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預言者に石を投げる現代の宗教家

2019.05.28 (Tue)


これはキリスト教に限ることではないのですが
宗派の創唱者には陥り易い罠があります。
つまり、自分を過大評価することですが

問題の発端は、自分が格別の人間であると思い込むところにあります。
また、そうでも主張しないと信者を得ることもできないという事情が有ってのことかも知れません。大衆には傑出した人の現れを好むところがあり、ただの人でもそれらしくさせてしまう力を発揮するもので、その人に架空の人格さえ与えることがあります。
もちろん、新興宗教では一人を偶像視することが典型的ではありますが、誰かを特別視することでは、その宗派の頂点をグループが構成していてもやはり変わるところがありません。

おおよそ新興宗教では、何かの教えに時流に乗る魅力があって、人気を博しては教勢を拡大する時期が続いた後に、いずれ停滞期を迎えることになります。
その停滞をもたらす原因には、誰かを偶像視する無理や、教えの不合理さ、信者の良識の無さなどが祟って世間に醜聞が漏れ、やはり只の人を信者たちが担ぎ出していた現実が露呈することもあるでしょう。

理想を夢見ていたにも関わらず、実はその宗教が特に格別ということもなく、信者はもとより、教祖も同じ人間であることの証拠をじわじわと並べられることにはなるのです。

しかし、熱心であるほどに信者の多くはそれを認めるわけにゆきません。それ以前の自らの崇拝活動も信心も否定するということが、ほとんど自己人格の否定に近い損害を招くからで、信仰していた年月や、注いだ犠牲が大きいほどに、生き方の修正はそれだけ困難になってしまい、恰も政治家たちが不正行為を為したことを認めるのが築き上げた立場上から困難であるように、信者も信仰していた宗教の醜聞などを認めて道を改めることなど、余程に謙虚な人でもなければできることではありません。

古くて非常に大きな宗派であれば、まだいくらか正直に対応もできるところでしょう。永い歴史の中で多くの醜聞を既に曝して来た以上、今更何かを隠して却って不評を買うほど自らが改善されていないことを曝して信者を落胆させ、現代までも続く弊害ある宗教としての価値を疑われることを避けるためです。しかし、そのような宗派ですら自らの組織体を十分に省み、隠蔽体質を免れているかといえば、そうも言い切れないようです。

まして新興宗教系となりますと、組織体が小さめのこともあってか、信者への情報統制によって自派の格別さを装い続けることが内部だけでもできるものなら、それで済ませてしまおうと指導層は思い勝ちのようで、「インターネット上の情報は信頼できない」と特に強調する傾向が各派に揃って見られます。

しかし、それでは情報を判断する能力や見識が信者の間で育たず、イエスが取り柄もない田舎のナザレから来たこと、安息日に癒しをしたからということで奇跡の徴をも退けたユダヤの常識に従ったような近視眼的な人々を作っていることになるでしょう。
イエスをメシアとして受け入れたのは、宗教家のようではない民衆であったのは、そこに自然な感受性が働き、優越的な固定観念からは解放されていて、自らメシアの現れを判断することができたからではないのでしょうか。

そこで宗教家が恐れたのは、民が強力な大衆性を発揮して、イエスを先頭に立てて団結されないことであり、それはロバに乗った王としてのイエスを歓呼して迎えるという誰が統率したでもないセレモニーへの強い不服を言い表したところに明らかです。
宗教家の面子はまったく潰され、民への影響力は自然に失われました。


その点では、教理の正統性をふりかざすキリスト教の宗派の大半は誉められたものでもありません。
まさに信者を「教理の隷属」に置いて、多様な情報を取り入れて自ら判断をする自発性を抑制しているからです。

指導層は、それぞれの派に何か忌々しい問題があろうとも、神に導かれているのであるから「いずれは神が正して下さる」と信者たちが考えるように誘導しています。
それは古代のユダヤが律法に従わず、悪行が蔓延った時期があったにしても、それによって彼らが契約の民であり続けたようにです。
ですが、この考えには大きな無理があります。

まず第一に、ユダが神殿もろともに滅ぼされバビロンに捕囚になったようなことを自派に認められるというのでしょうか。
当時の指導層が徹底的な糾弾に曝されたのであれば、現代のその宗派にとって、いったいどれほど損害をもたらすことなのでしょう。

そのうえ、神はイスラエルの罪を指摘するために預言者らを遣わし続けたのですが、新興宗教の中にそのような厳しい通告を行うような人が存在できるものでしょうか。

こうした預言者たちについてイスラエルがどう反応してきたかを再考するなら、どれほど現代の新興宗教の数々に似たことが起っているかに気付かされずにはいられません。

エルサレムについてイエスは『自分に遣わされた人々を石で打ち殺す者よ』と呼びかけ、殉教者ステファノスには『あなたがたの先祖が迫害しなかった預言者が一人でもいたでしょうか』と糾弾の声をあげているように、契約の選民であったにも関わらず、ユダヤの宗教指導者らは神の是認には程遠い状態であったのです。

そのため、遣わされた預言者たちは命の危険に曝されていたのであり、彼らが迫害された理由といえば、宗教指導層にとって都合の悪い存在であったからなのです。
指導者らに神からの譴責の言葉を聞くだけの潔さなどは期待もできなかったのも、本来、改善を求める声を聞く耳があったなら預言者の必要もなかったからでしょう。

イエスの時の書士やパリサイ人らは、自分たちの父祖が殺めた預言者たちの墓を飾り立て、『もしわたしたちが先祖の時代に生きていたなら、預言者の血を流すことなどけっしてしなかった』と言い合っていながら、実は約束のメシアを殺害に追いやるという父祖たちにまさった悪行に手を染めようとしていたのです。
これはその父祖らに勝る悪業、偽善の上塗りでありました。

そこで当然ながら、古来、預言者たちは体制派からは現れていません。体制を批難する側に立って語ったから当然でしょう。
迫害に直面する彼らが、法の保護から押し出され「アウトロー」とならざるを得なかったのも宗教体制派がまったく邪悪で、悔いることを知らない者らであったからに他なりません。

偉大な預言者エリヤが忍んだ境遇も、預言の内容が体制派に都合悪くエレミヤが何度も囚われ、イザヤなどは鋸引きで命を落としたとも伝承されているのですが、そして今日、宗派の信者の囲い込みや、指導層の権威を守ろうとする新興宗教の中枢も然して変わらないでしょう。

宗派の問題を最も的確に暴くのは、けっして宗教団体の指導層ではなく、外部の人々、特に元信者であるのですが、この人々を忌避などし、発言を封じるために信者との交友を禁じて、家族であってさえその接触を断つというのは、現代の迫害に等しく、真に問題点を指摘できる人々を排除し、自らを省みる機会を拒絶するということでは『預言者に石を投げている』のと同じことではありませんか。これは人間共通の陥り易い弱さでしょう。

しかし、それでいったい誰が益に与っているというのでしょう。
家族親族の関係を寸断し、交友を禁じて職にまで障碍を置き、そうして自分たちの宗教の改善の機会さえ放棄しているではありませんか。守られるのは指導層と組織体の体裁ばかりの近視眼的施策であり、もはや人々を導く度量などはありません。

そのうえ宗教指導者が自ら預言者を自認しているとすれば、それはイスラエルに現れた預言者の働きを一向行えない「無意味な預言者」にしかならないでしょう。神は人を超えるからこそ、預言者が興され、人の至らないところを指摘するからです。本来、預言者とは、そうお目出度い存在とはいえません。

しかし、新興宗教のシステムは大抵はそうでありません。
「いずれは神が問題を正すはず」と言いつつ、問題を指摘する本質的に預言者の役割を務められる人々を黙らせ、人権さえ損なっている姿は、キリストに糾弾されたユダヤ宗教家のものであり、それは人を虐げているばかりか、古代と同様に神に向かって不敬を行っており、やはりキリストはそれを是認などなさらないのではありませんか。もちろん「聖霊が語らせる」わけもありません。

あちこちの宗派から聞かれる幼児への性的虐待の醜聞は、実におぞましいこととは言え、もはやどんな宗教団体であれ完全に免れていると主張する信憑性は無くなっているかのように見受けられます。おそらくは、それは宗教の問題をこえて、人間自身に宿る邪悪さのひとつの表れなのでしょう。
そうであるなら、宗派の面子に拘るべき理由もありません。人間共通の悪に対し、迅速で適切な対応を取る以外の何があるでしょうか。

逆に、宗派の権威のために覆い隠しているなら、その愚行はやがて白日の下にさらけ出されると見るのが当然ではありませんか。
それが衆目を集めることになれば、もはや主張するキリストの教えとやらも色あせることでしょう。

それに加えて、中間幹部の横柄さは、その宗派の指導部の性質の反映というべきでしょう。
多様な宗教の多くが幹部を優遇するのは、中枢の指導を末端まで行き渡らせるのに必要不可欠だからであり、その報酬として権威の分配が行われています。
つまり「偉くなりたい」「人を従わせたい」「誉められたい」などの悪魔的欲望を遂げるのを代償に、信者たちを支配し偉ぶることを内々に奨励することにより中枢の指導層と中間幹部の思惑は一致を見ることになるのです。中間幹部が尊大であれば、いよいよ頂点の指導層の偉大さが増し加えられるからです。

そうして自分の永遠の命が確保できたと思えば、その信者は欲のままに進んで、命の次には権威を望み、いよいよその正体を見せることになるでしょう。その教えがはじめから欲を煽ったものであったのならそれも自然な流れで、名前のほかにはキリスト教とは特に関係もありません。

人が自分の偉さを実感する方法は「人々に規則を細々と与え」、自分は「出来るところで恣意的に振る舞う」ことであると言えましょう。古来「小役人」が民衆に嫌われてきたにも理由があるのです。やはり宗教団体でも幹部が専横に振る舞っているという情報には事欠きません。
これをペテロは戒めており、『主要な牧者の現れるときに誉められることを目指す』よう解き勧めているのは、まさにこうした逸脱についてのことでしょう。

ですが、このペテロの言葉に従えるとすれば、その人は権威主義者ではない違いなく、自分のために上の位を望んでいるような野心家であるはずがありません。それは余程に利他的な人であり、まず少数派であり、そのうえ地位を得るどころか端に追いやられるような『幼な児』のように純真な人でありましょう。つまりは、まず居ないということです。中でも才能に恵まれた人であれば、野心家の陰険な策略に無策で曝され、害を受けることにもなるでしょう。

しかし、他者を押し退け、役職に貪欲で、特権意識に燃えているような人が権威を得るのが世の常であり、いったいどんな宗教がこれを免れていることでしょうか。つまるところ皆「世のもの」言う以上にありません。自然とそうなるのであり、内心の野心を禁じる方法が人には備わっていないからでしょう。
まして、それを気にもせず、幹部の地位欲しさの特権意識を煽っているようであれば、その結果はどんなものになるのでしょうか。

「いずれ神が正してくださる」と言いつつ、預言者に相当する知恵ある人々を「背教者」のレッテルを貼って駆逐する実行犯は、この幹部たちの役割であり、実に最初に石を投げ始めるのが彼らでしょう。
しかし、宗派の悪行を「いずれ神が・・」と一般社会が許すものでしょうか?そういう信者たちも幹部と同罪という以外に何と言えるでしょうか。幹部をはじめとして指導者も、そして一般信者までが一緒になって的確な批判者に向かって石を投げていることでしょう。

他方で、聖書はイスラエルやユダヤの悪行の顛末を包み隠さずに記録しているのであり、その正直さと新興宗教諸派の対照からすれば、どこかが根本的に異なっていると判断されるべき理由があることになるではありませんか。

聖書の中で、異教を避けるべきことは書かれていても、神からの都合の悪い情報を遮断したのは、その語るところを預言者もろとも消し去ろうとした宗教指導者であったのです。
そして預言者とは、常に中枢からは現れなかったのです。なぜならサンヘドリンのニコデモスの例が示すように、問題提起は外から起こされなくてはろくな改善も望めません。しかし、人同士は互いに異なる意見を尊重し、情報を交換してこそ健全な方向に少しでも歩めるからなのです。それこそが「人はみな不完全」と認めることでしょう。

批判にも様々なものがあり、的外れなものがあるにしても、なお傾聴に値するものを見分ける価値観や良識こそが指導層に求められるものでしょう。(箴言13:10)
その賢さを投げ捨て面子に拘っているなら、いずれは「預言者の墓を飾る」ことになるでしょう。その人々にとって預言者には飾りつけられた墓の中でいつまでも静かに眠っていて欲しいのです。 古代も 現代も、人々は倫理的に改善もしていませんから、時代も宗派も様々ながら、石を投げつけるところは何も変わりません。(マタイ27:52)

そのうえ終末が到来して、真実に聖霊で語る人々が現れるとすれば、その人々がやはり石を投げつけられるのは目に見えています。
そして加害者らは、その正当な酬い、いや二倍を受けることになるでしょう。『聖なる者たちの血に酔う』からです。
この偉ぶりと面子へのこだわりが、終末に『大いなるバビロン』と変じさせる元凶となるのでしょうか。

人に悪を行わせるのは、「間違った聖書解釈」でも「間違った宗派に入った」からでもなく、ただ、その人の悪の傾向そのものでしょう。
その人は、何を信じようと、何を行おうと、その人となりを変えられるでしょうか。「新しい人格」の表面を装ったところで、アダムからの罪を免れているなどと思ってよいものでしょうか。
いえ、誰であれそう思うのはまやかしに過ぎず、自分の悪への警戒を怠ることになり、そのうえキリストの犠牲の大きさを知らないと言っているのと同じです。



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主観の自由である「信仰」 蹂躙不可!

2019.05.17 (Fri)

キリスト教でも他の宗教でも、「信仰」を持った人々というものは、自分の何かを差し出して、神からの益に与ろうとするものではあります。それによって人は神のような何か「上なるもの」との関係を築くことができると教えられるので、それが「信仰」の為せる業とも考えられていることでしょう。
そうであるのなら「信仰」というものの目的は、人を何かの基準に沿った行動をさせることなのでしょうか。また、同じ信仰になく、そうしない人をどう見做すのでしょう。


さて、人は自分をどう生きるか、という問題を考えなくてはなりません。

というのも、人は誰も自分から生まれてきたわけでもなく、自分という人間について、その人生にどう意味を与え、儚い一生にどう対処するべきかを生まれながらに知らされていないばかりか、人々の間にすら誰もが納得しているような答えもありません。

そこで、それぞれに人生の意味付けを捜すことにもなれば、ある人はどこかで諦めてしまうことにもなるでしょう。
ですから、今、何かの信仰を持っているということは、その教えに人生の意味付けや目的を見出しているということなのでしょう。
もちろん、それは確信を得たうえで信仰を持ったのでなければあまり意味もありません。


それにしても、世界には様々な宗教の信仰や思想に基づく信念があり、人々がそれぞれ望ましい何かに人生の意味を見出してきたのです。
しかも、それぞれに確信があってこそ、信仰に熱意も抱けるものです。ですが、その人がどれほど確信を抱いたからと言って、信じた事柄が誰もが認める事実や真実になったわけではありません。それは依然として「ひとつの信仰」に留まっているのです。

そこで、様々な信仰を持つ人々がそれぞれに確信をもって熱心であるほどに、自分の信仰、また他の異なる信仰というものをどう見なすか、という難しい問題にも直面することになります。

特にキリスト教のような多神教ではない信仰の場合には、「あれか、これか」という信仰の条件がついてまわります。
何かの教えを唯一正当とすると、その人の信仰そのものが、別の信仰と両立し得ないという事が起こりますから、どちらかが正しく、どちらかが間違っていることにならざるを得なくなるのです。しかも、自分たちの「正しさ」が絶対であるとするなら、他の教えの「間違い」によって、つまり他との違いに「依存する」ことにもなってきます。周りが「間違っている」ことを頼りにして、それを自分たちの「正しさ」の証しにしてしまうのです。

そうなると信仰の有無や違いによって、比較による差別が避けられず、人間関係にいろいろと制約も生じることはまず避けられません。その酷い結果に宗教紛争もあるのでしょう。破壊と殺戮を繰り返す過激派の「正しさ」というのは、どういうことなのでしょうか。
そこで人は正しさを巡って戦うのですが、武器を持った争いばかりでなく、差別や嫌がらせや、優越感や蔑視など、多様な害悪がその「正しさ」の中から出てきてしまいます。それは人間関係の阻害なので、もちろん道徳的には正しくもありませんが、理屈のうえでは、それぞれの「正しい教え」から出てきているのです。

それを特に信仰を持つでもない人々から見ると、「人生について考え過ぎるのは良くない」という結論を誘うことにもなります。信仰の行いが却って愚かで有害に見えるからです。
そのため独善的な教えを持つ宗教は、外部の観点を断つために信者の情報を制限しなくては正当性の維持も難しくなってくるでしょう。実際に幾つかの宗派がそれぞれに「インターネットは危険」としますが、「自分たちだけが正しい」とのその主張は、そこまで外部の評価に耐えられないほど「危うい正しさ」なのでしょう。

「真理は一つ」と口で言うことはいかにも簡単なことですが、人は宗教上の「真理」を証明することができません。精々が聖典に書いてあるとか、信者の行状が道徳的だという程度のことにしかなりません。「圧倒的な真理」など、どこに存在するでしょうか?どんな信仰であれ、たとえ絶対に正しい信仰というものがあったとしても、信仰というものはやはり信仰の範疇にあり、人それぞれの倫理観や価値観による判断を必須とするものではありませんか。

そのうえ「正しい宗教」を広めようと伝道を行っても、あまり人々に喜ばれないのも、教えようとする側からの圧力や、優越感などを、聞く側が敏感に感じ取るところに原因があるように観察されます。伝道する側からすれば、善いことをしているつもりなのですが、受ける方では自分の意志や決定権が脅かされるような不安があるものです。相手は理屈を準備しているに違いないので、洗脳の危険を感じるとも言えるでしょう。

さて、そこでこの状況を冷静に考え直すなら、視界に入ってくるものがありませんか?

つまり、人間というものには、絶対の宗教や正しさというものを強制することができません。それは人の性質に反するのです。
たとえ、本当に「絶対正義」がこの世に存在したとしてもです。
信仰とは、確定していないことへの主観的な判断を含んでいますので、絶対の真実の下には存在しようがありません。

信仰に関する人間にとっての「正しさ」は、常にその人の主観によって「正しい」のであり、科学や数学のような客観では、人生に関する絶対の真理なり正しさなりの正解がないという現実を直視する必要がどうしてもあるのです。無生物である法則には何の倫理を期待できるでしょうか。神が人に信仰というものを求める限り、科学は神の存在も不存在もけっして証明できないでしょう。

人は内心の傾向によって、信じたいものを信じるからこそ、神は信仰によってその人を終末に見極めもすると言われるのでしょう。即ち、問われるのは倫理であり、自他を、また神を認識し得るものにこそ意味のある事柄です。そこでは、神はいないと信じることも含まれる個人の決定、倫理問題の解の一つです。

そこで人には、自分の人生を自分で決める自由があることになります。
それは数式のように導き出せるものではなく、個人の意志の自由によって「見出される」必要があるでしょう。
それが「倫理」と呼ばれる、個人個人が選択し責を負う領域のもので、他の誰が代れるものでも押し付けられるものでもありません。

それに加えて、元来、神が「信仰」というものを介してこそ人間と関わる理由を考えれば、この結論はたいへん納得のゆくものともなるでしょう。
もし、全知全能の神が存在し、その神が自らを人々に現されるときには、どんな人間であれ、圧倒されてしまい、信仰どころかただ真実だけがそこにあり、何の異論も反論もできないでしょう。それは一種の奴隷状態です。

そこでは、真理はひとつであり、選択肢も逃れ場もありません。
人は神との関係を自分で決めることなど「冒涜」などと決め付けられて不可能となり
ただ従順である以外に何の自由も持てません。
そこには神の意志だけが正しく、あとはみな間違いとなります。人の意志さえ意味を持たなくなるでしょう。

さて、人はそれが幸福と思えるものでしょうか?


多くの人々は、自分自身をどう生きるのか、その目的は何か、などの答えを求めて宗教に向かって問い掛けてきたことでしょう。
そこで、「決定的な解答」に出会いたいと思うのは自然な願いでしょうけれども、そもそも人を創られた神が、人の意志を尊重して、絶対的には自らを現さず、示さないとしたら、どういうことになるでしょうか。

実に聖書には、『神は自らに似せ、その象りに人を創られた』とあります。
その同じ神が、人を威圧してしまうなら、その意志も自由な判断もわざわざ奪ってしまうことになるでしょう。それは隷属というほかありません。

ですから、エデンの『園の中央に二本の木を植え』、アダムとエヴァを監視せず、垣も設けなかったのも、その意志の選択を見るためであり、神が自由な意志を持つように、人にもそれを持たせ、犯さなかったと言えるのではないでしょうか。
そこで強制してしまうなら、そもそも『二本の木』の必要がありません。

神が人をそのように扱われたのは、自らの『象り』を尊重することであり、人の意志決定を妨げたなら、神は自らを卑しめることになったでしょう。
そこで試されたのは「従順」と言うより、他者との関わり方の選択であり、それが「倫理」と呼ばれる個人の決定でしょう。人は自ら望むままに生きるよう創られているのではないでしょうか。

では、どうなのでしょう。
神は「絶対的な正義」を示して、人に服従を求めているのでしょうか。
それならば「信仰」とはいったい何ですか?


ですから、聖書にある規準に従えば、神に受け入れられて救われる、との教え
また、神は人に対して主権を行使することを望んでいる、など
これらは人間一般が陥り易い「神への誤解」でありましょう。
神が人を自らの『象り』としたと書かれているにしては、むしろ支配し奴隷化が目的であるとするところはまったく大きな誤解です。

「人は神の定めた摂理に従って生きることが幸福である」とはそうであるにしても
人は絶対的で不動の幸福を願うあまりに、自らを縛って『神の象り』の自由な意思決定を踏みつけてしまう傾向が非常に強いため、神や上なるものに対して自分を奴隷として差し出して自分を正当化し、内心で保身を謀ってはいないものでしょうか。その関心は自己保存本能という『恐れ』からきてはいないでしょうか。つまり、自分を売り渡すことによって、「救い」という代価を得ようとしているのです。

しかし、聖書詩篇は、人にとって『命に勝る』ものがあることを述べます。Ps63
それは『神との関わり(忠節な愛)』とありますが、保身目的で神に近付こうとするなら、その人は逆に『命』の方が『神との関わり』に勝ると言うことになってしまいます。
キリスト教徒であれば、それがイエスの示した精神とは真逆であることに疑問の余地がありません。
聖書の主題は「永遠の命」ではなく「愛」であって、神はそれを人に問われます。愛ある人こそ神と結ばれ共に生きるべきだからです。神が保身目当ての崇拝者に囲まれることを望むでしょうか。

人が「永遠の命」を目当てに「信仰する」のなら、命や救い欲しさに自分の自由を縛った信者は、他の人々まで縛ろうとするでしょう。特に子の世代、二世以降の信者はその強制の被害を容易に被り兼ねません。
確かに、誰も愛する人に「過ぎ去る存在」になってほしいわけもありません。しかし、「救いのためには愛する者も強制して奴隷化させる必要があり、それを神も望む」というのでしょうか。

「我飢えるとも、子は飢わさじ」とは天晴な親の姿ではありますが、そもそも神は災害ではありません。
神が全能であることを信じるのであれば、神にとっては誰であれ永生を与えることができるはずであり、その神が人を脅して信者を得る必要があるのでしょうか。他方で、不老不死を望むことはどんな悪人でも、いや貪欲であるほどに手に入れたいと思うことでしょう。

そこで誰かが「信仰しない危険」を唱えるとすれば、それこそは神ではなく、常に人間が唱えるのであり、人々の欲を煽り、しかも自らは更に貪欲で横柄な人格の持ち主でしょう。危険だから信仰するものではないからです。

しかし、往々にして、「絶対の宗教」は自分と愛する者たちための保身になることを請合うので、信者自ら奴隷化することが、必ず信者に救いを与えて幸福にすると信じて疑わないまでに硬直化し強度の頑迷さに至ります。
さて、それが「信仰」でしょうか。

天国や楽園などで「生ける希望」などと吹聴しながら、実は保身目当ての絶対主義で、キリストの死によって死への恐怖から解かれたとは言えず。むしろ、神の裁きの理由も考えず、ただ利益を望んでいる状態を「信仰」とうそぶいていませんか。
パウロはこうも書いています。
『働く人に対する報酬は、賜物ではなく、当然の支払いである。
しかし、働きはなくても不敬虔な者をさえ義とする方を信じる者は、その信仰が義と認められるのである。』ローマ4:4-5

キリスト教に於いては聖典にある言葉に固執し、人にとって生きて行くために重要な事柄から引き離して奴隷として働かせ、そうして「言葉の罠」に嵌まらせて神からの支払いを期待させ、神の言葉に精通しつつも自然の情愛を失い、聖典の言葉の本来の意味からさえ遠く離れてゆく姿は、かつてキリストを葬り去った宗教家の轍を踏んでいませんか。(シナイ契約はメシア信仰へのアンチテーゼなのでしょう。パウロはそれを「奴隷」としています)

こうしたパリサイ派のようなことは、独善的な宗派に於いては当然のように教えられ、まさに実践されていることではありませんか。
保身の為に自分を差し出し、隷属の業を課され人格を制限された人々の群がそこに見られるでしょう。

自己義認が強く、唯一正統で、他は悪魔の滅びの道、などと主張する愚かさがどれほど利己的で醜いものであることか。
それは神がその栄光を与えるべき人間を踏み躙っているのであり、延いては神をも卑しめていることになるでしょう。

人は自分という存在について探求し、対処法を考えている内に、理屈を捏ね繰り回す貪欲な宗教に「信仰」を懐いて、実は神でない誰かに自分を差し出してしまい、奴隷となってしまうのです。それは怪しい投資話に夢中になるのに似ています。
ですから、あちこちの宗派で「永遠に比べれば、今の人生など僅かだから・・」といわれて、生活を投げ出して宗教団体に「投資する」よう誘惑されているのです。

そんなひどい話に乗ってしまう原因といえば、その人の貪欲が煽られた結果なのでしょう。つまり、利己心という「サタンの象り」であり、自分を差し出した相手であるボスと同じ性質を帯びるのです。その圧制の下で人の自由を尊重する姿勢は失われることになり、誰が偉いかを問い始めることにもなるでしょうし、権威を横暴に振う者も現れるでしょう。弱きを顧みず切り断つことで自分の身の安全を感じ、そこで優越感に浸る主人のはびこる「奴隷制」だからです。

「自分たちだけが正しい」と唱えることで、その人たちは周囲との関係に問題を抱えることは避けられません。その本質が倫理問題だからであり、問題は家庭の中からさえはじまり、友人知人、仕事でも学校でも、更に差別化が強ければ、果ては病院や介護施設から墓に至るまで、人と人の関係を阻害し、軋轢を生むことさえ起こり兼ねないでしょう。しかし、当の信者は、それが反対に遭うという犠牲をはらい、大事になるほどに確信を強めることになります。迫害されているのだから「ますます正しい」と説かれて信じてゆくことになるでしょう。

ですが、周囲から自分の人格が認められ、また自由な決定を尊重して欲しいのであれば、まず、自らが周囲の人々を尊重するべきではないのですか。自分が自由に述べ行動するように、他の人々も自由に主張することを認めてはじめて、人は人らしく生きられるものです。自己義認が無ければ、わざわざ人間関係を荒立てる理由がありません。しかし、唯一正当などと自認している人が真実な謙虚さをもって振る舞えるものでしょうか?それはまさしく倫理問題です。

逆に、真の信仰であれば、それは事実とは未だ成っていない事柄への自分の「主観による判断」であることを認められるはずであり、まったく事実であるかのように正しいとは言わないでしょう。それは「信仰」を通り越した「決め付け」ではないのでしょうか。

ですから、自由のあるところに惹き起こされるのが信仰と言えましょう。
それは強制できるものとはいえませんし、脅して抱かせるものでもないのです。
人が恐れなく、束縛のないところで自ら選び取るものが信仰であって、その結果に隷属があるなら、それは矛盾しています。

この点で、唯一正統を主張し、絶対正義を唱える「信仰」というものがあるなら、それは少しも「信仰」ではなく、人格を無視した「強制」であって否応なく人を奴隷とすることを意味するでしょう。
その「教え」は「信仰」から外れて大いに間違っているばかりか、創造の神を自分のような圧制者であると吹聴していることにもなるでしょう。

神の御言葉が『諸刃の剣より鋭く、心の想いと願望とを切り分けるほどに鋭い』というのは、このようなことではないのでしょうか。ただ字面に従っていれば神に受け入れられるのではないのです。
また、『人はそれぞれ、その欲によって引き出され試練を受ける』のであれば、注意するべきは行動の外面よりは、心の中ということになります。
しかもそれは、気付き易いものではなさそうです。 よほどに気を付けていてすら誰にとっても『心は不実』なので、「自分は信仰にある」と自らの心を疑わずに慢心しているなら・・さて、どうなるのでしょうか。自分の意志と逆の方向には進みたくないものです。

このように、人が、自らの存在意義を探ってその空しさに怯え、却って「信仰」の名の下に自由を失い、人の奴隷になるということ、それが現に起こっているのです。
誰かが「唯一正統」を唱えるなら、その人は「神」の座を占めているのであり、自分が崇拝されることを願っているのです。それに従う「信仰」とは、神へのものではありません。





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囚われてなお語るパウロ

2019.05.04 (Sat)

◆ローマ市民権に守られる

エルサレムというユダヤ主義の坩堝の中に在って、今やパウロは、ローマ市民権を持っていたための保護を受け、アントニア要塞の兵営に居ます。
もはや、パウロの宣明するユダヤ教から離れたメシアの教えであるキリスト教は、ユダヤから強烈な拒絶を受けることが明白となりました。
その対立は異邦人であるローマ軍の士官たちには理解が進みません。ともあれ、ユダヤの群衆からこれほどの仕打ちを受けるからには、このパウロという人物に何かしら大きな問題があることだけは分かるのですが、それが何であるのか、また、どう処置してよいのやらも分からず、翌日にはユダヤの宗教指導者で構成される最高会議「サンヘドリン」を招集させ、パウロの問題を知ろうとしたのですが、またまた大混乱の内に被疑者パウロを再び兵営に戻すのがやっとの有様でありました。ユダヤ教指導層からすれば、パウロは理屈抜きに消し去るべき存在になっています。

ユダヤ教徒のパウロに対する敵意はすさまじく、アントニア要塞からパウロが出る時を狙うことが画策され、およそ40人ほどが『パウロを殺すまでは飲食を断つ』と誓って暗殺を決行しようと、必殺の機会を窺い始めていました。彼らはパウロを要塞から外におびき出すために、祭司長派に話し、サンヘドリンと組んでパウロを詳しく取り調べると称して連れ出すよう千人隊長に依頼し、パウロを神殿に付随する会堂に連れて来させるように言付けるよう依頼します。その途中で殺害するつもりであり、これは祭司長派にとって嬉しい申し出でしょう。しかし、これを聞き知ったパウロの身内が居たのです。

実はパウロの姉妹がエルサレムに居て生活しており、その息子がどのようにしてかこの陰謀について気付いたのでした。
この若者は勾留人を世話する親族として兵営に入って行き、まず、パウロに話すと、パウロはこの甥を千人隊長に会わせ、この陰険な計画を伝えさせます。
士官はローマ市民を守る務めがあり、ローマ市民はたとえ嫌疑をかけられていても縛ることは法により禁じられ、まして、殺害を許したとなれば殺人罪を問われましたから、ローマの駐屯兵としてこの陰謀は何としても防がねばなりません。そのために、以後のパウロはローマ市民として帝国の権力の厚遇を受け、ユダヤ人から守られることになります。

千人隊長は若者には口外を禁じてから帰すと、人目に付かない夜間、パウロをカエサレイアの総督府に保護することを決意し、第三夜警時(午後九時)に歩兵二百、騎兵七十、補助兵二百というパウロ一人を護送するには随分と多い兵数を準備させ、また、当時の総督であったアントニウス・フェリクスに書き送り、護送する男がユダヤ人に捕われて殺されそうになっていたが、ローマ市民であること、ユダヤ人の訴えが投獄にも死刑にも価しないユダヤ人の律法に関連するものに過ぎないこと、そして彼を殺そうとの陰謀があることを察知したので、そちらに送り、ユダヤの告訴人らには総督に訴え出るよう申し渡したことを知らせます。

ですが、このフェリクスという総督は公明正大を期待できるような支配者とも言えないのです。
ヘロデ・アグリッパスⅡ世の妹ドルシラに横恋慕し、地方長官の夫から引き離して妻とした人物で、ユダヤ人に対しては強権的に振る舞い、ローマに逆らいそうな者を容赦なく処刑したので、ヨセフスによれば彼は「日毎に処刑に追われた」と書かれてもいたのです。この総督にとってユダヤ人個人の命ならそう重いものでもないでしょう。 しかし、この横暴な総督の反ユダヤ的な姿勢もこの状況下ではパウロに有利に働くことになります。

ローマの守備隊にとってもユダヤ人にローマ市民を殺害されたとなっては面目も潰れます。ローマ兵らは夜の間にパウロを護送し60kmも離れたアンティパトリスまで強行軍を行い、次いで昼の間は騎兵隊に守られてカエサレイアに送られたパウロは、総督フェリクスによってヘロデ大王が建てた総督官邸に翌日には留置されているに至るのでした。

それから五日が過ぎると、エルサレムから告訴人である大祭司アナニアと長老らが弁護士テルトゥルスを伴ってパウロの告訴に到着し、『この男は疫病のような輩でありまして、各地のユダヤ人の間で紛争を引き起こし、ナザレ人派の頭目で、神殿まで汚そうとしたのでこれを取り押さえたのであります』とその主張するところを述べます。これはパウロが悪行者としてではなく、宗教上の争いの当事者であるとするものです。それでも、ローマにはエルサレムや神殿の秩序の維持を行う務めがあることも関係します。以前にアキュラとプリスキラがローマ退去の命に従わざるを得なかったのも、ユダヤ人同士の抗争、おそらくユダヤ教とイエス派の争いが原因でしたが、この弁士はそのように帝国に迷惑をかける悪名高い元凶がこのパウロという男であると言っていることになります。

対してパウロは、自分がエルサレムに上ってから僅か12日が過ぎたばかりであり、神殿でも、どこかの会堂や街中でも、争論を吹きかけて群衆を扇動するなどしたところを誰も見てはいないこと、しかし、自分の派に従って、先祖の神に仕え、律法と預言者らを信じ、義者も不義者も復活するという希望を抱き、神にも人にも良心を持って常に努めていると弁明します。
自分は同朋への施しを行うため、また、供え物(献金)をしようと数年ぶりでエルサレムに戻り、供え物のために浄めを受けているところで、群衆も騒ぎもなかったのであり、ただアジア州からのユダヤ人が何人かそこに居たので、勘違いから騒ぎになったのであり、何かの咎を訴えるべきは彼らであり、そうしないのなら、ここに居る者らがサンヘドリンでわたしにどんな罪を認めたのかを話すべきであることを訴え、『わたしは、そこで「死人の復活について裁かれている」と言っただけです』とも付け加えます。

これを聴いたフェリクスは、妻ドルシラが使徒のヤコブを死刑に処しペテロを逮捕させその後亡くなったユダヤ王家ヘロデ・アグリッパスⅠ世の娘であり当時のユダヤ王アグリッパスⅡ世の妹でもあります。そこでユダヤの内情やイエス派を巡るこの辺りの状況に詳しくもあったので、エルサレムの千人隊長リュシアスが来たときに裁決するとして裁きを保留し、パウロを引き続き留置するも、ある程度の自由と仲間の世話が受けられるよう手配しました。
しかし、カエサレイアでのこのようなパウロの拘留生活が年を越して長くなろうとは誰も思わなかったでしょう。

その後フェリクスは何度もパウロを呼び出してはキリストに関する話を聴くようになります。何らかの事で、彼はパウロが多くの金を有していることに目を付けます。使徒言行録を記したルカは『同時に彼はパウロから金を受け取ろうとの魂胆もあった』と記しています。ルカは明確には語っていないのですが、総督が目を付けた金とは、エルサレムに上るまでにパウロが集めた寄付金のことを指すのでしょう。確かに審議中でパウロは各地からの寄付を預かってエルサレムに到着したところであったことをフェリクスの前で弁明してもいました。
犯罪を行ったわけでもないパウロですから、保釈を望んでフェリクスに金を渡すのであれば、それも出来ないことではなかったのでしょうけれども、パウロにはその素振りもなく、却ってフェリクスにキリスト教の義や節制について話すものですから、総督は却って怖れを懐く結果になってしまいます。


◆ローマへの道が開かれる

こうして時は過ぎ『二年が終わった』とルカは記します。ローマ法には判決が下されずに二年が経過した被疑者は解放されるべきことが定められていました。しかし、新任の総督フェストゥスは『ユダヤ人の歓心を買おうとパウロを留置のままにした』とあります。

前任のフェリクス解任の理由は、彼がユダヤ主義者に対して余りに苛酷に当たるため、却ってユダヤ人が反抗的になって治安が悪化してしまい、ユダヤの主だった者たちがこの件を皇帝ネロに訴えたために彼は解任されていたのです。ここで歴史は、西暦60年を以ってフェリクスがユダヤ総督を更迭されローマに呼び出されたと有力視されていますので、ルカの言う『二年』というのは、パウロの拘留が丁度そのときまで長引いたということなのでしょう。
ユダヤに厳しかった前任者との違いを印象付けるために新任のフェストゥスが祭司長派が憎むパウロを期限切れにも関わらず釈放せず『ユダヤ人の歓心を買おうと』していたのであれば、当時の状況によく合致します。しかし、もし釈放されていたなら、またしても狂信的なユダヤ教徒にパウロ殺害の機会を与えてしまったのかもしれません。そうなると釈放は恩恵とはならないでしょうし、ローマ市民を危険に曝した咎めを新総督は負わねばなりません。

さて、着任して三日目にフェストゥスはエルサレムに上りますが、そこで祭司長派や長老たちからパウロをエルサレムに連れ戻して裁くよう要請されます。
しかし、新総督は事情を知ってか、彼らがカエサレイアに代表者を派遣してパウロを訴えるようにと取決めました。ここでユダヤの宗教家らの、その道中でパウロを襲うという目論見が再び外されます。おそらくはフェストゥスもその件についてはパウロがカエサレアに居た理由など聞いていたのでしょう。彼がユダヤ人に寛大であろうとしても、やはりローマ市民を死の危険に曝すわけにはゆきません。

それでも、エルサレムから訴訟の者らが到着すると、フェストゥスはユダヤ人に恩を売ろうとパウロに向かって『そちはエルサレムに上り、わが前にて裁かれんことを願うか』と皆の前でたずねます。しかし、エルサレムのユダヤ人らはどれほどパウロを殺そうとしてきたことでしょうか。やはり総督府の在るカエサレイアを出ればパウロは再び命を狙われ、そのときこそ落命するかも知れず、彼のローマに向かう願いも、主イエスの意向も果たされずに終わる危険が非常に高くなります。

そこでパウロはローマ市民であることを活用し『皇帝(尊厳者)に上訴致します』と申し出たのです。パウロとしてはローマに行く窮余の一策、それが主イエスの導きであると思えたのかも知れません。

しかし帝都ローマで裁判を受けるために多くの資金が要ります。それは現代でも訴訟に高額の費用が掛かるのと変わりません。そのうえ皇帝への直訴となればローマまでの旅費も食費も自前であるうえに、仕事にできない間の自分自身の生活費はもちろん、証人や弁護人にかかる費用や様々な出費を覚悟しなければなりません。ですが、パウロの手許にはユダヤの信仰の仲間への寄付金の残りがどれほどかは分かりませんが、依然として十分な資金が残されていたのでしょう。つまり前任の総督が目当てにしていた金です。

そこでパウロに対する主の意志であるローマ行きが、ユダヤ人の陰謀を排しローマ市民としての彼の上訴によって成し遂げられる道が唯一開かれることになっていたのです。
今日の法で言えば、寄付の意図とは異なる使途への充当となり問題がありますが、この資金の出所についてルカは書いていません。実際ユダヤ救援の資金が用いられたとしても、パウロ自身の訴訟費用が必要になることは誰も予測していなかったことであり、彼の生命と彼がローマに行くべき主の意志とが生じたこの件の場合に、当時、寄付者の意向の再確認は不可能と言え、古代世界でどこまで寄付金の趣旨に沿った使途に用いるべきであったかを論じるには相当な無理があることでしょう。

ですが、これも推測であり、或いはパウロの家はローマ市民権を得るほどに名家であって、多くの可処分財産を有していた可能性もなくはありません。それでも、エルサレム到着の折にヤコブからは自らの身の潔白を示すために、パウロが多額の金銭をナジル人らの浄めに用いるよう勧告されたのは、やはり持参した寄付金の使い道への指示であったと捉える方が自然な流れといえます。

ともあれ、様々な要件が自然に備わり、パウロのローマ行きは、兵士による護送によってユダヤ人暴徒から守られつつ可能となります。これはユダヤ人としては稀に受ける保護でありました。その結果、ローマに向かうパウロの身は帝国の権力が守ることになるのでした。

さて、フェリクスの後を継いだフェストゥスも総督府に居るパウロに関心を寄せ、ヘロデ・アグリッパスⅡ世とその妹にして妃となっていたベルニケー(ドルシラの妹)が新総督に表敬の訪問に来た際に、前任者から引き続き留置させられている一風変わった人物について話をします。ユダヤ人らから訴えられているのに何ら罪のはっきりしない男で、イエスという亡くなった者が生きているというので、自分はすっかり閉口してしまい、エルサレムで裁きを受けるかと尋ねたところ皇帝に上訴すると言ったので、ローマに送るまで引き続き留置していると知らせます。すると、ユダヤ教に通じたアグリッパスはパウロに会ってみたいと思い、翌日にはローマ士官らや町の有力者らと共にパウロに接見します。その「罪」を見定めるためでもありました。

しかし、パウロの主張は尽く宗教の問題であり、それが理解できるアグリッパスに向かって『預言者たちを信じていらっしゃるのでしょう?』と問いかけます。
もちろんヘロデ王家は離散のユダヤ人であると自称し、ユダヤ教の守護者という触れ込みで、あのエルサレム神殿、つまり十二使徒らも讃嘆の声を挙げた当時の神殿を建てたのが、王家の祖であるヘロデ大王であったのですから、アグリッパスもユダヤ教を知らないはずもありません。来るべきメシアについても聞き及んでいたでしょう。熱心なユダヤ教徒を自認しているほどなのですから。

しかし、アグリッパスは『お前は短時間の内にわたしを説得してキリスト教徒にしようとするのか』と答えました。ユダヤ教徒に宥和的に振る舞い自らの権力基盤を固める必要のある王にとっては、例え納得ができたとしてもナザレ派に組みすることは立場上むずかしいことで、王として関わりたくもなく、パウロの話を聴いたのも好奇心からで、いくらか後悔さえしていたかも知れません。

この審問が済むと権力者らは退席しながら『あの人は死罪や監禁に当たるようなことは何一つしていない。』と言い合い、アグリッパスは『あの者は皇帝に上訴していなければ釈放されていただろう』とフェストゥスに語ります。これはかつてピラトゥスやヘロデ・アンティパスがイエスに罪を認めなかったのと同様に、頑迷なユダヤ教徒と公平な観方のできる為政者らの見識の違いを際立たせるものです。それを通して、モーセの律法に固執しメシアの到来を認めないユダヤ人にしてみれば、イエスとその弟子たちの教えがどれほど受け入れ難いものであったかがますます明らかです。もはや遠からずユダヤ教とキリスト教とは決別することになるでしょう。


◆囚人となっての航海

しばらくして、パウロは他の何人かの囚人らと共にカエサレイアからローマに向けて護送されることになります。時は西暦59年にはなっていたと考えらていますが、総督の交代時期からすれば西暦60年であった可能性もあります。
護送される囚人らは皇帝直属の部隊の百人隊長ユリアスに委ねられ、パウロに同行するルカたちも含めて一行は小アジアの船に乗せられます。季節は夏の後半になっていたようです。

この民間の船で小アジア南岸の港ミラまで進みます。そこでユリアスはイタリアに向かう船を見つけ、一行を乗り込ませたのですが、これは当時の比較的大きな船で乗り込んだのは276人であったとルカは記しています。しかし、出帆したものの、風向きが悪くてなかなか進まない中、西に進むの諦めて南下し、クレタの島の南側を帆走してようやくに島の中央部、ラサヤの街が東方8kmにある「良い港」と呼ばれるところに入港できました。地中海では今の暦で9月から翌3月までは海が荒れるため、その間の航海が危険なものになるので、雨がちな冬の明けるまではどこかの港に留まる安全策を取るのが常識であったのですが、そこの「良い港」は冬を越すのには不向きであったと書かれています。

そこでパウロも、ここから先に進むのは積荷ばかりでなく、乗り手の命にも危険があると進言したのですが、船長や船主はクレタ島の中でもそう少し先の過ごしやすい港まで行くことにしていて、しかも、そこにその時期にしては珍しくたおやかな南風が吹いてきたものですから、百人隊長のユリアスもそちらの言葉に信頼を置き、65kmばかりの航海であるし、これは行けるというところでした。しかし、これが災いの始まりとなるのでした。一行を乗せた船がクレタ島の南岸を進んでいると、間もなく地中海の台風であるユーラクロンと出合ってしまい、その強い風が島の方から吹き下ろしはじめました。

船は島に沿って西に進むことができず、地中海のただ中に吹き出されてしまいます。船乗りは船をロープで補強し、帆は下ろして流されるままにする以外に方策がなくなりました。
海はひどく荒れ最初は積荷を、次の日には船具さえ捨てて流されるままに過ごしますが、何日も昼は太陽も夜は星も見えず、すっかり望みも絶えたかに思えた日にパウロの下に天使が遣わされ、船は失われても命を落とす者はひとりもいないことが告げられます。パウロは人々にそれを伝え、どこかの島に打ち上げられると教えます。

嵐に遭ってから14日になっても状況は変わらず、連日荒れた海のただ中を流され続けていましたが、水夫らは海が次第に浅くなって陸地に近付いていることを悟っていました。
それまでの間、皆が食事を摂らなくなっていましたが、パウロは誰一人失われないことを再び預言して、皆にパンを食べるように勧めます。同乗の人々も満腹するほど食べて、それから穀物も捨てて船が漂着するのを待つと、夜が明けて砂浜のある入り江が見えていました。

水夫らは舳先の帆を上げて浜に向かって船を前進させますが、舳先を浅瀬に乗り上げて船は動かなくなると、船の後部は打ち寄せる激しい波に壊され始めてしまいました。囚人を護送していた兵士らは、囚人を逃亡させないために殺そうとしましたが、航海を通してパウロに心服していたであろう百人隊長のユリアスは『彼を救おうと兵士らを制して』、なお浜まではいくらか距離があったので泳げる者は飛び込ませ、他の者は浮くものにつかまらせて陸に上がるようにさせ、こうしてパウロに言ったようにすべての者が失われずに命を長らえることができたのでした。

その島はマルタ島であり、フェニキア語を話す島の人々は、言葉の障碍があるにも関わらず地中海特有の冬の氷雨の中、焚き火でパウロらを温めるなど遭難者を暖かく迎え、パウロは土地の長官プブリウスの接待を受けた際に、長官の父親の熱と下痢を癒して返礼すると、島の人々も自分たちの病人を連れて来てはパウロに癒してもらいました。これはもはや悪人の所業でないことは誰の目にも明らかです。

この航海は難破という危険を伴ったものの、パウロの周囲の人々には安全があり、ユリアスのパウロへの敬愛のようなものも感じ取れる結果を得ました。それは、この後のパウロに対する境遇を和らげ、ローマでのパウロの活躍の幅を広げるものともなったことでしょう。

そうして、パウロたちはこの島で三か月を過ごし、同じくこのマルタ島で冬を過ごしていたアレクサンドレイアの船に乗り換えてイタリアに向けて出帆しました。まずシチリア島のシラクサに到着し、それからイタリア半島の先端にあるレギオンを後にして、南から春の順風を受けネアポリス(現ナポリ)湾に在った当時イタリア最大の港ポテオリに入り、遂に波乱万丈の海の旅を終えることになりました。

護送されている囚人とはいえ、ユリアスの親切を受けてパウロには相当に自由が与えられていたようで、ポテオリでは仲間を見つけては勧められるままそこに七日留まって後、いよいよ陸路でローマに向かいます。ローマの仲間たちはパウロ到着の知らせを受けて、ローマから松並木で知られるアッピア街道を60kmほど下った三軒宿(トレス・タベルナ)の辺りまで出迎えに来たので、その姿を見たパウロは大いに勇気づけられ、神に感謝を捧げたとあります。


◆ローマでの軟禁生活

ローマに入ると、パウロは監獄の収監されることもなく、自ら借り上げた一軒の家に軟禁されますが、それも見張りの番兵はただ一人だけという当局からの信頼ある厚遇を受け、仲間たちの世話の出入りはもちろん、彼の話を聴きに来る者らさえ拒まれなかったので、囚人という立場ながらカエサレイアよりも自由に、自分の家の中であれば何に妨げられることなく宣教することができました。ローマではアキュラとプリスカなど、以前からの仲間たちとも顔を合わせることができたでしょう。
加えて、ローマ在住のユダヤ教徒らもパウロの話に耳を傾けて特に反発もしませんでした。また、彼の許にはエクレシアの信者ばかりか、以前に世話した各地の仲間も尋ねています。

例えればエフェソスのオネシフォロスがいます。この人物はパウロがミレトスに呼び寄せたエフェソスの主だった年長者の一人であったのでしょう。オネシフォロスはパウロがローマに移されたことを知って、人口百万を数えたという巨大都市ローマの喧騒に足を踏み入れることを厭わず、『丹念にわたしを捜しまわった末、尋ね出してくれた』とパウロが手紙に述懐しています。『彼はたびたび、わたしを慰めてくれ、またわたしの鎖を恥とも思わなかった』ともパウロは述べ、宣教の報いに忠節な友に恵まれたパウロの幸福が窺えます。後にエフェソスをも襲った反対の嵐の中でもこのオネシフォロスは忠節を保って、パウロの支えとなり続けています。

また、小アジア奥地のリュコス渓谷からはエパフラスが訪ねてきました。リュコス渓谷近隣のコロッサイ、ヒエラポリス、ラオディケイアのエクレシアイはこのエパフラスの働きに負うところが大きく、とくにコロッサイのエクレシアは彼によって設立されたと見做しても良いほどらしく、パウロはコロッサイの人々が『エパフラスから学んだ』とも述べています。(コロサイ人への手紙1:7/4:13)
このエパフラスもローマにパウロを訪ねて、長い滞在をしたのでしょう。パウロは彼を『わたしと共に捕われの身になっているエパフラス』とコロッサイの信者のフィレモンに書き送っています。(フィレモンへの手紙23)

このフィレモンという信者は裕福な人であったようで奴隷を持っていましたが、そこからオネシモスという名の奴隷が逃亡してローマに来ていたところ、この人も何かのきっかけでパウロによって信仰を懐くに至り、キリスト教徒となったのですが、コロッサイの主人フィレモンも同じ信仰にあったため、パウロが仲立ちとなって主人フィレモンと逃亡奴隷オネシモスを仲裁した短い手紙が、「フィレモンへの手紙」として新約聖書に収められています。この手紙は逃亡したオネシモス自身とテュキコスの二人によって、コロッサイと、おそらく今日エフェソス宛とされる手紙とが共に届けられています。(コロサイ人への手紙4:9)

また、やはりフィレモンへの手紙の中で、パウロの許にはテモテやルカだけでなく、マルコ、つまりあのキュプロス出身のバルナバの従兄弟が居たことも知らせています。
では、あのバルナバは、二回目の宣教旅行から別れ、55年頃にパウロがコリントスへの手紙の中で言及して以来、使徒言行録からも記述がなくなっているバルナバはどうしていたのでしょうか。
伝承によれば、バルナバはキュプロス島で宣教をする内にユダヤ教徒の反対行動に遭って命を落とし、マルコがサラミュスで彼を葬ったとされています。聖書からはキュプロスに旅立って以後のバルナバの消息が辿れなくなっていることを考え合わせると、この伝承は否定できないところがあります。
ともあれ、かつてはこのヨハネ=マルコの行動が原因で仲たがいしたバルナバとパウロではありましたが、そのマルコ自身がパウロの許に来ていたことはそうした蟠りも過ぎ去ったことになっている姿が見えますし、実際パウロはマルコについて、手紙でも『彼はわたしの務めをよく助けてくれる』と後に書いています。(テモテへの第二の手紙4:11)

パウロが囚われてローマに送られたことを聞いたなら、まず援助の手を差し伸べそうなのがマケドニアのフィリッポイのエクレシアでしょう。あの紫布商人のリュディアの浸礼以来、この人々は何度パウロの必要を満たしてきたことでしょうか。やはりフィリッポイの人々はローマに居るパウロの許にエパフロデトスを遣わして援助品を届けさせています。(フィリピ人への手紙4:15-16・18)
しかし、このエパフロデトスはローマに着いてから病気に罹ってしまい『死ぬほどになった』とパウロは書き送っています。フィリッポイのエクレシアとしては、パウロに遣わした者が、却って世話になってしまったことに心を痛めたことでしょうけれども、パウロは彼の熱心を誉めて『あなたがたがここに来てわたしに仕えられない分を十分に埋め合わせた』と述べ、幸いに病気も治ったので彼を急いで帰らせるとも書いていますが、そのフィリピ人への手紙が快癒したエパフロデトス自身によって送られています。

こうして二年間にわたるパウロの帝都での生活は、ローマの地元での宣教も実を結んで、船旅を共にした隊長ユリアスのような異邦人でもメシア信仰に触発された人々が現れたことでしょう。皇帝の親衛隊の全員とその周辺に福音を知らせる結果となったばかりでなく、ネロの帝室からも信者も得た様子が彼の手紙類からも分かります。
それらに加えて、約十年に及ぶ彼の異邦宣教が実を結び、各地の仲間とのやりとりの中で何通もの手紙が書かれ、その内容を通して今日の人々にまでパウロが会得していた『神聖な奥義』の様々な教えが伝えられているのです。

パウロの生涯は、モーセの律法を全うして『罪』のないことを証ししたキリスト・イエスを基礎として、その犠牲の上に成り立つ新たな教え、即ち「キリスト教」へと人々を導く貴重な役割に捧げられました。彼こそはまさしく『諸国民への使徒』また『奥義の家令』であり、 確かに主イエスの選んだ器として、諸国民の中から、神の経綸がモーセからイエスへと大きく舵を切っていたことを知らせる先駆者であったのです。

それでも彼は単に善良で温厚なだけの宗教家ではありませんでした。多くの外敵と戦い、様々な苦境や障碍を、また仲間についても悩み苦しみ、時に怒りを宿し、涙を流すなど、人間らしい素のままの感情を表すことでは取澄ました仮面人間ではなかったのです。

また、パウロ自身は負い目を絶えず感じて行動していたことを告白してもいました。
つまり、かつて自分が反対者としてナザレ派となったユダヤ同朋を迫害し、その結果、おそらくは命を奪うこともあったことであり、そこで自らを『使徒の中で』また『聖徒の中で最も小さな者』と呼ぶときに、その苦衷が窺えます。

身から離れない眼病を『高慢にならぬよう、絶えず平手打ちを加えるもの』と語り、内に秘める偉大な奥義の知恵にも関わらず、また行う奇跡の大きさにも驕らず、律法に通じたユダヤ人でありつつローマ市民権保持者で五か国語を操るほどの素養と身分とを備えてはいても、なお謙虚にして熱烈な想いを彼自身の過去の負い目が形作っていたと言えるでしょう。
しかし、キリスト教という神の経綸に触れるすべての人にとって、この人物に負う事の方がどれほど重いでしょうか。











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