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1.偉大な信仰の人 アブラハム

2012.07.25 (Wed)
1.偉大な信仰の人 アブラハム

アダムが、その後に生まれる子孫全体を一度限り「罪」に売り渡したので、神はそのすべての子孫の救済を計画します。それは「女の裔」と呼ばれるエヴァの子孫に含まれる何者かのことでした。

この「女の裔」は「蛇」つまりサタンの頭を砕いて致命傷を負わせて除き去りますが、一方でサタンは「女の裔」の踵に傷を負わせます。
創世記ではこのようにきわめて簡潔に語られますが、聖書はこの「女の裔」が誰かを巡って話を先に進めます。

1:そして、四千年以上まえのこと古代メソポタミア文明の時代に生きたひとりの人に神は語りかけ、この予告の続きと思われる事柄を伝えます。
古代に生きたその人の名は「アブラム」と言って、ノアの子セムの直系の子孫で、おそらくは古代シュメール人の支配していたウルという有名な都市かその近くの人であったことを聖書は伝えています。

2:この人に神は話しかけ『わたしの示す土地に移住しなさい。そうすればあなたの子孫にそこの土地を与えよう』と約束します。
この言葉に信仰を置いたアブラムは、長い旅をして今のパレスチナと呼ばれるカナン人の地に移住する決意を固めます。

3:到着したカナンの地でのある夜のこと、神はアブラムに語りかけ『あなたの子孫は天の星のようになる』と告げました。
しかし、彼と妻は歳をとっており、そのうえ妻のサライは石女で、彼ら夫婦にはひとりの子もいませんでした。
それでも神はアブラムの名前を『アブラハム』とサライは『サラ』と変えるよう命じます。その意味は「諸国民の父」と「王妃」を意味しました。
このとき、神は彼と契約を結び、彼と子孫はみな割礼を受けること、それによって後の子孫はずっとカナンの地を得て住むことが定められますが、これは後に「アブラハム契約」と呼ばれるようになります。

4:その一年後、奇蹟的にサラは妊娠しふたりの間に待望の子、男子が産まれます。
その子はイサクと名付けられ、高齢の夫婦はこの子を非常に可愛がり、アブラハムがサラの下女によって得ていたもうひとりの子イシュマエルがイサクをいじめるので、サラの希望によりアブラハムはハガルとイシュマエル母子を宿営から去らせます。この後、イシュマエルはアラブ人の祖先となってゆきました。

一方、イサクが成長すると、神はアブラハムに非常にむずかしい試みを与えました。
祭壇で羊を焼いて神に捧げるようにして、イサクを捧げよというのです。

それでも、アブラハムはイサクを連れてモリヤという山に行き、祭壇を築いて薪を並べ、愛する息子イサクに屠殺用の短剣を向けるところまで進みました。すると、神の使いがアブラハムを留めます。
『あなたのひとり子をさえわたしに与えることを差し控えなかったので、あなたが神を恐れる者であることをよく知った』と神はアブラハムの信仰の深さを認めます。

アブラハムのこの行為は、見守る天使たちやサタンにも、そしてわたしたちのように後代に伝え聞くすべてにとってひとつのことを証明しました。
それは、人間の中にも深い信仰を持ち、最も貴重な深く愛するひとり子をも差し出す者がいるということです。
イサク献供に至るアブラハムの信仰

5:後代に、新約聖書のヘブライ人への手紙は、アブラハムの内心を次のように書いています。
『信仰によって、アブラハムは試錬を受けたときイサクを捧げた。すなわち、約束を受けていた彼が、そのひとり子を捧げたのである。この子については、「イサクから出る者が、あなたの子孫と呼ばれるであろう」と言われていた。
そこで彼は、神が死人の中からでも人を生き返らせる力がある、と信じていたのである。言わば、彼は生き返ったイサクを再び受けたと言える。』(ヘブライ11:18-19)

6:この一件は、神が自らの「ひとり子」をイエスとして地上に遣わし、その犠牲によってアダムの子孫を「罪」から受け戻して救うという二千年も後の神の犠牲を示していました。
それだけでなく、「罪」に陥ってしまった人間にも、神の独り子を犠牲とするに足る者が居るという動かぬ証拠となったのです。

そこで、神はアブラハムのにひとつの約束をします。これは契約とは別に「アブラハムへの約束」と呼ばれ、エデンで語られた『女の裔』の働きを知らせるものとなっています。
『あなたがこのことを行ない、あなたのひとり子をさえ与えることを差し控えなかったゆえに、わたしは確かにあなたを祝福し、あなたの胤を確かに殖やして天の星のように、海辺の砂の粒のようにする。あなたの胤はその敵の門を手に入れるであろう。
そして,あなたの胤によって地のすべての国の民は必ず自らを祝福するであろう。あなたがわたしの声に聴き従ったからである』(創世記22:16-18)

その後、神と人間というまったくの立場の差を遥かに越えて、YHWHはアブラハムを『我が友』と呼ぶようになりました。互いのために、最も大切な我が子を差し出すことにおいて、両者は堅く結ばれたと言えましょう。
こうして、『女の裔』つまり人類を贖う救い主がアブラハムの息子イサクを通した子孫から起こされるということが、この約束により一層確かなものとなりました。人類全体は、これほどに深い信仰を持つ人アブラハムに多くのものを負っていると言えます。


 ⇒ 2.神をも圧倒し祝福を得るイスラエル


イサク献供に至るアブラハムの信仰






2.神をも圧倒し祝福を得るイスラエル

2012.07.25 (Wed)
2.神をも圧倒し祝福を得るイスラエル

1:アブラハムの裔イサクはやがてふたりの息子を得ます。
それは双子で、先に胎を出た兄をエサウ、弟はヤコヴと名付けられました。

ふたりは対照的な性格で、狩猟を好みエサウは長子としてアブラハムからの裔を継ぐことに無頓着でしたが、その価値を認めるヤコヴはそれを自分のものにしたいと願っていました。

2.ヤコヴがちょうど豆を煮ていたところに猟から疲れて戻った双子の長男エサウは、ヤコヴの煮るものを欲しがります。これに対してヤコヴは「長子の権」を譲るようにと言うと、エサウは幾らかの躊躇もせずにそれをヤコヴにやるというのでした。
後代、キリストの使徒パウロはこの事柄を引き合いに出し、エサウのように、神聖な物事を軽視するようであってはいけない、と訓戒しています。
その「長子の権」はアブラハムへの神からの契約や約束、そして『女の裔』を含んでいましたが、エサウはそれを軽んじ、逆にヤコヴはその権を是非にも自分のものにしたいと日頃から切に願ったのでした。

3:ヤコヴがこのように神聖な事柄を自分のものにしたいという願いの強さは、後に天使と格闘するほどであったところにも表れていました。
ある晩、天使のひとりが誰かを祝福するために行くところをヤコヴは留めます。
『まず、わたしを祝福しないうちは行かせません』こう言ってヤコヴはその天使と揉み合いになり、夜が明けるまでに及びました。
さすがの天使もヤコヴの股関節を外して逃れますが、『あなたはこれからはイスラエルと名のりなさい、神と争って圧倒したからです』と語り、こうしてヤコヴは誰よりも祝福を望むものとして『女の裔』をもたらす家系に連なります。

神をも圧倒するほどに、祖父からの相続物である神との関係や祝福を愛したヤコヴは、イスラエルと呼ばれてそれを受け継ぐことになり、エサウはエドム(イドマヤ)人の祖となってゆきます。

4:後にヤコヴは、親戚の舅の罠にはまった格好でふたりの妻とそのふたりの下女から十二人の男子を得ることになります。
正妻であったはずのラケルからも二人の男子を得ますが、その上の息子のヨセフは、他の年上の兄弟たちから疎まれエジプトに売られてしまいます。

しかし、神から与えられていた夢を解く能力のためにファラオの目に留まり、エジプトの宰相となって権勢を増してゆきました。
そこへ大きな飢饉が臨み、蓄えのあったエジプトへとヨセフの兄たちは食料を求めて、それがヨセフとも知らず宰相に懇願にゆきます。
はじめは警戒するヨセフでしたが、兄たちが父ヤコヴと実の弟ベニヤミンを本心から大切にしている姿を見て、彼らを許して自分の身を明かすのでした。

5:こうして、ヤコヴの家族七十人は皆、ファラオの招待の下にエジプトのナイル川河口の肥沃なデルタ地方に移住し、エジプト人から優遇されて過ごすことになりました。
ヤコヴは死に際して、自分の十二人の息子、それからヨセフの二人の孫を祝福します。正妻の長男には二倍の受け分を与えるというヘブライの習慣がそこに見えます。
これらの子と孫が後のイスラエル民族を形作ることになります。

6:このエジプトで、アブラハムは多くの子孫を得るという神の契約は実を結び始めます。
その後、ヤコヴの子孫は急速な勢いで増えてゆき、イスラエルは民族として顕著になってゆきます。
ヤコヴの子らは、ルベン、シメオン、レヴィ、ユダ、ゼブルン、イッサカル、ダン、ガド、アシェル、ナフタリ、ヨセフ、ベニヤミンの十二人で、ヤコヴはヨセフの子らのうちの二人を「自分のもの」として取り分けます。それがマナセとエフライムでした。
彼らはそれぞれの子らの父祖となり、イスラエルの十三の部族が出来上がってゆきます。
イスラエルは後に十二部族となりますが、ひとつの部族は特別な役割を負うことで、取り去られます。


 ⇒3.エジプトの苦役







3.エジプトの苦役

2012.07.25 (Wed)
3.エジプトの苦役

1:イスラエルはエジプトで増え続けたのですが、世代が進むうちにエジプトの王朝が換わってしまいます。
それまで優遇されたイスラエルの立場はまったく失われ、その後は奴隷となっての日々の苦役がのし掛かるようになりました。

しかも、イスラエルの増える勢いを憂慮したファラオは、イスラエル人の男児は生まれたらすぐに殺すようエジプトの産婆たちに命じていました。
それでも、この産婆たちは普段からその通りにしなかったので、その当時、レヴィ族のある女性も男子を無事に出産しました。
その子をエジプト人から隠して三ヶ月となったとき、遂にそれ以上匿うことができなくなってしまいます。
そこで母親は、篭にタールを塗ってからその赤子を中に入れて、ワニやカバもいるナイル川に流したのでした。

2:その子の姉のミリアムは篭の流れる先を追ってゆきます。すると篭は水浴びをしているファラオの娘のところに流れ着き、遂に王女の拾うところとなりました。
ミリアムが機転を利かせて、この子のためにヘブライ人の乳母を連れて来ましょうかと申し出ます。そうしてこの姉は自分の母親を連れてくるのでした。
この男児は、水から引き出されたので『モーセ』(引き出す)と名づけられ、やがてエジプト王家の者として宮廷で成長することになります。

3:モーセは成長して後、自分の民イスラエルの実情を憂うようになり、ひとりの同胞を過酷に扱っていたエジプトの官吏を殺めてしまいます。
処罰を免れるために彼はエジプトを後にし、シナイ半島の鉱山への道を辿ってホレブ山の近くの荒涼としたミディアンの地に住む祭司エテロの下に留まります。

モーセはエテロの長女を娶り、やがて子らにも恵まれ齢八十にも達するようになるに及び、もはやそこで生涯を終えるかに見えていました。

4:しかし、その老人モーセに神が現れます。
『わたしはアブラハム、イサク、ヤコヴの神である』『わたしはエジプトでのわたしの民の苦しみを見た。わたしはエジプトに下って彼らを救い出し、その地から携え出して、広く良い土地に、乳と蜜の流れる地に導こうとしている』
『あなたをファラオの許に遣わそう、あなたはわたしの民、イスラエルをエジプトから導き出すのだ』

狼狽するモーセは、自分の口下手を理由にその任を降りようとしますが、神は話し手として彼の兄アロンをモーセに付けます。
それから、どのようにして自分の語る言葉を信じてもらえるのかと質問すると、神は彼の杖が蛇に変わる奇蹟の徴や、らい病を操ることが出来るようにします。

5:そのうえモーセは自分を遣わした神の名を何と言えばよいかと尋ねます。すると神は自らの名を示します。
この名の発音は現代までには失われてしまっており、今日発音を正確に知る人はいません。
ただ、子音ヘブライ文字の四つであることは分かっていますが、それを英字に写すと"YHWH"となります。
これは「イェホヴァ」(エホバ)あるいは「ヤハウェ」とされることが多い聖書の神の名前ではありますが、発音は便宜上付けられたもので、本当の発音は将来に決定的に明かされることになるでしょう。

本来は唯一の創造の神ですが、こうして固有名を持つことで、エジプトの神々と明確に区別されることになっただけでなく、その後もカナンや周辺の地の神々に対しても異なる神であることを示し続ける栄光ある名となりました。
この名「YHWH」は、なお将来にもモーセの時以上に重大な意味を持つことになります。

さて、アブラハムの子孫である民イスラエルを救うため、神の権能と御名を携えたモーセは四十年も離れていたエジプトに向かいますが、そこではどのような反応が起こるでしょう。


 ⇒4.生ける神「YHWH」





4.生ける神「YHWH」

2012.07.25 (Wed)
4.生ける神「YHWH」

モーセとアロンはファラオに謁見され、杖を蛇に変える奇蹟を見せますが、エジプト異神の祭司らも同様のことをして見せます。
しかし、モーセの杖はエジプトの祭司らの蛇を呑み込んでしまいました。

モーセはファラオに、イスラエル民族にその神YHWHを崇拝させるために三日間、国外に出させるように勧告します。
しかし、「YHWH」が何者だというのでわたしがそのようにしなければならないのか、とファラオはエジプトの祭司ら、とくにヤンネとヤンブレの教唆に従ってそれを許そうとはしません。
ファラオは、奴隷であるイスラエル人の締め付けを行い、その労働を更に過酷なものにします。そのため、イスラエルの民もモーセも落胆してしまいます。

これに対してYHWHは、イスラエルを必ずエジプトの苦役から助け出して、彼らの父祖アブラハムと契約した通りにカナンの地、乳と蜜の流れる土地に携え入れると語ります。
こうして、神はエジプトの地に自らの力を示し始め、「YHWH」という神が何者であるかが明らかにされてゆきます。それは、ノアの日の「大洪水」以来の神の力の示されるときとなりました。

最初の力の行使は、アロンが杖でナイル川の水面を打つと、水が血に変わるという奇蹟でした。
そのために、川からは臭気が昇り、飲むことができなくなるだけでなく、川に居た魚たちは死滅してしまいます。血は器の中の水にまで及び、人々は飲み水を求めて井戸を掘りはじめます。

その後、モーセとアロンはファラオの前に立ち、再びイスラエル民族の出国を認めるように勧告しますが、ファラオはナイルの水を元に戻すことを条件にひとたびは許可を出しました。
しかし、災厄が過ぎ去ると態度を翻してしまい、一度出したはずの許可を認めません。エジプトの祭司らもアロンのように水を血に変える奇蹟を起こしていたことも、ファラオの心変わりを誘っていたのでしょう。

そこで、次にアロンは運河や湿地に杖を差し伸べます。すると無数のカエルが発生し、エジプト中にカエルが溢れ、家の中やパンを作るこね鉢のなかにも、ファラオの寝台にもカエルが登ってきました。
ファラオはモーセとアロンを召喚し、明日にでもイスラエルを出させるので、カエルを無くすよう神の懇願せよと命じます。しかし、カエルは去るとファラオは再び態度を変えてしまいます。
そこには、やはりエジプトの祭司らもアロンのようにカエルを発生させることができたところが影響したでしょう。

それから、YHWHはアロンに杖で地を打たせ、無数の蚋(ぶよ)を発生させます。これ以降の災厄をエジプトの祭司たちは真似ができず、彼らとその神々は面目を失いはじめます。
この蚋の災いには異教の祭司らは『これは神の指です!』とファラオに訴えます。それが彼らの神を超える能力であることを認めざるを得ません。

それでも考えを翻すファラオに対し、YHWHの望ませる五番目の災いからはイスラエル人の居住地にはこの災厄が臨まなくなります。それはファラオがはっきりとYHWHの力による災いであることを知るためでした。
次は夥しい虻(あぶ)がエジプト人の地域に襲来し、蚋の痒みから虻の痛みへとエジプト人の災難は加わります。
しかし、ファラオは災いが臨むたびにイスラエルの出国を認めると言い、苦しみが過ぎ去ると前言を翻すことを何度も続けます。

六番目の災いは家畜の病気であり、エジプト人の家畜は疫病に罹り死に始めますが、イスラエルの畜類は安全に守られ一頭の損失も出しません。
七番目は、モーセとアロンが手にいっぱいの煤をファラオの前で空中に放り上げると、人々には水ぶくれを伴う腫れ物が生じます。それはエジプトの祭司らにも及び、彼らはもはやモーセたちの前に対抗して立つこともできません。

ファラオの元々持っていた頑迷さをYHWHはさらに引き出したので、その後も災いは続きます。
それは目的あってのことであり、神YHWHはそれをファラオに告げます
『わたしは、とうにお前(ファラオ)とお前の民を疫病で打って拭い去ってしまうこともできた。しかし、お前にわたしの力を見せ付けること、そうしてわたしの名を全地に知らせるために生かしておいた』。(出埃9:15-16)

その目的はエジプト人の中でも徐々に達成され始めます。というのも、その次の大きな雹(ひょう)の降る災いがモーセらから警告されると、それを信じ恐れたエジプト人は家畜を屋内に入れて備えたからです。
それまでの度重なる災いが、イスラエルの神YHWHに対する畏怖の念をエジプト人にも与えるようになってゆきました。

エジプトの大臣らは、「エジプトが滅んでしまっていることに目を留めてください」とファラオに訴えますが、なおファラオはイスラエルの民を行かせようとはしません。
そのため雹の災いで残った緑も、無数のイナゴによって食い尽くされてしまいます。これもモーセに執り成しを願い、災いから逃れたファラオでしたが、それでも言葉を翻してイスラエルを去らせません。

次には、モーセが手を空に差し伸べると、次に人が手に触れるほどの濃い闇がエジプトに降り、エジプト人は三日の間、光を通さぬ闇のため自分の場所から動けないほどになってしまいました。
これで降された災いは九つに上りますが、それでもファラオは家畜を含めたイスラエルのすべての出国を認めず、モーセらが自分の前に立つことも二度と許さないと宣告します。
こうして、最後の災厄がエジプト全土を覆うことになります。



 ⇒5.「過ぎ越し」から救いへ





5.「過ぎ越し」から救いへ

2012.07.25 (Wed)
5.「過ぎ越し」から救いへ

エジプトに降る最後の災厄については、その以前の九つのものと異なるところがあります。
それは、イスラエル人が旅支度をしている中で降る災いであり、それが最後の決定的なものとなることが示されます。

一夜の間に、エジプトの全土を「滅ぼす者」と呼ばれる天使が通過してゆき、すべての家の跡取りの長男の命を奪ってゆきます。その害は人間だけでなく、家畜の初子にも及びました。

しかし、イスラエル人の家庭では雄の子羊や山羊を屠って、その血を家の入り口の戸柱と鴨居に振り掛けるなら、「滅ぼす者」はその血を見てその家を過ぎ越し、その家の長子は災いを避けることができます。
この予告にしたがって、イスラエルの家々ではその犠牲の動物が屠られ、旅支度もされてゆきます。それを聞いたエジプト人のなかからもイスラエルの家に留まって救われようとする人々も現れてきます。

血が抜かれた肉は苦菜を添えて一家で食され、急いで食べるためにパンは膨らし粉を混ぜないで焼き上げられます。それはエジプトから出発する前の最後の食事となりました。
その晩は満月で、出エジプト記はその晩が春先のアビブの月の14日であったことを知らせています。

そして、夜半に「滅ぼす者」がエジプトを通過してゆくと、エジプト人の家々では悲痛な叫びが上がります。
それはファラオの家でも同じように、皇太子の突然の死を迎えます。これはファラオにとってそれまでにないほどの痛手となり、遂にモーセを呼び出すのでした。
その晩、ファラオは全イスラエルの出国を認めるに至ります。エジプト人はイスラエルを急かすようにさえなって、自分の家財や金銀宝石をもイスラエル人に与えますが、それらは後に彼らの神YHWHの崇拝にも使用されることになります。
そしてエジプト人の中には、イスラエルの神を信じてイスラエルに同行する意志を表す人々さえ出てきます。

こうしてイスラエルの民と、異邦人の入り混じった大集団は三大ピラミッドの近くから行進をはじめ、人数を加えつつナイル・デルタを東に向かいます。神は先頭に、昼は雲の柱、夜は火の柱を立てて大集団を導きますが、こうした民族移動は後にも先にもなかったことでしょう。
しかし、シナイ半島を前にして進路をひとたび南にとってから、神はモーセに再び北上するように命じます。それはファラオの追撃を二度と不能にするための罠となります。

というのも、イスラエルの民はすっかり去ってしまってから、膨大な労働力を失ったことをファラオはすぐに悔いはじめていたのです。
そこにイスラエルは道に迷っているようだとの報告を聞いて、ファラオは追撃の絶好の機会の到来と思い込み、直ちに六百両もの戦車を率いて奴隷を連れ戻しに向かうのでした。こうして紅海の奇蹟の舞台が整います。

イスラエルはピハヒロトという場所で、背を山にし紅海の浅瀬を前にして宿営し夜を過ごしています。それは戦車隊からすれば格好の餌食でした。しかし、エジプト軍が近づくと火の柱がイスラエルと戦車隊の間に入ってイスラエルに時間を与えます。

大群衆は恐慌に陥りますが、モーセが杖を海に差し出すと強い東風が起こり、海水がイスラエルの前でふたつに分かれ、一晩中海の中に乾いた道が現れるという奇蹟が、慌てふためく彼らの眼前で起こります。

その奇蹟の道を通って、イスラエルが朝方までに対岸に渡り終えると、戦車隊も海の道に入ってきました。しかし、YHWHはその車輪を外すので、エジプト軍は海の只中から進めなくなります。
そして遂に、朝日の昇るころ左右の海水が戻り始め、ファラオの軍勢は次々と海に呑み込まれ、やがて海面に浮かぶ多くの屈強な死体をイスラエルは眺めます。

これは人間に到底出来ない神YHWHの勝利であり、人間が神と戦うことの結末を教えるものとなりました。
イスラエルは偉大な救いに与ったことを大いに喜び、また深く感嘆し、その場で新しい歌をうたって自分たちの神を褒め称えます。

アブラハムへの約束を果たすために神YHWHの諮るところは、このように必ず成し遂げられることを、イスラエルはエジプトを出るに当たって何度も目の当たりにしてきましたが、この勝利と救出はその最高潮となりました。

このように、虐げる者から弱い者を解放することをヘブライ語で「シャファト」と言いますが、この言葉は日本語などに訳されると単に「裁き」とされるので、悪行者を罪に定めるというだけのニュアンスになってしまいます。けれどもヘブライの概念では、圧迫される者らの「救い」と深く関係する言葉であり、紅海での救出はまさに「シャファト」でした。

そして将来、YHWHは更に大きな地球規模の「シャファト」を遂げられることになります。


 ⇒6.律法契約の締結









6.律法契約の締結

2012.07.25 (Wed)
6.律法契約の締結

紅海での救いを経験したイスラエルではありましたが、シナイ半島側に渡ってからの水や食料の不足のため不平をならすようになります。
神はその声を聞き、泉の苦い水を甘くし、岩から水を出させ、うずらの大群を宿営地にもたらします。
それから、神は荒野の大群衆を養うために朝露と共に甘い菓子のような食物を毎朝積もらせ、彼らはそれを六日目毎に集めて七日目に当たる日には集める作業を休むよう意図されました。

神は、常に七日目を聖なる日として、民は自分の場所を離れず、「マナ」と呼ばれた奇蹟の食物を集めないように指示します。その日の分は前日の六日目に二倍の量を与えるので、七日目は六日目の残りを食して過ごすよう命じられたのでした。こうして六日間を働いてから一日を休むという「安息日」がはじめて取り決められます。それはまた、人が生きてゆくことは人によらず、神が支えるものであることを教えるものでありました。
確かに、あらゆる産物と原材料は神からのものであり、人はそれらを集めて加工と流通をさせているのですから、人を生かしている大元はやはり神であると言えます。

さて、エジプトを出て三ヶ月目に一行はシナイ山の麓に至ります。
そこで、神はイスラエルの民にモーセを通してイスラエルに告げます。『あなたがたは、わたしがエジプトに対して行ったこと、また、あなたがたを鷲の翼に載せてわたしの所に連れてきたことを見た。
それで、もしあなたがたが、真実にわたしの声に聞き従い、わたしの契約を守るならば、あなたがたはすべての民にまさって、わたしの宝となるであろう。全地はわたしの所有だからである。
あなたがたはわたしに対して祭司の王国となり、また聖なる民となるであろう』。(出エジプト19:4-6)

これに対してイスラエルは『我らはYHWHの話されたことを行います』と皆が言う。そこでYHWHは民の前でモーセに語り、民がモーセに信仰を持つようにすると言われます。

そのため民に身を清めさせると、三日目に神はシナイの山に臨御なさいました。山には濃密な黒雲がかかり、稲妻が走り雷が響きます。巨大な角笛のような音が鳴りわたるので民は慄きます。
山の全体は激動し、YHWHは火となって山に降り、竃の濛々たる煙のようにシナイ山は煙り、角笛のような音響はますます大きなものとなると、モーセは山の頂上に上り神と語りはじめます。

『「わたしはあなたの神YHWH、あなたをエジプトの地、奴隷の家から導き出した者である。あなたはわたしのほかに、何ものをも神としてはならない。』(出エジプト20:2-3)

こうして、イスラエルの守るべき掟が伝えられ、それは「モーセの律法」と呼ばれます。YHWHの他には『なにものをも神としてはならない』から始まる十の戒めは、後に神は自ら石板に刻んでモーセに与え、それは「十戒」と呼ばれる律法の「証し」となりましたが、それは後に「契約の箱」に収められます。

この律法は六百近い条文を持っていますが、神はこれをイスラエル民族とだけ契約したのであり、それ以外の民には「十戒」を含めて守る義務はありません。もし、律法の一ヶ条でも守るなら、『律法のすべてを守るべき』必要があります。なぜなら、それが契約であったからです。

一方、民は神の臨御の恐ろしい光景と巨大な音響に肝を冷やし、神がモーセとだけ話すようにと願います。しかし、それは彼らに猛烈な怖れを懐かせて掟を守るよう促す働きがありました。

このとき神の言葉は、乳と蜜の流れる「約束の地」であるカナンから先住の民族を追いたて、その境界が紅海からフィリスティアの海、そしてユーフラテスまでとなることを知らせて一度終わります。

モーセはこれらの言葉を記して、翌朝には十二の柱を立てて、牛を屠り、その血の半分をヒソプの枝に浸して民に向かって『これは契約のための血である』と言って民に振り掛けました。神との契約は犠牲を介してはじめて有効とされることはアブラハム契約でもそうでしたが、こうして律法契約でも血の必要が示されます。

そして、神とイスラエルの契約が犠牲の牛の血を以って発効し、神はこれを祝し、モーセとアロン、ナダブとアビブ、イスラエルの年長者七十人をシナイ山上のご自分のところで饗応します。彼らは神の幻を見て飲食し楽しんだと云います。サファイアのような床の上で彼らはひと時を過ごしますが、神は御前の「罪」ある人である彼らに手を掛け抹殺することはありませんでした。それはイスラエルが神の前に格別の立場「仮の義」を得始めたことを示したと言えましょう。(出埃24章)

その後も雲はシナイ山頂を離れず、七日目にモーセひとりが招かれます。そこでモーセは神YHWHの祭祀についての非常に多くの掟を授かり四十日に及ぶことになりました。
しかし、山麓では正反対のことが起こりはじめます。モーセを待ちあぐねた民は、金で子牛を作り、それが「エジプトから導いた我々の神だ」と偶像崇拝を始めてしまったのでした。

山を降ると、モーセは民の放縦な偶像崇拝を目にして怒りに震え、携えてきた十戒を記した二枚の石板を砕きます。直ちに同族のレヴィ族を集め、民の中から放縦に振舞う者らを剣によって浄め、およそ三千人が死に至りました。

イスラエルはこうして邪な傾向のあることを再び示しましたが、神は彼らを「心の頑なな民」と呼ぶようになります。彼らは必ずしもアブラハム、イサク、ヤコヴのような性質を表すわけではありません。
ここには、律法契約の結末について既に見えるものがあるのでした。彼らはこの契約によって本当に「王なる祭司、聖なる国民」また「諸国民の光」の地位を得るのでしょうか。そこには既に危うさが見えはじめています。

イスラエルの不行跡に対して、神は自らの使いを代理として立てるので、彼らと共に約束の地に上ることはしないと言います。以後モーセは、自分の天幕をイスラエルからいくらか離れた場所に張るようになり、民の裁きなどをそこで行うようになり、それは「会見の天幕」と呼ばれるようになります。

モーセは、人が人に話すようにして神と語る唯一の者となり、神自身が共に約束の地に入ることを求めます。神はそれを受容れますが、モーセは更に神自身を見ることを望みます。これに対して「人は誰も神を見て生きていることはできない」として、モーセに山の中でご自身の後姿の栄光だけを見させます。

それから神は再び石板に十戒を刻んでモーセに渡し、モーセは再び四十日を山頂で過ごして神YHWHの祭儀上の多くの指示を授かります。祭儀については、十二部族の中からレヴィ部族がYHWHに買取られ祭司職に専任されます。

YHWHのレヴィ族買取りの理由は、出エジプトの晩に「滅ぼす者」がエジプトを通過してゆくときに鴨居にはね掛けられた子羊の血を見るとその家を「過ぎ越し」たところにありました。

つまり、イスラエル人の長男は子羊の血によって命を救われたのであり、言わばYHWHが子羊の血という代価を払ってイスラエルの人間と家畜の長子を買取ったのでした。これは後代にキリストという「神の子羊」の血が、更に進んだ祭司職のためにある人々を買取ることになることの予型となりました。

それゆえ、YHWHはイスラエルの長子は人も家畜もすべて神ご自身のものであると宣言されます。そこでイスラエル十二部族の長子の総数、またレヴィ族男子の総数を調べさせ、レヴィ族長子の幾らかの足りない分は金によってイスラエルから徴収し会見の天幕に納入されます。

こうして、レヴィ族男子はイスラエル全体の「長子」を代表することができるようになり、神YHWHの祭司職を拝命することになり、十三あった部族からレヴィ族が抜け出てイスラエルは十二部族となります。
祭司職を授かったレヴィ族でしたが、会見の天幕での直接の祭儀を行うには一族では多すぎるので、モーセの兄アロンの家系に連なる者だけが祭司の任命を受け、特にアロンはその頂点に立つ「大祭司」となり、最も重要な祭儀を執り行う職に任ぜられました。

これら祭司やレヴィ族には一般の部族よりも、道徳的にも衛生的にも一段高い清さが求められます。彼らには神殿で白い亜麻の職服の着用が求められ、民から捧げられる犠牲によって生活が支えられます。
大祭司のターバン正面の額には金板があり、そこには[ליהוה קרש]「YHWHに浄められた」または「YHWHへの神聖さ」と旧字体で刻まれて、その身分の浄さが強調されました。その最も神聖な大祭司の職服は年に一度「贖罪の日」に着用されます。

イスラエルの宿営に戻るとモーセの顔は光を発するようになっていたので、民の間に居るときにはベールを顔にかけるほどになりましたが、それは彼に対する民の怖れを誘ったことでしょう。

モーセは預言して、何時の日か、神は自分のように偉大な預言者を興されるであろう、と言明しますが、モーセに勝るほどの預言者とは特定の「メシア」(任じられた者)であるとイスラエルは歴史が進むに従って次第に気付いてゆきます。
その方こそは、イスラエルをより高い次元に導き、真に「祭司の王国、聖なる国民」とさせる働きを為す方であり。今日の人々はそれがキリスト・イエスであることを知っています。しかし、イスラエルはこの方の到来まで、なお千五百年ほどを待たねばなりません。


 ⇒7.神YHWHの祭司職








7.神YHWHの祭司職

2012.07.25 (Wed)
7.神YHWHの祭司職

その後、山頂での神との会見で指示された多くの崇拝のための器具が造られはじめ、民はエジプトから携えた金銀財宝を心に動かされるままに寄贈し、職人たちには神の霊が臨んで崇拝の器具、什器を仕上げます。
これらの器具は「会見の天幕」とその敷地内の中庭に安置され、中庭では牛や羊などの動物の供犠が祭壇で行われますが、その多くの血液については祭壇の基部の地面に注がれ、血を抜いた体が祭壇の火で焼かれます。
その理由は、ヘブライ語で「ネフェシュ」と呼ばれるその生き物の「魂」が血液の中に有り、命ではなくそれらの「魂」の犠牲が模式的に人の罪を相殺する、つまり贖うと神は説明を加えています。

神がこれらの供犠を求めたのは、神から見て人間には罪があり、神に近づくには罪のための「魂」の犠牲が必要であることを繰り返し示し訓戒を与えるためです。
そして、これらの犠牲のすべては、やがて『神の子羊』と呼ばれた人間キリストの「魂」の犠牲によって完く満たされることになります。

「会見の天幕」正面の中庭は、動物の犠牲を捧げる場であり、そこで祭司たちは民が捧げる様々な動物を処理し、血は祭壇の下部に注ぎだし、肉を祭壇で焼きます。その祭司たちが身を清めるための水を貯めた水盤も中庭に置かれました。
天幕の中では、第一の部屋では日毎の供え物であるパンが机の上に整えられ、香の祭壇には特別に調合された香の煙りが立ち昇っていました。その第一の部屋では七又の燭台が明かりを提供します。

そして奥の間は「至聖所」と呼ばれ、そこには記された「律法の巻物」と「契約の箱」が置かれます。
後に巻物は「律法」と、契約の箱は「証し」と呼ばれます。それは契約文書と御璽というような役割を持ちます。
殊に契約の証しである「契約の箱」(アーロン・ハ ヴェリート)は、創造の神が他の民と変わらず罪あるイスラエルという小民族に肩入れし帯同する理由を諸国民に証しする役割も持ちます。

そのため、イスラエルが約束の地カナンに入植の初めに当たって、強固な城市エリコの周囲を七日間「契約の箱」がイスラエル軍と共に回った後にエリコの城壁が人手によらず崩れ去ったことは、神がこの民族と共にあって戦うことを明らかにすることになりました。
その箱はイスラエルが神との契約関係にあることを示し、その民族が徒ならぬものであることを内外に示すものとなったのです。

この以前、モーセの時からこの箱の上には雲が宿り、その中には光があって、そこから神YHWHはモーセに話したと言われます。
その光「臨御(シェキーナー)の光」は、偶像の神々の真似のできない超自然のものでしたから、神YHWHは「生ける神」と呼ばれます。
年に一度、大祭司がソロモンの建立した神殿奥の「至聖所」に入るときには、明かりの一切無いその部屋で充分活動できるのは、この恐るべき光のためであり、後にエルサレムの神殿に移ってからは特にそう言えたと思われます。

その年に一度の機会は、「贖罪の日」(ヨム・キプル)と名付けられたティシュリ10日の祭儀でした。それはイスラエル全体の罪が言い表され、その「贖罪」つまり罪のあがないが行われる日として定められました。
それから五日を数え、収穫を祝う「仮小屋」(スッコート)の祭りが始まります。これは贖罪を果たした喜びと収穫の喜びの重なる最も目出度い祭りとなりました。
民は屋外に仮小屋を作って一週間をそこで過ごし、自分たちの父祖がエジプトを出て荒野を彷徨したことを思い起こすよう指示されます。

このほかに、春先の「過ぎ越し」とそれに続く「無酵母パンの祭り」があり、これは出エジプトの前の晩、ニサン月14日に各家庭で一頭の子羊を屠りその肉を食し、急いでいたので、パンを発酵させる間もなく無酵母パン(マッツォー)でしのいだ事跡を記念するものです。
「過ぎ越しの祭り」でも子羊を焼いて家庭で食し、それから実質八日間はパン種を家から除き、無酵母パンの祭りを行います。
後に、キリストの最後の晩餐となったのはこの過ぎ越しの食事であり、後のユダヤではこの食事は「セデル」と呼ばれ、ぶどう酒も含まれるようになりました。

「無酵母パンの祭り」での安息日翌日から七週間を数えますが、その間に春の穀物の収穫が終わり、その次の日のシワン月6日には「七週の祭り」(シャブオート)を迎えます。これは七週間49日の翌日なので「五旬節」(ペンテコステ)とも呼ばれます。

このシワンの月はモーセがシナイ山で契約を授かった時期に当たりますし、後のイエスの弟子たちに律法契約とは別の「新しい契約」を発効されるのもこの祭りの日のことになります。

「七週の祭り」の日には、その年の収穫で得られた小麦でふたつのパンを作り神の前に捧げられますが、厳粛な「無酵母パンの祭り」以来の喪のような雰囲気が終わって、イスラエルに住む人は誰でも、外国人居留者もこれを祝い楽しむことができます。その雰囲気は寛大にもてなし、やもめや父なし子たちも奴隷もが喜び楽しむ宴のようになります。

人々は自分の家々からパン種を入れた上質の小麦で作ったふたつのパンを神の御前に捧げます。それらは初物の供え物として神に受け入れられるものとなりました。
後代キリストの弟子たちにとってもこの日は重要な転機となりましたが、それはこのパンに関する祭りの仕方にも表されていましたが、それは後代に明らかにされます。

さて、これらの年に三つの祭り(シャロッシュ・レガリーム)には、イスラエルの男子は必ず神の会見の天幕の前に出ることが求められましたが、それぞれに神YHWHの恵まれたところに応じて捧げ物を持参するよう指示されました。YHWHは彼らが契約を守る限り、必ず恵むと言われます。

さて、レヴィ族は本来、他の部族のように約束のカナンの地に決められた地域を割り当てられません。ただ各地に48の町を所有することが許され、彼らの土地からの受け分は、他の諸部族から供給される産物の「十分の一」によります。
こうしてレヴィ族らの受け継ぐものは自らの地の実りによらず「神からのもの」となります。レヴィ族の内で神の祭司職に任じられたのはアロンの家系に属する健康な男子だけでしたが、レヴィに属する者らは他の部族の得たものから更に十分の一をアロンの家系の者らに与えます。

レヴィ族は他の各部族の中に共に住み、また、国内に六ヶ所の格別な城市を持ちました。これら六つの町は聖域でもあり、殺意なく過失で人を殺めた者が逃げ込める場所を提供しました。
レヴィ族は軍役に就きませんが、それは「血」の汚れを避けるためだったことでしょう。
聖さについては、特に祭司には一般よりも清い道徳的また衛生的な基準が設けられ、それが守られない場合は職から外されます。それは後にキリスト教徒の中の特別な人々「聖徒」にも一定の清さが求められることを予示していたと云えます。

こうして人間によらず整えられた神YHWHへの崇拝の型は、イスラエルが約束の地に入植を始めると共に本格的に稼動し、モーセの後継指導者エホシュアの指揮の下イスラエルがヨルダン川を渡ると、日毎に降り続いた食物「マナ」の供給も終わります。

しかし、イスラエル民族はエジプトを出てから順調にカナン入植に向かったわけではありませんでした。
驚くべきことに、彼らは四十年の長きに亘ってエジプトとカナンの間の荒涼たる乾燥地帯を行きつ戻りつ逡巡を重ねたのでありました。
その理由はいったい何だったでしょうか。


 ⇒§3.







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