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ギリシアからローマへと

2018.12.21 (Fri)


◆コリントスの問題

コリントスへの第二の書は「涙の書簡」と呼ばれることもあるほどに、パウロは臆面もないほど大きな感情の起伏を見せています。
冷静に教えを語る場面と、『狂人のように』激しい言葉を連ねたかと思えば、コリントスの人々への満足を表してもいます。
その余りの違いように研究者らは、これらが幾つかの書き貯めた文書を集めて一つの手紙に仕立てたものではないかと考えています。

そうであれば、確かにパウロは以前からコリントスの集まり(エクレシア)の状態に気を揉んでいたことは明らかで、エフェソスを発つ頃から彼らのためにいろいろと書き始めていたということはなるほど想像に難くありません。実際、この手紙には異なる内容が盛り込まれていて、パウロ自身の使徒職についての弁明、コリントスの仲間への『涙』を伴う訓戒、先に送った手紙での訓戒に一定の成果があったことを誉め、それからパレスチナへの献金の勧めも含まれています。

さて、パウロがトロアスでテモテたちと合流しても、彼の気持ちは安らがず、『兄弟テトスに会えなかったので、不安の心を抱いたまま人々に別れを告げ、マケドニア州に発った』と述べています。(コリント人への第二の手紙2:13)
しかし、フィリピに居る間にコリントスからテトスが来るに及び、パウロは第一の手紙への反応を含めて、その様子を知ることができ幾らかの喜びを得たことが書かれています。
第一の手紙で強く譴責した悪行者には、仲間からの懲らしめが臨み、その事では改善をみたようです。
それでもパウロの感情を揺さぶっていたのは、コリントスの人々の改まり難い性質でありました。

コリントスのエクレシアでは、依然として分派的な傾向が収まってはいない様が窺えます。
原因を造っていたのは、『大使徒』を詐称する偉ぶった教師であり、弟子たちにはそれに追随してしまう者らが居て、派閥を競う事態となっていました。そのうえ、パウロの使徒職にさえも疑問を投げかけ、彼の言葉を軽んじる者らが少なくもなかったのです。
彼らは議論好きであり、ギリシアが長年培った哲学からくる論法も影響したのでしょうか、先の手紙でパウロは、自分はこの世の知恵を語らないと言い『わたしはあなたがたの間で、イエス・キリスト、それも刑柱(十字架)につけられたキリスト以外、何も知るまいと心に決めていた』とも彼らへの手紙に書いています。パウロには聖霊の証しがあるので『わたしの言葉もわたしの宣教も、巧みな知恵の言葉によらないで、霊と力との証明によった』とも述べ、彼の行っていた驚異的な程の奇跡の業に神とキリストの繋がりや信任があったことを述べています。

しかし、コリントスの仲間は『大使徒』らを重んじ、パウロをないがしろにしていることがテトスから伝えられたのでしょう。そこで第二の手紙ではパウロは、自分が『彼の手紙は重味があって力強いが、会って見ると外見は弱々しく、その話し方は貧相だ』と低められている様をそのままに書いています。

確かに、パウロの話し方には幾らか分かり難いところがあり、『経験の浅い者たちが誤解している』と、ペテロがその手紙の中で心配していますし、後の時代の「教父」(キリスト教指導者)であったエイレナイオスも、パウロの手紙文に見られる倒置法が内容を分かり難くしていることについて記しています。(ペテロ第二の手紙3:16/異端反駁Ⅲ:6)
コリントス宛てなどの長い手紙では、読んでいてパウロが何について語っているのかが読み進めてからでないと分からないところもあり、エイレナイオスが述べるように、そこには幾分か性急なパウロの語り口の特徴が表れているのでしょう。

一方、コリントスの『大使徒』らは恰幅もよく、物越しも洗練され、話し方も流麗であったのかも知れませんが、パウロには外面の欠けたところを遥かに超えたものが備わっていたことにコリントスの人々は知るべきでありました。元々パリサイ派で律法に通じたパウロには、キリストに至るまで旧約聖書の中に秘められていた様々な奥義の理解が溢れるほどに明かされ、その内容の重大さからすれば、彼が性急にほとばしるように語ったとしても、それは共感できるところです。(コリント人への第二の手紙10:7)
この『諸国民への使徒』パウロに、神とキリストからの信任があり、天からでなければ得られない『目も見ず、耳も聴かず、人の心に思い浮びもしなかったこと』さえ教えるパウロを敬服すべき理由は十分過ぎるほどあったのです。

エフェソスでの尋常ならざるパウロの奇跡を間近に見た人であるなら、ここまでパウロの持つ超自然の事柄を並べる必要もなかったのでしょう。そこでパウロは雄弁なアポロにコリントスに行くよう願っています。分派してしまったそれぞれの領袖のパウロとアポロが一致を見せるなら、それが彼らにとって一番の薬になったことでしょう。ですが、そのときアポロは事情が有ってかそうしませんでした。(コリント人への第一の手紙16:12)

コリントスのエクレシアには、聖霊の賜物が満ちていて、それは却ってパウロという人物が奇跡(デュナミス)に於いても奥義(ミュステーリオーン)においてもどれほどの者であるのかを悟るのに高慢さの雲がかかっていたのかも知れません。
しかし、パウロは自らを『奥義の家令』(オイコノモース ミュステーリオーン)と評価されるべきことを書いています。(コリント人への第一の手紙4:1)
確かに、彼には多くのキリストからの教えに満たされ、それはコリントスへの第一の手紙の随所にも明らかです。彼は復活する聖徒たちが肉の体から霊の体へと一瞬に変えられること、すべて後にはキリストも一切の権威を神に返すこと、などを証ししています。これらは神からの知恵なくして語れる内容ではありません。

しかし、コリントスの人々はパウロがどれほど重大なことを話しているのか、まだ分かっていなかったのでしょう。彼らの関心といえば、議論好きな割に生活上の事柄であり、そこから考えの違いが始まり内部で分裂し、秩序を失っていました。それぞれが自分の思いついた教理を教え『復活など無い』という、まるでサドカイ派のような者らもいたのです。これは復活の主を宣明するキリスト教からの逸脱であり、コリントスの集まりにあった分裂のひどさを物語っています。

そこでパウロは彼らが『肉的』であって『霊的』ではないと断じてもいます。真に霊的であるなら、聖霊の教えることに素直に耳を傾けたことでしょうが、コリントスの集まりでは、霊の賜物によって皆がまちまちに話し、しかも異言は翻訳されず、何かを学ぶという環境でなかったことも書かれています。まさに彼らの分裂と蒙昧の原因がそこに示唆されているかのようです。(コリント人への第一の手紙3:1-4・14:26-33)

今日に至るまで、キリスト教界は分裂を重ね、多くの流血をも避けられませんでしたが、それらをパウロが見ていたなら何と言ったでしょうか。もちろんそれは霊的とは言えません。使徒時代のように『聖霊』が注がれていない以後のキリスト教界であればなおさらのことでしょう。コリントスの人々の分裂傾向は後の時代の学ぶべき教訓とも言えます、

パウロは二通目の手紙では、自分の内にあることがどれほど貴重なものかを知らせるために、『狂人のように』自分を証しし、使徒として宣教にどれほどの苦難を味わったのか、また、幻の内に『第三の天』にまで挙げられ、そこで人に語ってはならないほどの超絶的秘儀を見聞きするに至ったことさえあるとも書いています。(コリント人への第二の手紙11:21-27・12:1-7
こうまで自分を弁明しなければならないほどにパウロを追い込んでいたのは、彼らの神聖な奥義に対する世的な鈍感さと、その彼らへのパウロの愛情であったと言えるでしょう。パウロはコリントスの弟子らの『父』であるという想いを先の手紙で明かしてもいました。彼にとってコリントスの人々は、手塩にかけた子供のようであったのです。(コリント人への第一の手紙4:15)

またここに、聖霊を注がれて奇跡の賜物を与えられた聖なる者らであっても、自ら霊的な事柄への価値を努めて認識するべきであったことが示されていたと言えます。そうでなければ聖なる立場から『離れ落ちる』こともあり、キリストが帰還されるときに、『神の御前で、聖にして、非のうちどころのない者とされる』よう『狭い戸口からはいるように努める』必要があり、それは『入ろうとしても入れない人が多い』とイエスが語られていたことでもあります。(テサロニケ人への第一の手紙3:13/ペテロ第二の手紙3:17/ルカ福音書13:24)



◆災害地への支援金

コリントスへの手紙には、パレスチナの聖徒たちへの募金を集めようとしているパウロの姿も見えます。
およそ15年後の西暦70年、また、その後の一世紀から二世紀の時代に、小アジアの山間部を襲った大地震でラオディケイア市は倒壊したものの、街が裕福なために自力で復興したことをローマの歴史家タキトゥスが伝えていますが、西暦117年頃の大地震でスミュルナがほぼ全壊したときには、マルクス・アウレリウス帝が十年間の租税免除と再建資金の供与を行ったことも伝えられていますが、タキトゥス自身が小アジアに赴任していた官吏でありましたから、これはローマ帝国としても激甚災害の被災地に無頓着でなかった証しといえます。

一方、使徒言行録の中に書かれた『大飢饉』については、使徒言行録のコルネリウスの記述の前に、エルサレムの聖霊注がれた預言者アガボスが『大飢饉が起ることを霊によって示した』という記述があり、ルカはその災いの範囲を『全世界に』とも書いていますが、特にユダヤで被害が大きかったことのルカ特有の誇張表現であったのかも知れません。(使徒言行録11:28)

ルカはこの災害が『クラウディウスの時に起った』と記していますが、この皇帝の在位は西暦41年から始まり54年に及びましたので、パウロがエフェソスを後にするこの時期までがこの第四代皇帝の支配であったことになります。アキュラとプリスキラにローマ退去を迫ったのもこの皇帝でありました。このクラウディウス帝の治世中に起った飢饉については、ヨセフスの「ユダヤ古代史」(20:15・101)に、やはりクラウディウス在位中でクスピウス・ファドスとティベリウス・アレクサンドロスがユダヤ総督であった西暦44年から48年にかけてエルサレムを含むユダヤが大飢饉を被ったことが記されていますので、それはエルサレムで、異邦人への割礼を免除する決定を下した使徒会議の数年前に起っていたことになります。

災害は平素からの生活弱者を直撃することは古今変わるところがありません。特に奴隷身分の生活は元より辛いものであるとヨセフスも書いていますし、この飢饉では困窮者は生活必需物資も買えずに死んでいったとも書かれています。
被災した地域への募金などの援助は、公私に関わらず必要とされたことは今日と同様であり、このユダヤの大飢饉ではユダヤ教に改宗していたアディアベネ王国(現イラク北部)の王妃ヘレネもアレクサンドレイアから大量の穀物を、キプロスからは干しイチジクを輸入してユダヤの困窮者に配給させていたこと、その息子イザテスも多額の金子をエルサレムの指導者らに送り、貧しい者らに与えさせたとヨセフスは記してもいます。

まして、ディアスポラのユダヤ人がエルサレム逗留の時に地元の人々に食事や宿を提供され、土地を売却までして資金を賄ったことへの感謝を示す意味があるだけでなく、異邦人であろうと人間味ある慈善の相互援助の意識は『聖なる者の全体』を気遣うべき弟子たちであればこそ、パウロの提唱した募金も強いて取るようなものとは言えないでしょう。彼のこの募金への意図は別の手紙にこう書かれています『もし異邦人が彼ら(ユダヤ人)の霊の物にあずかったとすれば、肉の物をもって彼らに仕えるのは当然だからである』(ローマ人への手紙15:27)

それらの援助の送り先がユダヤであったところで、パウロが担当者に無割礼のギリシア人テトスを用いたのも、異邦人の自発心を促したようにも見えます。それがけっして横流れして誰かユダヤ人の欲得を満たすようなところがないと示す意味もあったとも見えます。

既に49年頃に、エルサレムでの使徒会議の折にも、パウロはバルナバと共に救援資金をエルサレムに運んでいましたが、50年代半ばに至っても飢饉の災難は依然として過ぎ去っていなかったのでしょう。パウロの心中にはエルサレムに上るべき主イエスの自分への意向を感じており、それが最後の聖都訪問になる予感もあったなら、マケドニアとアカイアの救援資金をできるだけ集めて行きたいという願いが彼を動かしていたとも考えられます。
そうしてパウロは、エルサレムに上る前に救援資金を集め、コリントスの無秩序を静めて、次なるイエスからの使命に踏み出そうとの決意が窺われます。

パウロはマケドニアを巡りつつアカイアに入り、遂にコリントスに着いたはずですが、彼がギリシアに三カ月留まったこと以外、ルカは問題の多いそこの集まりの反応についても、パウロがコリントスの諸問題をどうしたかも述べていません。おそらくは、然程に良い反応がなかったのでしょう。

それから約四十年が過ぎ、パウロも世を去った後にローマからコリントスへ一通の手紙が送られました。差出人はローマに居たクレメンス(クレーメース)という人物で、更に後の第三世紀の著名な教父オリゲネースによると、このクレメンスは聖書中のフィリピ人への手紙にその名が記されている人物であるとしています。この手紙は聖書に匹敵するほど霊的な内容を持ちませんが、当時の実情を伝える資料ではあります。(フィリピ人への手紙4:3)

もう第二世紀に入ろうとする頃、このクレメンスはローマの集まりを代表する監督(エピスコポス)となっていましたが、この時代に至ってもコリントスのエクレシアには分裂の問題が有り、使徒たちを知っていたらしいこのクレメンスが彼らに手紙を書いて、コリントスの集まりの不一致を咎めています。
『あなたがたは論争好きだ』とクレメンスは指摘し、彼らがどれほどパウロを苦しめたかを思い起こさせ、反省を促しています。この手紙からすれば、どうやら、コリントスのエクレシアの性向はパウロ以後も続いたことが窺われ、それは容易に改善はしなかったのでしょう。使徒言行録に於けるコリントスについてのルカの沈黙は、彼らへの諦めを暗に伝えているのかも知れません。

加えて、パウロがこれらギリシアで二度目に過ごした時期については、聖書で明らかになっているパウロの行動に当てはまらない宣教が一つ聖書中にあります。

それは、パウロがこの時期までにイリュリクム(イリュリア)にも伝道に赴いたと書かれていることなのですが、この地方はイタリアを対岸にするアドリア海を望むバルカン半島の西側を意味します。つまり、現在のアルバニアから北側のモンテネグロからクロアチアなどがある方面ですが、パウロの当時にイリュリクムはマケドニアの一部にされ、アルバニア方面に限定されていましたので、ルカがマケドニアについて『この地方を巡り歩き、言葉を尽くして(人々を)励まし』と記されたパウロの活動に含まれていたのかも知れませんが、そのイリュリクムの地が当時のパウロの宣教の西の端となっています。おそらくはその地方独特の海に迫った山の高みからアドリア海を眺めては、その向こう側に横たわるイタリアへの思いを馳せたことでしょう。 (ローマ人への手紙15:19/使徒言行録20:2)



◆ローマ人への手紙と贖いの教え

ギリシアでの三カ月の間に、彼はローマの集まりに長文の手紙を書いています。
その中で、彼は自由な身の上のままでローマに赴くことを想定していたようで、ローマの向こう側のスパニア、つまりイタリア半島の更に向こう側、西に端にあるイベリア半島のスペインにも向かう意気込みを記していたのです。
パウロは、ローマ帝国の東側には、宣教において手付かずの場所は残されていないとも述べています。彼の宣教意欲には並々ならぬものがあり、『わたしの血が、あなたがたの信仰の供え物の祭壇に(献酒のように)注ぎ尽くすことになったとしても、わたしはそれを喜ぶ。』とかつて宣教した仲間たちに言っています。(ローマ人への手紙15:23/フィリピ人への手紙2:17)

さて、西暦54年のクラウディウス帝の崩御から一年以上が経っていたこの時分に、勅令によって追放されていたユダヤ人たちはローマに戻ってきていたのでしょう。エフェソスまでパウロと一緒にいたアキュラとプリスカも戻っていた様がこのローマ人への手紙から分かります。また、この書には多くの個人名が書かれており、パウロ自身の『同族の者たち』というのは、おそらくベニヤミン族の親戚なのでしょう。他にも諸国の人々の名前が挙げられていますが、これほど多くの個人名の現れる書簡は他にありません。パウロの語るところを筆記して手紙に記したコリントスのテルティオスという人物までがそこに挨拶を書いてもいますし、他のコリントス側の名前の挨拶も少なからず挙げられていますので、これらの名前の数々を概観すると、この時期までのパウロの宣教が実を結び、多くの信仰の仲間を得た喜びを垣間見るかのようです。

ですが、ローマのエクレシアにも問題がなかったとはいえないようです。
特に、ユダヤ人のローマ退去令によって、ユダヤ人が去った後の異邦人による集まりの運営が数年続いたところに、再びエクレシアで二つの民が顔を合わせたのですから、双方の意識の違いを乗り越えて融和するための新たな理念が求められていたことは明らかです。
そこでパウロはユダヤ人と諸国民で構成される集まりに向けて、『外見上のユダヤ人がユダヤ人ではなく、また、肉に施された外見上の割礼が割礼ではない。内面がユダヤ人である者こそユダヤ人であり、文字ではなく霊によって心に施された割礼こそ割礼なのだ。』と語りかけ、エクレシアの誰もが真に神の民となるようにと訴えます。(ローマ人への手紙2:28-29)

このようにパウロの優れたところは、今やユダヤ教を脱皮していたキリスト教という新たな次元の宗教を備えるべく、神の秘儀を知らせる『家令』として深い理解が託されていたことであり、それはキリスト・イエスが犠牲の死を遂げて後に開示され始めた、まったく新しい教えであったのです。それは律法にまったく服した生涯を送ったイエス・キリストとは別に、律法から解かれた後の使徒たちを通して知らされなければなりません、『キリストが律法の終り』に位置していたからです。ローマ人への手紙は、このようなキリスト教の根幹となる教えを端的に記していますので、古来、パウロの書簡で最重要の位置を占めていると評価されてきたのです。(ローマ人への手紙10:4/ガラテア人への手紙4:4-5)

その中で、彼はイスラエルに与えられていたモーセの律法の意義をユダヤ人にも諸国民にも明らかにしています。
ユダヤ人には神の言葉が託されたことにおいて大いに益となったこと、律法は聖く、善にして義なるものであることを述べています。

しかし、その一方で、モーセの律法はキリストに在って一心に生きるパウロでさえも肉的であると糾弾するものであり、実際、彼自身が『罪の下に売られてしまっていて、自分の行うところが願うところではなく、憎んでいることを行っている』とも告白しています。つまり、自分の内に宿る『罪』がそれを行わせているとして、『ユダヤ人にもギリシア人にも不公平はなく』、『律法の内に在って罪を犯した者も』『律法なしに罪を犯しても』共に裁かれることを述べています。つまり、律法は人間全体の中に巣食う『罪』というものを知らせる働きを持っていたというのです。(ローマ人への手紙7:19-20)

これを述べてから、パウロはキリストの犠牲がどのように人間の『罪』を取り去るかという、キリスト教の最も重要な『贖い』について明解に説明し、それがユダヤ人か諸国民かに関わりなく、あらゆる人種に必要不可欠であったことを説いて、アダムとイエスを対照させてこう述べます。『ひとりの罪過によってすべての人が罪に定められたように、ひとりの義なる行為によって、いのちを得させる義がすべての人に及ぶ。』つまり、アダムがエデンで禁じられた善悪の知識の木の実を食べてしまい、子孫全体が『罪』という倫理上の欠陥を負ったように、キリストの死に至るまでの忠節が、子孫の全体の『罪』を相殺して許しをもたらすことになります。(ローマ人への手紙5:18)

人が生まれながらに『罪』を負っているという教えは、律法に従うユダヤ教には本来はありません。律法を守ることで彼らは『義』を得られると信じるからです。
『律法を行うことでは、だれもが神の前に義とせられないからである。律法によって罪の自覚が生じる』と述べるパウロは、明らかにユダヤ教から離れていて、そこにキリストの犠牲の価値の高さが説かれます。これこそがキリスト教というものであり、他方でユダヤ教は今日に至るまで来るべきメシアを待ち続けているままですが、パウロは『わたしたちは律法から解放され、その結果、古い文字によってではなく、新しい霊によって仕えている』また、律法と聖霊を対照して『文字は殺し、霊は生かす』とも言います。キリストの犠牲は当時の弟子たちに聖霊をもたらしていたからで、それは彼らが律法から解かれた証拠でもありました。(ローマ人への手紙/コリント人への第二の手紙3:6)



◆キリストと共に神の子とされる者たち

ユダヤ教を超えたキリスト教の高みに彼らを至らせたのは、当然ながら律法を守ろうとする行いである『業』ではありません。パウロはそれが『信仰』によるものであったと教えます。つまり、イエスが約束されたキリストであることを信じる「メシア信仰」を抱いたからであり、ただ神を信じるという以上の信仰であったのです。(ローマ人への手紙3:21-22)

ローマ人への手紙の第八章でパウロは『すべて神の霊に導かれている者は神の子である』また『あなたがたは・・神の子とする霊を受けた。この霊によってわたしたちは「アッバ*、父よ」と呼ぶ』とも述べて、聖霊を注がれた当時の仲間たちの高められた立場を説いています。*(アラム語で「父」の親称)
それはキリストが復活し生きていることによって『キリスト・イエスに結ばれて、神に対して生きている』のであり、『キリスト・イエスを死人の中からよみがえらせた方は、あなたがたの内に宿っている霊によって、あなたがたの死ぬべき体をも、生かしてくださる』とも語り、彼らが聖霊によってキリストを結ばれたことの大いなる価値を知らせます。(ローマ人への手紙6:11・8:11)

キリストに不滅性をもたらした義の完全さにも与る彼らには『今やキリスト・イエスにある者は罪に定められることがない』ともパウロは語りますが、これは彼らがもはや不滅性に達したという意味ではありません。パウロ自身が自分に『罪が有る』と告白するように、アダムからの『罪』は引き続き彼らの肢体に働いているのですが、キリストの犠牲に免じて、仮の義が貸与された状態にあります。
これが『新しい契約』の意義であり、契約というものが不確定な事柄について取り結ばれるように、聖霊を注がれた弟子たちに於いては、彼らがキリストに倣う生涯を送り、一定の清さを保つことを条件にキリストの義が彼らにも適用されることを可能にしていました。
ですから、それは聖霊を注がれた彼ら自身によって契約を全うする余地が残されていたのです。

キリストの犠牲の益を受けて義の完全性に到達することは、最終的には信仰を持つことになる人類の全体に広げられてゆくものですが、その『罪』の赦し、つまり『贖罪』は大祭司キリストと従属する祭司となる彼ら『神の子ら』の働く「千年王国」によって成し遂げられるものです。そこで聖霊を注がれた彼らは、予め『罪』を許され、『神の王国』に召されてもいるのです。

ですからパウロが『被造物は、実に切なる思いで神の子らの現れを待ち望んでいる。なぜなら、被造物が虚無に服したのは自分の意志によるのではなく、服従させた方によるのであり、かつ、被造物自身にも、滅びのなわめから解放されて、神の子たちの栄光の自由に入る望みが残されている』と語るのは、創造されたすべての者にとって『神の子ら』である聖霊注がれた人々が現れてその希望が現実のものとなることを指しています。(ローマ人への手紙8:19-21)
そこで彼は聖霊を注がれた当時に仲間たちを『霊の初穂を得ているわたしたちも、神の子とされること、つまり、体の贖われることを、心の中でうめきながら待ち望んでいる』とも記します。(ローマ人への手紙8:23)

この理解はパウロだけのものではありません。
イエスの弟であるヤコブも『父は、わたしたちを、いわば被造物の初穂とするために、真理の言葉によって御旨のままに生み出して下さった』とその手紙に書いていますが、これはキリスト教理解に於いて異邦人を導いたパウロとエルサレムでユダヤ教イエス派を導いていたヤコブの間に共通の認識がなければ書き得なかったと言えるでしょう。
律法への見方はこの二人の間に異なりがありましたが、ヤコブがパウロのように語り、行動していたならユダヤの弟子たちは猛烈な迫害を受けて存在さえ危ぶまれ、そうなればユダヤ人からの転向者を受け入れる器もなくなってしまっていたことでしょう。(ヤコブの手紙1:18)

パウロはローマ人への手紙の第十一章で、異邦人の弟子たちは血統のイスラエルの不足を補うために、イスラエルという木に『接木された枝』との比喩で言い表しています。
そのようにして人類救出のための選民イスラエルの全体数が揃うためであったとも語ります。
ですから、キリストの弟子たちの業、『神の子ら』を召し出す宣教では、異邦人へのパウロの働きも、ヤコブの務めも共に必要であったのです。

こうしてギリシアのコリントスに居ながら、パウロの想いはまだ見ぬローマへと向かっていました。彼にはその前に義援金を携え、エルサレムを訪れる必要がありましたが、それはそれまで以上に波乱に満ちる旅の始まりとなります。しかし、そのことをまだ彼は知りませんでした。






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Do the Lord's Supper in a primitive Christian way. On the night of April 7 2020

2018.12.02 (Sun)
Annual Pascha comes near on the 7th of next month in 2020.
As a matter of fact, I hope all readers will be able to share this most important ceremony of Christianity with each other.

By the way, “The Lord's Supper” has been widely referred to as “Easter” or “Easter” in the Christian world, but it is the Jewish Passover Festival from which the Christian “The Lord's Supper” was derived It's from the place where Christians hated the original form of the supper of Pesaha. However, in the period of primitive Christianity, this ritual was also called “paska”, because it came from the transliteration of “pesaha” in Hebrew, so initially it is once a year at the Jewish festival. It was being done along.

However, since ancient Christianity divided Judaism and jealousy and received many persecutions from Judaism at the same time, Jews hated to share holidays with Jews, and the Jewish "passover". In order to separate it from Christ's "Supper of the Lord", change to "Supper of the Lord" as "Resurrection of the Lord" on the next Sunday of the next full moon, using "Spring minutes" different from Judean calendar In addition, it is regarded as the law of the empire at the Nicaea Council, and apart from the essence of the Lord's Supper, which should have been "memorial to the Lord", it has been transformed into a celebration of "Easters" and has reached today You

In addition to that, the Lord's Supper can be reasoned to be able to experience much of the connection with Christ by doing "Supper" as a "sacred supper" anytime, and whether it is daytime or not, "the communion It has become a frequently performed ritual called pilgrimage.

On the other hand, the Jews also redefined the law of taking the seder on the night of Nisan 14 which was the original night of Exodus, and moved 15 days a day, one day later in the age of Christ, That day is an opportunity to kill Christ unintentionally on the day of the Exodus, and thus Christ is being typified by the lambs slaughtered in each family of Egypt, and that the death of Christ was God's rule of God I made a testimony by accident.

Now, with regard to when the Lord's Supper will be performed today, the role played by Christ, in particular the two elements of yeastless bread and red wine representing Christ's flesh and blood, have a link to the death of the sacrifice. If you respect the many things that Moses showed as a model during Exodus, it is almost certain that it should be taken to the Jewish "passover".
Christ died in connection with the Jewish festival and was judged by the High Priest Kiahfa, and eaten the night before Exodus in the conflict between the priests and Judah Iscariot. If you have a reverence for God, you have to die of the Lord's Supper, which is a day to be protected by the Jewish Nisan 14th day (odds 12:14). there is not.

It does not mean that it will be astronomically the same day of the solar year.
It is worthwhile to be close to the Jewish festival being held.

(Perhaps that is why Judaism has existed to this day, and even in the final period of the end, along with the pagan Christianity, the doctrines and practices of the Pharisees Judaism have also been destroyed Will continue to form the end of the apostasy.)

Also, if you realize that Christ's body has no sin from Adam and that his death was a fulfillment of the law, conscience will give up that bread containing yeast like a new church will It will be. The fact that the bread is yeast-free also indicates that it should be done as a dinner on Nisan 14 of Passover.

Where yeast-free bread is not readily available, as in Japan, it will take some time to make, but if it is a ritual involving the sacrifice of Christ and if it is possible to do so, one who is not involved in this ritual Is good. That is because he has no sense of value, even people who eat and drink without having the miracle Spirit of the Holy Spirit.

On the other hand, for those who agree with the above-mentioned “The Lord's Supper,” take the evening of April 18 this year as a clean item, and prepare two elements of yeast-free bread and red wine liquor for each. It is recommended that you have a certain amount of time to think about and spend in prayer.

Since Christ is still absent, so long as there is no remnant of the Holy Spirit, the “Sacred Ones” who have entered the “new contract” to eat and drink elements do not also participate for the absence, but the pagan Christ It is possible to achieve the vision of Zion by symbolizing the figure of religion and leaving Babylon on the Euphrates River symbolically. First of all, by setting up a dinner table.

In order to cooperate with the great passage of God by Christ, "All the things of Heaven and Earth" (Ephesians 1:10), "Build a long, desolated place, and renew it" (Isaiah 61: 3-4) 'Who? God is questioned (Jeremiah 30: 18-22), and there is room for voluntary participants, people moved by faith. “They will be my people” means that God's work is also glorified by people's willingness.

Since Christ's absence in order to “get kingship” and the Holy Spirit has been lifted, Christianity has been turned into 'David's Ruin', and there is neither a temple nor an altar in Sion nor a shadow of worship. Christians have long been trapped in Babylon's thick, high walls. If this is the case, there is no wonder that Christianity will end in Babylon.
Then, isn't there a "person who laments Zion" like Daniel?

When the decree of King Cyrus, the former Messiah, was issued, there were a few volunteers who were aiming for Zion. When they arrived, they stood at Zion and first built the altar and restored "the casual sacrifice". After that, we had to wait for a while for the reconstruction of the temple due to the opposition of the surrounding peoples, but even before the reconstruction of the temple, the worship of God was partially revived in Zion, and the people We have succeeded in recovering before the ritual of the guilty festival.

And if Christ's second presence is approaching, slaves who open the door immediately just as "Please return" when another messiah behind Cyrus opens the door. It must be. They are those who fasten the band and keep on waiting for a bonfire all night long.
Since these men have been working before the return of Christ, they are not the saints who have the Holy Spirit. They are not appointed because they are appointed masters, "Who will? It is suggested that it is a spontaneous actor, as it is asked.

Still, with the return of the master, Jesus foretold that those who were not Saints would receive exceptional treatment.
This is also shown in Isaiah's book that the mothers of the saints of Zion will be glorified, give birth to their children, and have God as their husband.
"Look! The darkness covers the earth, and the dark darkness embraces the people. Send the light! It may be pointed out that Zion is waking up before getting the children. (Isaiah 60)

This is a woman who has been pregnant with the light of the heavens depicted at the end of the apocalypse, and the saint, the baby, who is a saint, is paid to God, and the woman herself will be attacked with the well-being of "3:30" We will show support for the saints. (Apocalypse 12)

About that, Jesus is also told in Gethsemane's prayer that the saints and the believers can both be made the people of God.
'Because not only for them but also for those who believe in me in their words.
Father, let us all be one, as you are in me, and I in you. Keep them within us.
Then the world comes to believe that you sent me. (John 17: 20-21)

This is a John Apocalypse, which also implies the reason for the "200 million Cavalry" to appear when the four men are released from the Euphrates River. This large number of cavalry carries on the work of the leaving Saints, the former Saints, and more powerfully stings on Babylon, the third, to blame the prisoners of the powers who will bury the Saints. It will be.

If we look at these events of the ancient times and the end, the way we look at “The Lord's Supper” will become even deeper, and it will also motivate the people in response. Who will be the volunteer who stands in "The Ruin of Zion"?

Faithful and thoughtful household Wait through the night

To hold a seat in the Lord's Supper is to wait all night for the return of the master, and it is not an empty, meaningless fast to not have your own meal.
If there is a person who understands and understands this understanding before God, "Sion, get up! ] Is the present, and it may be that the glory is approaching.

That is why I pray for the Lord's Supper, which is from all over the world, to be remembered before God, including the author.


Irenaeus



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