶対のものでなければ有り難くもなく、人心は離れてしまい兼ねません。つまり宗教とは教え手の欲と信者の欲の出会いから生じた便宜的関係という以外ありません。人と人との支え合いであり、神は名目でそこに居てくれれば十分です。

宗教の絶対化は、社会が全体で入信する「コミュニティの宗教」の場合には必須になってしまいます。そこでフランスが革命後に思想宗教の自由を掲げたときにどれほどの困難を乗り越える必要があったかには目を見張るものがあり、動機はともあれ百年をかけて流血まで見ながら徐々に達成されたものであったのです。

今日でこそ、日本のような国家環境では、当たり前のように人に信仰までを規定されることはなくなりましたが、実はこれも最近になっての自由であり、しかも先進国という限られた国でこそ当然の権利ではあるのですが、現実的には、多くの国に於いて人々に思想も宗教も自由があるとは言えません。思想や宗教の自由とは、人間が切り拓いた非常に優れた施策であり、公平性を教える良質な教育と、理想を堅持する大志のないところには存在し得ないものでしょう。大抵の人は放っておけば偏狭で利己的に傾くものです。

ともあれ、「基本的人権」として謳われるようになった思想宗教の自由は、人というものについて回る「宗教の必要」に自由さを加えるものとなり、自分の生涯をどう考え、どう生きるかをより良く自らの決定に委ねられる道となって開かれました。

しかし、残された問題は宗教の方です。
世界のあちこちで人間の必要を満たすべく興されてきたそれぞれの宗教が、本当に人の価値を保ち、同時に歪んだ生き方をさせてしまわないか否か、これは社会や為政者がジャッジするところではなくなり、個人の裁量に任されたわけです。
地下鉄サリン事件のような、ガイアナの集団自殺事件のような極端な実害のない限り、社会は審判者としては宗教に踏み込みません。

そこで、宗教が無謬を唱えてしまえば、人類が築き上げた思想宗教の自由など呆気なく相殺されるばかりで、それは牢獄から解き放たれた人々を別の獄に繋ぐようなものです。宗教の方は古代の蒙昧、中世の暗黒からどれほど進歩したのでしょうか。宗教には依然として人間の不合理性の未開の暗部が解消されずに残っており、それは人間が非常に愚かな事にさえ藁にもすがる思いで自分自身という難題を解決できないでいることの表れなのでしょう。

まさに、宗教が人の行動や生活様式に口を挟む場合、また、他の宗教や宗派に敵意を抱かせる場合、そこに実害がないとは言えない危険性にも注意が必要でしょうけれども、そこは自己責任となっているのが実情です。つまり、どの宗教を選ぶも自由という環境にはそれなりの危険があるのです。しかも、正面切って何かの信仰を否定し、信仰を止めさせる権限は法的には誰も持っておりません。

そうなりますと、人は自由な社会の中で、思想や宗教の大海に投げ出されることになるわけで、その大海の海水のほとんどは無信仰や、希薄信仰で構成されている一方で、貪婪な宗教家が肉食魚やクジラのように小魚を狙って跋扈しつつ、すべて世の潮流もあらぬ方向に強力な海流のように社会全体を押し流していることには気づき難いものです。

やはり、人は「自分をどう生きるか」という問いの答えを求めつつ、思想宗教の海を漂っているのでしょう。
いつかは死によって自分の価値や、自分の生涯を評価しなければならなくなる現実に正面から向き合わざるを得なくなる人間というものは、やはり宗教を手放せないでしょう。その点で言えば「無宗教」でさえ立派に宗教となっています。それも自己存在への対処法のひとつなのですから。加えて「考えないようにする」も対処法であり、それも一種の宗教ともなるでしょう。いや、宗教でさえ逃避となってしまうのです。

こうして人間と宗教の関係を見ると、宗教とは人が生きる上で必要とされる一方で、諸刃の剣であることになり、賢い判断が個人に求められていることが分かります。
しかし、それにしては人々が宗教ではあまりにも無防備に曝されているものです。しかも、これは個人で判断すべき生き方を含んでいますので、本来、誰かに相談して決めてもらう性質のものでもありません。

しかし、多くの宗教団体の信者は、教勢の拡大が善であると思い込み、とにかく誰かを信者仲間にしようとしていますから、「この信仰をするかどうかはよく考えてからにしてください」などと人権を保護しつつ言うでしょうか。
こうして社会と宗教の関係を考えると、「宗教には充分に気を付けて慎重にしてください」と言えるのは宗教家ということになるのです。これは社会構造上の矛盾です。

しかも宗教自身の最大の問題は、その不明性にあります。
これはつまり、宗教自身が抱える二律背反で、「信仰」というものが信者の主観による判断の結果であり、科学的に証明されるものではないからです。
もし証明されたなら、それは「信仰」ではなくなり、人の生き方に自由は存在しなくなるでしょう。

そこで宗教は本質的に証明の必要がありませんので、誰かを騙せればそこで成立するものなのです。
つまり、「虚構」がまかり通る世界が「宗教」の姿でもあるのです。人々はたとえ虚構でも自分という存在に安堵したいものですから、多様な宗教、相反する教理が並立するのも当然でしょう。それは人が見ている「夢」のようなもの、同床異夢です。

宗教という「虚構」の問題が解決されない原因は、その人間からだけの視点にあります。
つまり、自分が存在価値を持ってここに生きている以上、存在させた「何者か」を認める必要があり、「そちらから人間をどう見ているのか」というように、自分を一旦わきに置いて考えることなく、とにかく自分の価値の保存(保身)を何とかしようと焦れば、人間の欲に迎合した教理に酔ってしまい、却って自己価値を失い、宗教家の奴隷になり果てながらその実害にさえ気付けないという醜態を曝すことになってゆくでしょう。それは人からの願望で神を形作ってしまうからでしょう。一種の偶像のようでもあります。

さあ、そうなると人が「自分をどう生きるか」について、「正解」を宗教から得られるでしょうか?
これは「正解」ということでは得られないでしょう。

自分の限られた生涯を、間違いなく、充実感に溢れて生き抜くという前提にはじめから無理があるのです。
この世は、最初からそれを人々に提供しませんし、できません。個人の尊厳のような人間が創出し法に定めた価値についても、そう努めてもすべての人に配慮などできたものではないのです。

人は、この世に対して、自分と周囲の親しい人々の益を願って行動しているのですが、この世そのものの有り様を変えることはまずできませんし、人によっては思考の範囲外です。
精々が、社会を幾らか改善する程度で、本質的に誰にも価値を与え、幸福にすることなど有り得ませんし、人間自身がそのようには行動できないことは歴史も証明してきた通りです。

人々は、死後も自分の価値が残り、あるいは天国で、あるいは楽園で生き続けることを望むにしても、自分自身にそれを阻害する原因があることに思い致すことはまずありません。多くの宗教が、信仰すれば、拝めば、道徳律をまもれば・・などの自己価値の保存方法を説くにしても、つまるところ、個人の救いの請合いでしかなく、利己心を煽っているばかりではないでしょうか。道徳や慈愛を説きそうな宗教が、実は利己主義を教えているという矛盾がそこにあります。

人の価値を阻害するこの世を構成しているのは、紛れもなく自分たち人間であり、その自分たちが作り上げているこの世が自分たちの価値を阻害し、自ら宗教の夢を見させているというべきではありませんか。これは循環悪です。

この世に溢れる諸苦の根源を自らの内に持ちながら、そこから逃れる夢を見るのであれば、はじめから自らの諸苦の原因をどうするかを考えるべきではないのでしょうか。
それを教えない宗教は、ずっと「夢」を人に与えるでしょうけれども、それは原因と結果を堂々巡りさせる虚構というべきでしょう。

まさしく、キリスト教というものは、そもそも人が救いを必要としている状況の原因を特定する点で優れており、その悪の根源を人から除くという、もとより人間に不可能な事柄を教える点で特異であるのです。そのうえ「悪」の対極に「愛」があることを指摘したことでは他の追随を許さないほどの高みにあります。

しかし、教会でさえ、信者の天国行きを請け負うという教えに堕落し、利己心を煽る結果となってきたのはどういうことでしょうか。
そのうえ、その益を確かなものと吹聴するために、自説の正しさに頑なで、信者と不信者の間に「欲の壁」を築いてもきませんでしたか。「クリスチャンの生き方」なるものが、つまるところ、ご利益確定を印象付けるための差別化であるなら、それはただ人の欲を煽ることでしょう。

こうしてキリスト教という名の宗教も、他と然して変わらず、人の価値を保つことを看板に、却ってそこから外れ、カルト教団に至っては神の裁きからの延命を請合い、信者の信仰行動ばかりか、生活にまで細かく支配している姿を見なければならないのは大きな不幸というべきです。家庭内や親族間での暗黙の信仰の強制、不信者への蔑視や差別、こうしたことが人の価値を保全することでしょうか。
いや、明らかに逆でしょう。

しかし、人は何らかの宗教なしには済まないでしょう。
それが同時に自らを省みる人間らしさでもあるのですが、宗教というものが果たして、その人間らしさにどれほど貢献できているのか、人間らしさを高める方向に作用しているのか、これはかなり難しい状態にある、というのが実際のところなのでしょう。

人は、自らの存在の価値を保存しようとして宗教に頼り、結果として、その価値を見失い、奴隷化させられ、本人はたいへん良いつもりで不自然な奇行に走らされるのでしょう。それが不自然である程に、その確信が増すというスパイラルが起り、人々はその深い穴に巻き込まれてゆき、周囲との軋轢を生むことにもなるでしょう。

ですが、そのほとんどは利己心を煽られた結果というべきではないのでしょうか。
それで大半の宗教は信者の救いや益を騙り、信者は多いほど良いのです。
教祖と信者の飽くなき欲と欲との強固に固まった構造物が、宗教団体という名のグループ同士の間で、また信者と不信者との差別の壁を作るものとなってはいないでしょうか。やはり、奇行の本質は強欲の結果でしょう。







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