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「新十四日派」としての綱領の準備

2016.01.02 (Sat)
最近までに、様々な方々から何らかの接触を頂いて参りました。

この「エイレナイオスのブログ」は理詰めのキリスト教のような印象を与えるかも知れませんが
カトリックの方には、他派の理詰めの信仰に辟易とされて教理を得心することが信仰でない点に共感を頂き
プロテスタントからは、物事の意味を尋ねられてまいられました。
ものみの塔の人々の多くは組織信仰への疑念を抱いて閲覧に来られるのでしょう。
三位一体を得心しない方々もまたコメントを寄せてこられるようにもなりました。

そこで、このブログであれ、筆者の唱導する「新十四日派」であれ、その立ち位置をより良く明瞭にしておく必要を感じ始めて参りました。このままでは、様々な方向から様々な姿に見えるばかりで、全体像が掴み辛くなるばかりのようになるからです。

これまでには、「新十四日について」のページなどで幾らかを書き出しておりましたが、改めて「新十四日派」にどのようなものを想定しているかについて、また、現在までに知り得たと思われるところから、「聖霊を待つキリスト教」という前例を見ないようなこの「派」の姿の彫琢を深めるのが良いと考えるようになって参りました。

これを「綱領」としてまとめ、今後、書き加えまた訂正しつつ、より精密なものへと仕上げに向けて努めようと思う次第です。

しかし、何故、筆者個人がこれを行うかについては、本人も理由はよく分かりません。
他に同種のものを見かけないということもあるのですが
現在のところは、ただただ微力ながら前進させようとする説明の難しい内的動機のままにそうせざるを得ない状況にあります。

とはいえ、自分に何か特別のものが備わっているという事も無く、自分にそうする資格が有るかと言えば、甚だ疑わしい人格だけがそこに在ります。そのうえ、多くの方々の賛同を得ているわけもなく、各地にパスカを共にする数人の賛同者を得ましたが、生活圏には「クリスチャン」と称する何かと邪魔をする者らの他には、一人の理解者さえ得てもいませんので、一個人の戯言のようにされて、いずれは静かに終わるのかも知れませんが、例え一人で始まり一人で終わったとしても、それでもこの件だけは捨てることが出来ずにおります。むしろ希少であることを意識するほどに終えることが出来ません。自分の価値観がそれを許さないからでしょう。

出来得る限り呈示してゆくばかりですが、それが拙い筆者の僅かな存在価値であるように感じられてなりません。



新十四日派の綱領


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