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ペテロの主への信仰と愛着3

2013.12.09 (Mon)
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もちろんペテロの示したイエスへの愛着は、イエスに会ってすぐに抱かれた感情ではないようです。
その点では、ペテロは兄弟のアンデレに遅れをとっており、ひとつのきっかけを必要としていました。

ペテロがイエスと初めて出会うのは、イエスを指してバプテストのヨハネが「見よ、神の子羊」と示したのを見たアンデレがペテロに会ってから、「私たちは(遂に)メシアを見つけた」と言ってイエスの処に連れて行ったときのことでしょう。しかし、そのイエスとペテロの初対面での会話の場面は四つの福音書のどこにも残っていないので、そこでペテロ(キーファ)の渾名を与えられた他に、シメオンがキリストと出会って何が話されたかは、今日わかりません。

しかし、このヨルダンでの場面から彼らがずっとイエスに従い始めたわけではないことは分かります。
彼らはこの場所であるユダヤの東からガリラヤに戻り、普段の漁を行う生活に戻ってゆき、一方でイエスの方はユダの荒野に向かい、そこでの40日に及ぶ試練を受けたのはこの後のことかも知れません。

やがてガリラヤに戻ったイエスは、ガリラヤ湖で漁をしているアンデレとペテロに再会しますが、そこではアンデレたちの船とゼベダイとその子たちの船が共に漁を行っています。昨晩の不漁に少々気落ちもあったことでしょう。このときイエスには癒しを求めて群集が従うようになっており、その人々に講話をするためにイエスは水面の音響効果を利用しようと、既に面識をヨルダン地方で得ていたアンデレとペテロの船を借りて共に乗り込みます。

少し岸から離れた水上から話すと声が水面に跳ね返り、多くの聴衆に届きやすくなりますので、そうしてイエスは群集への講話を行い、そのことへの返礼とのことでしょうか。講話を終えたイエスは二人に沖に漕ぎ出して網を下ろしてみるようにと命じます。
そこで彼らは、昨晩中苦労してもまったく魚が獲れなかったことを告げつつ、「先生が、そうおっしゃるのでしたら網を下ろしてみましょう」というくらいのつもりで湖の深いところに漕ぎ出して網を投じます。

すると、非常に大きな漁獲を得て、網が裂け始めるほどになりましたので、ゼベダイの船に網を上げるのを手伝うように合図を送ります。
魚は二艘の船を満たしますが、これはペテロが直接に見たメシアの最初の奇跡だったことでしょう。
昨夜の不漁と相まってこの魚の多さに漁師の一同も皆驚き入り、マルコによれば「圧倒される」ほどになりますが、ペテロはより大きな反応を示します。しかも、それは単にイエスをメシアとして認めるという範囲を超えた発言となりました。

『旦那さま、私からお離れください。私は罪深い男なのです』(ルカ5:8)

人には誰にでも、他の人に言えないような恥ずべきことや、善くない事柄があるものです。自分がどれほど悪いかを味わい知っているのは当の本人でしょう。
もちろん、アダムの子孫であれば「罪」という倫理的欠陥を逃れ出ないのですが、自分の悪いところを認められる人には謙虚な特質が求められるもので、このシメオンの場合にはこの一言でそれが示されます。
自分はイスラエルに現れたメシアの傍に居ることさえ相応しくない、という想いが、このペテロをして眼前の人物こそ約束のメシアであるという確信をもたらしていたことを明らかにしています。
つまり、この場でペテロはイエスへの確信と、際立つ自らの謙虚さを一言で云い表していたといえるでしょう。

これは、当時の宗教家たちとは対照的でありました。
教師らは人々から「ラビ」(偉大な方)と呼ばれ、律法やユダヤの規則の細目に通じ、その行状の良さから自分たちを一般の人々よりもずっと神に受け容れられていると考えていたとされます。
民から尊敬を集めるこれらの「立派な方々」は、自分の言動が人からどう見られるかを気にしていて、道徳的模範者という印象を与えることに心を砕いていましたから、これはイエスと衝突しないでは済みません。
イエスは彼らの『見せるための敬虔』を暴いてしまわれます。彼らが敬うのは自分であって、けっして神ではなかったのです。

あるラビは、「この世に十人の義人がいるとすれば、その中に自分と息子が入っている」と主張し、「もし、義人がこの世にひとりだけであれば、それはこのわたしである」と言っていたそうです。
この世では先頭に立つ者は、上を目指して野心を募らせ、他者を踏み台にして威張ることがほとんどでしょう。
このように「立派な」人物がメシアの傍に仕えていたとしたら、メシアはどれほど相応しい敬意を受けたでしょうか。新約聖書の教えはいったいどんなものになっていたことでしょうか。

もちろんペテロが完徳者であったわけではありません。むしろ、彼の不用意な言動はしばしばイエスからの戒めを必要としましたし、我々現代人にとっても彼は聡明で立派で近寄り難い人ではありません。
その親近感の理由には、彼が自分自身の善も悪もさらけ出したようなところにあるでしょう。我々も彼の言動の中に、自分自身の愚かさをも彼の中に見てとるからです。しかし、彼の思うままの発言は、度々イエスの言葉の意味を引き出す貴重なきっかけともなっています。
確かに彼はエリートではありません。私たちの大半がそうであるように『普通の人』であったのです。

しかし、こうしてイエスはシメオン=ペテロという掛け替えの無い弟子を得ることになります。
イエスは船上にあってひれ伏すペテロにこう言われました。
『恐れることはない。今から後、あなたは人間を漁る者となる。』(ルカ5:10)

大漁の魚を売りさばき、網を洗い、破れ目を繕う漁師たちはどんな思いでいたのでしょうか。
アンデレとペテロ、そしてアンデレと共にバプテストのヨハネの弟子であったゼベダイの子ヨハネと兄のヤコブは、『私に従いなさい』と呼ばわるイエスにそのまま従って、以後三年ほど行動を共にすることになりました。彼ら四人の漁師仲間はこうして船を後にしてメシアに従う者となり、十二使徒の中でも重要な者らとなってゆきます。


それから三年が過ぎ、彼らにその三年の間に起こったイエス・キリストの現れという出来事はいったい何だったのでしょうか。彼らはイエスがメシアであることを確信していましたが、メシアの王国は実現することなく、却って主はユダヤのエリートらの姦計によりローマの権力に処刑されていたのです。
イエスの死と復活の後、彼らはガリラヤ湖畔に戻りました。約束のメシアに従い、様々な神の業を目撃し、また彼らもそれを行うものとなり、数多くの師の教えとメシアへの確信が彼らの中に残っています。そのようにイエスに従う経験はまことに不思議で、また神の力と栄光に満ちたものでありました。

しかし、今やそのメシアが磔刑の死を遂げ、彼らから離れていってしまいました。師は『それがあなたがたのためである』と言われました。しかし、彼らは悲嘆にくれ、その意味を理解するには時が必要であり、抱く感情は起こった現実についてゆけなかったことでしょう。
それでもイエスは二度、彼らに現れて励ましを与えられてはいましたが、ユダヤでの主の死と復活の現場を後にして、彼らはその後の行われる偉大な神の意図も知らずに、ガリラヤ湖の畔のおそらくはゲネサレかその近くに戻っておりました。

偉大な師を失ったあとで、しかも主が捕縛された時に逃げ散った彼らの気持ちは臥せている状態にあったのでしょう。気分の沈むようなときには、愉しいと思えることを行うと気分も晴れてくるものですが、ペテロは本当に漁が好きだったのでしょう。
ペテロは『自分は漁に行ってくる』と言い出します。すると他の仲間も気持ちを入れ替えたかったのか、それに同意し始めて、結局その場に集まっていた七人の使徒たちが皆で漁をしようとガリラヤ湖に漕ぎ出すのでした。

その夜を徹して、湖上であちこち網を打って回ったのでしょうが、とうとう朝になりかけるころまで魚を獲ることができません。
すると70メートルも離れていない岸に立つ人が「食べるものは何も無いのか?」と声をかけて尋ねます。彼らが「何も無い」と答えると、その声の主は「右側に網を投げてみれば、幾らか取れるだろう」というので、そうしてみると、なんと、手繰り寄せることもできないほどの多くの魚が網にいるのでした。それは三年前のペテロたちが経験した以前の奇跡を鏡のように映す出来事でしたから、即座にヨハネはペテロに「主だ!」と言って反応します。
それを聞くや裸だったペテロは自分の服に袖を通すが早いか水に飛び込み、一目散に岸をめがけて泳ぎます。一方、船は多くの魚の入った網を引きずりペテロの後をゆっくりと岸に近づいてゆきました。

岸では、魚を焼く炭火がおこされていて、そこにはパンもあるのを使徒たちは見ました。つまり、イエスは彼らに朝食を与えようとされていたのです。
イエスは獲れた魚も持ってくるように言いますが、その網には153匹もの魚が掛かっていたとヨハネ福音書にはあります。そしてイエスは彼らにパンと焼いた魚を与えました。
しかし、誰も「あなたはどなたですか」などと尋ねません。たとえ復活によって容貌が変化していたにしても、その奇跡がすべてを語っているのであり、彼らはそこに以前に味わい知っていたような奇跡を行う人イエスを見たことでしょう。

イエスの、この三度目の使徒たちとの邂逅では、特にペテロへの諭告が重要であったのでしょうか。刑死前の師は、彼に「ひとたび立ち直ったなら、あなたの兄弟たちを助けよ」と命じていましたから、そのようにペテロが働くときが近付いていたのでしょう。

イエスは魚で満ちた網を前に『ヨハネの子シモンよ、あなたはこれらよりもわたしを愛するか?』と尋ねます。
つまり、彼の愛する漁よりもイエスを愛しているかと尋ねたのでしょう。ここでの「これら(トウトーン)に勝って」を「他の使徒たちに勝って」という意味に捉える人々もいますが、最後の晩にまで「誰が一番偉いか」と巡って争い、皆が師に足を洗ってもらったことからすれば、その競争心に油を注ぐようなことをイエスが言ったと結論するには無理があります。まして、イエスはペテロに使徒の首位権などを与えた場面などは、ペテロの書簡も含めて聖書に皆無です。

以前には、大漁の奇跡の後「私に従いなさい」との召しの言葉に即座に応じたペテロのことですから、ペテロのイエスへの深い愛着は、彼の大好きな漁に勝ることは『はい,主よ,わたしがあなたに愛情を持っていることをあなたは知っておられます』という答えにも明らかです。
そこでイエスは『わたしの子羊たちを養いなさい』と言われます。イエスがペテロに与えようとされたのは、使徒の中で一番であることではなく、信ずる者らの全体を世話することでした。

それからイエスは「ヨハネの子シモンよ、わたしを愛するか」と再度尋ねます。彼はイエスに「主よ、そうです。わたしがあなたを愛することをあなたがご存じです」そこでイエスは「わたしの羊を飼いなさい」とまた命じます。
しかしイエスは更にもう一度ペテロに問うのでした。『ヨハネの子シモンよ、わたしを愛するか』

そこで三度も愛を問われたペテロは狼狽します。筆者のヨハネはそのときにペテロの心中を「悲嘆する」あるいは「残念に思う」という語(エリュペーセー)で表しました。
切ない悲しみさえも込み上げてきたのでしょう。どれほど彼がイエスに傾倒し、み傍に仕えて多くの言葉を交わしてきたことか、また最後の晩にはどれほど命を捨てる覚悟であったことか。
もちろん、雄鶏は二度鳴く前に主を三度まで否定したことはその決意のほどをかき消したようには見えます。ですが、その直後に彼が激しい失意の内に、カヤファ邸を出て号泣したその心中も涙もイエスはご存知であったに違いないのです。

彼は主を捕らえようとしてユダに先導された武装の一団に向かって猛然と剣を振るいましたが、そこに使徒らが携えた剣は二振り、しかし、これを実際に使ったのはペテロだけでした。
そこで彼は自分の師を守ろうと捨て身の覚悟を確かに見せました。集団に打ってかかり実際にマルコスという名の奴隷に剣を振り下ろしたのです。その狙いは逸れて耳を切り落とすことだけで済みましたが、もし、イエスが止めに入らず、マルコスの耳を癒さなかったなら、やがてペテロは武装した群集に取り囲まれ、多くの棍棒で打たれ、何本もの剣がその身に突き刺さっていたかも知れませんが、それも覚悟の上での行動だったに違いありません。その勇気と主への愛着はまことに見事であったというべきでしょう。

しかし、それは神やイエスの意志に反することであり、ペテロには生き続けてまだまだ為すべき多くのことが、それも究めて貴重な務めが待っていました。

次いで、ペテロはイエスを捕縛した一団の後をつけて行きますが、ひとりの少年が目立つ服を着て同じようにするのを見ます。しかし、その少年はその武装集団に襲われ服を残して逃げ去りました。
このマルコ福音書にだけ登場する少年はマルコ自身であろうとも言われますが、初期文書によれば、このバルナバの従兄弟は生前のイエスに会ってはいないと伝えられていますので、それを考えるとマルコであったのかどうかは難しくなります。しかし、この少年と同じく後をつけていたペテロとヨハネにしてみれば、イエスを捕縛した集団とは相当の距離を空けて追って行かねばならないことを警告するものとなったことでしょう。

伝承によれば、ゼベダイの子ヨハネの母サロメは、イエスの母マリア姉妹であり、共に親戚はエリザベツという大祭司に連なる系統にありました。
そのためだったのでしょうか。使徒ヨハネは祭司長派に近く、ヨハネ福音書にはサンヘドリンとその議員に関する情報が他よりも含まれていますし、この師の最後の晩でも使徒ヨハネの顔利きを利用してペテロは何とかカヤファ邸への進入に成功します。やはりイエスに対して命を張ったペテロの主への愛着は一方ならぬものでありました。

しかし、そこで主と共に果てることが彼に求められたことではなく、彼は生きなければならなかったのです。
もし、ペテロとイエスが共に磔となるなら、ペテロにはついに聖霊が注がれず「新しい契約」に預からず、キリストと共なる聖徒に含まれないことになってしまい、却って、他の使徒よりもイエスから遠く離れてしまいます。
また、主が授けた「鍵」を使って「神の王国」へと人々を地上で導くこともできなくなってしまいます。

しかし、今やペテロは「羊を牧せ」と命じられていました。その招命の理由がイエスへの愛であったのです。

ある人々は、この場面のイエスの三度の問いが、ペテロのあの夜の三度の否定に対応し、相殺するものであったと考えます。
しかし、そのように捉えると、この問いはペテロの一身上の問題で終わり兼ねないものとなっていまいます。

この三度の問いは、単にペテロの否認の咎への許しだったのでしょうか?
いえ、もしそうならペテロは三度目の問いに困惑もしなかったでしょうから、そこで少なくとも彼自身にその意識が無かったことは明らかです。もし、そのことに大きな咎めを感じていたなら、この場面で誰よりも先に泳いでイエスの許に向かったでしょうか。

むしろ、彼は体を張って命の危険も顧みず、イエスへの愛着を示して、示し続けたということができるでしょう。
ただ、そのときにイエスに死をもって随伴することまでは神の意志でも、イエスの望むところでもなかったのです。
神のご意志はそこで師とペテロを別つものとなり、そこでペテロは男泣きにくれたということになります。そこには何と強い愛着があったことでしょうか。

その三度の否認もその関連から見る必要があり、彼がそうしたのも、カヤファ邸から追い出されイエスの御傍から引き離されるのを恐れて、イエスの弟子であることを否定したということもまるで考えられないことではありません。我々が彼の否認を批難することは如何にも簡単なことですが、イスカリオテのユダのような離反とは正反対の動機を彼に観るべきではないでしょうか。

しかしこの早朝の湖畔の場面でイエスに諭され、今や彼には地上に残る者らへの世話、牧羊が求められます。
イエスの問いを通して、彼はその任に価することを示し、師への愛を確認され、また強調されました。つまり人々を扱う任に当たる者に求められものが何であるのか、それが強調されたと見ることができます。

キリスト教内の宗派では、パウロが述べた監督や長老の道徳的また外面的条件にその人が達しているかを、牧者任命の基準としてよく考慮します。ですが、ペテロは内面的な資質の重要性を味わい知っていたことでしょう。

この牧すという事柄について、ペテロ自身が後に次のように語っています。
『さて、わたしは長老の一人として、また、キリストの受難の証人、やがて現れる栄光に与る者として、あなたがたのうちの長老たちに勧めます。
あなたがたに委ねられている神の羊の群れを牧しなさい。強いられてでもなく、神に従い、自ら進んで世話をしなさい。卑しい自分の利得のためにではなく自己犠牲的に行いなさい。
委ねられている人々に対して、威張り権威を振り回してもいけません。むしろ、群れの模範になりなさい。
そうすれば、主要な牧者が現わされた時、あなたがたは朽ちることのない栄冠を受けることになります。』(ペテロ第一5:1-4)

ここで彼は自らを、「使徒筆頭のペテロが言う」となれば発言に権威が重く加わり、それは長老たちを従わせるに充分なものとなったことでしょう。しかし、ここでは「使徒」であるとさえ言いません。仲間の『長老のひとりとして』『勧めて』いるのみです。

もちろん、司牧という業は簡単なことではありません。年長者が持つ人を扱う経験、判断力や賢明さも求められるでしょう。それを行わせる原動力には、愛をおいてほかに考えられません。
それに反して、人の上に立つことや出世を喜び、目立つことを望むような人物は羊の群れにとっては重荷となるばかりです。
もし、ペテロが長老たちに命令口調であったなら、この手紙の以下の文面を自ら台無しにしていたことでしょう。

あるいは、権威主義者ではなく、世話好きであれば人々を牧する適性があるのでしょうか?
けっしてそうではないでしょう。むしろ「主要な牧者が現わされるとき」そこで喜んでもらえることを無上の幸いとするような人物こそが求められていることをペテロは告げています。そのような牧者の関心は自分の利得であるはずもなく、また人々の喜ぶところにばかり向けられるわけでもありません。それでは人気取りの政治家のように大衆の感情に左右されてしまいます。
司牧の誠実な関心は、キリストの戻られるときに、その方の喜ぶ姿を見ることにあるでしょう。

そのような牧者は、「自分はキリストから信任されているから従え」などと権威を振りかざすようなことはけっして唱えないでしょうし、むしろ、自分の行いが主に喜ばれるものかどうかを常に探るに違いありません。
主への信仰と愛着があれば、その心がイエスに向くからです。
主からこのような牧者としての是認を受けるかどうかは、ペテロが述べたように、その行うところの結果次第となるのであって、すべての教師も牧者も不動の信任など持つ者は誰もいません。

こうして、このガリラヤ湖畔の早朝の静謐で印象的な情景を描いて福音書が伝えていることから、ペテロの主に示した愛着が、仲間を世話することにおいて大きな意義を持つことであったと知ることができます。
ペテロのように、主への深い愛着を示す人物を牧者にできる羊はまことに幸いです。

わたしたちは、使徒とされた漁師ペテロの主への強い信仰に実に多くのことを負っています。
イエスとの関わりがなければ、歴史上に何の痕跡も残さなかったような中東の一漁師が、今日聖書を通して我々に多くのことを教えてくれています。
その謙虚さ、率直さ、時には好奇心や失言までもがイエスから多くの言葉を引き出すことになりました。

しかし、その中でも際立った特質は、主と実際に行動を共にした彼のイエスへの深い信仰と愛着であったことでしょう。
わたしたちはイエスを目にすることはありませんが、ペテロはこう手紙に書いています。
『あなたがたは、キリストを見たことがないのに愛し、今見なくても信じており、言葉では言い尽くせないすばらしい喜びに満ちあふれています。』(ペテロ第一1:8)

そこで、聖書の記述から丹念にペテロの経験や心中を想像し、あたかも追体験することで、わたしたちもまたイエスへの愛着を加えることができることでしょう。














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ペテロの主への信仰と愛着2

2013.11.10 (Sun)

この場面はルカを除いた三つの福音書が記録しています。
これらを総合すると、その夜の時間に使徒らは小舟に乗って対岸のカペルナウムを目指したとヨハネは書き、マルコによれば目的地としてゲネサレのベツサイダ(ペテロ兄弟やフィリッポスの出身地、ガリラヤ湖の北の端)を目指して出発しましたが、5kmほど進んだ辺りで日の出を控えた午前三時過ぎ(第四見張り時)にそれは起こったとされています。

前日、夕闇の近づく中で五つのパンと二匹の魚から五千人に食事を供給する奇跡を行って後、イエスは強いて弟子らを小舟に乗せて先発させ、ご自分は群衆を避けるために山に登りしばらくの時を一人で祈って過ごされます。
こうして二手に分かれ群衆の追跡をかわすことができたことでしょう。
しかし、折からの強風が向かい風で、弟子らは船を進めるのに難儀しています。

その間、イエスは何の妨げも受けずに水の上を歩いて北に向かって行かれます。
イエスは彼らの傍を通り過ぎるつもりであったとマルコは書いています。
しかし、弟子らが水上を歩く人影を見ては恐れ騒ぎ立ったので、イエスは『わたしであるから恐れなくてよい』と声を掛けました。

そこでペテロは『もし、あなたでしたら、私に水の上を御許まで来るようにお申し付け下さい』と他の者なら思いも付かぬようなことを願い出ます。(ペテロの水上歩行のシーンをマルコとヨハネは省いています)
強風吹き荒び、動揺する船から水の中に降りるなど、余程の信仰がなくてはできないに違いありませんが、ペテロはそれを申し出ました。
それに対してイエスは『来なさい』と命じます。
そこでペテロは船から荒ぶる波の上に降りてみれば、不思議にも水の上に立つことができ、幾らか歩いたのでしょう。
しかし、すぐに沈み始めてしまい、声を張り上げイエスに助けを求めます。

イエスはその原因を『なぜ疑いに負けたのか?』という言葉で直ちに指摘されました。
その言葉は『信仰の薄い者よ、なぜ疑いに負けたのか』とも訳されますが
「信仰の薄い」は[オリゴ ピストス]で、直訳すると「小さい信仰」となります。
つまり、ペテロを水の上を歩かせたのは神の力に違いないのですが、それを成し遂げさせるものは「信仰」であることをイエスは教えていらしたのです。

この出来事をマタイが語ったあとの場面で、ヨハネは船がカペルナウムに入ったとしています。マルコとマタイは共にゲネサレに着いたとしているところからすると、彼らはベツサイダを目指して出発したものの、同じゲネサレのカペルナウムに着いたようです。

しかし、民衆は彼らのこの移動に気付いて、おそらくは翌日にティベリアからイエスの一行を船に分乗してまで追って来ました。
イエスを見つけた群集は、「主よ、何時こちらに来られましたか?」と訊きますが、彼らには昨夜のあの嵐の中をイエスの一行が湖を渡ったとは信じられなかったことでしょう。

彼らは奇跡の癒しと食事を受けてイエスに従う動機が利己的なものに変化してしまっていたのです。彼らは『わたしたちにパンをいつもお与えください』と言っています。まるで福祉目当てのように彼らはメシアを仰ぎ見たのでした。これも信仰だというなら、それはご利益信仰というのでしょう。

そして、このカペルナウムでの『わたしの肉を食し、血を飲むように』というイエスの言葉がこの群集をつまずかせ、多くの弟子たちをも去らせてしまうことになりました。なぜならキリスト教はご利益信仰ではありませんが、群集のイエスに従う理由が食事目当てという利己的なものになっていたからです。
今日のあらゆるキリスト教徒と称するすべてから、ご利益信仰である人々をイエスが同様にして散らされるとしたら、どれほどが残るものでしょうか。


ここまでを俯瞰しますと、ティベリアでの五千人への食物の提供の後、イエスは弟子らをすぐに別の場所に移そうという意志をもたれたようです。
その理由は群衆の動機の変化でしょう。ヨハネによれば、彼らは食事の奇跡を体験してイエスを王に担ごうとし始めます。しかし、イエスは地上の生涯の間はもちろん、今日ですら未だ王権を拝受してはいないことでしょう。その時ではなかったからです。
ここでイエスは大きな奇跡を行ったことへの感謝を神に捧げる時間をも欲したように読めます。そこでイエスはひとり山中に向かい、深夜まで祈りつつ群集から逃れます。

一方、群集を避けるため、師に小船での移動を促され別行動を命じられていた使徒らでしたが、食事そのものがすでに夕刻に近づいた時間であったため、弟子らの湖上の移動は夜間になってしまいました。しかも強い北風に見舞われ、午前三時になっても5km程しか進んでいません。夕刻から9時間ほど経過していたに違いないので、その平均の速度は時速0.6km未満であったことになってしまいます。おそらくは風上に向かってジグザクに進む今日「タッキング」と呼ばれる方法で舟を何とか前に進めようとしたのでしょうか。しかし、その速度では舟を出した意味さえなく、歩いた方がよほど良かったのです。
そこにイエスは水面を難なく歩いて渡られましたが、彼らの脇を通り過ぎていれば、彼らより早く対岸に着いていたでしょう。

しかし、弟子らは夜更けに湖上を渡る人影を認めて恐慌に陥ります。
そこで、彼らを安心させようと声をかけたところ、ペテロの「あなたでしたら」という「信仰の挑戦」を受けました。
ペテロとしては、その人影が本当にあの五千人に食事を備えたイエスであれば、自分も湖面を歩かせることができるに違いないという信仰を持っての発言だったのでしょう。イエスに近づくのであれば、そこに主との関わりの温かみがあって、暗夜の波頭の恐ろしさを打ち消すことになるという想いも働いていたのかも知れません。

しばらく歩いて、それは立証されたのでしょうけれども、その安心感と荒ぶる波への恐怖とが、彼の信仰心に隙を生じさせたのでしょうか。彼は水の中に下り始め、自分が達者に泳げることも忘れて助けを求めます。
この事例は、イエスが『あなたがたにからしの種粒ほどの信仰があれば山をも動く』と語っていたことをよくよく補足するものとも云えましょう。
もし、この「ペテロの水上歩行」の事例が無かったなら、人は「からしの種粒ほどの信仰」という言葉を見くびったことでしょう。

この一件は「信仰」というものが、様々な妨害に打ち勝つほどのものであるべきことを教えるものであり、ペテロが信仰薄い人物だというのではありません。
むしろ彼の信仰が強いものであることは、水の上を歩くばかりか、漁師とはいえ強風に荒れる水面にさえ降りた行動にも表れています。そして、この夜が明けた後に、ペテロはイエスが『永遠の命を持つ』キリストであることを即座に言い表し、それをイエスも満足する場面へとつながっていることが、更に彼の信仰と主への愛着を深めたことを物語っているでしょう。


ですから、ペテロの水上歩行の事例は、同時に人々に「信仰」というものの難しさの一端を教えるものとなっています。
わたしたちも困難に直面し信仰の必要なときに、ふと、この事例が思いをよぎるのではないでしょうか。

彼は少し歩いただけで沈み始めましたが、それでも確かに水の上を歩きました。
それによって主への信頼と愛着を深めたことは、まず疑いの余地がありません。
これはキリスト教徒にとっても大きな教訓として捉えることができます。
わたしたちの誰もが「沈む」に違いないからです。

ですからそれは、ペテロの信仰不足をなじるためのものでも、信仰というものがまるで達し難いものだと教えるためでもなく、信じようとする者が一心にそうするよう励ます挿話となっていることと思います。


こうして主とペテロが船に上がるや、すぐに大風はその求められた役割を果たし終えたかのように過ぎ去り、湖面はまったく凪いでしまいました。








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ペテロの主への信仰と愛着1

2013.11.03 (Sun)
集まってきた群衆を散らしてしまうような発言をイエスは敢えてなさいました。
「私の肉を食し、血を飲む者は永遠の生命を持つことになり、わたしはその者を終末に復活させる」(ヨハネ6:54~)
これを聞いた群集は落胆して去りはじめ、弟子であった者らさえ、もはやイエスと共に行動することをやめてしまったと福音書は記しています。

けれども十二人はイエスの御許に残っていました。
「あなたがたも去ってゆくか?」とイエスが問うと
即座にペテロは「主よ!どこへ行けばよいというのでしょう。あなたこそ永遠の命の言葉を持っていらっしゃいますし、私どもはあなたこそが神の聖なる方であることを知り、信じたのです!」と何の迷いも無く深い敬意と愛着を表わします。

するとイエスは、「わたしがあなたがたを選んだのだ」と満足を感じて語られました。
イエスにとってこの使徒らは格別の弟子たちであり、十二人を召す前の晩にイエスは夜を徹して祈ったとルカが伝えています。(ルカ6:12-13)
群集も他の多くの弟子も去ったこのとき、使徒らとしての信仰は実証され、その召しにふさわしい資質を師は再確認されたと言えましょう。

また、一行がカエサレア・フィリピに在ったころ、イエスは質問をして
『人々はわたしを誰であると言っているだろうか?』と使徒らに訊くと、『バプテストのヨハネ、またはエリヤとも、エレミヤのような預言者の一人とも言っています』と返事がありました。
しかし、イエスは使徒らに『あなたがたはわたしを誰であると言うだろうか?』と問いかけます。

するとここでも直ちにペテロの信仰の表明が見られ、『あなたは生ける神の子、キリストです!』と応じ、彼は問いにまったく疑いもなくイエスこそがキリスト=メシアであることを認めます。
これはユダヤ人にとってはたいそうなことです。旧約聖書が一貫して指し示してきた、あのモーセのように偉大な預言者がこの方であると認めることを意味したのです。

イエスはこのペテロの発言を、単に彼の人間の発言とはせず、天からの啓示によって語ったとし、シモン・ペテロを幸いであると云われます。
これは、彼がその時に自分の熱情と共に霊感されて語ったことを言うのでしょう。

しかし、イエスは旧約に示されたキリストとしての定めに従い苦難を受け刑死することを、より具体的に語ります。
すなわち、エルサレムに行き、長老、祭司長、律法学者たちから多くの苦しみを受け、殺され、そして三日目に蘇るということでした。

ですが、ペテロはその前のイエスの褒め言葉に幾らか想いが高ぶったのでしょう。
イエスに向かって「そのようなことにはならないのです」とメシアに向かって訓戒するほどになりました。
イエスは即座にそれは「人間の考え」であり先の天からの啓示とは異なること、またそれを用いるのがサタン悪魔であり、それを退けることを明言されます。

しかし、それをイエスはペテロに背を向け、恰もサタンがペテロに近づかぬようにとサタンを叱責されました。
荒野での三つの誘惑をはじめ、このようにサタンはわずかなイエスの隙を窺っていたのでしょう。
ペテロは神の霊感によって語ったかと思えば、急転直下して人間的な考えからサタンの代弁者にもなるという、真逆の器になってしまいました。当時のユダヤ人に、メシアの死と復活はほとんど理解されていなかったからです。

しかし、キリストはイサクの道を歩むことが定められており、その犠牲がどれほど多くの人々を救うか、またサタンを打ち砕いて終わらせるかは、古来書かれたところからすれば実は示されていたことで、しかも最も重要な事柄でした。
しかし、人間の目先の観点だけでは、それを見通すことはできません。
ペテロがイエスを個人として深く愛していたことは、「あなたと共に死ぬ覚悟です」と言い切った最後の晩の言葉にも明らかです。
ですが、この個人的愛情だけでは神の偉大な経綸に関わるキリストに託された務めの全体は見えなかったのでしょう。

そこでイエスは却って、使徒らも「苦しみの柱」を背負って自分の後にしっかりを従うように求めます。
何のためでしょうか、キリストに従う初期の弟子らが「聖なる者」(ギリシア語ハギオス)としてキリストと天で共になり、石材のようになってキリストイエスと共に「天の神殿」を構成するために必要な犠牲となるためでした。つまり彼らは「キリストへの死のバプテスマ」を受けていたのです。(ローマ6:3-5)

彼ら十二使徒をはじめとする「聖徒たち」は、後にカトリックでは「聖人」とされてしまいますが、彼らを崇める習慣はともかく、その「聖」という言葉においては間違いはありません。
つまり副次的神のような「聖人」ではなく廉潔なる「聖徒」であり、彼らを聖化した聖霊が注がれたこと以上に、殉教を通して命を捧げキリストに続き「世を征服する者」となり、その信仰によって「聖なる」資格を証した人々です。

彼らは「神の王国」でキリストと共に治める「王また祭司」となる人々であり、それゆえにもキリストのような試練を乗り越え、神への忠節を主と共に証しする務めがあります。(黙示録20:4)
地上に残るわたしたちのような信じる者たちには、この人々がキリストと共にこの世を征服し勝利することによって、素晴らしい神との関係に入ることができるようになります。それは創造本来の人間の輝かしく優れた姿、「神の象り」であり、今見ているこの世の人間の有様はその比較にもなりません。(ヨハネ16:33/ヨハネ第一5:4/黙示録2:26-27)

それゆえ、この聖なる者たちに求められることにはわたしたち一般の信徒以上に高い基準があります。
この人々はサタンが導く人間の考え、また世からの迫害などに直面しますが、自分の保身に走って魂を安全に保とうとするなら、却ってそれを失うことになると云われます。(マタイ10)
この試みは、初期のキリスト教徒に実際に迫害となって襲い、多くの人々が闘技場や拷問台上で忠節のうちに老若男女を問わず次々に殉教に散って逝った歴史が証するところでもあります。

「あなたと共に死ぬ覚悟です」と最後の晩餐の席で叫んだシモン・ペテロもおよそ三十年後、遂にその言葉のとおりに殉教の死を遂げましたが、伝承によれば、同じく刑場に向かう妻に励ましの言葉をかけ、自らはイエスと同じ磔にされることは畏れ多いと、頭を下にした逆さの磔刑を受けたといわれます。

ですが、この人々には聖霊による格別な安らぎが与えられ、それによって見事に天でキリストと共になるという「賞である上への召し」を目指して自分たちの主キリストに続くものとなりました。(ヨハネ14:27/フィリピ3:14)
それは彼らが属した「新しい契約」を全うすることであり、また「先立った贖罪」を確かなものとすることで、その信仰によって紛うことなくキリストと共なる征服者となり「王なる祭司」という全人類の祝福となる「アブラハムの裔」へと迎えられる特権を得たのでありました。(ペテロ第一2:9/出埃19:6)

私たちのように聖霊を注がれていない信徒には、ここまでの試練が求められることはおそらくありません。
しかし、ペテロとほぼ同じ時期に殉教したパウロはこう記しています。『(イエスが)すべての人のために死んだのは、生きている者がもはや自分のためではなく、死んで生き返った方のために生きるためである』。(コリント第二5:15)
ペテロや使徒らの生涯はまさしくそうした利他的なものでありましたから、私たちのような聖霊を受けない信徒であっても、この聖なる初期の人々に倣った信仰を抱いて、ひとりよがりな人間的なもの、またご利益目的ではない、本当にイエスの言葉に基づく信仰を表すよう努めることができますように。











.Jul.23.13改

漁師アンデレのように

2013.03.11 (Mon)
                                       .


聖徒でなく、信徒であれば、ただ生きていればよいかという

このことで、模範と仰げる人物が使徒アンデレでしょう。
彼はベツサイダ出身のガリラヤ湖の漁師で、レヴィ人でも祭司でもなく、ユダヤ人から幾分見下げられたガリラヤ人でした。
本当に片田舎の漁師で、カペルナウムを拠点に兄弟シモンと漁業を営んでおりました。

ですが、この兄弟は単に漁師でもなかったのです。
ふたりは平民ではあっても、やがて来るというメシアに関する神の預言に一方ならぬ関心を抱いておりましたから、西暦29年ころ、荒野にバプテストのヨハネが現れると、アンデレは早速その許を訪ね弟子となります。
彼は、律法の規定を守ることで自分の義を悦に入るようなパリサイとは明らかに異なっています。また、一般人のように、ユダヤ教の神殿祭祀を捧げるだけで満足はしていなかったことでしょう。

そしてヨハネがナザレから来た方イエスを『神の子羊』として紹介すると、彼はすぐにその紹介された方の宿を訪ねます。
そこでイエスがメシアであることを確信した彼は、すぐに兄弟シモンのところに行ってこう言いました。
『 「わたしたちはメシア(訳せば、キリスト)にいま出会った」。』(Joh1:41)
ここで(口語訳)「出会った」と訳されている原語「ヘウリスコー」は「調査、思考、検査、監視、観察することによって見つけ出すこと」を意味するとのことです。まさしくアンデレがしていたことはそのようなものだったのでしょう。

ですからここは「メシアを見つけた」と訳すことも可能であり、そうしている訳もあります。
NKJVなどの英訳は、これに「遂に見つけた」(We have found)の意味を含ませていますので、これらを踏まえ、この句は『「わたしたちはメシアを見つけ出した!」』と訳されてもよいようです。つまり『わたしたち』とは彼とシモンの兄弟であり、預言されていた人物を遂に彼らが見つけ出したという気概や興奮がそこにあったことでしょう。

ユダヤ人は今日でも「預言者は眠りについてしまった」と言いますが、最後の預言者マラキ以来、およそ四百年にわたる預言者の現れない時代が続いていましたが、その長い沈黙を終わらせたのがバプテストのヨハネでありました。
そして、もう一人そのバプテストの弟子となっていたのが、後にやはり使徒として召されるアンデレの同業仲間であるガリラヤの青年ヨハネです。

またバプテストは、メシアとしてのナザレから来られた方を『神の子羊』として紹介します。つまり『世の罪を取り除く』犠牲の子羊です。
これはたいへんなことであり、神のご意志の偉大な進展であったわけですが、神の奇跡を行われる以前のイエスについて、まだ民はそれと気づいてはいません。しかし、使徒となったヨハネは、後にイエスが出エジプトの夜の子羊に相当する犠牲を捧げ、人類全体への救出の道を備えたことをその著述で明解に繰り返し教えることになるのでした。

ですから、彼らがイエスの現れを待っていたところに、彼らの神の御旨への関心の高さが窺え、それは田舎の漁師という身分を忘れさせるほどのものです。それでも、彼らはこの時点で十二使徒でも聖霊ある聖徒でもなかったのです。
しばらく後に、彼らは揃って十二使徒に選ばれることになりますが、そうしてメシアに仕えることで、その立場は神の御前にレヴィ人や祭司、また学者や書士をも遥かに超えるものとなってゆきます。

これを保守的に見れば、何の裏付けもない一般人が出過ぎたことをしたものだ、とも言われかねなかったことでしょう。
それでもイエスの見方、また神の目にはそうではありませんでした。

彼らは、旧約が書き終えられて後の長い神の沈黙の時代に居ましたが、それでも神のご意志を見極めようと努めていたところにメシアを見出し、それだけでなく、大きな業と立場に用いられることになっていったのです。
それは彼らが任命されていたからでしょうか。そうではありません。
神は何をなさろうとしているのかと、その意志を探り、それに協働しようと努めていたのです。


またある時、イエスはペテロの問いに答えて、このようにも語っています。
『するとペテロが言った、「主よ、この譬を話しておられるのはわたしたちのためなのですか。それとも、みんなの者のためなのですか」。
そこで主が言われた、「主人が、召使たちの上に立てて、時に応じて定めの食事をそなえさせる忠実な思慮深い家令は、いったいだれであろう。
主人が帰ってきたとき、そのようにつとめているのを見られる僕は、さいわいである。
よく言っておくが、主人はその僕を立てて自分の全財産を管理させるであろう。』(Luk12:41-44口語)

ここにも神の沈黙、またキリストの不在の時代が描かれています。
キリストが臨在していない間、聖徒ではないから、ただ生きていればよいという風にはとてもとれない言葉ではないでしょうか。

主人が戻って来た時に、「努めている僕」は任命されていたのでそうしていたのでしょうか。
そうではありません、御旨を察知し、それに努めていたゆえに任命されるのです。

むしろ、聖徒を生み出す「シオン」と旧約聖書の中で呼ばれている信仰ある集団がどのように登場するかは聖書にはっきりと書かれておりません。そこに何か神意があるのでしょうか。
それでも、イエスの言葉の中には『忠実な思慮深い家令』のように、主の再臨の以前に活動を始めている者らへの記述は僅かながら認められます。

そこで、わたしたちはアンデレのように神の意志を探るようなところがなければなりません。
それは自分から神の意志に協働したいという願いの現れでもあります。

聖書を精査することは、自分の努力が的外れになるのを防ぎ、パリサイのようにひとりよがりな労苦をしないために必須です。
そこでは関心がまっすぐに神に向かっており、自分が救われるかどうかを問うものではありません。人生の成功を求めるようなご利益信仰など眼中にも無かったことでしょう。

神が自分に何をしてくれるのかを探るような聖書の読み方では、その主役は神ではなく、自分になってしまうのですが、ほとんどのキリスト教徒は自分の救いや願いを中心に求めます。恰も、それが当然のように教師は人集めをし、利己心に訴えて、キリストの自己犠牲に感化されるのではなく、キリストを自分の救いや願いのための奴隷にしてはいないでしょうか。

アンデレもシモンも自分たちが十二人の「使徒」に選ばれたり、聖霊を注がれてイエスのような奇跡の業を行う「聖徒」になろうとは思ってもいなかったに違いありません。
しかし、彼らの心は神に対して熱心で、同時に自分の処遇がどうなるかに対してはニュートラルだったことでしょう。
それゆえにも神に用いられることになったのでしょう。自分の願望に沿って神を形作るとしたら、その人は何者なのでしょうか。

ゆえに、今日に於いても、それが何であれ、聖書に神の意志を探り、それを一心に求めるなら、行うべきことは自ずと目の前に現れるように思えます。
誰かから与えられたから、従順にそれを行うのではなく、自ら進んで信仰と良心の指し示す神の御旨の方向を見定め、それに努める以外にありません。

受け身に考える、また考えさせるのは宗教組織の悪いところで、そこでは身の程を弁えることが強調され、聖書解釈を施してよいのは教師だけです。
こうして信徒はついてゆくべきものを間違え、神の言葉を自分からは聴かず、「講釈師」のような偉ぶった他の人に任せてしまうのです。
ですが、それを請け負った教師が、果たして追随者の信仰の結末までの責任を持てるものでしょうか。それは本人以外のいったい誰が結果を負うというのでしょう。

そのような他人任せの信仰では、アンデレのような精神は抹殺され、皆が神ではなく教師の従順な奴隷を目指す以外ありません。
これでは、次にキリストの戻られるときにアンデレのような「一介の漁師」などは要らないと言うことにならないでしょうか。

これはイエスの一言ですが
『しかし、人の子が来るとき、果たして地上に信仰を見いだすだろうか。』(Luk18:8)
イエスは公生涯の間に使徒たちや七十人や多くの信仰ある追随者を得ました。
ですが、再臨のイエスがアンデレのような人々を見い出さないか、または非常に少なくて、皆が神を無視し自分勝手なご利益信仰をしていては上のようなイエスの心配の言葉も成就してしまいかねません。それではキリストの臨御も遠のくように思えます。

神の御旨を探るわたしたちも、「漁師の」アンデレのようでありましょう。
それは傍観者のようではけっしてありません。
神の沈黙の時代にあっても、彼らの熱意は燃え、自分の利得を後にして、神の意志を求め積極的に探し続け、敲き続けていたのです。
彼らを動かしたのは、その価値観であり、それが貴重なメシアを見つけ出し、その御傍に仕えさせたのです。
彼らが十二使徒に招かれたということは、彼らの想いを神は用いられたということでしょう。

そしてキリストの再び臨御される時代には、どんな人々が居ることでしょうか?









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