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19.終末の裁き

2015.01.20 (Tue)
「神の裁き」といえば、恐れを感じさせるような、まず人気の出ない言葉です。
一般の教会に通う人々もその点は変わりなく、「裁き」を唱える宗派は異端のように言われさえします。
「裁き」には教会員の望む幸せなご利益を曇らせる響きがあるからでしょう。
ですが、原始キリスト教の観点からすれば、聖書に再三にわたり書かれている以上、「裁き」について語らないわけにはゆきません。

確かに「裁き」は陰気な雰囲気の言葉ではありますが、後に述べるように、この世の「終末の裁き」について聖書記述を追ってゆきますと、その「裁き」で人は厳格に言動を問われることはなく、むしろ、きわめて公平で寛容な裁きを受けることが分かります。
そこで、人々は恐れをなして「善人」の仮面をつける必要もありません。むしろ、神は人の内面を見ると言われるからです。

それにしても、神はなぜ「裁き」をもたらすのでしょう。
それはまず、人間の自由意志と深い関連があります。また「裁き」は「救い」とも関連しているといえます。

「救い」は「裁き」を通してもたらされることを旧約聖書が示しています。
神が裁きを行った例として、奴隷にされていたイスラエル民族をエジプトから導き出すにあたり、紅海の膨大量の海水が左右に分かれ、イスラエル人の逃げ道となって彼らを救い、その海の中の道にエジプト軍が追撃して入ってくると、その水はその兵士らの上に戻り、呑み込んでしまいました。ここに「救い」と「裁き」が現れています。虐げる者から弱き者たちを救うという裁きでした。

このような神の強力な裁きの執行が、過ぎ去った時代だけのものだけかといえば、聖書はそうは言いません。
むしろ、この世の終わりに臨んでは、神が非常に大きな力を振うことになることを繰り返し記しています。(エレミヤ25:31/ミカ7:15/ゼパニヤ3:8)

最終的に、神は人間のひとりひとりに救いを備えていますが、それは無条件なものではありません。
なぜなら、神からの救いにあずかったとしても、そもそも人間に救いを必要とさせた、その同じ過ちが繰り返されれば、苦しみの原因はいつまでも無くならず、世界を優れて良いものに創造し存在させた神の意図は永久に実現を見ない事になるからです。

その繰り返すべきでない過ちとは、アダムが犯した罪、つまり、自分を存在させた創造の神への不忠節さにあります。
それは、自らを存在させた方に尊敬も感謝も払わない事であり、自らの作り手に相応しい敬意を抱かないところで、道徳、また倫理のすべてを土台から覆してしまいました。 この人間の倫理上の欠陥を聖書は『罪』と呼びます。
人間に『罪』があることは、この世をいくらか眺めるだけで余りにも明らかです。

この世は、基本的にこのように創造の神を無視する状態にあり、キリスト教界にあってさえ、ご利益を求めて神を崇拝しているのであれば、神の意図には無頓着というべきでしょう。 また、自分が救われることばかりを願うことも、本当には神を知ろうとはせず、その関心は自分にばかりに向かせてしまうでしょう。

神との関係を低めたアダム以来、人類は神との間での道徳の基礎を失った状態にあり、神ばかりか人とも適切に関わってゆくことに問題を抱えています。つまり、人間は「他者とどう生きてゆくか」という倫理について、欠陥を背負って生まれて来るのです。

これについて聖書は『ひとりの人によって、罪がこの世にはいり、また罪によって死が入ってきたように、こうして、すべての人が罪を犯したので、死が全人類に入り込んだ』と記しています。(ローマ5:12)

この『罪』がアダムから遺伝している証拠は誰の目にもはっきりとしています。
それが証拠に、世界から争いや犯罪が絶えることがありません。倫理上の欠陥は、すべての人間が避けることができないのです。これが聖書の言う『罪』であり、誰かが犯した個々の悪行を指しているのではありません。人間は皆『罪人』であると聖書は明らかにしています。

アダムが禁断の木の実を取って食べた事、それがすべての『罪』のはじまりであったと創世記は告げています。こうして聖書は簡単な記述ながら、全人類が道徳的な問題から逃れられない理由を知らせます。

つまり、創造の神という、まったく人間が存在する由来、究極的な第一者に対する関係性、すべてのコミュニケーションのはじまりにおいて、人間はすでにつまずいているのです。 これが互いにどう関係するかという倫理、また道徳上の問題の原因となって人類を苦しめてきたのです。

一方聖書では、『神と人を愛する』ことをあらゆることに勝るべきものと見なします。 『愛は隣人に悪を行いません。だから、愛は法を全うするものです。』とあるように、 この『愛』こそが人が必要としていることであり、『罪』の反対側にあって、唯一人間の中に存在する真実な事柄です。(ローマ13:10)

そこで、まず倫理という他者との関係性に問題を抱えてしまった状態にある人間にとって、『愛』による神との関係の回復なくして、その欠陥を改善することはできません。 『罪』によって壊された神との関係を元に戻すことこそが、人間の最重要な事柄であり、それが倫理の基礎を取り戻すことになるのです。

しかし、人は誰も、自分から倫理上の欠陥から逃れることができません。
また、神がひとたび『罪』に陥った人類をそのまま無罪放免とすることは、神自身に倫理上の矛盾をきたらせることになりますし、創造界から却って倫理を奪い去り、秩序を捨て混沌に陥れることになってしまいます。それは創造した世界を虚しさに陥れることで、当然ながら神の創造の意図するところではありません。

そこで神は、人間の『罪』の責めを『もう一人のアダム』と呼ばれる『罪』の無い人間に負わせることをよしとされたことを聖書は明かします。 (コリント第一5:45-47)
それが『世の罪を取り去る』キリストであり、イエスが処女から生まれたとされる理由も、『罪』が遺伝しているアダムの血統に属してはならないところにあるのです。 (ヨハネ1:29)

『罪』の無いキリストは、死に至るまで試されても神との関係を捨てずに忠節を全うし、その犠牲でアダムの犯した『罪』を相殺し、人類が神との関係を回復する道を開きました。(ローマ5:17)

さて、そこで、アダムの子孫のすべてに、エデンの園でアダムの前に置かれた二択が同じように問われることになります。 なぜなら、貴重なキリストの犠牲を受け入れず、感謝しない者をその救いから除外するためであり、これが『裁き』となります。

キリストの犠牲を信じず価値を見出さないなら、それは大きな倫理上の問題となります。 それは『罪』の内に留まることを敢えて選ぶに等しいことで、アダムと同じ選択をすることになるのです。

アダムとエヴァはエデンの園で、神との関係をなおざりにし、忠節ではありませんでした。 そこで倫理上の欠陥を負ったので、あらゆるアダムの子孫は『罪』の内に生まれてきたのです。 一度低められた祖先は低められたものを生み出すばかりです。その『罪』が存在することはこの世の現状を見る限り否定のしようがありません。

アダム以来、人間の生涯は『顔に汗してパンを食べ、ついに地面に帰る』という、強制労働と死を待つ空しいものとなってきました。また『罪』は、人間社会にあらゆる争いや偽りや圧政を今日までもたらしてきたのです。

世界中では、すべての人々に行き渡るだけの食料が生産されていても、飢餓や過酷な食料不足がなくならない理由のはなぜでしょうか。近年の自然破壊も人間の『罪』と無関係ではありません。 そこには人類の身勝手な貪欲が作用していないでしょうか。

経済上の争いは富の偏在と不均衡を生み、財に有り余る一握りの人と、貧困にあえぐ無数の人々の世界がこの世です。
そしてすべての人が富を巡って日々争い、金銭の奴隷となってしまっています。
『アダムの子ら』は何と生きるのにむずかしい世界に生まれてくるのでしょう。

しかし、キリストがその『罪』を相殺する犠牲となった後、アダムの子孫には『救い』の道がただ一本開かれました。 それは隣人愛の精神を教える道でもあります。
ですがこの点で、アダムと同じようにその子孫についても試される必要があります。

救いをもたらすキリストの犠牲を受け入れるということは、まず、イエスを神が人間のための犠牲となるよう遣わされたキリストであることを認めなければなりません。つまり、イエスをキリストとして信じることが求められるのです。 その信じるということには、その自己犠牲の精神に同意し、その人なりであってもキリストの歩みに倣う気構えが求められることでしょう。

聖書に『子(キリスト)を信じない者には、神の憤りが留まっている』とあるのは、このためです。 (ヨハネ3:36)
多くの教会では、このような言葉を根拠に、洗礼を受けた信者にならないと救われないと教えます。

ですが、キリスト教を信じてバプテスマを受ければ、それで救われるわけではありません。 (フィリピ2:12)
なぜなら、まだ『罪』はそのまま残っているばかりか試みを受けてはいないからです。 聖書ではこの世の終わる「終末」の時に、その試みを受けることが『裁き』となることを知らせています。(マタイ25:31-/ヨハネ第一4:17)

アダムの場合は木の実を取って食べるかどうかの試みが『裁き』となりましたが、その子孫の場合は『神と子と聖霊』に信仰を働かせなくてはなりません。人を救うのは洗礼ではなく『信仰』であると聖書は言います。 (マタイ28:19/ローマ1:17)

キリストがユダヤに現れたときに、その行う奇跡の業は神からの聖霊によるものでした。 (ヨハネ10:38)
しかし、多くのユダヤ人はその奇跡の業を見てもキリストを信じず、却ってイエスを処刑させてしまったのです。 (ヨハネ第一5:9-10)
つまり、ユダヤ人の多くは神は信じても聖霊が信じられず、キリストも信じなかったのです。 原因は彼らに偽善を行わせる利己心や高慢さにありました。

その一方でイエスは下層の人々、罪人として社会から遠ざけられ、ユダヤ教の会堂にも入れてもらえない収税人たちや娼婦らにも分け隔てなく接していました。
それを見た宗教指導者層は、そのイエスを「収税人や罪人の友」と呼んで侮蔑していたのです。(マタイ11:19)

このエリートらは、自分たちの敬虔さを誇って、会堂でモーセの律法を聴くこともできない下層民を「地の民」(アム ハ アレツ)と呼んで蔑視していました。
ですが、イエスはこうした差別をせず、かえって、この人々が『神の王国』に入りつつあることを指摘しています。この世の終わりの裁きも同じようになることでしょう。(マタイ21:31)

では、この世の終わりの裁きはどのようなものとなるのでしょうか。

この世の終わり、つまり終末のときには、キリストの使徒たちや直弟子たちのように、信者の中から聖霊を注がれて、奇跡の業を行う人々が選ばれ、その人々は『聖なる者』または『聖徒』と呼ばれます。 (ルカ21:15/コリント第一1:2.)

この人々は、聖霊を通して奇跡を行うだけでなく、『罪』にまみれた『この世』という体制に有罪宣告をはっきりと下します。 (ヨハネ16:7-8/コリント第一6:2)
その言葉を論駁できる者はいないともイエスは予告されました。 (ルカ21:12-15)

ですから、人類が裁かれるとき、アダムのように神から離れる人々は、意図的に、敢えて、『罪』に凝り固まって『神と子と聖霊』を信じない道を選ぶことになります。 具体的には聖霊の業を行い、その言葉を語る『聖徒たち』を助けないことによってその道に入りることをキリストは告げています。(マタイ25:41-46)

一方で聖霊の業や言葉を信じる人々はアダムの道を離れ、救いへの道を歩み始めることになるでしょう。 この人々は『聖徒たち』の言動に神を感じ取り、信仰を働かせるので、聖なる者たちを助けようとします。(マタイ25:31-40)

この裁きでは、自分が倫理上の欠陥を負った存在であることを謙虚に認め、それがどれほどの問題を引き起こしているかを味わい知っていなければ、聖霊の言葉に同意もできないでしょう。

また、この裁きの終わるまで、キリストは人類に対してその姿を現しません。そうしなければ、人々は自分がどちらのものであるかを信仰によって自由に示すことにならないでしょう。
そこで、終末のキリストは『雲と共に来る』ことを新旧の聖書は揃って語ります。それはつまり、裁きのためにキリストは見える姿ではけっして来ないという意味です。(マルコ14:62/ダニエル7:13)

しかし、裁きが終わり、人々が分けられて後、不信仰な人々は信仰を持つ人々に手を下そうとするときに、神は介入して不信仰な人々に終わりをもたらし、信仰ある人々を救われます。そこでは、あらゆる目が神とキリストの力を認めざるを得なくなり、その意味で雲と共にいたキリストを『見る』ことになるでしょう。(エゼキエル38:16/黙示録1:7)

こうして神の裁きを見渡すと、奇跡の業と言葉をもたらす『聖霊』が非常に大きな役割を果たすことが理解できます。(マルコ3:28-29)
また、聖霊を注がれる『聖徒』と呼ばれる選ばれた人々に対してどう振る舞うかで、将来の終末の「この世の裁き」の結果が個人的に決まってくるということも視野に入ってきます。(マタイ10:42)

そこで求められるのは『信仰』であって、善人であるかどうかということにはなりません。品行方正な人を神は選んで天国に召すというのは、まったくの誤解です。(フィリピ3:9)

聖書によれば、天に召されるのは『聖徒』だけで、その目的は人類の罪を贖いながら、彼らが天国ではなく『天の王国』を構成して新しい世に人々を導くためなのです。世界の人々はこの『王国』の支配の下に入ってはじめて、本当の意味で『罪』を除かれて生き方を改めることができます。その裁きの以前では、どんなに善人を振る舞っても、それは仮面をつけただけのことで、内面は本質的に変わってはいません。

ですから神の目的は善人を集めて良い世界を造るのではありません。むしろ、罪深くとも悔いる人々を神は見過ごさず、キリストの犠牲をその人々のために当てはめ、その罪を消されます。 罪を除くことは、人間がどんなに努力してもけっして出来ない事だからです。『自分には罪はないと言うなら、その人に真実はない』と聖書は言うのです。(ヨハネ第一1:8-9)

ですから、今、善良にしていれば、または信仰があれば神は救ってくれると期待する理由はありません。また、過去にどんな犯罪や過ちを行ったかもそこでは問われるものではありません。この点で、キリストは『どんな罪も許される』とまで言われるのです。(マタイ12:31-32)

教会で教えられるように、バプテスマを受けた「キリスト教徒」を救うのが世の終わりの裁きというわけでもありません。
どんな宗教を信じていようと、どんな思想を持っていようと、どんな立場にあろうと、終末に働く聖霊の奇跡を信じるか否かによって公平に裁きが将来世界中に臨むことになります。それこそが「神の裁き」であるからです。

聖書の預言は、終末に神が『あらゆる国民を激しく揺り動かす』ことを知らせています。それによって諸国民から多くの信仰を表す人々が現れることでしょう。(ハガイ2:7)これこそが、聖霊を通した神の世界宣教ともなり、人々を二つに分けるものとなります。(マタイ10:18-)

そこで人々は、それぞれに自分が本当にはどんな者であるかを、自ら納得しながら、迷いなくあらわにすることになるでしょう。
人は『聖霊』を前にしてはじめて、心の中の決定を自由に表すことになるからです。
それは、神とみ子だけでなく聖霊をも含んだ信仰でなければなりません。

試みを経て神との絆を選び取る人々について、聖書はキリストの自己犠牲の愛の許に集められ、『神の子』とされることを知らせます。この意味は、神の創造物として完成され『罪』をまったく去って、神と共に生き続けることです。
ですから、試みの後に『死は火の湖に投げ込まれ』もはや存在しないことを示しています。


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18.聖書を読む 新約

2015.01.04 (Sun)
聖書を読む  新約


キリスト教に近付こうとする人にとって最も重要な聖書の部分は新約聖書であるべきでしょう。
なぜなら、キリストの現れによって、以前の聖書の内容に込められた本来の意味が明かされてゆくからです。

新約聖書には、旧約に無いスタイルが用いられています。
それが福音書や手紙という形式ですが、「福音」とは中国語からきた名称で、「幸福な音信」を意味し、そこではキリストの現れと宣教が記されています。

四つの福音書の次に続くのがキリストの弟子たち、特に「使徒」とされた弟子たちの活動の記録であり「使徒言行録」、あるいは「使徒行伝」と呼ばれます。この書の重要性は、キリスト教の誕生がキリストと共に始まったのではなく、キリストが死を迎え、復活して天に帰った後であるというところにあります。

この書のあとには、使徒パウロの書いた14の書簡が続きます。これらには彼が聖霊から受けたキリスト教の重要な教理が込められていて、それはユダヤ教を遥かに超えるキリスト教の素晴らしさを知らせるものとなっています。
新約聖書の書簡の部分には、パウロのほかに使徒ペテロ、イエスの弟ヤコブやユダ、また、最後に残った使徒のヨハネのものが含まれます。これらの著者はキリストとほぼ同世代のヘブライ人です。

そして、新旧の聖書の末尾に位置するのが「ヨハネ黙示録」であり、これは人類の「終末」を預言する謎に満ちた書です。

新約聖書はこのように、福音書4、使徒言行録1、書簡集21、黙示録1という四種類の文章27書で成り立っています。


では、もう一度、新約聖書の巻頭にある福音書から概略を説明しましょう。

四つの福音書では、キリストの現われとその宣教活動、そしてユダヤ人宗教指導者らによって刑死に追いやられ、復活して天に挙げられるまでが記されています。
その内容は、旧約聖書で予告されたメシアつまりキリストが、ナザレからのイエスであったこと、そして彼が大いなる奇跡を行い、『神の王国』について語り、最後にはユダヤの体制派の人々によって退けられて刑死を遂げられ、三日目に霊への復活を遂げた様を知らせます。


これら福音書は、ユダヤ人の間に神からの音信が途絶え、旧約聖書が書かれなくなって四百年後に起こった出来事から書き始められます。それが、旧約最後のマラキの預言書が予告していたエリヤの現れでありました。

もちろん、過去に生きたエリヤが生き返ったのではありません。
しかし、その新たな人物が古代のエリヤのように、らくだの毛皮を身にまとい、皮の帯を巻いていたところが古代のその預言者と変わらなかったのです。

この人物はレヴィ族の祭司の息子で名をヨハネと云いましたが、彼はユダヤ人に『悔い改めよ』と呼びかけヨルダン川で水のバプテスマ(浸礼)を施し始めます。
それで彼は「バプテストのヨハネ」と呼ばれます。
彼がユダヤ人に説いた「悔い改め」とは、律法契約の不履行の罪に対するもので、そのバプテスマもユダヤ人に限られるものでした。

ヨハネがこれを行うことで、預言者マラキが予告していたふたつのことを成し遂げます。
まずひとつは、民を悔い改めさせることで『子の心を父に立ち返らせ』、人々をメシアに備えさせることであり
もうひとつは、『主に先立ってゆき』メシアをイスラエルに紹介することです。

ヨハネがバプテスマを施していると、その中からひとりの人物に聖霊が降り、『この者を是認した』との天からの声があります。
ヨハネは弟子たちに、このナザレから来た方イエスを指して『見よ!世の罪を取り去る神の子羊』と言って紹介します。

また、ヨハネはユダヤ人に祝福と呪いのふたつの道がメシアによってひらかれることを示して、『その方は聖霊と火であなたがたにバプテスマを施すことになろう』と予告します。これはメシアを受け入れるか否かによってユダヤ人の前に二つの道があることを表していたのですが、このときにそれを悟った者はなかったことでしょう。
つまり、キリストの到来によってユダヤという宗教体制がふたつに裁かれようとしていたのです。

イエスはそれから荒野に入り40日の試練を受け、サタンの誘惑も退けます。
その後、故郷のあるパレスチナ北部ガリラヤ州から宣教を始め、人々の病気を癒し『神の王国』の近付いたことを例えを以って語り始めます。また、ガリラヤ湖のほとりで後に使徒たちとなる主要な弟子たちを得ます。

ヨハネ福音書には、イエスの宣教中に行なわれたユダヤ人の祭りが書き出されており、それによると、その宣教期間は四年未満であったことになります。
このように教祖の宣教期間が短いことを考えると、キリスト教が今日、世界最大の宗教であることは異例なことです。

しかし、その活動は非常に充実したものであったことが、これらの福音書の内容が物語っています。
イエスの一行には、まず十二人の使徒が随行し、生活上の助けとなる女たちや、七十人に及ぶ協働する者らに加え、奇跡を行うイエスを慕ってその後を追う群衆が集まることもありました。

イエスは病に苦しむ人々を哀れみ、集まって来るあらゆる病人を一人残らず癒し、死人さえ復活させています。
それでも、イエスは群集に『神の王国』を直接には語らず、常に例えを用いて話し、使徒たちにだけはその意味を告げていました。
なぜなら、『神の王国』は『天地創造以来隠された奥義』であり、当時のユダヤ人の誰もが同じように知ることが許されていなかったとイエスは使徒らに告げます。それを知るには『聴く耳』を持つ、つまり深い関心を寄せることが求められました。

また、イエスは自身が「約束のメシア」つまりキリストであることもユダヤ人には明言しません。
そのためユダヤ人の間で、この奇跡を行う人であるナザレ人イエスについて意見が分かれます。
ある人々は、彼をメシアと認めますが、他の人々は認めずに、魔術を行って民を惑わしていると言います。

しかし、イエスは「自分を信じなくても、自分の行っている奇跡の業は信じるように」と告げます。
ですが、ユダヤの宗教指導者層はイエスを敵視し始めます。
なぜなら、ユダヤの宗教習慣に反して、安息日に奇跡を行い、彼ら指導者の行いを暴く発言をするところが受け入れられないからでした。
それに加えて、イエスは指導者層が蔑んでいた一般民衆と共に交友し食事を共にすることも、エリート意識の高い人々の不平を鳴らす原因となっていたのです。

ユダヤの民衆の中からは、このナザレ村から来られたイエスの行う奇跡や確固とした話に信仰を働かせ、キリストの到来を見出す人々が現れてゆきましたが、指導者層をはじめとして、体制全体としてイエスをキリストであると認めるまでには至りません。
当時の指導者の会議である「サンヘドリン」では70人の中で、キリストに信仰を持ったことが聖書に記されたのは僅かふたりだけでした。

むしろ、サンヘドリンのイエスへの敵意は次第に強まってゆき、遂に指導者層はイエスの逮捕を試み、協力者を募ります。
そこに密かに応募したのが、十二使徒のひとりで一年ほど前から密かに不忠節となっていたことをイエスに指摘されていたイスカリオテのユダであったのです。(ヨハネ6:71)

イエスは捕らえられる前に、最後の晩餐を十二人と共にしますが、そこでは旧約で予告された『新しい契約』に関わる儀式を制定します。
それが「主の晩餐」と呼ばれる無酵母パンとぶどう酒による儀式であり、イエスの復活ではなく、犠牲の死を記念するものです。

これが済むとユダはイエスを売り渡すために外出し*、イエスはなおしばらくの時間、弟子たちに自分の去った後の事を知らせ彼らの心を整えます。*(ルカ22:19-)
その会食の後、彼らがエルサレム城外の園に居たところに、ユダと武装した一団が到着しイエスを捕縛して大祭司の許に連行します。

宗教家たちは不正な裁判を行ってイエスを死罪に定め、夜が明けるとローマ総督ピラトにイエスを処刑するよう訴えます。
しかし、ピラトはイエスに罪を認められず、何度も釈放を試みますが、イエスを嫌うユダヤ人たちは群集の数を頼んで総督に圧力をかけ続け、遂に処刑させることに成功します。

こうして、イエスはユダヤ人宗教家らの策略によって処刑に渡され、『神の子羊』として犠牲となります。それは旧約聖書の予告するところでありました。
しかし、神はイエスを三日目に復活させ、墓が空であるのを弟子たちは見ることになります。

その後40日の間、復活したイエスは弟子たちに時折に現れ、最後は宣教を世界に広げる事と、エルサレムに留まる事とを指示してから弟子の見守る前で天に昇ってゆき、ついに見えなくなります。

ここまでが、おおよその福音書が伝えるイエスの伝記です。

福音書の中では、イエスがひとりのユダヤ教徒でありながらも格別の存在であったことがはっきりと書かれています。
イエスは神を専ら『父』と呼び、自らを『人の子』と称え、神との深い関係を持っていることを終始示し、神の神殿がぞんざいに扱われ、汚されているのを目にしたときには、これを実力を使って排除までしています。イエスが望んだことは『父を尊ぶ』ことであったのです。

イエスはキリストとして多くの奇跡の業を行いましたが、それを『父の業』と呼び、『自分からは何も行えない』とまで言います。
質素な生活を送り、『頭を横たえる場所も無い』ほど活動を続ける生活を送りましたが、そのほかにも弟子たちの理解の遅さも耐えなくてはなりませんでした。
こうした苦しみの最後に、犠牲としての死を受ける覚悟も必要としていたのです。

その『父』である神への忠節な生涯は、その結論というべき犠牲の『死によって、(人々に)死をもたらす悪魔を無に帰せしめ』ることになりました。
キリストの生涯と死を通して、父なる神の至高性が一度限り証明されたので、御子の犠牲の死はすべての知的な創造物に神への忠節な愛を求めています。

こうして示されたイエスの生き方に、弟子たちはどのように応えていったでしょうか。
ユダヤの体制派はイエスを処刑させて、この新しい宗教活動を封じることができたと一安心していたことでしょう。

しかし、キリスト教が真の力を発揮するのはここからです。こうして「使徒言行録」以降、いよいよキリスト教が作られてゆくことになります。
その点で、キリスト教においては、イエスの死がユダヤ教からの分岐点のようになっているのです。

弟子たちの活動は、『わたしを信じる者もわたしの行いをするでしょう。それもずっと大きな行いをするのです』とイエスが語っていたことの成就であり、パレスチナに限られていたイエスの活動が世界に向かって広がってゆきます。
そこで使徒や直弟子たちが師イエスの活動を受け継いでゆきますが、それが使徒言行録に記されている内容です。

使徒言行録を記録したのは、福音書も書いている医者でもあったルカです。
彼は、使徒パウロの宣教の旅行などに同行していることが第16章から確認できます。
ルカはその現場にあって、その実際に見聞きしたことを記録していることは、旅程の日数などの詳細からも確認できるほどです。

また、この書は初期の弟子たちにその活動の場面で出会うかのよう読めます。
ペテロやヨハネは十二使徒であり福音書からの古顔ですが、新たにイエスの弟ヤコブが大きな役割を担い、ほかに元は迫害者であったパウロと彼を気遣うバルナバ、その従兄弟のマルコ、彼には若いときの失敗も記されていますが、後にペテロの通訳ともなりその情報を得て福音書を記すことになります。
また、使徒への七人の助け手の中で最初の殉教者となったステファノと、聖霊と共に宣教に携わったフィリポなど、キリストの業の拡大をこれらの人々が受け継いでゆく様は壮観です。

しかし、これが僅か四年ほどで宣教を終えた教祖が刑死してしまった宗派の姿なのでしょうか。
もちろん、これらの活動の進展は人間の力や知恵に由来するものではありません。

さて、キリストの直弟子たちは、師を失ってからしばらくはユダヤ人を恐れてエルサレムの片隅に隠棲しています。
彼らはイエスの指示に従い、エルサレムに留まっているうちに、ユダヤ教の祭りである五旬節(ペンテコステ)の日を迎えます。

イエスは、弟子らが聖霊を受けることになることを何度も予告していましたが、その日の朝に『大風のような轟音がして』二階の間に集まっていた百二十人ほどの弟子たちの頭の上に聖霊が降ります。
祭りに来ていた外地からのユダヤ教徒たちは、轟音に驚いてその方向に行ってみると、各国語で話すイエスの弟子たちを見出します。

イエスは天に戻るに際し、使徒たちに『聖霊があなたがたに降るとき、力を得て・・地の絶え果てるところまでがわたしを証しする者となる』と告げていましたが、こうしてイエスの弟子たちが世界に向けて広げられる第一歩が踏み出され、その日のうちに三千人がキリストの名によるバプテスマを受けて加わりました。

その後も、聖霊は彼らを助け、特にペテロや使徒たちを通してイエスが行っていた奇跡の業が受け継がれ、聖霊はその場の弟子たちすべてに注がれたこともルカは記しています。

外地からのユダヤ人たちは、五殉節の祭りの後も、新たに得た信仰を喜こんでエルサレムに留まっていましたが、ステファノの殉教が起こると各地に散らされてしまします。
ユダヤ教の指導層は、イエスを亡き者としたように、その弟子たちの存在をも快くは思いません。ステファノの処刑を契機にこの一派の弾圧に乗り出し、その先鋒を務めたのがサウロというパリサイ派の男でした。

ですが、このサウロがイエス派の弟子たちを捕縛連行しようとダマスカスに近付いたところで、彼はイエスによって一時的に盲目にされてしまい、却って弟子となるよう招かれるという事態が発生します。
この人物が後にギリシア風に名前を変えて使徒となったパウロであり、その後、彼ほどキリスト教の教理を先頭に立って導いた人物はありません。それは十四通もの彼の書簡が新約聖書に含められていることが物語っています。彼自身は、これらの教えが自分から出たものではなく、イエスからのものであることを説き、自らを『奥義の家令』と呼びます。

パウロは、ユダヤ教の中心地であるエルサレムではなく、諸国民の多いシリアのアンティオケアを拠点とし、そこから地中海、小アジア、ギリシアに向かって教えを広めます。その途上で助手の青年テモテを見出し、ルカも彼の旅に同行するようになります。

彼らによってキリスト教は、元からのユダヤ教徒ばかりでなく、新たに転向してきた諸国の信者たちによっても構成されるようになりますが、ユダヤ教徒と諸国民との生活習慣の違いが表面化するに従い、キリスト教徒もユダヤ教の律法に基づく習慣に従うべきだというユダヤ派からアンティオケアで異議が唱えられ、そこで、パウロを含む使徒たちはエルサレムに集い、この件を討議することになります。

しかし、聖霊は既に諸国民に注がれており、それはユダヤ主義者の反論を封じるほどになっていました。
その議決によって、割礼などの律法を守ることを諸国民には求めないことが定められ、諸国民派は更に人数を加えることになりました。

さて、パウロは、小アジアのエフェソス(エペソ)やギリシアのコリンソス(コリント)に数年滞在し、多くのことを為し遂げますが、各地のエクレシアに手紙も書いています。そのなかでは、聖霊を受けた人々が『聖なる者』と呼ばれ『罪』が仮に許された格別の恩恵に入ったことを知らせています。それは『信徒』(ピストス)以上の立場であり、『聖徒』(ハギオス)と呼ばれます。この当時、初代のキリスト教徒の大半が『聖徒』であったことを新約聖書は伝えています。

さて、教会に通うクリスチャンが「(新約)聖書は、パウロばかりだ」と半ば不平を鳴らしているのを聞いたことがありますが、確かに14通の書簡にはそれぞれの土地のエクレシア(信者の集まり)への訓戒も含んでいますし、聖書の開きやすい辺りにパウロ書簡が位置していることもあって、まるでパウロがいつも誰かを戒めているかのように読めてしまう印象は否めません。

しかし、実際の文書の量は、新約聖書の三割ほどです。
そのうえ、これらの清い行状を説き勧められているのは、聖霊に受け『新しい契約』に入った『聖徒』に求められるものであって、この奇跡を行う力を得た人々には、それにふさわしい清さを示して契約を全うする務めはありますが、そうでない人々に清い行状が直接に求められているわけではありません。

むしろ、「罪多きもの、多くを愛す」また「健康な者に医者は要らない」との言葉が聖霊のない『信徒』に適用されるのであり、この辺りの違いを理解しないなら、善行者の仮面を被った歪んだキリスト教を作ってしまうことでしょう。

さてパウロには、彼の最後のエルサレムへの旅行が、より大きな試練となることを聖霊によって知らされます。

それは、イタリアに赴き、ローマで『カエサル(皇帝)の前に立つ』ための旅となります。彼はエルサレムで神を汚す者と誤解されて捕らわれ、ユダヤ人に命を狙われる身の上となりますが、彼はローマ市民権を持っていたので、ローマ軍が彼の殺害を許さず海港都市カエサレアの総督の許に保護します。

やがて、パウロはユダヤ人からの訴えをカエサルに上訴したため、彼はローマに護送され、その当時の地中海の航海も描かれてゆきますが、その船は難破してしまい、マルタ島に漂着して救われ、そこからさらにローマへと向かいます。

そして、ローマで二年間の軟禁生活を送り、その間に訪れる人々に教え、書簡を記すことになります。
この間に書かれた書簡は、エフェソス、フィリピ、コロサイ、フィレモンがあるとされ、これらは「獄中書簡」とも呼ばれています。
ここでルカが筆を止めているので「使徒言行録」はここで終わりますが、パウロはその後、一度釈放されてテモテやテトスを率いて地中海各地で更なる宣教を行ったことが、彼らへの書簡から読み取れます。これらの書簡には、集まりへの指示が記されているので「牧会書簡」と呼ばれます。

しかし、それも長くは続かず、西暦64年にはローマ大火が起こり、皇帝ネロがその罪をキリスト教徒になすりつけたために、キリスト教徒への迫害が起こります。その結果としてパウロはペテロ同じ頃に処刑されたようです。それは西暦67年前後の事とされています。

しかし、使徒パウロの活躍には目を見張るものがありますが、使徒言行録には詳しく書かれてはいないものの、その間にエルサレムでは使徒ではありませんでしたが、イエスの弟に当たるヤコブがユダヤのイエス派をまとめていました。
彼は、先のエルサレムの会議を仕切り、全体を代表して結論を出してもいます。
エルサレムには依然、崇拝の中心地としての神殿があり、使徒たちの多くが留まるキリスト教の中心とも目されていました。

使徒ペテロもヘロデ・アグリッパス1世から命を狙われており、エルサレムを留守にすることが多く、その点で、ヤコブはそれまでイエス派として目だった存在ではなかったのが利点となっていたことでしょう。ヤコブはイエスは復活したのを見るまではイエスを信じていなかったことが読み取れます。

書簡では、ヤコブの名前でもそのひとつが新約聖書に含まれています。
この書は律法を守るユダヤ人にも、諸国民にも有益な仕方で書かれています。ヤコブは非常に敬虔な人で、ユダヤ教徒からさえ「義人」と呼ばれ深く尊敬されていたと言われます。その彼の真摯な性格を反映してか「ヤコブの手紙」は、廉潔な行いを勧める手紙となっています。

この行いに重点を置いたところがパウロの唱える「信仰による義」と矛盾すると見なしたルターは、この書簡を「律法的」と見なして評価しませんでしたが、ここでヤコブが言う善行の『業』とは、律法の業ではありません。彼はこの手紙の中で、何一つ律法の定めを挙げていません。彼が勧めたのは、キリスト教徒としても「業が伴わない信仰は死んだもの」であり、その信仰にも愛にも意味が無いという事であったのです。

そのヤコブも西暦62年頃にユダヤ教指導者によって殺されてしまい、ユダヤのキリストの弟子らは『柱』のような大きな支えを失ったように感じたことでしょう。当時、ユダヤ人の間では愛国主義が高まりつつあり、ローマに処刑されたようなメシアなどは到底受け入れられるところではありませんでした。

おそらく、ヘブライ人への手紙(ヘブル書)はヤコブ亡き後のユダヤ人信徒を気遣ってパウロが書いたものでしょう。
この書簡の中では、律法への「従順」を守るユダヤ教に対して、キリストの犠牲への「信仰」を唱えるキリスト教がどれほど優れたものであるのかが力説されています。
もとより、パウロはユダヤ教も強硬派であるパリサイ派の出身者で、その上でキリスト教を導く立場ですから、彼ほどこのような書簡を書くのに適した人物も居なかったと言えましょう。

他方で、この頃ペテロがどのあたりで活動していたのかも、彼の名によるふたつの書簡から推察できます。それは使徒言行録に描かれたパレスチナの海沿いだけでなく、相当に広かったようです。
第一の書簡ではトルコの北部の地名が挙げられていますので、彼はエルサレムの危険を逃れて、この地域に深い関わりを見出していたのでしょう。
また、自分がバビロンに居ると書かれています。
このバビロンは隠語で、実はローマを指しているとの意見もありますが、ローマとバビロンを強く結びつける根拠がさほど鮮明ではないので、ここでは、彼が東方ユーフラテス河畔のユダヤ人居留者の許で宣教していたと見てよいでしょう。その手紙には迫り来る事柄への警告の響きがあります。

その警告に違わず、初代キリスト教徒にも試みとなる時期が迫っており、また、ユダヤとその体制にも恐るべき終末が迫っていました。
それが、イエスの予告されたユダヤとエルサレムの滅びであり、キリストを亡き者としたユダヤの『その世代』に対する報いを受ける『終わりの日』の到来であり、バプテストのヨハネの予告した「火のバプテスマ」でありました。

この時期、西暦60年代には、新約中の主な書簡を書いた中心的な人々が次々と去ってゆきます。
ヤコブもペテロもパウロも西暦70年のエルサレムの滅びの前には殉教していました。
したがって、ここからしばらく期間を描く部分を新約聖書に見出すことはないのですが、実に自らの体験を通して、この時代を語れるフラビウス・ヨセフスというユダヤ人歴史家が現れており、その「ユダヤ戦記」は克明にその後の事態を今日に知らせています。

ユダヤの亡びの発端は、パウロとペテロが存命であったらしい西暦66年に始りました。
当時のローマ総督は横暴を極め、あたかもユダヤ人を反乱へと誘うほどの態度であったとされています。

愛国心に燃え立ったユダヤ武装勢力は、死海沿岸の要塞マサダを襲い、そこのローマ守備隊を殲滅し、エルサレムでは神殿直近のアントニア要塞を陥落させてしまいます。
これを、ローマ総督ガッルスが軍団を率いてエルサレム攻略に向かいますが、優勢に都市を攻撃していたにも関わらず、歴史上の謎の退却を始めてしまい、ユダヤを勢い付かせてしまいます。

しかし、キリスト教徒はこうしたことについてのイエスの預言に従い、北東部の山地に逃れます。そのほかにも賢いユダヤ人たちがユダヤに臨む悲劇を予感してその地を後にしたと言われます。

それから三年半の後、ティトゥスに率いられたローマと連合軍がエルサレムを囲い、柵を設けて籠の鳥としたうえで最後の攻撃を加えます。
エルサレムの神殿は愛国者とならず者の巣窟と化し、血と貪欲で聖なる所を汚し、神への日々の崇拝も途絶えてしまいます。
ティトスは神殿を救うようにと、再三に投降の説得を続けますが、勝ち目のない暴徒はかえって頑なになって抵抗を続け、遂に戦闘の最中に神殿に火が付き、壮麗な神殿も焼け落ちてしまいます。

それは、ユダヤ民族には取り返しの付かない損失となりました。
以後、今日まで約二千年、ユダヤ教徒は神殿崇拝を行うことができなくなり、律法のすべてを行うことも不可能となりました。加えて、神殿でだけ発音されていたイスラエルの聖なる神の名を唱えることができなくなったので、今日旧約聖書に記されている神の名が何と読まれるのかを知る人は、この世代と共に地上から絶えてしまったのです。

それは神からの裁きであることをイエスは語っていました。
つまり、律法を守らず、メシアを退け処刑させてしまったことへの明らかな報いです。

ですが、ユダヤ人キリスト教徒には逃れ道が拓かれ、この悲惨な終わりを共にすることから守られました。

ユダヤとエルサレムが荒廃したあと、既にペテロもヤコブもパウロも過去の人となっていましたが、他の使徒たちや直弟子たちは歴史の舞台から去ってはいません。使徒たちはエルサレムを後にして、諸国へと布教の旅に出ました。福音書を書いたマタイはエチオピア方面に、その兄弟トマスはインド方面に、タダイはアルメニア方面に向かったという伝承があります。

キリスト教の理解においてパウロほどの理解を得ていた者もいませんでしたが、彼亡きのち、弟子たちの中から最後の聖霊の輝かしい教えが現れます。それは、十二使徒の中でも最年少であったと思われるヨハネに宿った聖霊の教えでした。

彼は、ユダヤの滅びを後にして、小アジア(現トルコ西部)の都市エフェソスに主の母マリアを伴って移住してきていました。
その後の彼が近隣のキリスト教徒に薫陶を与えていたことは、黙示録に記される七つのエクレシア(会衆)の名前からも明らかです。また、近くのヒエラポリスには使徒フィリポが家族と共に移って来ており、史料にはペテロの兄弟で使徒アンデレの名も小アジアで現れています。

以前パウロにあった非常に高度なキリスト教理解は、西暦一世紀の終わりに在って使徒ヨハネに移されたようにさえ見えます。
彼はティトゥス帝の弟ドミティアヌスの迫害に遭い、ミレトスの沖合いの小島パトモスに流されますが、そこで驚異的な音信を受けます。
それは、旧約のダニエル書とも深く関連する「黙示」であり、この世の終末を記す謎の書でありました。

ヨハネ黙示録を書いたのは、使徒のヨハネではなくて、別のヨハネであるという意見もありますが、黙示録とヨハネ福音書とヨハネ第一の手紙には密接なテーマの関連が見られ、そのテーマには「信仰による勝利」などヨハネに特有なものが見られます。例え誰が書いたにせよ、これほどの霊感溢れる内容を記したからには、聖なる神の霊の導きなくしてなし得なかったに違いありません。

この書については、聖書に含めるべきかどうかとさえ論じられてきたほどに難解で、ルターも「使徒的でも預言的でもない」と言い、疑典と同じように見なすと言明しています。カルヴァンも、聖典から排除まではしないまでも「暗黒の書だ」と友人に語ったといわれます。

今日でも、「ダニエル書や黙示録は聖書ではない」と軽はずみに言ってしまった牧師もいると聞きましたが、確かに、他の諸書とは様子も内容も異なっています。

ですが、これらには旧約への多くの関連が込められていることに気付く人々も現れてきましたし、これだけ難解であるにも関わらず、どこかに一抹の聖性を感じ取る人々も存在してきたのでしょう。聖書巻末を締め括る書として今日に至るまで不動の地位を占めていますが、それも不思議なことです。

その内容には、イエスが『この世のはじめから隠されてきたこと』を必ず例えで話されたことと関係があるのでしょう。
イエスは度々講話を『耳ある者は聴け』と言って終えていましたが、使徒マタイはそれを『世の礎が置かれていらい隠されて来たこと』と結びつけます。これをさらにパウロが『秘儀』と呼んでいて、黙示録も『秘儀が終わりに至る』ときを描いています。(マタイ13:35/コリント第一2:7/黙示録10:7)

そこで聖書には一貫して伏せられた内容が示唆されていますが、これはいつの日にか大きな意味を持つことになるのでしょう。
神が公けにしながら伏せるとすれば、それは理解することはだれにもできないに違いなく、この世の終末にはイエスによる『裁き』があり、裁かれるのは人間ですから、誰かには、あるいは誰にも、理解が許されていないのかも知れず、またそれは「時限ファイル」のようなものなのかも知れません。

使徒ヨハネは、パトモス島からエフェソスに戻り、そこでヨハネ福音書を書いたとのことで、福音書が黙示録の後に書かれています。
そして、その福音書は他のものとは異なり「福音書の中の福音書」とも呼ばれる高い評価を得ました。それは、観察者によるイエスの伝記というものを超えて、その書物そのものが聖霊の霊感によって書かれたような筆致を見せています。このようなヨハネ福音書の特異性もあって、それ以外の観察者の視点から書かれた三つの福音書は「共観福音書」とも呼ばれます。

これら、第二世紀に入る頃までに書かれた使徒や初代の弟子による著作をまとめたのが新約聖書であり、早くも第二世紀中葉には福音書の四つがひろく認められていたことはタティアノスの「四福音書対照」や、エイレナイオスの著作を通しても知られています。

パウロの書いた書簡は新約聖書に収められたものの他にもあることは知られてきましたが、パウロの書簡の収集を行った人々がいたようで、それに小アジアからの使徒ヨハネの書物も加えられ、第二世紀には選別され整えられていたようです。

近代以降、パウロ書簡とされるものの六巻はパウロでない後の人物が書いたという主張もなされていますが、それは文章や用いた単語の異なるを証拠に挙げています。ですが、これらの書簡を誰が書いたとしてもそこには人間の創意では考えられないような内容が込められていて、パウロが自らを『奥義の家令』としたように人間の能力に帰するには無理があります。これは『奥義』の深さを幾らか理解するだけでも納得できることでしょう。

そのほかにも、新約の時代に多くの書物が書かれてはいますが、そこで混濁の脅威を与えていたのがグノーシス主義の影響をうけた多くの文書でした。この主義は、神殿を失ったユダヤ人の失望から生じたという、ユダヤ教とキリスト教の混じったような教えで、創造者を「劣った神」に分類して物質と精神の二元論を唱え、キリストの仮現説や結婚の禁止など、本来のキリスト教からは逸脱した禁欲主義と神秘思想を特色として、かなり広いユダヤ人の支持を得て広まっていました。

しかし、キリスト教側は、エイレナイオスのような第二世紀の「教父」と呼ばれる指導者たちによって、使徒からの伝承を大切に守り、これらグノーシス派の使徒や初期の弟子らの名をかたる紛らわしい書物を退けています。

新約聖書を概観すると、大きくふたつのことが見えてきます。
まずひとつは、イエス・キリストの犠牲の意義の大きさであり
もうひとつは、それが弟子たちによってキリスト教への転換点をもたらしたということです。

その犠牲が人類を救うためには、キリストと成り得たイエスには『罪』があってはならず、それゆえアダムの子孫として生まれることはできません。こうした事柄が処女懐胎の奇跡の背後にあり、それらは、イエスという人物が徒ならぬものであり、神の計画の下に現れた方であることを指し示しています。

そして、その犠牲に基づいて行われた一連の事柄(秘儀)は依然として結末に至っていません。
つまり、アブラハムの子孫によって世界の人々が祝福を得るという創世記に示された大いなる約束の結末です。
それはなお、旧約聖書のダニエル書や新約聖書のヨハネ黙示録に書かれた事柄が意味をもってくる「終わりの日」または「終末」に期待されるべき事柄です。

つまり、神から出てキリストの遣わす『聖霊』が地上に存在しない今、依然として聖書の言う「終末」には至ってはいませんので、新約聖書が書かれてなお、神の人類救出の歩みはなお途上にあるのです。

それを多くのキリスト教徒は、何らかの仕方で、バプテスマを受ければ救われたと見なしてしまっていますが、アブラハムへの約束に見られる人類全体への救いからすれば、それは何と狭い見方なのでしょう。神の目的は「信者だけの救い」ではないのです。
大半のキリスト教徒は新約聖書の中だけで様々な事柄を知ろうとするので、そうなってしまうのでしょう。

もちろん、新約聖書なくして聖書の教えを理解することはできません。
ですが、この部分だけで全体を知ることは到底無理なことで、新約聖書に入る前のユダヤ人と律法契約との関係を知らなければ、「救い」という一言を考えても、何がどう救いなのかが分からないでしょうし、実際、多くの教会員もキリスト教徒も自分が救われる利己心に固執し、単なるご利益信仰に陥っていますが、それはキリストの自己犠牲の精神に沿うものではありません。

新約聖書を読むことで、キリストの宣教の姿や弟子たちによるその広がりを知ることはできるでしょう。しかし、それは一部分であり、神の意図という巨大な壁画の前にあっては、その一部は見ても全体の姿を見てはいないようなものです。

そこで問われるのは、本当に神の意図を理解しようと願うかどうかということになるでしょう。

聖書は誰でもどのようにでも読むことはできますし、それはもちろん自由です。
ある人は好奇心やインテリジェンスを向上させる目的で読み始め、またある人は自分の信じている教理の裏づけを探し、ほかのある人は心に響くような美しい言葉を捜して読むのでしょう。信徒であれば通読回数を上げて誇ることが目的にすることはよく見られる愚行ですし、あるいは信徒でなくても、キリスト教の結婚式を挙げるので少しでも読んでおくよう言われたかも知れません。 それはどのようにもできることです。

ですが、書き手はそれなりの意図をもって書いたに違いなく、まずその意図を知ってからでなければ、書き手と読み手の意識に違いが生じます。もちろん、神の意図を余すところ無く知る人は居ないでしょう。
しかし、最初から自分中心に読むなら、それは神を知ろうとはしていないのと同じでしょう。

神の意志を真摯に理解したいと願うのであれば、是非とも聖書の全巻を行き巡り、ご利益よりは神の意図を見出そうと謙虚に願わなくてはなりません。無心に己を捨てて読み続けるなら、書き手とはじめて通じることになるでしょう。

その努力は報われます。こう言うのは他ならぬイエス自身です。
『求めなさい、そうすれば与えられます。捜しなさい、そうすれば見つかります。たたきなさい、そうすれば開かれます。』





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17.旧約聖書を知る  *

2015.01.01 (Thu)
聖書を読む 旧約


聖書理解したいと思い、まず読んでみようとこの本に向かい合うとき、その理解が簡単なことでないことは、その本の厚さからも明らかです。

そこに旧約と新約を合わせて二千ページにもなる厚い本があります。そのうえ、最初の創世記から最後の黙示録まで読み通せばおおよそを理解できるかといえば、そのようなことはまず無いでしょう。と言えば初心者であれば意気阻喪して、誰か詳しい人に頼り切ってしまいたいと思うことでしょう。

しかし、全体のおおよそを知ると、後は読んでいる箇所にどのような時代や背景があるかをある程度でも分かるようになり、ひとりで読み進めるにも理解を大いに助けることになるでしょう。

聖書の目的とするところは、神による人類の救いであって、人生のガイドブックのようなものではありません。単に道徳を教える本と見なしても的外れです。天国や地獄もそこにはありません。人間の死後の世界さえ教えていないのです。ありきたりの宗教的常識も通用しません。なればこそ、これを理解してゆくことに深い意味もあります。

聖書とは、『罪』を負ってしまい『顔に汗してパンを食し、遂に地面に帰る』とされた人間を、アダム以来のむなしい状態から解き放ち、創造されたままの輝かしい姿を再び得させるための、非常に永い時代にわたる神の歩みと人間との生々しい交渉の記録ということができます。

聖書全巻を眺めると、その分厚さに圧倒されますが、目次を見ると内部は幾つにも分けられています。
おおよその聖書であれば、66の部分に分かれていて、旧約聖書が39巻、新約聖書は27巻から構成されています。
旧約聖書は全体の約七割を占め、残りの三割程がキリスト後に書かれた新約聖書です。

旧約、新約の「約」とは「契約」を略したもので、それは共に神とイスラエルとの間に結ばれた契約を表します。
聖書をふたつの部分に分かつ決定的な要素は、この契約にありますので、以下に、それについて述べておきましょう。



まず、古い方の契約ですが。
これが「旧約聖書」と呼ばれ、そのほとんどが「律法契約」という神とイスラエル民族の結んだ契約の履歴について述べられています。

まず簡単に言えば、この「律法契約」はイスラエル民族側が履行を怠ったために、神から破棄されてしまい、「新約聖書」の新約という言葉に表される『新しい契約』に取って代わる必要が生じます。

それでも、この「律法契約」には多くの重要な意義が込められていましたので、「新約聖書」の基礎となるこの部分を抜きにしてキリスト教を語ることはできません。

この古い「律法契約」は、預言者モーセを仲介に、神とイスラエルの仲立ちをして取り結ばれた契約であり、神が与えた『律法』にイスラエルが従うことを条件に、イスラエルは『祭司の王国、聖なる国民』となって、世界の人々を祝福するものとなることができる。という契約でした。

この『律法』は、宗教法だけでなく、行政法、司法、また軍法も含んでいて、イスラエルを国家として成り立たせる各種の法律がコンパクトに六百ほどに収められた国家法でした。これはモーセの仲立ちによって与えられたので「モーセの律法」とも、「教え」を意味する「トーラー」とも呼ばれました。

またこの契約は、神が、この以前にエジプトの奴隷であったイスラエル民族を多くの奇跡によって救い出し、紅海を渡らせて、対岸のシナイ半島でこの『律法』を与えて契約を結んだのでその場所から「シナイ契約」とも呼ばれます。

旧約聖書の大半は、この『律法契約』を巡った神とイスラエルの事柄が記されています。
結論から言えば、イスラエル民族はこの契約を守りませんでした。

彼らはほとんどの世代にわたって、『律法』に示された善政を行わないばかりか、彼らの神「YHWH」*を捨て、周辺諸民族の神々の偶像を拝するまでになります。 *(ユダヤ人によって発音が忘れられたイスラエルの神の名 旧約聖書中に7千回近く存在 新改訳聖書はその固有名の箇所を【主】と表記)

そこで神は、最終的にこの契約の民を新バビロニア帝国に強制移住させます。これは、「バビロン捕囚」と呼ばれます。
その前に、神は預言者を通して、律法契約に代わる『新しい契約』を結ぶことを予告します。

その新しい契約の謎が残る中、イスラエルの有志たちが、『約束の地』であるパレスチナに捕囚を解かれて帰って来て、再び神殿を建て神への崇拝を再興します。ほかの多くのイスラエルは他国に残り居留生活を続け、離散したイスラエル(ディアスポラ)を構成してゆき、ユダヤ人は世界各地に自分たちの社会を設けてゆきます。

「預言者たち」は、将来のいつかに『モーセのような偉大な預言者』が現れることを告げていましたが、未だ現れぬその人物は「メシア」と呼ばれます。

こうしてバビロン捕囚から戻って二世紀を経ると、まったく預言者が現れなくなりました。今日のユダヤ人は「預言者は皆、眠りについてしまっている」と言います。
そして、その後の「沈黙」の四百年間には、聖書に匹敵するほどの価値高く、聖性を持ち革新的な書物は記されませんでした。
神は、前5世紀に旧約聖書を書く筆を置き、旧約聖書は書き終えられたということができます。
ユダヤ人も今日までの2400年間、旧約聖書に付け加えることをしていません。

ユダヤ人の長い歴史のなかでは、今日の旧約聖書に含まれていないたくさんの書物も存在しましたが、旧約聖書に含まれるべき聖典がどれかを決めたのもユダヤ人でありました。

特に最終的なものは、西暦80年以後の一時期にヤブネというエルサレム近郊の町で、ユダヤ教の指導者が集まって聖典の検証を行いましたが、継承してゆくべき聖典を決めるに当たり、それまでの聖典に含まれていて、ヘブライ語もしくはアラム語でも存在しており、古くからの伝承が確かなもの24書を確定し、これを「聖なる書」としました。この24書が、分け方こそ違うものの、現在のキリスト教徒の持っている細かく分けられた旧約聖書の39書に相当しています。

ですが、これらの書が著されたときからずっと同じ文書として存在してきたかどうかは分かりません。旧約聖書中にも幾つかの現存していない書名が登場していますし、特に古い時代の書物、例えればモーセ五書にも後に編纂された形跡が見受けられます。また、創世記は、モーセのときまでに存在していた資料を、モーセが編纂したものと考えるのは妥当なことでしょう。

ユダヤ人は、旧約聖書を「タナハ」または「ミクラ」と呼びます。
「ミクラ」とは「読まれるもの」つまり読まれるべき書物である聖典を指し。他方「タナハ」は、ユダヤ教徒が聖書を三つの部分に分類しているところから来くる名称で、第一は「トーラー」、第二は「ネイヴィーム」第三に「ケトゥヴィーム」があり、それぞれの最初の子音から「タナハ」とされています。(最後の「ハ」は日本語では特に表せない発音なので「カ」や「ク」と表記されることもあります)

第一の部分は「トーラー」であり、最初の創世記からの五つの書を指しています。
ここにすべての律法が収められていますので、「トーラー」はそのまま「律法」を意味するといってよいほどですし、実際には出エジプト記の第20章から有名な「十戒」をもって正式な律法が語られるのですが、「無酵母パンの祭り」や「安息日」を行うことなどの幾つかの掟がそれに先行して述べられていることもあってユダヤ人はこの五冊を『律法』としています。

ですが、創世記は、モーセが現れて預言者に任じられ、イスラエルをエジプトから導き出す以前の民族の歴史について、天地創造の過去から語られていますので、そこに律法は含まれていません。
また、イスラエルの先祖であるアブラハムについて語り始める創世記第12章より前の部分には、「原初史」と呼ばれるユダヤ教にもキリスト教にも重要な土台となる太古の資料が伝えられています。

「トーラー」に続くのが「ネイヴィーム」とユダヤ人が呼ぶ預言書がまとめられた部分です。
この預言書集は、キリスト教徒の読む「旧約聖書」では最後に位置しています。
後代イエス・キリストも『律法と預言者たち』と発言していたことが、新約聖書に記録されていますが、これは「トーラーとネイヴィーム」と言っていたことになります。つまり、イエスもユダヤ教徒のひとりとして、タナハから引用して話していたのです。

『預言者たち』にはイザヤ、エレミヤ、エゼキエルの三大預言書と、その後に12の「小預言書」が続きます。(ユダヤ教徒はダニエル書を預言に含めず「諸書」に分類します)

これらの預言書の数も多いですが、これらを時期別に見ると、幾つかセットになっています。
例えれば、王国時代のイザヤとミカ、捕囚期のエレミヤとエゼキエル、帰還時期のハガイとゼカリヤというように、それぞれの時代で複数の預言が行われて、互いに補い合っています。この時代の観点から「列王記」や「歴代誌」また「ネヘミヤ」や「エズラ」とあわせて預言書を読むなら、様々な預言も語られた事柄の意味が相当に理解し易くなることでしょう。

タナハの最後の部分は「ケトゥヴィーム」と呼ばれます。
それは「諸書」の意味であり、律法でも預言でもない歴史上の逸話や詩篇や格言などがまとめられています。
この「諸書」にはヨブ記という巻も含まれていますが、これはモーセ以前に遡るほど、非常に古い書物です。その主人公ヨブも登場人物もすべてイスラエル人ではありません。ヨブの道徳性はたいへん高いのですが、神の前に道徳性がどれほどの意味を持つのかがそのテーマとなっており、この一書でイスラエルに与えられたトーラーを補完するという特異で奥深い事柄を主題としています。

以上がユダヤ人の聖なる書物「タナハ」の構成ですが、これがキリスト教徒の「旧約聖書」と幾らか順番も冊数も異なったのは、キリスト教徒の側での「旧約聖書」の伝わり方の違いが関係しています。

というのは、キリスト教徒にはユダヤ教徒に優って諸国民に拡大しましたが、当時の地中海の東側では、今日の英語のように古ギリシア語が話されていた関係で、原始キリスト教徒は、ユダヤ人の監修の下でギリシア語に訳されていた旧約聖書を使う伝統がありました。

そのギリシア語訳の旧約聖書は七十二人のユダヤ人翻訳家によって訳されたという伝承から「セプチュアギンタ」(七十人訳)と呼ばれていました。ユダヤ人によってギリシア語に訳された理由のひとつが、ユダヤ人も世界各地に広がり、居留するようになると、ユダヤ人でも二世三世と世代を重ねるうちに、ヘブライ語を話せなくなってしまい、聖書が読めない不便さが生じていました。

そこで、外地のユダヤ人の便宜を図って、ユダヤ人が慎重にヘブライ語からギリシア語に言葉を移し変えて作ったのが、このセプチュアギンタと呼ばれるギリシア語聖書でしたが、このギリシア語聖書の諸書の配列が、今日のキリスト教徒の持つ旧約聖書のものとなっています。

しかし、このギリシア語聖書にはヘブライ語聖書(タナハ)にはない文書も多数付け加えられ、ほとんどギリシア語だけで伝えられている文書もありました。例えれば、日本語では新共同訳聖書に収められている「旧約外典」として収められている部分がそうです。

こうした外典や聖典への追加は多く、ユダヤ人の権威ある教師たちが集まってヤブネで除外した諸書に含まれています。つまり、ヘブライ語やアラム語としては古くから存在していなかったギリシア語だけで伝えられた書物だったからです。
そこで、後代のキリスト教徒*もこれに倣い、現代の私たちの見るほとんどの旧約聖書もタナハの24書に相当する39書となっています。*(プロテスタントがヤブネに従い39書、カトリックはセプチュアギンタにほぼ倣い47書を旧約とします)

あるいは、これら以外に極めて重要な書が除かれてしまったのでは、との心配があるかも知れませんが、外典を見る限り、聖典ほどの重い情報を見出すことは無いので、その心配はなさそうです。

さて、実際に読むにあたっては
まず、読んでおくべき書として創世記は欠かせないものです。
そこでは、原初史という最重要の土台があり、そこからアブラハムに与えられた約束の理由が見えてきます。
つまり、人間は楽園を追われる身の上となりましたが、神はこれを見捨てず、救いの手立てを備えます。

それが深い信仰の人アブラハムの子孫を通して来るという約束を結び、聖書はその子孫イスラエルによって書かれ、その歴史を追って旧約聖書は展開してゆきます。

ですから、失楽園した人類を祝福する器としてのイスラエルという民族の由来と、与えられた律法契約の行方を追うのが、まず旧約聖書の読み方と言えるでしょう。

その点で、キリスト教徒の旧約聖書の並び方は都合の良いものとなっています。
それは、詩篇の前までで、イスラエル民族の歴史を一望できるように配列されています。

歴史を追って読む場合、創世記、出エジプト記、と読むと律法契約までの由来が分かります。
それからレヴィ記、民数記、申命記は、律法の細かい規定が、当時の出来事と織り交ぜて語られます。

これら「モーセ五書」とも呼ばれる「トーラー」ですが、これらと共に古くから在ったとされるのが「ヨブ記」です。
時代はアブラハムの子孫の時代で、モーセが登場する以前のものです。
この「ヨブ記」にはイスラエルに属する登場人物が一人も出て来ません。その中でヨブという人物の正しさが延々と試された後に、重要な後半部分で「人間の正義」と「神の正義」が語られるという非常に深遠な内容の書です。

時代としては、その後にイスラエル民族が奴隷にされていたエジプトを脱出して、彼らのために約束された土地カナンの地(パレスチナ)に向かう様が描かれます。そこでモーセが神から任命され、兄のアロンと共に多くの奇跡を行いながら、最後は紅海の水が分かれて民はエジプト軍から救われ、シナイ山麓に至り、そこで神との「律法契約」を結ぶに至ります。

レヴィとは、イスラエル12氏族のうちのひとつですが、彼らは神に取り分けられ崇拝に関わる事柄が任される特別な部族として選ばれ、彼らに与えられた務めが主に記されています。

民数記は、エジプトを出たイスラエルの荒野で人数を数えたことから名づけられたものですが、その生活が描かれ、彼らが早くも不信仰を表したことも暴露されています。そして律法の記述も続いています。

申命記とは、中国語の書名から来たものですが、「よくよく申し渡す」というような意味があります。
モーセが、その最晩年に至って、神と歩んだ自らの生涯を振り返り、辞世に当たってイスラエルに約束の地に入って後も律法を守ってゆくよう訴えています。このなかには預言も込められており、その中にはキリストの到来を予告するものも含まれています。

ヨシュア記以降は、イスラエルが「約束の地」パレスチナに入ってからの征服の戦いと定住してゆく様子が描かれます。
イスラエルがヨルダン川を渡ってパレスチナに入ると、律法契約は本格的に効力をもち始めます。
しかし、モーセに代わってイスラエルを導いてきたヨシュア自身、この民族が将来必ずや神に対して不善を為すことを最晩年に至って悟っています。

士師記という書名は、申命記のように中国語からきたもので軍人の総帥のような者の歴史というところでしょう。しかし、ヘブライ語では「ショフティーム」、つまり「裁き人たち」の意味で、イスラエルが外部の民族からの圧迫に曝された時代に、諸国を裁き、イスラエルを救うという意味がこめられています。

士師は、民が苦難に遭うときに、支族のうちのいずれからともなく現れて、イスラエルを率いて救う者となったので、世襲の王を持たない時代のイスラエルは、神によって治められていたということができるでしょう。

この律法がイスラエル民族を治めていた時代の人々の間にも、神の計画は進んでゆきます。
この時代、神はやがてイスラエルを治める王となる家系を準備していました。その一旦を荷うのが非イスラエル人の「ルツ」という女性で、若くして寡婦となった異邦人の彼女が、どのようにして律法に守られながらイスラエルの王家の家系にまで連なっていったかが語られます。

その後のサムエル記に入ると、イスラエルは神への熱心さを失い始めます。
イスラエルの民は王と常設軍を望み始めます。神がこれを許して王国となってゆきますが、初代の王サウルは神に対してその心は常に真っ直ぐとは言えず、やがて神の目に適う王ではなくなってしまいます。

またダヴィデという傑出した王が現れ、エルサレムが首都となります。次いで列王記ではダヴィデの治世が終わり、エルサレムに神YHWHの神殿が建立され、ソロモン王の下で、この民族は平和を享受し国力の最盛期を迎えるさまが描かれます。

ダヴィデ王は多くの歌を残しており、それは「詩篇」の中に含まれています。特に詩篇22篇などには、後代のイエス・キリストの上に起こる事柄が幾つも書かれています。

これらは、人間の側からの神への感謝や賛美でありますが、預言も含まれていて、神の秘儀に関する情報も含んでおり、単なる人間の作った歌というだけのものに留まりません。これらの歌は神殿祭祀にも使用され、特に「ハレル(賛美)詩篇」と呼ばれる数編は管弦楽の伴奏を伴った見事な大合唱に組織されていた様が描かれています。ですから、詩篇の詠み人には、レヴィ族の歌い手であったアサフや、レヴィの中でもコラ支族によるものも含まれていますし、古くはモーセによる味わい深いものも残っています。

一方で、ソロモン王はその優れた知恵による格言集、「箴言」と「伝道の書」(または「コヘレトの言葉」)で旧約聖書に色取りをそえています。これらは短い句や文を集めたものですが、その中には人間の有り様を露わにし、神の観点からでないと書けないような魂や霊の認識を教えるものとなっています。
また、女性を主人公にした、「ルツ記」と「エステル記」、それにソロモンの「雅歌」もこの諸書に含まれ、神の弱者への暖かい眼差し、また神は意志を成し遂げるために女性も用いること、忠節な男女愛への称賛などを聖書全巻に亘る神の経綸に沿って著されています。

しかし、ソロモン時代に受けたイスラエルの栄華は続かず、国はふたつに分裂し、エルサレムを中心とする南のユダ王国と、サマリアを中心とするようになる北のイスラエル王国に分かれてしまう歴史を列王記は追いますが、強力な奇跡を行う預言者エリヤやエリシャが起こされた時代でもあります。イスラエルは南のユダ王国よりも早く西暦前7世紀に、北の強国アッシリアに攻め滅ぼされてしまいます。当時までにアブラハム以来の神YHWHへの崇拝心は衰退の一途を辿っているばかりでした。

ユダ王国でも多くの愚昧な王たちが民に誤導を重ねて預言者らを迫害し、幾らかの善王が現れても、全体の改善には至らず、遂に神は律法契約の破棄と新しい契約の到来を決意し、ユダもイスラエルと同じく滅ぼされ、新バビロニア帝国によって散らされてしまいます。列王記の記録が捕囚に至るまでの南北を含めた諸王のエレミヤによる記録であり、捕囚後のエズラの記した歴代誌の方は、それを創世記の記録から振り返り、特に南のユダヤ王家の人物像を味わい深い筆致で描いています。

この、王たちの時代の後期に預言書(ネイヴィーム)が書かれはじめています。それらは以前のエリヤやエリシャのような奇跡を専らに行い、書物を残さなかった預言者とは異なり、神から与えられた言葉をそれぞれ書物に残して、それがイザヤを始めとして旧約聖書に収められています。
おおよその旧約聖書ではイザヤ書からはじまる17の書がこれに相当します。(タナハでは列王記と歴代誌も預言書に含まれます)

この時期になると、律法契約を捨てたイスラエル民族を神は流刑を定めた事を繰り返し警告し、またそこからの帰還がある事も知らせるようになります。預言者イザヤは古くからその事を警告し、預言者エレミヤの時代はまさにその災難が臨んでゆく過程を、預言者エゼキエルは一足先にバビロンに囚われた身として預言しています。

それらの警告は現実となり、西暦前586年に新バビロニア帝国によって最終的にエルサレムに在った神殿を破壊され、民も流刑となったことが歴史にも記されています。

しかし、預言書は、同時に律法契約に代わる『新しい契約』を予告し、何代も後の世代に回復があることを告げ、それらが「預言者たち」の重要なテーマとなってゆきます。

それから、ユダは捕囚を解かれる機会を得て、帰還した民はユダヤ人と呼ばれるようになります。
その帰還を導いたのが、新バビロニア帝国を降した新興ペルシア帝国の王キュロスⅡ世で、彼は神の意志を行う「メシア」(任命された者)とイザヤは二世紀前に予告していました。

そこで幾らかの人々がパレスチナに戻り、神YHWHの神殿を再建して崇拝を復興し、やがてエルサレムの城壁も元通りにされます。この捕囚以後の帰還時代をネヘミヤ記とエズラ記のふたつの歴史書が記しています。以後、イスラエル民族が「ユダヤ人」と呼ばれるようになったのは、パレスチナへの帰還がユダ王国の人々を中心に行われたことによります。

しかし、預言者マラキの後の歴史については、聖書そのものには語られていません。
僅かに、最後の預言書マラキが、『契約の使者』と呼ばれる何者かの到来と、それに先立って来る預言者エリヤのような者の存在を告げて、旧約聖書は沈黙に入っています。


ここまでが旧約聖書に含まれる事柄です。
それは恰も、書きかけの本を読むようで、次に現れる「メシア」という何者かに注意を向けさせるかのような内容の中断といえましょう。その「任命された者」とは誰なのでしょうか?その謎を抱きつつユダヤ人は歴史を重ねてゆきます。


さて、一般の歴史にマラキの後を見ると
神からの啓示が途絶えている間に、パレスチナを治める宗主国はペルシアからギリシア、そしてローマへと代わってゆきます。
その間に、ユダヤ人は捕囚に至った自分たちの歩みを反省し律法を犯さないことへを決意を深めます。その中から、律法を守るために更に厳格な法を守ろうとする動きも現れてくるのですが、その一派が律法学者(タナイーム)であり、そこにパリサイ派(ファシリーム)も加わり、ユダヤ全体の宗教を仕切る立場に就き始めます。

その後にもユダヤ人の間では多くの書が書かれましたが、預言者のように権威あるものは現れず、幾らかのその後の西暦前4世紀あたりからのユダヤの様子、特にダヴィデの王統ではないものの、一度イスラエルの支配権を再確立できたハスモン家の歴史を外典のマカバイ書などが伝えていますが、ユダヤ人自身の手によって、これらは聖典から除外されています。(マカベア書などの幾らかの外典は新共同訳聖書に含まれています)

これらの除外された書と残った書とでは、文章の価値が異なり、古いヘブライ語などの書物が持つ荘重さや革新性、また意義の重さに欠けています。これは、聖書に読み慣れてくると分かるので、おそらくはいずれ同意していただけるものと思います。

ですから、旧約聖書も人間によって編纂されたものではありますが、ユダヤ=イスラエルの非常に長い歴史の中で扱われてきた人々の感覚と原典性に照らして取捨選択されたのであり、誰かの教理を推し進めようとして意図的に集められ、また捨てられたということではありません。

むしろ、不思議なことに、時代の異なる人々が書き継いでいった書の集まりであるにも関わらず、これらの書はひとりの主要な著者の存在を指し示しています。
殊に、預言されていた事柄が成就し、それも更なる別の成就を指し示しているようなところは、もはや人間の能力を超えています。
例えれば、神は律法に従わないときにイスラエルは「約束の地から吐き出される」ことを律法で警告していましたが、預言者はそれがバビロン捕囚となって成就することを予め知らせ、同時に、再び「約束の地に帰ってくる」ことも知らせています。そして新たな契約についても予告されていますが、モーセから千年近い時の流れを経た後にこれらのことが起こっています。

これらのことを俯瞰すると、旧約聖書とは、イスラエル民族を通して神が行ったこと、また書き記させたことが、なお途中経過であり、旧約聖書で完結されることなく、更なる展開を遂げるものであることが見えてきます。

つまり、神は旧約で聖書を著す筆を休めはしたものの、その続編は明らかに予告されているのです。その最終目的は人類の救いであり、それは「アブラハムの子孫」とされる民を通してなされます。

加えて、メシアとされる人物について旧約聖書は何度も知らせています。
ベツレヘムから現れること、自ら打たれて人々の罪を負うこと、新しい墓に葬られることなど、この特定の人物に関して予告されたことを挙げると三百近くなるとも言われています。

ですが、これほどに予告されたメシア(任命された人)が誰であり、それがいつ成就したのかについて知るには、どうしても新約聖書を必要としますが、ユダヤ教徒はイエスをメシアとしないので、新約聖書も認めていません。

まさしく、新約聖書は、預言者たちが沈黙した四百年の空白を破って、聖書の主要な著者である神が、再び語り始めたことを示します。
旧約聖書に記されたメシア預言の数々が、一人の人物の上に成就したことを知らせているからです。






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