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『後の者が先になる』 二つの民

2018.07.24 (Tue)


◆福音を受け入れる諸国民と拒むユダヤ人


諸国民への宣教の任務を担って船に乗ったバルナバ、パウロ、マルコは、キプロス島ではまず東南部の良く知られた天然の良港サラミスに到着し、ユダヤ人の会堂をまわってはメシア信仰を広めます。
それから島の中を巡って後、サラミスの反対側のパフォスにまで至ると、そこはローマ元老院直轄領キプロスへの執政官代理の赴任先であったようで、当時はセルギオス・パウロスという使徒のパウロと同じ名の貴族が着任していましたが、この人は聡明であるうえ、メシア信仰に一方ならぬ関心を示して、バルナバの一行を招いてまでその話に耳を傾けたいと願うので、彼らはその前でメシア信仰の福音を説きます。

しかし、ここで悪霊の邪魔が入ります。この執政官代理の傍に居た『呪術者エルマ』は自分の主人がメシア信仰に至るのを妨げようとしたのですが、どんなことをしたのか使徒言行録は書いていませんが、何等かの魔術を仕掛けたのでしょう。それに対し使徒パウロが聖霊に満ちて『見よ、主のみ手がおまえの上に及んでいる。おまえは盲目になって、当分、日の光が見えなくなるのだ』と宣告すると、この呪術者もたちまちに盲目となり、手を引いてくれる者を求めます。
これを見ていた執政官代理は唖然とし、却ってメシア信仰を抱くに至るのでした。
パウロが後に『わたしの言葉もわたしの宣教も、巧みな知恵の言葉によるのではなく霊と力との証明によるものであった。』と書いているように、使徒や初期の弟子らの宣教にはキリストの霊の証しが伴うもので、その霊は悪霊の妨害に勝る力を示したのです。(コリント人への第一の手紙2:4)

こうして一行はキプロス島を一巡すると、それからアナトリア(現トルコ)に向かうことにします。
パフォスから船出して、半島南部パンヒュライア州のペルガ(ペルゲー)の港に着きましたが、ここでバルナバの従兄弟のマルコは何を思ったか、エルサレムにある母の家に帰ってしまうという予想外の行動に出ます。バルナバとパウロはマルコを諦め、内陸に向かいピシデア(ピシディオス)州のアンティオケイアに着きます。当時あちこちに同じアンティオケイアという名の町があったのは、百年ほど以前までトルコからシリアを経て東方に至るまでを支配したセレウコス朝に「アンティオコス」の名を持つ王が何人も出たところによります。当時の、王や妃、また王子の名によって都市を建設したり、改名したりする習慣がしのばれます。

さて、このトルコ半島の内陸部のアンティオケイアでも、バルナバとパウロはまず安息日にユダヤ人の会堂に入ります。
モーセと預言者たちの朗読が終わると、会堂の役員がふたりに人を遣わしては『兄弟たちよ、どちらかの方かが、ここの人たちに何か奨励の言葉がありましたらどうぞお話し下さい』と要請してきました。もちろんこれは願ってもないことで、パウロは立ち上がると『イスラエルの方々、ならびに神を畏れる(異国の)みなさん、聞いてください』と話し始め、旧約聖書のイスラエル民族の歴史を回顧した後に、イエスがメシアとして来られたことを説明し、『この救いの言葉はわたしたちに向けられているのです』と演説し、イエスを神が復活させたことにも言及し、律法の罪からのイエスによる解放を知らせます。
すると、ここの会堂の人々の反応はたいへんに良いもので、次の安息日にもイエスの福音を話してほしいと懇願されるほどであったといいます。

そして、次の安息日には、異邦のこの町の人々のほとんどが会堂に押し掛ける様相を見せましたが、これはそれまでなかったほどのことだったのでしょう。主導権を奪われ面目を潰された常連のユダヤ人らはそれを見ると猛烈な妬みに満たされ、パウロの語る新しい事柄に言い逆い始めます。いつも争論の渦を巻き起こすパウロはここでも同じ経験をすることになったようですが、彼とバルナバとはユダヤ人らに向かって『神の言葉は、まずあなたがたに語り伝えられるべきものでした。しかし、あなたがたはそれを拒み、自分自身を永遠の命を得るに値しない者としたのです。では見なさい、わたしたちは異邦人の方に行く。主はわたしたちにこう命じておられるからです。「わたしは、あなたを異邦人の光と定めた、あなたが、地の果てにまでも救いをもたらすために。」』(イザヤ書49:6)

これを聞いた異邦人たちは喜びに沸き、多くの人々がメシア信仰を受入れることになったとルカは記します。
そこでユダヤ人たちは、町で有力な信仰にあった貴婦人らを説き付け、迫害を煽動してパウロとバルナバを地区の外に追い出すことに成功しますが、ふたりは、ユダヤ人らに対して忌むべき異教の土地に対するかのようにサンダルについた塵をユダヤ教徒に向かって振り払うと次の町、イコニオムへと進みます。
しかし、残された異邦の人々は聖霊に満たされるようになり、パウロたちの宣教はひとまずこの町でも成功を収めたのでした。



◆エルサレム使徒会議

ユダヤの宗教的習慣の中で生活してきた特にヘブライ語を話す人々であれば、メシア信仰に入ったといえども、律法に沿って形作られた習慣や良心の働きは変えられません。人々の意識が変化し、キリスト教という別の新たな教えに到達するには、まだまだ時を必要としていた時期でありました。
ですから、コルネリウスのためにペテロが異邦人の家に入り込んで彼ら無割礼の異邦人と親しくしたことや、パウロのようにモーセの習慣を異邦人に教えようとしない極論に眉をひそめたとしても、自然な反応だったでしょう。
メシアとして来られたイエスの進める神の経綸が、彼らの常識には追いつけないほど革新的であったからです。

エルサレムでは、伝統的な神殿祭祀がレヴィ族によって身近に続けられ、イエス派も主の弟ヤコブを主軸にし、その神殿を中心に活動を行っていたのですから、やはりユダヤ教の中のイエス派と呼ばれる崇拝の範疇に留まっていたのであり、ヘブライストの弟子たちの律法遵守が、後に起こるヤコブの殉教に至っても変わらなかったことは聖書からも当時の史料からも知られるところです。

むしろ、ヤコブは律法を守ることに於いてはユダヤの良心を代表するかのように模範的であり、日毎に神殿で祈りを捧げる姿を見ては、周囲のユダヤ教徒からさえ深い尊敬を受けていたことが、ヘゲシッポスというユダヤ系とされる著名なキリスト教徒を通して伝えられていますし、当時のユダヤ人で歴史家となったヨセフスも彼を「義人」と呼んでいます。そこでエルサレムのイエス派も平安を得ていたのでしょう。他方、パウロはシリアが拠点で、ペテロも逮捕を逃れてエルサレムから離れていました。(教会史6:22:8)

そこで、ユダヤのエルサレムとシリアのアンティオケイアとの間には、崇拝意識に違いが生じ、パウロたちの宣教が実を結ぶに従い、ますます相違が大きくなっていたことは想像に難くありません。しかし、ユダヤ教の色彩の強いエルサレムのイエス派からすれば、異邦人の割合が高いアンティオケイアの集まりに対して優越感を持たざるを得なかったのも当時では無理からぬところがあります。

この頃、ヤコブがまとめるエルサレムの集まりの中からの人々がアンティオケイアのエクレシアに来ると、異邦人に向かって『あなたがたは割礼を受けなければ救われない』と教え始めたところで、双方集まりの人々が抱く信念の違いがはっきりと出てしまいました。ですが、ユダヤ人からすれば割礼をこのように重要視することは、創世記以来の伝統からして自然な結論であり、確かに聖書的な観点に立っています。(創世記17:11〜14)

ですがそこで『パウロやバルナバと彼らとの間に、少なからぬ紛糾と争論とが生じた』と使徒言行録に記されています。
異邦諸国民へと業を広げていたバルナバとパウロの居たアンティオケイアの集まりからすれば、エルサレムのモーセ中心の見識には違和感を感じた人々もあったでしょう。国際都市であるアンティオケアとしてはこれは放置できないと判断します。

キリスト教は未だユダヤ教からはっきりと分かれていないこの時期に、このような信念の異なりは避け難いことであったのでしょう。人はすぐにその信念を変えられませんし、信念とは安易に変えるようなものでもありません。
その一方で、ヘレニズムの諸国民からすれば、割礼は古臭い因習的で暗い印象が否めないもので、嘲笑さえ受けるものでした。もし、割礼を求めるなら、その宣教の速度に影響したことでしょう。
また、割礼というものは、イスラエルの血統の保持と民族の繁栄に寄与するものでありましたが、今や血統に依拠しない崇拝へと変化しつつありました。

この時点では弟子たちの間で、モーセの契約とキリストの『新しい契約』とがどのように扱われるべきかについては、イエスからの聖霊に導かれつつも、未だ手探りでいた姿がそこに見えます。しかし、後のパウロに与えられた先進的な知恵『奥義』の理解によって、キリストの弟子らの進むべき道がはっきりと示されることになってゆきます。

さて、割礼の問題が生じたアンティオケイアの人々は、バルナバとパウロに加えて無割礼のギリシア人であるテトス(ティトス)を含む数人をつけてエルサレムに送り出し、使徒や年長者らと協議するよう計らいました。こうして、後に「エルサレム使徒会議」と呼ばれるキリスト教をまとめるための集まりの舞台が整います。

一行は道々各地の集まりの人々に諸国民の転向の話を聞かせてはエルサレムへの道を進んでゆきました。
エルサレムに到着すると、彼らは当地のエクレシアと使徒たちから歓迎を受け、さっそくに諸国民の中でなされた業と人々の帰依について報告をします。
しかし、パリサイ派からの信者たちは、やはり『割礼を受けさせ、律法を守らせるようにさせるべきだ』と言い続けるので、使徒と年長者たちが会合を持ち、この件を討議することになります。
議事のほとんどは残されていませんが、終盤で結論へと導いた使徒ペテロの発言をルカは記録しています。
『人の心を知っておわす神は、わたしたちと同じように異邦人にも聖霊をお与えになり。彼らに証しを立てられました。また神は、信仰によって彼らの心を清め、わたしたちと何の差別もされませんでした。では今なぜ、わたしたちもわたしたちの父祖も負いきれなかったくびきをあの弟子たちの首にかけて神を試すようなことをするのでしょうか?』(使徒言行録15:8-10)
これを聴いた一同は静かになったとあります。奇跡の聖霊の力の証しを立てられては反論も出てこなかったのでしょう。


◆ヤコブの議決

そこで先の宣教旅行を経験していたバルナバとパウロが、無割礼の異邦人の間で神がどれほど多くの奇跡の印を行われたかを話して聞かせ、集まった皆はそれに聴き入りました。
二人が話終えると、エルサレムのエクレシアをまとめていたイエスの弟ヤコブが、結論を導きこう言います。

『神が初めに心を配られ、異邦人の中からも御自分の名を信じる民を選び出そうとなさった次第については、シメオンが話してくれました。預言者たちの言ったこともこれと一致しています。次のように書いてあるとおりです。「その後、わたしは戻って来て、倒れたダヴィデの幕屋を建て直す。その壊された所を建て直して、元どおりにする。
それは、人々のうちの残った者や、わたしの名を唱えるすべての異邦人も主を求めるようになるためだ。」』(使徒言行録15:14-17)


ヤコブは旧約の預言書つまり「預言者たち」(ネイヴィーム)からアモスの預言にイザヤの言葉を僅かに絡めて引用しましたが、それはユダヤ教も特に考えの固いパリサイ派からの人々の同意を促す効果があったことでしょう。そこでは神殿が建てられる以前の幕屋がエルサレムに持ち込まれた故事を引き合いに、イエスによって再び興された神への崇拝の始まりの時期に居た弟子たちの状況が映し出され、そこにはイスラエルの残りの者たちだけでなく、異邦諸国民も共にその『幕屋』の再興に連なると予告されていたのです。(アモス書9:11-12/イザヤ書45:20-21)

続けてヤコブは、会議を総括してこう述べます。
『それで、わたしはこう裁定します。神に立ち帰る異邦人を悩ませてはなりません。
ただ、偶像に供えて汚れた肉と、淫らな行いと、絞め殺した動物の肉と、血とを避けるようにと手紙を書きましょう。昔からどの町でもモーセの律法が告げ知らされ、安息日ごとに会堂で読まれているのですから。』(使徒言行録15:19-21)


こうして当時の主要な弟子たちは、ひとつの結論に至ることになりました。つまり、諸国民からの弟子たちには割礼も律法遵守も強制しないというのです。しかし、これは千年以上続いたモーセの伝統からすれば驚くべき変化であり、議場から出た結論に驚愕したユダヤの弟子たちも多かったことでしょう。しかし、この裁定がなければ二つの民は共に「主の晩餐」に与ることもできないのです。

そこでやはり、ヤコブの裁定には双方の民の異なりへの配慮が加わります。つまり、当時のヘレニズム文化の各都市で日常行われていた偶像崇拝とそれに関わる食事、また奔放な性交渉、売春や買春を避けること、また、律法がユダヤの会衆(カハル)に交わる異邦人に要求していた「血の禁令」も守り、そうすることで、それまで無割礼ながらユダヤ教の会堂に出入りを許されてきた『神を畏れる者』としての最低限の規準を異邦人の仲間も同じように保って、エクレシアでユダヤ人と異邦人とが会堂を共にすることができ、分裂することがないようにという配慮です。こうすれば、これまで通りにユダヤ人からしてもその無割礼の異邦人と会堂の場を共にしない理由はなくなります。

ですから、このヤコブの裁定をもって、今日のキリスト教徒までに課せられた掟と見做すのは的外れなことで、特に律法中の「血の禁令」がキリスト教徒にまで延長されたと見做すべきでもありません。確かに『絞め殺した動物の肉』には血が残っているのでユダヤ教徒には禁忌される食物になりましたが、血を飲み食い、さらには輸血で体内に取入れることまでもキリスト教が禁忌しているとしますと、血によって人の『魂』(ネフェシュ)の尊さや重さを教えようとした律法の教訓が、ただ血という液体を『魂』と教えたことにされてしまいます。
しかし、キリストはご自分の血の犠牲を神の前に捧げましたが、液体の血を捧げたのではなく、物質ではない『魂』を捧げたことの象徴が血であったのです。

メシアに至る前の段階に在ったユダヤ教では、血の禁令を通して『魂』の意義が教えられ、祭儀では膨大量の動物の血の扱いがされ、祭日の神殿では祭司たちは白い服に血がかかる中で奉仕していました。
しかし、最終的な血の犠牲であるキリストの『魂』が神に捧げられ、『贖い』が満たされた以上、『真理と霊によって』崇拝される時代が到来して以降は、もはや崇拝であれ義認であれ血液が関わることは二度と無いでしょう。『すべてのものを浄めるのは』キリストの血であり、ほかのどんな血でもないのですから。(ヘブライ人への手紙9:22・28)

多くのキリスト教の宗派では、聖書の中に「規則」を見つけようとしてきました。それらを神から義と見られるために、また救いのために守る必要があると主張されます。現代でもモーセの「十戒」だけはキリスト教徒にも課せられていると教えられる宗派もあります。
しかし、ヘブライストの弟子をまとめるヤコブですら、『律法全体を守っても、一つの点でつまずくなら、その人はすべてを犯した者となる』というのです。(ヤコブの手紙2:10)
キリスト教徒を自認しながら律法中の規則を適用しようという動機は、その人が神の是認を得たいという欲求であり、神の裁きを逃れて安心したいところにあることでしょう。そのために規則を探しては神からの命令に服従していることにしたいのです。しかし、それではメシアの到来のときに律法に固執し、メシア信仰を働かせなかった人々と変わるところがありません。

また、その人は、「救いのためには善人でなければならない」と言っていることになるのですが、イエスは『義人ではなく、罪人を招きに来た』と言われ、パウロは、律法のような神の前での業の義ではなく、救いの手立てであるキリストへの『信仰によって義とされる』という基本的教えを何度も強調しています。どんなに善人を装っても、人はみなキリストの犠牲が必要なアダムの子孫であるからです。血を避けた人が神の是認を受けるのではなく、キリストを信仰する人が神に受け入れられるのは明らかです。(マタイ福音書9:23/ローマ人への手紙9:30-32)
しかも、神の裁きはどんな人に対しても公平に臨むことは避けられません。まして、モーセの十戒にせよ、使徒会議での裁定にせよ、キリスト教徒の不変の規則にすることは、当時の状況への無理解と自分の救いを急ぐ利己心とを露わにするばかりです。(使徒言行録10:35)

ともあれ、使徒の時代に在っては、ユダヤ人と異邦人という『ふたつの民』をキリストの許に平和に召すという役割をヤコブの裁定が持つことになりました。(エフェソス人への手紙2:15)
彼らはバルナバとパウロに加え、数人の証人を付けてアンティオケイアに返し、その手には議決を記した書簡を持たせました。
ヤコブはその中で『聖霊とわたしたちとは、次の必要事項のほかは、どんな負担をも、あなたがたに負わせないことに決めた。』としています。つまり、その決定にはペテロやパウロたちに存分に働いた聖霊の証しすることを皆が承認したという意味合いも含まれているのでしょう。反対意見を抑えたのはどんな人の意見でもなく、聖霊の働きであり、そうでなければ誰がユダヤ人の律法主義を抑えることなどできたでしょうか。
この「使徒会議」が行なわれたのは、キリストの犠牲が捧げられ、聖霊が注がれるようになってから、はや16年になろうという西暦49年のことであったろうとされています。



◆賃金の例え話

この知らせを聴いた諸国の人々は大いに喜んだとされていますが、各地での諸国民の弟子の増加を促したことでしょう。
しかし実際のキリスト教の進展は、律法を引きずるユダヤ人ではなく、その後は身軽な異邦人の中でギリシア語を用いつつ進んでゆくことになります。
実は、そのことがイエスの語られていた「賃金の例え」に予め示されていました。『後の者は先になり、先の者は後になる』というマタイ福音書の第20章にある講話です。

葡萄園の収穫の時期に、その持ち主には多くの人手が必要になります。
ある主人は日当1デナリウスという約束で何人か雇い入れ、さっそく朝から働いてもらいます。
しかし、それでは人手が足りず、午前9時頃に広場に居る人々を雇いましたが、それでも足りません。そこで正午と午後3時にも雇い、最後は午後5時にさえも新たに雇います。

さて午後6時になり、雇ったすべての人々に賃金を払うことになって、何と、この主人は一時間だけ働いた人にも、朝から働いた人々にも1デナリウスを支払うのでした。
そこで収まらないのが、最初の人々であることは言うまでもありません。
それでも主人は『友よ、わたしはあなたに対して不正をしてはいない。あなたはわたしと1デナリウスの約束をしたではないか。
自分の賃銀をもらって行きなさい。わたしは、この最後の者にもあなたと同様に払ってやりたいのだ。自分の物を自分がしたいようにするのは、当り前ではないか。それともわたしが気前よくしているので、ねたましく思うのか』
というのです。

もちろん、こんなことをすれば労働に関わる法律に抵触してしまうのが現代ですが、これは例え話であり、イエスは何事か重要なことを弟子たちに残そうとして語られたのです。
そして話の最後にイエスは『このように、後の者は先になり、先の者は後になるであろう』と言われるのです。(マタイ福音書20:16)

この例え話も『天の王国』に関わることであると前置きされていましたから、これは賃金の払い方を話しているのではありません。
キリストの現れによって、ユダヤ教からキリスト教へと移り変わる過程で、千数百年続いてきたモーセの律法体制を築き守り続けてきたイスラエル民族の歴史上の労苦は多少のものではありません。旧約聖書の分厚さにもそれは見えているのですが、内容を読むなら、そのページ数がどうということさえ越える苦難の連続でありました。それは、まるで炎暑のなかで一日中働き続けてきたかのようです。
ですから、この民族にとって『神』と『律法』とはモーセ以来ずっと断ち難く結ばれてきました。ですが、そのモーセも言うように、メシアが到来した後には神の新たな崇拝の方式を受け入れなくてはなりませんでしたが、これは習慣的な良心の働きをも変える必要があり、簡単なことではありません。(申命記18:15-19)


その一方で、キリストの福音に触れて転向してきた諸国民は、延々と続いたユダヤの苦しみの歴史から学ぶことができ、その最終結果である聖霊を注がれ、真の『アブラハムの裔』に含まれるという『1デナリウス』を得ることになり、そのうえキリスト教理解に於いても先を行くという、ユダヤ人からすれば妬ましい境遇に置かれることになりました。

ですから、イエスがこの葡萄園の主人に『わたしが気前よくしているので、ねたましく思うのか』と言わせたからには、やがて現れる異邦人イエス派を受け入れるよう促す意味があったのでしょう。

ですが、実際には、ヤコブの裁定をもってしても、ユダヤ人イエス派の優越感や律法重視はなくなることはなく、以後もパウロはユダヤ教徒ばかりでなく、これらのヘブライストの弟子たちの意識とも戦い続けなくてはなりませんでした。まさしくパウロが自認したように彼は『奥義の家令』であり、聖霊の知恵はパウロを異邦人聖徒の先頭に立たせ、新たな崇拝「キリスト教」へと導くことになってゆきます。パウロは確固として、こう言ってはばかりませんでした。『キリストは律法の終わりである』(ローマ人への手紙10:4)

それでもイエスが、その地上の公生涯の間に語られたこれら多くの言葉が、パウロたちの支えとなっていたことでしょう。こうした変化をもたらしていたのは、明らかに主イエスであったからです。
キリストが天から導いているこの時期に、弟子たちは聖霊に教えられつつ「キリスト教」という、律法を超えた新次元に到達しようとしていたのです。







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◆サウロという論争の渦

エルサレムを追われた弟子たちが、メシア信仰を携えて各地に広がってゆく間に、それを迫害するパリサイ派のサウロは、イエス派を取り締まる権限をサンヘドリンから取付け、百キロも北方のシリアのダマスコスにまで至っていました。イエス派の信仰を持つ者は誰であっても捕えてエルサレムに送還しようとするその鼻息は荒く、彼はイエス派からすっかり恐れられる虐待者として知られていたのも無理はありません。

さて、イエス派を追う彼が、従者を連れてダマスコスの近傍まで来たとき、突然に強烈な光が彼のまわりに輝いたのでサウロはそこに倒れました。
『サウル、サウル*、なぜわたしを迫害するのか』と言う声を聞きますが、姿はなにも見えません。『あなたはどなたですか』と尋ねると『わたしはイエス、あなたの迫害している者だ』と答えがありました。さらに『さあ、起きて町に入れ。そうすれば、あなたのなすべきことが知らされる』とも言われます。
*(本文でここはギリシア語サウロスではなくサウルとなっていて、イエスがヘブライ語で語ったことを示唆しています)

彼は視力を失ってなってしまい、従者に手を引かれてダマスコスの門をくぐります。市内にはアナニアスという名の弟子が居ましたが、主は幻として現れ、『立って「エウテイアン(真っ直ぐ)」という街路のユダの家に行き、そこにサウロというタルソス出身の人を尋ねるように、今、彼は祈っている。彼は幻の中でアナニアスという者が来ては、彼の目を開けてくれるよう手を置くのを見た』。こう言われたアナニアスの方は「タルソスのサウロ」と聞いて心中穏やかでありません。『主よ、わたしは多くの人からその輩については、あなたの聖なる者たちにどんな悪事を働いたかを聞いております。』ですが、主は急かして『さあ、行きなさい。あの者は、諸国民たち、王たち、またイスラエルの子らへの、わたしが選んだわたしの名を伝える器なのだ。わたしの名のためにどんなに苦しまなければならないかを、彼に知らせよう。』と言われます。

そこでアナニアスが言われるままにサウロを訪ねると、その手を置いて『兄弟サウロよ、あなたが来る途中で現れた主イエスは、あなたが再び見えるようになるため、そして聖霊に満たされるために、わたしをここにお遣わしになりました』と言うと、サウロはその場で視力を回復し、すぐにバプテスマを受けると、ユダヤ人の会堂に行ってはイエスこそ神の子であると唱え始めたものですから、ユダヤ教徒はサウロのあまりの変化に驚き戸惑います。
しかし、サウロの論議はますます力を得てイエスがメシアであることを確固として証し続けるので、遂にユダヤ教徒らはサウロを厭い嫌うようになります。今日でも、ある宗派にとって以前には中枢で働いていた人物が別の教えを受入れ、古巣が論破されるのことは大きなダメージを受けずには済みません。そこで内情を暴く元の仲間を「棄教者」や「背教者」として称しては隔離したりして、なんとか黙らせたいと願うことでしょう。やはりパウロはその後何度も殺されかけています。

彼が後に書いた手紙の内容を比較すると、それからしばらくの間の彼の行動がある程度分かります。
まず、サウロはアラビアに出掛け、そこでメシア信仰を広めようとしたのでしょう。おそらくはそこでもユダヤ人は強い拒絶反応をみせたようです。ユダヤ教徒らはアラビア方面を広く支配し、ヘロデ王家にも親しかったナバテア王アレタスⅣ世の権力を利用してサウロを捕えようとしていたのでしょう。その追手はダマスコスに戻ったサウロに追いつき、アレタス王の総督府もサウロを捕縛するために市内を探すようになっていました。(ガラテア人への手紙1:15-17/コリント人への第二の手紙11:32)

しかし、その謀略を悟ったサウロを弟子たちが匿い、以前には激しい迫害者であった彼を保護することにします。
追手にはユダヤ教徒も加わったらしく、反対派は皆でサウロを狙い、ダマスコスのすべての市門を見張らせていましたから、いずれ市内で見つかれば殺されてしまうでしょう。
そこで仲間たちは、彼を籠に載せて夜の間に市の城壁から吊り降ろして市外に脱出させることに成功します。(使徒言行録9:23-25)

その後のサウロがどうしていたかは聖書に詳しくありませんが、故郷で天幕造りの生業に勤しんでいたのかも知れません。
しかし、ガラテア人への手紙によると、それから三年してエルサレムに上り、ペテロの家に15日滞在して主イエスの弟ヤコブに会ったそうですが、他の使徒には会わないでそこを立ち、シリアを通って出身地キリキアへ戻ったとしています。(ガラテア人への手紙1:18-24)

このエルサレム滞在中にもギリシア語を話すユダヤ教徒とサウロは争論になってしまい、やはり命を狙われています。ですが、ステファノスのような殉教者をまた出して、イエス派にそれ以上の窮境をもたらすことは双方の誰も望んだことではないでしょう。そこで弟子たちはサウロを北西の地中海沿岸の港カエサレイアまで連れてゆき、彼の故郷に送り出したとルカは記しています。(使徒言行録9:26-30)

一方で、弟子たちがサウロを故郷のキリキア州(現トルコ南東部)に送り出した後『ユダヤ、ガリラヤ、サマリアの全地方にわたって平安を保ち、基礎がかたまり、主を畏れ聖霊に励まされて歩み、次第に信者の数を増して行った。』とルカは書いていますから、パリサイ派としてもイエス派としてもサウロという人物がいかに論争の渦の中心であったかを暗示しています。彼がパレスチナでもアラビアでもシリアでも、そこで活動すると必ず騒動になっていたのです。今やサウロは、ステファノスを超えるほどに強力なイエス派の論客であったといえましょう。(使徒言行録9:31)

さて、このエルサレム訪問のときに、サウロはバルナバ(バルナバス)という人物の世話になっていますが、このレヴィ族でキプロス(キュプロス)島出身のヘレニストの弟子は、サウロを高く評価しており、また親しみを覚えたようで、それからしばらくするとサウロをキリキアのタルソス市まで訪ねては捜し出し、シリアのアンティオケイア市に連れてきています。



◆諸国民への使徒

当時のアンティオケイア市は50万の人口を擁していたという、ローマ、アレクサンドレイアに続く帝国内では第三の大都会。欧州と中東を結ぶ交通の要衝であり、様々な民族が多用な産物を携えて往来する国際都市でありましたから、開明で闊達な気風に恵まれていました。
そこは律法祭祀が間近な神殿で行われているユダヤ色の濃厚なエルサレムとは随分と違います。それでも、この都市のユダヤ人はセレウコス朝シリアの時代から一定の権利を認められており宗教的な寛容性がありました。この当時ユダヤ教の一派であったイエス派の弟子たちにも集まる上で都合が良かったのでしょう。

アンティオケイアでは、あのステファノスからの迫害を逃れてきた人々によってメシア信仰が伝わり、イエス派のグループが形成され成長していましたが、ここでは安定的に集まりを持ち、しばらくするとそれは「エクレシア」と呼ばれるようになります。そのギリシア語には「召し出された者たち」の意味があり、元はギリシアの都市国家での議会を指して用いられていた言葉です。これを日本語に訳すなら「評議会」や「民会」、また天に召される聖なる者たちの集まりと捉えて訳せば「招会」となるでしょう。
当時はユダヤ教も異邦人への伝道に努めている時期でもあり、ユダヤ教の会堂(シュナゴーグ)には異邦人でも割礼を受けてユダヤ教徒になった『改宗者ら』(プロセーリュトイ)も、また割礼を受けるまでには至っていないものの、定期的に会堂に集まって学ぶ『神を畏れる者ら』(フォベオマイ)も会堂のユダヤ教徒に含まれていて、とくにこの国際都市のようなところでは、ユダヤ教の伝道も成果を得ていた時期にも重なっていました。

そこで、この街のイエス派の人々は、初めのうちはユダヤ人だけにナザレのイエスを宣明していたのですが、そこにはバルナバのように地中海に浮かぶキプロス島や、アフリカのキレネ州(キュレーナイケー現リビア東部)方面から来ていたイスラエル人たちが、ギリシア語を話す異国の人々にメシア信仰を伝えるようになっていたとルカは記しています。バルナバスも異邦人に話しかけるようになった一人なのでしょう。そこで彼がサウロの五か国語を操る能力と、ユダヤの教学院で学んだ律法の博識を評価し、タルソスから呼び寄せたことはなるほど理解できることです。ルカはバルナバとサウロについて『その後の一年間、彼らはエクレシアを集め、多くの人々を教えた』とも記していますが、既に、彼らのエクレシアはユダヤ教の会堂とはまったく別の集まりになっていたことを窺わせます。

こうしたバルナバの努力が実を結んだのでしょう。このシリアのアンティオケイアでイエス派が初めて「クリスティアノイ」と周囲から呼ばれるに至ったこともルカは記していますが、それが今日「クリスチャン」と英語でキリスト信仰者を呼ぶ由来となりました。この街ではユダヤ教とメシア信仰が異なるものであることを周囲の人々も認知していたとことを示しています。それはまた、メシア信仰が頑迷なユダヤ教を後にして、いよいよ「キリスト教」となって新たに開花し、世界に向けた『聖なる者たち』の収穫が始められる端緒でもありました。(使徒言行録11:20-26)

しばらくするとアンテイケイアの集まりには教え手の人数も増えていました。すると霊が人々に話しかけて『あなたがたの中からバルナバとサウロとを、わたしのために聖別して、彼らに授けておいた任務に当らせるように』と命じます。(使徒言行録13:2)
その『任務』が何であるのかは、その後の彼らの活動に明らかになるのですが、サウロ自身は自分が『使徒となるために召された』。また、『わたしは諸国民への使徒です』と述べています。それはイエスに付き従った『十二使徒』とはまた別の、『諸国民たち、王たち、またイスラエルの子らへの、わたしが選んだわたしの名を伝える器』として労苦の絶えない使命を意味していたのです。

ここに於いて、遂にサウロはギリシア名『パウロ』(パウロス)を名乗り始めるに至ります。諸国民への使徒パウロの誕生でありました。
人々は、彼とバルナバの上に手を置く任命の儀式を行って、直ちに市に隣接するセレウケイア港から彼らを送り出しました。以後サウロ改めパウロは、しばらくアンティオケア市を基地に広く宣教活動をすることになりますが、その働きはトルコ半島(アナトリア)からギリシア本土へとパレスチナのユダヤ人を後にして、遂に帝都ローマにまでイエスの福音を押し広げ、多くの諸国民から聖なる民を招き寄せることになります。(マタイ福音書8:11-12)
その最初の行く先は、バルナバの故郷キプロス島のサラミス市ですが、それは故郷の人々にイエスの福音を伝えたいというバルナバの願いがあってのことでしょう。彼は同郷出身の従兄弟のヨハネを連れて行くことにしますが、このヨハネはギリシア名をマルコ(マルコス)と云い、後にペテロの通訳となり、この使徒から多くの情報を得てマルコ福音書を著すことになります。



◆異邦人を招くペテロの鍵

サウロが使徒パウロとして召されるしばらく前に、使徒ペテロの方は主イエスの霊に導かれ、大きな役割を果たすという経験をしていました。それはペテロがパレスチナ海岸沿いのルダという街でひとりの寡婦を生き返らせただけのことではありません。

その不思議な出来事の顛末は使徒言行録の第10章に記されています。
そこで彼は、港町ヨッパ(ヤッファ)の皮なめし職人の家に逗留していたときのこと、昼の食事をその家の者が用意している間、祈りをするために屋上に居たのですが、空腹でいた彼は夢うつつ(エクスタシス)の状態になり、天から大きな布に包まれた様々な動物が降ろされてくる幻を見ていました。しかし、それらは律法で食べることが禁じられていた『汚れた』とされるものばかりでした。例えれば、律法は蹄が分かれていて、また反芻する動物を清いとして食べることが許されています。そこでブタやウサギなどは『汚れた』動物となり食べることはできません。
それであるのに、天から声がして『起きて屠って食べよ』とペテロに言うのです。『主よ、それはできません。わたしはあらゆる清くないものや汚れたものを今まで食べなかったのです。』と律法に従ってきたペテロは答えます。
すると声は『神がきよめたものを、清くないなどと言ってはならない』と言うのですが、これが三度繰り返されたと書かれているからには、ペテロは三度清くない動物を拒否したのでしょう。それから布は引き上げられます。
ペテロは、この幻の意味は何だろうと考え込んでいるところに、階下では三人の人が彼を訪ねて来たところで霊がこう言います。『何も疑うことなく彼らと共に出かけるがよい。わたしが遣わしたのだ。』

この三人の人々は、ローマ軍の百人隊長コルネリウスの家令と部下であり、ヨッパから海岸沿いに50kmほど北に位置するローマ軍の拠点、ヘロデ大王が新設した港湾都市カエサレイアから訪れ、ちょうど皮なめし職人シモンの家を捜し当て、ペテロの所在を尋ねたところだったのです。コルネリウスは律法が求める『割礼』は受けていないものの、イスラエルの神YHWHを崇めて、ユダヤ教の会堂に入ることを許されていた『神を畏れる者』であり、この前日の午後三時頃、コルネリウスは自宅で祈りを捧げていたところ、輝く人が現れて『コルネリオスよ、あなたの祈りは聞きいれられ、あなたの施しは神のみ前におぼえられている。そこでヨッパに人を送ってペテロと呼ばれるシモンを招きなさい。』と言うのです。そこで彼は家令二人に、やはり信仰に篤い兵士一人をつけて送り出し、ヨッパの海岸沿いにあると云われた皮なめし職人シモンの家をちょうど捜し当てたところであったのです。

ですから、主は律法を必ずしも守ってはいない異邦人であっても、同じ神への信仰に篤い人物をペテロに面会させることで何かを意図されていたことが分かります。
それから二日して、ペテロはカエサレイアに到着し、コルネリウスからの歓迎を受けますが、そこには彼の家族や友らも集まっていたとあります。もちろんその人々もイスラエルの神を信奉していた人々なのでしょう。
コルネリウスは、天使の声が招くよう命じたその人物ペテロを見ると、その前に跪きますが、使徒は『お立ちください。わたしも同じ人間です。』と言って彼を引き起こします。これは後の仰々しい宗教指導者とは随分と違う対応でしょう。足先に接吻などさせません。

ペテロは集まった異邦の人々に向かって、どれほど律法が契約にあるイスラエルを特別視して諸国民との交流を制限しているかを述べます。(ヨハネ福音書18:28/ガラテア人への手紙2:15)
すでにペテロがコルネリウスの家の中に入ったところで、当時のユダヤ教の習慣からすれば掟に違反し汚れた行いをしていたのです。以前、イエスが地上で宣教なさっているときにも、ひとりのローマ士官が、その奴隷の癒しをイエスに依頼するのに、自分が異邦人であるからと、ユダヤの年長者を送り、自らは出向かず、イエスも家に招かなかったことがありましたが、イエスはその信仰を高く評価していたのです。(マタイ福音書8:5-13)
しかし、ペテロはヨッパで見た幻の意味を悟り『神は人を偏り見ないかたで、神を敬い義を行う者はどの国民でも受け容れて下さることが、実によくわかってきました。』と一同の中で述べます。(使徒言行録10:34-35)

それから、昨今『ヨハネがバプテスマを説いた後、ガリラヤから始まってユダヤ全土にひろまった福音』すなわちイエス・キリストのなさった業と死と復活について証しします。神はイエスを『死せる者と生ける者との審判者として立てられ』かつての『預言者たち』(ネイヴィーム)もキリストへの信仰によって罪の赦しが得られることを知らせていたことにも触れます。

しかし、そう話している最中に驚くべきことが起ります。コルネリウスと共にペテロを迎えた人々に聖霊が注がれ、異言を話始めたのでした。
これにはペテロと共にヨッパから来ていた割礼を受けていた仲間たちも大いに驚きます。それまでの数年、聖霊を注がれるのは『契約の子ら』であるイスラエル、または割礼を受けた『改宗者』に限られてきたからです。

ここにおいて、ペテロの見た幻の意味がまったく明らかになりました。
つまり、神は『新しい契約』に律法契約の外に居た人々、ユダヤ人からすれば汚れたものとされていた無割礼の諸国民を招いたということです。コルネリウスのことが有ってからしばらくして、パウロとバルナバの召命がされたことからしても、神とキリストの意向は明瞭です。

しかし、それは旧約聖書、つまりそれまでに書かれた事柄に固く従うユダヤの常識からは、余りにもかけ離れた事態の進展でありました。『割礼』とは、イスラエルだけでなく関係する異邦人も受けるべき、『定めない時に至る契約』と書かれていたのです。(創世記17:9-16)
そこでエルサレムのイエス派の中からも、ペテロがユダヤの習わしに従わず、無割礼の異邦人の家に入って自らを汚したと非難する人々がありました。未だメシア信仰がもたらすキリスト教がどれほど革新的かを理解していなかったユダヤ人の弟子からすれば、律法や習慣に従わないことは、到底神に受け入れられるものには思えなかったのです。

しかし、神の意図は彼らの敬虔な常識を遥かに超えるものでありました。もはやアブラハムの血統の重要性は過去の物になろうとしていたのです。それは使徒ペテロの諸国民へと切り拓いた役割が、如何に画期的なことであったことかを教えるものです。
実は、このペテロには、かつてイエスからこのような役割を受けることを示唆されたことがあったのです。
『わたしは、あなたに天の王国の鍵を授けよう。あなたが地上で繋ぐものは、天でも繋がれ、あなたが地上で解くことは天でも解かれるであろう。』(マタイ福音書16:19)
ペテロに授けられたこの『王国の鍵』が何を意味したかは、無割礼の異邦人であるコルネリウスたちに聖霊が注がれたところまでの経緯を追うと、彼が確かに『王国の鍵』を用いていた姿が見えます。

それまで、モーセ以来『契約の子ら』であったイスラエル民族の中から悔いて、イエスにメシア信仰を抱いた人々に聖霊が注がれ、選ばれてきたのですが、サマリアに出向いたペテロがそこの人々に手を置いてゆくと、彼らにも聖霊が臨み、こうしてサマリアの人々にもメシア信仰を通して『天の王国の鍵』で主と結ばれる機会が与えられましたが、ペテロが鍵を開け、サマリア人を招き入れていたといえます。
その一方で、シモン・マグスはペテロに激しく叱責され退けられましたが、確かにあの魔術師が『聖なる者』とされ、『天の王国』に入るとはとても考えられません。

そして今、ローマの軍人ではあっても神への信仰に篤いコルネリウスに現れた天使が指名したペテロが鍵を解き、無割礼でまったくの異邦の世界にも『アブラハムの裔』となり、その相続財産である『天の王国』へと手が差し伸べられ始めました。
そこで、イエスの霊がコルネリウスと『鍵』を委ねられた使徒ペテロとをつなぐよう取り計らった理由が明らかです。(使徒言行録1:8)


◆羊の囲いの例え

こうしてイエスが、律法契約に在ったイスラエルだけでなく、契約の外に居た人々をもご自分の王国の支配を共にするよう招くことになることは、次の例え話にも予め示されていたのです。
それはヨハネ福音書の第十章の『羊の囲い』で知られる例えですが、絵に描いて説明されるように明解です。

羊らは、寒い期間は夜間を囲いの中で過ごしますが、この例えが語られたのがユダヤの冬の祭り「ハヌカー」(再献納の祭)の時期でしたから、そのときにイエスは囲いに入る羊の例えを話されたのでしょう。

門番が出入り口の扉を開けて羊飼いを通すと、羊飼いは中の羊たちを呼び、聞きなれた羊飼いの声に羊たちは安心して着いて行き、豊かな牧草地に導かれます。
ですが、囲いをよじ登って入る者は羊泥棒で、奪い、殺しなどする目的で羊に近付こうとするのですが、羊はその声に従いません。
また、雇われの牧者も、狼や熊などの危険が羊に迫れば、逃げ出してしまいます。
しかし、イエスは『 わたしはよい羊飼である。よい羊飼は、羊のために命を捨てる。』と言われます。イエスのとって羊はご自分のものであり、命を懸けても守ると言われるのです。
これはご自分の犠牲によって、それに信仰を働かせる者に命を得させることを言われるのでしょう。

加えて『門番は彼のために門を開き、羊は彼の声を聞く。そして彼は自分の羊の名を呼んで連れ出す。自分の羊をみな出してしまうと、彼は羊の先頭に立って行く。羊はその声を知っているので、彼について行く』とも言われます。
イエスのための門を開く門番というのは、ユダヤの律法体制からキリストの『新しい契約』へと橋渡しをしたバプテストのヨハネのことでしょう。
そうであるなら、羊が入っていた『囲い』というのは、『律法契約』であったと見ることができます。キリストに従うことになる信仰を働かせる羊たちは『律法契約』の中に守られていましたが、そこに泥棒も来ては羊を奪おうと試みましたが成功しませんでした。これはユダヤに現れ度々に騒擾を起こした偽メシアらのことを言うのでしょう。(10:8)しかし、誰が『律法契約』の囲いから『新しい契約』の豊かな野原に導き出したわけでもありません。門番のヨハネによって『門から入る者』イエスが本当の羊飼いであり、またイエスは『わたしは門である』と言われるのは、羊たちを『新しい契約』へと引き出す唯一の入り口となられたことを言うのでしょう。偽メシアには聖霊をもたらすなど不可能なことです。

こうして、この例えによって、それまで千数百年にわたり続けられて来たモーセの崇拝体制から、新たにイエスが別の崇拝へとイスラエルの羊を招き出した様が描かれていたことを理解できます。

しかし、この例え話はここで終わりませんでした。
『わたしにはまた、この囲いに居ない他の羊がある。わたしは彼らをも導かねばならない。彼らも、わたしの声に聞き従うであろう。そして、ついに一つの群れ、ひとりの羊飼となる』
コルネリウスら無割礼の異邦人に聖霊が注がれたことや、パウロたちが諸国への宣教に送り出されたことが、この例えに付け加えられた『囲いに居ない他の羊』という一言によく表されています。
ですから『アブラハム裔』とは、ただその子孫であれば良いということではなく、アブラハムのような信仰を抱く人々によって構成されるべきなのであり、ユダヤ人で父祖に相応しい信仰を見せたのは僅かな人々であったことが明らかになってしまいました。
そこで後から加わってくる異邦人の群れと、囲いから出されたユダヤの群れとは、ひとりの羊飼いイエスの下にまとめられ、牧草の豊かな『新しい契約』の自由な広野に導かれることになります。

しかし、この例えを聞いていた弟子たちは、そのときには誰も意味を悟らなかったとも記されています。当時にはパレスチナでの主の業が行われている最中で主の業が拡大される以前でしたから、それも無理もありません。それでも、彼らが世界へと広げられる業に邁進するようになると、この例えを身を以って体験していることに気付いたことでしょう。

ですから、キリスト・イエスの業を受継いだ弟子たちは、イエス自身がパレスチナで行われたよりもさらに『大きな業』に取り掛かっていたのであり、それは集まってきた弟子たちを聖霊を通して縦横に用いた大事業であったというべきでしょう。その目的は、『王なる祭司、聖なる国民』となる人々『アブラハムの裔』を集めて『神の王国』を設立することにあったのです。(ヨハネ福音書14:12/ペテロ第一の手紙2:9)
それこそは律法契約が目指しても、成し遂げなかったことであったのです。(出エジプト記19:5-6)







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