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余白の頁

2013.03.29 (Fri)
余白
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前に置かれた喜び

2013.03.23 (Sat)
ヘブライ12章2節のこの句は、その前の章の中で多くの歴史上の人々の信仰の業を述べたうえでの、最終的なまとめとしてキリストの模範に言及しています。

キリストの試練はまことに厳しいものであり、律法が『呪われた者』と見做す磔刑を受ける者とまでなられました。
では、キリストイエスをして、その『道』(走路)*を脇目も振らずにまっすぐに走らせたせたものが何か、そしてそこにヘブライの信徒たちの模範とするべきことを見出すよう筆者は促しています。(12:1「走る」(クセコー)が競技の走者をメタファーとして含意)

彼らは未だ死に至るまで罪に抵抗してはいない、と言われます。(12:4)これはつまり、西暦33年のキリスト没後にはパウロ自身によって迫害され投獄の後、死まで経験した世代が30年を経過して入れ替わっていたことを示しているでしょう。
そこで、彼らのかつての記憶を古い人々に思い起こすようにも言っています。
『あなたがたは、光に照らされて後、苦難に会いながら激しい戦いに耐えた初めのころを、思い起こしなさい。
人々の目の前で、そしりと苦しみとを受けた者もあれば、このようなめにあった人々の仲間になった(同じ目に遭った)者もありました。
あなたがたは、捕らえられている人々を思いやり(獄に世話に訪れる)、また、もっとすぐれた、いつまでも残る財産を持っていることを知っていたので、自分の財産が奪われても、喜んで忍びました。』(10:34-36)

このように以前のユダヤの信徒たちを強めたのは、『もっとすぐれた、いつまでも残る財産』と言われています。
それはキリストと共になる者たちが受ける「アブラハムの相続財産」『天の王国』を受け継ぎ、その一員となることであったでしょう。

一方でイエスは、その親石と成られましたが、キリストにあっても苦しみを通過するに当たり、周囲の過酷な状況、神の子であったにも関わらず、神に仕えるはずの立場に在った大祭司や祭司長派の者らに審問され甚振られ、呪われた者として処刑されるといった事柄ではなく
『前に置かれた喜び』の方に目を留められた、とパウロは霊感の下に書いております。

その喜びには、実に多くの、また苦しみを通さずにはけっして得られないものがあったに違いありません。
イエスにとっては、その犠牲の死を通して父の神性を立証でき、神の名が高く揚げられる、ということがどれほど大きな喜びの謂れであったことでしょう。
また、それは創造物をキリストの許にひとつにまとめ、すべてを父に帰一させることができ、ご自身は天の栄光に帰り、父の右に座すことになります。
更に主が父に忠節を尽くすことは、サタンをはじめとする創造主を肯んじない者らの反論を無に帰せしめ、創造界に安定をもたらし、父のご意志が行渡ることになり、それは創造の業の完成を成し遂げることになります。(マタイ6:9)
人間の中から『神の王国』の祭司らが選ばれ、それが全人類の贖罪を成し遂げて、人に永生をもたらしエデンを回復することも、キリストの犠牲なしには実現し得ないことです。

キリストに追随する者らも同様の犠牲の精神の意向を固める必要があります。
パウロ自身も死を前にしてこう書いています。
『私は今や注ぎの供え物となります。私が世を去る時はすでに来ました。
私は勇敢に戦い、走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通しました。
今からは、義の栄冠が私のために用意されているだけです。かの日には、正しい審判者である主が、それを私に授けてくださるのです。
私だけでなく、主の現れを慕っている者には、だれにでも授けてくださるのです。』(テモテ第二4:6-8)

ヘブライ人への手紙はおそらくこのテモテ第二の手紙より数年以前に書かれていますが、この部分のモティーフは同じことのようです。
即ちイストミアードと呼ばれるような競技会のニュアンスが込められており、こうしたギリシア式の競技場では勝者への冠や捧げ物が競技者の見えるところに展示されており、それは勝利者となる意欲を掻き立てたことでしょう。
当時の勝者へは破格の待遇が与えられ、故郷では街ぐるみで城壁を壊してその勝利者を迎える門を新たに造ったとまで言われます。

また、フィリピへの手紙にはこう書いています。
『私は、キリストとその復活の力を知り、またキリストの苦しみにあずかることも知って、キリストの死と同じ状態になり、どうにかして、死者の中からの早い復活に達したいのです。
私は、すでに得たのでもなく、すでに完全にされているのでもありません。ただ捕らえようとして、追求しているのです。そして、それを得るようにとキリスト・イエスが私を捕らえてくださったのです。
兄弟たちよ。私は、自分はすでに捕らえたなどと考えてはいません。ただ、この一事に励んでいます。すなわち、うしろのものを忘れ、ひたむきに前のものに向かって進み
キリスト・イエスにおいて上への召しという神の栄冠を得るために、目標を目ざして一心に走っているのです。』(フィリピ3:10-14)

こうして、見てくるとヘブライ12:2の句でのキリストの『前に置かれた喜び』というものが、聖徒たちには信徒に遥かに優るものであるとしても、共通性のあることが分かります。
キリストの恥をものとも思わずに磔に耐えた、ということは、それに続く者たちにとっても前を一心不乱に見つめることにおいて模範であったことでしょう。

聖徒でない者たちについても、同じように言えるところがあります。
なぜなら、迫害の脅しや苦難が全く無いわけもないからです。

それでも、聖徒たちほどに身を焦がす程のものを覚悟するまでには至らないのかも知れません。
信徒たちには、キリストと聖徒たちの奉仕を通して輝くような創造物に復するという喜びが前に置かれており、それを幾らか想像するだけでも『価高い真珠』のように見做せることでしょう。
そしてより高次な喜びは、神と人との和解により、人類のすべてが神と自由に意志の疎通が図れ、しかも創造の業の素晴らしさのままの永生を得て、御前に歩むということです。
これに優るものがあるでしょうか。





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詩編第二編「子に口づけせよ」

2013.03.21 (Thu)
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詩編の第2は、キリストの王となる臨御についてたいへん重大な事柄を伝えております。

キリストは、二万で攻めてくる敵に一万の手勢で勝てないと判断するなら、早めに使者を送って和解するものだと述べました。

これは直接には信仰について語ったものではありますが、この観点を借用すると、「子に口づけせよ」の句が読めて参ります。

つまり、和解しなければ『神の王国』に道を空けないことになり、臨御の顕現を終末に果たすその王子の前に討たれるばかりとなります。

そこでは『神の王国』が心の中に在るというものではなく、現実に地を統べ治める政権となることを認識していなければ、為政者らはこの詩編に描かれるような敵対行動は執りません。

この詩編で『すべての王よ、目覚めよ[הַשְׂכִּילוּ](ハ スキール「悟れ」)、地を治める者よ諭を受けよ。畏れ敬ってYHWHに仕え、慄きつつ喜べ』。と現実の為政者に述べるのはそのためです。

それは黙示録にある「千年王国」を現実に到来するものとして信仰しなければできないことです。
しかし、アウグスティヌスはエイレナイオスの著作の抄本を作る際に、この二世紀も前の先達の千年期説の部分を故意に破棄したと言われます。

ローマ帝国の俗権と手を結んで「淫行」を犯してしまった「キリスト教」にとっては、キリストが現実の王として地上を治めるなどは到底認められないことになったからでしょう。

以後、キリスト教は『神の王国』を「天国」に入れ替えてしまいましたから、どこにでも見られる「普通の宗教」、典型的なご利益信仰となってしまいました。そこではキリストがあれほどまでに教えた『神の王国』の特異性も卓越性も無に帰しました。

もし、キリスト教がそのようなものなら、天国行きも、仏教の極楽往生も然したる違いはありません。
ただ、雰囲気の違いを信者が選ぶだけになってしまい、それはまるで結婚式をどうするかという選択のようになってしまい、キリスト教も何ら特徴のない「普通の宗教」になってしまいます。


それから
「子の御足に」と訳したのは口語訳で、これはこの「口づけせよ」に用いられている[ נַשְּׁקוּ-בַר]《ナシェック(口づけせよ) ヴァル(子に)》という言葉の繋がりの意味を際立たせているといえましょう。
ここはヘブライ語の「子」[ベル]ではなくアラム語[ヴァル]「子」が「(怒り立つことの)ないように」という語が用いられており、それがオリエントの権力者に対するような臣下の礼としての足への口づけを含意しての口語訳の翻訳と思われ、私もこの訳が実態に近いように思えます。

つまり、ここで「子に」と述べるときには、オリエント式に共同統治者としての「皇太子」の意を込めて、それが単なる接吻ではなく、恭順を表すオリエントの足への接吻を意味したであろうということです。

君主のつま先に接吻するこの伏礼には、アレクサンドロス大王についてのエピソードが残っています。
マケドニアやギリシアで、このオリエント式の伏せて行う挨拶は余りに異例であったので、マケドニアから大王の許に使いに訪れていたカッサンドロスが嘲り笑ってしまいました。オリエントの文化を尊重しようとしていた大王はそれを怒って、カッサンドロスの髪の毛を掴んではその頭を壁に打ち付けたと伝えられています。

この種の足先への大仰な接吻はやがてヨーロッパに入り、ローマ教皇への儀礼ともなり定着していることを今日も見るところです。

キリストに関しては、人々は遂に戴冠して顕現されるであろう威光の主イエスを、その姿の通りに大王としてお迎えしなければなりません。
それは子ロバに乗って入城されたときにシュロの葉を手に手にそれを迎えた人々のようにです。

もし、そうでなければ、ミナの例えで高貴な生まれの方の王権佩帯を望まなかった市民、また地中にミナを隠していた弟子のような最期を遂げることになるでしょう。

俗世の権力者は当然に創造者からの王権を帯びるであろう方に対して、その権力を譲らねばなりません。
それゆえ、聖徒たちは為政者の前に引き出されるのですから

もし為政者らも聖霊の声を聴いて従うなら「御子(の足)に口づけ」することとなり、その臣下の礼はキリストの王権への服従を意味することになるでしょう。

こうしたことを含め、王となられるキリストへの理解の無さはキリスト教界に蔓延しており、それが基本教理ですらないということは、まったく大きな危険を冒すことであり、ミナを地中に埋めていた弟子の態度そのものです。

いつまでも磔刑にされた弱き時のイエスの像を感傷的に眺めて、自分は救われたなどと思い込んでいては、その顕現の恐るべき威光溢れる御稜威の大王を望まない不信仰で身勝手な市民と同じと見なされ、『外の闇に捨てられる』としても致し方ないと思えるのですが。



PS:
この点で、いくらか補足しておきますと
キリストが王権を領受する戴冠は、華やいだ目出度い式典というものにはならないようです。
既に諸国民は騒ぎ立っており、王や高官らもはっきりと神への敵意を露わにしております。

彼らは連合軍を起こしてまで、それもにわかの民兵までもが参戦して(Joe3:9-)、聖霊の言葉に信仰を持った人々を攻撃しようとするまさにそのときに、攻撃目標にされたエルサレム、またシオンの山で神の側の王が戴冠するのであり、それは世界的敵対に応じたメシアの擁立となるのでしょう。

世界連合軍は元々、諸国家の我欲のために一枚岩の結束などはなく、圧倒的優勢のために必勝と思えた為か、却って同士討ちを始め、イェホシャファト王のときのように自壊し、シオン攻撃に失敗するばかりか、相互殺戮によってそれぞれの軍はちりじりになり、将軍や高官をはじめ、様々な立場の者は洞窟に逃げ込んで『子羊の怒り』から逃れようとします。(Isa2:19/Rev6:15)

この事態に至ってはじめて、信仰を持たなかったこの世の人々がキリストの臨御を認めざるを得なくなるということは、キリストの来臨がそれまで『雲と共にあって』見えず、キリストの代弁者である聖霊によって語る『聖なる者』だけを目にしてきたからでしょう。キリストの来臨は信仰の目を通してだけ見えるからのようです。

他方、世を支持した信仰を持たなかった人々には、気を失うほどに恐ろしい予想が臨み、それは現実となってゆきます。
権力は溶け去ってしまい、経済も貿易も立ち行かず、日常の便利な生活様式はほとんど機能しないでしょう。(Lk21:25-27)

それからどうなるかはヨハネ黙示録の世界を覗くことになります。

⇒ 黙示録の四騎士 時代の印か絶滅の使者か





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漁師アンデレのように

2013.03.11 (Mon)
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聖徒でなく、信徒であれば、ただ生きていればよいかという

このことで、模範と仰げる人物が使徒アンデレでしょう。
彼はベツサイダ出身のガリラヤ湖の漁師で、レヴィ人でも祭司でもなく、ユダヤ人から幾分見下げられたガリラヤ人でした。
本当に片田舎の漁師で、カペルナウムを拠点に兄弟シモンと漁業を営んでおりました。

ですが、この兄弟は単に漁師でもなかったのです。
ふたりは平民ではあっても、やがて来るというメシアに関する神の預言に一方ならぬ関心を抱いておりましたから、西暦29年ころ、荒野にバプテストのヨハネが現れると、アンデレは早速その許を訪ね弟子となります。
彼は、律法の規定を守ることで自分の義を悦に入るようなパリサイとは明らかに異なっています。また、一般人のように、ユダヤ教の神殿祭祀を捧げるだけで満足はしていなかったことでしょう。

そしてヨハネがナザレから来た方イエスを『神の子羊』として紹介すると、彼はすぐにその紹介された方の宿を訪ねます。
そこでイエスがメシアであることを確信した彼は、すぐに兄弟シモンのところに行ってこう言いました。
『 「わたしたちはメシア(訳せば、キリスト)にいま出会った」。』(Joh1:41)
ここで(口語訳)「出会った」と訳されている原語「ヘウリスコー」は「調査、思考、検査、監視、観察することによって見つけ出すこと」を意味するとのことです。まさしくアンデレがしていたことはそのようなものだったのでしょう。

ですからここは「メシアを見つけた」と訳すことも可能であり、そうしている訳もあります。
NKJVなどの英訳は、これに「遂に見つけた」(We have found)の意味を含ませていますので、これらを踏まえ、この句は『「わたしたちはメシアを見つけ出した!」』と訳されてもよいようです。つまり『わたしたち』とは彼とシモンの兄弟であり、預言されていた人物を遂に彼らが見つけ出したという気概や興奮がそこにあったことでしょう。

ユダヤ人は今日でも「預言者は眠りについてしまった」と言いますが、最後の預言者マラキ以来、およそ四百年にわたる預言者の現れない時代が続いていましたが、その長い沈黙を終わらせたのがバプテストのヨハネでありました。
そして、もう一人そのバプテストの弟子となっていたのが、後にやはり使徒として召されるアンデレの同業仲間であるガリラヤの青年ヨハネです。

またバプテストは、メシアとしてのナザレから来られた方を『神の子羊』として紹介します。つまり『世の罪を取り除く』犠牲の子羊です。
これはたいへんなことであり、神のご意志の偉大な進展であったわけですが、神の奇跡を行われる以前のイエスについて、まだ民はそれと気づいてはいません。しかし、使徒となったヨハネは、後にイエスが出エジプトの夜の子羊に相当する犠牲を捧げ、人類全体への救出の道を備えたことをその著述で明解に繰り返し教えることになるのでした。

ですから、彼らがイエスの現れを待っていたところに、彼らの神の御旨への関心の高さが窺え、それは田舎の漁師という身分を忘れさせるほどのものです。それでも、彼らはこの時点で十二使徒でも聖霊ある聖徒でもなかったのです。
しばらく後に、彼らは揃って十二使徒に選ばれることになりますが、そうしてメシアに仕えることで、その立場は神の御前にレヴィ人や祭司、また学者や書士をも遥かに超えるものとなってゆきます。

これを保守的に見れば、何の裏付けもない一般人が出過ぎたことをしたものだ、とも言われかねなかったことでしょう。
それでもイエスの見方、また神の目にはそうではありませんでした。

彼らは、旧約が書き終えられて後の長い神の沈黙の時代に居ましたが、それでも神のご意志を見極めようと努めていたところにメシアを見出し、それだけでなく、大きな業と立場に用いられることになっていったのです。
それは彼らが任命されていたからでしょうか。そうではありません。
神は何をなさろうとしているのかと、その意志を探り、それに協働しようと努めていたのです。


またある時、イエスはペテロの問いに答えて、このようにも語っています。
『するとペテロが言った、「主よ、この譬を話しておられるのはわたしたちのためなのですか。それとも、みんなの者のためなのですか」。
そこで主が言われた、「主人が、召使たちの上に立てて、時に応じて定めの食事をそなえさせる忠実な思慮深い家令は、いったいだれであろう。
主人が帰ってきたとき、そのようにつとめているのを見られる僕は、さいわいである。
よく言っておくが、主人はその僕を立てて自分の全財産を管理させるであろう。』(Luk12:41-44口語)

ここにも神の沈黙、またキリストの不在の時代が描かれています。
キリストが臨在していない間、聖徒ではないから、ただ生きていればよいという風にはとてもとれない言葉ではないでしょうか。

主人が戻って来た時に、「努めている僕」は任命されていたのでそうしていたのでしょうか。
そうではありません、御旨を察知し、それに努めていたゆえに任命されるのです。

むしろ、聖徒を生み出す「シオン」と旧約聖書の中で呼ばれている信仰ある集団がどのように登場するかは聖書にはっきりと書かれておりません。そこに何か神意があるのでしょうか。
それでも、イエスの言葉の中には『忠実な思慮深い家令』のように、主の再臨の以前に活動を始めている者らへの記述は僅かながら認められます。

そこで、わたしたちはアンデレのように神の意志を探るようなところがなければなりません。
それは自分から神の意志に協働したいという願いの現れでもあります。

聖書を精査することは、自分の努力が的外れになるのを防ぎ、パリサイのようにひとりよがりな労苦をしないために必須です。
そこでは関心がまっすぐに神に向かっており、自分が救われるかどうかを問うものではありません。人生の成功を求めるようなご利益信仰など眼中にも無かったことでしょう。

神が自分に何をしてくれるのかを探るような聖書の読み方では、その主役は神ではなく、自分になってしまうのですが、ほとんどのキリスト教徒は自分の救いや願いを中心に求めます。恰も、それが当然のように教師は人集めをし、利己心に訴えて、キリストの自己犠牲に感化されるのではなく、キリストを自分の救いや願いのための奴隷にしてはいないでしょうか。

アンデレもシモンも自分たちが十二人の「使徒」に選ばれたり、聖霊を注がれてイエスのような奇跡の業を行う「聖徒」になろうとは思ってもいなかったに違いありません。
しかし、彼らの心は神に対して熱心で、同時に自分の処遇がどうなるかに対してはニュートラルだったことでしょう。
それゆえにも神に用いられることになったのでしょう。自分の願望に沿って神を形作るとしたら、その人は何者なのでしょうか。

ゆえに、今日に於いても、それが何であれ、聖書に神の意志を探り、それを一心に求めるなら、行うべきことは自ずと目の前に現れるように思えます。
誰かから与えられたから、従順にそれを行うのではなく、自ら進んで信仰と良心の指し示す神の御旨の方向を見定め、それに努める以外にありません。

受け身に考える、また考えさせるのは宗教組織の悪いところで、そこでは身の程を弁えることが強調され、聖書解釈を施してよいのは教師だけです。
こうして信徒はついてゆくべきものを間違え、神の言葉を自分からは聴かず、「講釈師」のような偉ぶった他の人に任せてしまうのです。
ですが、それを請け負った教師が、果たして追随者の信仰の結末までの責任を持てるものでしょうか。それは本人以外のいったい誰が結果を負うというのでしょう。

そのような他人任せの信仰では、アンデレのような精神は抹殺され、皆が神ではなく教師の従順な奴隷を目指す以外ありません。
これでは、次にキリストの戻られるときにアンデレのような「一介の漁師」などは要らないと言うことにならないでしょうか。

これはイエスの一言ですが
『しかし、人の子が来るとき、果たして地上に信仰を見いだすだろうか。』(Luk18:8)
イエスは公生涯の間に使徒たちや七十人や多くの信仰ある追随者を得ました。
ですが、再臨のイエスがアンデレのような人々を見い出さないか、または非常に少なくて、皆が神を無視し自分勝手なご利益信仰をしていては上のようなイエスの心配の言葉も成就してしまいかねません。それではキリストの臨御も遠のくように思えます。

神の御旨を探るわたしたちも、「漁師の」アンデレのようでありましょう。
それは傍観者のようではけっしてありません。
神の沈黙の時代にあっても、彼らの熱意は燃え、自分の利得を後にして、神の意志を求め積極的に探し続け、敲き続けていたのです。
彼らを動かしたのは、その価値観であり、それが貴重なメシアを見つけ出し、その御傍に仕えさせたのです。
彼らが十二使徒に招かれたということは、彼らの想いを神は用いられたということでしょう。

そしてキリストの再び臨御される時代には、どんな人々が居ることでしょうか?









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「使徒信条」を新十四日派の観点から見ると

2013.03.06 (Wed)
「使徒信条」の歴史を確認ましたが、確かに三位一体以前の古そうな来歴ではあります。

ですが、少々気になるところもあります。

キリストは)葬られ、霊として、黄泉(地獄)に降り
”mórtuus, et sepúltus,descéndit ad ínferos”

これは前にも二度ほどメールのやりとりで取り上げましたように、ペテロ第一3:19が異教的に解釈されております。つまり、「イエスの黄泉降り」とされる解釈ですね。
この解釈の背景には、キリストがなぜ、「獄にある霊に宣べ伝えた」か、何を宣べ伝えたかの理解がありません。

その以前に「獄にある霊」を死んだ人間の霊であるとの浅い理解で済ませたり、救いの宣明がされたと単純に信じられてもいますが、このペテロの句はそんなお目出度いことを述べているのではありません。死後、善人は天国に、悪人は地獄に行ったのであれば、二度と出て来られないという地獄に居るという死者に、どんな福音があるのでしょう。

聖書は人の死後に意識がないことを述べているのですから、(コヘレト9:5-10) これは犠牲の死によって倫理の完全性に達したキリストが、悪霊らへの最終的な裁きを伝えたのであり、彼らの滅びの確定の宣告であったとみるべきでしょう。

キリストは死によって、その亡骸は墓(ハデース)にあり、三日目に『霊に復活した』のですから、『獄の霊に宣明した』のはその後のことになります。ですから、「葬られ、黄泉に降った」のではなく「葬られ、墓に安置され」、その後に「霊に復活して、獄の霊に裁きを言い渡した」とされるべきところです。


また、文言中「聖徒の交わり、罪の許し」を読者自らに適用してしまっており、聖徒と信徒の区別が出来ていない様子で
「罪の許し」とは、聖徒らだけの『新しい契約』に基づく仮の義認であり、聖徒にさえ終末の裁きが控えていることに信徒と変わりはない厳しさに欠けています。

最後は「肉体の復活、永遠の命を信ず」
"carnis resurrectiónem,vitam ætérnam.Amen"
とは、この言葉を信徒に当てはめるなら間違ってはおりません。
ですが、より重要な聖徒の霊への復活が欠けています。

そこで、この「信条」の制作された時代は、聖徒が残っていない第二世紀後半以降、三位一体が登場する第三世紀後半以前のおよそ百年の間ではないかと思えます。あるいは、三位一体に対抗した人々のものなら第三世紀以降から、第五世紀ということも視野に入りますが、蓋然性はぐっと下がるでしょう。

もともと、入信に向けた信徒教育の文言だったそうですが、書物の十分に供給されなかった時代を反映し、この短い文章で教理教育の確認を済ませていたようにも察せられます。
この教条に記された内容は、これだけは押さえておこうというような、普遍教会の最低共通項のようにもされてきたのでしょうが、グレコ=ローマンの諸教会がこの上に基礎を置いてきたことは仕方ないのでしょう。しかし、小アジアのキリスト教のレベルはこれよりは高かったことが窺えます。


結論として、この短文「使徒信条」が有用か否かとなれば、新十四日派の観点からすれば無用です。

僅かなパン種がどれほど破壊的であることか
「悪魔は小さな隅に居る」というのはよくできた格言です。
それは以下に見るように、ピラトゥスについての見方にも影響しています。


では次に、お使いの教本のピラトゥスの扱いですが
ユダヤ教徒に嫌がらせをしていた、まったくの異邦人で不信者であるピラトゥスに「人より神をとるべきだった」と求めるのは無理であるばかりか荒唐無稽に感じます。

キリストを裁くに当たり、総督である彼は中立を貫こうとしており、その努力は官吏としては正当で、むしろ、よくぞそこまでやったと思えるところがあります。ユダヤ指導層と仲が良くなかったこともあるでしょうが、彼はイエスを裁く事に『恐れを感じ』ており、頑なにイエスの死を求めるユダヤの祭司長派にそれは見られません。

一方で、真にキリストを陥れたのは、明らかにユダヤの宗教指導者たちでした。福音書によって、彼らが釈放しようとするピラトゥスの努力をことごとく阻んだことはこれ以上ないほどに克明に記録されているでしょう。

なぜに、キリスト教界が「ピラトによって処刑された」を強調するのか、まるで理解できません。そこにこの信条の擁護が関わるのでしょうか。あるいはタキトゥスの文書に明文化され、主が歴史に名を残していることを含めようとしたのでしょうか。
もちろんピラトゥスはそれなりの悪辣さのある人物ではあることが伝えられていますが、事イエスの扱いにおいては公正さを示そうとしており、今日の役人でもここまでするだろうかと思えるところすら、私には感じられます。

彼は、イエスが奇跡を行うという噂を耳にしていたことでしょうし、実際に接してイエスに徒ならぬ風格も感じ始めており、それは官邸での「見よ!この方だ!」の発言にも敬意が表れていることでしょう。また、「この者は、自分を神の子だと云ったのだ」という耳に挿んだユダヤ人の言葉に恐れを感じました。これは、祭司長派とは正反対の反応ともいえるように思えます。

もちろんピラトゥスの懐いた畏敬は「信仰」と呼べるものではなかったでしょうが、少なくともユダヤ宗教家や扇動された群衆よりは神というものを恐れている様が見えますし、それはガバタで手を洗ったところにこの上なく表れております。

ゆえに、教本の「「異教徒であるポンテオピラトの名が、私たちの信仰の基準である「使徒信条」に登場するのは驚くべきことだが、それは、イエスの十字架の歴史性を明確にし、その十字架が私刑ではなく、国家の公式の刑として執行されたことの揺るぎない証拠となっている。」の説明は幾分要点から外れたように聞こえます。

確かにタキトゥスはその「年代記」の第十五章で「クリストゥスなる者は・・総督ポンティウス・ピラトゥスによって処刑されていた」と記し、これが現今で最も古いキリストに関する公(「ゆるぎない」というべきか)の歴史記録とはなっています。しかし、タキトゥスの文面は誤解による悪意に満ちており、そのことをキリスト教徒がわざわざ証拠立てるべきでしょうか。

おそらくは、この「信条」を擁護すると上記のように言い納めるよりほかないのかも知れませんが、より聖書的観点から見ると、「時の大祭司カヤファによって神の子羊としてエルサレムに屠られた」とし、「大祭司カヤファと祭司長派がローマ帝国の権力を利用してそれを行った」などとされる方が良いように思えます。

ご指摘の、私が自著で「・・不法な者が裁く」としたのには、ピラトゥスが不法の者だという概念はまったくもっていません。それは、ユダを雇うなど卑怯な方法を駆使したうえ、ローマ帝国の権力を利用して神聖な祭りの直前に、表面上、自分たちの手を汚さずに死刑を執行させた、あの祭司長派の腹黒さこそを指して「不法な者」としております。
彼らは訴状に手心を加え税金の件まで持ち出しますが、これはピラトゥスの見破るところで、彼らが宗教上の嫉妬からイエスを訴えていることは見透かされていました。

彼らは、イエスの父である神に仕える立場にあったゆえに、ピラトゥスに数倍して、いや、イエスについてはまったく邪悪に振る舞ったのです。こちらのほうこそ、これはもはや揺るがない歴史の事実なのではありませんか。

イエスは当時のユダヤを「あらゆる預言者たちの血の清算が求められる世代」と呼び、その世代の内にその「清算」が臨んで、エルサレムも神殿も破壊されて今日に及び、ユダヤ人は彷徨する民となりました。それはキリスト拒絶と殺害への処罰であり、ユダヤ=イスラエルは神との格別な立場を失いました。

その意味するところは、千年以上続いた律法体制の終わりと、血統によらない民族「神のイスラエル」(聖徒)への恩寵の移行であって、これはローマ帝国がどうこうというより、よほどの重大事と言えるでしょう。

にも関わらず、教本が「ポンテオ・ピラトによって・・」と述べるのは、「使徒信条」を擁護しようとするときに避けられなかったのでしょうか。あるいは、異邦人(グレコ=ローマン)キリスト教にとってヘブライの事象には関心も知識もなかったのでしょうか。むしろ、ここは「邪悪なユダヤ宗教家によって」とでもされるべきだったでしょうに。
この指摘のズレた部分は、メシアニック・ジューをキリスト教諸派に隙居らせる欠陥ともなるでしょう。

以上のように聖書以外の文書については、相当なリテラシーというものを以て理解に当たらねばなりません。

そうでありませんと、僅かひとつの短文とは云え、古代人の勘違いが複製コピーされ、後代このように全体の理解が曇らされてゆくという、これもその典型例とも言えるように思えます。

普段、第二世紀の文書を読んでいてすら、聖書理解の蒙昧からくる誤謬に度々行き当たります。第二世紀の教父エイレナイオスでさえも時折はその例外ではないことを痛感させられます。
これが第三世紀にもなると誤謬は甚だしくなり、ほとんど歴史的価値以外に学ぶところがありません。

そこではキリスト教が本質的な「何か」から「急速に遠ざかって」行くのをまざまざと見る思いがします。その「何か」と言うのは弟子らに『真理をあまねく案内する』「聖霊の賜物」の働いていた「聖霊の時代」なのでしょう。以来、キリスト教界は誰も聖霊を持たない『夜』を迎え、「正統」を主張できる「聖霊」あるキリスト教は絶えて一つも存在しておりません。






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