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1.偉大な信仰の人 アブラハム

2012.07.25 (Wed)
1.偉大な信仰の人 アブラハム

アダムが、その後に生まれる子孫全体を一度限り「罪」に売り渡したので、神はそのすべての子孫の救済を計画します。それは「女の裔」と呼ばれるエヴァの子孫に含まれる何者かのことでした。

この「女の裔」は「蛇」つまりサタンの頭を砕いて致命傷を負わせて除き去りますが、一方でサタンは「女の裔」の踵に傷を負わせます。
創世記ではこのようにきわめて簡潔に語られますが、聖書はこの「女の裔」が誰かを巡って話を先に進めます。

1:そして、四千年以上まえのこと古代メソポタミア文明の時代に生きたひとりの人に神は語りかけ、この予告の続きと思われる事柄を伝えます。
古代に生きたその人の名は「アブラム」と言って、ノアの子セムの直系の子孫で、おそらくは古代シュメール人の支配していたウルという有名な都市かその近くの人であったことを聖書は伝えています。

2:この人に神は話しかけ『わたしの示す土地に移住しなさい。そうすればあなたの子孫にそこの土地を与えよう』と約束します。
この言葉に信仰を置いたアブラムは、長い旅をして今のパレスチナと呼ばれるカナン人の地に移住する決意を固めます。

3:到着したカナンの地でのある夜のこと、神はアブラムに語りかけ『あなたの子孫は天の星のようになる』と告げました。
しかし、彼と妻は歳をとっており、そのうえ妻のサライは石女で、彼ら夫婦にはひとりの子もいませんでした。
それでも神はアブラムの名前を『アブラハム』とサライは『サラ』と変えるよう命じます。その意味は「諸国民の父」と「王妃」を意味しました。
このとき、神は彼と契約を結び、彼と子孫はみな割礼を受けること、それによって後の子孫はずっとカナンの地を得て住むことが定められますが、これは後に「アブラハム契約」と呼ばれるようになります。

4:その一年後、奇蹟的にサラは妊娠しふたりの間に待望の子、男子が産まれます。
その子はイサクと名付けられ、高齢の夫婦はこの子を非常に可愛がり、アブラハムがサラの下女によって得ていたもうひとりの子イシュマエルがイサクをいじめるので、サラの希望によりアブラハムはハガルとイシュマエル母子を宿営から去らせます。この後、イシュマエルはアラブ人の祖先となってゆきました。

一方、イサクが成長すると、神はアブラハムに非常にむずかしい試みを与えました。
祭壇で羊を焼いて神に捧げるようにして、イサクを捧げよというのです。

それでも、アブラハムはイサクを連れてモリヤという山に行き、祭壇を築いて薪を並べ、愛する息子イサクに屠殺用の短剣を向けるところまで進みました。すると、神の使いがアブラハムを留めます。
『あなたのひとり子をさえわたしに与えることを差し控えなかったので、あなたが神を恐れる者であることをよく知った』と神はアブラハムの信仰の深さを認めます。

アブラハムのこの行為は、見守る天使たちやサタンにも、そしてわたしたちのように後代に伝え聞くすべてにとってひとつのことを証明しました。
それは、人間の中にも深い信仰を持ち、最も貴重な深く愛するひとり子をも差し出す者がいるということです。
イサク献供に至るアブラハムの信仰

5:後代に、新約聖書のヘブライ人への手紙は、アブラハムの内心を次のように書いています。
『信仰によって、アブラハムは試錬を受けたときイサクを捧げた。すなわち、約束を受けていた彼が、そのひとり子を捧げたのである。この子については、「イサクから出る者が、あなたの子孫と呼ばれるであろう」と言われていた。
そこで彼は、神が死人の中からでも人を生き返らせる力がある、と信じていたのである。言わば、彼は生き返ったイサクを再び受けたと言える。』(ヘブライ11:18-19)

6:この一件は、神が自らの「ひとり子」をイエスとして地上に遣わし、その犠牲によってアダムの子孫を「罪」から受け戻して救うという二千年も後の神の犠牲を示していました。
それだけでなく、「罪」に陥ってしまった人間にも、神の独り子を犠牲とするに足る者が居るという動かぬ証拠となったのです。

そこで、神はアブラハムのにひとつの約束をします。これは契約とは別に「アブラハムへの約束」と呼ばれ、エデンで語られた『女の裔』の働きを知らせるものとなっています。
『あなたがこのことを行ない、あなたのひとり子をさえ与えることを差し控えなかったゆえに、わたしは確かにあなたを祝福し、あなたの胤を確かに殖やして天の星のように、海辺の砂の粒のようにする。あなたの胤はその敵の門を手に入れるであろう。
そして,あなたの胤によって地のすべての国の民は必ず自らを祝福するであろう。あなたがわたしの声に聴き従ったからである』(創世記22:16-18)

その後、神と人間というまったくの立場の差を遥かに越えて、YHWHはアブラハムを『我が友』と呼ぶようになりました。互いのために、最も大切な我が子を差し出すことにおいて、両者は堅く結ばれたと言えましょう。
こうして、『女の裔』つまり人類を贖う救い主がアブラハムの息子イサクを通した子孫から起こされるということが、この約束により一層確かなものとなりました。人類全体は、これほどに深い信仰を持つ人アブラハムに多くのものを負っていると言えます。


 ⇒ 2.神をも圧倒し祝福を得るイスラエル


イサク献供に至るアブラハムの信仰






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2.神をも圧倒し祝福を得るイスラエル

2012.07.25 (Wed)
2.神をも圧倒し祝福を得るイスラエル

1:アブラハムの裔イサクはやがてふたりの息子を得ます。
それは双子で、先に胎を出た兄をエサウ、弟はヤコヴと名付けられました。

ふたりは対照的な性格で、狩猟を好みエサウは長子としてアブラハムからの裔を継ぐことに無頓着でしたが、その価値を認めるヤコヴはそれを自分のものにしたいと願っていました。

2.ヤコヴがちょうど豆を煮ていたところに猟から疲れて戻った双子の長男エサウは、ヤコヴの煮るものを欲しがります。これに対してヤコヴは「長子の権」を譲るようにと言うと、エサウは幾らかの躊躇もせずにそれをヤコヴにやるというのでした。
後代、キリストの使徒パウロはこの事柄を引き合いに出し、エサウのように、神聖な物事を軽視するようであってはいけない、と訓戒しています。
その「長子の権」はアブラハムへの神からの契約や約束、そして『女の裔』を含んでいましたが、エサウはそれを軽んじ、逆にヤコヴはその権を是非にも自分のものにしたいと日頃から切に願ったのでした。

3:ヤコヴがこのように神聖な事柄を自分のものにしたいという願いの強さは、後に天使と格闘するほどであったところにも表れていました。
ある晩、天使のひとりが誰かを祝福するために行くところをヤコヴは留めます。
『まず、わたしを祝福しないうちは行かせません』こう言ってヤコヴはその天使と揉み合いになり、夜が明けるまでに及びました。
さすがの天使もヤコヴの股関節を外して逃れますが、『あなたはこれからはイスラエルと名のりなさい、神と争って圧倒したからです』と語り、こうしてヤコヴは誰よりも祝福を望むものとして『女の裔』をもたらす家系に連なります。

神をも圧倒するほどに、祖父からの相続物である神との関係や祝福を愛したヤコヴは、イスラエルと呼ばれてそれを受け継ぐことになり、エサウはエドム(イドマヤ)人の祖となってゆきます。

4:後にヤコヴは、親戚の舅の罠にはまった格好でふたりの妻とそのふたりの下女から十二人の男子を得ることになります。
正妻であったはずのラケルからも二人の男子を得ますが、その上の息子のヨセフは、他の年上の兄弟たちから疎まれエジプトに売られてしまいます。

しかし、神から与えられていた夢を解く能力のためにファラオの目に留まり、エジプトの宰相となって権勢を増してゆきました。
そこへ大きな飢饉が臨み、蓄えのあったエジプトへとヨセフの兄たちは食料を求めて、それがヨセフとも知らず宰相に懇願にゆきます。
はじめは警戒するヨセフでしたが、兄たちが父ヤコヴと実の弟ベニヤミンを本心から大切にしている姿を見て、彼らを許して自分の身を明かすのでした。

5:こうして、ヤコヴの家族七十人は皆、ファラオの招待の下にエジプトのナイル川河口の肥沃なデルタ地方に移住し、エジプト人から優遇されて過ごすことになりました。
ヤコヴは死に際して、自分の十二人の息子、それからヨセフの二人の孫を祝福します。正妻の長男には二倍の受け分を与えるというヘブライの習慣がそこに見えます。
これらの子と孫が後のイスラエル民族を形作ることになります。

6:このエジプトで、アブラハムは多くの子孫を得るという神の契約は実を結び始めます。
その後、ヤコヴの子孫は急速な勢いで増えてゆき、イスラエルは民族として顕著になってゆきます。
ヤコヴの子らは、ルベン、シメオン、レヴィ、ユダ、ゼブルン、イッサカル、ダン、ガド、アシェル、ナフタリ、ヨセフ、ベニヤミンの十二人で、ヤコヴはヨセフの子らのうちの二人を「自分のもの」として取り分けます。それがマナセとエフライムでした。
彼らはそれぞれの子らの父祖となり、イスラエルの十三の部族が出来上がってゆきます。
イスラエルは後に十二部族となりますが、ひとつの部族は特別な役割を負うことで、取り去られます。


 ⇒3.エジプトの苦役







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3.エジプトの苦役

2012.07.25 (Wed)
3.エジプトの苦役

1:イスラエルはエジプトで増え続けたのですが、世代が進むうちにエジプトの王朝が換わってしまいます。
それまで優遇されたイスラエルの立場はまったく失われ、その後は奴隷となっての日々の苦役がのし掛かるようになりました。

しかも、イスラエルの増える勢いを憂慮したファラオは、イスラエル人の男児は生まれたらすぐに殺すようエジプトの産婆たちに命じていました。
それでも、この産婆たちは普段からその通りにしなかったので、その当時、レヴィ族のある女性も男子を無事に出産しました。
その子をエジプト人から隠して三ヶ月となったとき、遂にそれ以上匿うことができなくなってしまいます。
そこで母親は、篭にタールを塗ってからその赤子を中に入れて、ワニやカバもいるナイル川に流したのでした。

2:その子の姉のミリアムは篭の流れる先を追ってゆきます。すると篭は水浴びをしているファラオの娘のところに流れ着き、遂に王女の拾うところとなりました。
ミリアムが機転を利かせて、この子のためにヘブライ人の乳母を連れて来ましょうかと申し出ます。そうしてこの姉は自分の母親を連れてくるのでした。
この男児は、水から引き出されたので『モーセ』(引き出す)と名づけられ、やがてエジプト王家の者として宮廷で成長することになります。

3:モーセは成長して後、自分の民イスラエルの実情を憂うようになり、ひとりの同胞を過酷に扱っていたエジプトの官吏を殺めてしまいます。
処罰を免れるために彼はエジプトを後にし、シナイ半島の鉱山への道を辿ってホレブ山の近くの荒涼としたミディアンの地に住む祭司エテロの下に留まります。

モーセはエテロの長女を娶り、やがて子らにも恵まれ齢八十にも達するようになるに及び、もはやそこで生涯を終えるかに見えていました。

4:しかし、その老人モーセに神が現れます。
『わたしはアブラハム、イサク、ヤコヴの神である』『わたしはエジプトでのわたしの民の苦しみを見た。わたしはエジプトに下って彼らを救い出し、その地から携え出して、広く良い土地に、乳と蜜の流れる地に導こうとしている』
『あなたをファラオの許に遣わそう、あなたはわたしの民、イスラエルをエジプトから導き出すのだ』

狼狽するモーセは、自分の口下手を理由にその任を降りようとしますが、神は話し手として彼の兄アロンをモーセに付けます。
それから、どのようにして自分の語る言葉を信じてもらえるのかと質問すると、神は彼の杖が蛇に変わる奇蹟の徴や、らい病を操ることが出来るようにします。

5:そのうえモーセは自分を遣わした神の名を何と言えばよいかと尋ねます。すると神は自らの名を示します。
この名の発音は現代までには失われてしまっており、今日発音を正確に知る人はいません。
ただ、子音ヘブライ文字の四つであることは分かっていますが、それを英字に写すと"YHWH"となります。
これは「イェホヴァ」(エホバ)あるいは「ヤハウェ」とされることが多い聖書の神の名前ではありますが、発音は便宜上付けられたもので、本当の発音は将来に決定的に明かされることになるでしょう。

本来は唯一の創造の神ですが、こうして固有名を持つことで、エジプトの神々と明確に区別されることになっただけでなく、その後もカナンや周辺の地の神々に対しても異なる神であることを示し続ける栄光ある名となりました。
この名「YHWH」は、なお将来にもモーセの時以上に重大な意味を持つことになります。

さて、アブラハムの子孫である民イスラエルを救うため、神の権能と御名を携えたモーセは四十年も離れていたエジプトに向かいますが、そこではどのような反応が起こるでしょう。


 ⇒4.生ける神「YHWH」





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4.生ける神「YHWH」

2012.07.25 (Wed)
4.生ける神「YHWH」

モーセとアロンはファラオに謁見され、杖を蛇に変える奇蹟を見せますが、エジプト異神の祭司らも同様のことをして見せます。
しかし、モーセの杖はエジプトの祭司らの蛇を呑み込んでしまいました。

モーセはファラオに、イスラエル民族にその神YHWHを崇拝させるために三日間、国外に出させるように勧告します。
しかし、「YHWH」が何者だというのでわたしがそのようにしなければならないのか、とファラオはエジプトの祭司ら、とくにヤンネとヤンブレの教唆に従ってそれを許そうとはしません。
ファラオは、奴隷であるイスラエル人の締め付けを行い、その労働を更に過酷なものにします。そのため、イスラエルの民もモーセも落胆してしまいます。

これに対してYHWHは、イスラエルを必ずエジプトの苦役から助け出して、彼らの父祖アブラハムと契約した通りにカナンの地、乳と蜜の流れる土地に携え入れると語ります。
こうして、神はエジプトの地に自らの力を示し始め、「YHWH」という神が何者であるかが明らかにされてゆきます。それは、ノアの日の「大洪水」以来の神の力の示されるときとなりました。

最初の力の行使は、アロンが杖でナイル川の水面を打つと、水が血に変わるという奇蹟でした。
そのために、川からは臭気が昇り、飲むことができなくなるだけでなく、川に居た魚たちは死滅してしまいます。血は器の中の水にまで及び、人々は飲み水を求めて井戸を掘りはじめます。

その後、モーセとアロンはファラオの前に立ち、再びイスラエル民族の出国を認めるように勧告しますが、ファラオはナイルの水を元に戻すことを条件にひとたびは許可を出しました。
しかし、災厄が過ぎ去ると態度を翻してしまい、一度出したはずの許可を認めません。エジプトの祭司らもアロンのように水を血に変える奇蹟を起こしていたことも、ファラオの心変わりを誘っていたのでしょう。

そこで、次にアロンは運河や湿地に杖を差し伸べます。すると無数のカエルが発生し、エジプト中にカエルが溢れ、家の中やパンを作るこね鉢のなかにも、ファラオの寝台にもカエルが登ってきました。
ファラオはモーセとアロンを召喚し、明日にでもイスラエルを出させるので、カエルを無くすよう神の懇願せよと命じます。しかし、カエルは去るとファラオは再び態度を変えてしまいます。
そこには、やはりエジプトの祭司らもアロンのようにカエルを発生させることができたところが影響したでしょう。

それから、YHWHはアロンに杖で地を打たせ、無数の蚋(ぶよ)を発生させます。これ以降の災厄をエジプトの祭司たちは真似ができず、彼らとその神々は面目を失いはじめます。
この蚋の災いには異教の祭司らは『これは神の指です!』とファラオに訴えます。それが彼らの神を超える能力であることを認めざるを得ません。

それでも考えを翻すファラオに対し、YHWHの望ませる五番目の災いからはイスラエル人の居住地にはこの災厄が臨まなくなります。それはファラオがはっきりとYHWHの力による災いであることを知るためでした。
次は夥しい虻(あぶ)がエジプト人の地域に襲来し、蚋の痒みから虻の痛みへとエジプト人の災難は加わります。
しかし、ファラオは災いが臨むたびにイスラエルの出国を認めると言い、苦しみが過ぎ去ると前言を翻すことを何度も続けます。

六番目の災いは家畜の病気であり、エジプト人の家畜は疫病に罹り死に始めますが、イスラエルの畜類は安全に守られ一頭の損失も出しません。
七番目は、モーセとアロンが手にいっぱいの煤をファラオの前で空中に放り上げると、人々には水ぶくれを伴う腫れ物が生じます。それはエジプトの祭司らにも及び、彼らはもはやモーセたちの前に対抗して立つこともできません。

ファラオの元々持っていた頑迷さをYHWHはさらに引き出したので、その後も災いは続きます。
それは目的あってのことであり、神YHWHはそれをファラオに告げます
『わたしは、とうにお前(ファラオ)とお前の民を疫病で打って拭い去ってしまうこともできた。しかし、お前にわたしの力を見せ付けること、そうしてわたしの名を全地に知らせるために生かしておいた』。(出埃9:15-16)

その目的はエジプト人の中でも徐々に達成され始めます。というのも、その次の大きな雹(ひょう)の降る災いがモーセらから警告されると、それを信じ恐れたエジプト人は家畜を屋内に入れて備えたからです。
それまでの度重なる災いが、イスラエルの神YHWHに対する畏怖の念をエジプト人にも与えるようになってゆきました。

エジプトの大臣らは、「エジプトが滅んでしまっていることに目を留めてください」とファラオに訴えますが、なおファラオはイスラエルの民を行かせようとはしません。
そのため雹の災いで残った緑も、無数のイナゴによって食い尽くされてしまいます。これもモーセに執り成しを願い、災いから逃れたファラオでしたが、それでも言葉を翻してイスラエルを去らせません。

次には、モーセが手を空に差し伸べると、次に人が手に触れるほどの濃い闇がエジプトに降り、エジプト人は三日の間、光を通さぬ闇のため自分の場所から動けないほどになってしまいました。
これで降された災いは九つに上りますが、それでもファラオは家畜を含めたイスラエルのすべての出国を認めず、モーセらが自分の前に立つことも二度と許さないと宣告します。
こうして、最後の災厄がエジプト全土を覆うことになります。



 ⇒5.「過ぎ越し」から救いへ





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5.「過ぎ越し」から救いへ

2012.07.25 (Wed)
5.「過ぎ越し」から救いへ

エジプトに降る最後の災厄については、その以前の九つのものと異なるところがあります。
それは、イスラエル人が旅支度をしている中で降る災いであり、それが最後の決定的なものとなることが示されます。

一夜の間に、エジプトの全土を「滅ぼす者」と呼ばれる天使が通過してゆき、すべての家の跡取りの長男の命を奪ってゆきます。その害は人間だけでなく、家畜の初子にも及びました。

しかし、イスラエル人の家庭では雄の子羊や山羊を屠って、その血を家の入り口の戸柱と鴨居に振り掛けるなら、「滅ぼす者」はその血を見てその家を過ぎ越し、その家の長子は災いを避けることができます。
この予告にしたがって、イスラエルの家々ではその犠牲の動物が屠られ、旅支度もされてゆきます。それを聞いたエジプト人のなかからもイスラエルの家に留まって救われようとする人々も現れてきます。

血が抜かれた肉は苦菜を添えて一家で食され、急いで食べるためにパンは膨らし粉を混ぜないで焼き上げられます。それはエジプトから出発する前の最後の食事となりました。
その晩は満月で、出エジプト記はその晩が春先のアビブの月の14日であったことを知らせています。

そして、夜半に「滅ぼす者」がエジプトを通過してゆくと、エジプト人の家々では悲痛な叫びが上がります。
それはファラオの家でも同じように、皇太子の突然の死を迎えます。これはファラオにとってそれまでにないほどの痛手となり、遂にモーセを呼び出すのでした。
その晩、ファラオは全イスラエルの出国を認めるに至ります。エジプト人はイスラエルを急かすようにさえなって、自分の家財や金銀宝石をもイスラエル人に与えますが、それらは後に彼らの神YHWHの崇拝にも使用されることになります。
そしてエジプト人の中には、イスラエルの神を信じてイスラエルに同行する意志を表す人々さえ出てきます。

こうしてイスラエルの民と、異邦人の入り混じった大集団は三大ピラミッドの近くから行進をはじめ、人数を加えつつナイル・デルタを東に向かいます。神は先頭に、昼は雲の柱、夜は火の柱を立てて大集団を導きますが、こうした民族移動は後にも先にもなかったことでしょう。
しかし、シナイ半島を前にして進路をひとたび南にとってから、神はモーセに再び北上するように命じます。それはファラオの追撃を二度と不能にするための罠となります。

というのも、イスラエルの民はすっかり去ってしまってから、膨大な労働力を失ったことをファラオはすぐに悔いはじめていたのです。
そこにイスラエルは道に迷っているようだとの報告を聞いて、ファラオは追撃の絶好の機会の到来と思い込み、直ちに六百両もの戦車を率いて奴隷を連れ戻しに向かうのでした。こうして紅海の奇蹟の舞台が整います。

イスラエルはピハヒロトという場所で、背を山にし紅海の浅瀬を前にして宿営し夜を過ごしています。それは戦車隊からすれば格好の餌食でした。しかし、エジプト軍が近づくと火の柱がイスラエルと戦車隊の間に入ってイスラエルに時間を与えます。

大群衆は恐慌に陥りますが、モーセが杖を海に差し出すと強い東風が起こり、海水がイスラエルの前でふたつに分かれ、一晩中海の中に乾いた道が現れるという奇蹟が、慌てふためく彼らの眼前で起こります。

その奇蹟の道を通って、イスラエルが朝方までに対岸に渡り終えると、戦車隊も海の道に入ってきました。しかし、YHWHはその車輪を外すので、エジプト軍は海の只中から進めなくなります。
そして遂に、朝日の昇るころ左右の海水が戻り始め、ファラオの軍勢は次々と海に呑み込まれ、やがて海面に浮かぶ多くの屈強な死体をイスラエルは眺めます。

これは人間に到底出来ない神YHWHの勝利であり、人間が神と戦うことの結末を教えるものとなりました。
イスラエルは偉大な救いに与ったことを大いに喜び、また深く感嘆し、その場で新しい歌をうたって自分たちの神を褒め称えます。

アブラハムへの約束を果たすために神YHWHの諮るところは、このように必ず成し遂げられることを、イスラエルはエジプトを出るに当たって何度も目の当たりにしてきましたが、この勝利と救出はその最高潮となりました。

このように、虐げる者から弱い者を解放することをヘブライ語で「シャファト」と言いますが、この言葉は日本語などに訳されると単に「裁き」とされるので、悪行者を罪に定めるというだけのニュアンスになってしまいます。けれどもヘブライの概念では、圧迫される者らの「救い」と深く関係する言葉であり、紅海での救出はまさに「シャファト」でした。

そして将来、YHWHは更に大きな地球規模の「シャファト」を遂げられることになります。


 ⇒6.律法契約の締結









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6.律法契約の締結

2012.07.25 (Wed)
6.律法契約の締結

紅海での救いを経験したイスラエルではありましたが、シナイ半島側に渡ってからの水や食料の不足のため不平をならすようになります。
神はその声を聞き、泉の苦い水を甘くし、岩から水を出させ、うずらの大群を宿営地にもたらします。
それから、神は荒野の大群衆を養うために朝露と共に甘い菓子のような食物を毎朝積もらせ、彼らはそれを六日目毎に集めて七日目に当たる日には集める作業を休むよう意図されました。

神は、常に七日目を聖なる日として、民は自分の場所を離れず、「マナ」と呼ばれた奇蹟の食物を集めないように指示します。その日の分は前日の六日目に二倍の量を与えるので、七日目は六日目の残りを食して過ごすよう命じられたのでした。こうして六日間を働いてから一日を休むという「安息日」がはじめて取り決められます。それはまた、人が生きてゆくことは人によらず、神が支えるものであることを教えるものでありました。
確かに、あらゆる産物と原材料は神からのものであり、人はそれらを集めて加工と流通をさせているのですから、人を生かしている大元はやはり神であると言えます。

さて、エジプトを出て三ヶ月目に一行はシナイ山の麓に至ります。
そこで、神はイスラエルの民にモーセを通してイスラエルに告げます。『あなたがたは、わたしがエジプトに対して行ったこと、また、あなたがたを鷲の翼に載せてわたしの所に連れてきたことを見た。
それで、もしあなたがたが、真実にわたしの声に聞き従い、わたしの契約を守るならば、あなたがたはすべての民にまさって、わたしの宝となるであろう。全地はわたしの所有だからである。
あなたがたはわたしに対して祭司の王国となり、また聖なる民となるであろう』。(出エジプト19:4-6)

これに対してイスラエルは『我らはYHWHの話されたことを行います』と皆が言う。そこでYHWHは民の前でモーセに語り、民がモーセに信仰を持つようにすると言われます。

そのため民に身を清めさせると、三日目に神はシナイの山に臨御なさいました。山には濃密な黒雲がかかり、稲妻が走り雷が響きます。巨大な角笛のような音が鳴りわたるので民は慄きます。
山の全体は激動し、YHWHは火となって山に降り、竃の濛々たる煙のようにシナイ山は煙り、角笛のような音響はますます大きなものとなると、モーセは山の頂上に上り神と語りはじめます。

『「わたしはあなたの神YHWH、あなたをエジプトの地、奴隷の家から導き出した者である。あなたはわたしのほかに、何ものをも神としてはならない。』(出エジプト20:2-3)

こうして、イスラエルの守るべき掟が伝えられ、それは「モーセの律法」と呼ばれます。YHWHの他には『なにものをも神としてはならない』から始まる十の戒めは、後に神は自ら石板に刻んでモーセに与え、それは「十戒」と呼ばれる律法の「証し」となりましたが、それは後に「契約の箱」に収められます。

この律法は六百近い条文を持っていますが、神はこれをイスラエル民族とだけ契約したのであり、それ以外の民には「十戒」を含めて守る義務はありません。もし、律法の一ヶ条でも守るなら、『律法のすべてを守るべき』必要があります。なぜなら、それが契約であったからです。

一方、民は神の臨御の恐ろしい光景と巨大な音響に肝を冷やし、神がモーセとだけ話すようにと願います。しかし、それは彼らに猛烈な怖れを懐かせて掟を守るよう促す働きがありました。

このとき神の言葉は、乳と蜜の流れる「約束の地」であるカナンから先住の民族を追いたて、その境界が紅海からフィリスティアの海、そしてユーフラテスまでとなることを知らせて一度終わります。

モーセはこれらの言葉を記して、翌朝には十二の柱を立てて、牛を屠り、その血の半分をヒソプの枝に浸して民に向かって『これは契約のための血である』と言って民に振り掛けました。神との契約は犠牲を介してはじめて有効とされることはアブラハム契約でもそうでしたが、こうして律法契約でも血の必要が示されます。

そして、神とイスラエルの契約が犠牲の牛の血を以って発効し、神はこれを祝し、モーセとアロン、ナダブとアビブ、イスラエルの年長者七十人をシナイ山上のご自分のところで饗応します。彼らは神の幻を見て飲食し楽しんだと云います。サファイアのような床の上で彼らはひと時を過ごしますが、神は御前の「罪」ある人である彼らに手を掛け抹殺することはありませんでした。それはイスラエルが神の前に格別の立場「仮の義」を得始めたことを示したと言えましょう。(出埃24章)

その後も雲はシナイ山頂を離れず、七日目にモーセひとりが招かれます。そこでモーセは神YHWHの祭祀についての非常に多くの掟を授かり四十日に及ぶことになりました。
しかし、山麓では正反対のことが起こりはじめます。モーセを待ちあぐねた民は、金で子牛を作り、それが「エジプトから導いた我々の神だ」と偶像崇拝を始めてしまったのでした。

山を降ると、モーセは民の放縦な偶像崇拝を目にして怒りに震え、携えてきた十戒を記した二枚の石板を砕きます。直ちに同族のレヴィ族を集め、民の中から放縦に振舞う者らを剣によって浄め、およそ三千人が死に至りました。

イスラエルはこうして邪な傾向のあることを再び示しましたが、神は彼らを「心の頑なな民」と呼ぶようになります。彼らは必ずしもアブラハム、イサク、ヤコヴのような性質を表すわけではありません。
ここには、律法契約の結末について既に見えるものがあるのでした。彼らはこの契約によって本当に「王なる祭司、聖なる国民」また「諸国民の光」の地位を得るのでしょうか。そこには既に危うさが見えはじめています。

イスラエルの不行跡に対して、神は自らの使いを代理として立てるので、彼らと共に約束の地に上ることはしないと言います。以後モーセは、自分の天幕をイスラエルからいくらか離れた場所に張るようになり、民の裁きなどをそこで行うようになり、それは「会見の天幕」と呼ばれるようになります。

モーセは、人が人に話すようにして神と語る唯一の者となり、神自身が共に約束の地に入ることを求めます。神はそれを受容れますが、モーセは更に神自身を見ることを望みます。これに対して「人は誰も神を見て生きていることはできない」として、モーセに山の中でご自身の後姿の栄光だけを見させます。

それから神は再び石板に十戒を刻んでモーセに渡し、モーセは再び四十日を山頂で過ごして神YHWHの祭儀上の多くの指示を授かります。祭儀については、十二部族の中からレヴィ部族がYHWHに買取られ祭司職に専任されます。

YHWHのレヴィ族買取りの理由は、出エジプトの晩に「滅ぼす者」がエジプトを通過してゆくときに鴨居にはね掛けられた子羊の血を見るとその家を「過ぎ越し」たところにありました。

つまり、イスラエル人の長男は子羊の血によって命を救われたのであり、言わばYHWHが子羊の血という代価を払ってイスラエルの人間と家畜の長子を買取ったのでした。これは後代にキリストという「神の子羊」の血が、更に進んだ祭司職のためにある人々を買取ることになることの予型となりました。

それゆえ、YHWHはイスラエルの長子は人も家畜もすべて神ご自身のものであると宣言されます。そこでイスラエル十二部族の長子の総数、またレヴィ族男子の総数を調べさせ、レヴィ族長子の幾らかの足りない分は金によってイスラエルから徴収し会見の天幕に納入されます。

こうして、レヴィ族男子はイスラエル全体の「長子」を代表することができるようになり、神YHWHの祭司職を拝命することになり、十三あった部族からレヴィ族が抜け出てイスラエルは十二部族となります。
祭司職を授かったレヴィ族でしたが、会見の天幕での直接の祭儀を行うには一族では多すぎるので、モーセの兄アロンの家系に連なる者だけが祭司の任命を受け、特にアロンはその頂点に立つ「大祭司」となり、最も重要な祭儀を執り行う職に任ぜられました。

これら祭司やレヴィ族には一般の部族よりも、道徳的にも衛生的にも一段高い清さが求められます。彼らには神殿で白い亜麻の職服の着用が求められ、民から捧げられる犠牲によって生活が支えられます。
大祭司のターバン正面の額には金板があり、そこには[ליהוה קרש]「YHWHに浄められた」または「YHWHへの神聖さ」と旧字体で刻まれて、その身分の浄さが強調されました。その最も神聖な大祭司の職服は年に一度「贖罪の日」に着用されます。

イスラエルの宿営に戻るとモーセの顔は光を発するようになっていたので、民の間に居るときにはベールを顔にかけるほどになりましたが、それは彼に対する民の怖れを誘ったことでしょう。

モーセは預言して、何時の日か、神は自分のように偉大な預言者を興されるであろう、と言明しますが、モーセに勝るほどの預言者とは特定の「メシア」(任じられた者)であるとイスラエルは歴史が進むに従って次第に気付いてゆきます。
その方こそは、イスラエルをより高い次元に導き、真に「祭司の王国、聖なる国民」とさせる働きを為す方であり。今日の人々はそれがキリスト・イエスであることを知っています。しかし、イスラエルはこの方の到来まで、なお千五百年ほどを待たねばなりません。


 ⇒7.神YHWHの祭司職








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7.神YHWHの祭司職

2012.07.25 (Wed)
7.神YHWHの祭司職

その後、山頂での神との会見で指示された多くの崇拝のための器具が造られはじめ、民はエジプトから携えた金銀財宝を心に動かされるままに寄贈し、職人たちには神の霊が臨んで崇拝の器具、什器を仕上げます。
これらの器具は「会見の天幕」とその敷地内の中庭に安置され、中庭では牛や羊などの動物の供犠が祭壇で行われますが、その多くの血液については祭壇の基部の地面に注がれ、血を抜いた体が祭壇の火で焼かれます。
その理由は、ヘブライ語で「ネフェシュ」と呼ばれるその生き物の「魂」が血液の中に有り、命ではなくそれらの「魂」の犠牲が模式的に人の罪を相殺する、つまり贖うと神は説明を加えています。

神がこれらの供犠を求めたのは、神から見て人間には罪があり、神に近づくには罪のための「魂」の犠牲が必要であることを繰り返し示し訓戒を与えるためです。
そして、これらの犠牲のすべては、やがて『神の子羊』と呼ばれた人間キリストの「魂」の犠牲によって完く満たされることになります。

「会見の天幕」正面の中庭は、動物の犠牲を捧げる場であり、そこで祭司たちは民が捧げる様々な動物を処理し、血は祭壇の下部に注ぎだし、肉を祭壇で焼きます。その祭司たちが身を清めるための水を貯めた水盤も中庭に置かれました。
天幕の中では、第一の部屋では日毎の供え物であるパンが机の上に整えられ、香の祭壇には特別に調合された香の煙りが立ち昇っていました。その第一の部屋では七又の燭台が明かりを提供します。

そして奥の間は「至聖所」と呼ばれ、そこには記された「律法の巻物」と「契約の箱」が置かれます。
後に巻物は「律法」と、契約の箱は「証し」と呼ばれます。それは契約文書と御璽というような役割を持ちます。
殊に契約の証しである「契約の箱」(アーロン・ハ ヴェリート)は、創造の神が他の民と変わらず罪あるイスラエルという小民族に肩入れし帯同する理由を諸国民に証しする役割も持ちます。

そのため、イスラエルが約束の地カナンに入植の初めに当たって、強固な城市エリコの周囲を七日間「契約の箱」がイスラエル軍と共に回った後にエリコの城壁が人手によらず崩れ去ったことは、神がこの民族と共にあって戦うことを明らかにすることになりました。
その箱はイスラエルが神との契約関係にあることを示し、その民族が徒ならぬものであることを内外に示すものとなったのです。

この以前、モーセの時からこの箱の上には雲が宿り、その中には光があって、そこから神YHWHはモーセに話したと言われます。
その光「臨御(シェキーナー)の光」は、偶像の神々の真似のできない超自然のものでしたから、神YHWHは「生ける神」と呼ばれます。
年に一度、大祭司がソロモンの建立した神殿奥の「至聖所」に入るときには、明かりの一切無いその部屋で充分活動できるのは、この恐るべき光のためであり、後にエルサレムの神殿に移ってからは特にそう言えたと思われます。

その年に一度の機会は、「贖罪の日」(ヨム・キプル)と名付けられたティシュリ10日の祭儀でした。それはイスラエル全体の罪が言い表され、その「贖罪」つまり罪のあがないが行われる日として定められました。
それから五日を数え、収穫を祝う「仮小屋」(スッコート)の祭りが始まります。これは贖罪を果たした喜びと収穫の喜びの重なる最も目出度い祭りとなりました。
民は屋外に仮小屋を作って一週間をそこで過ごし、自分たちの父祖がエジプトを出て荒野を彷徨したことを思い起こすよう指示されます。

このほかに、春先の「過ぎ越し」とそれに続く「無酵母パンの祭り」があり、これは出エジプトの前の晩、ニサン月14日に各家庭で一頭の子羊を屠りその肉を食し、急いでいたので、パンを発酵させる間もなく無酵母パン(マッツォー)でしのいだ事跡を記念するものです。
「過ぎ越しの祭り」でも子羊を焼いて家庭で食し、それから実質八日間はパン種を家から除き、無酵母パンの祭りを行います。
後に、キリストの最後の晩餐となったのはこの過ぎ越しの食事であり、後のユダヤではこの食事は「セデル」と呼ばれ、ぶどう酒も含まれるようになりました。

「無酵母パンの祭り」での安息日翌日から七週間を数えますが、その間に春の穀物の収穫が終わり、その次の日のシワン月6日には「七週の祭り」(シャブオート)を迎えます。これは七週間49日の翌日なので「五旬節」(ペンテコステ)とも呼ばれます。

このシワンの月はモーセがシナイ山で契約を授かった時期に当たりますし、後のイエスの弟子たちに律法契約とは別の「新しい契約」を発効されるのもこの祭りの日のことになります。

「七週の祭り」の日には、その年の収穫で得られた小麦でふたつのパンを作り神の前に捧げられますが、厳粛な「無酵母パンの祭り」以来の喪のような雰囲気が終わって、イスラエルに住む人は誰でも、外国人居留者もこれを祝い楽しむことができます。その雰囲気は寛大にもてなし、やもめや父なし子たちも奴隷もが喜び楽しむ宴のようになります。

人々は自分の家々からパン種を入れた上質の小麦で作ったふたつのパンを神の御前に捧げます。それらは初物の供え物として神に受け入れられるものとなりました。
後代キリストの弟子たちにとってもこの日は重要な転機となりましたが、それはこのパンに関する祭りの仕方にも表されていましたが、それは後代に明らかにされます。

さて、これらの年に三つの祭り(シャロッシュ・レガリーム)には、イスラエルの男子は必ず神の会見の天幕の前に出ることが求められましたが、それぞれに神YHWHの恵まれたところに応じて捧げ物を持参するよう指示されました。YHWHは彼らが契約を守る限り、必ず恵むと言われます。

さて、レヴィ族は本来、他の部族のように約束のカナンの地に決められた地域を割り当てられません。ただ各地に48の町を所有することが許され、彼らの土地からの受け分は、他の諸部族から供給される産物の「十分の一」によります。
こうしてレヴィ族らの受け継ぐものは自らの地の実りによらず「神からのもの」となります。レヴィ族の内で神の祭司職に任じられたのはアロンの家系に属する健康な男子だけでしたが、レヴィに属する者らは他の部族の得たものから更に十分の一をアロンの家系の者らに与えます。

レヴィ族は他の各部族の中に共に住み、また、国内に六ヶ所の格別な城市を持ちました。これら六つの町は聖域でもあり、殺意なく過失で人を殺めた者が逃げ込める場所を提供しました。
レヴィ族は軍役に就きませんが、それは「血」の汚れを避けるためだったことでしょう。
聖さについては、特に祭司には一般よりも清い道徳的また衛生的な基準が設けられ、それが守られない場合は職から外されます。それは後にキリスト教徒の中の特別な人々「聖徒」にも一定の清さが求められることを予示していたと云えます。

こうして人間によらず整えられた神YHWHへの崇拝の型は、イスラエルが約束の地に入植を始めると共に本格的に稼動し、モーセの後継指導者エホシュアの指揮の下イスラエルがヨルダン川を渡ると、日毎に降り続いた食物「マナ」の供給も終わります。

しかし、イスラエル民族はエジプトを出てから順調にカナン入植に向かったわけではありませんでした。
驚くべきことに、彼らは四十年の長きに亘ってエジプトとカナンの間の荒涼たる乾燥地帯を行きつ戻りつ逡巡を重ねたのでありました。
その理由はいったい何だったでしょうか。


 ⇒§3.







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バプテスマを施すと聖霊が降った(回答)12.7.21

2012.07.21 (Sat)
使徒19章で、パウロが水のバプテスマを施すと聖霊が降ったゆえに、これが今日も起き得るのではないかという、このご質問の疑問について理解頂くための要件は、聖書の言葉が語られた背景にあります。

まず、Act19:2を考えますと、パウロはアナトリア半島の内陸部を旅してからエフェソスに至りました。
そこでバプテストのヨハネによる「悔い改めのバプテスマ」だけを知る小グループに出会います。
彼らは明らかにユダヤ人ヘレニストであり、バプテストのヨハネに属するイエスを知らない古いタイプに留まりながらも、従来のユダヤ教に留まることを潔しとせず、「何か」を求めた人々であります。
彼らに足りないそれはすなわち「メシア」でありましたから、イエスが弟子に約束した「聖霊」も当然知りませんでした。

そこでパウロは彼らに「イエスの名によるバプテスマ」を施し按手すると、本来「神の王国」の選民イスラエルに属し、ユダヤ教に満足せずにいた彼らユダヤ人には直ちに聖霊が降りました。
この小グループの人々はユダヤ内地の人ではなく、外地在留でナザレのイエスの一件を知らず、ただヨハネのバプテスマまでは理解し、メシアまではあと一歩というところでした。
この状態に居たもうひとりの顕著な人物がいます。それがアレクサンドレイアから来たアポロというまったくヘレニストの名を持つ雄弁なユダヤ人でした。

彼はパウロの同胞アキュラスとプリスカからバプテストのヨハネを超える方メシア・イエスを知らされるやいなや、イエスを熱烈に擁護し始めます。
パウロは内陸の旅にアキュラスとプリスカをなぜか同行しませんでしたが、おそらくはアナトリア内陸の追いはぎの危険にプリスカを曝したくなかったのかも知れません、ともあれ、パウロが一人で旅立ってこそ彼ら夫婦はこのアポロを見出す結果になったわけです。

アポロはエフェソスを去ってギリシアに向かいますが、件の小グループはどうやら雄弁な教え手アポロを追ってエフェソスに到着したところであったように見えます。これは学者に中にそう見なす人もいます。その理由のひとつはルカが19章冒頭で、わざわざ『アポロがコリントスに居たとき』と書き添えているからです。
アポロにはコリントスの誰かに伝えようという強い意志があったようで、アカイアに向けて出発します。アポロが去るとパウロがアナトリア内陸の道を巡ってエフェソスに到着しこの小グループを見出します。

こうしてパウロの活動は様々な実を結び、メシアを求めるユダヤの人々を神が見事に省みたのでありました。
パウロはもちろん、この中の登場人物はすべてユダヤ人でしたから、元々神の民となるべきモーセの契約に属す民がキリストの水のバプテスマを受け、次いで聖霊降下によって神の民のひとりに選ばれることはまことに自然な成り行きですが、これをまったくの異邦人に、ましてや現代の諸国民である私たちに同じように適用させることには多くの無理があります。

今日、聖霊を受けたとするキリスト教徒は少なくありません。ですが、聖霊の賜物をはっきりと示すことができるでしょうか。異言を話すという人々もいますが、その人たちは聖霊を注がれることが意味することをどれほど理解してのことでしょうか。アブラハムへの約束に遡って、その意味を「神の王国」へと説明できたものでしょうか。
もしできるのなら、この点でのユダヤ人の優越性を認めなくてはならなくなるでしょう。

聖霊を持つと主張するキリスト教界が互いに正統を譲らない姿に、聖霊の実である平和を見出すには困難を感じます。他方、初代の弟子らに教理を知らせていた聖霊は全体に大きな分裂を起こさせなかったと云ってよいでしょう。
聖霊は弟子らの一致の要であり、彼らを義に適った者としておりましたが、今日そのように聖霊が働いているでしょうか。それを認めることはたいへん難しいのではありませんか。

むしろ今日、旧弊蔓延るキリスト教界に満足せず、「何か」を求める人がいるとするなら、その「何か」とはメシアの真の意義と聖霊の働きと言えるでしょう。
アポロやあの小グループの人々のように、水が砂地に吸い取られるかのようにそれを受容れる人がいるなら、それを神は今日でも見過ごさないように思えます。




さて、次いでヨハネ福音書一群の聖句ですが
これらすべては、新十四日派の主の晩餐において朗読されるようにお勧めしたヨハネ13章~17章の間のものです。

これらの五つの章は、愛された弟子ヨハネが思いを傾注して書き出したイエスの最後の晩に関わる部分であり、その場には十二使徒が耳を傾けており、やがてひとりは出てゆきます。
使徒ヨハネは主の懐にあったので、この晩のイエスの発言をまとめるのに彼ほど恵まれ適切な人物もいないことでしょう。

この五章の中には、イエスが十二人と別れるに際して、如何に彼らを気遣っていたか、また彼らのその後の心構えや活動を教えています。
その中に「助け手」としての「聖霊」を彼らに送ることを改めて約束しており、それは五旬節を以って現実となることはご承知の通りです。

その後の弟子らが地中海世界から東方に広がっても、イエスを信じる集団が教理の一致を保ち、二世紀中葉まで分裂することなく過ごせた要因には「聖霊の賜物」を考えざるを得ません。
このことは、イエスの『そのもの(聖霊)はあなたがたにすべてのことを教え、わたしの告げたことのすべてを思い起こさせるでしょう』。という発言を彷彿とさせます。
(これについては「モンタヌス運動 最初の「時の予告者」」の初め部分に、最初の大分裂の事跡に関て触れられています。http://blog.livedoor.jp/quartodecimani/archives/51744450.html)

パウロも時折、『これと同じ考えを神はあなたがたに啓示してくださるでしょう』。と述べますが、これは聖霊を前提としていることでしょう。ガラテア5:10/コリント第一14:37/フィリピ3:15
つまり、聖霊注がれた人々には預言や知識も与えられるので、それらがパウロの発言を補強するとの確信を彼が抱いていたことを示しています。

したがって、イエスが地上を去った後の、真実のキリスト教は上からもたらされるものでありました。また、これからもそのようでしょう。再び聖霊が注がれるなら、その人々を通して上からの真のキリスト教が回復を遂げると考える基礎となります。
しかし、第二世紀以後、聖霊の賜物が引き上げられるとキリスト教界は分裂を始め、宗派間は敵意と闘争の場となりました。平和や愛の見られない状況そのものが聖霊のないことを議論の余地無く立証しております。


今日、聖霊を宿すと思う人々がいて、彼らの下に真実のキリスト教が出現しているのであれば、キリスト教は回復されており、そこに『人々は流れのように向かう』ことでしょう。Isa2
しかし、実際にはそのようなことは起こっていません。つまりは、それが真の「聖霊」ではないからでしょう。

イエスが約束した「聖霊」は実際にはっきりと働く神の導きであって、個人の内面だけに留まる心理作用のようなものではけっしてありませんでした。
それは力強い神の御力を伴い、異言ばかりでなく明瞭な癒し、解き明かし、知識を伴い、聖霊の賜物ある人々を通して信徒らも聖書の奥深い理解を知ることができました。

今日の我々は、霊の賜物によって理解を進めることはありませんが、使徒後初代の聖霊を受けた人々の記録である新約聖書とそれ以前に霊感を受けて書かれた旧約聖書の双方から、その片鱗を窺い知ることができます。
我々の理解や知識は聖霊を受けるほどにはなりませんが、それでも本当に偏見なく読み込むならば相当な部分は分かってくるものです。
そうして得られる知識だけでも、重要な要点が含まれ、その中に「聖霊の賜物」の役割の大きさもが込められています。

聖書に接する際の偏見には、様々なものがあるでしょう。
まず、自分が「こう信じたい」と願っている場合、その方向に解釈しようとする間断のない引力のような作用が生じるでしょう。
例えれば、自分が天国に救われたいと強く願っていれば、「天の王国」は容易に「天国」と置き換えられて、聖書本来の概念を黙殺するかもしれません。
あるいは、自分の得ている立場を保ちたいばかりに、自らを聖霊ある者としつつ聖書を読む誘惑もあるでしょう。

そのほかにどんな偏見があるにしても、そこに共通して自分中心主義があるように見えます。
それは神の言葉に一心に耳を傾けず、自分を無にして神を求める精神に欠けます。それは信者の側にも言えることで、教師はそのあたりを上手く汲み取って人集めを行います。(また繰り返しになりますが、教理の選択には倫理性が関わり、人がそこで自分の性向を示すことになるのは避けられません)

彼らが聖書の真意に到達できるものでしょうか。もちろん、そうはゆかないでしょう。
同じ聖句を以ってイエスに悪行を誘ったサタンに顕著に見られるように、自己本位の理解はあらぬ方向に進まざるを得ません。

「聖霊」の理解にしても同様で、どんなに自分が「こうあって欲しい」と思えようとも、まずはリテラシーを保ちつつも、聖書そのものに偏見無く謙虚に耳を傾けないと「神を知ろう」という純粋な立ち位置に就くことすらもできません。
そうでなければ、「自分はこう信じたい」という利己的な、更に云えば「サタンの道」に入り込んでしまうでしょう。
ディアボロス(中傷者)は、人が神を意に介すことなく「自分の道」を歩んで独立し、云わば「神のようになる」ことを望んでおります。
それはサタンがイエスにすら聖書を用いて誘惑したように、信徒の聖書理解にも起こりかねないことでしょう。いや、現にそれは人間中心主義的解釈の中で起こっているように見えます。


以上、思うままに書き出しましたが、ご質問の趣旨を外しているところがありましたらご容赦いただき、改めてご質問ください。





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カトリックの「聖人」ですが(回答)12.7.20

2012.07.21 (Sat)

今日は急に気温が下がり、体調管理が難しくなっておりますが、お元気でお過ごしでしょうか。
拙文をお読み頂いた上、意味深いご質問を賜りまして感謝申し上げます。

思うところをそのまま書き出してみましたが、却って混乱を招くようなことにならないと良いのですが、もし、更にご不明のところがるようでしたなら、勝手ながら、またのご質問を頂ければと存じます。


まず、医師ルカについては、聖書を探求する人々の間でもヘレニストなのか、異邦人なのかの意見が分かれているといいます。
それでも、ヘブライ語の習慣を思わせるギリシア語への転写もあり、わたし自身はルカがヘレニストであったように考えております。パウロは一度、彼を無割礼の範疇に入れていますが、それだけでルカがユダヤ人ではないとは言い切れません。母親がユダヤ人でハーフのテモテもまた無割礼でいた時期がありますし、パウロが彼に割礼を受けさせたのは、彼の父がギリシア人であることがあまりにも広く知られていたので、ユダヤ人への宣教を共に進めるためにユダヤ人ユダヤ教徒として同行させる目的があってのことでしょう。パウロは本来『無割礼で召されたなら、そのままでいなさい』と命じております。

彼の福音書の冒頭で自ら述べるように、医師という職業人に相応しい明晰さと慎重さが彼の文面に度々表されています。
その福音書はイエスの母からの情報を得ており、同時にギリシア人の理解を慮っているところも散見します。

キリストの「使徒」を名乗ったのは、聖書中で十二人とパウロだけなので、当然ながらルカは含まれません。
パウロも自分が十二人に含まれるとの意思表示をしたことはなく、ただ「異邦人への使徒」としています。この点、バルナバですら使徒を自称した箇所がなく、おそらくその名称を持たなかったので、パウロは余程特別な存在だったのでしょう。それは彼の十四もの書簡が聖書に含まれたことが物語っているようです。確かに「バルナバの手紙」も外典にあるのですが、その内容は聖書のレベルにはありません。おそらくは霊感にない人物の偽筆なのでしょう。

一方で、医師ルカはパウロに(16章以降)同行し「使徒言行録」を著しましたが、後の人々は、このルカという人物に実に多くの情報を負っています。
彼は少なくともヘブライ語とギリシア語に通じ、ユダヤの習慣にも相当通じておりエルサレムでパウロに同行してもユダヤ人に咎められてはいませんから、やはりヘレニストなのでしょう。
おそらく、彼も聖霊を受けた「聖徒」であったように思えますし、聖書執筆者であり聖霊を持たなかったという方が不自然なのでしょうが、完全確実なところは分からないとすべきなのでしょう。それでも霊感ある人々、また当時の証言者たちからの情報を正確に、また順序立てることに注意しており、その忠実さによって文書の価値が高まっていると言えましょう。
(使徒言行録5:36-37の「テユダス」がヨセフスと年代順が異なる件も考古学が進むと解決されるのかも知れず、遥か古代の物事については常に新しい情報を必要とします。)

次にカトリックの「聖人」ですが、ご存知のようにカトリックは教理はともかくも歴史的には原始キリスト教に繋がっていますので、初代からローマ国教化の辺りまでの殉教者をはじめとして「聖者」としてきました。
ローマ帝国の宗教となってからは殉教することはなくなったので(させる側になりました)古代の自己を捨て死に至るまで試されキリストに倣って殉教した人々を半神格化することで、自分たちとの違いを正当化してきたところは否めないように思えます。

半分は神のように奉る*ことで、彼らは特別であって、自分たちが彼らのイエスに倣い次々と迫害の中で命を散らしていった自己犠牲の精神に倣わないのは、自分たちが「聖人」ではないからという理由付けにはなるでしょう。
そこで「聖人」は古代の殉教者をまず含め、以後今日までに時折現れた殉教した人々や功績の大きかった人々を「聖人」や「福者」の列してその功を讃えてきました。
(*一種の偶像崇拝に属します)

したがって、カトリックでの「聖人」に原初期の「聖徒」も含まれてはいますが、したがってカトリックの「聖人」がそのまま聖霊の賜物を有した「聖徒」と意味するわけではありません。
キリスト教初代の聖霊降下の終わった後に、カトリック教会の様々な理由や事情で「聖人」を列してきました。それは本来の聖霊の賜物によって「キリストと共になる事前の保証(アッラボーン)」*を得たとパウロに言われた人々とは異なるに違いありません。(*Eph1:14[商取引での手形]の意)


「ミナの例え」の該当者については、イエスは「家令」について論じており、彼らは多くを委ねられた「聖徒」であって、これは明らかに信徒ではありません。「多くを委ねられた者には、より多くが要求され」ます。
それでも、おっしゃるように、信徒と言えども霊的に怠慢であれば神に関わる事柄に関心の薄いことを顕わにするのであって、名目上は信徒であっても外の闇に属することになる危険は低くないでしょう。

1The4の「空中で主に会う」については、黙示録で聖徒もイエスと同様に「雲のうちに挙げられ」(11:12*)とあり、それが衆目からは見えないことを示しているようです。
いずれにせよ、これらの体験は「聖徒」のみの起こる事柄ですので、信徒をはじめとする他の人々すべても目で直接に見ることはないでしょう。
(*同節「敵たちはそれを見た」は象徴表現である理由があります。)

空中に挙げられる理由は、生きている聖徒たちがアダムの命を去って直接肉の体を解き、霊者となって天界のイエスの許に召集され「王国」を形成するという事態の進展のためです。
その業は完きものとされる神が創造された地と人間とは、失敗作ではありませんので永遠に保ちます。(伝道1:4)むしろ、その浄化と保全のために聖徒らが「天の王国」を構成し地を治める理由となります。


結論としておっしゃるところの【今のこの時聖霊を受けている人は見あたらず、イエス様がお帰りになった時聖霊を受ける人がいるということですね】というところに新十四日派の教えの要諦があります。

これを得心できるなら、真の聖霊の降臨を待ち望む気構えができ、それは旧来の心理作用や魔術に類する「聖霊」と称されるものを去って、真に「生ける神」の御力としての「聖霊の賜物」を信仰し、待ち望むことを意味します。

このように、新十四日派とは「聖霊」の教理を純化し、あらゆる人間の努力や業や思い込みを去って、完く神の介入を待つという信仰を基本とするものであります。

それは、一重にキリストの王権を佩帯した帰還に際し、その王の臨御(パルーシア)で栄誉を以ってキリストを迎えるという聖徒の務めを地上で共にし、補佐するものとなるでしょう。


さて、十四日派の教理と現今のキリスト教会(グレコ=ローマン型)との相違のもたらす環境あるいは雰囲気の違いに気付いて来られた辺りと拝察いたします。実はこれには倫理性が深く関係しております。

諸教会では、聖霊がコンパニオンのように信徒を助ける役割が与えられているように見受けられます。
それについては、教会の人集めの重要ツールとなっているようですが、教会員でなくても魅力を感じるところがあるのかも知れません。自分がひとりではなく、見えないながら不思議な助け手がいてくれる、ということに心温めるのは人間には自然の感情だろうを思います。
謂わば、親切なお兄さんやお姉さんのように、生活上の指針を与えてくれ、人生の導きのようなものを得られるという概念でしょうか。

私の知る某牧師は賛美歌を自作するのですが、彼はその歌詞の中で「主は聖霊を通してわたしの手をとって導いてくださる」*(外国語なのでおおよその意)と書いていました。
これを聞いたとき、少々カルチャーショックのようなものがありました。わたしのヘブライ的キリスト教概念と大いに異なったからです。(*ヘブライ概念では、それは「契約の証し」ある者のみが語り得ることです)
同じキリスト教のものではありますが、倫理性の関わる崇拝の動機はどうやら正反対のようなのです。つまり、中心に据えられるのが自分か神かということに於いてです。

わたし自身も命に関わるほどの奇跡的体験も含めて何度かありましたが、この牧師のように神やキリストを見做したことはありません。
神が自分を注視していてくれて、いつでも助けてくれるというよりは、神の御旨の偉大さに関連して、自分なりが幾らかでも御旨のお役に立ことがあれば、と思うばかりです。

聖書中では、神の霊の働きのすべてが知らされておらず、それが今日どのように働いているかを当然ながらわたしも知りません。それでも、時に神を感じることはあり、それは少なくない方だろうと思います。山上の垂訓には「心の純粋な人は神を見る」ともありますから、自分の周囲に神の働きを見る人は幸福であるのでしょう。

また今現在、様々な事情でキリスト教の外にいる無数の人々もまた、神は公平に扱われると思えます。「キリスト教徒になったから神の恵みがある」とすると、「イスラームの信仰ある者をアッラーは恵む」と唱えるのと変わらなくなってしまい、創造の神がキリスト教徒になる機会も与えずに人を差別するとはどうにも思えないのです。

全能の神を真に讃える人、それは神を不公平な方とは呼ばないでしょう。現在の宗教やイデオロギーの違いは人にとって越え難いものであっても、神にとってはそうではないに違いないからです。(Act10:35)

それゆえ、宗教上の偏見と宗教所属の特権意識とは表裏一体を成しているように思えてなりません。
自分がキリスト教徒であることがどれほど重要であっても、違いを越えてあるゆる人々に救いを望まれる神こそ誉められるべきでしょう。(Joh7:47)

自分が可愛いと思い、神を自分のコンパニオンにして「自分は」救われると信じるのは自由でしょうが、
しかし、それは神を自分の中に矮小化することであり、アブラハムに対応するその偉大な公共善の意志を見誤ることになるでしょう。

現在、神が牧師であるあなたや、どんな教会にも属さないわたしに何をなさるとしても、この全人類への意図の下に協働されるものでないとしたら意味がありません。
そのような意味でしたら、神の御働きが介在していることを切に望んでおりますし、おそらくそうなのでしょう。それは時の経過が明らかにしてくれるに違いありません。なぜなら、それも信仰に属することだからです。







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新しい契約に馴染む (回答)

2012.07.01 (Sun)
K&Kさま

このところジメジメとした天候が続きますが、如何お過ごしでしょうか。
そのあいだにも、拙文をお読み頂きまして感謝申し上げます。反応を頂戴し、もう少しは続けようと思え励みを得られました。

さて順不同ながら、とりあえずお返事致しましょう。

まず、「安息日」に関するメモ書き資料をご覧になったようですが、この主題については近いうちにメインに据えているLivedoorのブログに分かりやすい形にして掲載するつもりであります。
ご質問の内容「この方(神)の声を聴いたなら」につきましては、ヘブル第三章の引用は詩篇95編であり、その言葉は7節にありますが、翻訳により「み声を聴いたように」とされていたりするので、この部分が分かり辛かったのかもしれません。老婆心ながら、その背景は出エジプト記の荒野を彷徨したイスラエルの故事によるものですので、そのあたりを相互参照などを利用なさってご確認頂ければ、と存じます。
わたしの資料で特別なところがあるとすれば、将来に聖霊を通して語るというところだけで、あとはキリスト時代のユダヤに起こったこと(メシア拒絶)を加えてご理解頂ければ、意味も通じると思います。

ヘブル書はその故事を良く知るユダヤ人に向けて書かれていましたので、もし、この件で参考になるとすれば、Livedoorブログ文『『この世代』の過ぎ去らない理由』の記事の中の、副見出し『◆かつて特定された「世代」』の部分に書かれた故事を思い起こされると意味がすんなりと通じるかもしれません。
URL⇒ http://blog.livedoor.jp/quartodecimani/archives/51864048.html



また、『賃金のたとえ』のあの解明を唱える方は、わたしの他にお目にかかったことがありません。
キリスト教界がユダヤとの関連で教理を考えることを嫌って来たからでしょうか?またユダヤ教徒からすれば、あの例えなど直視するにも堪えないことでしょう。(近年、ユダヤ教との折衷を試みる運動が双方から見られますが、本来、ユダヤ教とキリスト教の異なりは生半可なものではありません。)

ですが両者が排斥し合っていては一向にバランスの取れた見解に到達しないでしょう。旧約と新約を読み込めば、既にそこに見えますが、なぜこの解釈が出てこないのか不思議にすら思えます。
あるいは、このように考えた人も古今居たのでしょうが、何らかの(おそらくは教団の事情で)この解釈の採用に踏み切れない理由があったのでしょう。

また『新しい契約』に「馴染む」ということでは、確かに易しいことではありません。教会員なら以前からの信仰のスタイルがあって、余計に易しくはないでしょう。
その状況は、イエスの時代のユダヤ人の大半が経験したことに似ていると言えます。彼らはモーセの律法体制にどっぷりと漬かっていましたので、メシアの到来に却って戸惑いを覚えました。
ですから、大多数のユダヤ人はせっかく到来したメシアを見分けることができませんでしたし、今でもユダヤ人のイエスの評価は「ガリラヤの私生児で魔術師」とタルムードは主張します。
彼らにはモーセ(律法五書)と預言者たち(預言書集)がメシアを指し示していたのですが、それだけでは足りませんでした。つまり、同胞が癒されるときに共に喜べる「愛」や、奇蹟に神を感じる「価値観」も求められたと言えます。それはキリスト教徒にも同じことになるでしょう。
つまり、そのようにユダヤ人と同じ試練が、将来に聖霊が臨み、その言葉を聴くときに、キリスト教徒一般も試されるように感じられます。旧来のキリスト教に慣れきった人々には戸惑いもあることでしょうし、退けてしまう人が出ないとも限りません。

但し、神はユダヤ人のために、イエスが帰天した後もキリストに信仰を抱いて受け入れるようにと、残された弟子らに聖霊の業を行わせて「印」とし、神殿の崩壊まで37年の期間、メシアに信仰を持つための猶予を与えました。
将来も、ユダヤ人と同じようにキリスト教界の人々にも「聖霊の賜物」という奇蹟による「印」と一定の期間が与えられる(あまり長くありませんが)と信じる理由が、旧約の「預言者たち」や黙示録に豊富にあります。


(ここから少々高度です⇒)それでも、将来に「新しい契約」に招かれる人は多くありません。おそらくは十万人にも達しないでしょう。
それなので、教会員の方々の大半は「聖徒」に召されることを期待する必要もありません。(わたし個人も罪深く相応しくないので召されぬよう願ってはおりますが)
むしろ、契約に召されないほうが、キリストのような犠牲の死を覚悟しなくてよく、更には死を経験せずに永遠の命に入る可能性も開けます。その一方で「聖徒」の方はキリストの歩みに従い必ず死を遂げなくてはなりません。

「聖徒」は必ず迫害を受け、ある人々はそれが原因で死ぬことも予告されていますが、他方「シオン」とも呼ばれる「信徒」たちについては、神がこれを守って必ず救い出されることを聖書は再三示します。
ですから、アブラハムの子孫ではない現在キリスト教徒である方々がわざわざ「新しい契約」に預かることを希望する必要はありません。それは超自然の召しであり、人がどうこうできるものでないからです。
また、認識も覚悟もない人を神がわざわざ招いて、その人に悲しみを与えたりはおそらくしないでしょう。

また、おっしゃるように使徒たちの覚悟の程は相当なものだったのでしょう。彼らはキリストの足跡に倣い、ほぼ全員が殉教したようです。しかし、彼らにとってそれは名誉なことであり、使徒たちのほかにも、信仰の内に覚悟を固めた初期殉教者らには我々には分からないような平安があったと云われます。(ヨハネ14:27)
それは、コロシアムの興味本位であったサディスティックな観衆を次第に動かし、やがて人々はキリスト教徒に同情や尊敬すらも示すようになったそうです。これこそが「聖徒」と言えましょう。

彼らの師であるキリスト・イエスはアブラハムの子イサクのように捧げられることを願ってご自分を差し出したに違いなく、過酷な重圧にあっても見事に犠牲の死を遂げられました。もちろんそれが簡単なことであるわけもありません。
しかし、それを乗り越え、一度限り世界に創造者が神であることを証明してみせ、それは神の最大の栄光となりました。この偉大な自己犠牲の歩みの上に人類の救いも希望もすべてがかかっています。そこでは、自分の救いに固執するようなご利益信仰はまったく相応しくありません。


それから、これは重要な点ですが、水のバプテスマを受けることは人間の側からできることですが、聖霊のバプテスマは人間の願いの及ぶところではありません。
それはまったくの召しであり、「聖霊の賜物」の奇蹟を伴い、政治家の前での決死の宣告をすることになります。これほど顕著で、また世界を左右するような仕方で神の宣告を告げる人を世界はまだ見ても聴いてもおりません。
それですから、聖霊を受けた「聖徒」は現在のところ世界に存在しないと言ってよいでしょう。

それゆえ、異邦人の『神のイスラエル』への補充は現在行われていません。『神のイスラエル』に属するのは「聖徒」であり、一方「信徒」は「シオン」と呼ばれるところの世の終わりにおける神の保護の対象、象徴的「エルサレム」となるでしょう。(これは回復論の範囲ですが、旧約は非常に劇的にこれを描いています)

キリスト教徒の方々の大半は『神のイスラエル』に属すのではなく、『シオン』と呼ばれる神の山に向かって、終わりの日に流れのように向かう人々の先導となるのでしょう。
これもまた、神の前に非常に優れた役割となります。ですから、『神のイスラエル』に召されなくても、地上で宗派や教理の僅かな違いを言い立てている場合ではありません。人々は聖徒の現われに注意を喚起される必要があり、それを知る我々は黙っていてはならないのです。そのひとつの宣明が「主の晩餐」であります。(黙示録22:17)

聖霊が到来する時には、そこに真理が現れますから、真実のキリスト教が回復されることになるでしょう。旧約はそれをバビロン捕囚からの解放として描き出しています。つまり古代と将来に成就する「二重の預言」です。
その成就のときには、「聖徒」たちが世界中から「シオン」に向けて集められると言われます。そして「聖徒」から聖霊の声を聴き、心を頑なにしなかった無数の人々が「神の山シオン」に向かって流れのように向かうとも預言されています。こう書くことは簡単でも、これはたいへんなことでしょう。Isa2:1-

ですから人々の集団であるこの「シオン」の一員であるということは、まことに素晴らしいことであり、その点、今キリスト教徒である方々は皆、聖霊を通しての神の声を聴いて従おうとする膨大な人々を迎える側となるのに絶好の立場にあると言えます。
但し、そのためには、このように優れた神の企図に対する理解は欠かせません。さもないと「盲目の案内人」となってしまいます。それは現今のキリスト教界そのものではありませんか。真剣に人々に訴えるだけの確固たるものが無く、信者の減ることばかりを心配しているのです。

今は、キリスト教とユダヤ教の垣根を越えて聖書の全体に関する知識を取り入れ、より正確な知識によってローマ帝国から続いてしまった異邦人に汚されたキリスト教を洗い浄める働きを、何かに動かされた誰かが行い始める必要が迫っているのでしょう。
神は不必要なことはなさいませんので、今後この浄化の輪が広がってゆくとしたら、あるいは本当に聖霊の再降下が近いのかも知れません。




以上、思うままに書き出しましたが、もし却って混乱を招くことになりましたら申し訳ありません。またご質問下さい。



それから、血統上のイスラエルではないところの、真に神に用いられることになる『神のイスラエル』への異邦人補充に関しては『諸国民の光「オール ラゴイーム」とオリーヴの接木』の記事を一読されて置かれますなら、より理解し易いように思われます。
URL⇒ http://blog.livedoor.jp/quartodecimani/archives/51874924.html

「聖徒」の母体となるであろう「シオン」については何ヶ月かの内に記事にしたいと思っておりますが、その内容は未完成で、まだどこにも書いていません、それで、今は分かりにくいとは存じます。
それは「預言者たち」の「回復の預言」に記されていますが、これは預言書の長期的熟読を要しますので、お時間を頂かなくてはなりません。
URL⇒ http://d.hatena.ne.jp/Quartodecimani/20120510/1336657911

しかし、これもキリスト教とユダヤ教が手を携え善意のうちに協調していれば、とっくに明かされた理解でしょう。それを妨げたのはユダヤ側のメシア拒否で、その結果エルサレムの宗教上の蹂躙を許したように思えます。また、この不和ではキリスト教も負けていません。ユダヤ教徒を「主殺しの民」と見做し、キリスト教からユダヤ教の土台を取り去り、代わりにヘレニズムの哲学や異教の概念を据えまでしたからです。

しかし、そうかと言って、メシアニックジューに迎合するのもどうかと思われます。
土台はその上に建つもの以上にはならないからです。
キリスト教の優越性の自覚も認識も無いので、ユダヤの永く神に関わった文化に圧倒されるのでしょう。
不和ではないにせよ、やはり、これも「共倒れ」ではありませんか。



 Shema







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