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29.愛について

2019.08.11 (Sun)


愛とは不思議なもので、行いを通して表されるものであるのに、目には見えません。
しかも、その真偽を見分けるのも易しいことではありません。

そして、この見えない愛にキリスト教の本質また結論があります。
愛とは、人が持つ唯一の真実なものであり、神が人に求め、また人に問い掛けるものといえます。

創造の神が、自らの『象り』に人を創られたのであれば、人には自らどう振る舞うかについて倫理的に自由な選択が可能であるでしょう。
それですから、アダムとエヴァにエデンの二本の木の選択を任せ、それによって彼らに愛を求め、また問い掛けたと言えます。
神は全知全能で在られるにも関わらず、彼らを強制されず、その選択に任せました。純粋な愛は監視も強制もない自由の下でのみ働くからで、この処置は理に適うことです。

ヘブライ語で書かれた旧約聖書には「慈愛」(ヘセド)[חסד]という言葉が神の愛の形としてよく出ているのですが、この言葉ヘセドには「忠節」や「不変の」という意味を含んでいます。ですから、アダムとエヴァは忠節な愛を示さなかったと言うべきでしょう。

神は人と「忠節な愛」によって結ばれてこそ共にずっと生きることを創造の意図とされたのでしょう。もう一本のが『永遠の命の木』であったことがそれを示唆しています。
また、神は『忠節な者には忠節に行動される』と書かれています。(詩篇18:26)

他方で、人が愛の行いとされることをただ命令されて従順に行ったとしても、その人が純粋な愛を懐いているかは分かりません。必ずしも「そのような行いをしたからそれは愛だ」と決められないものです。愛とは人の内面にだけ存在するものだからです。
アダムたちが禁断の木から食べなかったからといって、それで神への忠節な愛が証しされたとは言えず、そこに新たな要素である「試み」が登場する理由もあります。
つまり、エデンの蛇、つまり悪魔がアダムたちを誘惑することにより、彼らが忠節な愛を示すか否かは試されましたが、それは人がただ生きたいという願望だけで神と共に生きることが許されるわけではないことを知らせています。

同じ様に、誰かが神に従順に行動したからと神への愛を懐いているとは証明されるものでもありません。あるいは自分の利益を求めて神に従順に行動し、実は賃金の支払いを請求するかように、神に義務を追わせようとの意図が、本人の意識するしないに関わらず働いていないとも限りません。その場合に、根底にある動機は愛とも忠節とも言い難いものです。(ローマ4:4)
エデンの園で蛇が誘惑を仕掛けたように、神への従順を示していると自認する人が試されるとき、さて何が起るでしょうか。

ユダヤ教の宗教家らは、モーセの律法を守ることに於いて、細かな戒めに至るまで注意深くあったのですが、その一方で、遣わされたメシアを処刑に追い込むほどの敵意を見せました。
このような矛盾がなぜ起こったかと言えば、彼らは神に対して従順であるという理由で自分たちは「正しかった」と思い込んだからであり、神の命令を守っているという正しさは、彼らにとって神の是認の証拠であり、ナザレから来たイエスについては、聖書が述べるままにベツレヘムの出身ではないとの判断が先に立ちました。また、律法を守るための神経質なまでの作法にイエスが従わないのを見て、イエスという人物がどれほどの奇跡を行おうとも、悪人と思い定めたのです。(マルコ3:1-6)

彼らは、イエスの奇跡の業によって同朋が癒されることに価値を見出さず喜べず、メシアを『悪霊の頭』によって不思議を行うものと断定しました。彼らの関心は、民の幸いよりは自分の立場の確保に向いていたようです。
そこでイエスは彼らにこう言われたものです。『人にはその犯すすべての罪も、神を汚す言葉も赦される。しかし、聖霊を汚す言葉は赦されることがない。また人の子に対して言い逆らう者は赦されるであろう。しかし、聖霊に対して言い逆らう者は、この世でも来るべき世でも赦されることがない。』(マタイ12:31-32)

イエスが安息日の伝統を守らず、清さに達しない平民たちを蔑む宗教家たちの高慢さを暴露するので、律法を守ることによって自分の『義』に酔ったユダヤ教徒たちはイエスが聖霊を通して行う奇跡を認めるわけにゆきません。自分たちの方が「正しい」のですから。(ヨハネ9:16)

こうして「神への従順」を正しさの根拠とする人々は、愛も憐れみも欠いていることをキリストの現れを通して露わにしてしまいました。(ヨハネ9:29-34)
そこで聖霊の奇跡の業は、彼らの内面を裁きふるい分ける働きを行っていますから、イエスはこのようにも語られました。
『誰も行ったことのないような業を私が彼らの間で行っていなかったら、彼らに罪は無かっただろう。しかし今、彼らはその業を見たうえで、わたしも父をも憎んだのだ』。(ヨハネ15:24)

やがてユダヤの宗教指導者らはイエスを逮捕し、ローマの権力に処刑させてしまい、その罪の深さを表してしましました。
彼らの律法の文言へのこだわりは、聖霊の奇跡によって無意味なものにされたという以外ありません。
『愛を通して働く信仰こそ重要である』という観点が、まさしく彼らに欠けていたというべきでしょう。(ガラテア5:6)

しかし、今日のキリスト教界が、かつてのユダヤ教徒の失敗から学んだかといえば、そうも言えません。
確かに、新約聖書中には幾つかの道徳条項のような言葉もあります。しかし、それらは『新しい契約』という聖霊を注がれた『聖なる者』と呼ばれる人たちに求められる聖さの基準を述べているのであって、その他の人々に要求されているわけではないのです。(ペテロ第一1:15-16)

もし、新約聖書に記された道徳的条件を満たすよう努めるのがキリスト教であるとすれば、キリスト教徒がその道徳規準を守っていると自認するときに、そうしていない他の人々への利己的優越感を防ぐことができません。そこには自分は救うとしても人類を救うための『キリストの契約』の精神がないからです。
そのような人は、福音書にある『多くを赦された者は多くを愛す』という言葉、また『健康な者に医者は要らない』というイエスの慈愛深い発言の価値を味わい知ることはまずできません。(ルカ7:47/マタイ9:12)

人は、どう生きるべきかと自らに問うときに、何らかの規則を求め勝ちではあります。間違いのない人生を送りたいと願うことは自然なことですが、そのためか、多くのキリスト教宗派、修道生活は言うに及ばず、プロテスタントや新興団体においても、道徳律や規則が偏重される傾向が強いのです.
しかし、それは律法への従順を要求したユダヤ教のシステムへの逆戻りというべきでしょう。
パウロが再三指摘したようにキリスト教において重要なのは規則遵守の服従ではなく、自由から来るところの自発的な愛や信仰であることはあまりにも明白です。求められるのは真実な愛でしょう。(ガラテア3:14/5:1)

では、人々はなお神に従順を示そうとするのかと言えば、イエスを退けたユダヤの宗教家らも、今日のキリスト教徒も同じく「自分の正しさを得て救われたい」という欲求からでしょう。もちろん、人は自分が好んで悪者になりたいわけもないでしょうけれども、その気持ちを懐くところで、利己的になる一線を越えてしまうのでしょう。
つまり、自分が正しい、救われるとすることで利己心を許してしまい、そうなると、自分の清さや正しさのために周囲を蔑むという愛に悖ることをし始めてしまいます。その矛盾に気付けなければ、人は自らの内奥の人がどのようなものか、また、何を望んでいるのかを意図せずに露わにすることになるでしょう。それが「神の裁き」というものです。

もとより、創造界に不調和が持ち込まれたのも、優れた天使であった者が利己心を起こし、自分だけを愛して神から離れ、自分を神のように高めたいとの願望を宿したところから始まっています。その者が『悪魔』と成ったのです。(イザヤ14:13/エゼキエル28:14-15)
そこで神がアダムとエヴァに選択を委ねたのも、自ら進んで神への忠節な愛を選ばせるためであったと言えます。ですから『あなたがたは善悪を知る木からとって食べるな』と言われたのも、彼らに死すべきものとなって欲しくなかったからのことで、それは親として生み出した側からの創造者の願いであり、それでも監視も強制もしなかったのは、二人を自らの『象り』として尊重していたからでもあるでしょう。人を尊重することは、神が自らを尊重することでもあるからです。そこで試されたのは従順ではなく、明らかに愛、忠節で変わらぬ愛であったと言えます。

こうしてアダム以来、創造界では利己心と利他心とがせめぎ合っています。(ヨハネ1:5)
もちろん、神は創造界が互いの幸福を願う者らで満たされることを意図していることでしょう。そうでなければ、キリストの犠牲を与えなかったに違いありません。その犠牲は愛の極致であったからです。
そこで一人一人に問われるべきものがあります。
それは、神と人にどう関わって各人は生きてゆこうとするのか?との倫理に関する問いであり、愛によって神と人とに結ばれようとする人は、そこに生きるべき理由を得ることになります。

使徒ヨハネはこう書きます。
『神は愛です。愛に留まる人は神の内に留まり、神もその人の内に留まってくださいます。』
また、『愛には恐れがなく、完全な愛は恐れを締め出します。なぜなら、恐れは罰が伴うもので、恐れる者には愛が全うされないからです。』とも述べます。(ヨハネ第一4:16.18)

誰かが神に対して従順を努める背景に生存のための保身願望があると、創造者を「滅ぼす神」と捉えるので、そのために神の前に正しさを立証したいと願うにしても、それは恐れに基くものであり、上記の句からすれば、愛が全うされているとは言い難いものがあります。

まさに、イエスの当時の宗教家らについてイエスはこのように言われました。
『あなたがたは、聖書の中に永遠の命があると思って調べているが、その聖書は、わたしについて証しをしているのである。しかも、あなたがたは命を得るためにわたしの許に来ようともしない。わたしは人からの誉を受けることはしない。しかし、あなたがたの内に神への愛がないことをわたしは知っている。』(ヨハネ5:39-42)

つまり、宗教家らは自ら永遠の命を得ようとして聖書を調べはしても、目の前にいたメシア=キリストには敬意も関心も示しませんでした。懐いたのは排他性と敵意です。
なぜかと言えば、愛が無い、まさに同朋が奇跡の業に癒されるのを喜ぶでもなく、その業の偉大さに価値を感じることもなく、人も神も愛してはいなかったことを、まさにメシアの現れを通して示してしまっていたのです。

かつてイスラエルの大王としてダヴィデの王座に就く華々しいメシアを望んだユダヤの宗教家に対して、ナザレ村から来られたイエスはまことに質素であり、王となるどころか重罪人と共に極刑を受けるという、彼らには信じられない姿を見せました。
ユダヤ教は今日までパリサイ派であり、イエスがメシアであったなぞ到底認めることができません。

そして、キリストはこの世に再臨されると言われますが、将来の終末に於いてキリスト教界は彼らユダヤ人の轍を踏まないものでしょうか。聖霊を注がれる弟子たち、つまり『聖徒』らが真のキリスト教を再びもたらすとき、今日のキリスト教界は『聖徒』をキリストの業を行い、神を証しする者らとして認めるでしょうか。(ヨハネ14:12)
これは実に重要な問いとなるでしょう。聖霊によって語る彼らを拒むとすれば、その理由は何でしょうか。

今日、既にキリスト教の信仰に在ると自認する人々が真摯に自らの信仰の動機を吟味してみることは、神との関係、また人々との関係の根幹に関わる問いと言えましょう。それは自分という「内奥の人」を省みることです。

また、これまでキリスト教の外に在って、信仰に無いあらゆる人々にとっても、それは同様に重い問いとなるでしょう。
人を生きる、その方法の二本の道がそこに在り、わたしたちの誰もが『二本の木』の選択に相当する試みに面することになります。
それを分けるものは、利己心と利他心、他者とどう関わって生きてゆこうとするのか、つまり『愛』が試されるのであり、これは究極的な倫理問題であり、人はこの世が裁かれる終末にどちらかを選ぶことになるのでしょう。

このように、人々には規則によらず利他的に生きるべき理由が生じています。愛がその人の特質となる必要があります。
自らを省み、自分がどのような者であるのかを熟考し、かつての宗教家らのようにはならぬよう注意を向けることは、現に誰にもできることでしょう。宗教家らは信仰を持ち、敬虔とされながら『赦されることのない罪』に陥っていましたから、これは重い教訓とすべきことです。

パウロは『愛は隣人に悪を行わない』と述べ、「愛」が「罪」の反対に位置することを示します。それは規則を必要としないものです。(ローマ13:10)
したがって、新約聖書の「愛」(アガペー)[αγαπη]とは、自己本位ではなく、やはり利他的なものであるはずです。使徒たちもキリストの教えの中心に『愛』を置き、最重要なものとしてどれほど高く掲げていることでしょうか。

キリストの「愛の掟」は「神と人を愛せよ」という以外に何の拘束も有りません。(ヨハネ13:34-35)
もちろん、キリスト教徒は何をしても良いというわけではなく、むしろそこで「愛の掟」が意味を持つことになります。
つまり、愛するゆえに、キリスト教徒は他の人々を気遣い、自分の行動を自ら抑制しようと努めたいと願うでしょう。(ヤコブ2:14-17)
他者の喜びを自らの喜びとするからです。また、誰かが幸福であっても、誰かが不幸であることを望まないからです。

キリストの「愛の掟」は、そのシンプルさゆえに、無数の条項で成る法律と異なり、様々な場面に適用できるものとなり、その人の内面が問われるものとなるでしょうし、愛は規則や型にはまらないで様々な姿で現れることになるでしょう。
つまり、「愛せ」と命じられているだけなので、それを行おうとする人は、自分の持つ同情心や共感や知恵などを総動員して努めることになり、それはその人を次第に向上させるものともなり得ます。

いずれにしても、人に問われる愛とは、見せるため救われるために示すものではなく、その人の内奥から湧くものであるはずです。信仰の動機は愛にあり、信仰に優る特質であるのです。(コリント第一13:13)
神の創造の意図は愛によってすべてが結ばれることであり、その一致の要となるのが、愛の真正さを地上で見事に体現されたイエス・キリストの愛であり、それによって『完全にされた』この方を仲介者として、すべての者が一つの愛の内に集められることであるのです。(ヘブライ2:10/エフェソス1:10)

そのようにして神の創造が完成され、いつの日か神の意志があまねく地になされることになるでしょう。イエス・キリストは、それを祈り求めるようにと言われているのです。(マタイ6:10)
愛の使徒ヨハネが語りかけるように、それこそが、わたしたちと神とを繋ぐ絆となるのです。





28.キリスト教の歴史

2019.08.06 (Tue)

聖徒に始まったキリスト教の歴史


聖書中の『聖徒』、つまりイエス復活後の五旬節以来、聖霊を注がれた弟子たちが存在していたことは、カトリック教会や東方正教会に残る「聖人」に関する初期伝説として痕跡が残されています。
この人々に関する説話は、13世紀の西欧で物語に脚色され、人々の間で愛読されて大いに広まり、後々まで絵画の題材とされてもいたのですが、その多くは迫害に遭って命を落とし、その過程で奇跡を行ったことが描かれています。
つまり、それらの聖人たちの生きた時代は、ローマ国教化の以前で、権力の保護を得ていない頃のことです。

しかし、これは単なる伝説とは言い切れません。
聖霊を持った『聖徒』の存在については、「教父」と呼ばれた初期のキリスト教の指導者たちの記述にも表れていますし、キリスト教界の初期の三百年の歴史を記したエウセビオスの「教会史」にも様々な記述を見出すことになります。

例えれば、「当時はまだ神の霊による多くの奇跡的な力が彼らを介して働いたので、大勢の人々が、皆初めて(彼らについて)聴いただけでも、その魂に世界の創造者への敬虔な念を抱いたのである。」とエウセビオスは書いています。(教会史Ⅲ37 秦剛平訳ちくま書房

第二世紀のキリスト教徒ヘゲシッポスが「使徒たちの聖なる合唱隊がそれぞれ絶え、神的な知恵を自分の耳で聴くことを許された世代が過ぎ去ると、神を信じない血迷った一団が、単なる教義を教える者たちの瞞着によって根を下ろした。」と述べていることを教会史は今日に伝えています。(教会史Ⅲ32;以下同上)

加えて、第二世紀中葉に現れた不思議を行う異端に関する記述には、「当時はまだ神の賜物によって多くの不思議な業が各地のエクレシアで行われていたので、そのために人々は彼らも預言者であると信じ込んだのである。」ともあります。(教会史Ⅴ3)
このような「偽聖徒」はこの時代に横行し始めていたようで、彼らが本物の聖徒の群れに入るとどうなるかを、聖書外典の著者であるローマのヘルマスがこう書いています。「神の霊に満たされた者らの中に彼が足を踏み入れ、人々が祈り始めると、たちまち彼はからっぽになってしまう。この世の霊は恐怖にとらわれて彼から逃げ去り、この男は黙して一言も発することができなくなってしまう。」(牧者XI,13 荒井献訳 講談社文庫「使徒教父文書」)
これは聖霊と悪霊の違いを言うのでしょう。この著者はまた偽聖徒らが貪欲に人々からの栄誉に預かろうとする醜態も記しています。

やはり、十二使徒の最後まで残り第二世紀の始まる頃に世を去った使徒ヨハネは、偽りの霊を警戒するよう述べています。
『すべての霊を信じることはしないで、それらの霊が神から出たものであるかどうか試しなさい。多くの偽預言者が世に出てきているからです。』(ヨハネ第一4:1)

こうして、使徒時代が終わろうとする頃には、キリスト教徒の集まり「エクレシア」を挟んで、聖霊と悪霊とのせめぎ合いが起りつつあったことを歴史資料は示します。

しかし、第二世紀は聖霊の奇跡が地上から去って行く時期でもありました。
例えれば、この時期にシリアで書かれたとされる外典「イザヤの昇天」の中では、聖霊による「預言者」が当時にほとんど居なくなってしまった事態をイザヤの予告に投影して語っています。(イザヤの殉教と昇天Ⅲ,25-27)

それでも第二世紀のはじめには、自らが「預言者の聖霊」を持っていて、当時は仲間たちによく知られたというシリア出身のクワドラトスという人物が、西暦117年頃には、キリストに癒された人々の内の何人かがまだ生存していたことをその護教論に記しています。

その後も、第二世紀後半を生きた著名な教父であるエイレナイオスは「神を恐れ、御子の到来を信じ、信仰によってその心に神の霊を迎え入れる人々こそ清い人々、神に生きる人々と呼ばれる。人間を浄め、神の命へと導き上げる父の霊を有しているからである。」と述べ、彼の時代には「父の霊」を持つ人がいたことを窺わせます。(異端反駁Ⅴ9:1-3 大貫隆訳 教文館

このような証言は、第四世紀に入っても見られ、史家エウセビオス自身も使徒たちについてこう記します。
「彼らは、自分たちと共に働く神の霊と、自分たちを介して成し遂げられるキリストの奇跡を行う力だけを使って、天の王国の知識を全世界に宣べ伝えた」。(教会史Ⅲ24)
これは使徒パウロの『わたしの言葉もわたしの宣教も、巧みな知恵の言葉によらないで、霊と力との証明によるものだった。』という言葉と合致するものです。(コリント第一2:4)

キリスト教初期のこうした資料は、聖霊というものを清い人々と結びつけて語り、今日の教会員のように自分に聖霊があり「イエスさまが心に住んでいてくださる」というような、有るのか無いのか本人にしか分からないようなものではなかったことを教えています。

しかし、第二世紀が去る頃には、聖霊の奇跡は過去になったことを他ならぬ「教会史」を記した第四世紀のエウセビオスが「当時には・・」と語っているところからも明らかです。
聖霊を注がれなくなった第三世紀以降のキリスト教界には様々な変化が訪れることになります。もちろん、それは良い変化ではなく、『悪霊の教え』というべきもので、パウロが警告していたように、キリスト教界は宗教的支配の圧制が敷かれる中世の暗闇が垂れ込め、西ローマ帝国が消滅した西欧では、ローマ教皇権がかつての帝国の領域各国をまとめた欧州封建制度の頂点に君臨し始め、東方では東ローマ帝国の支配の下に国家権力とキリスト教とが一体化します。こうしてどちらの欧州もかつてのローマの領域でキリスト教を介した政治支配が行われます。(使徒20:29-30)

その後、西欧カトリックと東方正教会は互いに異端宣告して呪詛(アナテマ)し合いますが、そこに強力な共通の敵が現れるに及んで、二つの教会は協力し合うことに同意します。
その強力な敵とはイスラム教のことであり、西欧カトリックは東方教会と東ローマ帝国を助けるべく、あの「十字軍」を招集して11世紀以後長く続く殺戮の時代を招来することになりました。
その間、キリスト教はローマ帝国からの異教や、欧州各地の土着信仰を吸収してゆき、聖霊の有った時代を描く新約聖書とはかけ離れた宗教世界を形作っていました。

しかし、14世紀に入るとイングランドから当時のキリスト教会を嘆く気鋭の宗教家が現れることになります。ジョン・ウィクリフが、自ら聖書を英語に翻訳して民衆に元来のキリスト教を再布教する努力を始めるというキリスト教の回復運動を興したのですが、これが続く西欧キリスト教の新たな潮流を形作ることになるのでした。
人々は聖書の内容に驚愕し、自分たちの教えられて来たことと聖書との余りの違いについて聖職者を責めるほどになったといいます。

この運動は、ボヘミアの王妃がイングランド王家に嫁ぐことにより、チェコにも飛び火し、15世紀に入るプラハからはヤン・フスという神学者がウィクリフの活動に共鳴します。
フスはカトリックから咎められ、異端として火刑に処されてしまうのですが、チェコを中心に「フス教徒」と呼ばれる勢力が残されたため、ローマ・カトリックはこれに手を焼き、諸侯に軍隊を送って鎮圧しようとしましたが、フス派はこれに抵抗して防衛することに成功しました。

それからしばらくの後、16世紀初頭の北ドイツのヴィッテンベルクでは、一人の修道僧が悩みを抱えていました。
どれほど修道を重ねても、自分の中の悪が去らないことを上長に打ち明けたのですが、やはり修道を続けるように命じらるばかりでした。
当時、カトリックの聖書離れは甚だしく、諸侯からの収益ばかりか、民衆からも地獄行きの恐怖を利用して免罪符の販売に節操もありません。しかも、死んだ人々の罪まで免罪符の購入で軽くできるとまで言い放ったところで、そのヴィッテンベルクの修道僧が遂に異論を唱えて、自分の勤める大学のある城教会の門にカトリックへの疑問を95ヶ条に記して張り付けたと伝えられます。その修道僧が誰かは言うまでもなくマルティン・ルターその人で、それは1517年のことでした。

提出された異議は平素からローマ・カトリックに不満を覚えていたドイツの人々と諸侯の賛同を集めるところとなります。
これをカトリックが放っておくはずもなく、彼もフスのように呼び出されて殺害されるところを、ルターの地元のザクセン選帝侯が一年間も自分の城に匿い、教会側にはしらを切ったのでした。
その間、ルターは聖書のドイツ語訳に携わり、印刷技術の革新的進歩に助けられ、翻訳聖書は以後の宗教改革の基礎となります。

ルターの運動はライン川を越えてフランス側に波及し、ストラスブールには改革運動の拠点ができ、そこにはジャン・カルヴァンも参集していました。
さらにストラスブールの運動はライン川を遡ってスイスにも達し、その地では都市毎にそれぞれのキリスト教派が興り、特にジュネーヴはカルヴァンを受入れカルヴァン派つまり「改革派」の拠点となり、都市による神権政治が施行されるに至ります。

この「改革派」はやがてイギリスに渡り、ウィクリフ以来の運動が戻って来たかのようになりますが、その以前にイギリスでは王ヘンリーⅧ世の離婚問題という、おおよそ宗教と関わりのないような事で、国家としてカトリックを離れる誘因が働いていました。

結果として、イングランドはカトリックを離れ、古くにキリスト教が伝わった地を中心に据え、「英国国教会」を興し、カンタベリー大司教を王が任命して王自らが首長となります。これが「聖公会」の由来です。その後はカトリックの勢力の削減に努め、修道会は解散させられ建物の多くが廃墟と化しました。
その一方で、英訳聖書が各教会堂に置かれるようになり、人々は説教の最中ですら声を上げて聖書を読んでいたといいます。

しかし、正しさを巡って一度分裂を始めたプロテスタントは、次々に分裂を繰り返すことになります。
その原因は「正しさ」の追求にあったと言えましょう。何が正しい教理かを追求してゆくと、それぞれのキリスト教理解の違いが正しさの根拠になってしまうので、聖霊の無い中で正しさを求めるとなれば意見の相違だけ無数の宗派が始まることになります。
実際、カトリックを離れた新教派は、多種多様な教えによって無数に分派してゆきました。現在は二千ほども宗派があると言われます。

この時期からか、純粋なキリスト教生活を送ることを求めて、外界との接触を最小限に留める小さな宗派がいくつも現れています。
今日のアーミッシュ、クエーカーやシェーカー、メノナイトなどがよく知られていて、今日でも19世紀のような質素な自給的生活を新大陸で続けています。

17世紀後半のイングランドからは、カトリック色を残した国教会に不満を持ち、自らを「清教徒」と呼ぶ派が現れていますが、彼らはやがて権力まで持つようになり、その指導者クロムウェルは遂に一時的にイングランドの王政を排して、宗教と政治の首長となります。これは「名誉革命」とも呼ばれていますが、この清教徒の革命はクロムウェルと共に終わることになります。

その以前から、キリスト教の純粋さを求めた一部の清教徒らは、謹厳な理想のキリスト教の実践のために新大陸に新たな活路を見出そうと、北米のボストン近郊、マサチューセッツに植民を始めます。その第一波が1620年のメイフラワー号であったのですが、インディアンの寛容な協力を得て生き延び、今日の新教白人(WASP)によるアメリカ合衆国の礎となり、彼らは「ピルグリム・ファーザーズ」と呼ばれています。

一方、宗教改革に対してカトリックも何もしなかったわけではなく、イタリアの山地トレントで自分たちの改革を進める会議を持ち、また、大航海時代に発見された国々への宣教に励むことになりました。
そうしてアジアの東の端にある島国にまでキリスト教が達することになります。
即ち、イエズス会のフランシスコ・ザビエルによる日本宣教であり、宗教改革から32年後の1549年夏に九州鹿児島に到達したカトリックは、鎖国までの間に宣教しつつ戦国時代の日本を観察することになるのでした。日本からも大名の何人かがローマ教皇に使節を送ってもいます。

また16世紀以降、東方正教会でも広がりが見られましたが、このような伝説が伝えられています。
それは、ロシアの皇帝が国教を定めるのに、イスラムも含めて様々な宗派を調べさせた結果、正教会の美しい荘重さが相応しいということになり、国としてロシア正教を定めたというものです。

ロシアでは東方正教会とカトリック、またイスラムの勢力がぶつかる場でもありましたし、現在もその傾向を宿します。そこで、この伝説はロシアとしての宗教の選択の理由を唱えるためのものでもあったのでしょう。
ロシア正教会が旧東ローマ圏のコンスタンティノープル府主教から正式に認可された後、ロシアの東方遠征によって正教会も広げられ、その一部は19世紀後半の明治直前の1861年に北海道函館にまで到達し、その後に東京神田のニコライ堂の落成に至っています。

その後のロシア正教会は、20世紀のソビエトによる徹底した反宗教政策と無神論教育にも絶えることなく、今日でも東方教会最大の派を構成しています。ほかに東方正教会はイスラム圏にも幾らかの信者を有して、アジア大陸からアフリカにかけても広く浸透していると言えます。

さて、こうしてキリスト教の歴史を俯瞰してみると、次のキリストの言葉にこれらの要約を見るかのようです。
『「天の王国は、一粒のからし種のようなものである。ある人がそれをとって畑にまくと、それはどんな種よりも小さいが、成長すると、野菜の中でいちばん大きくなり、空の鳥がきて、その枝に宿るほどの木になる」。またほかの譬を彼らに語られた、「天の王国は、パン種のようなものである。女がそれを取って三斗の粉の中に混ぜると、全体が膨らんでくる」。』(マタイ13:31-33)

聖霊を失ったキリスト教は大きく成長し、今日では信者総数20億を超える世界最大の宗教となっています。
その拡大に伴い、キリスト教という名の下に、様々な異物を取り込みましたが、それは大衆の異教傾向に加え、政治や商業との結びつきがあってのことです。

しかし、それでも「キリスト教」と称する宗教のこれほどまでの伸張にも、キリストの例えの言葉にあるように、何らかの神の意図が有ってのことで、キリスト教とは、ただ信者が増えてゆけばそれで良いということではないのでしょう。

聖書の全体は「終末」という、再び聖霊の降る時期の来ることを説くものであり、それがいったいどのような結末をもたらすものか、そこに神の遠謀深慮を予期するべきなのかも知れません。








27.聖書と聖霊

2019.08.03 (Sat)


キリスト教と言っても、多種多様な宗派があります。
古くからローマ・カトリックまた東方正教会があり、、カトリックから分かれたプロテスタントはルター派とカルヴァンの改革派をはじめとして更に許多のグループに分かれています。それに新たに起こされた独立的な宗派も加えて、二千近くが確認されているそうです。そのほとんどが聖書を経典としているのですが、実は、初期のキリスト教徒が新約聖書をはじめから持っていたわけではありません。彼らにとって教理を教えていたのは「書かれたもの」ではなく、現に「語られている」キリスト伝承と仲間たちの聖霊の発言でありましたから、パウロが『今は神の多様な知恵がエクレシアを通して知らされる』と述べたのも、当時の集まりの様子を今日に伝えるものです。(エフェソス3:10)

さて、キリスト教のはじまりは、イスラエルの一神教を基礎とし、キリストもその神に崇拝を捧げるユダヤ人であり、十二使徒をはじめとする初期の弟子らの多くも同じく割礼を受けたユダヤ教徒であったのですが、イエスが天に去った後、キリストの御傍に仕えた弟子たちは、この後もエルサレムに留まり、一か所で集まりを習慣にしていたところ、ユダヤ教の七週(ペンテコステ)の祭りの日を迎えると、突然の轟音と共に聖霊を注がれるに至ります。(使徒2:1-)

その日から、弟子らは習ったことのない言語で話す(異言)などの奇跡の賜物が聖霊と共に与えられ始めたのでした。
特に使徒筆頭のペテロの賜物はイエスの癒しを思わせるほどに強く、人々は彼の通る道に病人たちを並べ、その影がかかるだけでも癒されたと、自らが医師であったルカが使徒言行録に記しています。(使徒5:15-16)
癒しの点では、使徒パウロの行った奇跡の業もルカは自ら目撃しており『異例なほど』のもので、彼の身に着けたものでさえ人を癒したと書いています。(使徒19:11-12)

その後には、ユダヤ教徒ではない異邦諸国民にまで聖霊が注がれるようになり、キリストの奇跡の業を行う人々の群れに加わってきましたが、それらの血統上はイスラエルでない人々が『接木された』とパウロは述べています。つまり、地のすべての種族の祝福の基となるという、アブラハムの子孫への神の約束を本当に受ける人々は血統だけによらず、キリストへの信仰によって選ばれたユダヤ人に加え、諸国民によっても構成される選民『神のイスラエル』となって、初めて地上に現れたことを聖書は説明しています。(ペテロ第一1:2/3:6)

つまり、キリストから始まった宣教活動は、単に信者を得ることを目的としていたわけではないのです。
そこには、遥かな過去にアブラハムに約束された、彼の子孫『アブラハムの裔』、人類から『罪』を除くための『祭司の王国、聖なる民』、「真実のイスラエルの者らを呼び出す」という極めて重要な目的があったのです。(ペテロ第一2:9/出埃19:5-6)

彼らが『聖なる者たち』(ハギオイ)と呼ばれたことにも、聖霊を注がれ奇跡の業を行ったという理由があってのことで、ただキリストを信じて水のバプテスマを受けたということではありません。
また、これは大半のキリスト教の宗派で認めたくもないことなのでしょうけれども、新約聖書の記録からすれば、明らかに彼らは聖霊を注がれて超自然の業を行っていました。『わたしを信じる者は、わたしが行う業を行い、また、もっと大きな業を行うようになる。』とキリストが予告したようにです。(ヨハネ14:12)

例えれば、ギリシアの港町コリントスには多くのギリシア人の弟子らがいましたが、パウロは彼らが賜物に欠けることなく様々な能力を得ていることを誉めています。
彼らの集まりでは、今日ではどんな教会でも見られないほどの奇跡の業によって、彼らの『聖なる者』としての立場を証されていた様がパウロの手紙に窺えます。(コリント第一1:4-7/14:22-25)

加えてイエスは、聖霊が弟子たちを『真理の全体に導く』と予告していましたが、ユダヤ教を遥かに超えるキリスト教の理解は聖霊を通して初期の弟子たちに直に知らされていました。ですから、使徒ペテロも『それらのことは、天から遣わされた聖霊に導かれて福音をあなたがたに告げ知らせた人たちが、今、あなたがたに告げ知らせており、天使たちさえそれを覗き見みたいと願っている』と当時のキリスト教徒に述べています。(ペテロ第一1:12)
実際、イエスの生涯はユダヤ教徒としてのものでありましたが、キリストとして律法を成就させて後の、新たな「キリスト教」と呼ばれる革新的教えが始まるのは使徒時代以後のことであったのです。(ガラテア4:4/)

キリストが地上を去って初期の弟子たちに聖霊が働くなか、第二世紀の聖霊持つ小アジアの著名な弟子(パピアス)が、マルコ福音書など書かれたものを余り評価していないことを述べた記録さえ残っています。彼らには、現に神からの音信が聖霊を通して伝えられていたのであれば、そのように書かれたものについての高くもない認識も理解できることでしょう。
書かれたものが必須となったのは、聖霊が引き上げられて霊感が地上から去った後のことであり、残されたキリスト教徒にとって、新約聖書がこの上なく貴重な経典の立場を得ているのも、まさに聖霊の無い現実を物語っていると言えるでしょう。

初期の弟子たちに奇跡の業を行わせた聖霊が、彼らが特別に選ばれた人々であることを証していたことを聖書は次のように指摘しています。
『あなたがたもまた、キリストにあって真理の言葉、即ち、あなたがたが救いをもたらす福音を聞き、また、彼を信じた結果、約束された聖霊の証印を押されたのである。
この聖霊は、わたしたちが神の国を受継ぐことの保証(手形)である』(エフェソス1:13-14)
ですから、この奇跡を与える聖霊は、信仰に無い他の人々にもそれと分かるように『顕現』するものであり、今日の教会の信者が言うような本人にだけ分かるようなものではなかったのです。(コリント第一12:7)

確かに、イエス・キリストが磔刑に処される前の晩に十二使徒と食事を共にし、彼らには別の助け手として『聖霊』が与えられることを知らせています。(ヨハネ14:16・26)
また、キリストが復活した後にも、彼らが聖霊を受けることがその意志であることを語られてもいます。(ヨハネ20:22)
キリストは公生涯を通して律法を尽く成就し、完全な義に到達されました。次いでイエスは自ら選び出した人々にその『義』を契約によって与えます。(ヘブライ2:10-11)

イエスは『誰でも新しく生れなければ、神の王国を見ることはできない』と教えられましたが、この「新しい誕生」とは聖霊の注ぎを受け、アダムの命に生きるのを止め、復活したキリストの命に在って生きること、つまり、アブラハムからの相続財産である『神の王国』の一員として招かれ真実のイスラエルに含まれることを言うのです。(ヨハネ3:3/ペテロ第一1:3-4)
これがつまり『新しい契約』の本来の意義であり、かつて旧約聖書のエレミヤが預言した、律法契約に代るところの「その掟が文字ではなく心に記される」人々の到来を指していました。(エレミヤ31:31-33)

彼らは、キリストの犠牲の価値を人類全体に先立って適用されるために、アダムからの『罪』を赦免される状態に入ったと見做されます。そうでなければ、彼らが『新しく生まれて』キリストの命に生きているとは言えません。
ですから、使徒パウロも『今や、キリスト・イエスに結ばれている者は、罪に定められることはない』と述べます。(ローマ8:1)
また、『すべて神の霊に導かれている者は、神の子である』とも言うように、彼らは『罪』から仮赦免を受けたので、キリストと共に『神の子』の立場に入ったことが知らされています。(ローマ8:14)

彼らが『キリストと共同の相続人』であり、キリストの『兄弟たち』であるとされるのは、そのように『神の子』としての立場に入ったことを指しています。
しかし、それが『契約』に立脚している以上、彼ら『聖なる者たち』には契約を守るべき務めがあり、元からはアダムの子孫である彼らに与えられた赦免といっても、やはり未だ他の人々と変わらない以上、契約無くしては存在し得ない立場です。

ですから、イエスは神の王国について『狭い戸口から入るように努めなさい。確かに言うが、入ろうとしても入れない人が多いのだ』と言われたのも、聖霊を注がれても契約を全うしない者が出てしまうことの警告でありました。(ルカ13:24)

その裁きは、終末にキリストがこの世に臨在するときに行われることになります。
『この世』のありさまが『神の王国』によって大変革を遂げる以前に、その王国を構成する『聖なる者たち』は『キリストの許に集められる』必要があります。彼らが『キリストと共なる王』とされるからです。(テサロニケ第二2:1/テモテ第二2:11)
しかし、この世の為政者らがキリストを信じて自分たちの支配を譲るでしょうか? それはまず考えられそうにありません。

そこでイエスは弟子たちが『王や高官の前に引き出される』という、緊急事態に至ることに注意をむけて預言していたのです。(マタイ10:17-20)
しかし、聖霊が彼らを助けるとも言われます。
『人々があなたがたを連れて行って引きわたす時には、何を言おうかと前もって心配するな。その場合、自分に示されることを語るがよい。語るのはあなたがた自身ではなくて聖霊なのだ。』(マルコ13:11)
このように、終末の時期には、再び聖霊が注がれることはイエスの言葉にも明らかと言えます。

それでも『新しい契約』から脱落してしまう者が出ることは避けられないようで、『聖霊』という財産を預かっても、何ら運用もせずキリストの帰還の際に『怖くなった』と言って、主人に退けられる奉公人の例えである「タラント」や「ミナ」のキリストによる挿話は、その脱落する聖徒を指して訓戒するものとなっています。(マタイ25:14-30/ルカ19:12-27)

また、イエスの終末預言の中では『ひとりは取り去られ、ひとりは取り残される』との言葉によって、キリストの許に召されるか否かの分かれ目が警告されてもいます。
つまり、契約を全うする者は、天に召されて『神の王国』をキリストと共に構成する栄誉を受けますが、『残される』とは契約を守らずに、『神の王国』から除外され、『この世』と運命を共にすることを意味します。(ルカ17:33-37)

この契約を守った『聖なる者たち』の天への召しを、「選ばれたクリスチャンだけが天に召される」と誤解され、プロテスタント系の人々に「携挙」(けいきょ)と呼ばれて、突然にそれが起るものと信じ込まれ、「それは今年中に起る」とか「来年だ」とか例年のように言われています。ですが、以上のようにこれは『聖霊』を注がれる『聖徒』と『新しい契約』の関係、また『神の王国』を理解しない短絡的な発想というべきでしょう。

こうしてキリスト教の原初の姿を見回すと、今日の「教会のキリスト教」との間に大きな違いがあることは余りにも明きらかです。
特に、人類の祝福となるべき『アブラハムの裔』、つまり『聖なる者』の理解を持たないところに、大きな分かれ目があります。
つまり、キリスト教とは、人類を救うという大志を持つことを意味するのですが、教会の教えではただ信者を救う宗教に変えられてしまっているのです。
これは小さな違いとは言えません。『アブラハムの裔』によって人類が祝福を受けるようにされた神の意志に対して、教会の教えでは、その祝福が教会員に占有されてしまうのです。救われるのは洗礼を受けた信者だと教えるからです。

その精神はどんなものかを考えるとすぐに気付くことですが、本来人々に広く益をもたらし利他的であったものが、信じた者だけの狭く利己的なものに置き換えられています。
まさしく、教会員の多くは、未信者は地獄に行くと本気で信じ込んでいるのですが、これは神の寛容な精神とは真逆です。

預言が指し示すように、神はこの世の終末に於いて、聖徒たちを通して世界に奇跡の言葉を知らせ、どんな思想信条を持つ人であろうと、聖霊への信仰を持てるように導くのであれば、それは神の寛容さの表れと言えます。その裁くところは聖霊の奇跡を見ながらも頑なであることを敢えて示す者らだけを神の祝福から除外するのであり、『神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるため』であったとは、このように寛い赦しを与えようとの意図を教えるものです。(ヨハネ3:16)

しかし、聖霊の注ぎが第二世紀ころに一度終わりを迎え、キリストの不在(アプーシア)が始まると、キリスト教界は『聖徒』がどのような者であるのかを見失い、信者の誰もが聖書に書かれた『聖なる者』だけの恩寵を受けられるものと勘違いを始めます。『聖霊』や『契約』がどんなものかを理解しないで聖書を読むとそうなることは容易に想像がつきます。

例えれば、ペテロが『契約の子孫』であるユダヤ人に『バプテスマを受けなさい、そうすれば聖霊を受けます』と語った言葉を、「クリスチャン」は洗礼を受けると誰でも聖霊を受けることができ、心にキリストを迎えることができるようになって、それが『神の王国はあなたがたのただ中にある』との意味であるともされています。つまり、『神の国』が自分の中にあるというのです。

しかしこれは、イスラエルの民にこそ王国を継承するべき権利があること、当時、正統なダヴィデの王権を持つメシアがそこに居たことに注意を向けた言葉であったのです。このように「クリスチャン」とは、聖書の言葉を当時の背景の中では捉えず、今、現に自分に語られたものと読んでしまい勝ちな人々なのでしょう。

また、自分中心に聖書を読む「クリスチャン」は、『神の王国』についての最初の予告がエデンの園で『女の裔』として語られたことについてパウロが語った、『世の基礎の置かれる前に、神はわたしたちを愛して、御前で聖なる者、汚れのない者にしようと、キリストにおいて選らばれた』との言葉を、自分が信者になったのも世の始めから神に選ばれていたので、自分の救いは「生得的」で生まれる前の遠い昔から決まっていたことだとも言うのです。

しかし、その精神の狭さはキリストに激しく反対したパリサイ派のユダヤ教徒のようだと言うべきでしょう。「パリサイ」とは清く「取分けられた」という意味があり、アブラハムの子孫に生まれた自分たちは、生まれながら神に是認されていると信じ込んで諸国民を蔑視していたのです。(エフェソス1:4/ルカ18:9-14)

パリサイ派は旧約聖書に精通し、モーセの律法を細心の注意を払って守ろうとしていたので、それが彼らの自負する『義』であったのですが、しかし、元はパリサイ派であった使徒パウロはこれについて『義の律法を追い求めていたイスラエルは、その律法に達しなかった』と認めます。(ローマ9:31)
これはキリスト教界にとっても重い教訓とすべきことなのですが、実際に、聖書は信じる者に道徳的な生活をさせるための書であるとの教えは様々な教会に広く見られ、神に喜ばれる生活を送る方法が聖書によって知らされていると信じられています。
しかし、これはキリスト教が律法遵守のユダヤ教に退行することであり、イエスに反対した人々の道に意図せず入っていることになってしまいます。

確かに、新約聖書にも道徳規準がいくつか書かれてもいるのですが、これは『聖なる者』が契約を全うするために自らを『聖』とするための務めであって、聖霊もない誰かがこれらの規準に従ったからといっても、特に神の是認があるわけもありません。(ヘブライ2:11)
むしろ、新約聖書は『信仰による救い』を唱えます。それは人間が自分の『罪』を悔い、一重にキリストの犠牲の贖いに希望を託すことであって、「自分の義」を立てて、それを神に認めさせようとする態度とは正反対なのです。(ガラテア2:16)

そこで学ぶべきは、実に「聖書への見方」なのです。
パリサイ派が聖書に対して神経質なほどに従順であろうとしたように、キリスト教徒の間でも聖書への偏った依存心が見られます。
なぜ、依存するかといえば、今日は聖霊がなく、神からの音信はただ聖書に収められているからなのですが、同時に、それらの言葉が自分を救ってくれる確約であると思い込むところで、聖書にすがりつき、その中の自分にとって有難いと思える言葉を探し出しては喜んでいるのであり、それは一種の偶像崇拝のようで、よく見られる宗派のシンボルに十字架と共に、開いた聖書があるのは、その傾向を助長し兼ねないのではないかとも見えます。

そうした傾向の根源は何かと問えば、「自分への関心」というべきではないのでしょうか。
つまり、神の意志はともあれ、自分が救われることを第一にする場合、何かを偶像化してすがる傾向を強めることでしょう。それが自分の救いの具体的な証拠や約束だと思い込むからです。もちろん、偶像化の対象としては、ほかにも様々な表象が挙げられます。十字架ばかりでなく聖画や聖遺物などはもちろんですが、聖書もそこに加わり兼ねないものです。

これに類いするものに、聖書の「逐語霊感説」というものがあります。
これは、聖書の言葉の一字一句が神の霊感の下に書かれたという考えで、聖書の言葉は絶対に間違いがないとするものです。
もちろん、神が預言の言葉を預言者に語ったものは間違いはないでしょう。
しかし、それが一度書き記されたところからは、どのような経過があったかを確認する術は現代人にはありません。ただ、古来の写本の比較検討によって信憑性の程度を判断できるくらいです。

ユダヤ教と異なり、専門の写字生を持たなかったキリスト教界の新約聖書では、写本同士の差異はずっと大きいものですが、それでも古写本の綿密な照合による多数決の原則から、ある程度に信頼できそうな本文(ほんもん)をいくつか作成することはできています。例えればネストレ・アーラントの新約聖書ギリシア語本文がありますが、版を重ねる毎に幾らかの改訂も続けられています。
それでも、マルコやルカなどの文章には、歴史資料との相違点が僅かながら残されていて、おそらくは原著者の勘違いがそのまま書かれたであろうとも言われますが、思い違いの記述はマタイにもあります。(マルコ6:14-/ルカ2:2/使徒5:36-/マタイ27:9)
また、後代に付け加えられた挿話があるともされますが、その部分の前後の内容からするとかなり怪しいのですが、却って人々からは、その内容で好評を博しています。(ヨハネ7:53-8:11

また、旧約聖書でも問題がないとは言えません。新約ほどに異なる写本に然程は悩まされないにしても、古来ヘブライ語には母音字が無いために、発音が分からなくなっている単語が散見され、僅かとはいえ、その読み方によっては意味が違ってくるところもあります。加えて、言葉が余りに古くなってしまい、それが具体的に何を指しているのかが現代のユダヤ人にも分からないという単語も無くはありません。ですから、旧約聖書が翻訳されるとき、推測で補われる箇所もあちこちにあるのです。また、写本作成の専門家『書士』らも、僅かながら良いつもりで言葉を置き換えた形跡もあるとされます。しかも、その以前に、モーセの五書からして後代に編纂し直され、今日のかたちをとっていることはその記述そのものに明白です。(創世記22:14/申命記34:6)

こうした実態を考慮すると、読書は聖書の逐語霊感説のように聖書を絶対化して崇めるのではなく、バランスのとれた観方を要します。
むしろ、聖書に向かうべき姿勢は、奴隷であるかのように硬直的な従順を示そうとするのではなく、語り部の言葉に耳を傾け、行間で言わんとしているその精神を自ら悟ろうと努めることと言えるでしょう。一方で聖書の言葉に対して信者が奴隷のようになりたいと思う動機と言えば、ご利益という酬いを確定したい欲求が働くからではないのでしょうか。(ローマ4:4-5)

まして、イエスが多くの例えを用いて語り、その意味を誰にでも区別なく教えたのではなかったのであれば、それらの例えに決まったように『耳ある者は聴け』と最後に付け加えられた一言に、聖書をどう読むかが示されていたのでしょう。つまり、言葉の表層を絶対視するのではなく、自ら判断しつつ言葉に込められた意味を追ってゆくべきことです。つまり聖書を読むときには読者自身がどのような動機を持つ者であるかが問われているということです。

語られた言葉を理解するためには、聖書だけ読んでいればよいわけではなく、文章を読解する習慣も求められ、いくらかの素養もないと言葉の真相を察知するには困難がつきまとうでしょう。むしろ「聖書だけを読んできた人」というのは「偏った人」と同義語にならないものでしょうか。
また他方では、「聖書を勝手に解釈しては危険なので、専門家である宗教家に判断することを任せるべきだ」という諸教会でよくある考え方は、自ら抱くべき信仰を捨て、奴隷化することが正しいと言うに等しいことで、それが「地獄」の恐怖に脅える中世的な宗教隷属を生んだ根源でしょう。その「危険」というのは、「救われたい」保身の態度で聖書を読むべきだと言っているのです。

そのように聖書を絶対視する動機といえば、自分の利益の確約、つまり聖書を至福への権利証書のように見立てることもあるのでしょう。
かつて、カトリックが聖書の記述に余りに無頓着で、教理が異教的に堕落し幼稚化してしまったことを告発し、打破するために、プロテスタントが聖書主義を打ち出したことは、当時の強大なカトリックに抗してキリスト教会の改革するには必要であったでしょう。

ですが、正統の権威として聖書主義を打ち出したことは、もう一方の極端への傾斜の危険を孕んでもいたのです。
それは「聖書に従えば神を喜ばせ、また正しい崇拝者になれる」という、あらぬ方向に進む危うさでありました。
しかも、聖霊や聖徒の理解は既に失われて久しい状況で、当時の改革者にも絶対の正しさというものなど聖霊の無い以上は願っても与えられるものではありません。
『神の義』は追い求めることはできても、聖霊の注ぎを待つことなく、自ら『義』を獲得することなどあり得ないことだからです。

結果として聖書主義は、神を聖書の中に押し込めてしまい、「必要な事はすべてこの本の中にある」との仮定を信じるよう多くの人々を導きました。
ですが、これは聖霊という神の奇跡の働く場を自ら奪ってしまう信仰であったのです。どうして「神は語り終えた」などと人が断言できるものでしょうか。

聖霊なきキリスト教界は、聖霊というものの意味さえ見失ってしまい、おしなべてこの状況に在る限り、儀式に凝るにしても、聖書の記述に厳密に従うにしても、自ら正しく崇拝を捧げられないばかりか、第一に必要な聖霊を求めることもなく、却ってそれが現れるときには反対し兼ねないほどの「信仰」を人々に勧めていることになっているのです。

そこで結論は、聖書とは神の言葉を記録したものであっても、神の言葉そのものではないというべきことです。
それでも、聖霊の無い今日であればこそ、聖書はこの上なく貴重な一書です。かつて存在した聖霊ある純正なキリスト教の姿を伝え、人間を遥かに超える情報の唯一の源となっているからです。

しかし、それがすべてではなく、人が注意を傾けるべきは本ではなく神の方であり、その次なる言葉は聖霊によるのであり、聖書に書かれた言葉の表層に拘っていれば、キリストが現れたときのパリサイ派の轍を踏むことになるでしょう。

こうして見ると、人間とは「自分の義を立てる」傾向が強いことは否定できません。ユダヤ教徒もキリスト教徒も同じ性向を示しがちであり、その動機と言えば「保身」、または「ご利益」であり、その関心は神ではなく自分に向いているところにあるのではないでしょうか。

人は神を前にして、あまりに自分の存在の危うさ、また儚さを何とかして欲しいと強く願い、神の語るところをじっくりとは聴けないのでしょう。
ですが、神が人の願う以上の祝福を備えようとしているのであれば、これはすべてを台無しにしてしまうことです。






26.イエス・キリストとは何者か

2019.07.31 (Wed)


それにしても余りに知られた名で、聖書ばかりかユダヤ教のタルムードに不思議を行った人物として記されているだけでなく、イスラムのクルアーンにも「預言者イーサー」の名で登場してもいますから、それぞれの宗教から歴史上のイエスという人物の存在そのものを疑うには無理があります。

しかしその一方で、当時の歴史書でキリストという人物について語るものは多くありません。というよりキリストの現れた第一世紀について述べた非宗教的資料では、スエトニウスや小プリニウスの記録がキリスト教徒には言及しているものの、キリスト本人に焦点を当てた記述となると、これまで見つかっているものと言えば、ローマ帝国の元老院議員で第一世紀当時の歴史を記したタキトゥスの「年代記」(AD117年)と、やはり第一世紀を生きたユダヤ人歴史家ヨセフスくらいです。

「年代記」の中では、西暦64年に起ったローマ大火に関連して、補足的に「クレストゥス」との人物が一度出て来ます。
その大火災を眺めつつも、竪琴を手に「トロイア炎上」の詩を詠唱していたとされた当時の皇帝ネロは、無秩序に入り組んだ帝都ローマを作り直すために自ら火を放ったとも噂され、それが市民の間に広まることを恐れて、社会に馴染まない風情のあるキリスト教徒をスケープゴートに仕立て、放火の罪を彼らに擦り付けたという場面でその名が現れます。

「噂をもみ消すために、ネロは身代わりに罪を負わせ、最大限に工夫をこらした残酷さをもって彼らの処刑に当たった。その習慣ゆえに人々に嫌われていた、クレスティアーニと呼ばれる人々である。・・この呼び名の起りとなっているクレストゥスという人物は、ティベリウスの治世中に我らの総督ポンティウス・ピラトゥスによって極刑に処せられた。」(「年代記」15:44)

この内容からすると、キリスト教徒はローマ市民一般に好かれてはいないようです。だからこそ、市民のキリスト教徒憎さからネロ帝の嫌疑を逸らせる候補に挙がり得たわけです。
この宗教が三百年後に帝国の国教に制定されるなどと誰が想像できたことでしょう。

ともあれ、パレスチナの中でだけ活動したイエス・キリストの影響は、同じ世紀の内にローマで一定の信者を持っていた客観的証拠がここにあります。
つまり、中東パレスチナも田舎のナザレ村の出であるユダヤ人エシュア、つまりイエスという人物の現れが世界に徒ならぬ影響を残したことはここにも明らかと言えます。

また、キリスト当時のユダヤ人であるヨセフスは、キリスト教徒ではなかったのですが、畏敬を込めて歴史書にこう記しています。
『さてそのころ、イエススという賢人-実際に、彼を人と呼ぶことが許されるならば-が現れた。彼は奇跡を行う者であり、また、喜んで真理を受け入れる人たちの教師でもあった。そして、多くのユダヤ人と少なからざるギリシア人とを帰依させた。彼こそはクリストスだったのである。』(ユダヤ古代史18:3 秦剛平訳ちくま学芸文庫) 

キリスト・イエスの影響がユダヤから世界へと広がる基礎を築いたのは、ペテロやパウロ、ヨハネといった使徒たちであり、その他にルカ、マルコ、バルナバというギリシア語を話す初期の弟子たちも多大な貢献をしていました。彼らにとってイエスという人物の現れは徒事ではなかったのであり、その身を挺してでも世界に知らせるべき非常に強い動機を持っていたのです。

使徒ペテロは奇跡の人イエスの現れの情報についてローマ人に、つまり、ユダヤ教に関心を持ち、使徒らのイエスの音信にも敬意を払う異国の人たちに向かって次のように語っています。

『(バプテストの)ヨハネがバプテスマを説いた後のこと、ガリラヤから始まってユダヤ全土に広まった噂については、あなたがたの知る通りです。
神はナザレのイエスに聖霊と力とを注がれました。このイエスに神が共におられて善を施しながら、また悪魔に虐げられていた人々のすべてを癒しつつ全土を巡回されました。
わたしたちは、イエスがこうしてユダヤ人の地やエルサレムでなさったすべてのことの証人です。

人々はこのイエスを木に架けて殺したのです。しかし神はイエスを三日目に生き返らせ、全部の人々にではなかったものの、わたしたちを証人として予め選ばれた者たちに現れるようにして下さいました。わたしたちはイエスが死人の中から復活された後、共に飲食までしたのです。

それから、イエスご自身が生者と死者との審判者として神に定められた方であることを、人々に宣べ伝え、また証しをするようにと、神はわたしたちにお命じになったのです。
(旧約の)預言者たちもみな、イエスを信じる者はすべてがその名によって罪の赦しが受けられると証しをしています」。』(使徒10:37-43)

この説明には当時の使徒や弟子たちの伝えようとした音信、つまりイエスによる「福音」の要点が凝縮されています。

また、西暦59年頃、ローマからユダヤに派遣された総督のフェストスという人物は、ユダヤ教徒から悪人として告発され、前任者の時から総督府に軟禁されていたキリストの使徒パウロについてこう語っています。

『彼(パウロ)の告発者たちは立ち上がり訴えましたが、わたし(総督)が予想していたような罪状は何一つ彼について指摘できませんでした。パウロと言い争っている問題は、彼ら自身の宗教に関することで、パウロは死んだイエスとかいう者が生きていると言うのです。』(使徒25:18-19)

こうして使徒や弟子らは、イエスという人物が復活したと主張することが彼らの論点であり、その証しであったこと、つまり当時に常識を超えた徒ならぬ事が起っていたことを察知させるものとなっているのです。

実は、この出来事の噂がキリストの当時の皇帝ティベリウスの許にも届いていたという記録があります。(教会史2:2)
イエスの磔刑はティベリウスの生涯をあと四年残す頃の西暦33年であったと思われますが、このネロの三代前の皇帝ティベリウスは晩年には占いに熱心であったことで知られ、ローマ人の中でも特に宗教的な人物となっていました。(「ユダヤ古代史18:6」)

この皇帝は帝国の各地で起こった事柄を詳しく報告させていましたので、ユダヤの総督ポンティウス・ピラトゥスも習慣に従ってユダヤで起こったキリストに関する出来事を通知したところ、既に皇帝はイエスによる不思議な業の数々や、その人物が復活したということで多くの人々が神として崇めているとの情報を得ていたというのです。(テルトゥリアヌス「護教論」21)

ティベリウス帝は、ユダヤで起こった奇跡について古代人らしい神への畏敬を感じたらしく、何らかの記念をするよう元老院議会に諮問したようなのですが、議会側は「前例がない」との理由で差し戻していたとされます。
しかし、皇帝の許にまで届いたナザレのイエスの影響は、やがてローマにも信者の群れとなってやってくることになります。

それにしてもパレスチナの田舎の一人のユダヤ教徒が、三年半活動しただけでこれほどの影響力を持てるものでしょうか。
しかも、復活して生きているというのは度を越したフェイクニュースのようで、どうしてそれが信じられるものでしょう。

他の章で述べましたように、その千数百年も前のモーセの時から「偉大な預言者が現れたなら、その者に聴き従わねばならない」との厳粛な予告が律法の中にありました。(申命記18:18)
その「メシア」つまり「キリスト」と呼ばれる人物については、旧約聖書中でその後もしばしば語られ、様々な事柄が予め示されてきたのです。

幾つか例を挙げると、エルサレム南方にあるベツレヘムの出身のユダ族でダヴィデの王統の血筋を継いでいること、その王統の王座に就いて世界を統べ治める王となり、平和の君、とこしえの父と唱えられることがあります。しかし、人々に蔑まれ、痛みと病とを親しく知る人でもあり、その打ち傷によって人々は癒されるともあります。(イザヤ9:6・53:3-5/ミカ5:2)

そこでやはりユダヤ教徒はこれらの情報に混乱を覚えます。メシアとは偉大な王なのか、それとも人々に蔑まれる人物なのか。
ユダヤ教指導者(ラビ)の中には、民が従順であれば「栄光のメシア」を、そうでなければ「悲しみのメシア」を迎えることになるだろうと言っていました。
しかし、新約聖書を見るなら、ユダヤ人に退けられる悲しみのメシアの姿がそこにあり、また将来に再度地上に来られるときには人類を裁く栄光のメシアの姿があり、双方のメシアが描かれているのです。
この双方のメシア像は矛盾しているのではなく、彼の復活を通して可能と言えることです。

復活について新約聖書はイエスを『死人no
中からの初子』と呼んでいます。つまり、メシア=キリストがあらゆる人に先立って復活したのであり、イエスがご自身を指して『人の子のほかには誰も天に昇ったことがない』と言われます。(ヨハネ3:13)
復活したメシアは天の神の御許に在って、神の右に座し、すべての敵を足の下に据えるまで待っていることが新旧の聖書の伝えるところです。(詩篇110:2/使徒2:35)

それほどの権威を授かるからには、このメシア=キリストとは人間以上であるばかりか、「神」とも呼称されるほどに極めて異例な存在者であるに違いないでしょう。(イザヤ9:6/テモテ第一6:15-16)
実は、彼が特異な存在であることは旧約聖書から暗に示されてはいたのですが、ユダヤ教徒には解明されることなく、ひとつの謎とされていたのです。
それが「ホクマーの謎」です。

「ホクマー」[חָכְמָה]とは「知恵」を意味するヘブライ語ですが、旧約聖書の中でソロモン王の著した箴言の書の第八章には、神と共に創造の業に携わっている「知恵」と称する何者かが存在し、その者の発言として一文が記されているのです。そこで「知恵」(ホクマー)はこう語ります。
『YHWHが昔その業をなし始められるとき、その業の初めとしてわたしを造られた。いにしえ、地のなかった時、初めにわたしは立てられた。
まだ海もなく、また大いなる水の泉もなかった時、わたしは既に生れ、山もまだ定められず、丘もまだなかった時、わたしはその以前に生れた。』(箴言8:22-25)
つまり、彼は物質の世界に先立って神により存在した者であると言うのです。

驚くべきことはそれだけでなく、さらにこうも語るのです。
『神が天を創り、海の上に大空を張られたとき、わたしはそこにあった。』また『わたしは、その傍にあって巧みな作り手となり、日々に喜び、常にその前に楽しみ、その地を楽しみ、また世の人を喜んだ。』ともあります。

では、神以外のいったい何者が共に創造を行い、また助けたのか。これについて、旧約聖書だけではそれ以上の情報が与えられていなかったため、ユダヤ人のメシア像には、「ダヴェデのような強大な王がイスラエルに再び繁栄をもたらす」というようなところで収まっていましたし、現在もそのようです。

しかし、新約聖書をひらくなら、この情報について次のように補足されています。
使徒パウロはイエスについて『御子は見えない神の象りであり、あらゆる造られたものに先立って生れた方である。』(コロサイ1:15)
また黙示録では、ヨハネに現れたイエスはご自身を『神に造られたものの始まりである者』と呼んでいるのです。(黙示録3:14)
そのうえ、イエス自身が祈りの中で『父よ、世が造られる前に、わたしが御傍で持っていた栄光で、今御前にわたしを輝かせて下さい。』と語りかけたことは、創造の神の傍らに在って、世界の創造を助けたホクマーの謎の解答がそこにあったというべきでしょう。(ヨハネ17:5)

こうして新旧の聖書を照合することで、ユダヤ教だけでは明確に知られなかったメシア=キリストに関する重要な観点に到達することになります。
つまり、ナザレのイエスとは、創造の神が自ら作られた唯一の創造物であり、そのため新約聖書はイエスを『独り子』と何度も言い表す理由がはっきりとします。

この観点からヨハネ福音書の冒頭を読むと、イエスを『神』とは呼んではいるものの、創造の神そのものであったと主張するには当たらないと思えることでしょう。
『初めに言葉があった。言葉は神と共にあった。言葉は神であった。』(ヨハネ1:1)

加えて、アダムの血統にないので汚れがなく、人類を罪から引き上げるに相応しく、それゆえにも肉の父からではない処女懐妊があったことの道理も見出されます。
しかもなお、血統の上ではダヴィデ王家に属すべき神の約束と、神の王国の王としての王位継承権とを要したので、それはベツレヘムを本籍地とし、ダヴィデに連なる家系の大工ヨセフとマリアの間に生まれ出るべき必要がありました。

また、失われたアダムという人類の父に代り、永遠に生きる命の与え主となって『とこしえの父』と呼ばれるのであれば、命を代替として神に捧げるために人間となることも求められます。
こうして地に来た御子は人間イエス・キリストとなったので、パウロは『神は唯一であり、神と人との間の仲保者もただひとりであって、それは人なるキリスト・イエスである。』と述べたのであり、こうして新約聖書は疑問を残さず、神に次ぐ御子、また「ホクマー」をはっきりと描き出しているのです。

この観点に立てば、なぜキリストが地上に来られ、人に退けられ刑死まで遂げられたのか。また、復活がなければ人類の救いもなかったこと。そしていつの日か世界を裁く大王としての来臨が期待され、こうして新旧の聖書の記述が神の大きな目的の下に集められ、それを知る人々の視界は一気に拓かれることになります。

その前に「三位一体説」の余地があるでしょうか。この偉大な神の救いの計画の前にして、そのようなものは荒唐無稽な古代の密議宗教の怪しげな戯言にしか感じられないとしても無理もありませんし、それはキリストに関わる神の周到な計画への理解を人々から遠ざけることになるばかりです。

イエス・キリストがかつて存在したことはもちろん、世界と歴史に与えた影響の大きさには計り知れないほどのものがあります。
しかし、それも将来のこの世への再臨と『神の王国』の王となる時期が控えているという予告からすれば、ほんの始りに過ぎないことになります。
ナザレ人イエスは命を差し出して人々の『罪』を一身に負い『贖い』の価を支払われ、同時に『愛』というものがどれほどのものかを世に示されましたが、実際にキリストとして世を救うのは、まだこれからだからであり、確かにイエス自身が再び戻られることを予告していたのです。









25.「終末」 世界の裁きを描く聖書

2019.07.22 (Mon)

聖書が焦点を合わせる「終末」


この世に「終末」が訪れることについての記述は、聖書の全体に散りばめられていて、その一つ一つが「終末」といういずれ訪れる特異な時期の一点を様々に指している事には注意深く読むなら誰もが気付くと言って過言ではありません。

確かに聖書という本は、人間がこの世での空しい生涯を送る原因を教えると同時に、そこからの救いを指し示す「福音」を含んでいます。ただならぬ聖書の「福音」が空しいこの世からの解放を意味するなら、やはり世が今のままで変わらずには済まないでしょう。
もし、その福音の部分が無いとすれば、聖書と雖もただ空しい人生の上の訓話だけを教える本で終わることになります。

しかし、この世のありさまは創造の神の意図したものではありません。
世に空しさをもたらしている原因が倫理上の欠陥『罪』であることは、本書の中で様々に述べてまいりましたが、この空しい状態も、いつかは終わらされねばなりません。しかし、人々は自分に『罪』があることを認め、そこから解放されることを神に願い、キリストの贖いに希望を置くでしょうか。

神の救いに信仰を懐くか否かは最終的にすべての人に問われるべきことで、アダムとエヴァに『二本の木』の選択が与えられたように、創造者と共に永遠に生きるために人は裁かれる必要があります。
また、エデンの園からの悠久にわたる年月の経過は、以前の章で述べましたように、あらゆる人間の魂を存在させるための神の創造の延長であったでしょう。

神の裁きで人々が分けられることになるとしても、今日の世界人口は80億ともいわれ、政治理念や宗教また民族の異なりも加わって欲得を巡る争いは絶えず、世界的に生活様式が現代化するに従い、地球の方が汚染や気候変動の危機に面する事態に立ち至ってきました。人類の問題は容易ならぬ事態を目前にしているかに観察されます。
それだけでも、人類史が大きな転換期に差し掛かっていると主張されても的外れに感じることもないことでしょう。むしろ、世界の状況は歴史上かつてなかった程に危機的な段階に入っています。

ここでは聖書に描き出される「終末」、つまり、創造の神が『罪』を負った人類の歩みを遂に終わらせ、イエス・キリストを主要な支配者とする新たな体制、『神の王国』を設立させるという未曽有の大変化の起る時期につき、多くの聖書記述から導かれる将来の様子を短くまとめて書き出しておきましょう。但し、聖書の解釈に関わるところではある程度の主観も入っていますので、必ずこの通りになると確言するものではありませんので、そこはご了承ください。

さて、神はアダム以来永く続いた『この世』を裁いて終止符を打ち、前述のように諸国家の体制に代る『神の王国』をもたらすときは近いのでしょうか。
これについて聖書は、人がそれが何時到来するかを探り出すことができないと語るところが多いのが実情です。イエスの言葉によれば『夜盗がいつ来るかを知っていたなら、家の主人はその侵入を許さない。だから、いつも見張っているように、人の子(イエスの意)はあなたがたの予期しないときに来る』と弟子たちに訓戒を与えているのです。

上記の言葉は、二つの事を教えています。一つにはキリストの再来が『この世』の終りを印付けること、また一つには、その時は夜に盗人が来るかのように不意であるということです。

では、キリストが戻られるというのは、かつて第一世紀にユダヤに現れたように人の姿で来られるのかと言えば、そうではないようです。
イエス自身は『多くの者がわたしの名を語って来る』終末の事態を何度も語られていて、それゆえにも『そのとき、だれかがあなたがたに「見よ、ここにキリストがいる」、また「あそこにいる」と言っても、それを信じるな。』と警告し『稲妻が東から西へ煌めき渡るように、人の子も来る』とも語られました。(マタイ24:23-27)

この『稲妻の煌めき』と共に『雲と共に』または『雲に乗って』イエスは来られると度々語ってもいます。
雲がどれほど視界を妨げるものであるかは登山者やパイロットによく知られたことですが、聖書の中での雲といえば、エジプトを出たイスラエルを敵から隠していましたし、神殿などの神の崇拝の場も雲がかかって祭司たちが職務を始めることができなかった事例も記されています。

これらを考えると、キリストの再来は肉眼では見えるものではないと判断する合理性が生じます。
実際、終末でこの世が裁かれるのであれば、歴史上に一度知られたキリストが、見える様で再来するとなれば、人々は内心ではなく、見えるところで圧倒的に現れるキリストに従ってしまい兼ねず、そうなれば神の裁きも外面的なものとなってしまって、人の倫理性を問うような深いものとはなりません。

また、マルコ13章、ルカ21章にあるイエスの終末預言では、それぞれに『聖霊によって語る』弟子たちが現れる姿を描かれています。これはマタイ10章にもありヨハネ16章にも示唆されています。ルカでは、彼らの言葉は誰も論駁することができないほどのものであるとイエス言われます。

かつて、出エジプトを果たしたイスラエル民族がシナイ山で神の現れの一端を経験したときでさえ、人々は神の声に非常な恐怖を覚えて震えあがってしまいました。(出エジプト20:19)
そのときに締結された『律法契約』は、参与するすべての民に従順を要求するものであったので、恐怖を与えることはその目的に適ったことでありました。(出エジプト20:20)

しかし、キリストによる『新しい契約』はそのようなものではありません。
『見よ、わたしがイスラエルの家とユダの家とに新しい契約を立てる日が来る。
その契約はわたしが彼らの先祖をその手をとってエジプトの地から導き出した日に立てたようなものではない・・わたしの律法を彼らのうちに置き、その心に記す。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる』(エレミヤ31:31-33)

キリストの到来によって求められたのは信仰であって、強制ではありません。まさしく当時のユダヤは廉直な姿のメシアへの信仰を懐くか否かによって裁かれています。使徒ヨハネはその点をこう語っています。
『神を信じない者は神を偽り者としている。神が御子について証しせられたのに、信じないからである。』(ヨハネ第一5:10)
イエス自身の言葉にもこうあります。
『もしわたしが来て彼らに語らなかったならば、彼らは罪を犯さないで済んだであろう。しかし今となっては、彼らには、その罪について言い逃れる道がない。』(ヨハネ15:22)

そこで『新しい契約』に入った人々とそうでない人々とを分けたものは、やはりキリストに対する信仰であったのです。
そうして信仰を強制されなかった当時のイスラエルの各個人の内面は「ナザレからの人」の前に裁かれてゆきました。

そうであれば、『この世』が裁かれる終末に於いてキリストが人の姿をとって世界に現れる道理がありません。しかも、その不可視のキリストは『雲と共に来る』という言葉とも整合を見せます。
ですから、『この世』が終末に入ったことを人々が知る手立ては、キリストの再来の結果としての聖霊の言葉を語る弟子らの現れと言えます。イエスがナザレ出身であることが知られたように、その弟子らも、素性の知られた人に過ぎないでしょう。
イエスの終末預言によれば、彼らは『人々は、あなたがたを議会に引き渡し、また、あなたがたは会堂でむち打たれ、また、わたし(イエス)のゆえに総督や王たちの前に立たされる。』のですが、それは『彼らと諸国民とに対して証しをするためである』とも言われました。(マルコ13:9/マタイ10:18)

このように聖霊の言葉を語ることになる『聖なる者ら』が、なぜ、この世の権威者の前に引き出されるのかといえば、それは神と『この世』が対立関係にあるからにほかなりません。イエスはこう言われます。『あなたがたはこの世のものではない。むしろ、わたしがあなたがたをこの世から選び出したので、この世はあなたがたを憎むのだ』(ヨハネ15:19)

まして、キリストが再びこの世に関わり始める終末の『臨在』の時、キリストを王とする『神の王国』が設立されようとしているのですから、この世の支配と神の支配との対立は避けられないでしょう。神の王国を聖霊によって代弁する弟子らがその矢面に立つことになることは想像に難しくありません。

しかし、聖霊の言葉は単なる人間の思想を超えるものであることをイエスはこう教えていました。
『人々があなたがたを連れて行って引きわたすとき、何を言おうかと、前もって心配するな。その場合、自分に示されることを語るがよい。語る者はあなたがた自身ではなくて、聖霊である。』(マルコ13:11)

そうしてこの世の為政者たちは、驚くべき話を聴く事になるでしょう。これは新約聖書ばかりでなく、旧約の預言者も予告していたことであったのです。例えればイザヤはキリストについてこう預言しています。
『彼は多くの国民を驚かす。王たちは彼のゆえに口をつむぐ。それは彼らがまだ伝えられなかったことを見、まだ聞かなかったことを悟るからだ。』(イザヤ52:15)

聖霊の発言に驚かされる諸国民は、当然ながら大きな反応を起こします。
預言者ハガイは、バビロン捕囚後に神殿が再建されることの意義の大きさを語って『わたしは、間もなくもう一度天と地を、海と陸地を揺り動かす。諸国の民をことごとく揺り動かし、諸国のすべての民の貴重なものをもたらしてこの神殿を栄光で満たす』(ハガイ2:6-7)
これはつまり、神によって振い動かされた人類世界から、貴重な宝のような人々が新たに回復される神殿に入ってくるということです。

これらの旧約の預言は、キリストの終末預言とも通じるところがあります。
『人の子が栄光の中にすべての御使たちを従えて来るとき、彼はその栄光の座につくであろう。そして、すべての国民をその前に集めて、羊飼が羊とやぎとを分けるように、彼らをより分け、羊を右に、やぎを左におくであろう。』(マタイ25:31-33)
この言葉のキリストの右に分けられる羊は祝福を受けて王国に入り、ヤギは『永遠の火』で象徴される滅びを被ると続けて語られています。

終末にはこのように人類の裁きが関わっていますから、聖書は誰にでも読んですべてが分かるようには書いてありません。キリスト・イエスが群衆には常に例えを用いて語ったように、理解の鍵を必要とします。
その典型的な例が聖書巻末の書である「黙示録」です。
この書の内容は使徒ヨハネの見た幻を記したもので、象徴表現が連続するところから、読んだままの理解は難解を極めます。

しかし、この書のギリシア語本来の題名は「黙示録」ではなく、逆に「開示」(アポカリプシス)なのです。
確かに読んだままに理解できないところでは、新約聖書中の他のどんな書とも異なっているのですが、新旧聖書の全体に通じた読者が読む場合にはあちこちに通じるリンクを持った書であることに気付きます。

例えれば、創世記のはじめのエデンの園の『蛇』が『悪魔』であることをはっきりと指摘するのはこの聖書巻末の黙示録です。(12:9)
同様に、黙示録に現れる様々な表象を一つ一つ追ってゆくと、かつての旧約聖書の事跡の数々を指し示しており、それらを予型の例として終末に再び起こる事柄を対型として教えている事に気付けるのです。
黙示録の全22章に収められた表象だけでもたいへん多いので、その各々を探り出す作業は簡単ではないのですが、まるで不可能でもありません。

しかも、黙示録だけが終末を描写しているのではなく、聖書の全体が終末に焦点を合わせていることに気付かせるリファレンスのような役割をも黙示録は負っているのです。
そのうえで、黙示録独自の内容も含んでいて、旧約で繰り返される神と諸国民との戦いを『ハルマゲドンという場所での戦い』であることを教え、その闘争を使嗾する者たちがどのようなこの世の要素で構成するのかまでも描き出しています。

それはつまり、42ヶ月の間預言する聖徒たちに激しく反対し、その聖霊の言葉もろともに葬り去ってしまう者らであることを示唆しています。つまり、三年半活動したキリストに対してユダヤの宗教家らが行ったように、再来の臨御においてもこの世は『キリストの兄弟たち』である聖徒らをひどく扱うということです。

この世界の最後に於ける神と人との争いを描き出すことでは、旧約のダニエル書も相当な情報を今日に伝えています。
それによれば、終末期に入った世界は、二つの巨大覇権のせめぎ合いの渦中にあり、ダニエル書は、かつてイスラエルがヘレニズムの時代に経験した、プトレマイオス朝エジプトとセレウコス朝シリアとによる南北の王国に覇権の駆け引きを鏡のようにして、終末期に起る二つの大国の覇権争いを描写しています。

終末での二大覇権の争いにおいては、後から登場し、宗教を弾圧して、自らを神とする『北の王』の下で、聖徒らには脱落させようと甘言のトラップが仕掛けられ、それに妥協して『契約を離れる』者らが出てしまい、彼らは『違背』に至ると書かれています。それがために聖徒らの地上での崇拝を表す、日毎、月毎の『常供の犠牲』は絶やされてしまうというのです。これはユダ・イスカリオテの裏切りの再来となり、予告された終末の『背教』がはっきりと姿を現すことになります。(テサロニケ第二2:2-3)

そして、聖徒らは強烈な一撃を受けて多くが迫害に消えるようなのです。それを実行するのは『北の王』自身ではなく、この王の提唱の下に将来に登場してくる『小さい角』と呼ばれるもの、おそらくは諸国家の権力連合のもののようです。(ダニエル8:23-24/黙示録13:1-8)

ダニエル書はこの『小さな角』が諸国家の中で後から現れ、諸国の権力を集めてすぐに強大となり、小さなものではなくなり、それ以前からあった幾つかの国を貶めるほどになることを予告しています。(ダニエル7:7-8・20-22)
黙示録は、この聖徒を攻撃する何者かを『七つの頭を持つ野獣』と呼んで、新たな世界覇権となるものの、聖徒攻撃に成功するや、急速に舞台から退場してしまうことを予告しています。(黙示録17:7-10)
その原因についてはダニエル書が補足していて、『北の王』が何らかの原因で急速に権力崩壊を起こしてしまうことを示唆しています。(ダニエル11:45)

『北の王』が舞台から消えることで世界覇権国家同士の争いは収束して政治的には安定するので、世界が次に目指すのは宗教紛争の鎮静化となり、これも実現に向けて動き始めます。人々は『平和だ!安全だ!』と叫び、その後の発展の幻想を喚呼して迎えるでしょう。(テサロニケ第一5:3)

聖徒らには、幾らか地上に迫害から逃れ残った者らもいますが、黙示録では、聖徒攻撃が成功した後の僅かな期間を経て、残った聖徒までもが跡形もなく姿を消し、世界がそれに驚愕する様を描写します。(黙示録11:11-13)
ですが、キリストの終末預言によれば、なお残される『聖徒たち』がいます。これらは実は『契約を離れ』脱落した「元聖徒」であり、彼らは天に引き上げられるわけもなく、地上に『残される』のですが、それは神からの否認を意味することになります。(マタイ24:40-42)

しかし、以前には聖霊により奇跡の業を持っていた彼らを支援する、別の霊の力を与える見えない勢力がいます。そこで脱落した元聖徒らは『偽預言者』となり、特に目立つ者は『偽キリスト』となります。(マルコ13:22)
この『偽キリスト』は、教会のクリスチャンらに広く受け入れられているキリストの地上への現れ、つまり「地上再臨」の教えを利用して、自らキリストを名乗るばかりか、三位一体を利用して『神の座に就く』ことも可能となり、こうして究極の偶像崇拝が登場するでしょう。しかも、終末のメシア待望はユダヤ教にもイスラムにもあるのです。(テサロニケ第二2:3-4)

世界の人々の宗教心情を集めた新たな崇拝は、もう一つ残された世界覇権の国家、キリスト教の背景を持つ『南の王』の後押しを得て、世界宗教へと急激な成長を遂げ、それを信じない人々には不利益の圧力が加えられ、その過程で既存の組織宗教は信者を急減させてしまいます。新たな巨大崇拝の勃興により、聖徒らを攻め滅ぼすよう慫慂した旧来の組織宗教の数々は『臼石が海に投げ込まれる』ようにあっという間に終わる時が近付きます。
この事象を『大いなるバビロンの滅び』として黙示録は語ります。古来の伝統宗教は公権力により忽然と排除され消え失せるので、既得権益者らの嘆くところとなるばかりです。

こうして、世界の裁きの準備が整うことになり、人類は聖徒の聖霊に言葉に信仰を働かせた人々と、偽キリストに信仰を持つ人々の二つに分かれ、偽キリストは政教の頂点を極め、偽預言者らと共に世界の権力を糾合して、まず、不意打ちによって既存の組織宗教を完膚なきまでに滅ぼします。そうなれば次に狙うのは、聖霊の言葉に信仰を懐いた人々が攻撃目標として残されるのみとなり、いよいよ『ハルマゲドンという場所』が意味する決定的に勝敗の分かれる「神と人との戦い」に進む以外にありません。

その戦いについては、旧約聖書の多くの事跡や預言が予告していますが、神はここに至ってあのキリストを王として擁立し『敵のただ中から征服をせよ』と命じます。キリストは十字架上にうなだれる受刑者ではなく、「燃え盛る炎の両眼を持つ復讐の大王」として立ち上がります。

この戦いでは、人類軍が同士討ちを始めて崩壊してしまいます。それでも、世の一般の人々はまだ残されます。
しかし、その後に無政府のカオスに陥る世界の様子については、キリストの終末預言が雄弁に語ります。例を挙げれば、マタイは『森羅万象がふるい動く』という異常な世界の変化を伝え、『人々は、この世界に何が起こるのかと怯え、恐ろしさのあまり気を失うだろう。』とルカ福音書はイエスの言葉を記しています。しかし、信仰に至って神の側に着いた人々にとっては『救出が近付いた』ことの印でもあるのです。(ルカ21:26)

その後に起る事柄については、黙示録が権力相互の戦いに続く、世界を覆う飢饉と疫病について記し、人々が鳥や獣の腹を墓とすることになることを告げ、旧約のエゼキエルは、屍の処置にその後も相当な期間を要することも克明に記しているのです。

ここまでも『この世の裁き』について聖書が語っているにも関わらず、キリストが信者の幸福な人生を導くであるとか、信仰ある者は天国に迎えられるとかいう「キリスト教」というものは、いったいどんな意味をもつのでしょうか。

ここが聖書の恐ろしいところであり、はっきりと読んだままには真意を教えず、ご利益を望むならそのようにもとれる言葉もちりばめられていて、同じ聖書を読んだからと言っても、人は同じ益を得るわけではありません。
むしろ、聖書そのものはこう言うのです。
『神の言葉は生きており、力を発揮し、どんな両刃の剣よりも鋭く、精神と霊、関節と骨髄とを切り離すほどに刺し通して、情動と思考とを見分けることができる』(ヘブライ4:12)
こうして、神は人の内面を二つに分かち裁くことになるでしょう。もちろん、将来に聖徒らが語る聖霊の言葉が人々を分けずに済むものとはならないでしょう。

他方で、生き残る人々には『奥の間』に保護されたかのような神の善意があり、聖霊の言葉を信じて聖徒を支持した人々は、キリストの千年支配を受けることになるでしょう。
その十世紀間は『神の王国』が人類を贖罪し、神の創造物としての栄光を人にもたらす期間ですが、その世界が安寧に満たされる様をイザヤが預言しており、それによれば、人々は短い寿命から解放され、世界は歴史上一度もなかったほどの素晴らしい景観を見せることでしょう。今日とは異なり、人々が『愛』の絆で互いと神とに結ばれるからです。

これをもたらすのが遥かな過去において、神がアブラハムに約束した『地の諸国民が自らを祝福する』という彼の末裔『神のイスラエル』、つまりキリストと聖徒たちの『神の王国』であることを聖書は教えているのです。






⇒ 「終末」 - 綱領 -
⇒ 「終末に現れる者らの表象




家族というもの

2019.06.13 (Thu)
倫理上の欠陥を負った人類は、その必要とする社会をも欠陥あるものとせざるを得なくなって歴史を刻んできました。
その一方で、人々は近親者、特に家族と他者を区別し、家族の間では「生計を一にする」、つまり物資や財を共有してほとんど条件を付けずに相互に福祉を顧みます。その特殊性の本来の誘因に家族愛があります。

しかし、ひとたび家を出れば、そこは無条件の扶助など期待できず、対価を与えて協力を取り付ける必要のある他人同士の社会という場であり、ごく僅かな例外を除き、そこには相互に報酬が求められる「互酬制社会」がどこまでも広がっているのです。

「経済学の父」と呼ばれるアダム・スミスがこの世の体制の本質を指摘をして曰く、「パン屋が我々にパンを作って提供するのは、我々を愛しているからではなく、自分の利益への関心からである。我々はパン屋の自愛の心に対して貨幣との交換で働きかけるのである」(国富論 1篇2章)

この制度は、誰かが考案して、人々がそれに賛同することで始まったのではなく、人間同士が「他人」である以上自然発生的に始まった「交換社会」なのであり、対価を求めなければ外からの支援を得られずに各家庭の生計が破綻し、困窮してしまうことを避けるために生じざるを得ないものです。

その交換は人への必要物資の備えに貢献するものの、結果的に少数の富者と多数の貧困者も生んできました。懸命に働く人がより多くの報酬を受けるとは限らず、そう公正な分配が行われるわけでもなく、そのまえに何が公正なのかを決めるのは人ではなく意識をもたないはずの「市場」が作り出す欲と欲の絶妙なバランスであり、人間がコントロールすれば、たいていは失敗してきました。欲と欲のせめぎ合い無くして広範な交換制度は成り立ちません。

人間の欲には際限がないため、その渦中に在って人は誰かの貪欲に押しつぶされないよう、他人に対価を求める主張をしながら生きて行くほかありません。
賢王ソロモンは『買う者は「悪い、悪い」という、しかし去ってゆくと彼は自らを誇る』という人の実態を描く言葉を三千年も前から残しています。もちろん良い事として語ったのではありません。
しかし、欲の主張のせめぎ合いが、つまり欲望の戦いが数学的バランスをもたらすという不思議がこの世にはあります。
それでさえバブル的熱狂や、恐慌を招く恐れも避けられず、人類は度々これに翻弄されてきました。もちろん人の欲がみな悪いというのではなく、互いの欲が衝突するところに問題があるのです。

ですから、人が家から外に出るなら、そこはそれぞれ自分の利益に関心を持った人々の行き交う巷であり、わずかな例外を除いて基本的に「他人のために働かない」ということに於いて、またいざとなれば奪い合いも起こる「敵性環境」と云えます。それも敢えて敵しているというよりは、むしろ、それぞれに自分を支え守ることで精いっぱいでしょう。公共のサーヴィスでさえ税の徴収なくして成り立ちません。

ですから、価格の攻防、政治施策の競合、利権の争奪、雇用の条件、果てはいじめや嫌がらせから脅迫や犯罪に至るまで、実際、この社会で人々には戦ってゆかねばならないことが多岐にわたっているとおりです。
その戦場が『この世』という場であり、かつてエデンの園での『蛇』によってもたらされた世界というべきでしょう。即ち、人と他者との関係、つまり「倫理」に問題を抱えたその始まりを創世記が教えているものです。

その一方で、『この世』に在って「家庭」というものがどれほどありがたいものであるか、また、そのようなものであるべきかは明らかです。
家庭という場は、互酬制の社会という波の高い外洋から守られるような安らぎの港でなければ意味を成しません。社会の状況が殺伐とするほどに、その価値はかけがいのない貴重品のように高まるでしょう。もちろん、家庭が真に安らぎの場であればです。

しかし、現代社会では、その家庭を家庭たらしめる自然な情愛が薄れ、親が子を、子が親をないがしろにし、この世という敵性環境よりひどい仕打ちを行って、声なき犠牲者をつくっていることはまことに嘆かわしいことです。
家庭環境は様々に脅かされており、内は夫婦の不和や離縁から親戚の干渉、外からは仕事の都合や不況の影響、近所との軋轢、果ては宗教の影響などもあり、そのうえに社会悪による世相の悪化や、災害、病気や死別などの不可避の圧迫なども加わって、安らぎを奪う多様な要素に家庭はいつも曝されています。

それゆえにも、家庭は家族のそれぞれが安寧を作り、能う限り無情に対価を要求する「巷の厳しさ」を持ち込まぬよう、努力すべきを強く意識して守ってゆかねばならないものでありましょう。条件なく受け容れられる場が有ってこそ人は厳しい社会でも生きてゆけるのではないでしょうか。

そのように、『この世』で負った疲労や心の傷を癒す場があるとは、まことにありがたいものです。
また、人を育むことでは、生まれた嬰児をひとりの人として育てるまでには、果てしないほど多くの労力や犠牲や見守りを必要とするものです。そのうえ教育の重要性は無視できず、その成果によっては、その子ばかりか、家族や周囲の様々な人々に後々益をもたらすものと有り得ますので、この点も家族はおろそかにできず出来る限りを願うものです。

やはり、人を創造した神は、『この世』という、人間の倫理的欠陥のために殺伐とした逃れ難い環境に在っても、個人を顧みて無条件的な安らぎの場を得るよう、家庭を創始したと言い得る理由があります。
聖書にはアダムとエヴァに結婚をさせたという記述も、仰々しい結婚式を挙げたとも、誓いの言葉を唱えさえたともまるでないのですが、対になるように創られ、しかも他に相手がいない以上は、実質的に結婚であったと見て間違いないでしょう。ですが、今日までに見られるような結婚関係のシステムが創造の初めから備わったのではないようです。

創世記には、最初の夫婦が倫理上の欠陥である『罪』に陥った後、神から宣告された次のような処置の言葉があります。
まず妻のエヴァには、『お前は苦しんで子を産まなければならない。しかも、お前は夫を慕い求めるが、彼はお前を治めることになるであろう』。
そして夫たるアダムに『お前は顔に汗を流してパンを得る、それから土に帰ることになるであろう』と言われたとあります。(創世記3:16-19)

これらの言葉を今日から見れば、ただ『この世』のありさまを言っているだけのように思えるでしょう。あるいは「妻が夫に治められる」なぞフェミニストや恐妻家の失笑を買うのかも知れません。

それでも、基本的な家族の構成要素である夫婦の有り方によって、このエデンの時点では未だ到来していなかった『この世』という敵性環境への神の配慮が垣間見えます。
つまり、夫婦からの子らの誕生を通して神は人々の創造の継続を任せているのですが、女たちが「腹を痛め」つまり、妊娠と出産が容易ならぬものとなるだけでなく、生まれた嬰児らが必要な世話を受けてゆくためには男親の支えや協力を大いに必要とします。出産が苦痛を伴う大事となったことを通し、人は命の重さを認識するよう促されてもいることでしょう。

生まれ出る新たな命は、人にとって重いものであるばかりか、まだ存在もしていない人物の登場やその働きを予告して待つ姿を聖書に見せる創造の神は、生殖を通してさえ人々すべてを存在させる原因者であり、親から子へと命が伝えられる自然を通し、その生命への福祉を重視するよう人に働きかけているとも言えるでしょう。

そこで女が男を慕い求めることで、妊娠と出産という重責を担う妻は夫の下に保護を受けるべき自然な理由があり、実際に結婚関係は基本的にそのように機能してきたことは否定できません。
男の労働も軽いものではないながら、一人の妻との家庭をやっと支えることによって、夫は家族の重さを身をもって知り、犠牲を払うゆえにも大切にしたいと思うことでしょう。

また、一夫一婦制は、生き辛いこの世に在って、歴史上人類の大半が貧困の中に暮らしてきた現実に効果的であり、それは女性が『夫を慕う』ゆえに嫉妬心によって支えられて来た制度という観方もできるかも知れませんが、一夫一婦制によって、生まれてくる子らへの必要な福祉や教育の機会や相続の益などが守られることにもなっています。

こうして家庭という場は、誰が法に定めて創始するまでも無く、互酬制という実質的に奪い合いの外の世界からの保護の垣に囲まれた、家族愛による無条件に受け容れられる僅かな空間を自然に形成してきたものです。
この保護の空間は、人間が倫理的欠陥を負ってしまい、その社会からの危険に曝された人々を守るための小さいながら最後の砦であり、創造の神の意図した普遍的制度と云えるでしょう。
本来、神のものである個人という『魂』はそうして保護を受けるべきであり、実際、ほとんどの家庭は程度の差はあれ、そのように機能してきたと言えましょう。(エゼキエル18:4)

その点で、旧約聖書でモーセの律法が定めていた七日に一度の「安息日」という制度に、家庭を顧みるようイスラエルの民に神が促していた観があります。
以後世界に広まった、週に一度世俗の生業を離れる休日の存在は、仕事ずくめの生活に埋没して人間らしさを失ってしまわないことを助けるものです。
俗な生業の六日間に対して『安息日を神聖なものとするように』と記された「十戒」は、旧約聖書の最も基本的な教えであり、その十ヶ条の中でも第四位を占めるほどの重要性を持ちます。
イスラエルが未だ「約束の地」に入る以前に、神は彼らに六日間の食事を供給し、毎週の六日目には普段の倍の食料を必ず与えていましたから、その民は安心して第七日には生きるための労働をせず、静かに過ごすことができたと聖書は伝えます。(出エジプト16:22)

同時に、安息日の条項の中で神は『自分の場所に座して居るように』と命じていましたので、後のユダヤ教では安息日に移動して良い距離が1キロ未満の場所に制限されました。それは実質的に、神が週に一日は人々が自分の家に居るように取り計らっていたと見ることができます。それによって、各家族が共に過ごすことになり、それぞれの家庭の安寧と喜びとを神が望んでいることの表れであったことでしょう。(出エジプト16:29)

総じて、安息日は生きる糧の供給者が神であり、後にイエスが「明日を思い煩うな」と訓戒されたように、生きるためにこの世の奴隷や畜獣のようになって、人が『神の象り』である自らを卑しめてしまうことがないようにとの重要な教えと言えます。そこで『安息日を神聖なものとする』とは、神が糧の与え主であることを信じ、人が人らしく、また家族を顧みることによって、この世の空しい生き様に流されないようにすることを意味していたと考えることは的外れではないことでしょう。

加えて、家族という安寧の場は、相互扶助に於いて子らへの福祉だけに機能するばかりではありません。
親たちが老化してゆき労働が困難になるときに、その子らがその福祉を顧みることは、世界の大多数で当然の報礼とされている通り、自然な養老の制度として機能してきました。
また、この点では夫婦も老化に伴い扶助し合うことでは第一の相手となります。

このように結婚の制度は、新たな生命を迎える環境の空間を作るばかりでなく、最も親密な一組の男女が互いの福祉を顧みることもまた大きな役割です。
ですから、子育てが終わり、年老いて心身に不自由が忍び寄るにつれ、夫婦は人生を連れ添った仲間同士のいたわり合いの中で過ごすよう神は配慮されているのでしょう。

聖書は賢人ソロモンの言葉をこう伝えています。
『ひとりよりもふたりが良い。共に労苦すればその報いも良いものになる。
もし倒れれば、もうひとりがこれを助け起こす。倒れても起こしてくれる者のない人は難儀だ。』(伝道4:9-10)

そこで、聖書が一貫して配偶者を亡くした後の再婚を認めることもうなずけます。確かに、キリストは独身を勧めていましたが、パウロはそのようにできる者がそうするようにと言っており、それも格別な信仰の業に召された人についてのことでありました。(コリント第一7:8-9・29)

また、結婚を「永遠の契約」とキリスト教徒には捉えがちですが、確かに、神は結婚というものを、二人の間の契約関係とも見做すような記述が聖書に見られます。
結婚が安易に解消されるようなものであるなら、人類の創造、また人の生存の助けという大事を任される各家庭が不安定となり、命の価値を軽んじる結果に陥る危険をも孕むことは言をまちません。

そこでキリスト教徒であれば、イエスの「山上の垂訓」と呼ばれる有名な説教の中で、『誰であれ、淫行以外の理由で離縁する者は、自分の妻に姦淫を行わせるのである。また出された女を娶る者も、姦淫を行うのである。』と言われた言葉を思い起こすことでしょう。
それゆえ、離婚は罪であるから許されないとしている宗派もいくつかあるのですが、こうしたイエスの言葉を聞いた使徒たちの反応にはうなずけるものがあります。
『もし妻に対する夫の立場がそんなものだとすれば、結婚しない方がましです』。

それまでモーセの律法でさえ、夫が妻に離婚証書を持たせて去らせることを規定していたのですから、これは大きな相違です。
しかし、イエスの言葉は律法の神髄たる神の本来の精神を語っているのであって、全人類に対して履行を迫るにはあまりにも倫理的に高度な内容で、倫理上の欠陥を負った人々には却って重い荷を背負わせてしまうことにもなるでしょう。使徒パウロは律法について『すべての口がふさがれ、世界が処罰を受けるためのもの』と述べ、使徒ペテロは離婚を許した律法でさえ、『わたしたちもわたしたちの父祖も負うことのできなかったくびき』と呼んでいます。(ローマ3:19/使徒15:10)

ではキリストが、どういう背景でこれを語られたかと言えば、まず、イエス自身が『律法を成し遂げる』ほどにアダムの罪のない方であったのであり、その倫理観についてゆけないのが現状の人間というもので、例えれば山上の垂訓にある別の言葉、『情欲をいだいて女を見る者は、心の中ですでに姦淫の罪を犯した』と言われるなら、いったいどれほどの男がその罪を逃れられるでしょうか。

そもそも、性欲は新しい人間を生み出す源泉であり、それなくして人類に『生めよ増えよ地に満ちよ』との神の下命はどれほど果たされたことでしょうか。場合によっては打ち続く自然災害や戦争などの社会悪によって人類の存亡さえ危機に曝されたかも知れません。
キリストの時代の世界人口は二億に過ぎなかったと考えられているのですが、この世を生きる辛さに意気阻喪してしまい、特に性欲も弱ければ人類は滅亡に抗することも難しかったのではないでしょうか。
もちろん、性欲の暴走が招く害悪も少なくないとは言え、人はこの点において極端な観方を避ける必要があると言えるでしょう。

確かに、乱交によって滅ぼされたという創世記中のソドムやゴモラについては、同性交接の強要など性欲のカオスが社会を支配していた様子が窺えます。(創世記19:4-5)
当然ながら、性欲が羞恥されるべきものと感じられることによって、社会は性欲丸出しの無秩序から逃れています。
しかし、だからと言って性欲は罪悪視すべきものでもありません。

賢者ソロモンは人の生き様を俯瞰してこうも述べています。
『義に過ぎるな、賢きに過ぎるな、どうして滅びてよかろう。
悪事に過ぎるな、愚かに過ぎるな、どうして時も来ていないのに死んでよかろう。』(伝道7:16-17)
人の両極端の生き方がどちらも同じような結果をもたらすと賢人が警告しています。

他方、キリストの時代以来、極端な宗派では性欲を悪とし、結婚さえ禁じるものがあったことが記されています。(テモテ第一4:1-3)
一般人にしてみれば、一見してその宗派が徳の高そうにも見えたのでしょう。
ですが、それも人にとっては不自然な縄目であり、性に厳しい宗教では却って隠されていた性虐待の醜聞が絶えません。
そのうえ、今日までのカルト宗教で、性欲に伴う自然な羞恥心や罪悪感を利用して信者をコントロールしようとする指導者にも事欠きません。
これらは性に関するバランスのとれた観方を教えることなく、ただ、自分たちの道徳性の宣伝や、信者の奴隷化に利用していると言われても仕方がないでしょう。(コロサイ2:23)

それでも以上に述べたように、男女関係は有用で大きな功績を上げることができるものであり、その象徴的な姿といて神と婚姻関係に入ったイスラエルがあります。その結婚は人類を祝福する聖なる民を生み出すはずであったのです。
イザヤの預言書などにはこの神との婚姻関係の概念がよく出て来るのですが、モーセの律法契約によって恰も神と結婚したイスラエルでしたが、結果としてこの民族は異神を崇拝するようになり、ほとんどの時代を通して律法を守ってはきませんでした。むしろ、イスラエルは『姦淫の妻』にも例えられているのです。(列王第二21:15/ホセア1:2)

そこで神は象徴的なこの結婚を一度終わらせて離縁し、イスラエルは捕囚を経験することになり、神から与えられた『約束の地』パレスチナを追われる身となるのでした。つまり、姦淫による離婚です。しかし、後に現れたキリストは『新しい契約』を締結し、新たなイスラエルと象徴的婚姻に入ることを聖書は示唆します。(黙示19:6-7)

山上の垂訓でキリストの語られた、人には厳しすぎるような婚姻に関する言葉の数々も、この背景から見るとなるほどと思えるところがあります。

一方、実生活に於いて、もし夫婦がそれぞれに助け合わず、その状態に頑固で改善の見込みが望めないほど長期間にわたり、家庭が互助機能を果たしていないのであれば、『この世』をしのいで生きて行く助けを欠いていることになりますし、本来益を得るものが害として作用していることになり、それは当事者ふたりにとっての危機であり家庭の存亡が関わる一大事です。外と内の二正面の戦線を持つことは苦戦や敗北への序章となるものですから。

離婚は多くの場合に、養育期にある子らへの著しい心身への負担を強いることも事実ですから、創造の神であれば、それらの子らを配慮しないとは言えず、そこで親たちの和解を望まれることは、まず間違いないことでしょう。

その一方で聖書は、結婚を「永続する絶対的な契約関係」ではないことを配偶者を亡くした後の再婚の自由として述べています。
そこでは結婚というものが、「契約」という側面を持つだけではなく、『この世』を生きるための相互扶助の「制度」であることも示しています。

「永遠の契約」という言葉は花嫁花婿を酔わせる甘い約束ということにもなるのでしょうけれども、神は現実を見据え、その先を読んでいると言うべきか、配偶者に先立たれることによって、あるいはまだ子孫を残せる状況であるなら、なお神の創造の業の一端を依然として荷えることもあるかも知れませんが、それ以上に親密な扶助の役割の喪失を埋め合わせることが再婚に与えられた使命でもあることを如実に示しているのです。

こうして、夫婦という男女の結びつきの間に新しい命が育まれ、老いては家の者同士によって支え合い、『この世』を過ごしてゆくこと、それが家庭また家族の創始者の意図であろうことは聖書によって跡づけられるところです。

そして、『生めよ、増えよ、地に満ちよ』との神の意志が成し遂げられ、いつかは終わる時が来ることもキリストは示唆しています。
つまりは、子が生まれなくなる将来についてなのですが
ある時、人間の復活を信じない者らが喩えをもってキリストに挑戦して問い掛け、次々と結婚をした女がいるとして、その女が復活したならどの男の妻になるのかと問い詰めたのですが、そこでイエスはこう言われました。
『死者の中から復活するときには、娶ることも嫁ぐこともなくなり、皆が天使のようになるのだ』(マルコ12:25)
さて、神がすべての人の創造を終え、人々が結婚関係を持たなくなった先の状態がどのようなものか、まるで想像もつきません。

アダムとエヴァは、『罪』の有無に関わらず、初めから子を産み育てるよう最初に夫婦とされていたにしても、エデンの園での堕罪の結果のとして負った神の処置の言葉中での「夫を慕い求める」というところも、「彼に治められる」というところもなくなると見る理由が生じることになります。それも結婚関係そのものが無いのであれば、家族関係も今のようではなくなることは明らかでしょう。

『この世』が過ぎ去っても当分の間は人の出生があることを聖書のイザヤ書が示唆してはいますが、それにしても、人々が永遠に生き、新たな命を迎えることも終わり、家庭という防波堤の必要のない世界が実現するとは、我々の想像を超える事柄です。

「山上の垂訓」には『あなたがして欲しいと思うことを他の人々にも行え』とありますが、これは簡単に行えることではありません。(マタイ7:12)
加えて、ルカ福音書にある「平地の垂訓」にも、『自分を愛してくれる人を愛したところで、あなたがたがどれほど事をしただろうか。罪人でさえ自分を愛してくれる人を愛しているではないか。』とのキリストの言葉があります。そのうえ『敵をも愛し、善を行い、返してもらうことを期待せずに貸せ』とまで言われるのです。(ルカ6:31.35)

やはり、この精神に努めることはできても、この言葉の通りに常に行うことは『この世』では到底不可能です。
しかし、キリストはこれを説き、またそれが創造神の創造界に望むことなのでしょう。

さて、英語などでの「経済」を表す「エコノミー」という言葉は元来ギリシア語の「オイコノミア」という単語からきたもので、古代ギリシア語で書かれた新約聖書にも何度か現れます。
「オイコノミア」とは、「一家の家計、分配、管理、計画」などを意味していますが、裕福な家には会計専属の「オイコノモス」、つまり「家令」がいて家を取り仕切るために働いていました。使用人とはいえ、一家の出納はもちろん、物資や食物の分配など、主人から相当の権限を託されていたのです。

そこで興味深いことは、新約聖書に『定められた期間が満ちたときに実現されるオイコノミア』という句があり、『神は天にあるもの地にあるものを、すべてキリストにあって一つにまとめられる』と記されていることです。(エフェソス1:10)
つまり、創造の神は、利己心に分裂した『この世』をまとめ上げ、離れてしまった人類をキリストの贖いによって『罪』を除いて『神の子』とし、神の家族として受入れ、創造界を一つの家庭とすることを意図されているというのです。

この創造界を覆う一つの家計、つまり「神のオイコノミア」が実現するときには、神の創造の意図が成し遂げられ、象徴的に創造界が「一つの屋根の下に入る」に伴い、『この世』という人にとっての敵性環境は過ぎ去るものとなるでしょう。その日には、世界中が利他心に覆われ、交換社会ではなくなることでしょうけれども、それは現状の人類には到底不可能なことです。

結婚もないというその状況で、いったいどんな男女関係が形作られるものか、親子関係はどうなるのか、これは謎ではありますし、聖書も語っていません。
しかし、それを知るべき理由も今はほとんどないでしょう。
なぜなら、人は皆が『この世』を生きることに懸命であり、そのためにも今現在は家族愛を育み、家庭を家族の誰にも安らぎの空間として確保することに精出す以外ないからです。

聖書にはこうもあります。
『日の下で神から賜わったあなたの空虚なる命の日々の間、あなたはその愛する妻と共に楽しく暮すがよい。これはこの世にあってあなたの受け分、あなたが日の下で労する労苦によって得るものだからである。』(伝道の書9:9)







21.人の死後を問う

2015.05.04 (Mon)
人の死後を問う


人間は死という命の終りに常にさらされています。
ですから、人は自分の存在のおぼつかないことに不安を感じるものです。
そこで、人は自分にどんな存在意義があるのかということだけでなく、それ以上に自らの死後についてずっと尋ねてきました。

宗教がその問いへの答えを提供してきたのですが、その答えが一致しているわけでもありません。
それでも、様々な宗教に広く共通するものがあります。
それが、人は生前の行いによって、死後には「天国か地獄」に行くという教え、またその変形なのですが、やはりそれさえ宗教や宗派で教えるところが一致しているということはまずありません。
これは「死んでみなけらば分からない」実証不可能なところで何とでも説明でき、どれが正しくどれが間違いと断言できる人はいない点で、まさしく「信仰」の領域の問題となっています。

ヒンドゥー教では、人は分かたれた二つの世界を死によって行き来します。それは魚が川の一方の岸辺から他方の岸辺に行き来するようなもので、「あの世」また「彼岸」という別の世界があるというのです。

仏教の中には「輪廻」を唱え、人は死後、生まれ変わりますが、生前の行いの良し悪しに従って、次に生まれてくる姿や境遇が変わると教えます。
同じ仏教でも浄土教系では、キリスト教の「天国」とは異なり、「極楽」という西方十万億土の彼方(メソポタミアの辺り)に存在するという、理想郷のような環境に人は死んでから入ることになり、何に妨げることなく仏となる修行を積むことのできるとされます。

諸苦のない世界への憧れはイスラム教にもあり、こちらの「天国」(ジャンナー)は至福の楽園で、飲物、果物、肉も食べ放題なうえ、ひとりの男に70人(100人とも)の処女が与えられると言われます。

一般的な教会で教えられるところでは、洗礼を受けた信仰者は、死ぬと神のみ許に迎えられ過ごすのが「天国」であるとされていて、そこで「復活」を待つとも言われますが、この「復活」が確かに聖書に書かれてあるので、宗派によっては「復活」とは天国に行くことであるとも言われます。または、復活するのは、もう一度信仰を持つ二度目のチャンスを与えるためであるとも教えられるそうです。しかし悪行者、またキリスト教を信仰しなかった者は共に「地獄」に行くと教えがあります。

このように人の死後を宗教はそれぞれに異なることを教えるのですが、人は死後にその意識を保つと教えられる点では共通していると言えるでしょう。

しかし、その一方で旧約聖書が書かれていた古代のヘブライ人の概念は随分異なっています。

例を挙げれば、ソロモン王はこう語ったとされています。
『生きている者は死ぬべき事を知っている。しかし死者は何事をも知らない、また、もはや報いを受けることもない。その記憶に残る事がらさえも、ついに忘れられる。
その愛も、憎しみも、ねたみも、すでに消えうせて、彼らはもはや日の下に行われるすべての事に、定めない時にまでかかわることがない。』(伝道の書9:5-6)

つまり、死者は何も知り得ない状態に入るというのです。これでは至福を感じることもないでしょう。
これを裏付けるように、キリストは死んだ人について「眠りについている」と言うのです。
そして、同時に復活させることを「眠りから覚ます」ことに例えています。(ヨハネ11:11.25.43-44)

これら新旧の聖書の教えるところは、人間は死後に何も意識を持たず、神がその人を生前のように復活させる時期を無存在のまま待っていることになります。

では、キリスト教で教えられる死後にゆく天国や地獄の教えはどこから来たのでしょうか?

まず、広く人々には、人間の一生が束の間で空しいものであるという意識があります。
人々が「こうあって欲しい」と願うのは、愛するだれかが亡くなっても、どこかで「生きて」つまり意識をもっていてもらいたいことでしょう。この傾向は人間に広く見られるもののようで、仏教にも元々は死後の世界、「地獄」も「さまよう霊」も無かったと言われますが、いつのまにか混入してしまったところはキリスト教も変わらぬ趨勢にあります。

そこで人類一般にとってウケの良い教えが「死後の世界」を説くものであることが明らかではあるのですが、
特にキリスト教徒でなくても、亡くなった誰かが「天に召され」、天から生きている人々を見守ってくれることを願うような発言がよくされるものです。

まして、キリスト教徒があたかも天国や地獄が描かれているように錯覚する箇所を聖書の中に見出すと、それを自分の願望に従って故人に意識がある証拠に読み込むとしても不思議はありません。

そのように死者の行く場として誤解され易い代表例が「ゲヘナ」という聖書の言葉です。

日本語訳聖書の中では、この「ゲヘナ」を「地獄」と訳しているものもありますが、そのまま「ゲヘナ」としている聖書もあり、新改訳聖書が「地獄」と訳すことを避けています。
「ゲヘナ」とは、元々はヘブライ語「ゲーヒンノム」に相当し、元々これはエルサレムの南西側の斜面の谷を表す「ヒンノムの谷」を意味していました。

この「ヒンノムの谷」はユダ王国の時代から公共のごみ処理場とされていましたから、そこでは火が絶えることのないようにと着火し易い硫黄が散布されていました。
そこには価値の無くなったゴミが投棄されだけでなく、重罪人の死体も処置されていたとされています。

古来イスラエル人は土葬を常とし、墓所も「記念の墓(シェオル)」と呼ばれ、故人の復活を期して丁寧に埋葬していましたが、他方で死体をゲヘナに投げ込まれる重罪人には、復活してほしくもないという気持ちが込められていたのは容易に想像がつきます。

この背景を考慮して、『おまえたち蛇ども、まむしの末裔ども。おまえたちは、ゲヘナの刑罰をどうしてのがれることができよう。』というイエスの言葉を読み直すとその意図が見えてきます。(マタイ23:33)
つまり、イエスにその悪辣さを糾弾された者たちは、復活の希望も無いものとしてゴミ処理場に捨てられる罰を受けると言われていたのです。

そこではたとえ死体が火で焼かれるとしても、死んでいて意識は無いのですから絶え難い苦痛に身をよじらせることもありません。ただ、復活してくることが望まれない死体として焼却処分されるばかりです。

ですがゴミ処理場を「地獄」と訳すと、そこには大きな誤解を招くことは避けられません。地獄で苦痛が与えられ続けるのなら、人は死後も意識を持っていることになり、本来ヘブライ人が持っている生死観とはまるで異なってしまうのです。

聖書で「墓」の意味であるヘブライ語の「シェオル」やギリシア語の「ハデース」を、ゴミ処理場を表す「ゲヘナ」と区別なく「地獄」や「黄泉」と訳してしまうなら、これはさらなる誤解を覚悟しなければなりません。カトリックとプロテスタントが共同で翻訳した新共同訳、また日本聖書協会の口語訳もそのようです。このような翻訳の背景には、一般的教会で教えられている教理とのすり合わせがあるというべきでしょう。

しかし、キリストの言葉にも明らかなように、復活を期する「墓」と不要品を処分する「ごみ処理場」とは意味が大いに異なります。しかも、どちらにも「地獄」の意味はないのです。

これに加えて、聖書には「天国」を描いているかのようなイエスの語った「富んだ人と乞食のラザロ」の例えがあります。
生前に乞食のラザロは富んだ同朋ユダヤ人の家の前で物乞いをしていましたが、両者が死ぬとラザロは天でイスラエル人の父祖アブラハムの許に上げられていましたが、ユダヤ人の金持の方は燃え盛る火の中に居ました。
その理由は、生前に一方は良いものを受け、他方は悪いものを受けていたからだと説明されます。(ルカ16:19-)

この例えは、確かにそれぞれに意識をもって生前の酬いを受けているかのようです。
しかし、イエスがこの例えで教えたかったことが何であるかに注目すると、これは人間の死後の様子を単純に知らせているのでないことが例えの全体を見渡すと明らかです。
「富んだ人」とは、当時の宗教家たちの恵まれた宗教環境を指していて、一方の「乞食ラザロ」はさげすまれた一般民衆を意味しているのです。

宗教家たちはキリストを受け入れなかったので、アブラハムのような祝福に与ることはなく、却って不信仰を咎められる責苦を受けることになりますが、民衆はキリストを受け入れたので、天からの祝福に与ることになります。
この例えで、その当時の状況が時の経過により逆転することをイエスは宗教家たちに警告していたのです。

また、聖書には黙示録に描かれる「火の湖」というものがあります。(黙示録20:14)
これも同様に実際の責苦の場所でないことは、そこに投げ込まれるのが「死」や「墓」という象徴物であることが示しているのですが、クリスチャンたちにはそこまで聖書に気遣うゆとりはないかのようです。この「火の湖」に「死」や「墓」が投げ込まれるとは、それらが永遠に不要のものとされ、人間からこれらの悲しみが過ぎ去ることを述べているのであって、地獄を教えているわけではありません。

これらの言葉も、初めから死後の意識を信じたいと願っている人々が見聞きする場合にどんなことが起こるでしょうか。
キリストの語った物事の真意を探ることなく、やはり地獄はあったと言葉の表面をなぞるような安易な解釈に安住してしまうのです。キリスト教の外から入り込んだ地獄は、第五世紀にはキリスト教指導者アウグスティヌスの下で苦しみの場所としての教えが確立されていました。
以後、「天国と地獄」の教えがキリスト教の主流となって宗教改革も潜り抜け、キリスト教界では今でも日毎に教えられ補強されつつあるという嘆かわしい現実となっています。

これに加えて、この死後の世界を教えようと躍起になっている勢力が存在します。
これこそがエデンの園でエヴァを誘惑した蛇であり、それが単なる蛇ではなく「サタン」であったことを聖書は知らせています。(黙示録12:9)

その後、この「蛇」には多くの仲間が加わって隠然たる勢力となっています。
これがつまり「悪霊」と呼ばれる霊の存在者たちであり、彼らはサタン同様に元々神に創造された天使であったにも関わらず、神への忠節を故意に捨て『そのあるべき立場を離れた』のです。(ユダ6)
彼らは『罪を犯した天使ら』でありノアの大洪水以降は『囚われ』の状態にあり、人々の間で生活することを許されていないのです。(ペテロ第二2:4/ペテロ第一3:20)

そこで、様々に曖昧な仕方で世の中に不思議を起こしてはいるのですが、はっきりと姿を現し、この世に干渉することは許されていないので、正式に人間にコンタクトはとらないのでしょう。
彼らを誘惑して神から引き離したのが頭目のサタンであり、この悪の根源者は創造の神以外のあらゆる者を神から引き離そうとするので「中傷者」(ディアボロス)と呼ばれることにもなりました。
当然に天使らも中傷を仕掛け、相当数を仲間にすることに成功したことが黙示録に示唆されています。(黙示録12:3-4)

この反逆した天使らは、ノアの箱舟で知られる大洪水以前に、地上で人を装って女性目当てに歩いていたという驚くようなことが聖書にあり、このあたりの事情は聖書の創世記の六章に記録されていて、その痕跡はギリシア神話にも数多く残っているように読めます。

聖書では、天使らの影響もあって当時の世が余りにも乱れたために、神は大洪水を起こして世界をリセットし、ノアの家族八人を除いた世界全体を流し去ります。(創世記6:1-8)
以後、地上に来ていた天使たちは拘禁された状態に入り、人の社会に出入りを許されず、心霊的関わりを専らにする以外になくなります。そのように処置しなければ、世界を流し去る大洪水は何度も地上を襲ったのでしょう。しかし、神は虹を生じさせて「全地を流すような大洪水を起こすことはない」と生き残ったノアらに約束しました。

以来、堕天使らが人間社会を歩きまわることはなくなったのですが、今でも起こる様々な怪奇現象の原因は、まずこの者らの仕業と言えるでしょう。
奇怪な現象が起こり、それを封じるかのような宗教上の儀式を行うとそれが止むというのも、かえって、その宗教を悪霊が援護しているのかも知れず、この種の出来事を表面で判断しては侮られるばかりです。

あのUFOも科学信仰を煽ろうとする悪霊の意図がないとも言い切れません。
たとえ、その原因が異星人であったとしても、そのもたらす精神性の余りの低さや暗い印象からして、まともに相手をする必要があるものでしょうか。

これらの悪霊にはサタンという親玉があり、その独特の命令に従っているようです。
なぜなら、悪霊たちはサタンの主張に沿って行動しているように観察されるからです。

その主張とは、サタンがエデンの園でエヴァに語った『その実を食べても、あなたがたは死なない』という言葉にあります。
ですが、神は『あなたは土だから土に帰る』と言われたように、アダムもエヴァも死んで今日どこにも居ないことは明らかな事です。(創世記3:19)

新約聖書にも『ひとりの人によって、罪がこの世にはいり、また罪によって死がはいってきたように、こうして、すべての人が罪を犯したので、死が全人類にはいり込んだ』とあるように、人類の始祖が敢えて選んだ道は、「死」という明らかに存在を失うことであったのです。(ローマ5:12)

しかし、それではサタンが中傷した結果、人類が死ぬことになったことが隠しようも無く広まってしまいます。(ヨハネ8:44)
そこでサタンは手下の悪霊たちを用い、死後の世界があり、そこでも人間が意識をもっているかのように見せる理由があるのです。

悪霊など霊の存在者は死ぬことがなくずっと人間を観察していますから、死者の姿を見せたり、その意識をまねたり人の前世を捏造したりすることができるのでしょう。ほかにも様々に不可解なことを行っては人々の好奇心を煽り、いつの時代にも占い、呪い、心霊現象へと誘ってきたのです。そしてこれに釣られて悪霊の教えを信じ込む人々は非常に多く、今日もスピチャルと呼ばれる領域を含め後を絶ちません。

それで聖書では、旧約で律法が与えられて以来、心霊術や占いなどを死刑に価する重罪と規定していたのです。それは神に反逆した者らに関わることになるからです。(申命記18:10)

そして多様な宗教にも悪霊らが関わっていることでしょう。(コリント第一10:19-20)
多くの宗教で死後の世界なり意識なりが教えられているということは、死の真相を知らせずに多くの人々を創造の神から引き離し、姿を表せない悪霊の表象としての偶像を崇拝させ、サタンの側に付かせるというのがその実態であることを聖書は知らせています。

この教えは世界の宗教の趨勢を形作っていて、死後の意識を教えない宗教というものを見出す方がよほどに難しいのが現実です。
これはキリスト教の中にまで入り込んで天国と地獄とを教え、サタンの『あなたがたは死ぬことはない』との主張を繰り返してしまう愚を現に行わせているのです。

キリスト教徒がいくらか聖書を調べるならこれらの誤りに気付けるでしょうけれども、そこには人々の「こうあって欲しい」という願望も絡んできて、どうしても神の言葉の意味するところが無視されがちになるのでしょう。
しかし、わざわざそのように信じる理由はないのです。

人の死後を問うということにおいても「伝統的なキリスト教」が必ず正しいということはありません。その教えは五世紀ころまでに元々のキリスト教を離れてしまっているからです。それでも、聖書の語るところに耳を傾け、神の語るままに死というものを問い直して、この貴重な本来のキリスト教理解に達する機会は誰にも開かれているのです。




20.戦争におけるキリスト教の敗北

2015.04.21 (Tue)
争いの絶えない一神教


三億三千万の神が居るというヒンズー教も、それぞれが化身(アバター)とされ、教義の上では一神教であるそうですが、一神教といえば、やはりキリスト教、ユダヤ教、イスラム教が代表的な「御三家」と云うところでしょう。
この三つの宗教は、つまるところ同じ神を崇拝していることになりますが、歴史的にはユダヤ教が群を抜いて古く、彼らの暦は五千七百年を優に越えています。この民族の父祖はシュメール時代の人アブラハムであり、その末裔であるイスラエル民族の歴史と共に旧約聖書も書かれてきました。

しかし、この点でイスラム教も負けていません。確かにイスラム教のスタートは西暦一世紀ころのキリスト教よりも五百年も遅れているのですが、イスラム教の担い手であるアラブ人もアブラハムの年長の息子イシュマエルの子孫であることから、宗教としての始まりは遅くとも歴史は共に古く、教祖のムハンマドは自分の教えがユダヤ人の賛同を得られるものと思っていたところが、これはユダヤ人が宗教にどれほど硬く固執するかを見誤ったというべきでしょう。結果として、ユダヤ教はこれまで通りのユダヤ教であり続け、イスラム教は別の独立した宗教となります。

その以前にユダヤ教からイエス・キリストを掲げて現れていたキリスト教とあわせて、この三つはおおもとは同じ神を崇敬しながらもそれぞれに異なる一神教となりました。
しかし、それぞれがまるで別の神を崇拝しているわけではありませんから、そこで「自分の方が正しい」という考えが起こって当然の成り行きです。

そしてどの教理が正しいかを論じはじめると、ひとつの宗教の中からも様々な「正しさ」が唱えられて、分派が始まってゆきます。そのうえ、教理や崇拝方法の論争を名目に、誰が指導の権限を握るかという政治的な争いに変質し始めるのがまるで決まりのように組織宗教の弊害となってきましたので、いまだに宗教らしくもない敵意を互いに募らせているものです。
今日のわたしたちの時代に見る通り、やはりユダヤ教、キリスト教、イスラム教の宗教間の争いは苛烈ですが、更に同じ宗教同士、内輪の分派の対立や抗争も激しく行われてきました。

キリスト教の人々は「キリスト教は世界で最も規模が大きいので、争いなどの醜聞が目立ってしまう」とか、「人間に戦う傾向があるのは、キリスト教徒に限ったことではない」と言い訳をすることがあります。
ですが、所謂「キリスト教」によって抗争や戦争が惹起され、またその敵意が著しく煽られてきたことは覆い隠しようなく歴史に刻まれており、いまさら無かったことには到底できません。

多神教の場合には、様々な神の存在を認めるので、神同士の対立は弱められます。キリスト教を国教にする以前のローマは、征服地の神々と自分たちの似た神とを同一視することができたので、征服民の前でその土地の神々にも崇敬を捧げてみせることができましたから、それは民心掌握にも利用でき、宗教は争いのもとではなく、帝国民の絆として用いることができました。

しかし、一神教の場合には、唯一神が誰であるか、どのような意志を持ち、崇拝の方式がどうであるべきかを明確にしなければならない傾向が非常に強くなり、教理でも多様性を許すことがかなり難しくなるのは自明の理です。同じ唯一神であるはずだからです。
そこで、今日まで世界に争いをもたらしているユダヤ教、キリスト教、イスラム教が元は一つの神から始まって争っていることはまったく一神教の象徴的事例というべきでしょう。

キリスト教の中でも、派閥や教理を巡って多くの争いがありました。いや、この点で言えば最も争いを起こしてきた宗教がキリスト教であるというのが真実の姿です。
しかし、初期のキリスト教は迫害される宗教であるばかりで、けっしてほかを迫害したり、争いをしかけたりするようなものでは無かったことを歴史は明らかにしています。

ですがキリスト教内部の争いの起こりといえば、第四世紀に始まったローマ皇帝からの迫害に由来するキリスト教徒同士の対立が記録されていて、これは「ドナトゥス論争」と呼ばれています。
西暦303年、皇帝ディオクレティアヌスは、キリスト教徒が集まること、また聖書を持つことを禁じ、逆らう者また、皇帝への焚香を行わない者を処刑するとしたのです。

この禁令に対してキリスト教徒の中からは様々な反応がありました。

兵士におとなしく聖書を手渡す者もいれば、渡さずに逮捕される者もあり、聖書は予め隠しておき、偽の書物を渡すという折衷派もいたとのことです。
焚香についても、激しく抵抗して処刑される者、役人が手を押さえて無理にその動作を行わされて許される者、中には焚香をしたという証明書を金銭で買う者もあったといいます。
こうした対応の違いが、特に迫害が過ぎ去ってから争いの種となりました。

迫害に妥協せずに辛い目に遭ったキリスト教徒は、自分たちが正しく、妥協した者、特に指導に任じられている者で抵抗しなかった者たちにはもはや指導者としての資格は無く、彼らが行った信者の入信の儀式であるバプテスマも無効だと主張し出したのです。

この妥協を拒んだ、自らを「正しい」とする集団はドナティウスという唱道者を中心に、ドナトゥス派と呼ばれる分派となってゆきました。彼らは北アフリカを拠点に侮り難い勢力に発展して、当時の主流派である普遍教会(カトリック)と対峙するところにまで進みます。

この事態を憂慮した普遍教会側は、遂にドナトゥス派を実力を以って排除することに着手しますが、これは史上初のキリスト教徒によるキリスト教徒への弾圧となりました。カトリック史上最大の指導者と呼ばれるアウグスティヌスが、この実力行使の容認するに至っています。

こうなると、「正しさ」というのは「強さ」と同義語になってしまいます。
その後も、カトリックはこうした「正しさ」を行使することを厭わなくなり、初期のキリスト教徒が見せた迫害に耐える姿勢から、迫害を加える姿勢へとその有様を大きく変えたのでした。

中世には、この「正しさ」はあの「十字軍」となって、イスラム教とユダヤ教に対する大規模な軍事行動へと発展します。イスラム側も「ジハード」を宣言して応戦し、それは西洋と東洋の衝突をもたらし二百年近くにわたって断続的に繰り返され、多くの命が「神」に捧げられました。

十字軍に参加する者には「全贖宥」と言って、すべての罪が許されることを教皇が請け負ったので、その粗暴さに拍車がかかり、ヨーロッパ諸侯や平民の軍隊は、途中でユダヤ人を襲い惨殺しつつ、血に飢えたかのようにパレスティナや、本来関係のない土地にまで侵入し、殺戮、暴虐、略奪を繰り広げてイスラム教徒の住む領域に侵入してゆきました。
驚くべきことに、これらの極端な悪行の数々は「聖地巡礼」の美名のもとに行われていたのです。何という「正しさ」でしょうか。
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Crusader Loui IX


この時期、教皇は数々の騎士修道会を公認しています。騎士修道会とは、武装して聖地の巡礼者を守り、異教徒を打倒すことが神の意志であり、罪の贖いを得る行いであるとする、「武力修道」というようなキリスト教からすれば矛盾を孕んだ宗教組織というべきでしょう。これらの騎士修道会にはチュートン騎士団のように慈善団体と形を変えて今日まで存続しているものもあります。

しかし、そのカトリックもやがて征服できない敵をヨーロッパに抱えることになりました。
それがプロテスタントという新手の分派だったのです。

それまでも、変質を続け異教や民間崇拝と混交してしまっていたカトリックの教理に疑問を呈する指導者が現れることもあったのですが、権力化したキリスト教会はそれらの唱道者に「異端宣告」を下しては処刑し、見せしめとしてきたのです。チェコのヤン・フスなどはその代表例でしょう。

しかし、カトリックは政治的にも横暴に振る舞ってドイツ諸侯に煙たがられていたところにマルティン・ルターが現れます。
彼は、神聖ローマ帝国の会議に呼び出され、フスのような最後を遂げてもおかしくはなかったところを、ルターの地元のザクセン選帝侯によって、その領地の城に一年も匿われたのでした。
所在不明となったルターは殺されたとも噂されていましたが、カトリックの「権力」にルターが対抗できたのは、やはりドイツ貴族による「権力」の保護が在ったればこそなのです。

こうして、カトリックは権力で打ち負かし得ない、やはり権力に守られた分派と遭遇したのですが、もちろん、それをすんなりと認めようとしたわけではありません。
そうしてドイツでは、カトリックとプロテスタントの諸侯が外国勢をも巻き込んで非常に過酷な「三十年戦争」を戦うことになりました。もちろん、その動機には様々な政治的思惑、貪りの機会を見出す貪欲さが裏にあってのことではありますが、それぞれに宗教上の「正しさ」を掲げていましたから、その戦いはほどほどの線引きを行って終わるような政治的戦争と異なった妥協の無い戦いとなり、信仰の違いが生死を分けるような残忍な殲滅行為が随所で起こります。
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近世に入って宗教の独善性は科学や社会構造の進歩によって薄められ、宗教そのものの為に戦争が起こる機会は随分減りましたが、それでも事有る毎にカトリックの旧教かプロテスタントの新教かで権力の闘争が散発し、ついこのあいだの20世紀の終わりまで武力闘争を行っていたのです。

まして軍隊を祝福する聖職者の姿は相変わらずに見られます。「キリスト教徒」の兵士たちも自分たちの戦いに正義を求め、聖職者の祝福を望んでのことでしょう。二十世紀に起こった二つの世界大戦において、日本が神道を精神的支えにしたように、欧米ではキリスト教をもって戦いの正義と信じようとしていました。

ナチスはカトリックと政教条約(ライヒスコンコルダート)を締結しており、カトリックの聖職者が共産主義に対抗する防波堤とすべく、ファシズムを後押ししたことはよく知られた事実です。しかし、カトリックといえばドイツが占領したフランスも国民の九割がそうなのです。
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他方、ドイツはプロテスタントの国でもあり、それは英米もまたそのようでありましたから、ヨーロッパはカトリックのイタリア、フランス共々、両陣営のキリスト教は新旧それぞれに入り乱れながら戦うことになってしまいました。
新教の聖職者も旧教の聖職者も、それぞれの兵士を祝福して戦線に送り出し、それぞれの従軍牧師や神父が戦場に赴き戦いを支援したのです。


戦闘行為は過剰なストレスを兵員に強制します。凄惨な殺し合いの現場に居るということが普通の人に対してどれほどの心身の負担となるかは、帰還兵の多くがPTSDに悩まされ、バックファイアにさえ身を隠し、退役後の健康を害し短命を招くということから推測できるでしょう。

その過酷で異常な現場で兵士らは自らの精神的拠り所を求めるのは自然なことでしょう。そこで従軍牧師や神父、またユダヤ教のラビも必要とするのでしょう。
しかし、そこには世俗の争いを助けるという宗教の姿があります。
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1944.jun.


もちろん戦争への参加を躊躇するキリスト教徒がいないわけではありません。
少数派の人々はこの点で、投獄されても兵役そのものを拒否したりしてきました。
それと共に躊躇する人々を説得する方法が軍隊にあり、それはキリスト教の発想の転換のようなものです。

例えれば、キリストは確かに『剣をとる者は剣によって滅びる』と言いましたが、『隣人を愛せ』とも、『友のために自分の命を与えるほどの愛はない』とも言っています。
そこで、「自分の身近な隣人を守ることはキリストの愛の実践なのだ」と言って、躊躇していたキリスト教徒も説得しようとします。それが崇高で神聖な責務であるというのです。

ですが、これは詭弁でありキリストの愛を戦いに置き換えてしまう悪辣な唆しです。
キリストが死んだのは、戦死したのではありません。イエスが一度も戦いを行わなかったことは、当時のローマ総督が何度も釈放を試みたところにはっきりと現れています。
イエスが『隣人を愛せ』と言ったのは、「隣人を守るために敵と戦え」という意味ではありません。むしろ『敵を愛し、迫害する者のために祈れ』とさえ言われているのであり、『友のために自分の命を与えるほどの愛はない』とは、戦って死ぬことではなく、イエス自身が人々の『罪』を担って犠牲となる受身の死を述べていたのであって、人を殺す過程での死を意味しません。

このように、戦いへの参加を促す誘いには、戦いの攻めにではなく、守るということが強調されます。
ですが、「攻撃は最大の防御」というように、戦いではそれが攻めなのか守りなのかを一々判別して、守りだけを行うということは実際的でも可能でもないでしょう。

日本では戦没者を悼むときには、「国を守って死んだ英霊」というフレーズが用いられるのですが、防戦一方になった戦争末期にはそう言えたとしても、破竹の進撃をした初期に通用するとは思えません。
戦争の末期では、戦争という事態の収拾が出来なかった当時の政治の失敗が、「国を守って死んだ」という大義の陰に潜んではいないのでしょうか。いや、戦争に至ったことも関係するすべての国々の政治や外交で戦争回避に失敗したのであり、戦闘員も非戦闘員もすべてがその犠牲者であったと見做すのは間違いなのでしょうか。その時期に民衆が戦争肯定に煽られていたとしてもです。

こうしたフレーズに大義が単純化され、真相が見えなくなってしまう例は、戦勝国であるキリスト教国側でも変わりません。
もはや趨勢も決したかに見える1945年夏に、米国で原子爆弾の日本への投下を正当化するのに用いられたフレーズは「戦争を早く終わらせる」というものでした。そして、今でもそのように広く理解されているのですが、これは多くの無防備都市への絨毯爆撃と同様に、著しい無差別攻撃であり、国際人道法上に問題を含んでいるとも言われます。

当時の陸軍元帥アイゼンハワーは「原爆の投下は必要が無い」と言って反対していましたが、少数ながら米国には反対を唱える声がこのようにあったにも関わらず、それはトルーマン政権により、わずか三日違いで二度までも決行されたのです。

広島に向かったB-29エノラ・ゲイ号については、核爆弾を投下する任務を果たしてこの戦争を早く終わらせ、その搭乗員が「無事に」帰還するようにとの祈りが従軍牧師によって捧げられた後、この爆撃機は太平洋の島から飛び立ち、やがて「任務」を果たして兵士らは確かに帰還しました。そのうえで、「その祈りは聞き届けられた」というキリスト教徒(日本人)がいるのです。
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1945.8.6未明

宗教家たちは戦線の双方で宗教が兵士らに戦うための精神的支えを与えて戦線に送り出してきたのですが、戦うという行為そのものを宗教は問題としなくてよかったのでしょうか。
それこそが、宗教が抑制力として貢献できた場ではなかったのでしょうか。ここから見えるものは、世界大戦について宗教の無力と、意義における決定的敗北というべきでしょう。二発目のプルトニウム型核爆弾は、長崎のカトリック教会と多くの信徒の上に炸裂し焦土としています。そこでキリスト教も無力であったということでしょうか。

特にヨーロッパの戦線ではキリスト教の諸宗派の本質が問われたと言えます。
キリスト教の同じ宗派の祝福が双方の軍隊に対して行われ、実際に戦闘が行われるときに、さて神やキリストはいったいどちらの側についたのでしょうか? それはむしろ問題にはされてもいなかったことでしょう。つまりは神をそれぞれの心の支えに利用しただけというのが実態であったことがそこに見えます。
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それは「正しい」と唱えながら、その行うところはまるで正反対というべきであったでしょう。その戦いにキリストとの関わりが何かあったでしょうか。
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ですが、これらの争いの全体を眺めるときに、人間はともかくも、神はこれをどう見ているのかこそが問われるべきことに違いありません。
神は本当にこうした人間の「正しさ」をそのままに「正しい」と認めていたのでしょうか?
第二次世界大戦はキリスト教国による二つの原子爆弾の投下によって無数の非戦闘員の殺戮の後に終わりを見ました。いや、その後の混乱の中でも様々な犠牲者を出し続け、後遺症に苦しんだというべきでしょう。

ヨーロッパでは、民族浄化の証拠が示されていても教皇はナチスによる残忍なホロコーストを黙認していました。カトリック信者への迫害を恐れたのです。カトリックはこれをヨハネ=パウロ二世のときに謝罪することになりました。
ですが、これらの歴史をキリスト教全体としてはどう見るべきでしょうか?

『剣を執る者は剣によって滅びる』というのがイエス・キリストの教えであり、実際、初期のキリスト教徒は迫害を受けこそすれ、迫害したり、武器を振う集団ではなかったと歴史資料から言うことができます。
それがキリスト教もローマ帝国の宗教となったときに変化せざるを得ませんでした。ローマ帝国がどこかの国や民族と戦争を行うときに、その国教である宗教が戦いを禁じていては国は滅びるばかりです。実際、ローマがキリスト教を国教にしてからは帝国の弱体化が顕著になってゆく途上にありましたから、なおの事、兵士は戦わねばなりません。
そこで、キリストの教えに基づいて戦闘を避けようとする純真なキリスト教徒は、却って国教としての「キリスト教」を否認していることになってしまうというジレンマが生じていました。

キリスト教がローマ国教となる前であった四世紀には、例えれば「聖マルティヌス」として知られるキリスト教徒がいます。彼は十歳からキリスト教教育を受けていましたが、立場上ローマ軍騎兵の精鋭となっていました。しかし、その良心は彼を苛んでいたようで、軍隊に入って三年目で十八歳のとき、遂に「自分はキリスト教徒です」と申し出て、戦闘の放棄を宣言しました。そこで上官から与えられた条件は、敵の前に武器を持たずに立つならば釈放するということであったといいます。しかし、そこに蛮族の敵軍が和平を申し出てきたので戦闘にはならず、彼はそのまま釈放されることになったと伝えられています。

この時代にはキリスト教徒は少数で、帝国の宗教ではなかったからこそ、却ってキリストの言葉に従おうと願う軍人も存在できたといえます。
当時はキリスト教が軍隊を含む様々な場所に浸透し始めた時期で、軍隊の中でもキリスト教に徐々に改宗しつつある人々がいる過渡期でありましたから、却って純粋な動機で信仰に従い戦いを放棄することもできたでしょう。
しかし、キリスト教が帝国の宗教となってしまうとキリスト教そのものが変質してしまい、ユダヤ教やイスラム教のように「戦う宗教」とされました。そこでは戦いを拒否することは却って「信仰を否定する」ことになってしまうのです。

その原因といえば、『王国はこの世のものではない、もしそのようなものであったなら、わたしの弟子たちは戦っただろう』と言ったキリストの『王国』が世俗を離れたところにある別物であるという意識の無さがあります。
まさに、カトリック最大の教師とされるアウグスティヌスは、それ以前のエイレナイオスのような教師の教えた「この世の終わり」に実際に到来する政府としての『神の王国』の教えを無視して、その先達の著作の写本を作らせる際に、その一部を意図的に破棄までしたのです。

アウグスティヌスはローマ帝国がキリスト教を国教とすることに大いに賛成しており、この世の終わりの神の王国が実際に到来することを信じてはいませんでした。かえって彼は曖昧模糊な解釈を施してその教えを封じる方向に動きます。そこで、ローマという世俗の帝国の歴史の果てに『神の国』が教会の中に完成されるという、俗世との折衷を意図して、世俗との無関係を唱えた本来のキリスト教からはっきりと離れました。
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Aurelius Augustinus

アウグスティヌスにとって『神の王国』はイエスの誕生以来始まっていて現在進行形であり、原始キリスト教の言うような将来の終末に、現実の権能を持った政府として現れるものではなかったのです。そこから神の国は信じる者の中に存在するものともされてゆきます。

つまり、神の治める国はすでに来ていると唱えたのです。
その結果、神の意志は摂理となって地上に表明されていることになり、起こる事柄には神の思し召しがあっての事とキリスト教徒に理解されるようになります。

しかし、この世が神と対立するものであることは聖書に何度も語られています。
ひとつ挙げればヨハネ第一の手紙の5章19節に『わたしたちは神から出た者であり、全世界は悪しき者の配下にある』と記されており、キリストの死後であってもこの世が神とは無関係で、むしろ悪魔の側にあることを教えているのです。
この世の有様が神の意志であるというなら、それは何と酷いものなのでしょう。争い合うこの世が神の意志に従っていると言えば、それではかえって神を冒涜することにはならないでしょうか。

アウグスティヌス以来、キリスト教は権力と結びつき、上記のような争いの宗教となってきたのは歴史の証明する通りです。『この世』は神から離反しているので、争いは避けられません。ですからキリスト教徒といえども『この世』の権力に組みすれば、争いに巻き込まれるのであり、そこに「神の義」などはありません。聖書にそのようなキリストの姿を見ることはけっしてないのです。(ヤコブ4:1-4)

ローマ国教化以後のキリスト教の歴史には、戦いを度外視して除くことができず、イスラム世界に対する十字軍に加えて、内部の敵と見做した異なる教理を持つ宗派への流血は、ドナトゥス派迫害から中世を越えて宗教改革期の戦争以降も「異端審問」を通して繰り返されてきました。これに欧米の多くの立場の弱い女性たちを虐殺することになった狂信的で無慈悲な「魔女裁判」もそう無関係とは言えないでしょう。

聖書の中には『汚れたものが清いものを出せるだろうか?だれもいない。』とあります。(ヨブ14:4)
まさしく、ひとたび権力の流血に染まったキリスト教は、そこから元に戻れずにいます。そしてユダヤ教やイスラム教共々に、苛烈な宗教紛争の当事者となってきたことは覆い隠しようのない歴史の事実です。
それでも武器を執らないキリスト教徒が、新興の宗派などでわずかに存在はしたのですが、「キリスト教」と一言でいうなら史上最も戦いを行ってきた宗教と言わざるを得ません。
しかし、それはキリストの言葉に逆らってのことなのです。

ここでも、ローマ国教化以前の原始キリスト教に目を向けるべき理由があります。
そこには政治に組しないキリスト教がありましたが、それはコミュニティや地域集団で信仰する宗教でも、国家を後押しする教えでもありません。国全体の教化、つまり「福音化」を目指して信者の比率を上げようとしたり、巨大な教会堂や組織を維持したりする理由もありません。
個人の信仰が本来のイエスの教えであり、そこにこの世に知られていない本来のキリスト教がいまだに隠されているのです。



19.終末の裁き

2015.01.20 (Tue)
「神の裁き」といえば、恐れを感じさせるような、まず人気の出ない言葉です。
一般の教会に通う人々もその点は変わりなく、「裁き」を唱える宗派は異端のように言われさえします。
「裁き」には教会員の望む幸せなご利益を曇らせる響きがあるからでしょう。
ですが、原始キリスト教の観点からすれば、聖書に再三にわたり書かれている以上、「裁き」について語らないわけにはゆきません。

確かに「裁き」は陰気な雰囲気の言葉ではありますが、後に述べるように、この世の「終末の裁き」について聖書記述を追ってゆきますと、その「裁き」で人は厳格に言動を問われることはなく、むしろ、きわめて公平で寛容な裁きを受けることが分かります。
そこで、人々は恐れをなして「善人」の仮面をつける必要もありません。むしろ、神は人の内面を見ると言われるからです。

それにしても、神はなぜ「裁き」をもたらすのでしょう。
それはまず、人間の自由意志と深い関連があります。また「裁き」は「救い」とも関連しているといえます。

「救い」は「裁き」を通してもたらされることを旧約聖書が示しています。
神が裁きを行った例として、奴隷にされていたイスラエル民族をエジプトから導き出すにあたり、紅海の膨大量の海水が左右に分かれ、イスラエル人の逃げ道となって彼らを救い、その海の中の道にエジプト軍が追撃して入ってくると、その水はその兵士らの上に戻り、呑み込んでしまいました。ここに「救い」と「裁き」が現れています。虐げる者から弱き者たちを救うという裁きでした。

このような神の強力な裁きの執行が、過ぎ去った時代だけのものだけかといえば、聖書はそうは言いません。
むしろ、この世の終わりに臨んでは、神が非常に大きな力を振うことになることを繰り返し記しています。(エレミヤ25:31/ミカ7:15/ゼパニヤ3:8)

最終的に、神は人間のひとりひとりに救いを備えていますが、それは無条件なものではありません。
なぜなら、神からの救いにあずかったとしても、そもそも人間に救いを必要とさせた、その同じ過ちが繰り返されれば、苦しみの原因はいつまでも無くならず、世界を優れて良いものに創造し存在させた神の意図は永久に実現を見ない事になるからです。

その繰り返すべきでない過ちとは、アダムが犯した罪、つまり、自分を存在させた創造の神への不忠節さにあります。
それは、自らを存在させた方に尊敬も感謝も払わない事であり、自らの作り手に相応しい敬意を抱かないところで、道徳、また倫理のすべてを土台から覆してしまいました。 この人間の倫理上の欠陥を聖書は『罪』と呼びます。
人間に『罪』があることは、この世をいくらか眺めるだけで余りにも明らかです。

この世は、基本的にこのように創造の神を無視する状態にあり、キリスト教界にあってさえ、ご利益を求めて神を崇拝しているのであれば、神の意図には無頓着というべきでしょう。 また、自分が救われることばかりを願うことも、本当には神を知ろうとはせず、その関心は自分にばかりに向かせてしまうでしょう。

神との関係を低めたアダム以来、人類は神との間での道徳の基礎を失った状態にあり、神ばかりか人とも適切に関わってゆくことに問題を抱えています。つまり、人間は「他者とどう生きてゆくか」という倫理について、欠陥を背負って生まれて来るのです。

これについて聖書は『ひとりの人によって、罪がこの世にはいり、また罪によって死が入ってきたように、こうして、すべての人が罪を犯したので、死が全人類に入り込んだ』と記しています。(ローマ5:12)

この『罪』がアダムから遺伝している証拠は誰の目にもはっきりとしています。
それが証拠に、世界から争いや犯罪が絶えることがありません。倫理上の欠陥は、すべての人間が避けることができないのです。これが聖書の言う『罪』であり、誰かが犯した個々の悪行を指しているのではありません。人間は皆『罪人』であると聖書は明らかにしています。

アダムが禁断の木の実を取って食べた事、それがすべての『罪』のはじまりであったと創世記は告げています。こうして聖書は簡単な記述ながら、全人類が道徳的な問題から逃れられない理由を知らせます。

つまり、創造の神という、まったく人間が存在する由来、究極的な第一者に対する関係性、すべてのコミュニケーションのはじまりにおいて、人間はすでにつまずいているのです。 これが互いにどう関係するかという倫理、また道徳上の問題の原因となって人類を苦しめてきたのです。

一方聖書では、『神と人を愛する』ことをあらゆることに勝るべきものと見なします。 『愛は隣人に悪を行いません。だから、愛は法を全うするものです。』とあるように、 この『愛』こそが人が必要としていることであり、『罪』の反対側にあって、唯一人間の中に存在する真実な事柄です。(ローマ13:10)

そこで、まず倫理という他者との関係性に問題を抱えてしまった状態にある人間にとって、『愛』による神との関係の回復なくして、その欠陥を改善することはできません。 『罪』によって壊された神との関係を元に戻すことこそが、人間の最重要な事柄であり、それが倫理の基礎を取り戻すことになるのです。

しかし、人は誰も、自分から倫理上の欠陥から逃れることができません。
また、神がひとたび『罪』に陥った人類をそのまま無罪放免とすることは、神自身に倫理上の矛盾をきたらせることになりますし、創造界から却って倫理を奪い去り、秩序を捨て混沌に陥れることになってしまいます。それは創造した世界を虚しさに陥れることで、当然ながら神の創造の意図するところではありません。

そこで神は、人間の『罪』の責めを『もう一人のアダム』と呼ばれる『罪』の無い人間に負わせることをよしとされたことを聖書は明かします。 (コリント第一5:45-47)
それが『世の罪を取り去る』キリストであり、イエスが処女から生まれたとされる理由も、『罪』が遺伝しているアダムの血統に属してはならないところにあるのです。 (ヨハネ1:29)

『罪』の無いキリストは、死に至るまで試されても神との関係を捨てずに忠節を全うし、その犠牲でアダムの犯した『罪』を相殺し、人類が神との関係を回復する道を開きました。(ローマ5:17)

さて、そこで、アダムの子孫のすべてに、エデンの園でアダムの前に置かれた二択が同じように問われることになります。 なぜなら、貴重なキリストの犠牲を受け入れず、感謝しない者をその救いから除外するためであり、これが『裁き』となります。

キリストの犠牲を信じず価値を見出さないなら、それは大きな倫理上の問題となります。 それは『罪』の内に留まることを敢えて選ぶに等しいことで、アダムと同じ選択をすることになるのです。

アダムとエヴァはエデンの園で、神との関係をなおざりにし、忠節ではありませんでした。 そこで倫理上の欠陥を負ったので、あらゆるアダムの子孫は『罪』の内に生まれてきたのです。 一度低められた祖先は低められたものを生み出すばかりです。その『罪』が存在することはこの世の現状を見る限り否定のしようがありません。

アダム以来、人間の生涯は『顔に汗してパンを食べ、ついに地面に帰る』という、強制労働と死を待つ空しいものとなってきました。また『罪』は、人間社会にあらゆる争いや偽りや圧政を今日までもたらしてきたのです。

世界中では、すべての人々に行き渡るだけの食料が生産されていても、飢餓や過酷な食料不足がなくならない理由のはなぜでしょうか。近年の自然破壊も人間の『罪』と無関係ではありません。 そこには人類の身勝手な貪欲が作用していないでしょうか。

経済上の争いは富の偏在と不均衡を生み、財に有り余る一握りの人と、貧困にあえぐ無数の人々の世界がこの世です。
そしてすべての人が富を巡って日々争い、金銭の奴隷となってしまっています。
『アダムの子ら』は何と生きるのにむずかしい世界に生まれてくるのでしょう。

しかし、キリストがその『罪』を相殺する犠牲となった後、アダムの子孫には『救い』の道がただ一本開かれました。 それは隣人愛の精神を教える道でもあります。
ですがこの点で、アダムと同じようにその子孫についても試される必要があります。

救いをもたらすキリストの犠牲を受け入れるということは、まず、イエスを神が人間のための犠牲となるよう遣わされたキリストであることを認めなければなりません。つまり、イエスをキリストとして信じることが求められるのです。 その信じるということには、その自己犠牲の精神に同意し、その人なりであってもキリストの歩みに倣う気構えが求められることでしょう。

聖書に『子(キリスト)を信じない者には、神の憤りが留まっている』とあるのは、このためです。 (ヨハネ3:36)
多くの教会では、このような言葉を根拠に、洗礼を受けた信者にならないと救われないと教えます。

ですが、キリスト教を信じてバプテスマを受ければ、それで救われるわけではありません。 (フィリピ2:12)
なぜなら、まだ『罪』はそのまま残っているばかりか試みを受けてはいないからです。 聖書ではこの世の終わる「終末」の時に、その試みを受けることが『裁き』となることを知らせています。(マタイ25:31-/ヨハネ第一4:17)

アダムの場合は木の実を取って食べるかどうかの試みが『裁き』となりましたが、その子孫の場合は『神と子と聖霊』に信仰を働かせなくてはなりません。人を救うのは洗礼ではなく『信仰』であると聖書は言います。 (マタイ28:19/ローマ1:17)

キリストがユダヤに現れたときに、その行う奇跡の業は神からの聖霊によるものでした。 (ヨハネ10:38)
しかし、多くのユダヤ人はその奇跡の業を見てもキリストを信じず、却ってイエスを処刑させてしまったのです。 (ヨハネ第一5:9-10)
つまり、ユダヤ人の多くは神は信じても聖霊が信じられず、キリストも信じなかったのです。 原因は彼らに偽善を行わせる利己心や高慢さにありました。

その一方でイエスは下層の人々、罪人として社会から遠ざけられ、ユダヤ教の会堂にも入れてもらえない収税人たちや娼婦らにも分け隔てなく接していました。
それを見た宗教指導者層は、そのイエスを「収税人や罪人の友」と呼んで侮蔑していたのです。(マタイ11:19)

このエリートらは、自分たちの敬虔さを誇って、会堂でモーセの律法を聴くこともできない下層民を「地の民」(アム ハ アレツ)と呼んで蔑視していました。
ですが、イエスはこうした差別をせず、かえって、この人々が『神の王国』に入りつつあることを指摘しています。この世の終わりの裁きも同じようになることでしょう。(マタイ21:31)

では、この世の終わりの裁きはどのようなものとなるのでしょうか。

この世の終わり、つまり終末のときには、キリストの使徒たちや直弟子たちのように、信者の中から聖霊を注がれて、奇跡の業を行う人々が選ばれ、その人々は『聖なる者』または『聖徒』と呼ばれます。 (ルカ21:15/コリント第一1:2.)

この人々は、聖霊を通して奇跡を行うだけでなく、『罪』にまみれた『この世』という体制に有罪宣告をはっきりと下します。 (ヨハネ16:7-8/コリント第一6:2)
その言葉を論駁できる者はいないともイエスは予告されました。 (ルカ21:12-15)

ですから、人類が裁かれるとき、アダムのように神から離れる人々は、意図的に、敢えて、『罪』に凝り固まって『神と子と聖霊』を信じない道を選ぶことになります。 具体的には聖霊の業を行い、その言葉を語る『聖徒たち』を助けないことによってその道に入りることをキリストは告げています。(マタイ25:41-46)

一方で聖霊の業や言葉を信じる人々はアダムの道を離れ、救いへの道を歩み始めることになるでしょう。 この人々は『聖徒たち』の言動に神を感じ取り、信仰を働かせるので、聖なる者たちを助けようとします。(マタイ25:31-40)

この裁きでは、自分が倫理上の欠陥を負った存在であることを謙虚に認め、それがどれほどの問題を引き起こしているかを味わい知っていなければ、聖霊の言葉に同意もできないでしょう。

また、この裁きの終わるまで、キリストは人類に対してその姿を現しません。そうしなければ、人々は自分がどちらのものであるかを信仰によって自由に示すことにならないでしょう。
そこで、終末のキリストは『雲と共に来る』ことを新旧の聖書は揃って語ります。それはつまり、裁きのためにキリストは見える姿ではけっして来ないという意味です。(マルコ14:62/ダニエル7:13)

しかし、裁きが終わり、人々が分けられて後、不信仰な人々は信仰を持つ人々に手を下そうとするときに、神は介入して不信仰な人々に終わりをもたらし、信仰ある人々を救われます。そこでは、あらゆる目が神とキリストの力を認めざるを得なくなり、その意味で雲と共にいたキリストを『見る』ことになるでしょう。(エゼキエル38:16/黙示録1:7)

こうして神の裁きを見渡すと、奇跡の業と言葉をもたらす『聖霊』が非常に大きな役割を果たすことが理解できます。(マルコ3:28-29)
また、聖霊を注がれる『聖徒』と呼ばれる選ばれた人々に対してどう振る舞うかで、将来の終末の「この世の裁き」の結果が個人的に決まってくるということも視野に入ってきます。(マタイ10:42)

そこで求められるのは『信仰』であって、善人であるかどうかということにはなりません。品行方正な人を神は選んで天国に召すというのは、まったくの誤解です。(フィリピ3:9)

聖書によれば、天に召されるのは『聖徒』だけで、その目的は人類の罪を贖いながら、彼らが天国ではなく『天の王国』を構成して新しい世に人々を導くためなのです。世界の人々はこの『王国』の支配の下に入ってはじめて、本当の意味で『罪』を除かれて生き方を改めることができます。その裁きの以前では、どんなに善人を振る舞っても、それは仮面をつけただけのことで、内面は本質的に変わってはいません。

ですから神の目的は善人を集めて良い世界を造るのではありません。むしろ、罪深くとも悔いる人々を神は見過ごさず、キリストの犠牲をその人々のために当てはめ、その罪を消されます。 罪を除くことは、人間がどんなに努力してもけっして出来ない事だからです。『自分には罪はないと言うなら、その人に真実はない』と聖書は言うのです。(ヨハネ第一1:8-9)

ですから、今、善良にしていれば、または信仰があれば神は救ってくれると期待する理由はありません。また、過去にどんな犯罪や過ちを行ったかもそこでは問われるものではありません。この点で、キリストは『どんな罪も許される』とまで言われるのです。(マタイ12:31-32)

教会で教えられるように、バプテスマを受けた「キリスト教徒」を救うのが世の終わりの裁きというわけでもありません。
どんな宗教を信じていようと、どんな思想を持っていようと、どんな立場にあろうと、終末に働く聖霊の奇跡を信じるか否かによって公平に裁きが将来世界中に臨むことになります。それこそが「神の裁き」であるからです。

聖書の預言は、終末に神が『あらゆる国民を激しく揺り動かす』ことを知らせています。それによって諸国民から多くの信仰を表す人々が現れることでしょう。(ハガイ2:7)これこそが、聖霊を通した神の世界宣教ともなり、人々を二つに分けるものとなります。(マタイ10:18-)

そこで人々は、それぞれに自分が本当にはどんな者であるかを、自ら納得しながら、迷いなくあらわにすることになるでしょう。
人は『聖霊』を前にしてはじめて、心の中の決定を自由に表すことになるからです。
それは、神とみ子だけでなく聖霊をも含んだ信仰でなければなりません。

試みを経て神との絆を選び取る人々について、聖書はキリストの自己犠牲の愛の許に集められ、『神の子』とされることを知らせます。この意味は、神の創造物として完成され『罪』をまったく去って、神と共に生き続けることです。
ですから、試みの後に『死は火の湖に投げ込まれ』もはや存在しないことを示しています。


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18.聖書を読む 新約

2015.01.04 (Sun)
聖書を読む  新約


キリスト教に近付こうとする人にとって最も重要な聖書の部分は新約聖書であるべきでしょう。
なぜなら、キリストの現れによって、以前の聖書の内容に込められた本来の意味が明かされてゆくからです。

新約聖書には、旧約に無いスタイルが用いられています。
それが福音書や手紙という形式ですが、「福音」とは中国語からきた名称で、「幸福な音信」を意味し、そこではキリストの現れと宣教が記されています。

四つの福音書の次に続くのがキリストの弟子たち、特に「使徒」とされた弟子たちの活動の記録であり「使徒言行録」、あるいは「使徒行伝」と呼ばれます。この書の重要性は、キリスト教の誕生がキリストと共に始まったのではなく、キリストが死を迎え、復活して天に帰った後であるというところにあります。

この書のあとには、使徒パウロの書いた14の書簡が続きます。これらには彼が聖霊から受けたキリスト教の重要な教理が込められていて、それはユダヤ教を遥かに超えるキリスト教の素晴らしさを知らせるものとなっています。
新約聖書の書簡の部分には、パウロのほかに使徒ペテロ、イエスの弟ヤコブやユダ、また、最後に残った使徒のヨハネのものが含まれます。これらの著者はキリストとほぼ同世代のヘブライ人です。

そして、新旧の聖書の末尾に位置するのが「ヨハネ黙示録」であり、これは人類の「終末」を預言する謎に満ちた書です。

新約聖書はこのように、福音書4、使徒言行録1、書簡集21、黙示録1という四種類の文章27書で成り立っています。


では、もう一度、新約聖書の巻頭にある福音書から概略を説明しましょう。

四つの福音書では、キリストの現われとその宣教活動、そしてユダヤ人宗教指導者らによって刑死に追いやられ、復活して天に挙げられるまでが記されています。
その内容は、旧約聖書で予告されたメシアつまりキリストが、ナザレからのイエスであったこと、そして彼が大いなる奇跡を行い、『神の王国』について語り、最後にはユダヤの体制派の人々によって退けられて刑死を遂げられ、三日目に霊への復活を遂げた様を知らせます。


これら福音書は、ユダヤ人の間に神からの音信が途絶え、旧約聖書が書かれなくなって四百年後に起こった出来事から書き始められます。それが、旧約最後のマラキの預言書が予告していたエリヤの現れでありました。

もちろん、過去に生きたエリヤが生き返ったのではありません。
しかし、その新たな人物が古代のエリヤのように、らくだの毛皮を身にまとい、皮の帯を巻いていたところが古代のその預言者と変わらなかったのです。

この人物はレヴィ族の祭司の息子で名をヨハネと云いましたが、彼はユダヤ人に『悔い改めよ』と呼びかけヨルダン川で水のバプテスマ(浸礼)を施し始めます。
それで彼は「バプテストのヨハネ」と呼ばれます。
彼がユダヤ人に説いた「悔い改め」とは、律法契約の不履行の罪に対するもので、そのバプテスマもユダヤ人に限られるものでした。

ヨハネがこれを行うことで、預言者マラキが予告していたふたつのことを成し遂げます。
まずひとつは、民を悔い改めさせることで『子の心を父に立ち返らせ』、人々をメシアに備えさせることであり
もうひとつは、『主に先立ってゆき』メシアをイスラエルに紹介することです。

ヨハネがバプテスマを施していると、その中からひとりの人物に聖霊が降り、『この者を是認した』との天からの声があります。
ヨハネは弟子たちに、このナザレから来た方イエスを指して『見よ!世の罪を取り去る神の子羊』と言って紹介します。

また、ヨハネはユダヤ人に祝福と呪いのふたつの道がメシアによってひらかれることを示して、『その方は聖霊と火であなたがたにバプテスマを施すことになろう』と予告します。これはメシアを受け入れるか否かによってユダヤ人の前に二つの道があることを表していたのですが、このときにそれを悟った者はなかったことでしょう。
つまり、キリストの到来によってユダヤという宗教体制がふたつに裁かれようとしていたのです。

イエスはそれから荒野に入り40日の試練を受け、サタンの誘惑も退けます。
その後、故郷のあるパレスチナ北部ガリラヤ州から宣教を始め、人々の病気を癒し『神の王国』の近付いたことを例えを以って語り始めます。また、ガリラヤ湖のほとりで後に使徒たちとなる主要な弟子たちを得ます。

ヨハネ福音書には、イエスの宣教中に行なわれたユダヤ人の祭りが書き出されており、それによると、その宣教期間は四年未満であったことになります。
このように教祖の宣教期間が短いことを考えると、キリスト教が今日、世界最大の宗教であることは異例なことです。

しかし、その活動は非常に充実したものであったことが、これらの福音書の内容が物語っています。
イエスの一行には、まず十二人の使徒が随行し、生活上の助けとなる女たちや、七十人に及ぶ協働する者らに加え、奇跡を行うイエスを慕ってその後を追う群衆が集まることもありました。

イエスは病に苦しむ人々を哀れみ、集まって来るあらゆる病人を一人残らず癒し、死人さえ復活させています。
それでも、イエスは群集に『神の王国』を直接には語らず、常に例えを用いて話し、使徒たちにだけはその意味を告げていました。
なぜなら、『神の王国』は『天地創造以来隠された奥義』であり、当時のユダヤ人の誰もが同じように知ることが許されていなかったとイエスは使徒らに告げます。それを知るには『聴く耳』を持つ、つまり深い関心を寄せることが求められました。

また、イエスは自身が「約束のメシア」つまりキリストであることもユダヤ人には明言しません。
そのためユダヤ人の間で、この奇跡を行う人であるナザレ人イエスについて意見が分かれます。
ある人々は、彼をメシアと認めますが、他の人々は認めずに、魔術を行って民を惑わしていると言います。

しかし、イエスは「自分を信じなくても、自分の行っている奇跡の業は信じるように」と告げます。
ですが、ユダヤの宗教指導者層はイエスを敵視し始めます。
なぜなら、ユダヤの宗教習慣に反して、安息日に奇跡を行い、彼ら指導者の行いを暴く発言をするところが受け入れられないからでした。
それに加えて、イエスは指導者層が蔑んでいた一般民衆と共に交友し食事を共にすることも、エリート意識の高い人々の不平を鳴らす原因となっていたのです。

ユダヤの民衆の中からは、このナザレ村から来られたイエスの行う奇跡や確固とした話に信仰を働かせ、キリストの到来を見出す人々が現れてゆきましたが、指導者層をはじめとして、体制全体としてイエスをキリストであると認めるまでには至りません。
当時の指導者の会議である「サンヘドリン」では70人の中で、キリストに信仰を持ったことが聖書に記されたのは僅かふたりだけでした。

むしろ、サンヘドリンのイエスへの敵意は次第に強まってゆき、遂に指導者層はイエスの逮捕を試み、協力者を募ります。
そこに密かに応募したのが、十二使徒のひとりで一年ほど前から密かに不忠節となっていたことをイエスに指摘されていたイスカリオテのユダであったのです。(ヨハネ6:71)

イエスは捕らえられる前に、最後の晩餐を十二人と共にしますが、そこでは旧約で予告された『新しい契約』に関わる儀式を制定します。
それが「主の晩餐」と呼ばれる無酵母パンとぶどう酒による儀式であり、イエスの復活ではなく、犠牲の死を記念するものです。

これが済むとユダはイエスを売り渡すために外出し*、イエスはなおしばらくの時間、弟子たちに自分の去った後の事を知らせ彼らの心を整えます。*(ルカ22:19-)
その会食の後、彼らがエルサレム城外の園に居たところに、ユダと武装した一団が到着しイエスを捕縛して大祭司の許に連行します。

宗教家たちは不正な裁判を行ってイエスを死罪に定め、夜が明けるとローマ総督ピラトにイエスを処刑するよう訴えます。
しかし、ピラトはイエスに罪を認められず、何度も釈放を試みますが、イエスを嫌うユダヤ人たちは群集の数を頼んで総督に圧力をかけ続け、遂に処刑させることに成功します。

こうして、イエスはユダヤ人宗教家らの策略によって処刑に渡され、『神の子羊』として犠牲となります。それは旧約聖書の予告するところでありました。
しかし、神はイエスを三日目に復活させ、墓が空であるのを弟子たちは見ることになります。

その後40日の間、復活したイエスは弟子たちに時折に現れ、最後は宣教を世界に広げる事と、エルサレムに留まる事とを指示してから弟子の見守る前で天に昇ってゆき、ついに見えなくなります。

ここまでが、おおよその福音書が伝えるイエスの伝記です。

福音書の中では、イエスがひとりのユダヤ教徒でありながらも格別の存在であったことがはっきりと書かれています。
イエスは神を専ら『父』と呼び、自らを『人の子』と称え、神との深い関係を持っていることを終始示し、神の神殿がぞんざいに扱われ、汚されているのを目にしたときには、これを実力を使って排除までしています。イエスが望んだことは『父を尊ぶ』ことであったのです。

イエスはキリストとして多くの奇跡の業を行いましたが、それを『父の業』と呼び、『自分からは何も行えない』とまで言います。
質素な生活を送り、『頭を横たえる場所も無い』ほど活動を続ける生活を送りましたが、そのほかにも弟子たちの理解の遅さも耐えなくてはなりませんでした。
こうした苦しみの最後に、犠牲としての死を受ける覚悟も必要としていたのです。

その『父』である神への忠節な生涯は、その結論というべき犠牲の『死によって、(人々に)死をもたらす悪魔を無に帰せしめ』ることになりました。
キリストの生涯と死を通して、父なる神の至高性が一度限り証明されたので、御子の犠牲の死はすべての知的な創造物に神への忠節な愛を求めています。

こうして示されたイエスの生き方に、弟子たちはどのように応えていったでしょうか。
ユダヤの体制派はイエスを処刑させて、この新しい宗教活動を封じることができたと一安心していたことでしょう。

しかし、キリスト教が真の力を発揮するのはここからです。こうして「使徒言行録」以降、いよいよキリスト教が作られてゆくことになります。
その点で、キリスト教においては、イエスの死がユダヤ教からの分岐点のようになっているのです。

弟子たちの活動は、『わたしを信じる者もわたしの行いをするでしょう。それもずっと大きな行いをするのです』とイエスが語っていたことの成就であり、パレスチナに限られていたイエスの活動が世界に向かって広がってゆきます。
そこで使徒や直弟子たちが師イエスの活動を受け継いでゆきますが、それが使徒言行録に記されている内容です。

使徒言行録を記録したのは、福音書も書いている医者でもあったルカです。
彼は、使徒パウロの宣教の旅行などに同行していることが第16章から確認できます。
ルカはその現場にあって、その実際に見聞きしたことを記録していることは、旅程の日数などの詳細からも確認できるほどです。

また、この書は初期の弟子たちにその活動の場面で出会うかのよう読めます。
ペテロやヨハネは十二使徒であり福音書からの古顔ですが、新たにイエスの弟ヤコブが大きな役割を担い、ほかに元は迫害者であったパウロと彼を気遣うバルナバ、その従兄弟のマルコ、彼には若いときの失敗も記されていますが、後にペテロの通訳ともなりその情報を得て福音書を記すことになります。
また、使徒への七人の助け手の中で最初の殉教者となったステファノと、聖霊と共に宣教に携わったフィリポなど、キリストの業の拡大をこれらの人々が受け継いでゆく様は壮観です。

しかし、これが僅か四年ほどで宣教を終えた教祖が刑死してしまった宗派の姿なのでしょうか。
もちろん、これらの活動の進展は人間の力や知恵に由来するものではありません。

さて、キリストの直弟子たちは、師を失ってからしばらくはユダヤ人を恐れてエルサレムの片隅に隠棲しています。
彼らはイエスの指示に従い、エルサレムに留まっているうちに、ユダヤ教の祭りである五旬節(ペンテコステ)の日を迎えます。

イエスは、弟子らが聖霊を受けることになることを何度も予告していましたが、その日の朝に『大風のような轟音がして』二階の間に集まっていた百二十人ほどの弟子たちの頭の上に聖霊が降ります。
祭りに来ていた外地からのユダヤ教徒たちは、轟音に驚いてその方向に行ってみると、各国語で話すイエスの弟子たちを見出します。

イエスは天に戻るに際し、使徒たちに『聖霊があなたがたに降るとき、力を得て・・地の絶え果てるところまでがわたしを証しする者となる』と告げていましたが、こうしてイエスの弟子たちが世界に向けて広げられる第一歩が踏み出され、その日のうちに三千人がキリストの名によるバプテスマを受けて加わりました。

その後も、聖霊は彼らを助け、特にペテロや使徒たちを通してイエスが行っていた奇跡の業が受け継がれ、聖霊はその場の弟子たちすべてに注がれたこともルカは記しています。

外地からのユダヤ人たちは、五殉節の祭りの後も、新たに得た信仰を喜こんでエルサレムに留まっていましたが、ステファノの殉教が起こると各地に散らされてしまします。
ユダヤ教の指導層は、イエスを亡き者としたように、その弟子たちの存在をも快くは思いません。ステファノの処刑を契機にこの一派の弾圧に乗り出し、その先鋒を務めたのがサウロというパリサイ派の男でした。

ですが、このサウロがイエス派の弟子たちを捕縛連行しようとダマスカスに近付いたところで、彼はイエスによって一時的に盲目にされてしまい、却って弟子となるよう招かれるという事態が発生します。
この人物が後にギリシア風に名前を変えて使徒となったパウロであり、その後、彼ほどキリスト教の教理を先頭に立って導いた人物はありません。それは十四通もの彼の書簡が新約聖書に含められていることが物語っています。彼自身は、これらの教えが自分から出たものではなく、イエスからのものであることを説き、自らを『奥義の家令』と呼びます。

パウロは、ユダヤ教の中心地であるエルサレムではなく、諸国民の多いシリアのアンティオケアを拠点とし、そこから地中海、小アジア、ギリシアに向かって教えを広めます。その途上で助手の青年テモテを見出し、ルカも彼の旅に同行するようになります。

彼らによってキリスト教は、元からのユダヤ教徒ばかりでなく、新たに転向してきた諸国の信者たちによっても構成されるようになりますが、ユダヤ教徒と諸国民との生活習慣の違いが表面化するに従い、キリスト教徒もユダヤ教の律法に基づく習慣に従うべきだというユダヤ派からアンティオケアで異議が唱えられ、そこで、パウロを含む使徒たちはエルサレムに集い、この件を討議することになります。

しかし、聖霊は既に諸国民に注がれており、それはユダヤ主義者の反論を封じるほどになっていました。
その議決によって、割礼などの律法を守ることを諸国民には求めないことが定められ、諸国民派は更に人数を加えることになりました。

さて、パウロは、小アジアのエフェソス(エペソ)やギリシアのコリンソス(コリント)に数年滞在し、多くのことを為し遂げますが、各地のエクレシアに手紙も書いています。そのなかでは、聖霊を受けた人々が『聖なる者』と呼ばれ『罪』が仮に許された格別の恩恵に入ったことを知らせています。それは『信徒』(ピストス)以上の立場であり、『聖徒』(ハギオス)と呼ばれます。この当時、初代のキリスト教徒の大半が『聖徒』であったことを新約聖書は伝えています。

さて、教会に通うクリスチャンが「(新約)聖書は、パウロばかりだ」と半ば不平を鳴らしているのを聞いたことがありますが、確かに14通の書簡にはそれぞれの土地のエクレシア(信者の集まり)への訓戒も含んでいますし、聖書の開きやすい辺りにパウロ書簡が位置していることもあって、まるでパウロがいつも誰かを戒めているかのように読めてしまう印象は否めません。

しかし、実際の文書の量は、新約聖書の三割ほどです。
そのうえ、これらの清い行状を説き勧められているのは、聖霊に受け『新しい契約』に入った『聖徒』に求められるものであって、この奇跡を行う力を得た人々には、それにふさわしい清さを示して契約を全うする務めはありますが、そうでない人々に清い行状が直接に求められているわけではありません。

むしろ、「罪多きもの、多くを愛す」また「健康な者に医者は要らない」との言葉が聖霊のない『信徒』に適用されるのであり、この辺りの違いを理解しないなら、善行者の仮面を被った歪んだキリスト教を作ってしまうことでしょう。

さてパウロには、彼の最後のエルサレムへの旅行が、より大きな試練となることを聖霊によって知らされます。

それは、イタリアに赴き、ローマで『カエサル(皇帝)の前に立つ』ための旅となります。彼はエルサレムで神を汚す者と誤解されて捕らわれ、ユダヤ人に命を狙われる身の上となりますが、彼はローマ市民権を持っていたので、ローマ軍が彼の殺害を許さず海港都市カエサレアの総督の許に保護します。

やがて、パウロはユダヤ人からの訴えをカエサルに上訴したため、彼はローマに護送され、その当時の地中海の航海も描かれてゆきますが、その船は難破してしまい、マルタ島に漂着して救われ、そこからさらにローマへと向かいます。

そして、ローマで二年間の軟禁生活を送り、その間に訪れる人々に教え、書簡を記すことになります。
この間に書かれた書簡は、エフェソス、フィリピ、コロサイ、フィレモンがあるとされ、これらは「獄中書簡」とも呼ばれています。
ここでルカが筆を止めているので「使徒言行録」はここで終わりますが、パウロはその後、一度釈放されてテモテやテトスを率いて地中海各地で更なる宣教を行ったことが、彼らへの書簡から読み取れます。これらの書簡には、集まりへの指示が記されているので「牧会書簡」と呼ばれます。

しかし、それも長くは続かず、西暦64年にはローマ大火が起こり、皇帝ネロがその罪をキリスト教徒になすりつけたために、キリスト教徒への迫害が起こります。その結果としてパウロはペテロ同じ頃に処刑されたようです。それは西暦67年前後の事とされています。

しかし、使徒パウロの活躍には目を見張るものがありますが、使徒言行録には詳しく書かれてはいないものの、その間にエルサレムでは使徒ではありませんでしたが、イエスの弟に当たるヤコブがユダヤのイエス派をまとめていました。
彼は、先のエルサレムの会議を仕切り、全体を代表して結論を出してもいます。
エルサレムには依然、崇拝の中心地としての神殿があり、使徒たちの多くが留まるキリスト教の中心とも目されていました。

使徒ペテロもヘロデ・アグリッパス1世から命を狙われており、エルサレムを留守にすることが多く、その点で、ヤコブはそれまでイエス派として目だった存在ではなかったのが利点となっていたことでしょう。ヤコブはイエスは復活したのを見るまではイエスを信じていなかったことが読み取れます。

書簡では、ヤコブの名前でもそのひとつが新約聖書に含まれています。
この書は律法を守るユダヤ人にも、諸国民にも有益な仕方で書かれています。ヤコブは非常に敬虔な人で、ユダヤ教徒からさえ「義人」と呼ばれ深く尊敬されていたと言われます。その彼の真摯な性格を反映してか「ヤコブの手紙」は、廉潔な行いを勧める手紙となっています。

この行いに重点を置いたところがパウロの唱える「信仰による義」と矛盾すると見なしたルターは、この書簡を「律法的」と見なして評価しませんでしたが、ここでヤコブが言う善行の『業』とは、律法の業ではありません。彼はこの手紙の中で、何一つ律法の定めを挙げていません。彼が勧めたのは、キリスト教徒としても「業が伴わない信仰は死んだもの」であり、その信仰にも愛にも意味が無いという事であったのです。

そのヤコブも西暦62年頃にユダヤ教指導者によって殺されてしまい、ユダヤのキリストの弟子らは『柱』のような大きな支えを失ったように感じたことでしょう。当時、ユダヤ人の間では愛国主義が高まりつつあり、ローマに処刑されたようなメシアなどは到底受け入れられるところではありませんでした。

おそらく、ヘブライ人への手紙(ヘブル書)はヤコブ亡き後のユダヤ人信徒を気遣ってパウロが書いたものでしょう。
この書簡の中では、律法への「従順」を守るユダヤ教に対して、キリストの犠牲への「信仰」を唱えるキリスト教がどれほど優れたものであるのかが力説されています。
もとより、パウロはユダヤ教も強硬派であるパリサイ派の出身者で、その上でキリスト教を導く立場ですから、彼ほどこのような書簡を書くのに適した人物も居なかったと言えましょう。

他方で、この頃ペテロがどのあたりで活動していたのかも、彼の名によるふたつの書簡から推察できます。それは使徒言行録に描かれたパレスチナの海沿いだけでなく、相当に広かったようです。
第一の書簡ではトルコの北部の地名が挙げられていますので、彼はエルサレムの危険を逃れて、この地域に深い関わりを見出していたのでしょう。
また、自分がバビロンに居ると書かれています。
このバビロンは隠語で、実はローマを指しているとの意見もありますが、ローマとバビロンを強く結びつける根拠がさほど鮮明ではないので、ここでは、彼が東方ユーフラテス河畔のユダヤ人居留者の許で宣教していたと見てよいでしょう。その手紙には迫り来る事柄への警告の響きがあります。

その警告に違わず、初代キリスト教徒にも試みとなる時期が迫っており、また、ユダヤとその体制にも恐るべき終末が迫っていました。
それが、イエスの予告されたユダヤとエルサレムの滅びであり、キリストを亡き者としたユダヤの『その世代』に対する報いを受ける『終わりの日』の到来であり、バプテストのヨハネの予告した「火のバプテスマ」でありました。

この時期、西暦60年代には、新約中の主な書簡を書いた中心的な人々が次々と去ってゆきます。
ヤコブもペテロもパウロも西暦70年のエルサレムの滅びの前には殉教していました。
したがって、ここからしばらく期間を描く部分を新約聖書に見出すことはないのですが、実に自らの体験を通して、この時代を語れるフラビウス・ヨセフスというユダヤ人歴史家が現れており、その「ユダヤ戦記」は克明にその後の事態を今日に知らせています。

ユダヤの亡びの発端は、パウロとペテロが存命であったらしい西暦66年に始りました。
当時のローマ総督は横暴を極め、あたかもユダヤ人を反乱へと誘うほどの態度であったとされています。

愛国心に燃え立ったユダヤ武装勢力は、死海沿岸の要塞マサダを襲い、そこのローマ守備隊を殲滅し、エルサレムでは神殿直近のアントニア要塞を陥落させてしまいます。
これを、ローマ総督ガッルスが軍団を率いてエルサレム攻略に向かいますが、優勢に都市を攻撃していたにも関わらず、歴史上の謎の退却を始めてしまい、ユダヤを勢い付かせてしまいます。

しかし、キリスト教徒はこうしたことについてのイエスの預言に従い、北東部の山地に逃れます。そのほかにも賢いユダヤ人たちがユダヤに臨む悲劇を予感してその地を後にしたと言われます。

それから三年半の後、ティトゥスに率いられたローマと連合軍がエルサレムを囲い、柵を設けて籠の鳥としたうえで最後の攻撃を加えます。
エルサレムの神殿は愛国者とならず者の巣窟と化し、血と貪欲で聖なる所を汚し、神への日々の崇拝も途絶えてしまいます。
ティトスは神殿を救うようにと、再三に投降の説得を続けますが、勝ち目のない暴徒はかえって頑なになって抵抗を続け、遂に戦闘の最中に神殿に火が付き、壮麗な神殿も焼け落ちてしまいます。

それは、ユダヤ民族には取り返しの付かない損失となりました。
以後、今日まで約二千年、ユダヤ教徒は神殿崇拝を行うことができなくなり、律法のすべてを行うことも不可能となりました。加えて、神殿でだけ発音されていたイスラエルの聖なる神の名を唱えることができなくなったので、今日旧約聖書に記されている神の名が何と読まれるのかを知る人は、この世代と共に地上から絶えてしまったのです。

それは神からの裁きであることをイエスは語っていました。
つまり、律法を守らず、メシアを退け処刑させてしまったことへの明らかな報いです。

ですが、ユダヤ人キリスト教徒には逃れ道が拓かれ、この悲惨な終わりを共にすることから守られました。

ユダヤとエルサレムが荒廃したあと、既にペテロもヤコブもパウロも過去の人となっていましたが、他の使徒たちや直弟子たちは歴史の舞台から去ってはいません。使徒たちはエルサレムを後にして、諸国へと布教の旅に出ました。福音書を書いたマタイはエチオピア方面に、その兄弟トマスはインド方面に、タダイはアルメニア方面に向かったという伝承があります。

キリスト教の理解においてパウロほどの理解を得ていた者もいませんでしたが、彼亡きのち、弟子たちの中から最後の聖霊の輝かしい教えが現れます。それは、十二使徒の中でも最年少であったと思われるヨハネに宿った聖霊の教えでした。

彼は、ユダヤの滅びを後にして、小アジア(現トルコ西部)の都市エフェソスに主の母マリアを伴って移住してきていました。
その後の彼が近隣のキリスト教徒に薫陶を与えていたことは、黙示録に記される七つのエクレシア(会衆)の名前からも明らかです。また、近くのヒエラポリスには使徒フィリポが家族と共に移って来ており、史料にはペテロの兄弟で使徒アンデレの名も小アジアで現れています。

以前パウロにあった非常に高度なキリスト教理解は、西暦一世紀の終わりに在って使徒ヨハネに移されたようにさえ見えます。
彼はティトゥス帝の弟ドミティアヌスの迫害に遭い、ミレトスの沖合いの小島パトモスに流されますが、そこで驚異的な音信を受けます。
それは、旧約のダニエル書とも深く関連する「黙示」であり、この世の終末を記す謎の書でありました。

ヨハネ黙示録を書いたのは、使徒のヨハネではなくて、別のヨハネであるという意見もありますが、黙示録とヨハネ福音書とヨハネ第一の手紙には密接なテーマの関連が見られ、そのテーマには「信仰による勝利」などヨハネに特有なものが見られます。例え誰が書いたにせよ、これほどの霊感溢れる内容を記したからには、聖なる神の霊の導きなくしてなし得なかったに違いありません。

この書については、聖書に含めるべきかどうかとさえ論じられてきたほどに難解で、ルターも「使徒的でも預言的でもない」と言い、疑典と同じように見なすと言明しています。カルヴァンも、聖典から排除まではしないまでも「暗黒の書だ」と友人に語ったといわれます。

今日でも、「ダニエル書や黙示録は聖書ではない」と軽はずみに言ってしまった牧師もいると聞きましたが、確かに、他の諸書とは様子も内容も異なっています。

ですが、これらには旧約への多くの関連が込められていることに気付く人々も現れてきましたし、これだけ難解であるにも関わらず、どこかに一抹の聖性を感じ取る人々も存在してきたのでしょう。聖書巻末を締め括る書として今日に至るまで不動の地位を占めていますが、それも不思議なことです。

その内容には、イエスが『この世のはじめから隠されてきたこと』を必ず例えで話されたことと関係があるのでしょう。
イエスは度々講話を『耳ある者は聴け』と言って終えていましたが、使徒マタイはそれを『世の礎が置かれていらい隠されて来たこと』と結びつけます。これをさらにパウロが『秘儀』と呼んでいて、黙示録も『秘儀が終わりに至る』ときを描いています。(マタイ13:35/コリント第一2:7/黙示録10:7)

そこで聖書には一貫して伏せられた内容が示唆されていますが、これはいつの日にか大きな意味を持つことになるのでしょう。
神が公けにしながら伏せるとすれば、それは理解することはだれにもできないに違いなく、この世の終末にはイエスによる『裁き』があり、裁かれるのは人間ですから、誰かには、あるいは誰にも、理解が許されていないのかも知れず、またそれは「時限ファイル」のようなものなのかも知れません。

使徒ヨハネは、パトモス島からエフェソスに戻り、そこでヨハネ福音書を書いたとのことで、福音書が黙示録の後に書かれています。
そして、その福音書は他のものとは異なり「福音書の中の福音書」とも呼ばれる高い評価を得ました。それは、観察者によるイエスの伝記というものを超えて、その書物そのものが聖霊の霊感によって書かれたような筆致を見せています。このようなヨハネ福音書の特異性もあって、それ以外の観察者の視点から書かれた三つの福音書は「共観福音書」とも呼ばれます。

これら、第二世紀に入る頃までに書かれた使徒や初代の弟子による著作をまとめたのが新約聖書であり、早くも第二世紀中葉には福音書の四つがひろく認められていたことはタティアノスの「四福音書対照」や、エイレナイオスの著作を通しても知られています。

パウロの書いた書簡は新約聖書に収められたものの他にもあることは知られてきましたが、パウロの書簡の収集を行った人々がいたようで、それに小アジアからの使徒ヨハネの書物も加えられ、第二世紀には選別され整えられていたようです。

近代以降、パウロ書簡とされるものの六巻はパウロでない後の人物が書いたという主張もなされていますが、それは文章や用いた単語の異なるを証拠に挙げています。ですが、これらの書簡を誰が書いたとしてもそこには人間の創意では考えられないような内容が込められていて、パウロが自らを『奥義の家令』としたように人間の能力に帰するには無理があります。これは『奥義』の深さを幾らか理解するだけでも納得できることでしょう。

そのほかにも、新約の時代に多くの書物が書かれてはいますが、そこで混濁の脅威を与えていたのがグノーシス主義の影響をうけた多くの文書でした。この主義は、神殿を失ったユダヤ人の失望から生じたという、ユダヤ教とキリスト教の混じったような教えで、創造者を「劣った神」に分類して物質と精神の二元論を唱え、キリストの仮現説や結婚の禁止など、本来のキリスト教からは逸脱した禁欲主義と神秘思想を特色として、かなり広いユダヤ人の支持を得て広まっていました。

しかし、キリスト教側は、エイレナイオスのような第二世紀の「教父」と呼ばれる指導者たちによって、使徒からの伝承を大切に守り、これらグノーシス派の使徒や初期の弟子らの名をかたる紛らわしい書物を退けています。

新約聖書を概観すると、大きくふたつのことが見えてきます。
まずひとつは、イエス・キリストの犠牲の意義の大きさであり
もうひとつは、それが弟子たちによってキリスト教への転換点をもたらしたということです。

その犠牲が人類を救うためには、キリストと成り得たイエスには『罪』があってはならず、それゆえアダムの子孫として生まれることはできません。こうした事柄が処女懐胎の奇跡の背後にあり、それらは、イエスという人物が徒ならぬものであり、神の計画の下に現れた方であることを指し示しています。

そして、その犠牲に基づいて行われた一連の事柄(秘儀)は依然として結末に至っていません。
つまり、アブラハムの子孫によって世界の人々が祝福を得るという創世記に示された大いなる約束の結末です。
それはなお、旧約聖書のダニエル書や新約聖書のヨハネ黙示録に書かれた事柄が意味をもってくる「終わりの日」または「終末」に期待されるべき事柄です。

つまり、神から出てキリストの遣わす『聖霊』が地上に存在しない今、依然として聖書の言う「終末」には至ってはいませんので、新約聖書が書かれてなお、神の人類救出の歩みはなお途上にあるのです。

それを多くのキリスト教徒は、何らかの仕方で、バプテスマを受ければ救われたと見なしてしまっていますが、アブラハムへの約束に見られる人類全体への救いからすれば、それは何と狭い見方なのでしょう。神の目的は「信者だけの救い」ではないのです。
大半のキリスト教徒は新約聖書の中だけで様々な事柄を知ろうとするので、そうなってしまうのでしょう。

もちろん、新約聖書なくして聖書の教えを理解することはできません。
ですが、この部分だけで全体を知ることは到底無理なことで、新約聖書に入る前のユダヤ人と律法契約との関係を知らなければ、「救い」という一言を考えても、何がどう救いなのかが分からないでしょうし、実際、多くの教会員もキリスト教徒も自分が救われる利己心に固執し、単なるご利益信仰に陥っていますが、それはキリストの自己犠牲の精神に沿うものではありません。

新約聖書を読むことで、キリストの宣教の姿や弟子たちによるその広がりを知ることはできるでしょう。しかし、それは一部分であり、神の意図という巨大な壁画の前にあっては、その一部は見ても全体の姿を見てはいないようなものです。

そこで問われるのは、本当に神の意図を理解しようと願うかどうかということになるでしょう。

聖書は誰でもどのようにでも読むことはできますし、それはもちろん自由です。
ある人は好奇心やインテリジェンスを向上させる目的で読み始め、またある人は自分の信じている教理の裏づけを探し、ほかのある人は心に響くような美しい言葉を捜して読むのでしょう。信徒であれば通読回数を上げて誇ることが目的にすることはよく見られる愚行ですし、あるいは信徒でなくても、キリスト教の結婚式を挙げるので少しでも読んでおくよう言われたかも知れません。 それはどのようにもできることです。

ですが、書き手はそれなりの意図をもって書いたに違いなく、まずその意図を知ってからでなければ、書き手と読み手の意識に違いが生じます。もちろん、神の意図を余すところ無く知る人は居ないでしょう。
しかし、最初から自分中心に読むなら、それは神を知ろうとはしていないのと同じでしょう。

神の意志を真摯に理解したいと願うのであれば、是非とも聖書の全巻を行き巡り、ご利益よりは神の意図を見出そうと謙虚に願わなくてはなりません。無心に己を捨てて読み続けるなら、書き手とはじめて通じることになるでしょう。

その努力は報われます。こう言うのは他ならぬイエス自身です。
『求めなさい、そうすれば与えられます。捜しなさい、そうすれば見つかります。たたきなさい、そうすれば開かれます。』





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