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「使徒信条」を新十四日派の観点から見ると

2013.03.06 (Wed)
「使徒信条」の歴史を確認ましたが、確かに三位一体以前の古そうな来歴ではあります。

ですが、少々気になるところもあります。

キリストは)葬られ、霊として、黄泉(地獄)に降り
”mórtuus, et sepúltus,descéndit ad ínferos”

これは前にも二度ほどメールのやりとりで取り上げましたように、ペテロ第一3:19が異教的に解釈されております。つまり、「イエスの黄泉降り」とされる解釈ですね。
この解釈の背景には、キリストがなぜ、「獄にある霊に宣べ伝えた」か、何を宣べ伝えたかの理解がありません。

その以前に「獄にある霊」を死んだ人間の霊であるとの浅い理解で済ませたり、救いの宣明がされたと単純に信じられてもいますが、このペテロの句はそんなお目出度いことを述べているのではありません。死後、善人は天国に、悪人は地獄に行ったのであれば、二度と出て来られないという地獄に居るという死者に、どんな福音があるのでしょう。

聖書は人の死後に意識がないことを述べているのですから、(コヘレト9:5-10) これは犠牲の死によって倫理の完全性に達したキリストが、悪霊らへの最終的な裁きを伝えたのであり、彼らの滅びの確定の宣告であったとみるべきでしょう。

キリストは死によって、その亡骸は墓(ハデース)にあり、三日目に『霊に復活した』のですから、『獄の霊に宣明した』のはその後のことになります。ですから、「葬られ、黄泉に降った」のではなく「葬られ、墓に安置され」、その後に「霊に復活して、獄の霊に裁きを言い渡した」とされるべきところです。


また、文言中「聖徒の交わり、罪の許し」を読者自らに適用してしまっており、聖徒と信徒の区別が出来ていない様子で
「罪の許し」とは、聖徒らだけの『新しい契約』に基づく仮の義認であり、聖徒にさえ終末の裁きが控えていることに信徒と変わりはない厳しさに欠けています。

最後は「肉体の復活、永遠の命を信ず」
"carnis resurrectiónem,vitam ætérnam.Amen"
とは、この言葉を信徒に当てはめるなら間違ってはおりません。
ですが、より重要な聖徒の霊への復活が欠けています。

そこで、この「信条」の制作された時代は、聖徒が残っていない第二世紀後半以降、三位一体が登場する第三世紀後半以前のおよそ百年の間ではないかと思えます。あるいは、三位一体に対抗した人々のものなら第三世紀以降から、第五世紀ということも視野に入りますが、蓋然性はぐっと下がるでしょう。

もともと、入信に向けた信徒教育の文言だったそうですが、書物の十分に供給されなかった時代を反映し、この短い文章で教理教育の確認を済ませていたようにも察せられます。
この教条に記された内容は、これだけは押さえておこうというような、普遍教会の最低共通項のようにもされてきたのでしょうが、グレコ=ローマンの諸教会がこの上に基礎を置いてきたことは仕方ないのでしょう。しかし、小アジアのキリスト教のレベルはこれよりは高かったことが窺えます。


結論として、この短文「使徒信条」が有用か否かとなれば、新十四日派の観点からすれば無用です。

僅かなパン種がどれほど破壊的であることか
「悪魔は小さな隅に居る」というのはよくできた格言です。
それは以下に見るように、ピラトゥスについての見方にも影響しています。


では次に、お使いの教本のピラトゥスの扱いですが
ユダヤ教徒に嫌がらせをしていた、まったくの異邦人で不信者であるピラトゥスに「人より神をとるべきだった」と求めるのは無理であるばかりか荒唐無稽に感じます。

キリストを裁くに当たり、総督である彼は中立を貫こうとしており、その努力は官吏としては正当で、むしろ、よくぞそこまでやったと思えるところがあります。ユダヤ指導層と仲が良くなかったこともあるでしょうが、彼はイエスを裁く事に『恐れを感じ』ており、頑なにイエスの死を求めるユダヤの祭司長派にそれは見られません。

一方で、真にキリストを陥れたのは、明らかにユダヤの宗教指導者たちでした。福音書によって、彼らが釈放しようとするピラトゥスの努力をことごとく阻んだことはこれ以上ないほどに克明に記録されているでしょう。

なぜに、キリスト教界が「ピラトによって処刑された」を強調するのか、まるで理解できません。そこにこの信条の擁護が関わるのでしょうか。あるいはタキトゥスの文書に明文化され、主が歴史に名を残していることを含めようとしたのでしょうか。
もちろんピラトゥスはそれなりの悪辣さのある人物ではあることが伝えられていますが、事イエスの扱いにおいては公正さを示そうとしており、今日の役人でもここまでするだろうかと思えるところすら、私には感じられます。

彼は、イエスが奇跡を行うという噂を耳にしていたことでしょうし、実際に接してイエスに徒ならぬ風格も感じ始めており、それは官邸での「見よ!この方だ!」の発言にも敬意が表れていることでしょう。また、「この者は、自分を神の子だと云ったのだ」という耳に挿んだユダヤ人の言葉に恐れを感じました。これは、祭司長派とは正反対の反応ともいえるように思えます。

もちろんピラトゥスの懐いた畏敬は「信仰」と呼べるものではなかったでしょうが、少なくともユダヤ宗教家や扇動された群衆よりは神というものを恐れている様が見えますし、それはガバタで手を洗ったところにこの上なく表れております。

ゆえに、教本の「「異教徒であるポンテオピラトの名が、私たちの信仰の基準である「使徒信条」に登場するのは驚くべきことだが、それは、イエスの十字架の歴史性を明確にし、その十字架が私刑ではなく、国家の公式の刑として執行されたことの揺るぎない証拠となっている。」の説明は幾分要点から外れたように聞こえます。

確かにタキトゥスはその「年代記」の第十五章で「クリストゥスなる者は・・総督ポンティウス・ピラトゥスによって処刑されていた」と記し、これが現今で最も古いキリストに関する公(「ゆるぎない」というべきか)の歴史記録とはなっています。しかし、タキトゥスの文面は誤解による悪意に満ちており、そのことをキリスト教徒がわざわざ証拠立てるべきでしょうか。

おそらくは、この「信条」を擁護すると上記のように言い納めるよりほかないのかも知れませんが、より聖書的観点から見ると、「時の大祭司カヤファによって神の子羊としてエルサレムに屠られた」とし、「大祭司カヤファと祭司長派がローマ帝国の権力を利用してそれを行った」などとされる方が良いように思えます。

ご指摘の、私が自著で「・・不法な者が裁く」としたのには、ピラトゥスが不法の者だという概念はまったくもっていません。それは、ユダを雇うなど卑怯な方法を駆使したうえ、ローマ帝国の権力を利用して神聖な祭りの直前に、表面上、自分たちの手を汚さずに死刑を執行させた、あの祭司長派の腹黒さこそを指して「不法な者」としております。
彼らは訴状に手心を加え税金の件まで持ち出しますが、これはピラトゥスの見破るところで、彼らが宗教上の嫉妬からイエスを訴えていることは見透かされていました。

彼らは、イエスの父である神に仕える立場にあったゆえに、ピラトゥスに数倍して、いや、イエスについてはまったく邪悪に振る舞ったのです。こちらのほうこそ、これはもはや揺るがない歴史の事実なのではありませんか。

イエスは当時のユダヤを「あらゆる預言者たちの血の清算が求められる世代」と呼び、その世代の内にその「清算」が臨んで、エルサレムも神殿も破壊されて今日に及び、ユダヤ人は彷徨する民となりました。それはキリスト拒絶と殺害への処罰であり、ユダヤ=イスラエルは神との格別な立場を失いました。

その意味するところは、千年以上続いた律法体制の終わりと、血統によらない民族「神のイスラエル」(聖徒)への恩寵の移行であって、これはローマ帝国がどうこうというより、よほどの重大事と言えるでしょう。

にも関わらず、教本が「ポンテオ・ピラトによって・・」と述べるのは、「使徒信条」を擁護しようとするときに避けられなかったのでしょうか。あるいは、異邦人(グレコ=ローマン)キリスト教にとってヘブライの事象には関心も知識もなかったのでしょうか。むしろ、ここは「邪悪なユダヤ宗教家によって」とでもされるべきだったでしょうに。
この指摘のズレた部分は、メシアニック・ジューをキリスト教諸派に隙居らせる欠陥ともなるでしょう。

以上のように聖書以外の文書については、相当なリテラシーというものを以て理解に当たらねばなりません。

そうでありませんと、僅かひとつの短文とは云え、古代人の勘違いが複製コピーされ、後代このように全体の理解が曇らされてゆくという、これもその典型例とも言えるように思えます。

普段、第二世紀の文書を読んでいてすら、聖書理解の蒙昧からくる誤謬に度々行き当たります。第二世紀の教父エイレナイオスでさえも時折はその例外ではないことを痛感させられます。
これが第三世紀にもなると誤謬は甚だしくなり、ほとんど歴史的価値以外に学ぶところがありません。

そこではキリスト教が本質的な「何か」から「急速に遠ざかって」行くのをまざまざと見る思いがします。その「何か」と言うのは弟子らに『真理をあまねく案内する』「聖霊の賜物」の働いていた「聖霊の時代」なのでしょう。以来、キリスト教界は誰も聖霊を持たない『夜』を迎え、「正統」を主張できる「聖霊」あるキリスト教は絶えて一つも存在しておりません。






「クリスチャンは救われているか」への回答

2013.02.22 (Fri)
裁きは存在するのか

終末の裁きは人々、特にキリスト教徒を恐れさせるものとなってきました。
殊に、天国と地獄の教理が入り込んで後、これは強烈なものとなりましたので、神の不興を買うことで自分の身が地獄に落ちる事への恐れが増す余り、「救い」を自分に確約してくれることを強く欲するようになったことは明白です。
キリスト教会の歴史の中では、中世の暗黒時代、ローマ教皇を頂点とする封建制度の中で、人々は地獄を恐れ、天国を夢見ながら、現世の不公正な為政者らへの隷属を忍耐していたのですが、この傾向は現在も教会の教えの中に残ってしまっています。

そこでは、「裁き」というものの本質を見定めることよりも、恐れから「保身」が先立ってしまい、神を知りその意図するところを探ろうという姿勢は封じられてしまいます。 つまり神の御前にあってさえ、自分に関心を向けているのです。
「裁きを教える宗派はカルト」との発言も、こうした恐れの産物なのでしょう。

この中世的恐怖が現代までも存続した背景には、教会が信者を一人でも多く得ようとするときに、信者になることに何等かの魅力的なメリットを提供しようとする誘惑あって、「天国行き」の切符がごく自然に確保されたことにあるのでしょう。それが「救い」と称されたとしても何の不思議もありません。それでは「教会」というのはJRのみどりの窓口と変わりません。人々は自分自身の益のために教会を必要とすることになります。

そこで使徒2:38などが援用され、それが『聖なる国民』となるよう既に招かれていたユダヤ人に語られた背景を無視して「バプテスマ」=「救われた」とされたであろうことは容易に想像がつきます。(ルカ19:9)

人間は本性から「救われたい」と思うものです。それは間違ったことではありません。
しかし、より大切にされるべきことがあります。(詩篇63:3)

それは神の視点であり、なぜ「裁き」があるのか、というこのことです。これを考えようとすると神の御旨を探る姿勢が必要となり、ともあれ自分が救われたいという願望をひとまず脇に置く心のゆとりが必要になります。
ほとんどの信仰者というものは、自分の命を最重要視して、神の意志を探ろうとはしていません。
つまり、神を探ろうと思うなら、自己保存の欲求という利己心からしばし離れるべきということです。

もし、裁きが必要無いものなら、そもそも人間が救いの必要な状態に陥ることもなかったでしょう。
アダムと同様な選択の機会は、すべての理知ある創造物に対して提供されるべきことが、神が自らの象りを尊重することであり、創造物個々の選択が即ち裁きとなります。(ローマ5:14)

もちろん、エデンと同じように木の実を食べるか否かという同じことにはなりませんが、利己的であるか、また神を尊重するかという問いと試みが避けられないことは、神に似る者に委ねられた自由意志の代償でもあります。
理知ある創造物は、喜んで神を神として高め誉め称えたいと願わないものでしょうか。そう願う者にとって「裁き」は、むしろ神を支持する愛の表明の機会となるものです。

では、人は神の裁きを避けることができるでしょうか。それはできないでしょう。
ヘブル書にはこうあります。
『人間には、一度死ぬことと死後に裁きを受けることが定まっている』(ヘブル9:27)

そこで、ありもしない抜け道が作られて「信じれば救われると書いてある」と唆され、神の裁きに正面から向き合おうとしないのが、ほとんどのキリスト教で、洗礼が裁きを通過する方法にされてしまいます。わたしはひとつとしてそうでないものを見聞きしたことがありません。それは神への支持を表す機会の放棄でもあります。


「救い」とは何か


「救い」とは、総じてアダムからの『罪』を許され、『神の子』に復帰することを指すとしてよいでしょう。(ヨハネ1:12)
現在の人は、今後も『罪』ある限り、神の創造の基準に達することはないので、『命から疎外されて』います。(エペソ4:18)

アダムと子孫が『永遠の命の木』から遠ざけられたのは、神の創造の御旨がいつまでも実現されないでいることの無いよう、寿命が設けられたためでした。「罪ある魂」はいつかは消去されなくてはなりません。(エゼキエル18:4)

こうして人類は、創造の意図から外れ『神の子』ではなくなっています。
世の苦しみも死もこのことの証となっていますので、『救い』とは『神の子』への復帰する事であるとして良いでしょう。


アダムは堕罪以前には『神の子』の状態にあり、イエスは生まれながらに罪なく『神の子』でありました。
ですからイエスが『子があなたがたを自由にするなら、あなたがたは真実に自由になる』と言われたのは、生まれながらに『罪の奴隷』であるアダムの子孫が、奴隷の年季に従って『家に留まらず、去って行く』存在であることから自由にされ、神の子となって留まる者となることを言うのです。(ヨハネ8:34〜36)

イエスによって最初に『神の子』とされたのは、水と聖霊によって生み出された『聖なる者たち』であり、『キリストの兄弟』として父である神に認知されています。(ヘブル2:11〜17)
しかし、この立場は『新しい契約』による仮のものでしたので、新約聖書は再三『救いに至る』『救いを得る』よう『狭い門を通って』努めるべきことを知らせています。
したがって、たとえ聖霊を受けたとしても誰もがそのまま救われる訳ではありません。(マタイ10:38-39)

第三に、これら先に『神の子』とされた『初穂』と呼ばれる人々と、それとは別に、キリストが共に構成する『神の王国』『王なる祭司』を通して『贖罪』されるべきところの、聖霊を持たない無数の人々がいます。
神とその経綸(子と聖霊)に信仰を働かせる彼らは、『千年』の『神の王国』を通して初めて、地上の肉体においても『罪』から浄められて『救われる』ことになります。ここに人類を祝福するという「神の王国」の本来の意義があり、それはアブラハムに約された事柄の完全な成就となります。(創世記22:18)
しかし、千年の前に生ける者の裁きがあり、やはり誰でもがアダムの堕罪前の状態に救われる訳ではありません。(マタイ25:31-32)


さて、お尋ねの件「現状でキリスト者が救われているか否か」ですが


「裁き」の観点

考慮しなければならない要素のひとつに『裁き』があります。
これは、まず終末に定められているもので、キリストの『兄弟たち』にどう接するかを以て裁かれる様がマタイ25:31~にあります。
『兄弟たち』に親切を施すか否かで、右と左に分けられますが、その峻別は処遇の著しい違いとなってゆきます。

この以前に『裁きは神の家から始まり』ます。(ペテロ第一4:17)
ペテロは、彼の時代にその裁きが始まっていることをそこで述べていますが、それは聖霊を受けた聖徒らもその行状の如何によって相応しいか否かが問われていることを警告するものです。これは「聖徒の裁き」であって、この世の人々の裁きではありません。
ペテロ第一の書簡は、「聖徒」らが聖い行状を保つべきことを再三繰りかえし強調しております。

確かにペテロは『これは、信仰の結果である、たましいの救いを得ているからです』(ペテロ第一1:9)とも語っておりますが、これも『信仰の試練』について述べるものであり、やはり、彼ら聖徒であっても救いが完結したということではありません。(ペテロ第一3:6)

そして、聖霊を受けた聖なる者らは第二世紀の終わり頃までにはまったく姿を消し、次に現れるのは終末となることを福音書や黙示録などは告げております。

当時の彼らの『救い』も『新しい契約』有ってのことであり、契約というものは常に「不確定」なものごとに関して取り結ばれるものです。

ペテロはバプテスマが『今あなた方を救っている』と書いています。(ペテロ第一3:21)
この文脈を見ると、やはり語った相手は聖徒であることは否めません。(ペテロ第一4:2)
また、その救いは彼らの清い良心に沿った行動が関係していることも示されています。(ペテロ第一3:21)

そこで、第一には聖徒の裁きがあり、彼らは天でキリストと共になるという自らの救いの最終目標に向かって『シミなく聖い姿で主の御前に立てるよう』努力をしなければなりません。

第二に、一般人また信徒の裁きがあり、これは聖徒というキリストの『兄弟』の現れ無くして行われ得ず、左右に分けられることもありません。

ですが、キリスト教の教師に「あなたは救われた」と幾ら説かれても、人が神の裁きを免れないということは厳然として少しも変わりません。
そうなると、バプテスマを受けたので「救われている」はずの人々は、畏怖すべき「神の裁き」を人間同士で勝手に前倒ししていただけになってしまいます。
果たして、それで良いのでしょうか。

このように「救い」を見ることに反発する信者は大変多いと思われますが、一二度説いても変わらないようでしたら、しばらく様子を見るよりほかないようです。
といいますのも、これはその人の神に関する倫理的決定であり、誰も代って下すことのできるものではありません。
つまり、その人は「ご利益信仰」を望んでいるのであって、関心は神より自分に向いているのでしょう。

ですが、聖霊の臨むときに想いを変える可能性は残されており、そうなれば大きな喜びとなるでしょう。


信仰生活について

もうひとつのご質問も「救い」と関係しています。

ほとんどの教会員は、自分たちが「救われた」状態にあるということで、感謝を捧げ、気力も得てきたことでしょう。
それが長年の習慣ともなっていれば、常にその観点からものを考え、行動してきたに違いありません。

聖書そのものは、救いとは現状の生活の中で与えられる心理効果のようなものではなく、神の威力であり、人間から倫理上の欠陥である「罪」を除き去り、創造のままの輝かしさを回復して「神の子」の栄光に至ることが救いであると教えます。

ある人にとって、罪や裁きの教えは現状の生活上での生き生きとした活力を然程与えてくれるものでもなく、魅力に欠けると思えるのでしょう。
そのように思える人々の価値観を変えることはできませんが、是非とも神の御旨に表される壮大な「救い」に大志を奮い起こしていただきたいものです。
そのためにはキリスト教の原点に一度立ち戻り、第一歩から考え直す労は避けられませんし、相当な謙遜さが求められる場面もあることでしょう。


多くのキリスト教徒の主張といえば、自分たちの生活の中で聖句がどう役立ったとか、自分のなかに住んでくださるイエスさまが、自分をこんな風に導いてくださったとか、聖霊さまの働きにエクスタシーを得たとか。このように自分を中心にして語られております。
また、ボランティアに熱心であることをとやかく言うつもりはありませんが、そこでは神ご自身のなさろうとしていることはどれほど意識されるのでしょうか。

教会からすれば、クリスチャンと呼ばれている人々に、神の意向を探るという労をかけさせることが重荷で、そんなことをすれば信徒は四散するとでも思えるのでしょうか。
今日のプロテスタント諸教会が信徒の減少に悩む背景には、誰でも彼でも門戸をできるだけ広く開いて、人が集まるように安易な信仰生活を示すところもあるのではないでしょうか。

それでも増えない、のではなく、それだから求心力が無いのでしょう。
バプテスマを受ければ「あなたは救われました」としてしまうことで、その後は教会に来なくても良いようにわざわざしてしまってはいませんか。
しかも、聖書には明らかに裁きが控えていることが書かれているにも関わらずです。


新十四日派の観点からものを見るということは、単にキリスト教の宗旨替えのようなものでは済みそうにありません。
それは自分中心のものの見方を留め、神に視点を合わせる必要があり、いずれの教派の方であれ、見方を自分から神へと180度変えることが求められるでしょう。

「キリスト教」に限らずほとんどの宗教は、信者個人のメリットに訴えるようです。
人生で成功を得ること、現在と将来の安心や安全を確保すること、自分と身内や友人の幸福、こうしたものが全面に出されて信者が募られます。

新十四日派の観点からしてそれら「救われたい」という願望がいけないことであるという訳ではありません。
ですがヤコブ4:1-3にあるような世の利己的な方法で求められるべきでもありませんし、第一にキリスト教は「この世のものではありません」(ヨハネ第一5:19)。アダムが神への忠節よりもエヴァへの情愛を選び、そうして分かたれたのであれば、ますますそう云えます。

神は我々の必要を初めからご承知であり、何が最も良いことであるかを正しく知っているのもまた人ではなく神です。
そして、今日見られる不幸の原因が利己心にあること、それが倫理上の欠陥からくることを指摘するのが神の言葉である聖書であり、本来キリスト教は利己心を助長するべきものではないでしょう。


では、今日何を行うべきでしょうか?
まず、聖書に学ぶべきことは汲めども尽きず、第二世紀のエクレシアが聖霊の賜物から学んだように、今日、賜物は無いにせよ、既に聖霊の導きの下に書かれた事柄を探ることには多くのフロンティアが残されています。
殊に、聖霊が何かという理解の鍵を得た場合だけでも、そこには古代から封印されたかのような、聖書中だけでも解明されるべき未開の原野が手付かずに広がっているかのようであると言っても過言ではありません。

したがって、聴くことから信仰を得た後にも、学ぶことはそれまで以上に多くあります。
また、将来に聖霊を迎えるまでに、それに見合う程の認識には到達することが求められるでしょう。そうでなければ、聖霊の価値すら分からず、冒涜してしまう危険さえあります。

こうした認識に加え、ヤコブは汚れのない崇拝について『孤児ややもめをその患難のときに世話すること,また自分を世から汚点のない状態に保つこと』としております。
そしてあの『愛の掟』があります。

これだけでも、何と多くのことが関係していることでしょうか。
加えて、宣教があり、これらを真剣に考えれば、信仰生活で何をすべきかと困ることはまずありません。
ただ、未だ習慣化されていないだけで、今後に創られてゆく必要はあります。

そこには安易な安らぎも、既に救われ神に寵愛されているような実感もないでしょうが、ひたすらに神を知ろうと努め、求め続け敲き続ける熱意があります。それこそが真実の心の安らぎや神へと近づく実感をもたらすでしょう。


これには同じくキリスト教の名を冠しても、まったくの発想の転換が求められることでしょう。
この転換は人間や宗派を崇拝するようなところを去って、神を崇拝することを目指すものであり、これは神への深い感動と尊崇の念を奮い起こされるような、ある意味で「大志」が無いとできないことでしょう。

つまり、ご利益信仰との決別であり、それに慣れ親しんだ方々には痛みを伴うこともありましょう。
それでも、神の御旨である最大の益に到達するよう、神の御旨に協働することこそ価値あることではないでしょうか。
このようにして真実に神を崇拝しようと望む方々は少ないとしても、キリスト教界にまるで居ないとは思えません。


結論として
私には、「クリスチャンは救われている」と唱えることは、聖書全体の理解と合致せず、キリストの人類全体への公共善に対する献身と偉大な自己犠牲の精神からも逸れ、性質が何か別のものであるように思われてなりません。それが一般に「ご利益信仰」と呼ばれているものなのでしょう。「クリスチャン」の多くが聖書を探求し続けないとしても不思議はありません。自分に関心が向いているのですから。
パウロは『キリストが亡くなったのも、生ける者がもはや自分のために生きず、自分たちのために死んで生き返らされた方のために生きるためであった』と書きましたが、この言葉を自らの生き方に感じるキリスト教徒はけっして多くはないように思えます。









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聖餐とは

2013.02.12 (Tue)
キリスト教の最大の祭儀は「聖餐」にあります。それがミサの原形とされ、元はパン裂き(クラスマ)として日曜礼拝の根拠ともされてきました。
しかし、「聖餐」と呼ばれているキリストの命じた祭儀に、本来はどんな意味があったのでしょうか。

この儀式はキリストと使徒たちによって、イエスの亡くなる前の最後の晩餐のときに制定されました。
その場面は三つの福音書に描かれており、パウロもその手紙の中で述べています。

パンとぶどう酒によって行われるこの儀式は、キリストの犠牲によって信徒が救われることの再確認とも言われています。
多くのクリスチャンを自認する方々は、イエスの死を通して自分が救われるようにされたことを感謝する機会と見なしています。

それは目出度いことでありパンとぶどう酒に与ることが楽しいことにも思えることでしょう。
イエスが『このことを行って行きなさい』と命じられましたし、それほど良いことでしたら、毎月、毎週でもキリストとのつながりを再確認して幸せな気持ちになるのは相応しいことと思えるかも知れません。

ですが、もし信者のすべてがこのパンとぶどう酒に与るべきなのでしたら、なぜイエスはご自分の身近な使徒たちだけとこの儀式を行ったのでしょう。
また、公生涯の間にわずか一度だけ行ったのはなぜでしょう。

実は、ここに聖餐の本当の意義が込められています。

まずそれは、モーセの律法で定められたユダヤの「過ぎ越し」という祭りの晩であったことに意味があります。
イスラエルがエジプトから出るその日に、イスラエル民族は奴隷から解放されようとしていたエジプトで過ごす最後の晩を特別な食事で記念しました。(出埃12:1-14)

それは「過ぎ越しの食事」と言って、各家庭で一頭の子羊を焼いて食べましたが、その血は門の鴨居と柱に赤くはっきりと分かるようはねかけました。(出埃12:7)
その晩に天使がエジプトを通ると、血のかかっていない門の家では長男が死ぬという災いが起こったのです。
こうして初めてエジプトの王ファラオは、イスラエルの出立を認め、彼らは奴隷から開放されてパレスチナの地を目指すことになりました。

一方、イエスはバプテストのヨハネから『神の子羊』と呼ばれていました。(ヨハネ1:36)
キリストの血は出エジプトのときの羊の血のように、「長男」のような人々の命を救うものとなります。

では、「長男」のような人々とは誰でしょうか。
イスラエル各部族のうちのレヴィ族は、神から「長男」と見なされて、祭司の職が与えられました。(民数記3:11-13)

そこで、『神の子羊』であるイエスの血も、祭司となる人々を救うことになります。(黙示録20:6)
と言っても、イエスの血は最終的にはすべての人々を救うものとなります。(ヨハネ3:16)

ですが、まず「長男」のような祭司となる人々が救われないと全体が救われることになりません。(ヘブライ12:22)
これは律法でもそのようにされていました。

毎年の秋の『贖罪の日』という祭りの日には、まず大祭司と祭司たちを罪から清める儀式が動物の血を用いて行われました。
一般のイスラエル人は、後ほど彼ら祭司たちの別の贖罪の儀式によって罪から清められたのです。(レヴィ16:11・15)

これはキリストを中心にして天で行われる本当の「罪」の浄めを表す模型のようなものでした。なぜなら、地上の祭壇で捧げられた動物の血は本当には人間の罪を清めなかったからであり、本当の浄めにはイエスの血が必要だったからです。(ヘブライ10:1-4)

さて、イエスが聖餐という儀式を制定したときに、使徒たちだけがこれに預かったのにはこのような理由がありました。それはユダヤ人なら誰でも与れるようなものではなかったからです。使徒たちのように本当にキリストにつき従う者でなくてはなりません。(マタイ10:32-33)

キリストは『大祭司』とも呼ばれています。そして大祭司の下には祭司たちがいました。大祭司と祭司は共に一般の民の罪の浄めのために働きます。(ヘブライ7:26-28)

それで、ぶどう酒という『神の子羊』の血の象徴を飲む人々は、キリストという大祭司の下で働く祭司たちとなることを表しているのです。

彼らがイエスと密接な関係を結ぶことは、キリストを隅石として『神殿の生ける石となる』ということにも表されています。(エフェソス2:20-22)

つまり、彼らは天でイエスと共に霊の体を得て、天使のようになる人々です。
それですから、無酵母のパンで表されたイエスの体を共にするという意味で、彼らはパンを食べました。
そしてイエスは霊の体へと復活されました。(ゼカリヤ12:8/コリント第二5:6/ヨハネ第一3:2)

こうして、聖餐というものの意味が少し分かってきます。
それはただパンとぶどう酒に与る信者が救われるというものではありません。
むしろ、聖餐は神の人類救済というご計画の途中にある重要な一部分を成しています。

すべての人々が救われる前の段階として、まず祭司となる人々が選ばれて、先に罪から救われるための儀式だったのです。彼らは人類の中からの「初穂」とも呼ばれています。(黙示録14:4/ヤコブ1:18)

また、この選びは『新しい契約』に入ることを意味します。その契約は、パンとぶどう酒に与る人たちが、天でキリストと共になって、祭司の職に就くことを成し遂げさせるものとなります。


すこし、考えてみて下さい。
もし、パンとぶどう酒に与る人だけが救われるというなら、キリスト教とは非常に狭い救いしかもたらせないことになりませんか。
しかし、聖書の神はすべての人々が救いを得られるようにとアブラハムの昔から取り計らってこられました。(創世記22:18/ヨハネ3:16)

このように世界を救おうとなさる神こそ、世界の人々から賛美を受けるに相応しい方です。
聖書の神もキリスト・イエスも一部の人々だけを救おうとしておられるわけではありません。(ヨハネ第一2:2)

どれほどイエスを罵倒しようと、どれほどの罪を犯そうと、どれほど他の宗教に熱心であっても、最終的に謙遜に「罪」を認め信仰を働かせるのであれば、大いなる神の救いを受けることができます。(マタイ12:32/ゼパニヤ2:3)

そのためには、まず世界中の人々の罪を清めるための祭司たちが必要であることを、聖書の神はモーセの律法の中で模型のようにして教えてくださっていたのです。(出埃19:5-6/ペテロ第一2:9)

ですから聖餐とは、それを食べたり飲んだりすることがその人を救うというよりは、聖餐に与る人が天の祭司になって世界のあらゆる人々に救いをもたらすことを示しています。
そのような人は、自分の救いだけを求める利己的な人であってはなりません。キリストと共に自分を神と人々のために自己犠牲的に役立てようとする人こそが聖餐に与るべきであるのです。

(追)
しかも、その人は神からの招き(召し)を受けていなければならず、その証拠というのが「聖霊の賜物」です。
では、キリスト教徒になるとは、天のキリストの下で働く祭司になるということでしょうか。
必ずしもそうではありません。その件についてはまたお話しましょう。



(こんな話しかけでいかがでしょう)






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聖書の中の「地獄」 異教への後退

2013.01.18 (Fri)
まず、新約聖書中で「黄泉」「地獄」等に訳されることの多いその語は、ギリシア語「ハデス」か「ゲヘナ」のいずれかで、これは共に死者のゆく地下の世界を表すことはありません。

「ハデス」は常に「墓」であり、人の霊魂が集められるようなところと解されたのは、キリスト教がヘレニズムの影響を受けて以降のことです。
「ゲヘナ」はアラム語「ゲー・ヒンノム」から造語されたギリシア語で、もとのアラム語では「ヒンノムの谷」という意味を持ちますが、こちらも地獄でも黄泉でも冥府でもありません。旧約聖書からして、死後永遠に出て来られない責め苦の場所という発想がありません。

カトリックの影響で「地獄」が世俗全般に広くキリスト教のものと思われている実情からすれば、これは意外に思われるかも知れませんが、実はヘブライ人の書いた聖書には、旧約にも新約にも死者のゆく「地獄」のようなものは一切ありません。
人は死後に、誰もが『復活』を待つことになるというのがヘブライの教えであり、そこにこそ他の宗教にない優れた特徴があるのです。
一方で「地獄」は、この民族が教える、亡くなれば人の意識も世への関わりも共に失うことになるというヘブライ人の「死」の概念に反する異教のものであり、諸宗教の混濁したヘレニズム期にこっそり紛れ込んだもので、ギリシア文化圏に取り込まれてしまった後のユダヤ人によってミシュナーが編纂される前には「死後の世界」などは見られず、本来は聖書の排斥する教理であったものです。むしろ人は死ねば意識を持たないと聖書は教えているのです。(伝道9:5)

多くの聖書で『地獄』と訳されている言葉については、ヨシヤ王の時代以降、「ヒンノムの谷」はエルサレム城壁の外、南西側の斜面の下がゴミ焼却場とされていたことから、これが火の燃える地獄のように解釈されてしまってきました。その単語が「ゲヘナ」ですが、これは本来『地獄』とは言えないものを指しているのです。
このゴミ焼却場には火が絶えないように多くの硫黄がまかれ、全体からいつも煙が上がっていたとユダヤ教のラビらによって伝えられています。

この火が絶えると虫がわいたり、疫病の原因になったりしますので、律法で衛生感覚を磨かれたであろう人々によって硫黄は常に広く散布されていなければならなかったでしょう。
それは「火の燃える湖」などの聖書中の表現の理解に示唆を与えるものでもあります。

ゴミ処理場には、死刑に処されたような重罪人の死体も投げ捨てられたと伝えられます。これは「死」について示唆に富むものです。
と言いますのは、イスラエル人は伝統的に土葬を行いましたが、そこには復活信仰があり、丁寧な埋葬は死者の復活を願う気持ちが反映されていたとのことです。この点で、亡くなった兄弟ラザロの復活を語ったベタニア村のマルタの認識は、当時のユダヤ人の死生観を言い表しています。(ヨハネ11:24)
一方、特に引き取り手もないような凶悪な罪人の場合には、誰も丁寧に埋葬する人なく、誰にも復活が望まれない者と見なされてしまいます。

もちろん、キリストの教えによれば、『義者も不義者も』分け隔てなく復活することになりますが、無慈悲な殺人者などは人々からすれば復活してほしくはないと思われたことでしょう。そこでその死体は埋葬されずにゲヘナに廃棄されることになりました。

神が明言されたように「罪を犯す魂が死ぬ」のであり、創造の神は裁きを行っても無存在にならせる以上の処罰をされません。その理由は、作られた者を存在させるか否かは創造者の正当な生殺与奪の権利であり、創造の企図に相応しくないものを創造者が排除することは動かし難い道理であり、それが被造物全体の益となることも明白です。(エゼキエル18:4)


これらの点を踏まえて聖書を見直すと、マタイ5:22などのイエスの言葉『だれでも,『卑しむべき愚か者よ!』と言う者は,火の燃えるゲヘナに処せられることになるでしょう』の意味が明瞭になります。
つまり、「復活に値しない者と見なされる」さらに敷衍すれば「永遠の滅び(虚無)に定められる」という意味でイエスが警告をして話されたことが分かります。これは復活がなくなるという意味ではなく、パウロが言うように「人は皆、一度死んで後に裁きが定められている』のであり、その復活後に裁かれ『永遠の滅び』に定められるなら、あたかも復活に値しない者が『ゲヘナに処せられ』ることをいうのです。

黙示録でもサタンが滅ぼされる場面で、「火の湖に投げ落とされ、その煙は永久に立ち上る」の意味も同じです。(黙示録20:10)
その裁きの滅びにおいて、サタンは象徴的に焼かれるのであり、その意味するところは永遠の消滅であり、ゴミ処理場の硫黄の火にくすぶる復活に値しない重罪人の屍のようです。
もし、そこが死者を虐待する「地獄」であるならサタンの居場所としては相応しく、虐待を嗜好するサタンも居心地よく永続することになってしまうことでしょう。

むしろ、そこではサタンや偽預言者を含め、死や墓(ハデス)という象徴物までが「火の湖」に投げ込まれますから、これは現実の「火の湖」ではなく、不要なものの処分、敷衍して完全な消滅の象徴として用いられていることが言葉の用法から分かります。
しかも、その「火の湖」という場所には、ゴミ処理場のように「火と硫黄がある」と書かれ、はっきりと「これは第二の死を表している」とも書かれております。つまり永続的な消滅です。(黙示録21:8)

これらの事柄は、すべて新約聖書中の記述ですが、エルサレムのゴミ処理場の知識がない人々にとっては、容易に世俗に広まってきた異教の「地獄」や「黄泉」の概念に染まってしまいます。
そして、ニケアー会議以降のキリスト教界も、この大きな間違いを受け入れてしまいました。当時、ユダヤ人排撃の姿勢が強かったので、異教の混濁するヘレニズムの思想を選んでヘブライの知識を無視したからです。

それゆえ、前述のマタイ5:22などにあるゲヘナを「地獄」や「黄泉」と異教に沿って訳すのは、まったく聖書を曲解させることになりますが、口語訳と新共同訳はそうしてしまっている中で、新改訳がその語のままに「ゲヘナ」としていることは真に適正であり、文字通り「有り難い」ことです。

またペテロ第一3:18-19*にある、「キリストの黄泉降り」とされている部分は、続く20節を読むと分かるように、人間の死後霊を述べているのではなく、大洪水前に勝手に振る舞っていた天使たちが拘束されている状態を指しているのであり、それは、彼らの滅びの処遇がキリストの神への忠節を通して確定したことがキリストを通して伝えられたことを指しているのでしょう。*(「囚われの」[φυλακῇ ]「黄泉」も「獄」の意も無し)

キリスト教界の重い病気は、神理解を覆い隠す三位一体だけではありません。言い訳がましい偶像崇拝や多神教的聖人崇拝、そしてこの地獄や煉獄の教えもその病名を連ねます。

世俗権力を結びついた「キリスト教」は警察力だけでなく、地獄の教えによっても民衆を統治しようとしてきました。つまり「恐怖」の支配です。それは農奴の基礎の上に成り立つヨーロッパ封建制を支え、またプロテスタント領邦支配にも関わってきたことでしょう。「地獄」は脅し以外の何ものでもないからです。

「十字軍」に参加する兵士に贖宥が与えられ、地獄行きが免除されるというのは、その脅しのタガが外されたことで誘発した蛮行と虐殺の数々は、サタンの特質を表すよう動かしたものとしか云いようもなく、これこそは、為政者も出来ないほどの悪辣な大衆操作のこのうえない事例として、歴史上に拭いようもない事実として刻まれています。

こうした力の支配は常に簡単で便利です。脅しさえすればよいのですから、人々の愛などの内面に働きかける必要がありません。そこでキリスト教そのものも教理においてまったく後退したと言わざるを得ません。つまり愛を教えず脅しで教えたからです。

そのうえ、地獄の教理は「復活」や「愛の掟」などキリスト教の真に優れた特質を失わせ、どこにも見られる宗教に平凡化してしまうものでもあります。そこには一般信徒の心に働いている「自分さえ救われれば」という利己心も引力のように作用してきたことでしょう。

結果として、目を半分閉じてしまったかのような蒙昧の中にグレコ=ローマン型キリスト教は千数百年足踏みを続けてきました。これは人間の恐るべき倫理上の欠陥の為せる業なのでしょう。到底、神意によるものとは云えませんし、また云うべきでもないはずです。

しかし神はエレミヤ32:35にもあるようにヒンノムの谷がゴミ捨て場になる以前にまさにその場所で行われていたカナン異教の崇拝、嬰児を火に投げ入れるようなモレク神の残忍な礼拝などをイスラエルの神は「考えもしたことがない」と言い切っています。
人を創造した神は、人を焼いて責め苛むことをしないというのです。

確かに死はすべて人に臨みますが、それは意識の終わりであって、例え悪人であってもサディスティックに苦しみを与え続けるのを喜ぶのが創造者の神の意図でしょうか。
神は創造の初めからそれを意図したと言い張るなら、それは神を尊ばず、創造者はサタンのようだと言うに等しい暴言、また中傷というべきでしょう。それは「義者も不義者も」関わりなく人々の復活を意図するイスラエルの聖なる神をサタンの化身である異教の過酷な神々と同列に置くような冒涜ではありませんか?(使徒24:15)


そこでキリストを信じる者は、キリストの語られた言葉の真意を探ることに意欲を持たねば、こうした非ヘブライ的異教の誤謬に簡単に絡め取られてしまいます。
同時にこのことは、翻訳された聖書に潜む落とし穴に注意を向けてくれるものともなります。

是非にも、この観点からもう一度聖書を読み直してみて頂きたいものです。
そうするなら、創造者が人類をキリストの犠牲に基づいて買戻し、復活を通して本来の創造の企図に適った輝かしい人間の姿を回復させ、全ての人が宗教を必要としないほどに、神との親しい関係に入ることこそが創造の神のご意志であることを味わい知ることになるでしょう。



富者とラザロのたとえ

「天国」か「天の王国」か

「大いなるバビロン」の滅び

「あなたがたはゲヘナの裁きを免れるだろうか」





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三位一体というパン種

2012.08.05 (Sun)
三位一体   Trinitas(羅)

教会員にとっては教えられるままに、三位一体を真実として受け容れている方々がほとんどであるので、実は三位一体の方が後から現れたと聞けばいぶかしく思うであろう。
つまり、初代教会はテオドシウス帝の発布した「カトリック教令」にしっかりと受け継がれたのであって、そこに一神論を主張するアリウス派という異端が後から現れたという説明がなされることが今日の趨勢となっているからである。

しかし、ユダヤ教から興った原始キリスト教は純然たる一神教であり、イエスも誕生後に律法に従い割礼を受け、生涯にわたりエルサレム神殿で崇拝し、その神に請願を祈り、また『自分からは何もできない』と云われるほどに神に頼る姿勢を見せ、『父のほかに良い者はいない』とも自らを低め、その地上の生活と犠牲の死を通して『従順を学んだ』と聖書も記す。
その使徒らもキリストをその称号の通りに神から任命された者として受け入れていたのであり、使徒ペテロは神への祈りの中で御子をダヴィデ王の呼称を踏襲して『あなたの僕イエス』と呼んでもいる。

キリストであったイエスは、『父の家』であるエルサレム神殿が商売や移動の都合で汚されていたのを見て、まったく例外的に実力行使に及んでいたが、それは神への忠節な熱心から出たことであったことが聖書に記録されている。
神と子が同じ存在であったとなれば、その熱心は単に神自身の憤りの表明となり、イエスの『わたしは父を尊んでいる』という言葉の意義も色あせてしまう。

もし、三位一体を教える教会と接触せずに聖書を読んだ人が神は三位一体であると考えるだろうか。
それは無理であろう。ユダヤ教が律法だけでは事足りず、無数の口頭伝承を加えて信者を規制してきたように、聖書だけ読んで三位一体を信じるはおろか、その概念さえ自然には持てるものでない。それはキリスト教界からすら三位一体を否定する人々が現れてきた歴史にも明らかと言える。
したがって、教会員さえもが「教会がそう言うのだから」と自分の中でつじつまを合わせて洗礼を受けるしかない。

当然ながら、複雑なものは単純なものより後に作られるのであり、単純明解な一神論が三位一体に置き換えられるのは第四世紀を待たねばならず、三一派がキリスト教界の趨勢となるには更に年月を要しており、その間には数世紀にわたる両派の一進一退の勢力争いが続き、遂に権勢に勝る三一派が趨勢を形作ったのである。

以下に、その来歴と影響を書き出してみよう。


■三者が等質で『唯一の』神

キリスト教における三位一体は、神は三つの位格(ペルソナ)を持っていて、1.父なる神 2.子なる神 3.聖霊 が共に一つの神を構成しているという。
東方正教会では「至聖三者」と呼ばれ、カトリック、プロテスタントという三大教派を中心に信じられてきた教えであるが、この三位一体を信仰箇条とする教派は、共通する教理を議決した公会議の名から「カルケドン派」とも、またヘブライからの教えを離れたギリシア=ローマ(グレコ・ローマン)型と呼ぶことも不適切ではない。

イエスも神ならば、その父も神であり、加えて聖霊も同じ「神」であり、しかも、その三者は等質にして不可分であり、その実体は三つではなく一つであるとされているのが三大教派の三位一体説である。
これを裏付けるかのような「アタナシウス信経」が、ローマカトリック圏内で根拠として利用されてもきたが、今日までにこの資料は五世紀の捏造であることが知られている。

ヘレニズム神秘主義の三神一体は、古代より様々な地域の多神教宗教において存在してきた教理のひとつである。
キリスト教においては、エーゲ文明に源泉をもつ神概念を萌芽とし、前4世紀のプラトンのギリシア幾何学(聖三角形)を媒介し、諸国の宗教に流行した三面神崇拝の渾融するヘレニズム思想がヘブライ由来のキリスト教が国際化に曝される中で、後4世紀(380年カトリック教令)に至ってエジプトからローマ帝国の法制度化と帝国の国教化を経て「キリスト教」に混じったが、それはローマ帝国も教会も東西に分裂する以前であったため、ヨーロッパで広汎に教理とされた。その後、西欧ではようやく五世紀に広範囲なキリスト教の教理として確立をみるが、8~9世紀にかけてもカトリックの十分に及んでいなかった辺境では依然として論争が残っていた。

■原始キリスト教以前の典拠なし

「三位一体」という言葉は、聖書全巻にも、新約聖書編纂より成立の早いとされる「ディダケー」にも皆無であることはよく知られる。使徒ヨハネの死去十数年後のアンティオケイアの教父イグナティオスにも、二世紀後半に殉教したアレクサンドレイアのユスティヌス(ca100-165)の著作にもその痕跡すらない。むしろ、ユスティノスはキリストは神に次ぐ”第二の位にある”ことを述べているし、キリストが創造物に先立って神と共にあり、”神はキリストを通して万物を美しく整えた”と述べ、コロサイ書第1章15節と調和した見方を唱えている。(第一護教論13:2-4/第二護教論6:1-5)

「三位一体」の言葉そのものを記す古いキリスト教の著書としては、西暦180年ごろのアンティオキアの教父テオフィロス(?-ca183)の著書に初めてτριας[トリアス「三位性」の意]というギリシャ語によって現れてはいるが、そこで後の三位一体説を唱えていない

 三位一体と同義のラテン語で[トリニタス]という語を用いたのは三世紀の教父テルトゥリアヌス(ca150-ca220)と云われているのだが、カトリックの刊行物も認めているように、テルトゥリアヌス自身も三位一体の意味においてその語を用いていない。

前述の教父テオフィロスの時期のキリスト教にも三位一体の概念がなかったし、アレクサンドレイア出身の著名な初期ギリシア教父オリゲネス(ca185-ca254)もまた”父と子は、その本質について言えば二つのものであり・・・父と比べれば子は非常に小さな光である”とその著書「諸原理について」の中で述べている。その理由については”「御子が御父よりも優れた方ではなく、劣った方であると言明する。私たちがそう言うのも、「私をお遣わしになられた方は私よりも偉大な方である」と言った方を私たちは信じているからである”とも言っている。
このように、第三世紀の使徒後教父文書にも三位一体を窺わせるような文言を見出すことはない。

エジプトのアレクサンドレイアには使徒伝来とされる司教座が置かれており*、アレクサンドロス大王による創建からプトレマイオス朝を経てローマに降って後もギリシア文化圏に属し、プラトン哲学的な思索と聖書の比喩的解釈で知られていた。即ち、この「世界の結び目」と呼ばれたこの学術都市は、キリスト教と多様な異教思想との危うい接点であった。(*使徒がこの地を訪れた記録は聖書には無い)

その当時はユダヤ教側も諸国民への宣教に取り組んで一定の成果を得てもいたことで、やはり諸国に広がるキリスト教には嫉妬を懐きやすい状況があった。やはりユダヤ教側は、自分たちの中から現れてきたキリスト教に対して激しく反対していたので、イエス派信徒に対するローマ帝国からの迫害に乗じて、密告はもちろんのこと、処刑の手助けも進んで行っていた様が古資料に残されている。
そこでキリスト教側は、ユダヤ教を強く怨んでおり、それはキリストの非ユダヤ化とキリスト教のヘレニズム化を強力に推し進める動機となっていた。

そこで、キリスト教がユダヤから全く取り去られ、ギリシア=ローマ独自のものへと再構成される下地は充分にあった。しかも、その間にユダヤ人イエス派信徒はユダヤ教側からの迫害に遭い、姿を消して行く途上にあった。ユダヤ人からすれば三一は勿論、メシアが神自身であるという教えはヘレニズム異教への堕落であり、受け入れることはまず不可能である。だが、キリスト教界はユダヤ人信徒を失ってゆくに従い、キリスト教の教師は非ユダヤ人に占められ、そこにユダヤ人との不和が働いて、異邦人主体のキリスト教界はヘブライズムを厭いギリシア文化に近付いてゆく。こうして二つの宗教は別の神概念の道を邁進してゆくことになる。
しかし、それは「聖書教」の分裂であり断片化でもあったので、双方から新旧の聖書を通じた一貫性ある貴重な理解が失われることを意味した。


■異教に観られる三一神
これらの状況下で、アレクサンドレイアは諸国の宗教とキリスト教混交の危険地帯であり、オシリスのエジプト三神組崇拝、またヘレニズムに見られるヘカテーの三面神崇敬への触媒の作用を及ぼす、また当時人種文化の混じり合うさまを「熱した溶鉱炉」というように表現もされていた。
それに加え、ギリシア哲学の中心地もアテナイからアレクサンドレイアに移っており、しかもその哲学は宗教化した時期にあった。
ヘレニズムの流行から、ユダヤ民族からもフィロンのようなヘレニズムとの折衷を指向する者さえ現れており、その路線を継承したのが、アレクサンドレイアのクレメンスのような異教哲学的「キリスト教徒」であったが、それは様々な宗教的ニュアンスの渾融を特色としていた。

アーリア系の宗教には三一の神々が特徴的に観られる。
ヒンズー教の「トリムールティ」とはブラフマー(創造神)、ヴィシュヌー(存続神)、シヴァ(破壊神)の三神によって諸相は変転を繰り返すとされる。仏教では、阿弥陀三尊で表され、阿弥陀如来像を中心に、勢至菩薩と観世音菩薩を伴う。「三尊」にはほかにも幾つかの配置があるが、仏教に限らず古来三つの崇拝対象は異教圏で採用されている。
イラン系のミトラ神、ヴァルナ神は、ミタンニ文化にまで遡るほど古い由来を持っているが、ヒンズーではアスラ族諸神の代表格でもあり、ゾロアストロス教のアフラ=マツダ神はイランでは太古のアスラ族の神でもあり、それはインドではアシュラとして仏教に入り、日本の興福寺に国宝として安置されている阿修羅像は三面六臂の姿であり、闘争の神として「修羅場」の語源をも提供している。

太古から、三神一体や三面を持つ神像はヘブライ文化以外で培われてきていたが、東西の文化が混じり合うヘレニズムの中心アレクサンドレイアでは、アーリア系からアジア・アフリカの宗教文化が混融する土壌にあった。西暦起源後にキリスト教がそこに入ったときには、ユダヤ教のようではなく排他性の弱いキリスト教には、教理の混濁する脆弱性があり、やはり、三位一体説が、二位論をさえ凌駕して登場する背景には異教徒の宗教概念の先在があったことを窺わせる。

■神名の問題
第三世紀まではキリスト教側でユダヤ教に対抗するために、神殿の消滅により固有名も曖昧となっていたユダヤの神に対してキリストの優越性を説く過程で、キリストも神とする傾向が高まりを見せていたが、それはユスティノス(mt)の著作「トリュフォンとの対話」にも見えている。だが、そこでは未だ二者論であり、ヘレニズム異教の三神論に同調したような形跡は残っていない。

ローマのクレメンスはその手紙の中で、コリントのキリスト教徒の不和を糾弾する文の中で「君たちは主の御名に冒涜を加えている。」と書いているが、この『主』がキリストを指すことは前の文章から分かるのだが、「御名」と有ればユダヤ人信徒であれば、旧約の神である『主』(アドナイ)つまり神YHWHと混同し兼ねない。当時にはユダヤ教ナザレ派は依然健在であったため(西暦100頃)その誤解はまだ避けられたであろうが、ユダヤ教からの信者が去った後のエクレシアではそれも期待できる状況にはない。

■強引な教説の開始と論争
しかし、後の第四世紀に入ったころ、アレクサンドレイアのエクレシアでは、キリストも神であるとの見解が支配的となり、更に進んではっきりと三位一体説を唱え始めると、執事(ディアコノス)のひとりであったシリア学派のアレイオス(250-336)は、キリストが神であるとの主張、また当時のヘレニズム影響下のキリスト教に於ける新たな三つ組の神を推進する風潮に異議を唱えた。
だが、他のディアコノイは趨勢に従って彼に反対し、エクレシアとしての結論をエピスコポス(監督)のアレクサンドロスが出したが、その裁定は、キリストも神とするというところとなって、アレイオスを破門に処してしまった。

こうして、アレクアンドレイアの監督アレクサンドロス(?-326)と、次いで当時若きディアコノス(執事)のひとりであったアタナシオス(298-373)は、明確にエジプト地域で古来優勢であった三神一体*をキリスト教のものとする意志をもった。その動機のひとつは、エジプトではキリストも神であることの理解は既に趨勢を成しており、都会的なヘレニズムの異教徒たちへの宣教を効果的に進めるという目的であったようだ。第四世紀当時のローマ世界の宗教の状況は、未だに大多数の異教の中にユダヤ教とキリスト教が熱心な少数者として存在していたに過ぎない。神秘主義の感銘を与えて取り込むべき雑多な異教徒が市井に溢れていたというべき状況であった。
*(オシリス(父)・イシス(母)・ホルス(子)の三一神、ヘレニズムでは三体合体の神ヘカテー(ローマでは「トリティア」)などの三面神の崇拝が古来からあった。哲学ではプラトンが幾何学を援用した「聖なる三角形」(直角三角形)が父神と母神の間に小神を生み出すことを説いている)
当時のローマ帝国は、キリスト教の法令による国教化と異教排斥の以前であり、帝国貴族や高官も依然としてギリシア・ローマの神々の崇拝者であって、それら知識層を占める異教を奉じる市民の多くを改宗される目論見を抱くなら、ヘレニズムとの渾融は手っ取り早い手段であった。だが、それを用いるならばキリスト教の純粋性から離れ、異教を取り込むことを意味する。

これに激しく反対し続けたのが、アレイオス(アリウス)であった。彼は父なる神と子なるイエス・キリスト、および聖霊は全く異なる(ヘテロウシオス)と抗弁して上長に逆らうことになり、新しい概念が大勢を占めつつあることに抗した。(キリスト神論争が始まった時点で、23人を数えたアレクサンドレイアのデイアコノイの中でアレイオスは二番目の年長者になっていた[A.Jones]CoE:142)

アレイオスの主張の概要は、「御子」はあらゆるものに先立って創られたが、「父」である神には先んじない、という簡明な事柄であった。(コロサイ1:15) しかし、エジプトでは古来の正統な教理は存在を容認されるものともならなかった。そこでエクレシアを主宰するアレクサンドロスはアレクサンドレイアに依存する諸都市のエピスコポイも参集させて評議し、アレイオスと支持者を破門としてしまった。

この分裂に対し、各地のエクレシアイは憂慮しアレクサンドロスとアレイオス両者を和睦させようと心を砕いた。その中にはヒスパニアの高名なエピスコポスであったホシオスも含まれる。彼は後に大帝となるコンスタンティヌスからこの調停を依頼されていたという。
一方のアレイオスはシリアのアンティオケイアで学んだ人物であり、オリゲネスの流れを汲んでいたとされるが、そのシリアのアンティオケア学派の同窓生らも各地でアレイオスの排斥は行き過ぎであると認識していた。そのようなひとりに、ニコメディアのエウセビオスもいた。

加えて、当時「三位一体」は今日のままの形で現れてはこなかった。それはエジプト以外ではまだ御子が神か否かの論争に終始していたのである。そこにはユダヤ教に対する強い嫌悪とキリスト教の優位確立への願望が作用していた。
当時の形勢は、この二位論(後の三位一体論)より一神論の信徒を持つ地方が多かった。その理由のひとつは、帝国辺境に存在した蛮族への布教は、原始キリスト教において続けられ、ローマより北のヨーロッパで専ら以前の唯一神の宣教が実を結んでおり、ヘレニズム異教の坩堝であったエジプトを別にした辺境に於いては一神論が趨勢を占めていたからである。

両者間の論争と確執は集会所の占有を巡って次第に各地に拡大をはじめ、帝国内に物議を醸しその騒動が政情にも影響するに及んで、クリスチャンを自認しただけのローマ皇帝までもキリスト教に肩入れし、その分裂を防ごうと考えて第一回ニカイア公会議が準備されるが、これは皇帝コンスタンティヌス主宰であるばかりか、様々な費用が国庫から支出されており、参加者は皇帝の権威に阿る状態にあった。

但し、この段階では依然「三位一体」までには至っていない、未だ、神とキリストが同質か否かの「二者」の論議に終始しており、「聖霊」を含む現在の「三位一体」がはっきりと教会議論の俎上に現れるのはこの第四世紀後半となる。
後に姿を現す「三位一体」はエジプトのエクレシアイで醸造されてはいたが、世に出る時節はまだ来ていなかった。


■帝国の介入
当時のローマ皇帝コンスタンティヌスは、ナタリス・インヴェクチ・ソリス(征服されることなき太陽の意)なる太陽神崇拝者であって、キリストと太陽神を混同していた上、死の直前までバプテスマを受けたキリスト教徒ではなかったのであるが、この問題については積極的に関わらざるを得ないと考え、自らが持つローマ帝国の最高神祇官(ポンティクス・マクシムス*)の立場も手伝ってか、自らをキリスト教指導者と見做し、帝国内の各地の司教(エピスポコイ「監督」)を小アジア(現トルコ)のニカイア(ニケアー)に召集をかけた。(*ローマ共和制以来の最高宗教職名でカエサルが多額の賄賂を払っても入手したという重職であるが、本来キリスト教とは何の関わりも無い。この顕職が後の教皇へと継承される)

 こうして、古代の蒙昧の内にキリスト教の教えが巨大な世俗権力の介入を最初に招いたのは、西暦四世紀の325年のことであった。
会議の議事録は残されていないが、その結果はアレイオスの敗北とはなった。 しかし、そこでまともな神学論争は行われなかったという。アレイオスの発言はしばしば無視され、その最中には故意に退席する者らもあったという。そして、最終的に裁可を下したのは、本来部外者のはずの皇帝であり、それも、まとまらない議事に介入してのことであったことをカエサレイアのエウセビオスが記している。

 議決に賛同することを最後まで拒否したアレイオスを含む三人は帝国の権力によって流罪とされる。
しかし、カエサレアのエウセビオスなど逡巡した中間派も少なくはなかった。多くの出席者は権力者としての皇帝の意向に従って議決を了承し、次いで皇帝を讃える祝賀の宴会に与った。

■ニケアー後の混沌
 こうして一旦は終わった会議ではあったが、皇帝御座所のニコメディアのエピスコポスであったエウセビオスが内々に働きかけ、皇帝の傍にあって議決を覆すに至り、それでなくてもキリスト教徒とも思えぬほど素行の芳しくないアタナシオスは、それも追い討ちとなって以後五度も帝国から流刑に処されることになる。

 その後、両者の形勢は一進一退であり、宗教の本質を更に外れて教勢を競い、そこに政治権力の抗争を伴って、宗教は政治状況に大きく影響され始める。この間に二位論は次第にエジプトの三位論への影響を強くしたようである。そこでは同時に、神が三位一体かそうでないかということよりも、どの宗教家が主導権を握るかという争点に入れ替わっていた。

360年にアタナシオスはカッパドキアの大バシレイオスの知己を得る。
このバシレイオスは修道制に於いてエジプトに倣うところあり、アタナシオスを介して多くの影響を受けている。
やがて、カッパドキア派はアレクサンドレイア派と共に、以後の「キリスト教」を形作ることにおいて主導的な役割を果たす。

加えてアタナシオスはローマにも流刑となっていた時期に、ローマのエクレシアに侮り難い影響を残しており、これも彼の死後に三一派を前進させる一助となるが、このように、皇帝はアタナシオスを流配させる度に各地に同調者を得させるという失態を犯してした。

■政治的決着
しかし、帝国外縁部での明快な一神論の優勢が覆されたのは、宗教の正統性の勝利とは縁遠い強引な権力による刷新であった。
この点では、メディオラヌム(現ミラノ)の官吏であった俄仕立ての司教アンブロシウスという人物を挙げないわけにはゆかない。彼は一神派に占められていたメディオラヌムの司教座が空いた時に、三位一体派によって担ぎ出された地方長官であった。バプテスマも受けるかどうかというところでいきなりに司教座を占めたのである。

この登用は、メディオラヌム市の三一派が大バジリカを占有して趨勢を決したばかりでなく、やがて帝国全体の流れを三位一体派に力ずくで変えることになった。それは彼が政治の手法を心得ており、ふたりのキリスト教徒の皇帝を三位一体派に改宗させたうえ、その施策までを諌める立場をとったからである。

キリスト自身は、自分を王にしようとする人々を避け、ペテロには武器の使用を戒め、政治では自分も弟子らも関わる風情も見せなかったのであるが、この元官吏はそうしなかった。グラティアヌスとテオドシウスというふたりのキリスト教徒の皇帝をまるで臣下のように手玉に取り、テオドシウス帝に政令を発布させ、帝国全体でアレクサンドレイア式の三位一体派キリスト教を正統とさせ、有無を言わさぬ権力によって一神派を禁じ、当時の趨勢を決定付けさせたのはこのアンブロジウスである。

その政治力による三一派の強引なキリスト教の「刷新」は、西暦380年のテオドシウス帝によって宗教上の決定的な施行を目的とした「カトリック教令」となって現れた。以後「キリスト教」と称する権利を持つものはエジプト式のものであり、それ以外は異端とされた。これに伴い古来ローマの神々の崇拝も禁止の措置を取られるに至る。
今日の「キリスト教」が、ユダヤではなくヨーロッパ文化のものと見做されるのも、キリスト教がローマ帝国の国教となり、こうして帝国がそれを規定したところに由来しているのである。

こうして、「正統派」のキリスト教は世俗権力にまみれ、自分たち以外をすべて迫害する程に変質して武器を執るようになっただけでなく、神概念を曖昧にする古代に流行したヘレニズムの神秘思想「三位一体」をカトリックとして強要したのであった。これが380年に発布された「カトリック教令」の効果である。こうしてヘブライ由来のキリスト教はグレコローマン文化の、即ち内面までヨーロッパの宗教へと変質を遂げた。⇒ アンブロジウス
また、死刑の刑具であった十字架をバジリカに飾って重んじる習慣も、アンブロジウスのウァランス帝の皇后ユスティナに宛てた書簡に表れている。その文面によると、一神論派は「十字架の前にひざまずく」ことを拒否していたことが窺える。その一方で皇帝はそれまでの十字架刑を禁止していた。


■テオドシウス帝の会議
325年に行われた第1ニカイア公会議はニカイア信条を採択し、アレイオスの破門とアリウス派の否定をもって終わった。しかしこれによってもアリウス派の問題は決着せず、政治問題も含めてより複雑化していた。
これを解決するため「カトリック教令」の翌年、381年に再び公会議がコンスタンティノープルで行われた。

主催者となったのはアンブロシウスに膝を屈するローマ皇帝テオドシウス1世で、行われた場所からコンスタンティノープル公同会議と呼ばれている。
コンスタンティノポリスは伝統的にアリウス派への賛同者が多い土地であったが、ニカイア信条の支持者であった皇帝テオドシウスは信頼していたナジアンゾスのグレゴリオスと共に会議を主導した。このカッパドキアの系統は大バシレイオスがアタナシオスと360年に接触して昵懇となることにより、すでにエジプトの教理を受け入れており、そこに自分たちの活路を見出していた。共通項として修道会が挙げられる。(また、おそらくは儀式で十字架を用いる習慣にカッパドキア派が積極的役割を果たしたように思える)
コンスタンティノープル公同会議の参加者は僅か150名ほどで、そのすべてが東方ギリシア圏からの参加者であった。

会議では最終的にニカイア信条を修正し、聖霊についての一文を付加するなど拡充し、翌382年には補足の会議が持たれ、そこでは「聖霊」の神格化も「決定」された。遂に今日的「三位一体」が会議で承認されて現れたのである。これらは「カトリック教令」に呼応するその後三年のことであった。国教化を通してキリスト教は個人の信仰によるものではなくなり、生まれによってキリスト教徒が造られる「コミュニティの宗教」となった。

この議決として、ニカイア・コンスタンティノポリス信条が採択され、アリウス派、サベリウス主義、アポリナリオス(シリアのラオディケイアの-390)主義およびホモイウジオス主義者(ニカイア信条に入っていた「同質」という言葉に反対し、「相似」(ホモイウジオス)という言葉を支持した人々)の呪詛も決定した。こうして帝国として崇拝する宗教の概要が定められた。

その後70年が経過して、ニカイア・コンスタンティノポリス信条の方が「ニカイア信条」と呼ばれるようになってゆく。これは450年のカルケドン会議で強化されることになった。カルケドンのクレドでは理解不能の「キリストは唯一の同じ神」とされ、「神性と人性はふたつの位格に分割されない」ともされ、今日まで続く「三位一体」の形がようやくに整った。つまりキリストは人性を持つがまったく神であり、旧約聖書の神と同じだと云うのである。


以後、中世期に三位一体説は教皇権によるヨーロッパ封建制という世俗権力によって権威を与えられてきた。
それは、政治と宗教の癒着した姿であり、軍事力の脅しと地獄の恐怖によって大多数のヨーロッパ下層民を首尾よく統治する機構であり、それが擁護し続けてきたのが神の理解を阻む「三位一体説」であった。
こうして「キリスト教」と呼ばれる宗教は、ヘブライの香りを失い、ヨーロッパ臭い「グレコローマン」のものと変質し、以後はヘブライの祭りに変えてケルトやゲルマンの宗教習慣が後のゴシック文化へとなだれ込んだ。 歴史を俯瞰すると、三位一体説の混入は、キリスト教が変質を遂げる最初の一歩であったかの観がある。

しかし、ヨーロッパ封建制度のとうに終わった現代に、「クリスチャン」の大半が、未だに中世の蒙昧を後生大事に戴いているのは奇妙なことであるが、それこそが保守的な余りに時代の進歩を常に拒んできた宗教というものの実相である。この宗教世界では未だに中世で足踏みをし続けていると言ってよいであろう。

 一方、キリスト教の母体となったユダヤ教や、同じくアブラハム以来の啓典の神を崇拝するイスラム教もまったくの一神教であり、当然ながら三位一体をまったく容認しておらず、「キリスト教」を多神教に堕したものと見なす。神からメシアを約束されたユダヤ人からしてみれば、三位一体は汚れた異邦人の空想物に過ぎない。

しかし、キリスト教界に三位一体を招かせることになった様々な悪影響を硬軟取り混ぜて及ぼしたのは、明らかにユダヤ人によるキリスト自身と初期キリスト教徒への陰湿な反対行動にある。そのためにキリスト教徒側は、ユダヤ人と神も、安息日も、主の晩餐と無酵母パンの祭りさえも時期を同じくしない強い願いを懐いていった。

ニカイア会議の決議では、ユダヤの土曜の安息日とキリスト教の日曜安息の違いが法令化によって確定され、ユダヤの過ぎ越しとキリスト教の復活祭がけっして重なることのないようにとキリスト教において復活祭の日付だけが陰暦で定められるところとなった。
しかし、キリストの定めた「主の晩餐」はユダヤで年一度行われる「過越し」の延長線上にあることは否定できるものではないにも関わらず、キリスト教側は日曜を「主日」とし、無酵母パンをホスチアや発酵させたパンに入れ替え「パン裂き」(クラスマ)を行うべき日を年に一度ではなく習慣的に行う聖体拝受と変更したが、これが一般的教会で「日曜礼拝」と称される基礎を作った。
(例年のイースターの日付の移動にユダヤ嫌悪が顕著に表れている)

キリストを神の座に就けようという傾向も、ユダヤの名も忘れられた神を崇拝することを嫌ったところにあった。
神名については、セプチュアギンタと新約聖書では、ユダヤ人の習慣もあって使徒らの時代には既にヘブライの神の名が表れなくなっており、イエスがキリストであることを信じる「信仰」が強調されているところも「三位一体」を推進するものとなった。


◆教理の入り口に蓋をする「玄義」
「キリスト教」の擁護者たちによれば、一般人に三位一体を信じさせると、神に関する理解が複雑になってしまうが、これは神聖にして深遠なる「玄義」(人には理解不能のもの)であるとし、しばしば神の神秘を「理解する必要もない」と締めくくられる。
即ち、理解せずに信じよということである。しかし、理解できぬものは信仰できていない筈であり、聖書中のキリストの言動と三位一体の概念との違いは、しばしば信徒を動揺させるものとなっている。特にキリストの父への熱烈な神としての擁護と、自身の質素さ無力さとの対比や、一心に父を讃えて命までをも賭してゆくイエスの姿や自己犠牲の精神を「自作自演」に封じて無意味なものとしてしまうものが三位一体説である。

 それは福音理解の明解さから離れざるを得ないので、今日多くのキリスト教僧職者にとってもその難解のゆえに、質問する信徒たちに教えることがとても難しいと言われており、実際、信徒の側でも崇拝の対象が曖昧にされるものとなっている。

 そこで、それゆえにも理解を超えるキリスト教は「宗教」であるとも強弁される。それは「信仰するようになった者の中に聖霊が置かれ、その聖霊がその個人に啓示するもの」とのスピリチャル宗教のような教えも為されているとのことながら、それでは恰も童話のように、巧妙な詐欺師らに対し「裸の王様」の現実を言い出せなかった大人たちのような状況が信徒に中に見られることであろう。

しかし、宗教で最重要な崇拝の対象、つまり「神を知る」ことについて理解不能の「玄義」を置いてしまうなら、高度で難しい部分もあるというのでもなく、キリスト教の入り口に蓋をするようなもので、入門者を「神はだれですか?」という基礎の最初から理解させないということにはならないのだろうか。まさしくこの説は、キリストの教えを探求しようとする求道者の前に立ちはだかってきた。即ち、聖書全体の理解という宝の前に置かれた、これを理解してはならぬという封印である。

したがって、バプテスマを施す条件として「三位一体」を強制するのであれば、「神(もキリストも聖霊も)を理解しない」ことを条件にキリスト教徒となることを許していることになる。

 この説が成立した第四世紀当時から、正統派を自認する大多数のキリスト教各派は、この教理を有しない者を「異端」として多大の努力を傾注して退け、極刑を以って排除し続けて来た。
 これは中世から21世紀の今日までも似た精神状況にあり、ただ社会の方が個人の権利において進歩してしまった為に、「異端者」を正面切って暴力で排除できなくなっただけのことで、そのキリストに相応しくも無い陰険な敵意は温存されており、相変わらず「三位一体」は「正統」キリスト教徒の印のようにされている。

 しかし同時に三位一体の教理を持たない教派や個人がキリスト教史上に何度も登場し、命を賭してまで抗議を行ってきたこともまた紛れもない事実である。⇒前頁

 ようやく第五世紀ころまでに、どうにか主流派の地位を確固とした三位一体が21世紀の今日まで延命している背景には、ルターをはじめ「宗教改革」が三位一体を安定させたカルケドン会議(451)の信条より以前のキリスト教までに遡及しなかったこと、また、かつてのアリウス派との抗争(論争ではなく)と同じく、自派の正統性を三位一体説擁護を通して訴えるところがあったためと思われる。それに加え、当時の歴史・考古学、文献批評などの限界もあり、当時の宗教的良心はカルケドンを問うところまで進めなかった。

◆保存の理由
その後、研究が進んでも三位一体を金科玉条のようにキリスト教界が抱え込んだ理由は、教会組織そのものの安定性を求めてのことであったように見える。というのも、宗教改革でヨーロッパに宗教上の激動が訪れると、単性派を含め幾多の教理や新派が萌え出て、真理を得たと思う人間の常としての闘争性が惹起されて、各地を不安定で危険な状況に陥れたことが影響しているであろう。しかし、その反動としての様々な教説を抑制することが社会秩序の安定が要請されてきた。即ち、一般大衆は急激な信条の変化について行けず、そこに自説の義を主張してやまない急進派らの過激さも加わったので、そこでは宗教が関係していても宗教そのもの問題ではなく、教理の決定による社会秩序の課題となっていた。

 ルターも次々に噴出してくる新手の過激な派閥には随分と手を焼き、遂に諸侯に農民を攻撃するよう訴え、多くの死者を出している。それはカトリックという漬物石が除かれた地域では避け難い状況であったようだ。当時の改革の指導者は、社会秩序の安定までをも荷わねばならず、諸侯の権力と協力して信条と新しい社会体制の創出を目指す過程で、自ずと宗教思想に制約が生じた。その原因は、カトリックに対抗するために、キリスト教をローマ国教以来の「神権政治」、旧態依然とした「コニュニティの宗教」として捉えざるを得なかったためである。キリスト教信仰が個人の選択とされるのは近代のフランス革命以降になった。

 宗教改革期では、社会状況の安定化のためにも過激派を押さえ込む便法として新教も諸派の対して「異端」を叫ぶことで諸侯の鎮圧も期待でき、自分たちにとって急激な改革に見える非三位一体派などの派閥を撃退するのに有効であったろう。

ルターからカルヴァンの時代に、ミゲル・セルヴェトが三位一体への強烈な論駁を行ったが、当時の改革者たちは、三位一体までも変更することを望まなかった。その理由はキリスト教改革があまりに急激に進むことで、永らく続いた伝統から大きく離れるなら、民衆に不安を与え、またカトリックからの弱まりつつあった迫害が再燃する危険を冒すことを躊躇したからであったという。

カルヴァンは、ジュネーヴ市で捕えられたセルヴェトを異端者として裁かせ火刑に処させたが、ルターの協力者メランヒトンは、その処置に同意する書簡をカルヴァンに送っている。だが、これに匿名ながら抗議するシャティロンのような人物もあり、更には三位一体を精査するきっかけを作ったソッツィーニらへの影響をもたらすことにもなった。

もちろん、処刑による理解の封じ込めはキリスト教のものでない残虐行為ではあるが・・「異端への呪詛」を叫ぶのは坊主の悪い癖で、東西キリスト教会もアナテマの呪文の掛け合いを行っていたのであるから、新教も込みで権力と結託した者だけがその呪詛を跳ね返してきたのである。それはもう宗教の仮面をかぶった権力闘争であり、権力の保護を得ない個人などの弱者がその「呪詛」の犠牲となって専ら火刑台に登ることになった。

 その後、近世に入ったヨーロッパでは、科学の隆盛と生活様式の急激な上昇のために懐疑主義が趨勢となり、さらに人間万能を謳歌する19世紀を迎え、もはや真剣にキリスト教を改革する必要すら人々は感じなくなり、その結果、英米に於いて覚醒運動のムーヴメントはあったものの、16世紀のような大変化は以後起こっていない。


■俯瞰される実態
 この結論として言えることは、宗教が政治の影響を受けるなら、どんな内容にせよ純粋に教理を吟味できなくなるということである。第四世紀に三位一体論はこの意味で純粋に宗教上の教理の論議とはならなかった。
 果たして三位一体について真剣な研究や論議が歴史上為されただろうか。むしろ、それが「玄義」だという思考停止が、理性による吟味を阻んできたのではないか。それはどことなく、パリサイが「安息日を守らないから」と外面でイエスを裁いたところを思い起こさせるものではある。

 今日では、教会が三位一体の保持を根拠に自分たちの歴史上の連続性から「正統性」をアピールし、信徒を失わぬための方策としているかのようにも見える。その動機もやはり教会組織の存続の利用にあるだろう。しかし、それこそが信徒の強固な信仰を妨げ、中世の蒙昧に浸るばかりで、人々に訴えるほどの教えを得損なわせているのではないか。
 そのうえに、哲学者らが三一論を用いてヘレニズム哲学を敷衍し、更にキリスト教の哲学化を進めてゆき、それは一般の信仰者の預かり知らぬ、また理解したからといって特に意味を成さない衒学の徒の玩遊する宗教哲学の世界と化していった。

 だが、三位一体の今日の保存には信徒の側の信仰する動機も関わっている。
ひとつには、超絶的なユダヤの神よりも、人間となり弱者に寄り添ったキリストの姿への親近感が考えられる。
また、「正統と呼ばれる信仰に留まりたい」という内心の願望であり、『「三位一体」を教えている教会なら安心できる』というような考えそのものが、その求めるものは神の探求ではなく、自分の「救い」ためであることを見せている。その関心の対象は神ではなく、もちろん自分自身であろう。これは一般に「ご利益信仰」と称されるものである。

これは神を崇めるにしては相応しくもない倫理的選択であるが、「長いものに巻かれていたい」という人間らしい欲が関わっているだろう。だが、その願い求める「正統的信仰」そのものが神への無理解であり、人間の尊大な組織を認めて、他方で神を無視する危険性はどうみても拭えない。
そこには、信徒の欲望による人間中心主義があるだろう。

また、日本では、グレコローマン由来の諸教会が継承してきた欧米文化を愛してやまない人々が、「キリスト教徒」を名乗り、その教会の文化を守ろうとして、キリスト教そのものには頑なに理解を閉ざすケースが多い。
この人々が望むのは、実は「キリスト教」というヨーロッパ系の習慣と精神文化であって、キリスト教ではないというべきであろう。
ウエディングドレスを着て商業施設に設けられたチャペルでの結婚式を望む人々にそれが端的に表れている。十字架も三位一体もそこでは「正統」を演出する麗々しいアイテムであろう。その主役は人であって神でもキリストでもない。


以下に、普遍教会側に三一の根拠とされてきた文書翻訳の抜粋を掲げる。
中世にあっては有難い「アタナシウス」の名を語ってはいるが、これは彼の時代でも場所でもなく、この教理の植え付けに躍起になっていた第五世紀、しかもエジプトではなく南仏由来のものと今日では認められているものである。




-アタナシウス信経抜粋- ()内補足

救われたいと思う者は、まず第一に、カトリック信仰として次のことを信ずべきである。
これを完全に、欠けることなく守らなければ、疑いなく永遠に亡びるであろう。
これがカトリックの信仰である。三位における唯一の神、一体における三位を礼拝する。
三位を混合し、あるいは実態を区分すべきでない。

そのため聖父と聖子と聖霊はそれぞれ別の位格([ペルソナ]人格に対応する語)であって、唯一の理性と同等の栄光、そして、同じく永遠の威光が聖父と聖子と聖霊とに帰せられる。
この聖父にしてこの聖子、この聖霊、造られざる聖父、造られざる聖子、造られざる聖霊、無限の聖父、無限の聖子、無限の聖霊、永遠の聖父、永遠の聖子、永遠の聖霊、しかし三つの永遠者でなく唯一の永遠者、三つの、造られざる者、無限者ではなく、唯一の造られざる者、唯一の無限者である。

同じく、全能の聖父、全能の聖子、全能の聖霊、しかも三つの全能者でなく、唯一の全能者である。
また神なる聖父、神なる聖子、神なる聖霊、しかも三つの神ではなく、唯一の神である。主なる聖父、主なる聖子、主なる聖霊、しかも、三つの主ではなく、唯一の主である。
個々に一つ一つの神の位格を持つ主をキリスト教の真理として信ずる。
三つの神、または、主と言うことは、カトリック教では禁じられている。

聖父は何ものにも造られず、生まれず、聖子は造られたものではなく、聖父からのみ生まれたものである。聖霊は造られたものではなく、聖父と聖子とから発出したものである。
そのため、唯一の聖父であって三つの聖父ではなく、唯一の聖子であって三つの聖子ではなく、また唯一の聖霊であって三つの聖霊ではない。

この三位一体において前後はなく、全位格が同じく永遠であり、大きさにおいて平等であり、すでに述べたように三位における一体であり、一体における三位を礼拝すべきである。
救われたいと望む者は三位一体について以上のように信ずべきである。

-----------------------------------------------------------
所見:権威をかざして問答無用とばかりに「救われたくば」と繰り返す辺りに、迫害に捨て身であった初代とは異質なご利益信仰を感じざるを得ない。もちろん聖書的な風合いはない。これがどんな教理(正反対の非三位一体説)に従う要求であったとしても、「脅し」の批難は免れまい。意味不明の呪文のような中世の暗さを思わせる出何処の不確かな古文書である。このような怪文書に基礎を置いてキリスト教界が千五百年近く惑わされて来たのなら、それはいったいどういうことであろうか。




イエスとは何者か ホクマの謎

非三位一体論者の流れ

アンブロジウス 俗世との岐路に立った男


外部参考頁 ⇒ 「小田切信夫の福音論」サイト管理者の論説 

三位一体の存在しなかった原始キリスト教

ヨハネ14:11『わたしが父におり、父がわたしにおられる』について

341年アンティオケア会議:十四日派の破門
[The Council of Encaenia is held in Antioch]

380年テオドシウス帝の「カトリック教令」の発布
381年コンスタンティノープル公同会議:三位一体決議
382年コンスタンティノープル補足会議:聖霊の神格化






※最後に一言、付け加えておきたいことがある。
この「三位一体説」がキリスト教の趨勢を成している状態が、これからも続くであろう理由であるが
終末に於いて、この教理が「不法の人」を顕在化させ、人々を篩に分ける役割を果たす危険性が聖書から読み取れることが関係しているかも知れない。
それに加え、ユダヤ人の自己欺瞞的習慣により神名の発音も忘れ去られたのも、神が「三位一体説」を誘ったという蓋然性がないとは言えない。全能の神が、一神論も御名の発音も人類に示せないはずがないからであり、かつてイエスを屠るようユダヤ人の誤謬を用いた神が、終末というこの世の総決算ともいえる時期に、同じように経綸を進めないと誰が断言できようか。
もしそうなれば、これは恐ろしい罠となり、神はこれをはじめから承知で許していることになる。
ならば、それは終末まで廃れずに多くの人々に信じられ、趨勢を形成している必要がある。
<「三位一体説」は、終末に於いて究極的偶像(不法の人)崇拝を推し進めてしまう危険性がある>



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